スーザン・ソンタグの大江批判 朝日新聞1999年7月14日夕刊文化欄

 
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投稿者 Y.M. 日時 1999 年 8 月 27 日 01:20:47:

朝日新聞1999年7月14日夕刊文化欄
未来へ向けて 往復書簡
スーザン・ソンタグ氏から大江健三郎氏へ(上)

虐殺阻んだセルビア爆撃
唯一の方途としての「戦争」

親愛なる大江健三郎へ
対話を続けることができ、たいへんうれしく思います。
私の書いた「われわれはなぜコソボにいるのか」について、あなたが優秀な若者
たちと語り合った時、私も同席したかったと残念で仕方がありません。(それ
に、あなたが親しみを感じ、日本の未来を予見させる存在とみなしている若者た
ちでしょうから、当然、女性がまじっていたはずだと言わせて下さい。というの
も、英訳では──わが国の若者たち」が「ヤング・ジャパニーズ・メン」となっ
ていたものですから)
もちろん、あなたはあの論稿を「誤読」なさっていません。苦悩と多くの疑いを
抱きながらも、確かに私は北大西洋条約機権(NAT0)によるセルビア爆撃を
支持しました。かつてユーゴスラビアだった地を、スロボダン・ミロシュビッチ
が破壊し続けるのを食い止めるには、軍事介入しかないと考えたからです。ミロ
シュビッチが一九九一年に戦争を始めたその時、もし軍事介入が行われていた
ら、多くの、実に数多くの生命が失われずにすんだことでしょう。あの地域全体
の物理的、経済的、文化的な破壊も阻止できたでしよう。
九一年、セルビア人たちは、ダルマチア海沿岸の美しい古都ドブロブニクを砲撃
しました。そこはかってユーゴスラビアの一部だったのですが、今は新たな独立
国クロアチア領になっています。しかし、当時は何の手も打たれませんでした。
ヨーロッパの主要諸国はバルカン地域に広がる惨状に背を向け、事態の悪化とと
もに間もなく、四五年以来初めての、ヨーロッパの地における死の収容所がいく
つか出現しました。そして恐怖は続きました。そうです。
あまりにも多くの残虐行為を承認してきた、バルカンの戦争実行者、独裁者の動
きを封じ、できれば倒す試みをするという、あの遅すぎた決定を私は支持しまし
た。NATOが戦争をいかに遂行したか。自分たちの側の軍隊をリスクにさらさ
ないで死傷者や損害を制限し、地上の民間の損害を最大限引き起こす、そのやり
方は当時も今も私は支持していません。また今回のNATOの作戦(「成功」と
はほど遠いものでした)が、ヨーロッパ諸国の軍事予算拡大を望む連中を刺激
し、そのもくろみを促進させる確率が大きいことも、嘆かわしいと感じていま
す。
ここで私自身の立場をできる限り明らかにしようと思います。なかには正義の戦
争だとみなしうる戦争も、きわめて少数ではあれ、たしかにあります。戦争とい
う手段をとらなければ、武力による侵略をやめさせる道がないという場合に限っ
て。
しかし、それでも、戦争は犯罪です。今まで三度にわたりまぢかに戦争を見てき
ました−六八年と七二年にベトナムで、七三年にイスラエルとシリアで、そして
九三年から九五年にかけてボスニアで。繰り返し申します、戦争は犯罪です。で
も対立は存在するのです。不正も存在します。殺戮は行われています。自分たち
以外の共同体のメンバーのほとんど、または全員を殺害すべく、人々は動員され
てしまうのです。そこで、人は何をなすべきでしょう?もちろん、人間があくな
く続けてきた行為である戦争の撤廃は、文明の生んだ崇高な、もっとも崇高な大
望です。戦争を嫌悪する心は、文明化された人間の証です。でも、大望や嫌悪の
心があるからといって、人間が喜んですべての戦争を捨て去る段階に現実に到達
したというわけではありません。
こう申し上げているからといって、「理想主義」のまぎれもない魅力にあらがっ
て「現実主義」の薄汚れた主張を弁護しているわけではありません。その点、お
願いですから信じて下さい。私は善意に満ちた美辞麗句にはしる誘惑を振り切っ
て、英知の声を弁護しているのです。人間の現実についてあまりにも一般化され
た認識を排して、もっと具体的な認識を弁護しているのです。
ここで再び、若者たちとあなたとの会話について考えています。理想主義的な主
張に呼応しやすい若者たちの素晴らしい感受性を奨励するにしても、それならば
同時に、人間の.本性に関する、ほかの言葉に置き換えることのできない認識を
指標として、さまざまな原理的なことを検証する必要があることを、彼らに教示
してゆかなければならないと思うのですが、いかがでしょう。
『ヒロシマ・ノート』で、こうお書きになっています。「原爆をある人間たちの
都市に投下する、という決心を他の都市の人間たちがおこなう、ということは、
まさに異常だ」
異論を唱えてもよろしいでしょうか。そこには、悪意があるのです。残念なが
ら、異常なのではなく!
今世紀の経験、とりわけ二つのいわゆる世界大戦の経験が実に恐ろしいものだっ
