イギリス上院のUFO演説(『UFOS & SPACE』1981年1月号)

 
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投稿者 SP' 日時 2000 年 1 月 22 日 11:09:08:

宇宙問題に関する国際機関の設立を

 1980年1月29日、アメリカの著名なUFO研究家、コールマン・フォンケビクツキー退役陸軍少佐は、英国上院UFO委員会で演説し、UFOの全地球上に及ぶ活動に関する軍部や政府の膨大な資料を提出した。
 ケビクツキー氏は、国際星間宇宙船研究ネットワーク(ICUFON)代表で、軍事UFO研究の開拓者として知られている。これまでにも氏は、国連に働きかけ、国際UFO機関の設立を訴えつづけてきた。また、1978年には『グリーン・メモランダム』を、1980年には『ブルー・メモランダム』をまとめ、政府文書を暴露し、大反響を巻き起こした。
 なお、英国上院UFO委員会は、さる1979年1月、英国上院における史上初のUFO討議の結果設立されたもので、クランカーティ伯爵が委員長をつとめている。アメリカ人で、同委員会に招聘され、演説を行なったのはケビクツキー氏が初めてである。
 それでは、宇宙問題に関する国際機関の設立を提案し、各国の協力が得られるよう、英国が率先して行動すべきだと訴えたケビクツキー氏の英国上院での演説をお伝えしよう。(編集部)

 全世界にとって今や最も切実である安全保障と科学上の問題に関して、28年間にわたって私たちが行なってきた軍事的・科学的・技術的研究についてお話しする機会を得ましたことに感謝します。
 過去何十年もの間なおざりにされてきたこの問題は、公式には未確認飛行物体、UFO問題と命名されているものであり、私はこれを、その性質上、宇宙勢力による地球探険作戦といってもよいかと思います。地球上とその周辺で繰り広げられる彼らの諸活動は、国際法と秩序および各国の安全を相当以上に侵害し続けているにもかかわらず、各国政府はこれまでうやむやな態度をとり続けてきました。これに対し、「UFOは全世界にとってきわめて重要な問題であり、外字宙での平和的相互関係を促進するために、すべての国家が団結して取り組まなければならない」とした1967年11月のマインツUFO会議の宣言は注目に値します。
 しかしながら、宇宙探険を実行している超大国は、UFO群の探険活動が国家存立の基盤ともいうべき資源・軍事・宇宙開発基地等に集中していることに気づいた時、彼らとの平和的接触を求めるかわりに、国家の安全保障という名目の下に軍隊を配備し、最新の戦略兵器の開発に力を注ぎました。また、他の国々の政府も、UFOとは「墓の向こうから」やって来る超常現象であるといったまことしやかな研究結果を喧伝することで、民衆の不安をなだめようとしました。政府は、UFOの証拠を受け入れることを恐れ、格式ばって避けてきたのです。最近公開されたばかりの証拠資料に基づき、国際平和と安全の危機を第32・33国連総会の議題にせよという提案を否決したことは、何より各国のこうした日和見的態度を如実に物語るものです。
 今日、私たちにとって真に問題なのは、UFOの調査ではなく、権力によるマスコミの統制・弾圧であり、故意に問題が無視されているだけでなく、偽りの情報すら作為的に流されているということなのです。
 ICUFONが1978年に国連加盟国に贈った『グリーン・メモランダム』と、宇宙問題に関する国際機関(WASA)計画について述べた最近の『ブルー・メモランダム』とは、全世界にとってきわめて重要であるUFO問題が、各国の軍部と一部の軍事科学者に一任されていることを暴露しました。
 1978年以降、米・英・仏・西・露などの大国が、古典的なUFO事件と、それに関連して出された命令などの秘密扱いを解除するようになったことは、喜ばしいことといえます。そしてこれは、大国政府もまた科学的・軍事的に優れた宇宙軍団との軍事的対決を避けたがっていることを示唆するものでもありましょう。
 では次に、問題解決への各国の熱意を喚起したともいうべき1つの証拠例をご紹介しましょう。
 真珠湾襲撃から80日後の1942年2月25日、極東戦線への輸送のため集結された兵員、兵器の状況を確認するため、15〜20機からなる宇宙部隊が、米国太平洋岸上空で戦略偵察を実施しました。第37高射砲旅団の報告書には、3時32分から4時15分までの間に1430発の砲弾が、音も立てずに飛ぶ「日本軍用機らしきもの」に対して発砲されたことが明記されています。当日の『ロサンゼルス・タイムス』には、後光に取り巻かれた2機の円盤型の航空機の写真が掲載されました。
 ICUFONがこの歴史的な写真を分析したところ、集中砲火の照準は目標の尾部を完全におおっていることがわかりました。しかし、アラスカ防空司令部の報告には、「爆弾が投下されたとか、航空機が1機でも撃墜されたとかの証拠はまったくない」と記されています。
 これより2年後の1944年12月13日には、ウィンストン・チャーチル卿と連合軍欧州最高司令官ドワイト・アイゼンハウアー将軍は、「第三の未確認敵軍(当時はナチスの秘密兵器と思われていた)」に対して戦闘を開始することを発表しました。
 一方、1944年5月には、オーストリアのカルテン上空でも側面に2つの窓のあるヘルメット型の飛行物体が発見され、ドイツ軍によって撮影されています。これと同じ型の飛行物体は、1967年11月13日にも、フィンランド上空で目撃されました。

