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週刊現代9/25
スクープ!神奈川県警がヒタ隠すもう一つの重大事件
「容疑者銃殺」疑惑
神奈川県警1万5000人のトップに立つ深山健男本部長が記者会見
で見せた能面は、弁解、釈明、哀訴、追従、端倪、沈黙、時に激昂と、
まさに七変化した。この迷座長がお役御免になるのは当然だろうが、
「悪の公僕」たちの隠蔽工作劇は終わらない。県警がピタ隠す、さら
なる重大不祥事をスッパ抜く!
相模原南署の元巡査長が女子大生を恐喝、厚木署集団警選隊が新隊員に拳銃や手錠を使って集団暴行、川崎署警部補がJR東海道線で車掌らに暴行、加賀町署の巡査部長が京浜急行で短大生に痴漢、緑署の巡査部長が都内の病院で万引き、県警刑事部の捜査員が暴力団に90人分の捜査員名簿を流出、さらに保土ケ谷署の警部補、葉山署の巡査部長、藤沢北署の巡査が警察手帳を紛失……。
9月に入ってから、発覚するわするわ、もはや警察というより、犯罪集団といわれても申し開きのできない神奈川県警。しかも、記者会見では、午前中に「元巡査長は自己都合で退職した」といったかと思えば、午後に「懲戒免職処分だった」と変わり、「集団暴行は当事者が否定している」といった2日後に、「集団暴行はあった」と変更するお粗末ぶり。深山健男本部長(1ヵ月減給の懲戒処分)以下、県警の最高幹部たちが不祥事の隠蔽工作に走っていたのだから、開いた口が塞がらない。
なかでも、昨年11月に相模原南署の元巡査長(42歳)が、証拠晶として暴力団組員の自宅から押収したネガフィルムを警察署から持ち出し、そこに写っていた女子大生(21歳)に買い取り・交際を迫っていた事件は、凶悪犯罪だ。
この元巡査長は、昨年12月に懲戒免職になった後、消息を絶っていた。が、本誌が調査すると、ちゃっかりと警察と関連の深い神奈川県内の建設会社に再就職していたことが判明した。しかも、再就職先の会社で直撃すると、「ついにマスコミが来たか」とうろたえながらも、次のように弁明した。「一連の報道は毎日、戦々恐々として見ています。(会社内の)周囲の目に対してもビクビクしているのが、正直なところなんです。今回の不祥事報道があって以来、(新築したばかりの)家にも戻れず、女房や二人の子供と別居状態が続いていますし、離婚話も浮上してきました。私には小さい子供もいますし、いまの会社の仕事は、この不況下でやっと極んだ仕事で、絶対に辞めたくないんです。あなた方が私からいろいろ聞き出したい気持ちはわかりますが、私はもう警察とは無縁の人間で、一般人ですよ。今回の件について何も話す気はありませんし、会社へこうやって来られるのは迷惑です」
今回発覚した一連の不祥事のなかで、本誌が特に注目するのが、厚木署集団警選隊の新隊員に対する暴行事件だ。
この事件で、神奈川県箸が犯していた二つの事実が明らかになった。(1)後ろ手に手錠を掛けた新隊員の眉間に、実弾5発の入った拳銃を突き付けた(2)この事実を隠蔽しつづけ、発覚した時も「部内での指導であって犯罪ではない」と言い訳した
実は神奈川県警は、この事件とまさに似通った恐るべき重大不祥事の真相を、いまだに隠蔽しつづけている可能性が高い。本誌は'97年12月20日号と'98年1月31日号の2度にわたって追及したが、神奈川県警は再調査さえしていない。
父が自殺などするはずがない
その事件は、'97年11月8日、横浜市西区にある戸部警察署内で起こった。同年10月22日に銃刀法違反などの容疑で逮捕され、勾留中だった金融業・柳吉大容疑者(当時55歳)が、取り調べ中に銃弾を左胸に受け、運ばれた救急病院で心臓破裂のため死亡した。使用されたのは証拠晶の拳銃。しかも、それは警察官の目前で起きていたのだ。
常識ではありえない事件だが、県警はロクな捜査も行わないまま、単なる留置人の自殺事件として片づけてしまったのである。事件翌日の新聞は、県警の発表に基づいて、事件の経緯をおよそ次のように報じている。