たために、多くの良心の人たちは正義の社会の鍵を握るのは戦争に反対すること
だという結論を引き出しました。残念ながら、ことほそれほど単純ではありませ
ん。
ドイツの緑の党のリーダーの一入で、現在は同国の外相であるヨシュカ・フィッ
シャーは、ミロシェビッチに対するNATOの軍事行動に、ドイツが限定付きの
参加をすることを擁護しました。ヨーロッパ諸国のなかでも、NATOの行動へ
の反対意見はドイツ国内において一番強かったのですが。私は彼のとった立場に
感銘を受けました。
良心の声を正直に告白する政治家。その意味でフィッシャーは稀有な存在です。
だからこそ、彼の内省を私たちは真摯に受け止めるべきだと思うのです。つまる
ところ彼はこう語りました。
ナチズムが敗退してこのかた、われわれ「善良なドイツ国民」は二重のスローガ
ンのもとに政治的な思考を組み立ててきた。これ以上戦争は起こさない。これ以
上アウシュビッツは起こさない。しかし今、苦痛とともに自覚せざるをえない。
戦争それ自体がアウシュビッツ、つまりジェノサイド(大虐殺)を引き起こすの
ではないということを。場合によってはアウシュビッツを阻止(あるいは抑止、
または停止)するには、たった一つしか方策がない──それは戦争だ──という
ことを。
NATOがセルビア上空で軍事行動を展開していた期間、たまたま私は南イタリ
アの都市バリに長期滞在していました。アドリア海を隔ててアルバニアに面して
いる街です。そのバリでも数回の反戦デモで、同じスローガンの看板を目にしま
した。「戦争をやめよ。ジェノサイドをやめよ」。抗議していた善意の人々、
は、これらの二つのアピールは、含わせれば同じ主張になると考 えていたに相違
ありません。しかし、そうはならないのです。私は、こう考えざるをえませんで
した。〈だれ〉が戦争を起こしているのか、〈だれ〉がジェノサイドに手を染め
ているのか。戦争停止によって、セルビア側によるジェノサイドがまんまと続け
られるだけの結果になってしまったら……。
かりにNATOが戦争を否定していたとしたら、それはコンポの人々にとって、
どういう事態を意味しでいたでしょう──助けは来ない、ということです。ボス
ニアの人々がセルビアとクロアチアの侵略者の攻整にさらされていた──殺さ
れ、爆撃されていた──三年の間、結局NATOが彼らに伝えたメッセージは、
助けないということだったのです。
何事かをしない、つまり無為。それもまた行為なのです。
もう一つ、アジアの例証です。クメール・ルージュが行った恐怖のジェノサイド
を終わらせたのは、ベトナムによるカンボジア侵攻でした。バルカン地域におけ
るNATOの行動(アメリカが言いだし、先頭に立ち、また大部分を実行した行
動ですが)とは異なり、ベトナムはカンボジア侵攻の口実として「人道上の」理
由は持ち出しませんでした。それはたぶんに、ベトナムの拡張主義によるいつも
通りの出来事だったのでしょう。とはいえ、一つの結果として数百万の人々の絶
滅が唐突に終わりました。もしベトナムがカンボジアに侵攻していなかったら、
あれ以上どれほどのカンボジア人が殺されることになったでしょう。
私たちははたして正直に──人間として、と言ってもかまいません──ベトナム
のカンポヅア侵攻はなかったほうが良かったと言えるでしょうか。
もしかしたら日本の方々は、第二次世界大戦において他国民に与えた苦しみと、
みずからがこうむった大きな受難のゆえに、戦争参加ということに特別の困難を
おぼえるのかもしれません。もちろん、その気持ちは痛いほどわかります。コソ
ボを前にしたドイツと同じ立場に日本は置かれることになるのですから。
しかし、あなたはそれとはきわめて異なることを、ご自身の国について示唆され
ているように思われます。つまり、日本においてファシズムは避けられないので
はないのか、と。正確には、『私はこの国に柔らかなファシズムの網がかけられ
る時……」という記述がありますが。
日本の重要な作家が──自国の具体的現実について見解を述べられたのに、外国
人の私が異論を唱えるのはせんえつな行為とのそしりを免れないでしょう。で
も、現実を理解するために私たちが用いる方法について、と限定したうえで言わ
せて下さい。私は多くのエッセー──反解釈──にはじまり『隠晩としての病
い』や『エイズとその陰喩』にいたるまで、──現実を隠喩として語るほとんど
の実例に対して、もっと懐疑的になるべきだと訴えてきました。ファシズムは現
在、隠喩になったと思います。私はこの言葉を隠喩──として、あるいは厳密さ
を欠いたかたちでは使いたくありません。ミロシュビッチが率いるセルビア政府
は、今日の世界で見る限りもっともファシスト政府に近いものです。しかし、た
んに排外主義的、順応主義的、また、ある面では抑圧的ですらある社会を、それ
だけでファシスト的だとは呼べない、というのが私の見解です。
(続く)
◇原文は英語。駅は翻訳家木幡和枝氏。
◎Susan Sontag




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