 米国防総省による警告

 J・アレン・ハイネック博士やジャック・ヴァレーが1978年11月27日に国連特別政治委員会で、UFOは「現実を超越したもの」で「心霊的・生理的現象」であると証言したように、元政府職員がマスコミをバックに、広く世界中を、UFOは実在しないとか超常現象であるとかいって講演して回っています。
 このような歪曲された科学的解釈に対し、私はここで、この問題に関する唯一の権威者、米国国防省が機密扱いを解除した声明文を御紹介したいと考えます。それは、1947年9月18日、米国空軍参謀長ナサニエル・F・トワイニング将軍から公式ルートを通じて幕僚のオマー・N・ブラッドレー将軍に送られた、UFOに関する要約報告です。
 人類は、科学理論によれば、目に見えない多次元の世界の中に存在すると思われる三次元の物理世界という現実の中で創造され、生き続けています。そして実際のところ、人類の歴史にあっては、幽霊だの霊魂だのが、人類に危害を及ぼしたことは一度もないのです。この基本的原理が、UFOは目に見えるものであり、宇宙の実在であるという、米国参謀本部の30年にわたるUFOの根本的証拠の、自明で合理的な決定にも反映されているのです。
 トワイニング報告は、1974年3月28日のオハイオ州で目撃されたドーム型飛行物体、同年4月3日に日本の関門海峡上空で発見された円盤型物体、1952年5月7日にブラジル、バラ・ダ・ティフカで目撃された直径65メートルの丸い物体などに関して、「円盤によく似た、人造の航空機に見えるほどの相当大きな物体が存在する」ことを詳しく述べています。
 1971年5月23日にも、オーストリアのザンクト・ロー レンツェンで、同様な型をしたかなり大きな円盤型物体が発見されました。この物体は、7〜10分の撮影時間内に典型的なジグザグ軌道を描き、その高度と距離は、雲の形を参考にして再現され、決定されました。報告書は、物体は「人力かあるいは自動的に、または遠隔操作で操縦されている可能性があると信じられる」と述べています。また、この推論をさらに裏付けるものとして、1965年2月26日、ワシントン郊外で撮影された30秒ほどの8ミリ・フィルムの合成像から明らかになった次のような特徴を挙げています。@底面の引込式着陸装置、A回転する中心機構。
 このフィルムは、1967年の2月から3月にかけて、NASAのゴダード宇宙飛行センターと国防総省に提出され、ジョージ・P・フリーマン空軍大佐は「これは今までに見た最良の映画だ」と述べたといわれています。
 また、同報告書に記載された数々の報告例には、明らかに共通した描写がみられます。「金属製か、光を反射する表面」という部分です。報告文のいくつかをみてみましょう。
(1) 1974年7月17日、ユーゴスラヴィア、ベロティック。輝く青色の物体を発見。
(2) 1948年1月7日、米国ケンタッキー州ゴッドマン空軍基地。広く知られた最初のUFOによる惨事。1機のUFOがフォート・ノックス貯蔵所を脅かし、これを追跡したマンテル大尉は、「……物体は金属製らしく、すごい大きさ」と管制塔に報告。
(3) 1973年10月18日、米国オハイオ州マンスフィールド空軍基地。ローレンス・コイン中佐以下5名の乗ったヘリコプターが、巨大な魚雷型の物体に襲われた(この物体が地球製かどうかは未だに判明されていない)。コイン中佐は、この事件につき、1978年11月27日の国連政治委員会において「物体は灰色の金属製で、長さは5、60フィートありました。着陸装置から緑色の照明光が現われ左右に90度回転して、ヘリコプターの操縦席をまともに照らしました」と報告。
