神戸事件・14歳・三島由紀夫……『午後の曳航』より

 
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投稿者 やました 日時 2000 年 5 月 08 日 00:08:52:

三島由紀夫『午後の曳航』
第六章

登が首領にたのんで緊急会議を招集してもらったので、六人は外人墓地下の市営プールに、学校のかえりに集まった。
プールヘは、樫の巨木の繁った馬の背中のような丘から下りてゆくことができた。彼らは斜面の途中で立止って、冬の日にきらきらと石英が光っている外人墓地を、常磐樹(ときわぎ)の木の間から眺めやった。
ここから見ると、二三段の段丘に立ち並んだ石の十字架や墓石は、みんなこちらへ背を向けている。墓のあいだには蘇鉄の黒っぽい緑がある。温室物の切花が供えられていて、十字架のかげに時ならぬ鮮やかな赤や黄がある。
この丘からは、右方にその異人墓、正面に谷底の人家の屋根々々の上にマリン・タワーが望まれ、ブールは左方の谷間になっている。オフ・シーズンのブールの観覧席は、たびたび彼らのうってつけの議場になった。
六人は巨樹の根が土からあらわれて、太い真黒な血管のように遠くまでうねりひろがっている斜面を、ばらばらに跳び渉って、谷間のブールヘの枯草の小径を駈け下りた。ブールは多くの常磐樹にかこまれ、剥げかけた青いペンキの底を露わにして、涸れ果てて静まっていた。水の代りに、隈々に枯葉が溜っている。青く塗った鉄の梯子が、底よりもずっと高いところで途切れている。西へ傾いた日は、屏風なりにこれを囲む崖に遮られ、プールの底のほうはもう暮れかけている。
登はみんなのあとについて駈けながら、さっきちらと見た数多い異人墓のうしろ向きの姿を心に保っていた。うしろ向きの墓や十字架。それらがみんなむこうへ顔を向けているならば、僕たちがいるこのうしろ側は、何と名付けるべき場所なのだろう。
六人は黒ずんだコンクリートの観覧席に、首領を央にして菱形に腰かけた。登がまず黙って、鞄から一冊の薄いノート・ブックを出して首領に渡した。表紙には青々しい赤いインキで、「塚崎竜二の罪科」と書いてある。
みんなが首をさし出して、首領と一緒に読んだ。それは登の日記の抜率で、昨夜の抽斗事件の記述を以て、第十八項に及んでいた。
「こりゃひどい」と首領は沈痛な声で言った。「第十八項だけで三十五点は入るだろ。合計が、…そうだな、第一項を五点としたって、おわりのほうの項ほど点が高くなって、合計が百五十点をずっと越えちゃってる。これほどとは思わなかった。こりゃいよいよ考えなくちゃいかんぞ」
その首領の独り言をききながら、登は軽い戦採を味わった。そしてこう言った。
「どうしても救えないかしら」
「救いようがないな。可哀そうだけど」
そこで六人ともしばらく黙ってしまった。それを勇気の欠如と感じた首領は、乾いた落葉を指で粉々にして、固い葉脈だけを指の中にたわめながら、言い出した。
