「京都では皇太后の戦争責任についての話が以前から出ていました」

 
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投稿者 一刀斎 日時 2000 年 6 月 18 日 01:28:20:

http://www.jca.ax.apc.org/aml/200006/18079.html

Subject: [aml 18079] 皇太后の戦争責任
From: honjo@mse.biglobe.ne.jp
Date: Sat, 17 Jun 2000 13:49:20 +0900
Seq: 18079


京都の本庄です。昭和天皇の死去のときには、戦争責任も
含めて一定の議論もあったのですが、今回の皇太后死去は
「やさしいおばあちゃんの死」一色ですね。京都では皇太
后の戦争責任についての話が以前から出ていました。

天皇が出かけるのを「行幸」と言います。各地に行幸記念
碑がたくさん建っています。皇后の場合は「行啓」と言い
戦争中は軍の病院によく「行啓」していました。

京都の藤の森の国立京都病院にも皇后はやってきました。
当時は陸軍病院でした。中国戦線などで負傷した人々がそ
こで治療を受けていました。傷痍軍人は「名誉の負傷」と
いうことなので、障害者としての扱いを受けることを「不
名誉」としていました。その「名誉」の根拠として、皇后
が「行啓」してくれるというのがあったのです。この病院
には3メートル近くある、巨大な「行啓碑」が建てられま
した。

ところが戦争が終わり、あの戦争が間違っていたことが明
らかになるに至って、病院の患者たちは自分たちの負傷が
「名誉の負傷」ではなかったことに気づきます。患者たち
は重さ数トンもある巨大な「行啓碑」を縄でしばり、倒し
て穴を掘りうめてしまったそうです。「皇后にだまされた」
ことがわかったのです。

皇太后は昭和天皇の妻という立場で、彼を支えただけでは
なく、彼にはできない別の分野、たとえば傷痍軍人たちへ
の激励などを行い、侵略戦争推進の中で大きな役割を果た
したのです。そのことを明確にしないで、「弔意」のみを
あらわすのは、間違いでしょう。

今、その碑は掘り返され、病院の裏庭に移し変えられ、ひ
っそりと建っています。私は京都の戦争遺跡めぐりのガイ
ドをするとき、皇后の戦争責任の問題について、かならず
語るようにしています。

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┌───┐  本  庄   豊 / 京都
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