遊星への霊体X(Letters from the Light)

 
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投稿者 SP' 日時 2000 年 2 月 14 日 18:17:44:

以下『死者Xから来た手紙』(エルザ・バーカー著、キャシー・ハート編、宮内もと子訳、同朋社)より。


  序

 昨年パリに滞在していたある晩、私は鉛筆を手にして文章を書きたいという激しい衝動に襲われたが、自分が何を書こうとしているのか全くわからなかった。その衝動には逆らえず、私の手はまるで何者かに強制されたように鉛筆を手にとると、人間の本性に関する見事な文を綴り、その後に“X”と署名した。
 文章の趣旨ははっきりしていたものの、この署名は謎だった。
 翌日、その文を友人に見せ、“X”という署名に心当たりがあるかときいてみた。
「あら」と友人は言った。「これは、私たちがいつも−−さんて呼んでるあの人のことよ。知らなかったの?」
 私は知らなかった。
 このとき、−−氏はパリから一万キロも離れた場所にいたはずで、私と友人は彼がこの世にいるものと思っていた。しかし、それから一日か二日してアメリカから手紙が届き、私がパリで“X”と署名した自動書記によるメッセージを受け取る数日前に、−−氏がアメリカ西部で亡くなっていたことがわかった。
 私の知る限りでは、ヨーロッパで彼の訃報を聞いたのは私が一番早かったと思う。その後すぐ例の友人に電話して、“X”が亡くなったことを知らせた。彼女は驚いた様子もなく、この間“X”の手紙を見せられたとき、それはもうはっきり感じていたのよ、貴方には教えなかったけど、と言った。
 当然ながら、私はこの異様な事件に強い印象を受けた。
 アメリカから−−氏の訃報が届いてまもないある晩、私は“X”の正体を教えてくれた友人と話をしていた。そのとき、もし彼にその力があれば、また彼のために文章を書いてあげてはどうか、と勧められた。
 私は、自分で興味があったからというより、友人が喜ぶならと思って承知した。すると私の手は、〈私はここにいる、間違いない〉とメッセージを綴り始めた。一文書いてはしばらく休んでまた書く、という具合で、字も大きく乱れていたが、最初のときと同じく、全く自動的に手が動いた。このときは相当強い力で書かされたので、翌日は右手と右腕が痛かった。
 それから数週間にわたって、“X”と署名した手紙を何通か自動書記した。といっても、喜々として書いたわけではなく、逆にこのやり方に対する嫌悪感がつのるばかりだった。それでも書き続けたのは、もし“X”が本当にこの世と交流したいと望んでいるのなら、彼を手伝えるのはすばらしい特権だと友人に説得されたからにすぎない。
“X”は並々ならぬ人物だった。七十歳近い高名な弁護士で、哲学に造詣が深く、多くの著作があり、彼を知る者は誰もがその純粋な理想と情熱に感銘を受けた。家が遠かったので、私は彼にたまにしか会えなかった。死後の意識について彼と話し合った覚えはない。
 自動書記に対する偏見が次第に薄れてくると、私は“X”が死後の生について語る事柄に興味を覚えるようになった。それまでそういうテーマの本は殆ど読んだことがなく、かの有名な『ジュリアの音信』すら読んでいなかったので、先入観は全くなかった。
 メッセージは次々に送られて来た。しばらくすると、手や腕が痛むことはなくなり、筆跡も、読みやすいとはいえないものの前よりは整ってきた。
 しばらくの間、手紙は友人がいる前で書かれていたが、そのうち“X”は私が一人きりのときだけ来るようになった。私はパリとロンドンを行ったり来たりしていたが、彼はどちらにいるときでも書いてきた。一週間に数回来るときもあれば、一月近く彼の存在を感じないときもあった。私の方から呼ぶことはなく、訪問のないときは彼のことはあまり考えなかった。殆どの時間、私のペンと思考は別のことに向けられていたのだ。
 手紙を書いているときは、大抵半ば無意識の状態にあり、後で読み返すまでは、メッセージの内容はぼんやりとしかわからなかった。本当に無意識に近い状態で書いたことも何度かあり、そんなときは、鉛筆を措いても、それまで自分が何を書いていたのかまるでわからなかった。ただし、そういうケースは滅多になかった。
 これらの手紙に私の序文をつけて出版しないかと最初にもちかけられたときは、あまり乗り気ではなかった。すでに数冊の本を出し、それらが多少なりとも世に知られていたので、物書きとしての評判を落としたくないというささやかな虚栄心があったからだ。あいつは変わっている、“奇人”だ、と言われるのはいやだった。それでも序文を書くことは承知し、その中で、これらの手紙は私の目の前で自動書記によって書かれたと説明することにした。それは事実だが、事実の全てではない。例の友人は納得したが、時がたつにつれ、私は後ろめたくなった。そういう説明は誠実とはいいがたい。
