PART3&4

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投稿者 SP' 日時 2000 年 8 月 14 日 18:58:55:

回答先: 古代核戦争と地底都市の謎(『ムー』86年9月号) 投稿者 SP' 日時 2000 年 8 月 14 日 18:54:31:

PART3 核攻撃によって滅んだ“大いなる知識”の伝達者

固く封印されていた“大いなる知識”を、人類に伝えようとしたヒッタイト帝国は、核戦争によって滅ぼされた! そう、自らの運命を予知した彼らが築いた地底都市は核シェルターだったのだ。

 “地獄の業火”に焼きつくされたカッパドキア

 人類のために天上の鉄の秘密を盗み、主神ゼウスの残酷な罰を受けたプロメテウス−−神話はむろん史実ではない。が、それがしばしば歴史の真実を伝えているということは、今や常識でさえある。
 と、このプロメテウスの神話を、ヒッタイト人の歴史にオーバーラップさせたとき、そこに驚くべき人類史の真相が浮かびあがってくるのだ。ヒッタイト人の帝国の滅亡にまつわる物語である。
 これまで何度も書いたように、ヒッタイト帝国は紀元前1200年ごろ突然、消滅した。文字どおり、きれいさっぱり消え失せてしまったのだ。この帝国の栄えたアナトリアの広い地域では、以後、400〜500年間にわたって、人々が生活した形跡が全く見られないのである。
 都市も再建されなかったし、考古学的な遺物も発見されていない。
「これはヒッタイト帝国を征服した民族が全域を完全に破壊し、住民を皆殺しにしたということだ」
 と、考古学者でデリンクユ地底都市の管理人を務めるエメル・デミルは書いている(『カッパドキア−−歴史の揺籃』)。
 この全面的破壊はあまりにも徹底していたため、800年後にこの地を訪れた“歴史の父”ヘロドトス(紀元前484〜424年)は、ヒッタイト人について何ひとつ語ることができなかった。征服者はアナトリアの平原を完膚なきまでに破壊しつくしたのだ。
 この破壊ぶりはカッパドキアにおいてとくにきわだっていた。エメル・デミルは書いている。
「この徹底ぶりは、今日、カッパドキアで発見される建物のいずれも、500年以前にさかのぼれるものが全くない、という事実からもうかがえる」
 カッパドキアは、なんとヒッタイトの滅亡後2700年以上もの間、建物ひとつ建てられないほど荒廃してしまったのである。
 古代の戦争で、はたしてこんな徹底的な破壊が可能だろうか。しかも、このヒッタイトの征服者はだれであったかわかっていないのだ。よほど強力な民族であったはずだが、彼らはわずかにエジプトの記録に「海の民」という名で残っているだけである。
 その「海の民」が、ヒッタイトの武力にまさるどんな武器をもっていたのか、どこから来たのか、どんな目的でヒッタイトを攻めたのか、そしてヒッタイトを滅ぼしたあとどこへ行ったのか、全くわかっていない。彼らもまた、歴史の大きな謎のひとつなのだ。
 ただ、最近の発掘の結果、ヒッタイト帝国がどんな形で滅亡していったのかはわかってきた。彼らは“地獄の業火”に焼きつくされてしまったのである。

 ヒッタイト帝国滅亡の原因は核戦争だった!?