(4) 1978年10月21日、オーストラリア、メルボルン。フレデリック・ヴァレンティッチの操縦するセスナ182型がスカイジャックされる。午後7時10分、メルボルンとキング島の間のバス海峡上空から、フレデリックは次のような報告を寄せた。「物体は緑色の光と金属光のようなものを外部から発している」
(5) 1953年5月21日、アリゾナ州キングマンで墜落したUFOを調査するため、原子委員会関係のある技術者が呼び出された。彼は「物体は、磨いたアルミのような鈍い銀色に光る金属でできており、円盤のふちが細長い穴となっているところでは、金属は暗い緑色に輝いていました」と証言。
(6) 1974年11月17日、デンマークのヴィボルクで、鈍い銀色に輝く物体が撮影された。周辺部はやはり、外側になるほど暗い色をしていた。
 皆さんの中で、目に見える推進装置も水平安定板も垂直安定板もなしに飛び回り、世界の各地に着陸するこれらの飛行物体の基地をご存知の方はおありでしょうか? 30年も経た今日まで公式な調査委員会1つ存在せず、趣味で結成されたUFOクラブや狂信的宗教家、熱心な学生などだけが、この重大な問題に関わっているという事態があってよいものでしょうか?
 1956年6月5日、ベルギーのナムールで円盤型の物体が飛行雲を残して飛ぶのが発見されました。同様に1975年3月25日、東京都大田区においても、灰色の葉巻型の物体が、オレンジ色の火を吐いて飛行するのが確認され、トワイニング報告では、これらに関連して、「明らかに複雑な運動をしたと思われる2、3の例以外には、物体は痕跡を残さない」と記しています。
 「形は円形か楕円形で、底部は平面をなし、頂部にはドームがある」という同報告を裏付ける例としては、1952年5月11日、米国オレゴン州マクミンヴィルで撮影された底面が平坦で上部に潜望鏡のようなものが突き出た盾形の飛行体のネガを挙げることができるでしょう。まったく同じ形をした物体が、1977年3月7日、ドイツのハンブルク郊外の上空を低高度で飛行しています。
 1952年6月30日、イタリア、ベルニナ・アルプスのシェルケン氷河で、ジアンピエトロ・モングッチ夫妻の撮影した写真には、1953年アリゾナ州キングマンで墜落したのと同じ楕円形のドームのある飛行物体が写っていました。これらの写真は、宇宙人が地球に上陸した最初の証拠となったのです。
 国防総省の報告書は、続いて「3機から9機に及ぶ見事な編隊飛行」について報告しています。
 3機の編隊は、1956年3月5日、ハワイ上空で目撃されました。見事な180度旋回。9機編隊は、1954年6月30日のカナダ、ラブラドルに出現しています。この他9機+9機、2機×3、3機×2などの編隊も各地で目撃されています。またメキシコのサカテカス天文台長ホセ・ボニラは、1882年8月12、13日に447機の飛行隊が20機ずつの群となって地球と太陽の間を飛行したと報告しています。この時の写真は、最初の公式写真となりました。
 報告書は最後に「水平飛行速度はふつう推定300ノット以上」であると述べていますが、1966年夏、スイスのある空港上空に出現したオレンジ色の2つの球体は、高度150メートルという低空を、約300ノットで高速飛行をしています。