〈戸部署刑事課取調室で、捜査員がビニール袋に入ったカラの拳銃と、別のビニール袋に入った実弾を柳容疑者に提示した。その後、いったん一人の捜査員が拳銃と実弾を取調室から運び出したが、柳容疑者が「拳銃をもう一度見たい」といい出したために、再び取調室に拳銃だけを持ち込んだ。さらに「拳銃のツヤを見たい」といったため、ビニール袋から拳銃を出して手渡した途端、柳容疑者は隠し持っていた実弾を銃に込め、自分の左胸に銃口を向けて撃った。後になって、ビニール袋のなかから、実弾1発がなくなっていたことが判明した──〉
また、事件当日に警察庁長官官房総務課留置管理官が、警視庁ほか各道府県警察本部の総務部長などに配信した『留置事故速報』には、上記のような取り調べ中の拳銃自殺事案として通達している。
柳容疑者には、10年前に離婚した光夫人とのあいだに生まれた一人娘の聡子さん(仮名・23歳)がいた。事件直後、父親の突然の死を知って泣き続けたという聡子さんは、「父が亡くなったのは土曜日で、事件が起きていなければ、その2日後の月曜日に、私が差し入れに行く予定になっていました。そのことを知った父は、とても楽しみにしていたと聞きます。そんな父が自殺などするはずがありません」
と、釈然としない思いを訴える。また、「ロクな説明をしてもらえなかった」と、誠意のない神奈川県警の対応に怒りをあらわにする。
そんな聡子さんを同行して、柳容疑者に救命医療を施した横浜市立大学医学部附属病院の内田敬二医師と、司法解剖を執刀した東邦大学医学部の津田征郎監察医を訪ねた。すると、その結果、柳容疑者が左胸に受けた銃弾が、自殺とするにはあまりにも不自然な距離と角度から発砲されたものだったことが判明したのである。
もし自殺なら、十中八九、銃をこめかみに向けて撃つはずだが、万が一、心臓に向けて撃ったとしても、必ず銃口を心臓部に押し付けて撃つものだ。つまり「接射」である。その場合、弾丸が発射される際に銃口から噴出する発射ガスの圧力によって、銃創は内側から外側に破裂し、皮膚がめく捲れ上がった状態となる。
ところが、柳容疑者の左胸部に開いた封入口は、直径約1・1Bのほぼ円形で、破裂創は見られなかった(左の写真)。封入角度も真っ直ぐではなく、上から下に向かって45度だった。しかも、津田監察医は、戸部警察署長に提出した『死体検案報告書』の中の死因に関する箇所で、「自殺」の項目ではなく「その他及び不祥の外因」の項目に、わざわざ丸をつけている。
このことを津田監察医に聞くと、
「柳氏の死因については私が判断を下したが、私は(戸部警察署に)自殺だとは報告していない」とはっきり語った。
変換された着衣が示す死の真相
ところが神奈川県警は、調査のやり直しを行わないばかりか、事件発生から一ヵ月半後の12月25日に戸部署関係者の処分を発表することで、重大事件に終止符を打ってしまったのである。
しかも、その処分は極めて軽いものだった。柳容疑者の取調官だった長谷川行雄巡査部長(50歳
)と、拳銃を運んだ佐藤正章警部補(39歳)が「戒告」。監督責任者である永旺榮重署長が「本部長訓戒」、土屋昭王副署長ほか1名が「所属長注意」、田場川義昭刑事第2課長が「所属長訓戒」である。
父親の死の真相をこのまま闇に葬らせてはならないという聡子さんの強い意志が、今年2月に神奈川県を相手に、慰謝料など920万円の賠償を求める訴えを起こさせた。原告側代理人の村田恒夫非議士が、こう代弁する。
「裁判の目的は賠償金ではなく、あくまで真相の究明にあります。取調室のなかで、いったい何が起こって柳さんが亡くなったのか。隠蔽に走る警察に情報を開示させ、娘さんの疑念を晴らすには、こういうかたちで訴えを起こすしかなかったんです」
この訴訟によって、柳容疑者の死が自殺によるものではなかったことをさらに裏付ける決定的証拠を2点、入手することができた。
第一が、柳容疑者が着ていた3着の衣類だ。被弾したときの着衣は、受けた銃弾がどのような状況で発射されたのかを知る手掛かりとなり、銃創の状態と並ぶ重要な証拠となる。この着衣は、事件直後から聡子さんが返還を求めてきたのだが、戸部署と県警本部をタライ回しにされるばかりで1年以上も無視された。
ところが、横浜地裁に村田非議士が訴状を提出した途端、その当日に神奈川県警は、あれほど渋っていた柳容疑者の着衣の返還に応じた。