“地獄の業火”−−これは比喩ではない。アナトリアの数多い遺跡のこの時代の地層には、すべて大火災の跡が一面に残っているのだ。
 例えば、首都ハットゥシャシュからしてそうだ。発掘報告書によれば、この要塞都市は「原因不明の非常な高温」によって滅び去った。それは考古学者ビッテルが、
「この町に可燃性物質がどれほど貯蔵されていたにしても、通常の火事ではこのような高温を出すことは絶対に不可能である」
 といっているほど、凄まじいものだった。
 日干しレンガの城壁や建物が融解して、赤色の塊になっていた。石は焼結して、ひびができていた。ハットゥシャシュには、想像を絶するような高熱破壊の跡が残っているのである。
 同じような高熱破壊の跡は、この時代の他の都市でも認められる。コルジュペテ、ハラバ、カラホユク、パトノス、カーノスなどという遺跡が、厚い焦土層を残している。マシャトホユックという遺跡は、壁という壁が強烈な熱を受けたために真っ赤にただれ、カチカチになっている。出土した粘土版文書の中には、強い火を受けたため、2枚が完全にくっついているものがあった。焦土層の厚さは50センチ以上にも達している。
 紀元前1200年というその時代、アナトリア高原全域がいっせいに炎と化して燃えつきた。これがヒッタイト帝国滅亡の日の姿なのである。
 だが、この凄まじい高熱破壊は、何によって齎されたものなのか。考古学者のいうように、これらの都市がすべてたきぎの山でおおわれていたとしても、“通常の火事ではこのような高温を出すことは絶対に不可能”なのだ。
 では、通常ではない火災とは何だ。第一、3000年以上もの昔に、普通の可燃物によるもの以外の火災が考えられるだろうか。ヒッタイトを征服した「海の民」は、はるかな古代、これほどの高熱破壊を広い地域で起こす、どんなテクノロジーをもっていたのだ。
 ここまでくると、私たちはどうしても「古代核戦争」の仮説を思い起こさざるをえない。たとえ現代に舞台を移しても、古代アナトリアに見るほど徹底した高熱破壊を起こせる侵略兵器といえば、核兵器しか考えることができないからだ。このアナトリアの地は、その大破壊のあと数百年間も、人が住むこともできなかったのである。

 地下に広がる都市群は核シェルターだった!

 ヒッタイト帝国の故地アナトリア高原で、古代核戦争が戦われたのではないか−−この仮説を最初に提唱したのは、古代史研究家の高橋良典氏である。高橋氏はなかでもカッパドキアの地形に注目した。そこがまさに核戦争が戦われたとしか考えられないほど、異様な光景を呈していたからだ。
「私は1978年と81年の2回、現地を訪ねました。その圧倒的な荒漠さは、無気味さを通り越して虚無的だったのです。ここで古代核戦争が戦われた……私はそう確信せざるをえませんでした」
 深く白い谷が地表を大きく引き裂いている。その向こうには鋭くとがった三角の岩が林立するかと思えば、古代の巨石文明を思わせる壮大な岩山が散らばる。その背後には、表面を赤茶色、褐色、白、ピンクなどの縞帯で染めあげた長い断崖……これはまさに、凄まじい高熱の作用でできあがった土地なのだ。
 大爆発に岩は灼熱の溶岩流となり、飛び散り、溶け、激動し、叫び続ける。そこには生命が存在する余地はいっさいなく、荒れ狂う死がすべてを支配した。死のとてつもなく巨大なエネルギーが、このカッパドキアの地を蹂躙しつくしたのである。
「こんなカッパドキアの地底深くに、あの巨大な地底都市群がつくられているのですよ」
 高橋氏は力をこめてそういうのだ。と、私たちにとってあれほど大きな謎だった、地底都市の建設目的がわかってくるではないか。
 そう、カッパドキアの地底都市群は“核シェルター都市”だったのだ。すでに見たように、これらの地底都市が、戦争に備えた臨時の避難場所であったことはわかっている。それも、古代の通常の戦争に対応したものでないことも明らかだ。
 この地底都市群を築いたヒッタイト人が、当時、圧倒的な戦力を誇っていたことを別にしても、古代の 戦争では、このシェルター都市を攻略することは不可能だからだ。それに、豊かな国土(ヒッタイトの時代には、アナトリアは森林に恵まれた肥沃な土地だったのだ)を捨てて地下に隠れてしまっては、積極的な意味は何ひとつない。敵はその国土を労せずして手に入れてしまう。彼らに居座られてしまったら、地底都市がいかに完璧なものだったとしても、いずれは地上に出ていくしかないのだ。
 にもかかわらず、ヒッタイト人は地底150メートルもの深さにもぐり、食糧や飲料水を大量に貯えた。とすると、この地底都市群は核シェルター都市だったと考えるのが、一番合理的ではないだろうか。そう考えたとき、強力なヒッタイト人が各所に見せている、あの凄まじいおびえも初めて理解できるのだ。
 カッパドキアという地名が、現地語で“落ちたところ”という意味なのは象徴的ですらある。