 宣戦布告のない戦争

 1952年6月から7月にかけてワシントン上空で起こったUFO事件のあと、ハリー・S・トルーマン大統領とオマー・N・ブラッドレー参謀総長は、侵略的未確認飛行物体に対して、宣戦を布告しました。
 統合参謀本部の基本的命令、JANAP第146号は、1952年に発せられ、1966年に、全北米大陸防衛のためのカナダ軍との協同作戦にまで発展したばかりではなく、NATO軍を通じて、西半球全体に施行されていたものと思われます。27年後に機密扱いを解除されたCIA科学部門のメモには次のように記されてありました。
「世界的な報告組織が設立され、米空軍基地は、未確認飛行物体を迎撃せよと命令された」
 弾圧はその後に始まりました。米国のプロジェクト・ブルーブックの元機関長エドワード・J・ルッペルト大尉はその著書『UFO報告書』の中で初めて「1952年夏、米国のF86ジェット迎撃機が、1機の空飛ぶ円盤を銃撃したが、他の多くの事件と同様に公表されなかった」ことを明らかにしました。
 1955年2月には、米国大陸防空組織の司令官ベンジャミン・チドロー将軍が次のように証言しました。
「空飛ぶ円盤に関しては、報告が山積している。彼らを迎撃しようとして多くの兵員と機体が失われたことを考えれば、私たちがこれらの報告を真剣に考えるのは当然のことである」。そして米国軍大学の教科書である『宇宙科学序説』462頁には、極東の戦略基地でソ連がとった同じような軍事行動について述べられているのです。
 UFOに関する大衆の不安をなだめるため政府は彼らを、宇宙からの「平和的な訪問者」であると強調し、国際的なUFO研究団体 は、人類の「救世主」であると広く宣伝しています。
 しかし、これまでわれわれに対し意思を伝えることをおろそかにしてきた宇宙の探険隊を、平和的意図をもったものと考えることはできるでしょうか。私たちのかかえるさまざまな問題のほんの1つに対しても、ひとかけらほどの解決策へのヒントをも示そうとしない連中を救世主として受け入れることができるものでしょうか。宇宙文明と正式な連絡をとるべきコンダクターとして、それにふさわしいだけの資格も教育も身につけていない人たちだけを選び出すという事実を、私たちはどう考えればよいのでしょうか。
 国際法によれば、国家の領空に不法に侵入してくる航空機は、国家の安全を冒したものと見なされます。UFO群はその「不法侵入者」の代表です。従って一一国連の定めた国際法規というようなものがない以上一一各国が独自で、彼らに対して武力を行使することは、合法的行為といえるのです。たとえば、1960年の5月、米国のU−2型偵察機は、ソ連上空で有無をいわさず撃墜されました。
 ですから、解散させられたプロジェクト・ブルーブックが1969年12月17日に「空軍が発見、調査したUFOで、国家の安全に何らかの脅威を及ぼしたものは1機もない」と発表したのは、完全な矛盾です。ペンタゴンのいうとおりこの決定を受けるなら、地上、空中、そして人工衛星からの国際スパイ戦、戦略偵察も偽装情報活動ではなく、各国はお互いに友好的、平和的な意図しかもっていないということになります。
 それでは、なぜ、その2ヵ月後の1969年10月20日、空軍は秘密メモで「JANAP第146号または空軍教本第55−11により、国家の安全を冒すおそれのある未確認飛行物体の活動が報告されている。これはプロジェクト・ブルーブックによるものではない」と通達する必要があったのでしょうか。この秘密軍事通達が差し迫った必要から発せられたものであることは明らかです。国家の安全と国際安全を脅かす重大な侵害事件の例はまだ他にもいくつかあります。
 1973年10月12日から19日にかけて、メキシコ湾から五大湖地方に及ぶ米国上空で、UFO群の大活動が展開されました。この活動と関連すると思われますが、10月17日には、アラバマ州のフォークヴィルという一寒村で、1体の正体不明の生物の写真が4枚、警察署長の手で撮影されました。この写真と事件は気まぐれ者のデッチ上げにすぎないとされたために署長は辞職という羽目に追い込まれてしまいました。なぜでしょうか。
 地図をチラリとでも見ていただければ誰にでもその理由は明らかになります。ロボットのような正体不明の生物が撮影されたこの地域は、世界最大の弾薬集積所、宇宙開発実験場であるハンツヴィルのレッドストーン兵器廠からわずか17マイルしか離れていないのです。
 こんな例もあります。1955年8月21日、ケンタッキー州ケリーに住むサットン兄弟は、宇宙人と思われる不思議な生物に対して、近距離から発砲しました。兄弟が使用したのは、12ゲージのショットガンと22口径の拳銃。弾丸は金属に当たったようにはね返り、打ちのめされたようにその場に倒れた生物は、すぐに飛び上がって逃走しました。兄弟の報告では、生物の身長は3フィート半、頭は大きくて丸く、非常に腕が長かったといいます。
 米国軍大学が使用している教科書では、これに関した記述の中で、宇宙人は人間からの敵対行動に備えて防弾服を着ていることを明らかにしています。
 早くからUFOを研究している米国のレオナード・ストリングフィールドによれば、撃墜されたと思われる大破した宇宙機8機とその乗員の死体25体が国防総省の手で箱づめになって冷凍保管されているということです。撃墜された場所は、オハイオ州デイトンのライトパターソン空軍基地の厳重警戒区域。死体の体格や寸法が、サットン兄弟の目撃したものと同じであることが注目されます。