 私はその問題について自問自答してみた。もし序文をつけずにこれらの手紙を出版すれば、それはフィクション、つまり想像によって書かれた作品と受け取られ、あの世の真実をいくら説得力ある筆致で論じていても、そのすばらしい記述は本来の力を全く失ってしまうだろう。また、これは自動書記と思われる方法によって私の目の前で書かれたと序文で説明すれば、書記をしたのは誰かという質問が当然出るだろうから、何かごまかしを言わねばならなくなる。かといって、これは私の手が書いたものだと正直に認め、ありのままを説明すれば、そこで出てくる仮定は二つしかない。一つは、これは本当に、肉体を離れた霊が伝えたメッセージであるというもの。もう一つは、私の潜在意識が作り出した労作だというもの。しかし、“X”と署名した手紙を最初に書いたとき、私はまだ彼が死んだのを知らなかったのだから、後者の説をとると辻褄が合わなくなる。人間の潜在意識は全てを知っているのだと考えれば別だが、そうでなければ説明がつかない。いずれにせよ、私の通常の意識や他人の意識から示唆を受けたわけでもないのに、私の潜在意識がそこまで手間暇かけて私を欺こうとした、というのは妙な話ではないか。
 こんな重要な問題について、わざと読者を欺いた、あるいはほらを吹いたと私を非難する人がいるとすれば、その非難は当時も今も妥当とはいえない。私の場合、自分の空想を表現したいと思えば、詩でも小説でも、他に適当な方法はいくらでもあるのだから。
 全体の三分の二にあたる手紙を書き終えた頃だろうか、この問題はようやく決着がついた。もしこの書簡集を出版するのであれば序文は正直に書き、メッセージを受けたときの状況を正確に説明すべきだと意を決したのだ。
 実際の筆記の作業は十一か月以上に及んだ。次は編集だ。どこを省き、どこを残すか? 結局、殆どの部分をそのまま残し、“X”や私や、“X”の友人たちの私事にふれた箇所だけ削除することにした。つけ加えたところは全くない。ところどころ文体が乱れていた箇所は、文の形を整えたりくり返しを省いたりした。しかし、編集者として普段原稿を訂正するときよりは、手を加える部分を減らすよう心がけた。
“X”の文章には大変口語的な部分もあり、また法律の専門用語やアメリカの俗 語を使っていたりもする。親しい友人にあてた手紙のように、話が急にとび、それがまた前ぶれもなく元の話題に戻っていることも多い。
“X”は、いわゆる来世に関し、私が昔から考えていたことと正反対の意見をいくつか述べている。それらの意見はそのまま残した。彼の述べる哲学的主張には、私がそれまで知らなかった話がたくさんあり、読んだ後何か月もたってから、やっとその深い意味に気づくこともあった。
 この書簡集の出版については、何ら弁解するつもりはない。これらの手紙は、本当の意味での著者が誰であれ、興味深いものだと思うし、“X”に私の手を使って手紙を書くことを許したとき、何の恐れも感じなかったように、その手紙を世間に公表することにも恐れはない。
 これらの手紙が本当に目に見えない世界からの通信かどうかという点について、私の意見をきかれれば、そう思うと答えるしかない。手紙の中で、個人的な問題に注意深くふれた部分には、私が知らなかった過去の出来事、あるいは考えについて述べたところが多く、その内容については裏づけもある。それでもまだ、心理学者のいうテレパシーの可能性がある、という人もいるかもしれない。しかし、これらの手紙がテレパシーで私に送られてきたのなら、その送り手は誰なのだろう? 手紙を書いたときよく側にいたあの友人でないことは確かだ。彼女も、手紙の内容には私と同じくらい驚いていたのだから。
 ただし、断っておくが、私はこの本が科学的なものだと主張するつもりはない。なぜなら、科学は実験による証明を必要とするからだ。一番初めの手紙は、−−氏の死や“X”の正体を知らなかったときに“X”と署名して書いたものなので、それだけは別として、他の手紙を書いたときは、心理学者のいう“実験上の条件”は満たされていなかった。この本が、肉体の死後も魂が生き続けることの証拠になるかどうかは、それぞれの読者が、読者自身の性格、経験、それにこの本の中身を信じるか否かによって判断することになると思う。
“X”か、あるいは宇宙の目に見えない側にいる彼以外の霊で、ある程度信頼できる者がいなければ、私にはこの手の本を出すことはもうできないだろう。本物かどうかわからない霊媒行為に関しては、私はいまだに根深い偏見を抱いている。妄想や欺瞞の危険性に気づいているからだ。“X”に対する私の信頼や、パリの友人の私に対する信頼がなければ、この本は生まれなかっただろう。この本を書く目的について、目に見えない霊界の著者か、目に見える物質界の霊媒のどちらかに疑いがあったら、両者とも力を失っていたに違いない。
 これらの手紙を読んで私自身がどう変わったかというと、今まで心に潜んでいた死への恐怖が完全に消え、不死を信じる気持ちが強まり、死後の生が、太陽の下にあるこの生と同じくらいリアルで生き生きしたものに思えるようになった。これらの手紙が私に与えてくれた不死という至福の感覚を、この本の読者が一人でも感じてくれれば、苦労したかいがあったというものだ。
 このような本を出したことについて私を非難しようとする人がいたら、こう言うしかない。私はいつでももてる最良のものを世界に与えようとしてきたし、これらの手紙は恐らくその最良のものの一つなのだ、と。
      エルザ・バーカー
  一九一三年 ロンドンにて



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