 ヒッタイト神話が語る“古代大核戦争の記憶”

 だが、カッパドキアの地底都市群が核シェルター都市だったとすると、新たな疑問が生じてくる。核攻撃に対する避難所を築く以上、ヒッタイト人は核兵器についての知識をもっていたはずだが、だとすると、彼らはそれをどこから手に入れたのだろうか。そして、どうして彼らは核攻撃を恐れなければならなかったのか。
 ヒッタイト人が核兵器を知っていたということ自体、ほとんど信じがたいことだが、しかし、それを思わせる証拠があるのだ。
 粘土版文書の解読で明らかになったヒッタイト神話は、古代オリエント神話の中でもかなり特異な性格をもっているが、そのひとつに「消えた神テリピヌシュ」の物語がある。
 テリピヌシュは暴風神(これは鉄の技術を司る鍛冶の神だ!)の息子で、実りを齎す神だが、あるとき“人間どもの邪悪なふるまい”に腹を立て、姿を消してしまうのだ。そのテリピヌシュの怒りが人々に災厄を齎す。
「そのとき、小さな黒い雲のようなものが地平線に巻きあがり、雷鳴が起こり、稲妻が光り、怒り狂った叫びが大気をつんざいて響きわたった。刻一刻、雷鳴は激しく、稲妻はまばゆく、ついには天地が凄まじい戦いの中に閉ざされたかと思われた」
 と、その結果、この世のすべてが釣り合いを失ってしまう。
「霧のような灰が窓々をおおい、煙が家々を包んだ。炉では薪が消え、祭壇では神々が、羊舎では羊たちが、牛舎では牛たちが、それぞれ息を止められてしまった」
 外界の様子はさらにひどい。
「戸外では、川や湖が凍りつき、雲はとける気配もない。木々はすっかり裸になり、ひとひらの草も野には見えない。寒さはあまりにもひどく、二度と春や秋が訪れることはないかと思われた」
 こうした影響はさらに続く。
「大麦と小麦はもう成長しない。牛、羊、人間はもう交わらない。そしてはらんだものはもう生めない。木は枯れ、新芽は出さなかった。牧場も枯れ、井戸も涸れた。国中に飢饉が起こり、人も神も死んだ」
 これを核爆発とその二次的影響と考えても少しもおかしくはない。核戦争に続いて核の冬が始まり、死の灰が大地を包み、放射能の影響で羊や牛、神々までが死に、生き残ったものも不妊になってしまった。植物もまた成長力を失い、飢餓が人々を襲ったのである。
 現在、私たちは第3次世界大戦の想定シナリオをいくつも読むことができる。“核の冬”の研究で、これまでの常識を書き改めたそれらのシナリオが描くところは、まさにこの「消えた神テリピヌシュ」の物語そっくりなのだ。
 ヒッタイト人は“古代大核戦争の記憶”を、その神話にとどめている。彼らは核兵器の威力を、十二分に知っていたのだ。