 UFOの攻撃と武力衝突

 1975年10月から11月にかけて、米国北部諸州の弾薬集積所、核兵器貯蔵所その他の要厳重警戒施設が、正体不明の「ヘリコプター」らしいものから攻撃され、空軍基地に警報が発せられました。この3年後に機密扱いを解除された文書には、武力行使、攻撃ヘリコプターの国籍、「侵略者(?)」に対する軍法会議の調査の決定などに関する文書は、すべて厳重な機密扱いとされ、公表を禁じられたと記録されています。
 他方、イラン駐在の米国大使からホワイト・ハウスと参謀総長に宛てられた電報には一一こちらは機密扱いを解除されておりますが一一、1976年9月19日、円盤型母船から発進した円形円盤によってF−4迎撃機が攻撃されたことが報じられています。
「操縦士は、AIM−9型ミサイルを発射しようとしたが、その瞬間、計器盤が爆発し、全通信機(UHFと機内電話)が機能を停止した」
 未知の力が、迎撃機の電子装置を完全に麻痺させてしまったのです。
 1974年には、サルディニア島のNATO基地から発射されたミサイルが、地中海上空に停止していた円盤型航空機の光線銃で全滅するという事件がありました。
 また、1974年秋、韓国のビンで、ホーク・ミサイル発射台が、反撃してきた金属製楕円形航空機の光線銃の一撃により完全に破壊され、鉛のように溶けてしまいました。
 以上の事件は、地球の兵器がまったく役立たなかったことを如実に示すものであり、心を寒くさせるものがあります。宇宙機動部隊は、科学的にも戦略的にもまた軍事技術的にもはるかにわれわれより優れていることは明白です。
 コロラド州にある北米防空司令部が発表したところでは、精密さを誇る赤外線探知機、衛星同調監視機などは、飛行特性がいかなる人工衛星とも違う上、弾道弾の軌道とも異なる物体を毎日800個から900個も探知しているということで、これは国際間の安全が脅かされていることを示す重大な証拠といえます。仮りに、私たちが肉眼で見、安物のカメラで捕え、マスコミを通じて公表されているものが、この10パーセントに満たない数であったとしても、それでもなお1時間に3・5機の宇宙機が地球の上空を不法に侵し、われわれの軍備と活動を監視しているという計算になります。
 米国とソ連という2つの軍事超大国は、これまで戦略兵器を制限する条約を結ぶために数度の交渉を重ねてきました。しかしながら、この交渉は何らの進展をみないまま今日に至っています。何故なら、戦略兵器制限交渉とは大衆の注意をそらす口実にすぎず、この交渉の裏で両国は、高度に精密な恐るべき戦略兵器の拡充に血眼になってきたのです。このとどまるところを知らない軍備拡張競争は、人間が月に始めて足跡を印した1969年7月20日から続けられています。
 では一体、誰に対してでしょう。現存する数百個の人工衛星や、4000個にも上るその破片に対してでしょうか。地上の全文明を滅ぼしてしまうような戦略兵器を建造することは、いかなる国家にとっても無意味なことであるはずです。しかし、すでにこれらを保持している現在、やたらと真 実を隠したがる秘密主義が致命傷となる危険性は大いにあります。UFOによって誤った戦略行動に出てしまう可能性もあります。また1979年11月の北米防空司令部におけるテープ・ミスのように、致命的誤解が米国とソ連という2つの軍事超大国に最終的な第3次大戦を起こされるか知れたものではないのです。
 両国によって繰り広げられている大戦略行動が、UFO機動部隊によって監視されていることを各国政府はもっと真剣に考えなければなりません。局地的紛争が超大国間の致命的対決にまでエスカレートした場合、この「物いわぬ」不気味な勢力が介入してくる可能性は打ち消しがたくあります。
「かつては虚構にすぎなかった宇宙戦争が、今や現実のものとなろうとしていることを私たちは知っている」
 1979年1月18日、キンバーレイ卿は、UFO問題が論議された上院でこう述べています。米国国務省国際安全保障部のマイケル・A・G・ミスハウド部長は、この前年の8月にすでに次のように警告しています。
「他の太陽系からの異星人は私たちにとって潜在的脅威であり、同じように彼らにとっても私たちは潜在的脅威なのです」

