毎日新聞『隠されたエイズ』より該当部分

 
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投稿者 やました 日時 1999 年 9 月 24 日 00:02:19:

回答先: 『エイズは恐くない?』より安部英関連 投稿者 うぐっ 日時 1999 年 9 月 22 日 20:52:05:

毎日新聞社会部編『隠されたエイズ』1992
第4章犠牲者を増大させた「2年4ヶ月の空白」の真相より


厚生省エイズ研究班班長が「エイズ患者隠し」
日本国内のエイズ患者第一号を、厚生省エイズ調査検討委員会(エイズの実態把握に関する研究班を改組=委員長、塩川優一・順天堂大名誉教授)が公式に確認したのは八五年三月二二日である。アメリカに在住したことのある三六歳の同性愛の男性だった。
ところが、この前日、安部はエイズ患者二人を公表する。関東地方の男性で八三年七月に死亡した衣料業者(当時四八歳)と、八四年一一月に死亡したアーチスト(同六二歳)。いずれも血友病患者だった。二人が入院していた帝京大病院関係者の証言によると、衣料業者は八一年夏ごろから発熱が続き、リンパ節が腫れるなどエイズに似た症状が現れ、内臓などにカビによる潰瘍ができて死亡した。アーチストも同様の症状が現れていた。
当時、日本ではエイズと判定できる決定的な方法はなかったが、アメリカでは八四年四月に国立ガン研究所のギャロ博士がエイズウイルスの分離に成功、血清などでHIV感染の有無の判定が可能になっていた。安部は、同年六月この二人を含む血友病患者五〇人の血清をギャロ博士のもとに送った。間もなく結果が返送され、五〇人中、死亡した衣料業者とアーチストの発症者二人がエイズ患者、二一人がHIV感染者だったことが判明している。
安部は、八四年七月末、西ドイツ・ミュンヘンで開かれた国際学会に出席した際、同席した日本の研究者に「ギャロ博士のところで、五〇人のほぼ半数がエイズに感染していることを確認した」と打ち明けている。もちろん、その研究者は「すぐ公表すべきだ」と助言した。だが、なぜか安部は、厚生省のエイズ調査検討委員会が第一号を発表する前日まで公表をしなかったのである。この不可解な行動も、当時の安部の置かれていた立場を重ね合わせると、動機がほの見えてくる。
「患者隠し」を続けていたのは、八四年夏から八五年春の間。ちょうど製薬五社の加熱処理血漿製剤の治験を担当、後発メーカーのために治験期間の「調整」を行なっていた時期と重なる。そのときエイズ第一号として二人が死亡、それも、非加熱製剤の投与によって感染した血友病患者の死亡と二一人の感染を発表したらどうなるか。結果は誰の目にも明らかである。当然、治験期間の「調整」どころではなくなる。アメリカ同様、治験なしの製造承認許可の声も強まる。そのような事態は、安部にとって絶対に避けなければならない事態だったのだろう。
この間の経緯について、安部本人の説明を聞こう。
「僕はひそかに二人を含む血友病患者五〇人の血液のサンプルを送って感染者を確認した。当時、僕はたびたびテレビに出て(日本にHIV感染は)ない、ない、と言っておった。漏れると患者さんが困るので、僕は二人をエイズ患者と診断してから半年後に、教室の者に打ち明けた」
「患者さんが困るので」……医者の常套句である。しかし、多くの血友病患者を抱え、さらに血友病の権威である安部が第一に考慮すべきだったのは、血友病患者のHIV感染を防ぐ手を打つことではなかったのか。血友病患者の半数がHIV感染し、死亡者まで出ている事実を公表することは、世論を喚起し、行政の対策強化につながる。事実、第一号患者が公表されると東京都はただちに都立駒込病院にエイズ相談室を設置した。国民のエイズに対する関心は急速に高まったのである。
血液学者の中でも、「血友病患者の身の安全を考えれば、一刻も早く厚生省に報告、感染の原因となった血液製剤の適正使用を含め、万全のエイズ対策をとらせるべきだった」という批判がある。とくに、血友病患者の団体「全国ヘモフィリア友の会」会長代行、保田行雄弁護士は、「安部副学長が〃患者隠し〃をしたのは、治験途中で厚生省に報告すると加熱製剤の緊急輸入などの措置がとられ、調整がうまくいかないと考えたからだろう。(患者隠しがなければ)行政はもっと迅速に対応できたはずで、許しがたい行為だ」と強い調子で糾弾する。
安部は、エイズ患者第一号公表の前年三月まで厚生省のエイズの実態把握に関する研究班の班長だった。このような立場にある人間が二人の判定結果を同省に報告していなかったことは、医師の倫理以上の非難を浴びても当然だ。後任の委員長以下、委員会が作業をしているのを横目で見ながら、公表の前日に「こっちが先」とばかりに抜き打ち的に発表するやり方は、「功名心だけ」(厚生省幹部)と言われてもしかたがない。委員会は第一号発表後、安部から二患者の詳細なデータの提出を受け、ニカ月後に再度検討委員会を開いて二患者をエイズと認定する。同委員会の面子はつぶされた格好だ。
(中略)