 “大いなる知識”の封印を破ったヒッタイト人

 はるかな古代、この地球上で大規模な核戦争が起きた−−この仮説についてはすでに発売中のムー・ブックス『人類は核戦争で一度滅んだ』で検討した。詳しいことはこれを参照していただきたいが、ヒッタイト人の記憶に残っている核戦争は、この古代超文明をすべて滅ぼしつくした古代大核戦争にちがいない。
 とすると、ヒッタイト人はこの古代大核戦争を生き伸びた人々なのだ。彼らは古代超文明の生き残りだったのである。
 もしそうであれば、数多くの謎が一度にほぐれてくる。どこからともなく現れた彼らが、アナトリアの地に、突然、高度な鉄のテクノロジーをもった帝国を築けたのは、彼らがもっていた古代超文明の“大いなる知識”を利用したからにちがいない。彼らの築いた帝国が、法やシステムで時代をはるかに超えた民主的なものだったということも、それを裏づけている。
 が、彼らはなぜ、あれだけの帝国を築きながら、カッパドキアに地底都市群を建設しなければならなかったのだろうか。なぜ核による攻撃におびえながら暮らさなければならなかったのか。
 それは彼らが“プロメテウス”だったからだ。彼らが人類に禁じられていた鉄のテクノロジーを盗みだして、人々に広めようとしたからにちがいない。
 古代大核戦争によって古代超文明が滅亡したとき、その知識を伝える生き残りの人々は、深刻な反省を迫られたはずである。人類を進歩させようとして開発してきた超古代文明の数々のテクノロジーが、結局、彼らの文明そのものを滅ぼしてしまったからだ。
 二度とこの悲劇を繰り返すな!
 彼らはそう考えたが、しかし、一度野に放たれたテクノロジーは、いつか必ず暴走する宿命をもっている。古代超文明を築いた人々の叡智によってさえも、それを防ぎ止めることはできなかったのである。
 ならば、テクノロジーを封印しよう。彼らはそう考えた。人類の文明を何千年か後退させても、2度目の滅亡を招くよりましだ。今度は人類だけでなく、地球そのものが滅びてしまうかもしれない。
 まさに正論である。
 が、それに反対するグループもいた。それがヒッタイト人と呼ばれるようになる人々だ。この宇宙に生命を受けた以上、人類は自らを進歩させる使命を帯びている。宇宙進化の長い流れの中で、やがては、他の惑星や恒星系にまで進出していく義務さえもっている。そのためには、どうしてもテクノロジーの進歩が欠かせない。少なくともそういう存在として、人類は“創られた”のだから!
 それが彼らの考え方だったのだ。
 彼らのこの考え方が、少しも奇異なものでないことは、現代にもこうした思想が数多く存在することからもわかるだろう。
 そして、彼らはアナトリアの地に現れて、ヒッタイト人となった。“大いなる知識”の中のテクノロジーを、古代大核戦争を生き伸びたがほとんど原始的な暮らしに戻っていた人々に、少しずつだが、伝えていこうとしたのだ。
 しかし、そんな彼らの行為は、“大いなる知識”を守る人たちの中では、明らかに反逆だった。だからこそ、その出自や言語までを隠し、堅固な城塞都市を築き、いざというときに備えて、カッパドキアに地底都市を築いたのだ。
 では、このヒッタイト人をあれほど徹底的にこらしめようとしたのはどんな人々だろうか。
 古来、世界各地の伝説や神話は、人類の行いを見守っている“叡智あ る人々”のグループの存在を伝えている。例えば、シャンバラ伝説もそのひとつだ。精神性を重視している彼らだが、やはり一度開発したテクノロジーを、完全に捨て去ることはなかった。ヒッタイト人の反逆行為に、そのテクノロジーの封印を破り、核によって彼らを滅ぼそうとしたのである。
 これについて、高橋良典氏は注目すべき指摘をしている。
「カッパドキアの地形を見ると、大きな凹形をしていて、地底都市群の入り口の多くは、その周辺の高地にあります。ということから考えると、ヒッタイトの本当の意味での本拠地は、この溶け去ってしまったカッパドキアの中央部にあったのではないでしょうか」
 とすれば、例えばヒッタイト人の科学の中心地、テクノロジー・センターが、そこにあったとも考えられる。“叡智ある人々”は、そこを最大の攻撃目標としたのだ。だからこそ、エメル・デミルが指摘するように、“500年前にさかのぼる建物は全くない”ほど、この地は荒れはててしまったのである。


PART4 滅亡したヒッタイト人が発する現代世界への警告

ヒッタイト民族が残した数々の科学は、世界の文明を現在の高みまで押しあげてきた。が、テクノロジーをもてあそぶわれわれは、今、滅亡したヒッタイト帝国と同じ道を歩み始めているのだ!

 核戦争を逃れた人々は科学を広めていった!

