米国政府や企業がまとめた教科書やプロパガンダで洗脳されている日本人には受入れ難いことかもしれませんが、

 
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投稿者 全文 日時 2000 年 5 月 11 日 13:31:48:

回答先: 民主主義の再考 投稿者 全文 日時 2000 年 5 月 11 日 13:30:33:

民主主義の再考(前編)

 

 南北戦争が終わってから第二次世界大戦終結までの間に、民主主義、あるいは「米国のやり方」は普遍的にではないが漠然とした事実として認められるようになったが、刊行物や討論会などでその奥底まで追求されることはほとんどなかった。一般の人々は政府のその他の制度と同様、民主主義も重大な思考や議論の価値がないとして、一世代の間そのまま見過ごされることはあり得ないだろうと考えていた。多くの政治家は哲学的な疑問をいだき、それを表明していたが、それらは理に適った論拠や警告というよりも、むしろ神経症的な奇異な思い付きと受け止められた。

 しかし、1929年の大恐慌後の混乱とショックの真っ只中で、民主主義の理論と実践は国内外で容赦ない追及に晒された。そして来るべき激変が起こった。大衆運動にまったく関与したことのなかった個人や団体が、「民主主義の真の管理人」あるいは最後の砦の防衛者として、突然活気づいたのである。はじめから自分達を民主主義者と見なしてきた個人や団体は、資本主義の集中化によって明らかになった問題や、自分たちに対する永久的な保障が何も約束されていないという長年にわたる明らかな欠陥に関して、自らの政治哲学を見直し始めた。もはや問題は、米国という共和国の初期に見られたような民主政体か代議政体かではなく、すでに存在し、世界の果てでも賞賛される民主主義を維持するための最善な方法は何かということであった。広く国民から見て、確立された自国の習慣に民主主義と一致すると見えたのであれば、その背景に通じた米国人にとっては、その状況は興味深く、かつ重大な発見であった。なぜならばいつの時代にも、どの場所においても、厳粛な集会において、選ばれた代表者を通じて、米国は民主主義国家だと米国人が公に宣言したことはなかったからである。憲法にも、序文に「我々、国民は」とあるだけで、民主主義という言葉や、その支持につながる言葉は含まれていない。実際、憲法には米国が共和国であるとも述べられていない。確かに、憲法は米国に共和政体の政府を保証したが、それが何を意味するかを誰も理解していなかった。実際に、憲法が制定された時、相当な地位にある人で自分を民主主義者だと名乗る者はいなかった。民主主義という言葉は、時々、無関心に口にされることはあっても、当時、それ自体に深い意味合いはなかった。そして、フランスで恐怖時代が始まると、その言葉はお偉方にとって明らかに恐ろしい意味を持つようになった。米国の第3代大統領トマス・ジェファーソンは、連邦党員に過激政治家のようだと非難されたにもかかわらず自分の党を「民主党」とは呼ばず、個人的な書簡でさえ民主主義という言葉を使うのに慎重であった。後に指摘されたように、共和国の創設者たちは、概して原罪よりも民主主義を恐れていた。現在の「民主党」が「リパブリカン党」から「民主党」に改名したのは1828年だが、第7代大統領アンドリュー・ジャクソンが大統領を引退する1837年まで、彼の追随者たちは自分達を正式に民主党員だとは名乗らなかったという。それ以降、民主主義といえば通常、このジャクソンの政党である「民主党」(おかしなことに奴隷所有者の支配下にある党)を指すようになったのである。

 ホイッグ党員(1834 年ごろ成立し、民主党と対立した政党の党員)とその後継者である共和党員は、自分達が支持するものがいかなるものであっても、民主主義者を名乗ることは到底できなかったし、ジャクソンの政党が民主党と名称を変え、民主主義とその政党が結び付いた後でさえ、米国を民主主義国家と呼ぶことはできなかった。さらに、ホイッグ党と共和党の連合における1つの強力な党派は、18世紀末、奴隷所有者に対して反対したのと同様、民主主義の傾向のあるものにはすべて反対を唱えた。正統な共和党員に1865年から19世紀末までの米国がどうであったかを尋ねれば、代議制共和国であったと答えるに違いない。同じ共和党員に民主主義とは何かを尋ねれば、直接政府、国民発案、国民投票、上院議員の普通選挙、多数決原理、最高裁判所軽視といった言葉が返ってくるに違いない。20世紀初頭、「民主主義の強化」に関する論争が激化する中、保守派共和党員の民主主義に対する懐疑心は一層強まった。彼らが少しでも支持を示した時には、自分達が傾倒する「真の民主主義」と、「扇動政治家」が推進しようとする「間違った民主主義」とは違うことをすぐに付け加えた。

