インド・ラーマ超文明と古代核戦争(『ムー』94年9月号)

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投稿者 SP' 日時 2000 年 8 月 24 日 12:44:13:

文=南山 宏


PART=1
インドの古代伝承に残されたムー大陸と太古ラーマ文明の痕跡

カラーページで紹介した奇怪な建築物群は、いったい何を物語っているのだろうか?
その謎を解く鍵は、古代インドの伝承に隠されていた!

 存在したハイ・テクノロジー

 インドの首都ニューデリーの南郊、同国最古のイスラム寺院クトゥブ・モスクの中庭に、性格の全く異なる2本の塔が建っている。一本はこの地のヒンドゥー教領主を倒して王朝を開いた12世紀のイスラム王の戦勝記念塔で、赤砂岩・大理石製のそれは、インド国内で最も背の高い石造建築物として有名だ。
 もう一本は、通称“アショカ・ピラー”と呼ばれる神秘的な鉄柱だ。
直径約44センチ、高さ6・8メートル(地中部分がさらに2メートル)、推定重量約6トン。この柱を背に、両手を後ろに回してつかめれば願いごとがかなうというので、人々が入れ替わり立ち替わり挑戦し、単なる観光記念物以上の人気を集めている。
 この鉄柱が不思議なのは、1500年以上も昔に鋳造されて以来、長い年月風雨にさらされながら少しも錆つかず腐食しない点にある。ステンレス鋼のような合金でもなく、しかもこんな不純物の多い鋳鉄製品は、放置すれば100年とたたぬうちにボロボロに腐ってしまうはずで、これは現代の鉄製・鋳造技術をもってしても不可能な離れ業なのだ。
 実際に現物の鉄柱を調べてみて、私はつくづくその“1500年の奇跡”を実感した。上部の装飾部分にも、ホコリ以外にはサビひとつ付いていなかったからである。
 これは古代インドに未知の高度冶金技術が存在したことを暗示する、いわゆるオーパーツの代表例のひとつだが、事実、近年のサンスクリット古文献研究の成果として、太古のインドには、確かに水準の高い化学・金属学の長い伝統があったことがわかってきた。
『古代ヒンドゥー化学史』の著者P・C・ロイ博士は、少なくとも西暦前16世紀から3世紀ころまで、各種の貴金属や卑金属、アルコールやオイル、酸やアルカリ、合金や化合物などに関する実際的知識と応用技術があったことを立証している。
 だが、そんな高度な化学・金属学の知識と技術の起源をいったいどこに求めたらいいのだろうか?
 おそらくその答えもまた、近年進展が著しい古代インドの文献学的探求の成果の中に見つかりそうなのだ。
 これには、1947年にイギリスの支配のくびきから脱して独立したあと、とりわけ1960年代に入ってから、インド人の学者たちがインド史研究に優れた業績をあげはじめた、という一般的背景がある。
 インドの歴史といえば、従来の定説では、およそ以下のようなものだ−−世界4大最古文明のひとつ、インダス文明が前2500年ころに出現したが、800年ほどたって、この文明が謎の消滅をとげた。そのあと、遊牧民族のアーリア人が侵入してきて、先住民ドラヴィダ人と同化し、農耕生活を始めた。
 前6世紀ころから小国家群が現れ、やがてヒンドゥー教王朝が統一と乱立を一千数百年間繰り返したが、12世紀ころ外来のイスラム王朝に征服され、以後、その統治が長く続いた。
 18世紀以降はイギリスの植民地支配に甘んじたが、第2次世界大戦後、ようやく独立国家となって現在に至っている−−私たちのインド史に対する一般的な認識は、せいぜいそんなところだろう。
 だが、ひょっとしたら私たちは、まだ、インドの真の歴史の後半部分しか−−というより、その実体が消え去ったあとの残影、というか残響しか知らされていないのかもしれないのだ。

 1万年前の歴史を語る古代伝承!

 インドには古来、有史前のいつとも知れぬ昔から伝承されてきた、膨大な数と量のヒンドゥー教聖典や古伝書の類いが存在している。
 ヒンドゥー教は起源もわからず開祖もいない、いわば社会習慣化した信仰儀礼の一大体系で、“ヒンドゥー”がもともと“インド”の転訛であることからもわかるように、宗教というよりは、むしろインド亜大陸全体に太古から存在し続ける“文化”そのものといえるような不思議な民族宗教だ。
 宗教としては多神教で、太古の祭官階級が興したバラモン教が土着の民間信仰を吸収した形で成立し、前5世紀ころにそこから仏教とジャイナ教が誕生している。
 その聖典や古伝書の大半は、有史前のはるか太古から口伝口承で語りつがれてきた神話伝説、信仰習俗、思想哲学などが、紀元前後にサンスクリット語(英語と並ぶインドの公用語ヒンディー語の古代言語)で記録されたものだ。
『リグ・ベーダ』などのバラモン教の4大『ベーダ天啓聖典』を最古とし、ほかに国民2大叙事詩『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』、『プラーナ』などの教義事典、『マヌ法典』などの各種法典、『タントラ』『アーガマ』などの宗教別聖典、『スーリヤ・シッダンタ』などの化学文献、さらにベーダを部分別編集した『ブラーフマナ(祭儀書)』『ウパニシャッド(奥義書)』などまで、形式も内容も多種多様である。
 これまで西洋の学者たちは、これらの古文献の随所に出てくる神話伝説的記述を、古代人の旺盛な詩的・神秘的空想力の産物にすぎないと片づけてきた。
 だが、インド人サンスクリット学者の多くは、既成概念に捉われぬ柔軟な視点から古文献を調べ直して、隠された古代インド史の真実を探り出す分析作業に取り組みはじめたのだ。
 その結果としてまず、文献の成立年代が大幅に引き上げられる傾向が出てきた。
 例えば、『ベーダ聖典』の成立は、最古の部分でも前1200年ころというのが従来の定説だが、それに対し、前2000年から6000年ころという説が新たに提起されている。
 ただしこの点では、イギリス人学者H・ジャコビーが以前から、『ベーダ聖典』の成立を前4500年と大胆に推測しているが。
 当然、記述内容の年代は、それ以前ということになり、J・C・ライ・ヴィジャーニディという現代のサンスクリット学者に至っては、ベーダ伝承の起源をなんと前1万年としているのだ。
 西暦前1万年!
 この数字が大変な意味をはらんでいることは、誰にもすぐおわかりのはずだ。ムーやアトランティスが滅亡したという伝説の年代に非常に近いのだから。
 しかも、彼ら古代インド学者の多くは、文献中の神々や英雄、戦争や災厄、科学や技術の記述がどんなに奇想天外でも、少なくともどこかに真実の核心を含んでいると解釈する。
 そして驚いたことに、一部の学者の間では、太古の時代にすでに航空機やミサイルや戦車、電話や人工照明や自動機械を有し、天文、物理、地理、化学などが発達した高度の科学技術文明が存在していた、というビックリするような仮説さえ、肯定的に論議されているのだ。
 彼らの考えでは、その太古の技術文明は、大洪水から核戦争までを含む、何らかの大災厄によって地上から消滅し、そのトラウマ的種族記憶が、これらの聖典や古伝書の中に残されたのだという。
 だからといって、彼らは必ずしも学会からはみ出した異端の学者とい うわけではない。
 現にこの仮説の最も先鋭的な主張者で、今回、私が取材インタビューの貴重な機会を得ることができたディリープ・クマール・カンジラル博士は、サンスクリット学にかけてはインド第一の名門、カルカッタ・サンスクリット大学の現学長という要職にある重要人物なのだから。
 後述するように、このサンスクリット学の最高権威者は、それだけにとどまらず、地球外文明人や宇宙ステーション、宇宙空間戦争の可能性さえ認めて、“宇宙考古学”にまで踏み込んでいるのだ。

 神話の人物が実在していた!