 ヒッタイト人は、プロメテウスであった−−アナトリア高原で戦われた核戦争についてはまだ仮説にすぎないが、ヒッタイト人が人類のテクノロジーの恩人であるということは、動かしがたい歴史的な事実である。
 というのは、人類の鉄器時代、すなわち鉄器が文明を支配する時代が到来するのは、ヒッタイト帝国が滅亡した紀元前1200年ごろからだからだ。歴史は、鉄のテクノロジーを握っていたヒッタイト帝国が滅んだため、その製鉄技術が諸国に伝播して、鉄器文化の花が開いたとしているのである。
 しかし、これも奇妙な考え方だ。前章でも見たように、ヒッタイト帝国は“徹底的に破壊され、その住民は殺戮しつくされた”のだ。鉄を生産するということは、現代でも非常に多くの人手を必要とする作業である。歴史家が指摘するような大虐殺が行われたとしたら、その製鉄関係の技術者たちも、ほとんどが殺されてしまったはずだ。
 ごく少数が殺戮から逃れたとしても、ヒッタイト帝国周辺の多くの国々に、ほんの短い間に鉄のテクノロジーをいきわたらせることは、まず不可能だろう。
 ただ、エメル・デミルはこれについて興味深い指摘をしている。
「各遺跡に残る大火災の痕跡から、“海の民”の侵略がアナトリア全土に及んだことは明らかだ。しかし、デリンクユは例外だ。ここでは火災を示す層は発見されていない。もちろん、この件について徹底的な調査は行われてはいないが、大虐殺のさなかにヒッタイト人がデリンクユ地底都市を避難所に使用したと考えてもよかろう」
 地図を見ると、デリンクユはカッパドキア地底都市群の一番南のはずれにある。とすると、この地底都市が大破壊の影響をさほど受けなかった、と考えることもできる。その地底に隠れた人々が無傷で生き伸びることも可能だったろう。現にこの都市の埋もれた深部からは、ごくわずかだが、ヒッタイトの人工遺物が発掘されているのだ。
 しかも、この地底都市の収容力は10万人を超える。もはやカッパドキアの地上に戻ることができなくなった彼らは、その鉄のテクノロジーをたずさえ、いくつかのグループに分かれて各地へ散っていったのだ。
 そして、その技術を行く先々で人々に伝えていった。それが彼らの本来の目的だったからだ。が、もはや彼らはヒッタイト人を名乗らなかった。新たな罰が恐ろしかったし、ヒッタイトだという必要もなかった。彼らはまるで神のように、鉄のテクノロジーそのものを教えていったのである。
 実際、たいていの古い民族は鉄の起源を神に帰している。ギリシア人はもちろん、エジプト人、ローマ人、イスラエル人、ゲルマン人などが、それぞれ彼らに鉄のテクノロジーを齎してくれた神をもっているのだ。
 アナトリアから去ったヒッタイト人が各地に伝えたのは、鉄の技術だけではなかった。科学のすべての分野に及んでいた。そのいい例が、アナトリアの西岸のギリシア植民地に花開いたイオニア文明だ。
 測量学や土木建築学など、イオニア学派の実際的なテクノロジーは、まさに西欧科学の発達の第一歩を印すものだった。古代の驚異とされる“世界の七不思議”の6つまでが、このイオニア地方にあることでも、そのレベルがわかるだろう。
 地理的に見て、生き伸びたヒッタイト人が、数多くこの地にやってきたことは間違いない。そして、イオニアの科学こそが、現代文明を築きあげたテクノロジーの源になったのである。
 まさにヒッタイト人はプロメテウスであったのだ。