八三年当時、アメりカでは血友病関係団体が非加熱血漿製剤の使用制限を医師や患者に呼びかけ、売りにくくなっていた。西ドイツなどヨーロッパ諸国でも、八三年ごろには非加熱血漿製剤を敬遠する動きが広がり、「先進国の中では日本ぐらいしか非加熱血漿製剤の販路はなくなっていた」(外資系メーカー関係者)状態だった。輸入した製薬メーカーは、外資系二社のほか、アメリカに子会社を持つミドリ十字。急増の背景には、欧米市場での締め出しに加え、日本での薬価の高さもあったとみる薬品流通関係者は多い。
日本の血友病患者は血液中の凝固因子のうち、第VIII因子が欠乏しているA型が約三五〇〇人、第IX因子が欠乏しているB型が約七五〇人いる。一人平均年間、約三〇〇万円の凝固因子の血液製剤を投与するという。八五年末で第VII凝固因子製剤(二五〇単位)の日本国内の基準薬価は二万四六一二円。一方、当時のアメリカの定価は一ドル二〇一円換算で一万二五六三円とほぼ半額だった。しかも、製剤メーカー関係者によるとニューヨークのある病院の購入価格は、割引された結果、四五四五円。日本の基準薬価に比べ五分の一以下、一八・五パーセントにしかならないという低価格だった。第IX因子血液製剤もアメリカの実売価格は、日本の基準薬価の二九・四パーセントだった。
日本での凝固因子血漿製剤の病院への納入価格は、基準薬価の八割前後といわれ、メーカーにとって利幅の大きな商品になっていたことがわかる。輸入製剤メーカーは、血友病
患者のエイズ禍の陰で、日米薬価差でさらにうるおっていたのである。
HIV感染のおそれのない安全な加熱血漿製剤製造承認の遅れが、血友病患者のエイズ禍を拡大させた。しかも、血友病患者の感染は、その期間中に集中していたことが統計的に裏づけられている。
九州大学医学部第一内科、ウイルス学教室の研究グループの柏木征三郎講師らが八七年一二月の「エイズ研究会第一学術集会」(京都)で発表した研究報告によると、対象は非加熱血液製剤の投与を受けていた九州在住の子どもから成人までの血友病患者八九人。七六年から八七年までの間に、患者から採取した血清でHIV抗体検査をしたところ、アメリカで加熱血漿製剤の製造が承認された八三年までの七年間に採取した約五〇人については、陽性(感染)は一人もいなかった。ところが、八 一二年に初めて二人が、八四年から八六年までは平均五人が感染し、計一七人の感染者が確認された。八七年はエイズ法案提出の動きが出たため、患者が検査を拒みデータがほとんど取れなかったという。
柏木講師は「サンプル数は少ないが、研究からみてアメリカと同じ時期に加熱製剤が採用されていれば、対象になった人はエイズに感染しなかったといえる。八二年以前に感染がなかったのは、そのとき投与された製剤の原料血採取地がロサンゼルスなどのエイズ危険地域でなかったためではないか」と分析している。
首都圏の調査でも、八三年以降にHIV感染者の急増が見られた。
長尾大・神奈川県立こども医療センター小児科部長が実施した調査の研究報告によると、七八年から八五年にかけて血友病患者二二〇人の保存血清を検査した結果、七八年、七九年の保存血清一四検体からは感染者は見つからなかった。しかし、八○年には一九検体のうち感染が二例(感染率一〇・五パーセント)、八一年は二六検体のうち三例(同一一・五パーセント)、八二年には一二八検体中八例(同二一・一パーセント)、さらに八三年には三〇検体中二例(四二六・七パーセント)、八四年は三五検体中一四例(同四〇パーセント)、八五年には七〇検体中二三例(同三二・九パーセント)で、八三年以降の急増が目立つ。
九州、首都圏以外の地域でも、八三年以降に感染者が急増しているという見方は強く、栗村敬・鳥取大医学部教授(ウイルス学)は「各地の報告を検討すると、日本ではアメリカが非加熱を加熱製剤に切り替えた八三年から血友病患者のエイズ感染が急増している」と分析、「いま考えると日本でもアメリカと同じように八三年三月に加熱製剤に切り替えておれば、血友病患者のエイズ感染はかなり避けられただろう」と指摘する。厚生省の「エイズキャリアの発症予防・治療に関する研究班」の主任研究者の山田兼雄・聖マリアンナ医科大教授も、「国内での感染のピークは八三、八四年ごろとみられる。厚生省が加熱血漿製剤を緊急輸入していれば、かなりの患者は救えたかもしれない」と言うのである。