 カンジラル博士たちが、そんな高度太古文明の存在を裏づける古伝書の筆頭に挙げるのは、『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』の両長編叙事詩である。手っとり早くいえば、『スターウォーズ』と『指輪物語』を足して2で割ったような話で、どちらも現存の形に整ったのは西暦数世紀ころといわれるが、博士は、もっと早く前5世紀ころ、あるいはさらにそれ以前の成立とする。
『ラーマーヤナ(ラーマ正行法)』は、前5世紀の伝説的詩人ヴァールミキの作とされるが、実際にははるか以前から語り伝えられた伝説を編集したものらしい。太古の英雄ラーマ王の冒険武勇譚を主題とし、全7編2万4000行の詩句から構成されている。物語をごく簡単に要約すれば−−。
 人類の始祖マヌが建てたアヨージャを首都とするコーサラ王国の王子ラーマは、王位継承権を異母弟バーラタに譲って、森で隠遁生活を送る。ところが、美しいその妻シータに目をつけた魔王ラーヴァナが、彼女を誘拐して、飛行車ヴィマーナで本拠地ランカ島へ連れ帰り、妃になれと迫るが、貞節なシータは夫への操を守る。
 ラーマは忠実な弟ラクシュマナと妻を捜す苦難の旅に出るが、途中で猿族の王ハヌマーンの助けを得て、ついに魔王の本拠を突きとめ、ヴィマーナと強力無比の兵器を駆使した壮絶な殺戮戦のすえ、ラーヴァナを倒してシータを救い出す。ラーマは妻をヴィマーナに乗せて、意気揚々とアヨージャへ飛び帰り、めでたく王座に就く。
『マハーバーラタ(バーラタ族人戦争史詩)』のほうは、前6世紀ころ、やはり伝説的な聖仙ヴィヤーサが3年がかりでまとめたとされ、全18編10万行と付録『ハリ・バンジャ(ヴィシュヌ神の化身ハリの系譜)』1編1万6000行とからなっている。
 物語の部分は、同じバーラタ王族に属しながら、クル族とパーンドゥ族の2支族が些細な不和対立をきっかけに、やはりヴィマーナと現代兵器を思わせる数々の超絶的な兵器を持ち出して、18日間の酸鼻をきわめた大戦争を繰り広げた結果、ようやくパーンドゥ族の勝利に帰するまでの顛末が骨子となっている。
 ただし実際には、この本題は全編の5分の1を占めるにすぎず、あとは種々様々な神話伝説、宗教哲学、実践道徳、ロマンス物語などのエピソードが、巧みに織り込まれた構成になっている。
 この両叙事詩に登場する“ラーマ王子の戦争”や“バーラタ族の大戦争”は、いつごろ起こったのか? “首都アヨージャ”や“ランカ島”はどこにあったのか? もちろん、物語の中では年代も場所も特定されていないので、サンスクリット学者は古文献の比較分析に基づいて様々な推測を立てている。
 一例として、1988年にデリーで開かれた古代インド学者の会議で、クンヴァルラル・ジャイン・ヴァイアス博士は、ラーマ王子の年代を前5000年ころとする研究結果を発表した。
「モティラル・バナルシダス時事通信インド学会公報」1989年1月号によれば、この研究では、例えば人祖マヌは3万1000年前(前2万9000年)、インドラ、ヴィシュヌ神(に相当する史的人物)などは1万3000年前、ラーマ王子の一族は、今から7000年前に実在したとしている。(後略)


PART=2
驚異のテクノロジーに支えられて太古の空を舞った飛行車ヴィマーナ

空を飛ぶ技術は、現代社会だけのものではなかった!
太古ラーマ超文明の痕跡を伝える神々の書に記された驚異のテクノロジーがそれを証明する!

 最古の聖典にも登場する飛行車

“太古ラーマ文明”が高度の科学技術文明だったとすれば、“ヴィマーナ”(飛行車、空中船、空飛ぶ装置)はまさにそのシンボル的存在といえる。
 だが、それはどんなものだったのだろうか。
 前出のカルカッタ・サンスクリット大学学長D・K・カンジラル博士は『古代インドの飛行機械』(1985年)その他の著作物と論文で、専門家の立場から古代サンスクリット文献に現れたヴィマーナの綿密詳細な比較分析を行っている。
 それによると“飛行車”の描写は、最古の聖典『リグ・ベーダ』に早くも登場する。ただし、ここではヴィマーナではなく“ラタ(山車)”という言葉だが、車は車でもその具体的説明を見れば、“空飛ぶ装置”であることは明らかだ。
 ラタは快適な設備が整っているので非常に乗り心地がよく、金属製で黄金色に美しく輝き、基本形態は三角形(デルタウイング?)で3層ないし3重構造をなしており、操縦者は少なくとも3人必要だが、乗客は7、8人まで収容できる。インド神話界のインドラ、クリシュナ、ヴァルーナなどの諸神が、“御者”つまりパイロットとして超一級だとされている。
 車輪は3輪あるが、「飛行中は見えない」という記述からみて、格納式らしい。推進剤はタンクに入った3種の液体燃料だが、もうひとつ別種の“ソマラサ”なる特殊液体が必要で、インドラが部下に「他言はするな」と口止めしたうえで、“蜜液の科学(調合技術?)”の秘密を教える件も出てくる。
 離着陸時にはあたりを揺るがすような轟音を発し、「精神より早い」または「風より早い」スピード(超音速?)で飛行でき、「3つの世界を一瞬にして渡れる(天界、空中、地上? それとも陸海空?)」ほど自由自在にどこへでも行ける。
 たしかに空陸ならぬ空水両用で、「例えば荒海に着水して溺れる王女を救助したり、拷問室の捕虜や敵軍に包囲された味方の将兵を救出したり」と、カンジラル博士は30通り以上の作戦行動の具体例を指摘している。
 ヴィマーナが“飛行車”として初めて登場するのは、第4のベーダ聖典『ヤジュル・ベーダ』である。
 それ以前に出てきたヴィマーナは、「空中の火」「日の長さの測定者」「天を創る者」など、いずれも空の広がりや大きさに関連する意味で使われていたという。

