NATO軍のUFO研究報告書を元将校が暴露

 
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投稿者 SP' 日時 1999 年 12 月 27 日 12:26:45:

ロバート・ディーン「全て明かせば私は10年間、刑務所行きだ」(月刊『ボーダーランド』96年9月号)

    濱田至宇=取材・文
ポール・マーコビッツ=撮影

一一現在の職業をユーフォロジスト(UFO研究家)と言ってよいのか。
Dean プロのユーフォロジストというカテゴリーがあるかはわからないが、私はユーフォロジーの分析・研究家という言い方を好みます。14年間働いていたFEMAを92年に退職してからの現在までの生計は軍の年金に依存しています。
一一軍に入るまでの経歴は。
Dean 1947年にインディアナ大学に入学、古代史・心理学・哲学を専攻、考古学・神学を学びました。いろいろな事に興味があったのです。でも、大学には金銭的問題で2年間しか在籍していません。
 50年4月には志願して将校教育学校に入りました。翌々月に朝鮮戦争が突然勃発。この時、私はまだ21歳でした。翌年の春には、朝鮮半島の前線に歩兵部隊の士官として参加していました。東京、佐世保、横浜にも駐留したことがあります。
一一朝鮮戦争は53年に終結するが、それからNATOの任務につくまでは。
Dean 52年からの1年半はジョージア州フォート・ベニングの歩兵訓練センターにいました。この予備役時代に曹長になった。76年に退役する時には部課最先任上級曹長という肩書きだった。これは志願兵ランクの最高のもので、威信と権力を持つこのランクで退役したことを私は誇りに思っています。
 フォート・ベニングからドイツでの任務が53年から57年まで続きます。それからアリゾナ州のホアチュカ基地に5年間いました。そこは陸軍電子情報司令部があり、また陸軍情報司令部もある米国陸軍の中枢とも言える場所です。
 そして63年6月にパリのNATO、SHAPE(欧州連合軍最高司令部)に移ります。レムニッツァー将軍の下で働きました。私はSHOC(最高作戦指令センター)と呼ばれるいわゆるウォー・ルームに配属されました。大きな部屋に軍の配置などが映される大スクリーン、周りには多くの地図、テレックス、電話……テレビ、映画などでよく紹介されるあの場所です。67年にNATO本部が、ドゴール大統領の政策変更のため、パリから現在のブリュッセルに移ります。その年、私はNATOを去ることになります。          
一一SHOCでの具体的な仕事は。
Dean ワルシャワ軍の戦術的・戦略的な情報の分析評価でした。私が上官の大佐にこれらの分析評価を提出し、彼がさらに評価したものをイタリアの将軍に提出。将軍の評価を得たものが司令部の長であるドイツの3星の将軍に提出され、この後、我々はレムニッツァー将軍への報告書をまとめるといったぐあいでした。
一一NATO在籍中に見た問題の文書についてはあとで詳しく聞くとして、NATOの後の任務は。
Dean 67年にNATOから離れ、ロサンゼルスで予備役将校の訓練教官となりました。私は予備軍センターの責任者となりました。例えば、毎年、サマーキャンプを実施して戦車戦などを教えたりしました。この次の任地がベトナムとなります。