「僕たち六人は天才だ。そして世界はみんなも知ってるとおり空っぽだ。何度も言ったけど、このことをよく考えてみたことがあるかい。その結果、僕たちにはあらゆることが許されている、と考えるのはまだ浅いんだ。許しているのは、僕たちのほうなんだ。教師や、学校や、父親や、社会や、こういうあらゆる塵芥溜めを。それは僕たちが非力だからじゃない。許すということが僕たちの特権で、少しでも憐れみを持っていたら、これほど冷酷にすべてを許すことはできないだろう。つまり僕たちは、いつも、許すべきでないものを許していることになる。許しうるものは実はほんの僅かだ。たとえば海だとか……」
「船だとか」
と登が言い添えた。
「そうだ。そういうごく少数のものだ。そしてもし、そんなごく少数の許しうるものが反逆を企てたら、僕たちは飼犬に手を噛まれたも同然なんだ。それは僕らの特権に対する侮辱だものな」
「僕たちは今まで何もしなかった」
と一号が口を挟んだ。
「いつまでも何もしないわけじゃない」と首領は清々しい声で機敏に応じた。「ところでこの塚崎竜二という男は、僕たちみんなにとっては大した存在じゃなかったが、三号にとっては、一かどの存在だった。少くとも彼は三号の目に、僕がつねづね言う世界の内的関聯の光輝ある証拠を見せた、という功績がある。だけど、そのあとで彼は三号を手ひどく裏切った。地上で一番わるいもの、つまり父親になった。これはいけない。はじめから何の役にも立たなかったのよりもずっと悪い。
いつも言うように、世界は単純な記号と決定で出来上っている。竜二は自分では知らなかったかもしれないが、その記号の一つだった。少くとも、三号の証言によれば、その記号の一つだった《らしい》のだ。
僕たちの義務はわかっているね。ころがり落ちた歯車は、又もとのところへ、無理矢理はめ込まなくちゃいけない。そうしなくちゃ世界の秩序が保てない。僕たちは世界が空っぽだということを知ってるんだから、大切なのは、その空っぽの秩序を何とか保って行くことにしかない。僕たちはそのための見張り人だし、そのための執行人なんだからね」
彼は更にあっさりと言った。
「仕方がない。処刑しよう。それが結局やつの身の為でもあるんだ。……三号。おぼえているかね。僕が山下埠頭で、そいつをもう一度英雄にしてやれる方法が一つだけある。やがてそれを言える時期が来るだろう、と言ったのを」
「おぼえてる」
と登は、小刻みに採えてくる腿を押えて答えた。
「今その時期が来たんだ」
首領を除く五人は顔を見合わせて、沈黙した。みんな首領の言おうとする事柄の重大さがわかっていたからである。
彼らは夕影の濃くなった空っぽのプールを眺めた。剥げた青地の底を、白い数条のラインが通っている。隅にたまった落葉はからからに乾いて重なっている。
それは今怖ろしいほど深い。底のほうの青い稀薄な闇によってますます深い。そこへ身を投げても、体を支えるものが何もないという実感が、空のプールに不断の緊張を醸し出させる。あの夏の、泳ぎ手の肉体を受容しながら深々と支える柔らかい水がなくて、こうして水と夏との記念碑のような形で生き永らえている乾き切った場所は、とても危険だ。プールのへりから下りてゆく、そして底よりもずっと高いところで突然絶ち切られる青い鉄梯子……。
本当に、体を支えるものは何もないのだ!

