ポスト麻原側近Xのオウム金塊告白第2弾(週刊ポスト3/3)

 
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投稿者 一刀斎 日時 2000 年 2 月 20 日 20:31:28:

週刊ポスト3/3号
麻原側近幹部Xが初告白!第2弾
麻原が村井に命じた徳川・武田埋蔵金発掘マル秘計画


『埋蔵金伝説』──その言葉から常人が抱くのは、歴史へのロマンや夢
だが、麻原の場合は違った。その金塊さえも我がものと強弁すべく、あ
きれた理屈を並べたて、実際に発掘作業を信者にさせていたのである。
かつて麻原の近くに仕え、その秘密指令の数々を目の当たりにしてきた
幹部X氏の証言からは、あまりにも荒唐無稽な教団の実態とともに、カ
ネヘの異常な執着が見えて来る。

「私は徳川家光の生まれ変わり」
あの強制捜査の夜(95年3月22日)、教団の大蔵大臣だった石井久子(受刑
囚)の部屋にあった7億円の現金と金の延べ板、合計約10億円の資産隠匿謀議
に私が関わっていたことは前回話しました。その後、この資産の行方は捜査当局
も確認できていません。私自身、しばらくして逮捕されてしまったこともあり、
最終的な行方までは聞かされていないのです。
その後、教団のメンバーによって密かに回収されたのかどうかはともかく、一時
的な保管場所だったら、思い当たる場所があります。というより、ここしかない
という確信があるのです。その場所とは富士山麓、本栖湖の周辺に広がる森の中
です。
なぜ、本栖湖周辺の森の中なのか。それは麻原彰晃(本名・松本智津夫被告)、
村井秀夫(故人、元最高幹部)、そして私の3人しか詳細を知らなかった秘密の
ワークと密接な関連があるからです。
それは「埋蔵金発掘計画」です。あまりにも唐突な話で信じてもらえないかもし
れませんが、当時の私たちは大真面目に、戦国時代から江戸時代にかけて隠され
たとされる埋蔵金探しを行なっていたのです。

こう話すのは、かつて麻原被告の側近で、オウム古参の大物幹部だった
X氏である。オウムの前身『オウム神仙の会』当時からの信者で、麻原
被告の信頼も厚く、その最側近であった故・村井最高幹部の補佐役を命
じられていた。教団の裏側を熟知する立場にあった人物である。事実、
X氏自身、教団の非合法活動に従事し、そのため強制捜査開始後に逮捕
され、実刑判決を受けている。その過程で教団を脱会、以降は沈黙を
守ってきたが、今回、本誌の求めに応じて、刑務所を出所後初めて、か
つての教団の実態を語り始めた。
「公判では教団の実態、自分の犯した罪を語ろうとしなかった上祐(史
浩幹部)が刑務所を出るや教団に復帰、事実上の最高幹部として新たな
組織を旗揚げしました。しかしいまなお、自らの犯罪行為について、積
極的には明かそうとはしていません。詭弁を弄しながら教団の延命を狙
う上祐の姿勢は、かつてのオウムそのままの手法であり、このままでは
再びかつて通った道を辿らないとは断言できません。それに異議を唱え
るためにも、オウム及び麻原がいかにデタラメで、本来の宗教とはかけ
離れた存在であったか、私の知るかぎりを明らかにしておきたいと思っ
たのです」
本誌の取材に応じた動機をそう語るX氏は、前回の強制捜査の最中、忽
然と消えた総額約10億円の教団資産隠匿に続いて、上祐幹部も知らな
い新事実として、「埋蔵金発掘計画」の全貌を、本栖湖周辺の地図を示
しながら次のように明かすのだ。

95年3月の地下鉄サリン事件直後、南青山にあった東京総本部道場で行なわれ
た記者会見に上祐とともに出席した村井は、「教団資産は1000億円」と豪語
しました。記憶に残っている方もいらっしゃると思います。あの金額の根拠が、
実はこの埋蔵金だったのです。
なぜ、埋蔵金なのか、話は90年に遡ります。それまで「自分は古代エジプトの
ジョセル王の生まれ変わりである」といい続けていた麻原が、なぜか突然、「自
分は、徳川家光の生まれ変わりだ」といい出したのです。このことは当時の教団
の出版物(『マハーヤーナ』90年11月号)にも記されています。ここから先
は私たち3人しか知らないことですが、あるとき、村井と私を呼び出し、麻原は
こう切り出したのです。
「徳川幕府は群馬の赤城山や富士山麓などに財宝を隠した。埋蔵金だ。それは家
光の生まれ変わりである私の物だ。つまりオウムのものだ。探せ」
と。余りにも荒唐無稽な話に聞こえるでしょう。しかし、当時の私たちは麻原絶
対の考えにマインドコントロールされていました。尊師を疑うことは地獄行きを
意味します。彼の発言は疑う余地のないものだったのです。