自ら銃で命を絶った最愛の娘。そして軍との離別…

一一ベトナム戦争は75年で終結、あなたは76年に軍を去っているが。
Dean 71年にはロサンゼルスにまた戻ってベトナムに行く前と全く同じ仕事についた。だが、この時の任務の1つはこれまでで最もつらいものでした。ベトナム戦争で戦死した兵隊の家族の家まで出向いて、悲しい知らせをその家族に伝える仕事でした。私は前線で戦っているほうがどんなに楽なものかと考えたものでした。73年にはサンフランシスコの陸軍第6司令部に移ります。これが最後の任務でした。
 私は76年に退役しましたが、その本当の理由は娘が死んだためでした。彼女はドラッグ・カルチャーにのめり込み、自ら自分の頭を銃で撃ったのです。あまりにも大きな精神的打撃を受けました。軍にはまだ3年いることはできたのですが、しかし、辞めざるを得なかった。
 そして、76年にアリゾナに移り、77年からアリゾナ州ピマ地域FEMAのために働くことになります。
一一しかし、そのFEMAの指揮官に昇格するはずが、UFO発言を理由に拒まれましたね。
Dean そのとおり。もうそこで、まともに働く環境はなくなりました。軍を辞めてアリゾナに戻ってから地元のFEMAで10年以上働いていた。トップの後任を決めることになった時、私はその2番目の候補だった。のちに、第1候補が辞退したことにより、当然私がその地位に就くはずだった。
 しかし、アリゾナ大学などでUFOの講義をしたり、UFOについてオープンに発言していることが問題とされ、私は昇進を拒否された。憲法にある思想・発言の自由のもとに裁判をおこしたが、法廷闘争は3年間続き、経済的な面で非常に苦しめられた。いままでの貯蓄はもちろん、家も抵当に入れざるを得なくなったのだ。92年にやっと裁判で勝利を得るには得たが、しかし私に悪意を抱く者たちと、それ以上一緒に仕事を続けることは耐えられなかった。
一一いつごろからUFOに関心を。
Dean それはNATOに行くよりもずっと前のアメリカ陸軍時代にさかのぼります。UFOに関する記事が新聞などで報道され、何か不思議なことが起こっているなと雑誌記事などを読んでいました。軍でも不思議な物体が軍施設上空で目撃されたという報告がいくつもあった。しかし、あのNATO文書を読むまでの私のUFOへの興味は、“好奇心はあるものの、懐疑的”と言えるものでした。この態度が変わったのが63年のNATOでのことなのです。
一一NATOで問題の文書を見た時には、Cosmic Top Secret−CTSという軍事機密資格を得ていたというが、これを取得したのはいつ。
Dean NATOに移ると同時に米陸軍ですでに持っていたトップ・シークレットの軍事機密資格がCTSにアップグレードされた。これは現在でもNATOの最高機密レベルです。
一一ということはそれまで米軍でトップ・シークレットの資格を持っていた者はみなCTSの資格を持てたのか。
Dean そういうことです。SHOCで働くものはみなCTSを持っていました。私の機密資格に関する審査もNATOに到着すると同時に始まり、2週間くらい手続きが続きました。CTSは単なる機密レベルの名前で、ウォー・ルームの中の書類はほとんどこの分類でした。旧ソ連軍、ワルシャワ軍の軍事情報がこの分類をされていた。
一一“CTS文書”は他にも見たことがあるのか。
Dean もちろん。たくさんある。

深夜のウォー・ルームで投げ渡された驚愕の文書

一一それでは、問題の文書との出会いはどのようなものだったのか。
Dean NATOに到着した63年にはこの文書を作成する研究がまだ続いていた。
 我々はウォー・ルームに12時間交替勤務していたが、午前の2時、3時ともなると飽きがきてゴシップ話などをしたものだ。 64年の暮れ。その日は夜勤だった。例によって雑誌に目を通したり、雑談をしてたが、どうも退屈で、濃いコーヒーも飲み飽きていた。深夜の2時か3時頃のことだ。空軍大佐が秘密文書保管室に行ってから私のところにやって来て、私の目の前に文書の束を投げ置いた。彼はこう言った。
「曹長、これを読めば目が覚めるだろう」
私はそれを言われるままに読んだ。それまで、未確認飛行物体がレーダーによって捉えられたなどの噂を聞いてもいたが、その文書は私にあまりにも大きなショックを与えた。
 そのタイトルは『アセスメント一一欧州における連合軍に対する軍事的脅威の評価』。それには、連番の#3、"Cosmic Top Secret"とスタンプがされていた。#3はSHOCの機密文書保管室に保管されているものだ。ちなみに#1は、事務総長用、#2は、私のボスであるレムニッツァー将軍保管の文書だった。
 その"Cosmic Top Secret"文書は、本文の厚さが3cmくらい。10のパートに分かれたその付属資料のトータルの厚さが20cm以上もある膨大な文書だった。
一一読み通すのに数日がかりでも不可能な量だと思うが。
Dean じつは、すべてに目を通すのに64年からNATOを去る67年までかかった。SHOCでの任務は週に3回ほどだが、その任務中、理由を作って大佐に頼んでは機密資料室に入り少しずつ読み進んだ。
一一コピー、メモは取ったのか。
Dean 内容が非常に興味深いので確かにコピーをしたかった。しかしこれは違法だ。もしコピーをとっていたら、ただちに刑務所に入れられていただろう。文書の持ち出しもできない。
 ただ、何年にもわたり、トイレに行ってはメモをとるということを続けた。これは完全な規約違反だが、はっきりしておきたいのは私が機密規約を破ったのはこの点においてのみだということだ。この他にも米国政府と軍が行った機密を知ったが、これらについてはいっさい公言していない。
 メモをまとめたものが、いま手元にある。添付書類の目次と結論だ。この書類は文字通り私を刑務所に10年間送ることができる。