 たとえ口先だけにしろ、米国が民主主義国家であると正式な是認や一般的な承認がなされるようになったのは、米国が第一次世界大戦に参戦した後である。いかなる理由で米国がドイツ政府に開戦したにせよ、ウィルソン大統領はそれを民主主義のための戦いであり、独裁国家に対抗して民主主義国家のための安全な世界を築くためだと宣言した。ウィルソン大統領は民主党だったが、戦争の興奮の中、大統領の戦争を支持する保守派は、非公式にはそれを心から認めていなかったものの、公に参戦に異議を差し挟むことはほとんどなかった。独裁主義国家の勢力から民主主義を守る戦いに参加することになった米国は、この時点で、事実上民主主義国家であることを正式かつ一般に公言するようになった。国民発案や国民投票、上院議員の普通選挙、婦人参政権、その他の「民主主義の強化」に最も激しく反対する人々でさえ、ウィルソンの公のイデオロギーを認めていた。かつて嫌悪され、恐れられ、長く拒否され、なかなか受け入れられなかった民主主義という言葉は、国民がそのためなら金を出し、戦い、苦しみを受け入れようと考える国家統一および政府の合い言葉や象徴になった。米国建国の父であるジョージ・ワシントン、ジョン・アダムズ、トマス・ジェファーソン、ジェームズ・マジソンがその場に居合わせ民衆の声を聞いたなら、彼らが作った代議制共和国の国民が一斉かつ大声で「民主主義」と叫ぶのを聞き驚いたに違いにない。

 しかし、第一次世界大戦後、民主主義に対する異論がより明確に唱えられ、疑問点も受入れられるようになった。軍事戦術の技巧と科学に関する若者向け指示書の中で陸軍省は、ウィルソン大統領の米国は民主主義国家であるとする公式宣言を否認した。さらに陸軍省は資産に対する非難や、異端的共産主義の考えにつながる衆愚政治の形態だとして、民主主義を攻撃した。また、ハーディング、クーリッジ、フーバーといった歴代大統領の誰1人として、その非難を相殺し、ウィルソンの戦争が目指した象徴を刷新するために、公式の行動をとろうとはしなかった。

 民主主義に対する強烈な愛着らしきものを喚起し、その考えと制度的な体系に対する深い賞賛が生み出されるまでには、大恐慌、内紛、ヒトラーの台頭、海外におけるファシスト勢力の統合などの変化が必要だった。先任者のアンドリュー・ジャクソンを顧みるのがとりわけ好きだったフランクリン・D・ルーズベルトは、演説で正式かつ厳粛に、米国を民主主義国家であると宣言し、地球上の独裁主義国家に対抗し、忠誠な米国民すべてを再び団結させることを示唆した。しかし、ルーズベルトの敵たちも同様に、国内で、彼の「独裁主義」に対して戦いを 起こす手段として民主主義を利用した。

 しかし、現代の評論家の中で、民主主義という言葉を、理解可能な形にあえて定義しようとした者はほとんどいなかった。

 民主主義という言葉の下に隠された真実を解明しようとしたら、参政権の平等、普通選挙、義務教育、多数決原理、国民主体、出版の自由といったものの前に、米国の文明化の真の基盤、すなわち、すべての民主主義の勃興や成長の条件となった、またある程度それを決定づけた資産の形態や分配にまで到達することになったであろう。つまり、米国の諸制度の設立者が残した書類や書簡を見直したり(正しくは初めて読んだり)、さらには独立宣言を再吟味することにもなったであろう。





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