 時速300キロを超える巡航速度

『ラーマーヤナ』になると、ラタとヴィマーナの両方が、“飛行車”の意味で使われるようになる。
 魔女たちがヴィマーナにラーマの妻シータを乗せてアショカの森から連れ出す件や、魔王ラーヴァナのヴィマーナが哀れなシータを乗せて、“精神のスピード”で自動飛行しながら居城のランカ島に帰り着く場面、そして最後にラーマ王子が無事にシータを助け出して、ランカ島を朝飛び立ち、途中2度着陸してからアヨージャの都に帰還する大団円まで、ラタないしヴィマーナは頻繁に登場したり言及されたりしている。
“ランカ島”は一般に現在のスリランカと信 じられているが、カンジラル博士もこの前提のうえで、“ラーマの帰還”の話が出てくる他の資料も参考に、帰還のコースをインド地図上で推測してみた。
 その結果、彼はそれが、現代のスリランカと中央インド間を結ぶ旅客機の航空路によく似通っているのを発見したのだ(パート5の65ページの図を参照)。
 この長編叙事詩では、ヴィマーナがしばしば“ブシュパカ”という特別な名称でも呼ばれるが、このブシュパカはどうやらトップクラスのVIP専用のロールスロイス級ヴィマーナだったらしい。
 形は「先細りの小山」、つまり巨大な円錐形で、船体には黄金の装飾が施され、小窓には美しい真珠がちりばめられ、外観は銀色に光り輝いて見えた。
 外側には幟が立てられ、白鳥と蓮華の紋章が横腹に描かれていた。内部は多層構造で秘密の部屋に満ち、下階はとくに水晶で飾りたてられ、どこもかしこも高価な絨毯が敷きつめられ、贅を尽くした調度品が置かれ、椅子は宝石貴石製だった。
 船内は12人は乗れるほど広く、ランカ島から仮に、首都のアヨージャまでの距離2900キロを9時間で飛んだとして、ゆうに時速300キロ以上の巡航速度を持っていたという。
『マハーバーラタ』では、カンジラル博士によれば、ヴィマーナに関する言及が41か所もある。33神(人)も乗れる武勇神インドラのジャンボ機や、“ヴィマーナパーラ”という飛行場の話まで出てくる。
 なかでも圧巻は、クリシュナ神の都ドヴァーラカに対するアスラ(魔神)族の“空中攻撃”の件だろう。
 魔王シャールバは“サウバブラ”なる戦闘仕様の単座式ヴィマーナに乗ってドヴァーラカを空襲し、石や雹や槍を空中から雨あられと降らせる。
 クリシュナが反撃に出ると、いったん海に逃れ、荒海に不時着水するが、やがて再び舞い戻ってきて、高度1クロシャ(約1200メートル)の空中から、クリシュナに熾烈な戦いを挑む。
 ついにクリシュナが強力な地対空兵器(ミサイル?)を放つと、それは見事に命中し、サウバブラはばらばらになって海中に落下してしまう……。
『マハーバーラタ』には、このほかにもいろいろな武器や機械、果ては空中要塞か宇宙ステーションらしきものまで登場するが、それについての詳しい説明は後章に譲ろう。

 存在したヴィマーナの科学理論書

 しかし、ヴィマーナの実在性を、ひいては“太古ラーマ文明”そのものが存在したことを裏づける最も有力な古伝書は、『ヴァイマーニカ・シャストラ(飛行車経典)』をおいてほかにはない。
 西暦前10世紀以前の伝説的賢者マハリシ(大聖仙)・バラドヴァージャの著と伝えられるこの驚くべき書は、ほかの文学的なサンスクリット文献と違って、神々や英雄の戦いや愛憎の物語はいっさい記されていない。
 古式にのっとって冒頭で聖なる存在に忠順の祈りを唱えるだけで、あとの本文は、ヴィマーナに関する知識の客観的な叙述でうずまり、ほとんど科学解説書か実用書の趣がある。
 厳密にいうと、現存する『ヴァイマーニカ・シャストラ(以下ヴァイ・シャス)』は、バラドヴァージャが書いたとされる幻の大原典『ヤントラ・サルヴァスバ(機械装置百科)』からヴィマーナに関する部分だけが抜き出され、後世のボダーナンダ・ヤティ聖師(少なくとも後8世紀以前)という学者が、詳細な注解を加えたものの写本だ。
 しかも、その注解によると、本来は全部で8章、100主題500項目あるはずだが、現存する分はそのほぼ10分の1たらずで、あとは失われてしまっている。
 この注解写本は1918年にブローダ王室サンスクリット図書館で発見され、ヴィマーナの技術書というので、サンスクリット学界の注目を引いた。以後の研究で、同種の技術書の伝承は少なくとも12世紀までは遡れることがわかった。『ヴァイ・シャス』自体には、ヴィマーナを扱った古代の著作が97点も言及され、そのうち少なくとも20点がヴィマーナのメカニズムの専門書だと記されているが、いずれも現存するものはない。
 当然、信憑性の問題が出てくるが、カンジラル博士はサンスクリット語の専門家として原文を徹底的に考証した結果、使用語句、文体、韻律構造、文節構造などの特徴が、明らかに古文特有のものだと結論している。
 この『ヴァイ・シャス』が一般人にも初めて読めるようになったのは、1968年にヒンディー語(口語)版が、そして1973年に英訳版が出版されてからである。
 英訳版はインドのマイソールにある「国際サンスクリット研究アカデミー」のG・R・ジョシヤー会長の苦心の翻訳によるもので、『ヴァイマーニカ・シャストラすなわち飛行術の科学』と銘打たれている。
 現在、資料として私の手元にあるその英語版は、総149ページ、図版15点、普通より薄いぐらいの本だが、実際のところ読むには非常な努力と忍耐力がいる。翻訳不可能だったサンスクリット語がそのまま英文中にめったやたらと頻出するため、言語明瞭、意味不明な箇所があまりにも多くて、頭が痛くなってくるのだ。
 しかし、何とか私のつたない能力で、可能な限り具体的に、この太古の奇書『ヴァイ・シャス』の概要をお伝えすることにしよう。

 最新の設備と武器を備えた機体

 まず、開巻まもなくヴィマーナの定義が出てくる。
「飛行術の専門家によれば、空中を国から国へ、島から島へ、世界から世界へ飛行して移動できる機械を、ヴィマーナという」
 次に、パイロットが精通していなければならない、ヴィマーナの機能に関する32の“秘密”が明らかにされる。
 これらの“秘密”は、機体の構造、離着陸と飛行の性能、操縦の方法の3種類に大別される。
 もっと具体的には、どの装置をどう使い、どの開閉器を回せば、写真撮影、レーダー探知、高熱放射、有毒ガス、気象センサー、ジグザグ飛行、翼の展開と収縮、敵機内盗聴、敵機内透視、幻影投射、煙幕、カムフラージュ、太陽光線利用などの能力を発揮できるかが説明されている。
「空気のダンダバウトラほか7つの力を引き寄せ、太陽光線を加えてヴィマーナのジグザグ中心部に通し、ダイヤルを回すと、ヴィマーナは蛇のようにジグザグ航行する(ジグザグ飛行)」
「『ソウダーミニー・カラー(電子工学の書?)』の説明にもあるように、ヴィマーナ搭載の音響捕捉装置によって、飛行中の敵機内の会話や物音を聴くことができる(敵機内盗聴)」
「ヴィマーナ前方のダイヤルを回せば、ディシャーンパティ装置が敵機の接近してくる方角を示してくれる(レーダー探知)」
「敵機が大挙して迫ってきて撃ち落とされそうになったとき、ヴィシュワーナラナーラすなわち機内中央に位置する管中のジュワリニーの力に点火し、2個の車輪のダイヤルを回して温度を87度にまで高めれば、燃えるジュワリニーの力が敵機を包みこんで焼き尽くす(高熱放射)」
 つづいて、パイロット候補者に必要な服装と食事法が論じられたあと、冶金学の解説に移る。
 なお、ほかの古文献では、しばしば動物形の木製ヴィマーナが 登場するが、ここでは終始、ヴィマーナは金属構造であることが強調されている。
 実際、ヴィマーナには“熱吸収力”の強い特別の金属しか適さないと述べられている。
「ソマカ、スーンダーリカ、ムールトヴィカの3種類の金属がある。これらを混合すると、16種類の熱吸収性金属が製造される」
 そして、これらの金属の採鉱法と溶解法について、「407種のるつぼが必要」などという細かい指示が出てくる。
 そのあと本書の解説はヴィマーナに設置しなければならない“7種の鏡またはレンズ”の項へと続く。
 これらの鏡やレンズは、純粋に遠方や周囲を観察するためのものから、攻撃・防御兵器にまで多岐に渡る。例えば“ピンジュラーの鏡”は、一種の視覚保護シールドを作り出す。
「太陽光線のマイナス干渉作用をピンジュラーと呼ぶ。それはパイロットの黒い瞳に有害な効果を及ぼす。それをピンジュラーの鏡で遮ることによって、邪悪な光線からパイロットの眼球を防護する」
 また、あらゆるものを溶かす光線を投射する“ルードリー・タルパナ”という鏡ないしレンズについての記述も興味深い。
「ルードリーと太陽光線を混合すると、マーリカーと呼ばれる邪悪な力が生成され、それを太陽電気で放射すると、敵機を破壊する」
 これなどは、いかにもレーザー熱線兵器技術を連想させる表現である。