NATO軍とワルシャワ軍を手玉に取った“UFO編隊”

一一この文書が作成された経緯はどういうものだったのか。
Dean 研究はNATO軍SHAPEの副長官だったイギリス空軍のトーマス・パイク将軍によって61年から開始された。冷戦の真っただ中だった当時のヨーロッパ全土で未確認飛行物体が何度もレーダーなどで確認されていた。ある時は50機ほどのUFO編隊が現れ、ワルシャワ軍とNATO軍の双方がスクランブルをかけた。編隊はヨーロッパ大陸からドーバー海峡に向かい北上、そしてノルウェー海上でレーダーから消えた。
 これらの飛行物体の性能は我々のテクノロジーを越えるもので、時には10万フィート(約3万メートル)という高高度を高速で飛んだ。このような事件は第3次世界大戦を引き起こしかねない。パイク将軍はワシントン、ロンドンにこれらの飛行物体の情報を求めたが何の回答も得られない。そこで彼がイニシアティブをとってUFO研究の調査機関が作られた。
一一米国でも似たような理由で、プロジェクト・サインやロバートソン・パネルが作られたが、そのNATO版というわけか。
Dean そのとおり。後からこの問題を研究して知ったことだが、特に米国空軍による研究であるプロジェクト・サインが作成した48年の報告書では、UFOを地球外起源と結論づけるなど、NATOと同じ結論が10年以上も前に出ていたことになる。
一一報告書には写真もあったというが。
Dean 我々のパイロット達が写した、信じられないほどはっきりしたUFOの写真が多くあった。若いパイロットたちはこれらの飛行物体にできるかぎりの接近撮影を試みていた。
 50年代後半の北海でのメインブレース作戦と呼ばれた海軍合同演習時には、イギリスの空母上空に巨大UFOが出現し滞空、作戦全体が中断された事件があった。これもレポートにあった事件だが、空母の乗組員の全員がそのUFOを目撃、写真もとられている。
一一宇宙人遭遇事件もその中で報告されていたのか。
Dean 63年の、イタリアの軍人が着陸したUFOに遭遇、乗組員に同乗しないかと言われたが、あまりのショックで身体を動かすことができなかったケース。62年のデンマークの事件では、農民の近くにUFOが着陸。中からデンマーク語を話す乗組員がでてきて誘われるままにUFOに乗船したケースなどが報告されていた。
一一報告書は複数の種類の宇宙人が地球を訪れていると結論しているが。
Dean 多くの軍人の第1次証言が集められた。あるものは自発的に、あるものは強制的にUFO内部に連れて行かれ同乗した。そこで様々な生命体を目撃している。

ETを解剖した医師達の生々しい会話までが…

一一墜落円盤回収事件もあったというが。
Dean 64年の初めにバルト海近くのドイツ領、ティメンズドルファに直径30メートルのUFOが墜落、イギリス軍がこれを回収した。墜落したのはやわらかい土の上で、UFO本体の1/3は土に埋もれていた。パイを切るように6つに分割されたUFOはトレーラーで運搬された。この中には12体の小柄な乗組員の死体が見つかった。いわゆる“グレイ”と呼ばれる目が大きく巨大な頭を持ったタイプだった。
一一それらの解剖報告については。
Dean レポートによると、彼らは生殖器官を持たず、さらに消化器官、排泄器官も持たなかったと書かれていた。クローンで作られた生命体ではなかろうかと解剖を担当した研究者は推測していた。
 解剖の様子は録音されていたようで、報告書の中には医師たちの生々しい会話一一「なんてことだ」「これを見てみろ」「こんなバカな」などが含まれていた。彼らはあらゆる点でまったく同じで、まるで工場生産されたようだと言っていた。
一一墜落したUFOの分析は。
Dean 各国の大学や研究機関で分析が行われた。UFOの一部と言われる金属は報告書によると“プラスチメタル”と呼ぶべきもので、テカテカした表面はプラスチックだが、それでいて金属としか言えない特質を持つようなものだった。硬く、切断することも、破壊することもできないが非常に軽量だったということだ。
一一他にこの文書を読んだ者は。
Dean たくさんいる。ウォー・ルームにいるものすべて、この文書を読んでいました。