 各国政府への提案

 UFO問題をなおざりにすることの危険についてICUFONは、国連及び各国政府に対し、30年にわたって警告し続けてきました。この努力は、各国を脅かしてきた危険を一掃する道を開くこととなりました。
 UFO問題について正しい見解をもつことが急務であることを軍部が理解してくれた場合に備え、私たちは慎んで次の提案を致したいと思います。
 つまり、この問題は地球文明と宇宙文明の生存という大問題に関わるものである故に、UFOに関する軍事機密だけは解除すること、であります。これは、国際的なUFO問題の解決に大きな見通しを開くものであり、各国の公式軍事機密がそれによって損害を受けることは絶対にないと信じます。詳細は、私たちの「ブルー・メモランダム計画」に述べてあります。
 この提案を実際に理解するための第1段階は、宇宙問題に関する国際機関設立に向かって、各国が進んで同盟を結ぶことであります。そしてこの国際宇宙安全保障組織は、公式に寄附された土地に、「各国の手により、各国のために」建設されるのが適当と考えます。この組織は国家連合によって運営され、次の代表から構成されます。つまり
 軍隊一一地球の安全のため
 科学者集団一一専門知識確保のため
 UFO研究の開拓者(団体)一一研究と大衆への連絡のため
以上です。
 宇宙問題に関する国際機関計画は、国際的平和、安全、そして各国と国連のための相互協力のわく内で実現されることになります。その機能は、
 (A)専門家による分析と各国への情報を確保するための、UFO活動の全地球的監視。
 (B)大気圏内と地球周辺で活動中であることが確認されているUFO群との連絡・通信のための手段の追求。
 (C)各国とその政府行政が地球外知的生物の問題に対処するための、宇宙時代の世代の育成。
 皆さんの御清聴を感謝し、1977年、アカプルコで開催された第1回国際UFO会議における私の声明を引用して、この講演を終わることにします。
「人類の歴史の1頁に記された時計の針は非常に遅れている。いざという場合のために立ち上がり、平和と国家の安全に向けて行動する機会は偉大である。願わくは、私たちの時代に二度と不幸が起こらぬことを」
 軍事科学技術修士(退役陸軍少佐)
 ICUFON代表
 コールマン・S・フォンケビクツキー



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