 化学の教科書のような動力源の記述

 次の章は、ヴィマーナの動力源について詳述している。
「ヴィマーナには7種類の力が必要で、それは7つの発動機によって作り出される……7種の力とは、マー、ルァー、ヤー、ラー、サー、ヴァー、ナーである。マーはウドガマーで上昇する力、ルァーはパンジャラーで下降する力、ヤーは太陽熱を吸収する力、ラーは太陽の12の力を合わせた力、サーは外の力を吸収する力、ヴァーはクンティニーの力、ナーは主要な根本の力である」
「これらの力を生み出す発動機は導線、ばね、回転輪を使ってヴィマーナの機内に設置される」
 意味不明な言葉が多いが、ヴィマーナの基本的な推進原理は電磁気と化学反応作用の組み合わせと思われる。
 1923年には、『ヴァイ・シャス』のサンスクリット写本に精通するスッバラーヤ・シャストリ聖師の指示に従って、当時の製図家T・K・エラッパが、ヴィマーナの“電磁気モーター”の仮想モデルを幾通りか描いている〈別掲図を参照〉。
 ほかの箇所の記述も考え合わせると、ヴィマーナを動かすエネルギーの相当部分が、太陽から得られることも明白である。以下に引用するやや長めの一節は、やはり意味はよく理解できないながらも、『ヴァイ・シャス』の著者が科学的な厳密さにこだわろうとする姿勢をよく伝えている。
「こうしてスーリヤ(太陽)・マニは中央電極の基部の容器内に収められることになる……このとき導線は中心からあらゆる方向に出ていなければならない。
 それから3重輪が回転運動を始めると、ガラスケース内の2個のガラス球が、次第に速度を増しつつ互いにこすり合い、結果として生じる摩擦が100度の力を発生させる。
 その力が導線を通ってサンジャニカ・マニへ運ばれる。
 そこに存在する力と混合すると、その力は流れ出て、再び導線を通ってスーリヤ・マニへ伝達される。そこの力と接触するやいなや、その力は5つの流れに分裂する。
 5つの力の流れはそれぞれマニのひとつと接続される。それぞれのマニ内の力と混合すると、それらの力は新たな5つの力を生成する。これらの力は導線を通って酸の容器へと導かれる……。
 その結果生じた流れは、導線を通って大きく口を開けた球形のガラス容器へ導かれる。
 エーテル力を含んだ太陽の力はその容器へと導かれなければならないのだ……」
『ヴァイ・シャス』の主要な本文は、大部分こんな調子で書かれている。
 そこで使われている用語や記述形式は、たしかに現代の科学論文に比べれば違和感があるかもしれない。
 だがしかし、私たちが忘れてならないのは、同書の著者や注解者たちも、太古の高度科学技術を十分に理解したうえで書いたわけではないという点だ。
『ヴァイ・シャス』の末尾近くには、西暦前10世紀より昔(前30世紀より以前という説すらある)に生きた著者マハリシ・バラドヴァージャのこんな言葉が記されている。
「(本書の内容は)私が古代の著作物を参照しつつ、貧しい能力をふりしぼって叙述したものである」
 この本は、彼らにとってもすでに太古に属していた時代の科学技術情報を、彼ら自身の時代と社会の制約の中で、精一杯正確に後世へ伝えようと努力した結果なのである。(後略)


PART=3
古代インドで繰り広げられた壮絶な神々の戦いと空中都市の存在

次々と明らかにされていく、古代インドの超科学文明!
その難解な資料を読み解くにつれ、ついに宇宙ステーションの存在にまで突き当たった!!

 現代にも通用する豊富な科学知識

 ヴィマーナに象徴される空中飛行の技術が存在するためには、当然、その前提として工学、数学、気象学、流体力学、化学、地理学、天文学などの十分な知識が必要だ。
 インドといえば古来、ケタはずれに壮大で神秘的な宇宙論が伝えられてきたことを、私たちはとくに仏教を通じて知っている。だがそれは、ヒンドゥー教や仏教の深い信仰心が生んだもので、本来の天文学とは無関係だ、と一般には思われている。
 だが、天文書『スーリヤ・シッダンタ』は、地球が丸くて自転していることを、中心に棒を貫通させた木製のボールで表現した。同書の天文表では、地球の直径が1万2615キロ、地球と月の距離が40万7077キロと計算されているが、この数字がどれほど正確か、ためしに東京天文台編『理科年表』でも見ていただきたい。また、同種の文献『ゴラージャーヤ』では、物体を引っぱる重力の存在が明快に記され、『シッダンタ・シロマニ』には、地球が太陽の周囲を回る公転についてはっきりと述べられている。
 飛行技術に直接かかわるのは気象学だが、驚いたことに『リグ・ベーダ』のような宗教文献でも、水蒸気や雲の生成、雲の種類、イナズマの発生の仕組みなどが、神々の奇跡にされることなく、しかも、現代とほとんど遜色ないほど正確に記述されているのだ。
 例えば、カンジラル博士によると、イナズマと訳せるサンスクリット語は“ヴィデュト”と“アシャニ”だが、ヴィデュトはあくまでも自然現象だけに使い、しかも、形状別に3種の自然のイナズマを表す3用語の語幹ともなっている。
 一方、アシャニは神や英雄が敵に投げつける“飛び道具”の意味でしか使われず、それは語根アスが“殺す”の意であることからもうなずけるという。
 また、地球の大気圏は厚さが最外部まで1000キロあり、対流圏、成層圏など大きく4層、細かく7層に分かれるが、『スーリヤ・シッダンタ』などでも、空気の層の厚さを約1000キロとし、やはり7層に分かれ、雲、雨、雷などの天気の移り変わりは、最下層 の現象としていた。雲を煙で刺激して人工雨を発生させる方法さえ知っていたのだ。
 工学の分野では、例えば『ヴァイマーニカ・シャストラ』に劣らぬ科学技術書とされる『サマランガナ・スートラダーラ(以下サマ・スー)』は、ヴィマーナのような機械装置の動力源として、固体、水、火、空気のエネルギーをあげ、さらに“真空”ないし“空間”をつけ加えている。
 現代流に解釈すれば、これは空間から自由に取り出せる夢の“フリーエネルギー”のことだとも考えられる。もちろん、その種の実験に成功したという話はたくさんあるが、現代のテクノロジーをもってしても、まだ完全に実証されてはいない未知のエネルギーだ。
 また、“ヤントラ”という言葉は、『ヴァイ・シャス』のような技術書だけでなく、『ラーマーヤナ』のような文学書でも、一貫して“機械装置”の意味で幅広く使われている。『サマ・スー』はヤントラを、「人間が自然の諸力を制御して目的達成に利用する装置」と明快に定義し、様々な応用科学を解説している。
 例えばヴァーリヤントラとは、与圧装置、サイフォンびんなどの空気力学機器、ダーラヤントラとはシャワーバス、噴水などの流体力学装置のことだ。
 さらに、ドヴァラバラヤントラとは門などで訪問者を監視検問する“ロボット警備員”、ヨダーヤントラとは、戦場で兵員を補助する“ロボット戦士”のことだという。私たちの文明でもやっと実現が近づいてきたロボット工学そのものである。
 機械装置の百科事典といわれる『ヤントラ・サルヴァスバ』が現代まで残っていないのは残念だが、『マハーバーラタ』にも『ナーガラ・ヤントラスートラ』という“兵器ハンドブック”のことが出てくる。このタイトルは、チャーチワードが主張した“ナーガ帝国”の建設者たちと、どこかでつながっているのだろうか。