懐疑主義者をも黙らせた“CTS文書”の中身とは

一一皆の反応は。
Dean ある者はショックを受け、ある者は興味を持ち、また驚きました。老将軍の何人かは非常に大きなショックを受けました。そんな中の1人がレムニッツァー将軍の空軍副官だったロバート・リー将軍でした。彼はその文書を読んだ時、明らかに強いショックを受けたようです。将軍の補佐官である中佐が私の友人で、私にそのことを話してくれました。
一一読んだ者の中で文書に対して懐疑的な者はいなかっ たのか。
Dean 確かに懐疑主義者もいて、こんなことが真実なはずがないという人も何人かはいました。しかし、この文書のCTSの分類を見て、NATOの公式研究機関が膨大なお金を使って年月をかけて作ったことを知ると、その内容を否定しようがありませんでした。
一一この文書がNATOに具体的な影響を与えたのか。
Dean NATO軍とワルシャワ軍のトップ間にホットラインができましたが、これはUFO問題が十分に関与していたと思います。ヨーロッパを飛来するUFOによる偶発的な戦争の危機をいち早く回避する必要があったからです。
一一このNATOのUFO研究は、すでに終了したのか。
Dean 文書に明記されているように、この報告書が完成したからといって研究班が解散するわけではなく、それ以降も継続するとされている。私は、この研究が現在も継続していると推測しています。
一一機密文書の内容を話し始めたのはいつからか。
Dean オープンに話し始めたのはFEMAを退職した3年前からのことになります。このような話をすることによって、私のこれまでの信用、名声が傷つく恐れがあることは最初から理解していました。それでもこれを話す必要があったのです。
一一なぜ機密文書の内容を暴露する気に。
Dean 一般の人には知る権利があるし、知る必要があります。この問題は秘密にするにはあまりにも大きな問題だと考えたのです。おそらく人類史上でも最大の問題でしょう。これらの情報、真実は世界を大きく変えるでしょう。あなたの、我々の子供たちの未来を変えるのは間違いありません。だからあえて公言したのです。
一一暴露によって逮捕や年金停止処置などの危険は。
Dean 可能性はあります。しかし、現在のところまだ大丈夫のようです。私はもう老人ですし彼らはまだ私を放っているのかもしれません。
一一同じ文書を読んだ、別の人たちは同様のことをしないのか。
Dean 彼らは私に「おい、そんなことをしゃべって、お前は刑務所に入りたいのか?」と言う。でも私は彼らに、真実を皆に明かす必要性を説き、「一緒に真実を話さないかい?」と逆に聞き返します。彼らの答えは「今はダメだ。しかしたぶん後で」というものだ。私の友人の、もう退役した米空軍の将軍は、この文書を見たことも読んだことも、別のUFO研究者に語っている。彼も「たぶん後で」の1人だ。
一一現在の主な活動は。
Dean その「たぶん後」というのが今やってこようとしているのかもしれない。旧軍人などを集めた団体で我々は、UFOに関して議会が公聴会を開くよう運動を進めている。もう秘密にはうんざりだ。真実を知らされるべき我々国民が、憲法の権利をCIA、NSA、NROなどのインテリジェンス・コミュニティーから取り戻さなければならない。ゴードン・クーパー、エドワード・ミッチェルなど元宇宙飛行士、ボブ・ケリーなど上院議員など様々な有力な人達がこの運動に支持を表明している。
一一米国界にはやはり軍の秘密文書を見たと主張するビル・クーパー、ビル・イングリッシュなどがいるが、彼らをどう思うか。
Dean どちらのビルも知っていますが、彼らの主張あるいは情報は明らかに偽情報でしょう。米軍の地下基地に宇宙人との共同研究所があり、遺伝子研究が行われているなどという話を誰が信じるのでしょう。そこにある大きなタンクの中には、人間の肉片スープがあったなどというのです。これらの情報は人々を恐怖に陥れ、真実から関心をそらせるためのものでしょう。

アメリカの大統領は、その真相を知っていた!?