 鉄の時代に生きる人間に残された苛酷な運命

 だが“叡智ある人々”がヒッタイト帝国に与えた手ひどい罰も、周辺の国々に強烈な印象を与えた。それは人々に、テクノロジーの両面性、技術がはらむ危険性についてのきびしい教訓を与えたのだ。
 例えば、鉄はこれほど便利な金属なのに、多くの民族の間でタブーとされた。ギリシアの神殿には鉄の道具をもち込んではならなかったし、ローマの僧は鉄のかみそりを使ってはならなかった。エルサレムの神殿でも鉄の道具を用いることは禁じられたし、ヒンドゥー教徒は家屋の建築に鉄を使えば疫病が起こると信じていた。
 ホメロスと並び称せられるギリシアの詩人・ヘシオドスは、自分が“鉄の時代”に生まれたことを嘆き悲しんでさえいるのだ。
 彼は天地創造以来の歴史を5つの時代に分けた。初めは黄金時代、ついで銀の時代、青銅時代、英雄時代と続き、最後の第5の時代が鉄の時代であり、現在はこの中に入るというのだ。
 彼の生きた紀元前8世紀末という時代は、まさに人類の運命を鉄器が強く支配し始めたときだった。ヘシオドスは力をこめて叫んでいる。
「人間の第5の種族に生まれたことの悲しさよ。もっと早く死んでいるか、もっと遅く生まれればよかったのに!
 この種族は鉄のそれである!
 昼となく、夜となく、この卑しめられたるものは労苦と骨折りに休むことがない。神が彼らに最も苦しき心痛を課したからだ。
 だが、ひとつだけ善いことがこれらの大禍と結びついている。ゼウスは、彼のこめかみのまわりの巻き毛が灰色になるとき、いろいろの言葉を話す人間のこの種族をも、ついには絶滅させるからだ」
“鉄の時代”に生まれた人間の種族に神が課した心痛−−昼となく夜となく労苦に追いまくられているその姿は、まるで現代人そのものではないか。自らが生み出したテクノロジーに、今や人類は日夜、奔走させられているのだ。
 詩人の直観は、2000年も前に鋭く真実を見抜いている。が、それにしても、鉄の時代に生きる人間に残された“ただひとつの善いこと”が、その絶滅であるとは、なんときびしく、悲しい予感ではないか。

 ヨハネが“見た”核戦争は将来も必 ず起こる!?

 その予感を、予言にまで高めた人物が、やはりイオニアから出ている。新約聖書の中で最も重要だとされている『ヨハネの黙示録』を書いた、キリストの12使徒のひとり、ヨハネだ。
 古くから「預言の中の預言」「あらゆる預言の原典」と呼ばれてきたこの一巻の書物を、彼はイオニアのエフェソスの町で書いた。多くの証拠から、彼はこの都市の出身だと考えられているが、ここはヒッタイト帝国の故地アナトリアに近い。その帝国時代から、ヒッタイト人が交易のために数多くやってきていた場所だ。
 この『ヨハネの黙示録』は、人類の終末の大破局を無気味なまでにリアルに描きつつ、預言しているのだが、ヒッタイト人の運命をつぶさに見てきた私たちは、この預言書はすなわち、ヒッタイト帝国の滅亡を描写したものだ、と考えざるをえないのだ。
 例えば『黙示録』はこう書く。
「血の混じった雹と火が地上に投げられた。地の3分の1は焼け、木の3分の1は焼け、緑の草はすべて焼けた」
「天から大きな星が落ち、たいまつのように燃え、川の3分の1と水の源の上に落ちた。この星の名は苦よもぎといい、水の3分の1は苦よもぎに変わり、水が苦くなったので多くの人が死んだ」
「太陽は熱で人間を焼くことを許された。こうして人間は非常な熱に焼かれた」
 さらに『黙示録』は、天から注がれた杯のために“苦しい悪性の腫物ができたり”、“海の生き物がみな死んでしまったり”する様子を次々と描いている。
 すでに多くの聖書研究者が指摘しているところだが、これらが核戦争を描写したものであることはいうまでもない。
「深い淵の穴が開かれると、そこから大きな炉の煙のようなものが立ちのぼり、太陽と空は穴の煙のために暗くなった。この煙からいなごが出て地上に広がった。それらには地上のさそりのような力が与えられた」
 これはまさしく、地下サイロから発射されたミサイルを描いているのだし、それに刺された人間は、“死を望んでも与えられず”“さそりに刺されたように5か月間苦しめられた”。いなごは、死の灰などによる放射能障害の苦しみを語っているのだ。
 ヨハネその人は、この黙示録の凄惨なシーンを“私は見た(幻視した)”と語っているのだが、それにしてはあまりにも生々しすぎる。その地理的な関係からいっても、時代から見ても、ヒッタイト帝国を壊滅させたアナトリアでの核戦争の記憶が、何らかの形でその情報源になったことは間違いないだろう。
 が、ここで最も重要なことは、ヨハネはそれを過去の記録としてでなく“将来、必ず起こること”として語っているという点だ。彼が“見た(幻視した)”その古代の核戦争が、いずれ必ず再現されて、人類を滅亡させるだろう、と彼は預言しているのである。
 ヒッタイト帝国はそのテクノロジーのために滅亡した。“叡智ある人々”が、かつて古代超文明を滅亡させた古代大核戦争の再現を恐れて、彼らをその鉄のテクノロジーもろとも消滅させようとしたからだ。
 にもかかわらず、人類の鉄文明時代の曙に生き、鋭く未来を予見したヨハネは、以前にも増した大核戦争が起こるだろう、と預言しているのだ。