遺族の元に返った衣類は、柳容疑者の血液を大量に含んで赤褐色に染まり、左胸に当たる位置にポッカリと穴が空き、銃弾が心臓を貫通したことを物語っていた。しかし、柳容疑考が上半身に着ていた3着の衣類には、自殺なら当然付くはずの発射ガスの熱による焼け焦げがまったくなかったのである。
銃器に使用する無煙火薬の着火温度は、種類によって差はあるが、およそ1600〜3000度だ。銃器を発砲すれば高温の発射ガスが弾丸とともに銃口から噴出され、酸素と結びついて銃口炎となる。だから自殺を証明する「接射」なら、高温の発射ガスにさらされて繊維が焦げていなければならない。
本誌は、グアム島のタクナイカル・アウトドア・レンジ社の協力を得て、拳銃を接射した場合に衣類がどのように変質するかを試射実験によって確かめた。柳容疑考は一番下に水色の肌着、その上に2着のトレーナーを重ね着していた。その3着と、ほぼ同じ色と材質の衣類を揃え、柳容疑者が着ていたのと同じ重ね順を再現して被験対象とした。そして銃器は、柳容疑者の事件に使用されたブラジル・ロッシ社製リボルバーと口径、銃身長が同一の拳銃のものを使用した。
実験はグアム島内の米国政府公営射撃場で、射撃指導員のホブ・ヤンパラ氏を射手に行ったが、その結果、3枚の衣類すべてに繊維の焼け焦げが確認できた。しかも、銃口を押し付けて撃つことで、逃げ道を失った発射ガスの圧力が、衣類の封入口を大きく破裂させたのである。
ところが、柳容疑者の衣類には、破裂した痕跡はまったくなく、小さな穴が空いているだけだった。
「係争中の事案」と逃げる県警
これだけでも、柳容疑者は自殺でなかったことが明らかだが、それをさらに証明する2点目の証拠は、柳容疑者の死の直後に、その胸部を撮影した右の2枚の写真だ。
この左前胸部の銃創がくっきりと写った写真について、元東京都監察医務院院長で『死体は語る』の著者・上野正彦氏は次のように語る。
「写真を見るかぎり、破裂創が見られないので、接射でないことは確かです。さらに射入口の赤い輪郭は、弾丸の熱によってできた火傷とみられ、これは1m以上の距離から撃たれたのならできない。この銃創は30〜50cmぐらいの距離から発射されたものと考えられます」
事件発生当日に戸部署刑事第2課長の出場川警部が作成した長谷川巡査部長の供述調書によると、柳容疑者が拳銃を発射した姿勢について、「(私は)けん銃を返せと言って、机越しにけん銃を取り上げようとしたのです。その瞬間、被疑者(柳)はいきなり左手で銃身を握り、銃口を左胸部に当て、更に右手親指で引き金を引いたのが見えたのです」と、克明に供述している。
さらに97年11月11日付で戸部署・篠崎武生警部補が作成した「写真撮影報告書」は、長谷川巡査部長本人が登場して、事件発生の状況を写真で再現している。
それによると、柳容疑者が拳銃を発射した状況は背筋を伸ばして正座し、身体に対して拳銃を直角に構え、銃口を左胸に押し付けて引き金を引いたことになっている。もし長谷川巡査部長の供述通りの姿勢で、柳容疑者が自分で拳銃の引き金を引いたのだとしたら、間違いなく衣服は焦げ、銃創は破裂創となり、封入角度も90度でなければならないはずだ。ところが実際はまった<違っていた。
事件が起きたとき、取調室のなかには被害者の柳容疑者以外、長谷川巡査部長しかいなかった。その唯一の証言が、物的証拠と食い違っていることは明々白々なのだ。
そもそも、取り調べ中の容疑者が、拳銃を握んだり、2発一袋にして厳重に保管していた弾を抜き取ったりできるわけがないのである。
ところが神奈川県警は、当然行うべき捜査を怠った。いや、故意に行わなかったといったほうが適切だろう。
今回改めて神奈川県警にこの件をただしたが、県警からは本部監察官室長名で、「訴訟当事者として係争中の事案であり、裁判の過程で真実を明らかにして参ります」という回答があっただけだった。
かけがえのない肉親を失った聡子さんは、現在の心境を次のように語る。「父の死については、以前から疑問をもっていましたが、今回の神奈川県警の一連の不祥事で、さらに警察に対する不信感が強まりました。一日も早く父の死の真相が明らかになることを願います」
神奈川県警と警察庁は、いまこそ事件の再調査を徹底的に行う義務がある。