 残された大量殺戮兵器の記録

 悲しいことだが、戦争がテクノロジーの進歩を後押しするという真理は、どうやら太古でも現代でも変わらないらしい。『マハーバーラタ』全18編のうち少なくとも6編以上で、戦いやそこで使用される様々な武器兵器の描写が出てくるからだ。
 まず「アーディパルヴァン」編には、接近戦用の射程の短い“カーナパ”という小火器が登場する。「熱した鉄の玉をたくさん食べるもの」という意味だそうで、たぶん機関銃みたいな兵器だろう。
「ドロナパルヴァン」編をはじめ随所に登場する“サタグニ”という武器は、トゲに覆われた金属球で、1発で数百人を殺す。車輪つきの運搬車で戦場に運び、投射装置を点火して遠方の敵軍に投げ込む。さしずめ大砲の砲弾だろう。
 似たような兵器でもっと威力があるのが、先述の“アシャニ”だ。8輪の大型車で運ばれ、標的に狙いをつけて発射され、命中地点を火の海にする。一種の地対地ミサイルだろう。8輪車のほうも頑丈な鎖鉄装甲車で、走るときは轟音を響かせ、馬も象も不要な自動走行で、一気に4000メートルもつっ走れる。まさに戦車である。
「ヴァナパルヴァン」編には、2つのタイプのミサイルが登場する。一方の空対地・地対空両用ミサイルは、光を発しながら蛇のようにジグザグ巡航し、他方の地対地・地対空両用ミサイルは、特定の音を感知して追跡破壊するという。
「ユッダパルヴァン」編などで描写される夜間戦闘の場面には、空中に投げ上げて戦場を明るく照らし出す“香りを放つオイルランプ”が登場する。
 この補助兵器的な人工照明弾の発想は、実際には第2次世界大戦で生まれたものなのだ。
「ウディオガパルヴァン」編に出てくる武器はちょっとユニークである。“プラスヴァパナ”は敵軍全員を眠り込ませ、逆に“プラボーダ”は眠りを妨害して目を覚まさせる。この催眠誘導兵器は、ラーマ王子と魔王ラーヴァナの戦いで効果的に使用されている。“トヴァストラ”という武器はもっと変わっている。敵兵ひとりひとりの顔にこの武器の使用者の顔を投影するのだ。当然、敵兵は互いに相手を敵と思い込んで、同士討ちをしてしまう。幻像投射を武器とするような電磁波兵器は、まだ現代でも開発されていない。
「サブハーパルヴァン」編や「ビスマーパルヴァン」編には、気象兵器や環境破壊兵器が出てくる。“パルヤナ”は大気中に雨雲を発生させ、敵軍に土砂降りの豪雨を降らせる。この雨を追いはらう対抗兵器が“ヴァヤヴィア”。風に強烈な圧力をかけて、雨雲を追い散らす特殊な兵器だ。
 強力な致死性の兵器のひとつは“イシカ”である。
 この兵器の放散する白い塵を浴びると、兵士はたちどころに視覚も聴覚も嗅覚も奪われ、全身が火ぶくれ状態になってバタバタ倒れていく。一種の放射線兵器か毒ガス兵器、あるいは細菌兵器を連想させる。
 このほか、もっとはるかに恐ろしい大量殺戮兵器が何通りか登場するのだが、それについてはもっとふさわしい次章で紹介しよう。

 空中都市が建設されていた!

『マハーバーラタ』の戦いは、人間界のクル族とパンダヴァ族の抗争に神界のデーバ(善神)族とアスラ(魔神)族がからむというのが基本的構図だが、実際には、ベーダ神話とヒンドゥー教神話からなるインド神話の複雑な系譜を反映して、入り組んだ話が多い。
「サブハーパルヴァン」編では、おそらくまだ平和共存していた時代、魔神族の“設計技師長”マヤがパンダヴァ族の最長老王ユディスティラのために、“サブハー(空中宮殿)”を建設してやる件がある。マヤは“神々の設計技師”工芸神ヴィシュヴァカルマーと並んで、ヴィマーナの設計者ともされている。
 完成したサブハーは金銀その他の金属で造られ、8000人も収容でき、空を自由に移動できる美しい巨大な乗り物だった。喜んだ王が伝承学者の賢者ナラダに自慢すると、ナラダはインドラ、ヤーマ、ヴァルーナ、クヴェーラ、ブラフマーの各神もすでに、それぞれすばらしいサブハーを持っていると諌める。
 インドラのサブハーは全長1200キロもあり、白銀に美しく輝く金属製で、永遠に宙に浮かび、自由に移動でき、内部には家々や草木があふれ、豊かな生活を送れるように何でもそろっていた。出入り口はヴィマーナがゆうゆう出入りできる広さがあり、防御用の武器弾薬も備えていた。
 ヤーマのものも同じような構造で、ヴァルーナのものは海中も移動でき、クヴェーラのものは最も美しかったが、大きさも構造も性能もすべての点で最高なのは、ブラフマーのサブハーだった。難攻不落のそれが宇宙を進んでいくときの近寄りがたい威容は、まさしく太陽や月も青ざめるほどだったという。
 カンジラル博士によると、サンスクリット語のサブハーは“人間が組み立てたもの”という意味で、それが金属製で多数の人間を乗せて空中にいつまでも浮かんでいることができるとなれば、“宇宙ステーション”とか“空中都市”としか考えられないという。
 実際、「ヴァナパルヴァン」編では、パンダヴァ族の英雄アルジュナが、神々から聖なる武器を受け取って、使い方の訓練を積むためにインドラのサブハーを訪れたとき、内部に神々用のヴィマーナが数千機も翼を休めていたり、 発着しているのを見て驚く件がある。映画『スターウォーズ』の宇宙要塞そっくりの場面である。
 宇宙要塞や宇宙ステーションなら、その管理や保守や整備の要員が必要だ。前9世紀ころの賢者カウティリャの著書『アルタ・シャストラ』には、それが専門的職業としてちゃんと載っている。同書は本来、政治経済分野の論文だが、科学技術のいろいろな話題にも触れていて、技術専門職のリストに“サウブドカ(空中都市を飛ばす技術者)”という項目があるのだ。
 同じリストには“アーカシャ・ヨジナー(空中で戦う訓練を受けた者)”も、陸上戦士、海上戦士、砂漠戦士などと並べて解説されている。現代ならさしずめ空軍兵にあたるだろう。
 ほかの文献とも首尾一貫するこのような記述まで、全くの絵空事やざれ事だと片づけることは到底できない。