厚生省が、やっと加熱処理した血漿製剤の国内製造、輸入を承認したのは八五年七月。これ以後、血友病患者は安全な加熱血漿製剤を使えるようになり、エイズ感染のおそれはなくなったはずだった。ところが、同年八月、各社が一斉に加熱血漿製剤を売り出したにもかかわらず、厚生省はそれまで販売されていたHIV汚染の疑いのある非加熱血漿製剤の回収や販売禁止の指示、通達を出さなかった。このため、翌八六年秋ごろまで非加熱血漿製剤はかなり広範囲、長時間にわたって未回収のまま使われていたのである。
この点について厚生省は「より安全な加熱血漿製剤が承認されたのだから、メーカーや医師は当然、非加熱血漿製剤を回収すると思ってとくに指示は出さなかった。地域によっては、加熱血漿製剤の供給が不十分な場合も考えられ、非加熱血漿製剤を販売禁止にすると医療現場が混乱するおそれがあった」と説明する。
一方、血漿製剤を扱う製薬会社が加盟する社団法人日本血液製剤協会(小玉知己会長、二一二社)の鬼武昭専務理事は「当時厚生省から非加熱製剤の回収指示はなかった。協会が自発的に回収を促すような権限はない。厚生省の指導もないのに、そんなことをすれば、出過ぎた真似といわれる」と言っている。
薬事法五六条には、「…病原微生物により汚染され、または、汚染されているおそれのある医薬品」は製造、販売禁止にできる、と明記されている。また六九条の二、七〇条によって、厚生大臣が医薬品による保健衛生上の危害の発生、拡大防止のため、製造・輸入業者らに対し、販売の一時停止や製品の廃棄の緊急命令を出せることになっている。
「混乱」と「感染」のおそれ。どちらを厚生省が重視すべきかは議論するまでもない。しかし、厚生省のお役所的発想によって未回収の非加熱血漿製剤がその後も血友病患者に投与されていった。八七年九月公表された厚生省の「エイズキャリアの発症予防・治療に関する研究班」の研究報告書で取り上げた小学生の場合──
少年は、定期的にエイズ感染のチェックを受けていた。非加熱血漿製剤に代わって安全な加熱血漿製剤が販売されるようになってから九カ月後の八六年五月の抗体検査の結果は陰性(非感染)だった。ところが、一年後の八七年五月の検査で感染と判定された。
主任研究者の山田教授は「加熱血漿製剤による感染はあり得ない。感染してから抗体検査で陽性となるまでの期間は六カ月あり、この小学生の場合、最初の検査が間違っていたか、未回収の非加熱血漿製剤の投与による感染しかない……」としている。しかし、この小学生のケースを担当した研究グループの医師は「このケースはとくに慎重に抗体検査をしており、八六年の検査で抗体があったのに検出できなかったとは考えられない。八五年暮ごろ、自分が診療にいっている病院に非加熱血漿製剤が置いてあった。他の医師が使おうとしたので止めたことがある」と証言した。
この後、この小学生が八五年一〇月まで非加熱血漿製剤の投与を受けていたことが明らかになった。母親のつけていた「輸注記録表」からわかったもので、記録には子どもが出血した日、出血部位、使った製剤名と製剤の製造番号、投与量などが克明に記録されていた。この記録は血友病患者が通常、自宅で自己注射するときに記入するものである。母親は加熱血漿製剤については、製剤名の後に「HT(ヒート)」と記入していた。
血友病の子どもを持つ母親の証言──。
「同じ血友病の子を持つ母親が『通っている病院では、加熱血漿製剤が売り出されてから半年たっても非加熱血漿製剤を使っている。怖くてしかたがない』と話していた」
自主的に回収作業をした薬品メーカーの担当者の証言──。
「非加熱血漿製剤が八六年秋まで各地の医療機関に残っていた」
エイズに感染した血友病患者の証言──。
「出血したとき自宅で投与できるように、患者は通常、二、三カ月分を自宅の冷蔵庫の中に保管している。当時、何の指示もなかったので、加熱血漿製剤が出たあともストックがなくなるまで非加熱血漿製剤を使い続けた人も多かった。逆に通っている病院が加熱血漿製剤に切り替えてくれないため、何カ月も通院を控えた例もある」
血友病患者は、一生、血漿製剤の投与を続けなければならないため、通院する病院を決め、担当医師を全面的に信頼するしかなかったのである。



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