総員決起は「時利あらず」 三島由紀夫の遺書明らかに 全文

 
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投稿者 倉田佳典 日時 2000 年 1 月 05 日 18:53:45:

回答先: 三島由紀夫の「楯の会」あて遺書を公表 投稿者 倉田佳典 日時 2000 年 1 月 05 日 09:44:41:

共同通信
01/05 07:32 総員決起は「時利あらず」 三島由紀夫の遺書明らかに

 作家の三島由紀夫が、東京・市谷の陸上自衛隊東部方面総監部に
「楯の会」の一部会員と乱入、自決してからことしで三十年。これ
まで秘匿されてきた楯の会会員あての三島の遺書を四日、元会員が
初めて明らかにした。                    
 会員による総員決起は「時利あらず」と断念したこと、犠牲を最
小限にするために一部の会員にしか行動を知らせなかったことなど
が書かれており、三島事件のなぞを解明する貴重な資料になりそう
だ。                            
 三島から遺書を託されていた元会員で千葉県在住の会社理事、本
多(旧姓倉持)清さん(52)は「三十年の節目で、新世紀への大
きな転換点でもあり、明らかにする時期と判断した」と話している
。                             
 遺書は一九七○年十一月二十五日の事件当夜、三島邸で瑶子夫人
から手渡された。本多さん個人あてと、楯の会会員への遺書が同封
されていて、会員への遺書は「楯の会会員たりし諸君へ」という呼
び掛けで始まり、便せん四枚に書かれていた。(表記は原文のまま
)                             
 三島は、全員で「会の思想を実現する」ことが「人生最大の夢」
で、日本を「真姿に返す」ため総力結集し「事に当るべきであつた
」と振り返る。だが、総員決起については「時利あらず」「全員あ
げて行動する機会は失はれた」「状況はわれわれに味方しなかつた
」としている。                       
 文面からは、七○年安保の騒乱などに備えたものの社会は沈静化
へ向かい、決起で成果を得ることが難しくなった、と三島が客観的
な見通しを持っていたことがうかがえる。           
 同時に、当時の状況を「魂のとりかへしのつかぬ癌(がん)症状
」ととらえ、手をこまねいていなければならなかった、その「やむ
かたない痛憤」を、少数の行動で代表しようとした、と事件の動機
を明らかにする。                      
 一部で決起したのは「犠牲を最小限に止めるため」で「裏切つた
のではない」と強調している。                
 楯の会解散後も「少数者の理想」が将来「結実」することへの期
待を述べ「天皇陛下万歳!」と結び、「昭和四十五年十一月」と書
かれていた。                        
 本多さんあての遺書は、事件から十年後の八○年に公表されたが
、会員への遺書は「時期尚早」と明らかにされていなかった。  
[2000-01-05-07:32]
01/05 07:33 冷静な認識の中での決断 文学の原点「青春」の語も

 「時利あらず」「青春に於て得た宝」。三島由紀夫の楯の会会員
にあてた遺書には、自決を選んだ状況認識や、文学的な言葉がちり
ばめられている。そこから読みとれる作家の最後の思想はどこにあ
ったか。またなぜ、あの時点で死を選んだのだろうか。     
 文芸評論家の富岡幸一郎さんは「遺書からうかがい知れるのは、
三島の行動が、自衛隊は決して動かないという冷静な認識の中でな
された点だ」と言う。                    
 なぜ「時利あらず」という認識になったのか。富岡さんは、死の
前年の反戦デモで三島が、自衛隊の治安出動を招く激しい騒乱状態
を期待していたと推測する。                 
 「楯の会は本来、治安出動のゲリラ部隊として想定され、一九六
九年が行動する最後のチャンスとみられた。そこで初めて自衛隊の
存在意義が明らかになるという発想だった」          
 しかし治安出動はなされず、三島の考えでは日本はこの後も、自
主性を失った対米依存の道を突き進む。「事件は時代に対する失望
と、これ以上待てば会自体の緊張感を持続させられないという、ぎ
りぎりの状況でなされた決断だった」と富岡さんは言う。    
 三島研究家の安藤武さんは、この遺書の「青春」「終生の宝」と
いう記述に注目する。九八年、三島の十代の書簡が見つかったが、
安藤さんは「十代に三島文学の原点がある。この遺書でも青春とい
う言葉がポイントになる」と話す。              
 二十代前半の会員が中心の楯の会は「若いうちに三島精神を焼き
付けたいという三島の計画性の表れで、総員決起の機会が失われた
時代状況の中で、何十年先でも三島精神が世に出ることを計算して
書かれた」と安藤さんは見る。                
[2000-01-05-07:33]

01/05 07:34 遺書全文          【編注】朝刊メモ(1)の(ハ)

 楯の会会員たりし諸君へ                  
 諸君の中には創立当初から終始一貫行動を共にしてくれた者も、
僅々九ケ月の附合の若い五期生もゐる。しかし私の気持としては、
経歴の深浅にかかはらず、一身同体の同志として、年齡の差を超え
て、同じ理想に邁進してきたつもりである。たびたび、諸君の志を
きびしい言葉でためしたやうに、小生の脳裡にある夢は、楯の会全
員が一丸となつて、義のために起ち、会の思想を実現することであ
つた。それこそ小生の人生最大の夢であつた。日本を日本の真姿に
返すために、楯の会はその總力を結集して事に当るべきであつた。
 このために、諸君はよく激しい訓練に文句も言はずに耐へてくれ
た。今時の青年で、諸君のやうに、純粋な目標を据ゑて、肉体的辛
苦に耐へ抜いた者が、他にあらうとは思はれない。革命青年たちの
空理空論を排し、われわれは不言実行を旨として、武の道にはげん
できた。時いたらば、楯の会の真價は全国民の目前に証明される筈
であつた。                         
 しかるに、時利あらず、われわれが、われわれの思想のために、
全員あげて行動する機会は失はれた。日本はみかけの安定の下に、
一日一日、魂のとりかへしのつかぬ癌症状をあらはしてゐるのに、
手をこまぬいてゐなければならなかつた。もつともわれわれの行動
が必要なときに、状況はわれわれに味方しなかつたのである。  
 このやむかたない痛憤を、少数者の行動を以て代表しようとした
とき、犠牲を最小限に止めるためには、諸君に何も知らせぬ、 とい
ふ方法しか残されてゐなかつた。私は決して諸君を裏切つたのでは
ない。楯の会はここに終り、解散したが、成長する諸君の未来に、
この少数者の理想が少しでも結実してゆくことを信ぜずして、どう
してこのやうな行動がとれたであらうか? そこをよく考へてほし
い。                            
 日本が堕落の渕に沈んでも、諸君こそは、武士の魂を学び、武士
の練成を受けた、最後の日本の若者である。諸君が理想を放棄する
とき、日本は滅びるのだ。                  
 私は諸君に男子たるの自負を教へようと、それのみ考へてきた。
一度楯の会に属したものは、日本男児といふ言葉が何を意味するか
、終生忘れないでほしい、と念願した。青春に於て得たものこそ終
生の宝である。決してこれを放棄してはならない。       
 ふたたびここに、労苦を共にしてきた諸君の高潔な志に敬意を表
し、かつ盡きぬ感謝を捧げる。                
 天皇陛下万歳!                      

 楯の会々長 三島由紀夫                  
 昭和四十五年十一月                    
 (原文のまま)                      
[2000-01-05-07:34]



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