 巨大海中都市で起きた戦い

「ヴァナパルヴァン」編には、“空中都市”だけでなく“海中都市”まで出てくる。
 先ほどの続きで、アルジュナがインドラのサブハーに滞在中、魔神族退治をインドラから頼まれる。彼らは3000万人もいて、海底に建設された難攻不落の要塞都市に住んでいた。
 インドラは自分の空水両用ヴィマーナをアルジュナに貸し与え、有能な補佐神マタリをパイロットとしてつけてやった。
 熾烈な戦いとなったが、最後にアルジュナは海水を干上がらせてしまう神々の兵器を繰り出して勝利した。
 負けた魔神族が逃げ去ったあと、彼は海底の要塞都市に入ってその美しさに魅了された。
 この都市の起源をたずねると、マタリはこう教えてくれた。
 もともとは神々が私用に建設したのだが、魔神族がブラフマー神にうまく取り入って居住を許可された。
 ところが、彼らはいったん住みつくと居直って、神々を追い出してしまったというのだ。
 しかし、海中の隠れ家から敗走した魔神族は、その後もしぶとく生き残って、相変わらず神々と人間を悩ませ続けたという。
 話はさらに続いて、今度は“ヒランヤプラ(黄金の都)”と呼ばれる巨大な宇宙ステーションが登場する。
 その昔、善神族と魔神族が平和だったころ、ブラフマー神が2人の魅力的な女魔の願いで造ってやったという空中要塞で、家並みと樹木と海水にあふれて回転するその美しさは、目も奪われんばかりだった。
 だがこの空中都市も、魔神たちがいったん占拠すると、四方の出入り口を様々な武器で固めて神々を寄せつけなくなったので、その態度に神々はすっかり困惑していた。
 そこで再び、マタリはアルジュナをたきつけて、ヒランヤプラを破壊させることにする。
 アルジュナがヴィマーナで空中要塞に近づくと、魔神族は猛烈に抵抗し、要塞を自在に動かして激戦となるが、最後にアルジュナは神々からもらった究極の破滅兵器を使って、ヒランヤプラを木っ端微塵に吹っ飛ばし、神々にその英雄ぶりを称賛されることになるのである。

 ミサイルがすべてを焼き尽くす

 魔神族の巣窟となった“空中都市”を神々が無慈悲に破滅させる話は、最古のベーダ聖典に早くも登場する。西暦前3000年よりもっと古い成立ともいわれる『アジュル・ベーダ』には、魔神族がそれぞれ鉄と銀と金で造られた3つの空中都市を持っていて、神々は征服できずに困っていたという話が記されている。結局、暴風神ルドラが最後に火の熱、月の光、ヴィシュヌ神の勇気からできた武器で3都市を焼き尽くしたとある。
『マハーバーラタ』では、3大空中都市を破壊したのがシヴァ神となって、話がもう少し詳しくなり『マスチャ・ブラーナ』ではさらにもっと詳しく、こんなふうに記述されている−−。
 魔神族の建設技師マヤと2人の魔神が、ブラフマー神に願いをたて、シヴァ神の1本の矢にだけは勝てないという条件つきで、難攻不落の美しい空中都市を建設した。それは3段からなり、最下段は鉄製で地上に置かれ、中間の段は銀製で空中に、最上段は黄金製で宇宙に浮かべられた。
 ところが、空中都市を自分たちのものにすると、魔神族はずうずうしく態度を変え、全世界を苦しめはじめた。神々は魔神族をどうしても制圧できなかったので、シヴァ神に助けを求めた。
 そこでシヴァは、小山ほどもある特製のヴィマーナを建造させ、ブラフマーがそれを操縦して出撃した。
 マヤたちは天空地の3都市を合体させて反撃し、海上近くで追いつ追われつの大激戦が繰り広げられた。その過程で、建設に協力した2人の魔神は容赦なく殺されるが、このとき、マヤだけはシヴァから海中に身を隠すように勧められる。以前の間柄とマヤの才能を惜しんでのことだったのだろう。
 マヤは聞き入れて、その通りにした。
 そして、合体した宇宙要塞めがけて、シヴァは強力無比な1本の矢、つまりミサイルを撃ち込み、空を黄金色に染めて完全に焼き尽くした。炎上した魔神族の宇宙要塞は、すさまじい音とともに西の海へ落下していった……。
 私たちの文明のテクノロジーも、宇宙ステーションの実現段階に近づきつつある。現在、NASA(米航空宇宙局)が予定しているのは、2段合体型の人工衛星都市だ。また、プリンストン大学物理学部のジェラルド・オニール教授が提案する人工衛星都市は、全長30キロもあり、100万人が生活できるというスケール雄大なものだ。
 しかし、太古の高度文明は、それを文字通り、とうの昔に達成していた−−サンスクリット古文献に描かれた不思議な“サブハー”の神話は、そのかすかな記憶の残響なのかもしれない。


PART=4
ラーマ帝国とアトランティス間についに凄惨な核戦争が勃発した!

神々から使用を禁止された最終兵器−−。
だが、人間は愚かにも、禁断のスイッチに触れてしまった!
そのとき、壮絶な地獄絵図が地上に展開する!

 世界をまるごと破壊する最終兵器

 古代インド神話に登場する神々は、正邪を問わず、奇妙なほど人間くさい存在だが、とりあえず字義通りに受け取るなら、人間族の英雄であれ、神々自身であれ、破滅させる相手は邪悪な魔神族なのだから、ただの奇想天外な勧善懲悪のお話として片づけることもできる。
 だが、都市を丸ごと吹っ飛ばすような恐ろしい破滅兵器を、人間が同じ人間に対して使用したとすれば、ただの神話上の物語と笑って聞き流すわけにはいかない。
 実際、インドの神々は、人間界の英雄に様々な“聖なる兵器”を提供しておきながら、とくに特定の“破滅兵器”だけは、人間に対して絶対使ってはならないと禁じている。
 だが結局、人間はそれを同胞に対して使ってしまうのだ。
『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』には、大量破壊兵器・殺戮兵器の名前がたくさん出てくる。“ナラヤナ”“シカラ”“トヴァシュトラストラ”“パスパタ”“アグネヤ”“ブラフマシル”“ブラフマストラ”と、両書に共通するものもあればそうでないのもあるが、破壊効果の描写には「万物を瞬時に焼き尽くす」とか「それだけで全世界を消滅させる」などの世にも恐ろしげな表現以外には、さほど明瞭な 区別はない。
 しかし、後述のように、その描写は明らかに核爆発の悲惨な災厄を思わせるし、少なくとも刀剣や槍や弓矢、せいぜい火箭とか鉄の砲弾ぐらいしか思い浮かばぬ私たちの古代兵器に対する認識の範囲を、はるかに越えたものだ。
 したがって、名称の違いは、たぶん兵器の種類やスケールの差とか、原爆、水爆、中性子爆弾といったような製造原理の違いを意味しているのだろう。
 前章で紹介した、アルジュナが魔神族の空中要塞を吹っ飛ばした破滅兵器とは、上記のうちの“パスパタ”である。その潜在的威力は「世界を丸ごと破滅させる」ほどのものだったので、彼はインドラ神から、人類に対してはいかなる場合も決して使用してはならぬと厳禁されたものだ。
 さらに「ドロナパルヴァン」編の中では、復讐心に燃えるクル族のアスヴァッタマは、宿敵アルジュナのパンダヴァ族を全滅させようと、恐怖の火の兵器“アグネヤ”の使用を決意する。
 以下、詩句の直接引用部分は、R・C・マジンダル編『ベーダ時代』(ロンドン・1951年)中の英訳版に基づいている。ただしプロタプ・チャンドラ・ロイ著『マハーバーラタ』(カルカッタ・1889年)も参照して、微妙な違いは適宜修正した。
 これには私なりの狙いがあった。核爆弾など夢にも思いつかなかった19世紀末ころと、広島・長崎に原爆が投下されて以後の時代とで、英語の訳文にどんな差が出るかという点に興味があったのだ。
 結果は、訳語や語句順や文節の区切り方を別にして、意味の上では本質的な違いがなかった。誇張も作為も存在しなかった。