 人類は自らのテクノロジーに滅ぼされるのか

 一体、私たち人類は本当に核による滅亡、自らが開発してきた様々なテクノロジーの暴走による滅亡を、避けられないものなのだろうか。
 残念ながら、事態はその方向へ向かって大きく動いているようだ。ヒッタイト人=プロメテウスが、人類の幸福を増進させようと伝えてくれた様々な技術は、しかし、彼らの期待に反してその二面性を強めてくる一方だからだ。
 例えば、ヒッタイト人はその技術を、建築や農耕などに役立たせたかったにちがいない。が、彼らによる鉄のテクノロジーの伝播は、まず、世界帝国の建設に利用されてしまった。ヒッタイト帝国の滅亡後、それ以前には想像もできなかった本来の意味での大帝国が相次いで建設されている。
 アッシリア帝国が、古代ペルシア帝国が、そしてアレキサンダー大王の帝国が、次々と広大な領域に覇を競ったのだ。こうした大帝国の建設には、大量殺戮がつきものである。ヒッタイト人が齎した鋭利な鉄は、そのために使われてしまったのだ。
 以後、人類の歴史は次々と発展してきた。が、そこには必ず戦争がつきまとっている。火薬、戦車、鋼鉄製の軍艦、航空機、そして核兵器……新しく生みだされたテクノロジーは、即座に人類そのものの殺戮に利用された。
 それがこれまでの人類の“歴史の発展”というものだったのだ。
 とすると、現在の私たちの周囲には、核以外にもそんな危険性をはらんだ技術が数多く存在する。いわゆるハイ・テクノロジーのすべてが、ほとんど瞬時のうちに兵器に転用できるのだ。遺伝子を扱うバイオ・テクノロジーしかり、人類を宇宙へと進出させてくれるはずのスペースシャトルしかり、である。
 さらには、そのテクノロジーを、人類の幸福のために役立てようとした場合でも、例えばチェルノブイリ原子力発電所のような事故が発生することがあるのだ。スリーマイル島、チェルノブイリと続く第3の原発事故は、例えば日本本土の何分の1かを、居住不可能にしてしまうほどの危険性をはらんでいるのである。
 もちろん、そうしたテクノロジーのすべてを廃棄せよ、といっているわけではない。そんなことは現実的に不可能だし、やはり、大きな流れの中では、人類はフロンティアのどこまでも進出していく宿命を課せられているはずだ。
 ただ、現在の私たちは、あまりにもおごり高ぶりすぎてはいないだろうか。あまりにもテクノロジーを信頼し、頼りきっているのではなかろうか。
 もっと謙虚になり、地球という貴重な生態系と十分なじんで生きていく必要があるのではないか。ヒッタイト人の運命が、カッパドキアの地底都市群が、私たちにそう警告してくる声があなたには聞こえないだろうか!



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