「あしたは学校も二時におわるし、そうしたらここへあの男をおびき出して、みんなで一緒に杉田へ、僕たちのあの乾船渠へ連れて行こう。三号、巧くおびき出すのは君の役目だぞ。各自の持参するものを、これから指示するから忘れないように。僕は睡眠薬とメスを持ってゆく。あんな力の強い男は、まず眠らせなくちゃ、とても料理できない。うちにある独乙製のやつは、定量が一錠から三錠だから、七錠も嚥ませれば、イチコロだろうと思うんだ。こいつは紅茶に溶けやすいように粉にしてくる。
一号は登山用の太さ五ミリの麻縄、長さ一・八メートルのやつを、一、二、三、四、……と、そうだな、多めに五本ぐらい用意してきてくれ。
二号は魔法瓶に熱い紅茶を入れて、鞄に隠してくる。
三号は、おびき出してくる仕事があるから、何も要らない。
四号は、砂糖や匙や、僕 たちの飲む紙コップと、あいつに飲ませるプラスチックの濃い色のコップを持って来る。
五号は、目隠しの布と猿轡用の手拭を用意して来てくれ。
それから各自、好みの刃物を持って来てよろしい。ナイフでも錐でも好きなものを。要領は、前にも猫で練習したから、同じことだよ。何も心配は要らない。猫よりも一寸大きいだけさ。それに猫よりも、ちょっとばかり臭いだろう」
みんなは押し黙って、空っぽのプールに目を落していた。「一号、君は怖いのか」
一号は辛うじて首を振った。
「二号、君は?」
二号は急に寒くなったように、外套のポケットに両手を入れた。
「三号、どうした」
登は喘いで、口の中が枯草をいっぱい押し込まれたように乾き切って、答えることができなかった。
「ちえっ。そんなこったろうと思った。ふだんは偉そうなことを言っていても、いざとなると、からきし意気地がないんだ。安心させてやろう。そのためにこれを持って来たんだ」
そう言うと、自分の鞄から樺色の表紙の六法全書を取り出して、目ざす頁を器用にめくった。
「いいかい。読むから、よく聴くんだぜ。
刑法第四十一条、十四歳ニ満タザル者ノ行為ハ之ヲ罰セズ。
大きな声でもう一度読むよ。十四歳ニ満タザル者ノ行為ハ之ヲ罰セズ」
彼は六法全書のその頁を、五人の少年に廻し読みさせながら、言葉を継いだ。
「これが大体、僕たちの父親どもが、彼らの信じている架空の社会が、僕たちのために決めてくれた法律なんだ。この点については、彼らに感謝していいと僕は思うんだ。これは大人たちが僕らに抱いている夢の表現で、同時に彼らの叶えられぬ夢の表現なんだ。大人たちが自分で自分をがんじがらめにした上で、僕たちには何もできないという油断のおかげで、ここにだけ、ちらと青空の一トかけらを、絶対の自由の一トかけらを覗かせたんだ。それはいわば大人たちの作った童話だけど、ずいぶん危険な童話を作ったもんだな。まあいいさ。今までのところ、何しろ僕たちは、可愛い、かよわい、罪を知らない児童なんだからね。
この中で、来月十四歳になるのは、僕と一号と三号だよな。のこりの三人も三月には十四歳になる。考えてもみろよ。僕たち全部にとって、今が最後の機会なんだ」
首領はみんなの顔を窺ったが、いくらか張りつめた頬が和らいで、恐怖が薄らいでゆくのが見てとれた。一人一人が外側の社会、仮構の社会の、手厚い温かな取扱いにはじめて目ざめ、何よりも確実に敵によって護られているのを感じたのである。
登は空を見上げた。空の青はうつろうて、暮色がかすかににじんで来ていた。竜二が英雄的な死苦のさなかにこんな聖らかな空を見るのだとすれば、目隠しをさせるのは惜しいような気がした。
「これが最後の機会なんだ」と首領は重ねて言った。「このチャンスをのがしたら、僕たちは人間の自由が命ずる最上のこと、世界の虚無を填めるためにぜひとも必要なことを、自分の命と引換えの覚悟がなければ出来なくなってしまうんだ。死刑執行人の僕たちが命を賭けるなんて全然不合理なことだものな。
今を失ったら、僕たちはもう一生、盗みも殺人も、人間の自由を証明する行為は何一つ出来なくなってしまうんだ。お座なりとおべんちゃらと、蔭口と服従と、妥協と恐怖の中に、来る日も来る日もびくびくしながら、隣り近所へ目を配って、鼠の一生を送るようになるんだ。それから結婚して、子供を作って、世の中でいちばん醜悪な父親というものになるんだよ。
血が必要なんだ!人間の血が!そうしなくちゃ、この空っぽの世界は蒼ざめて枯れ果ててしまうんだ。僕たちはあの男の生きのいい血を絞り取って、死にかけている宇宙、死にかけている空、死にかけている森、死にかけている大地に輸血してやらなくちゃいけないんだ。
今だ!今だ!今だ!あの乾船渠のまわりの、ブルドーザーの造地作業も、もう一ト月で終ってしまう。そうしたら、あそこいらは人で一杯になる。それに僕たちはもうじき十四歳になる」
首領は常磐樹の梢の黒い影に囲まれた、水のような空を見上げて言った。
「あしたはお天気だろう」




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