 詩に残された核戦争の記憶

勇敢なアスヴァッタマはおのがヴィマーナに踏みとどまり、水面に降りるや、そこから撃ち放った、神々すら抗がえぬアグネヤの武器を。
導師の息子は、仇敵どもに慎重な狙いをつけ、途方もない力を秘めた無煙の火の輝く飛び道具を解き放った。
密集した炎の矢の束が、さながら豪雨のごとく、生きとし生けるものの上に降り注ぎ、敵軍を押し包んだ。
流れ星の群れが天から閃き落ち、濃い暗闇がたちまちパンダヴァの軍勢を覆った。
闇の中にあらゆる方角が失われ、烈風が吹きはじめた。
雲が轟然と突き上がり、塵と砂利を雨のように降らせた。
鳥たちは鳴き騒ぎ、獣たちは破壊に恐れおののいた。
自然そのものがかき乱されたように見えた。
太陽が天で揺れ動くように見えた。
地上は震動し、この武器の恐るべき高熱に焼け焦げた。
戦象たちは炎を吹き、狂ったように恐怖から逃げ惑った。
広大な地域に渡り、他の獣たちも地に焼け崩れて死んだ。
水は沸き立って、そこに棲む生き物たちも死んだ。
あらゆる方角から、炎の矢は激しく絶え間なく降り続けた。
アスヴァッタマの飛び道具はいかづちの力を爆発させ、敵の戦士たちは怒り狂う火に焼けただれて、山火事で焼ける樹々のようにばたばたと倒れた。
何千という戦車と軍馬が大地に累々と横たわった。
       *
 これに対してアルジュナは、目には目とばかりに、さらに強力な“ブラフマストラ”で対抗しようとするが、またもや神々と賢者たちから「人間には使うな」と制止される。
 しかし、結局、この究極兵器は別の戦闘で使われてしまうらしい。
 次の戦争場面では、こんな戦慄的な描写が展開される。
       *
ヴリシュニ族とアンダーカ族の3都市には、どんな武器を用いても効果がなかった。
そこでいかづちをあやつる者グルカは、高速の強力なヴィマーナで、飛びながら、3都市に投げつけた。
神々すら恐れを抱き、大きな痛みを感じる武器を、宇宙のあらゆる力が詰めこまれたただ一本の飛び道具を。
1万個の太陽さながらに光り輝きながら、煙と火の白熱した柱がここぞとばかりに立ち昇った。
それは未知の武器、鉄の稲妻、巨大な死の使者だった。
ヴリシュニ族とアンダーカ族の全市民が灰と化した。
死体は焼けただれて、もはや見分けもつかなかった。
毛と爪がどんどん抜け落ち、壺はわけもなく割れた。
鳥たちはうろたえて空できりきり舞いし、白く変えられた。
数刻ののち、すべての食物は毒で汚れた。
クル族の戦士は恐怖にかられ、戦場から逃走した。
ある者はわが子や父親を、友や兄弟を戦車に乗せて、ある者は鎧を脱ぎ捨てて流れに身を投じ、体や装備を洗った。
破壊が終わるとパンダヴァ族の王ユディスティラは知らされた、鉄の稲妻の威力とヴリシュニ族たちの殺戮を。
       *
 爆発の明るさ、立ち昇る煙と火の柱、降り注ぐ死の灰、激烈な高熱と衝撃波、犠牲者の行動と外見、放射能症の症状−−どの細部を見ても、私たちの知る核爆発の証言証拠と一致するのは一目瞭然だ。
 この恐怖の伝説兵器は、寸法までが現代の戦術核ミサイルにほぼ合致するのだから恐れ入る。
       *
それは死の杖のように恐るべき槍。
その寸法は3腕尺と6足尺。
授けられたその力は、千の目を持つインドラの稲妻。
それは生けるものすべてを滅ぼした。

 次々と現れる放射能後遺症

 しかし、このあまりに悲惨すぎる神話にも、わずかながら救いがあることも、ここで触れておこう。
「サウプティカパルヴァン」編で、アスヴァッタマがパンダヴァ族に逃げ道を塞がれたとき、彼はそれだけで世界を破滅できるという、“ブラフマシル”をあせって発射してしまう。アルジュナもやむなく、それを迎え撃つために“ブラフマストラ”の使用に踏みきった。
 2つの超強力な兵器が出くわした瞬間、天空に途方もなく巨大な火の玉が出現し、地上世界が破滅の淵に立たされる。無数の流星が降り注ぎ、空に轟音が満ちあふれて、閃光が閃き走った。世界は灼熱地獄が始まる不吉な予感に恐れおののく。
 賢者たちの必死の説得に、アルジュナは最終兵器のそれ以上の使用を中止するが、アスヴァッタマはもう止められなかった。
 彼が歯止めが効かなくなった自分の武器を恐れはじめたところで、天界のクリシュナ神が仲裁に乗りだす。破滅兵器の爆発を無効化してくれたのだ。
 世界は破滅寸前で救われたが、悲劇はまだ終わらなかった。
 生き残ったパンダヴァ族の戦士たちの妊娠した妻たちは、子供の死産や奇形の後遺症にのちのちまで苦しんだのである−−。
 これが遠い過去に起きた核戦争の信じがたい記憶か、それとも未来のそれを透視した無気味な予言かと問われれば、私ははっきり前者を取る。
 ヴィマーナその他の高度な科学知識を考えれば、空想説や予言説よりずっと筋の通った説明が可能だからだ。
 ともに古代サンスクリット文献に造詣の深かった2人の著名な物理学者が、いみじくもその可能性を認めた記録がある。
 イギリスのノーベル化学賞学者フレデリック・ソディー博士は、広島・長崎をはるかに先立つ1909年、自著『原子の解明』の中で『マハーバーラタ』に言及し てから、こう記している。
「……私は過去に原子力に精通した文明があったこと、だが、その使い方を誤って滅び去ったことを信じている」
 アメリカの世界最初の原爆の開発計画指導者ロバート・オッペンハイマー博士は、1952年にロチェスター大学で講演したあとの質疑応答中、「わが国が実験で爆発させた原爆は、この種の爆弾の第1号だったのですか」という学生の質問に、こう答えた。
「まあ、現代ではそういえるでしょう、もちろん」
 博士の頭にはこのとき、『マハーバーラタ』の“核戦争”のことがあったに違いない。(後略)


PART=5
残された古代核戦争の痕跡! ヴィマーナは砂漠の下に眠っている

栄華を誇った文明も滅び去り、やがて人々の記憶から消え去った。
だが、その存在の証は、今も人知れず眠っている。
近い将来、私たちがそれを暗闇からすくい上げるその日まで……。