一一UFOの秘密が米国できわめて高度な機密レベルにあるとすれば、大統領はその事実を知っているのか。
Dean 多くの大統領は知らなかったと思います。ジミー・カーターはほとんど何も知らされなかったでしょう。ニクソンは少しは知っていたかもしれません。歴代大統領で一番知っていたのは、元CIA長官であったジョージ・ブッシュでしょう。
一一将来の展望は。
Dean 私の好きな大統領リンカーンから私の好きな引用をしましょう。「皆にしばらくは嘘をつける。何人かにはずっと嘘をつける。でも、皆にずっと嘘はつけない」。私のように真実を知っている人々で、進んで話をしようとするものが多く出てきています。また、“彼ら”−UFOの活動も人々の前によりオープンにより頻繁に現れるようになってきています。大きく世の中が変わる可能性がそんなに遠くない将来にやってくるのではないでしょうか。


欧州連合軍最高司令部 1964年6月24日 アセスメント 研究の主要結論
1.地球と人類全体は、複数の地球外文明による長期の調査研究の対象になってきた。
2.彼らは高度なインテリジェンスや、何百年以上に先を行くと思われる高度な技術を我々に示している。
3.様々な証拠は、彼らによる何らかのプログラムが進行中であることを示す。
4.彼らの調査・プログラムは何千年も続いている。
5.我々に対する軍事的脅威は存在しない。
6.NATOとSHAPEは、この問題に関する研究が様々な軍事委員会によって続行されることを勧告する。
7.これは最重要かつ極めてセンシティブな問題であるので、最高機密事項扱いされることを当委員会は勧告する。


以下は『UFO・ETの存在証明』(竹本良+小川謙治著、KKベストセラーズ)より。

 宇宙人について
 私の研究では、少なくとも4つの違うグループがかかわっていることがわかりました。NATOの将官や海軍大将を困惑させたのは、そのうちの1グループの宇宙人がわれわれと全く同じような容姿であるということでした。彼らも人間なのです。スーツとネクタイをして、レストラン、飛行機内、ホールなどであなたの隣りに座っても、彼らが何もいわない限り絶対にわかりません。それが何よりも将官や海軍大将を困惑させたことでした。知能ある訪問者がわれわれとかかわり合い、われわれと全く同じ容姿をしているのですから。私は少し違う見方をすることが重要だと思います。われわれが彼らと全く同じような容姿だと考えるのです。それを裏付ける十分な理由があると思います。というのはわれわれと彼らが何らかの関係があると私は思うからです。1976年に軍隊を離れ機密委任の許可を失ったとき、しだいに4つ以上の違うグループが訪れていることを知りました。そして政府機関に勤務している友人から12の違うグループの訪問者がかかわっているという推論を聞きました。それ以上いる可能性もあります。1970年の時点で、米国とNATO諸国の軍隊はわれわれが他の惑星や恒星系からでなく、他の銀河系からの訪問も受けていたことを知っていたのだという事実を皆さんにお知らせすることは重要だと思います。そしてショッキングで重要なのは、科学者、軍、数人の政府指導者は、宇宙からの訪問者が文字通り多次元であるということを、少なくとも30年前にわかっていたということなのです。

 4タイプの宇宙人
 lつのタイプは完全な人間でした。人間そっくりなので、道ですれちがっても、判別する方法はありません。他に3つのグループがあります。1つは灰色で比較的小柄で、3・5−4フィート、4・5フィートの人もいます。彼らを宇宙人と気づかずに、道ですれちがっていることもありえます。次のグループはハ虫類的性質を持っています。軍や警官に間近に見られたグループは皮膚がハ虫類のようで、目の瞳には縦の切り口がありました。2本の腕と足、2つの目という点は人間そっくりですが、レストランや飛行機で隣りに座ってショックを受けないことはありません。彼らは人間ではないのですから。最後のグループは非常に背の高い白い人で、体毛はなく、身長は8、9フィートあります。巨体ですから、道を歩いていると振り向いてしまいます。

 ETの多様性
 私の30年間にわたる総合的な研究で、少なくとも12のグループと接しているかもしれないことを発見しました。1964年の時点でわかっていた4グループだけでなく、数百グループの宇宙人と接しているかもしれないのです。われわれは他の惑星だけでなく、他の恒星系や銀河系の人々の訪問を受けていると知りました。そしてわれわれの技術者および科学者は他次元からの先進的宇宙人と接していると知りました。この現実と可能性を受け入れることで、ニュートンやアインシュタインの物理学概念は覆されました。

 宇宙人条約
 有名なロズウェル事件が起きた1947年に、米国、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドがある条約に調印しました。これらの国は情報を共有する合意をしたのです。この情報共有の合意は1947年に調印され、現在も効力があります。



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