真夜中に黒装束で山中を探索
こうして村井と私は埋蔵金探しに関わることになったのです。ただし、当時の私
は他のワークが忙しく、あくまで指揮者は村井。私は時間が空いたときの補助と
いう立場でした。指揮者に命じられた村井はすぐに行動を開始しました。まず、
図書館などで埋蔵金に関する文献を探し、埋蔵金探しを行なっている人物などに
も探りを入れたようです。

そういいながら、彼は村井幹部からもらったという埋蔵金に関する文献
のコピーを取り出した。

この中で徳川埋蔵金の他、教団施設が集中する上九一色村のある山梨県内には武
田信玄や穴山梅雪の埋蔵金伝説があることを知り、これも並行して探すことにな
りました。

穴山梅雪とは元は武田信玄の重臣だが、勝頼の代に武田家から徳川家康
側に寝返る。梅雪は信玄が亡くなる直前、命令により馬50頭分もの金
の延べ棒や砂金を柳沢峠に埋め、後にそれを本栖湖畔の竜ヶ岳あたりに
隠したといわれている。

こうした埋蔵金情報を得た村井は、実行部隊を結成しました。村井の他、彼の部
下だった林泰男(地下鉄サリン事件などの実行犯として公判中)、渡部和実(サ
リンプラント建設などで実刑確定)など6人。秘密ワークのため少数精鋭で行く
ということでしたが、選ばれた6人に対しても真相は打ち明けていないのです。
あくまで「鉱物資源を発掘するための地質調査」という名目でした。
行動は人目を忍んで夜の9時頃から早朝の4時頃に限定されました。当然です、
国有地や他人の所有地を勝手に掘るのですから。服装も黒の作業脈上下に黒のゴ
ム長靴という黒ずくめのスタイル。その格好で他の出家信者にも見られないよう
に気を配りながら、上九一色村の第3サティアンに集合し、車で出発するので
す。車にはスコップ、つるはし、薮を切り開くナタ、ヘッドランプ付きヘルメッ
トやサーチライト、2メートルほどの金属棒、さらには2台の金属探知機、地中
レーダーやバッテリーも積んでいました。
金属探知機は市販の製品ですが、地中レーダーは村井が開発、作製したもので
す。形としては家庭用の掃除機を想像してください。 掃除機本体にあたる部分に
地中の反応を波線の画像で示すモニターがついていて、そこから延びているノズ
ルを地面に這わせることにより地中の状態を探知するのだそうです。
彼の説明によれば、埋蔵金は石版で蓋がされていて、その上を土が覆っていると
いうことでした。ですから、まず金属棒で地面を刺しながら歩き、石のような感触
があれば、地中レーダーと金属探知機の出番になります。レーダーが石の下の空洞
を探知、さらに金属探知機が反応を示せば、そこに埋蔵金が隠されているはず、と
いうわけです。
とにかく、私を含めて7人か8人の男たちが深夜、ナタで薮を切り開き、地面に
金属棒を突き刺しながら、黙々と山の中を歩き回るわけです。
感触ですか?笑われるかもしれませんが、あったことはあったんです。地中レー
ダーが反応したと村井がいい、一晩で10か所近くも穴を掘ったこともありまし
たから。そういう場合は一人を見張りに立て、残りが交代で必死に地面を掘り返
すのです。いえ、結局そのときは発見できていません。地中の構造上、たまたま
空洞があったというケースがほとんどでしたね。

沢山埋蔵命は探し当てた?

村井幹部らが発掘を目指したのは先の2つの埋蔵金だけではなかった。
富山県の立山山中にあるとされる、織田信長の家臣。佐々成敗の埋蔵
金、さらには兵庫県多田銀山の豊臣秀吉埋蔵金の発掘も計画に組みこま
れていたという。

そのなかでも、とくに村井が力を入れていたのは、穴山梅雪の埋蔵金です。数あ
る埋蔵金伝説のなかでも信愚性が高かったからです。そもそも上九一色村にサ
ティアン群を建設する土地を購入したのも、霊峰・富士山に近かったことに加
え、穴山梅雪の埋蔵金伝説の存在があったから、という事情もあったのです。
上九一色村から目と鼻の先ともいえる本栖湖の湖畔周辺。ここを村井は徹底的に
調査しました。暇を見つけては林泰男などの部下を連れることもなく、単独で歩
き回ったとも話していました。ですから本栖湖周辺は村井にとって自分の庭のよ
うに精通した場所だったのです。
しかも、村井はこう話したことがあります。私を誘い、2人で本栖湖の周辺を歩
いていたときのことです。
「この辺はな、ちょっと樹海の方に入れば、自然の洞窟がたくさんあるんだよ。
そういった場所はな、財宝とかを隠しやすいんだ。こういう洞窟の奥に財宝を隠
して土砂で覆えば、よほどのことがないかぎり発見されないものだ」
こう話す村井の口調には妙に自信に満ちた響きがあり、私はひょっとしてすでに
穴山梅雪の埋蔵金を探し当てたのではと思ったほどです。
村井が埋蔵金を探し当てたのかもしれないと思った理由は、もうひとつあるので
す。ちょうどこの頃、村井は都内にある有名貴金属店に行っているのです。そこ
で埋蔵金などを発掘した場合の所有権の問題や換金方法を聞いてきたというので
す。「一度にたくさんの換金はまずいな」とか内容もかなり具体的で、そのこと
が、いまでも妙に私の頭に引っかかっているのです。
村井が、なぜ殺されたのか。ひょっとして埋蔵金を探し当てたからかもしれな
い。そのことを麻原に口止めされていたのに、思わず「教団資産は1000億
円」と口走ってしまった。そのため、麻原が村井の口封じを何者かに依頼したの
ではないか、とまで考えたこともあります。もちろん、これは私の想像ですが
…。
埋蔵金発掘など夢のまた夢で、村井殺害の理由は他にあるのかもしれません。し
かし、これだけは確実だと思います。石井の部屋から消えた約10億円の教団資
産は、一時的にせよ、村井によって本栖湖の近くに隠されたのではないか。どう
考えても、他に隠し場所はないからです。

まだ30億円の行方が不明のまま
実は、村井が隠したのは、このときの10億円だけではないはずです。強制捜査
当時、この他に少なくとも20億円、合計で30億円相当の資産が教団内には
残っていなければおかしいからです。これは実に簡単な計算です。教団資産の
「出と入り」を考えればいいだけです。
オウムが大量出馬した90年の総選挙の惨敗から立ち直り、勢力拡大を続けた
94年までの間、教団の総収入は100億円を超えていました。逆に支出はどう
多く見積もっても60億円から70億円程度のはずです。その差額の30億円か
ら40億円の行方が私には謎として残っています。
その行方不明の資産は、麻原が村井に命じて備蓄に回していたのではないか、そ
して、それもまた富士山麓の樹海の中にある深い洞窟に隠されたのではないか、
と私は思っているのです。
理由は2つ。村井の口からは前に話した都内の有名貴金属店以外にも、金地金を
取り扱う会社の名前が数社ほど出ているのです。前回にも説明しましたが、銀行
を信用しないオウムは、全て現金決済でした。その現金すらも貨幣価値は変動す
るからと信用せず、手元に決済用の数億円を残す他は金の延べ板に替えていまし
た。しかし、相当量の全備蓄をしなければ、何社もの金地金を扱う会社を知る必
要はないはずです。しかも、強制捜査の渦中でも教団施設から金の延べ板が押収
されたという話は聞いていません。
もうひとつの理由は麻原の説いたハルマゲドンに関係します。麻原は1999年
のハルマゲドンを〃予言〃しました。これは麻原が敵と断じたフリーメーソンと
の戦争を想定したもので、戦いが始まればいま以上に資金が必要になるとして、
村井に備蓄を命じた経緯があります。
ですから、30億円に相当する程度の金の延べ板が、どこかに隠されていなけれ
ぱおかしいのです。村井のことです、麻原以外には誰にも明かすことなく、ひと
りで持てる程度の金の延べ板を抱えては、せっせと樹海の中に分け入り、秘密の
洞窟の中に隠していたということも十分考えられるのです。

X氏の表情は最後まで真剣そのもので、口調からも偽りや誇張は感じら
れない。教団資産の隠匿はともかく、埋蔵金伝説に踊らされていたな
ど、にわかには信じがたいような告白だが、
「常識では計れないような、世間から見ればマンガチックなことでも、真剣にや
るのがオウム。だから怖いのです」X氏はそういうと、さらにまた知られていな
い麻原オウムの信じ難い実態を口にするのだった。(以下次号)




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