 高い知性による都市計画

 定説上、インド亜大陸に栄えた最古の文明といえば、現在はパキスタン領内の、インダス河流域のモヘンジョ=ダロ、ハラッパー両遺跡に代表されるインダス文明だ。
 前2500年ころに興ったこの古代文明は、未解読の文字や宗教的出土物から見て、のちの亜大陸全土に広がったヒンドゥー教文化の萌芽的源泉となったこと、また、先住民ドラヴィダ人が築いた高度の文明だったことが、近年明らかになってきた。
 現在のヒンドゥー教は、前15世紀ごろに入ってきた遊牧民族アーリア人のバラモン的要素が、そこに融合して成立したものなのだ。
 教科書では世界最初の4大古代文明のひとつに数えられるこのドラヴィダ人の文明には、ある不可解な特徴がある。他の3大古代文明にも共通するが、なぜか最初から高度の文明的性格を備えて、突然出現したように見えるという大きな謎だ。
 モヘンジョ=ダロやハラッパーの場合、とくに完全な都市計画に基づいて建設されたことが歴然としている。
 整然と東西南北に走る大通り、碁盤目状に区分された街区、完備された下水道、寸法規格が統一された建築材レンガ−−それも原始的な日干しレンガではなく、すべて高温焼成された窯焼きレンガだ。
 しかも、何度も造り替えられて数層に積み重なった都市なのだが、どの層も判で押したように同一で、計画の変更が見られない。
 さらに、古代文明にありがちな宮殿、寺院、王墓などの強大な権威を表す遺物が見つかっていない。
“仏塔”とされる小高い遺丘上の塔は後代の建築物で、大きな構造物は大浴場、学校、穀物倉庫、会議場といった平和的で公共的なものばかりなのだ。
 そこにはそんな古代には似つかわしくない、民主的で平等で寛容な、高い知性と精神性をあわせ持った市民社会の存在が感じられる。
 1920年代に発見されて以来今日まで、学者たちはみな、この事実に驚きを隠さない。例えば、イギリスの考古学者ジョン・マーシャルは、発掘の感想をこう述べたほどだ。
「まるでもっと何千年も以前の、誰も知らない文明社会から(都市の造り方を)教えられたかのようだ」
 彼はジョークでそういったのだろう。だが、私は別の意味でこの考え方に賛成だ。ドラヴィダ人はおそらく“太古ラーマ文明”人から文明の基礎を教わったのだ−−あるいは、彼ら自身がその末裔だったのかもしれない。
 
 遺跡内に点在する核戦争の爪痕

 モヘンジョ=ダロ遺跡にはもうひとつ、こちらは考古学者が認めようとしない謎がある。核戦争の被害を受けた証拠かもしれない、幾通りかの不可解な特徴が認められるのだ。
 現在は復元が進んでいるので、一見わからないが、発見当時は遺丘が連なるばかりで、こんな立派な都市が埋もれているとは、学者ですら予想もしなかったほど、見る影もなく荒れ果てた廃墟だった。
 また、末期の層からは、路上や屋内で不自然に折り重なって死んだ大人と子供の人骨が、少なくとも9か所で46体発見され、一部の骨には高温加熱の焦げ跡がはっきり残っていた。何らかの災厄に突然見舞われたことは、前記のマーシャルも認めている。
 1978年には、古代史研究家のD・W・ダヴェンポートとE・ヴィンセンティが、1000度C以上の高熱で溶けた土器、レンガ、ガラス化した黒い石などを採取し、核戦争のあった証拠と主張した。
 たしかに現在でも、現地に実際に立ってみると、大災厄に見舞われたような不自然な印象を受ける場所がある。とくにむき出しの下層部分には、レンガが溶融してくっついたり、焦げ跡のように見える箇所もあった。
 しかし、それだけで“証拠”とするのは早計にすぎるだろう。この文明が衰退した末期の紀元前18世紀ころには、かつてのみごとな都市計画を無視して築かれた土器焼き窯もあちこちにあるし、その種の窯なら1000度C以上の温度も可能だったはずだからだ。
 一部の研究家が、人骨は広島原爆級の放射能を帯びていたと主張するが、それを事実と裏づけるデータはない。また、推定3万人は住んでいた都市で死体がたった46体では、根拠としてもあまりに弱すぎる。
 さらに、インダス文明の消滅年代が前18世紀では、遅くとも1万年以上昔に仮定される核戦争の年代とは、ズレがありすぎる。
 もっとも、古代核戦争を仮定する場合、年代測定には不確定要素が入り込むことも忘れてはならない。
 主に使われる放射性炭素C14法は、地球上どこでもいつの時代でもC14の天然存在量(大気上層の窒素と宇宙線から生じる中性子との核反応で生成される)が一定、という大前提を必要とする。
 だが、いったん核戦争が起きたら、その大前提が吹っ飛んでしまう。当然、C14の量が飛躍的に増大し、測定結果は実際の年代よりはるかに新しい年代を示すことになるからだ。
 核戦争はもうひとつの有力な手段、熱ルミネッセンス法も台なしにする。この方法は対象物に含まれる熱エネルギーの量を測定するのだが、核爆発の超高温が作用すれば、その量は大幅に違ってくる。
 いずれにしろ、結論を出すには早すぎるのだ。モヘンジョ=ダロはまだ全体の数分の一しか発掘されていない。それに、現在は流域の変化で、インダス河が5キロも離れてしまったが、かつては緑豊かな住みよい場所だったのだから、遺跡のさらに下に、もっと高度の先行文化が眠っている可能性もあるだろう。
 カンジラル博士も、古文献学の上では“核戦争”の可能性は十分だが、考古学的な証拠や裏づけがあまりに乏しく、結論は今後の発掘調査の結果を待つほかないと語っていた。

 インドは考古学的遺産の宝庫だ

“太古ラーマ文明”の痕跡という可能性を秘めた遺跡は、ほかにもまだたくさん指摘できる。
 やはり完全な都市計画を示すインダス遺跡で、1950年代に発見されたロータルは、アラビア海から60キロ近くも内陸なのに、明らかに港湾都市だった。
 逆に1990年、インド国立海洋学研究所のS・R・ラオ博士が、カナダの国際会議で「伝説のマハーバーラタ都市ドヴァラカは真実だっ た」と発表した遺跡は、グジャラート沿岸沖の海底にある。
 どちらも地質学的激変がなければ説明できないが、それは1万年以上前の氷河の解氷期まで遡らなければならない。
 亜大陸最北西部、インダス河源流域のカシミール渓谷にも、巨大な爆発で巨石ブロックがなぎ倒されたような、破壊の跡が激しいパラスプール遺跡があるが、ほとんど調査も手つかずだ。
 アメリカの著名な古代史ジャーナリスト、レニー・ノーバーゲンによれば、インド北東部のガンジス河中流域とラジマハール丘陵地帯に挟まれた一帯には、黒焦げになった未調査遺跡が多数存在しているらしい。
 観察者の報告では、よほどの高温にさらされたらしく、巨石同士が溶融してつながっていたり、表面にまるで“鉄の溶液が降ったトタン屋根”みたいに深い穴がボコボコ開いていたという。
 はるか南方、デカン高原の生い茂るジャングル中にも、“マハーバーラタ戦争かそれ以前の戦争”まで遡るかもしれない同じような遺跡群が、もっと広大な地域に渡って眠っている。
 石壁の表面が超高熱で溶けたり、ヒビ割れたりし、建ったまま残った建物の内側でも、石造調度品がガラス化したり、溶けて再結晶化しているという(『失われた種族の秘密』1977年)。
 モスクワ科学アカデミー研究所でインド考古学を専攻した旧ソ連の科学ライター、アレクサンドル・ゴルボフスキーの報告では、このデカン高原の遺跡群から、通常値の50倍の放射能を帯びた人骨が発掘されている(『太古の謎を求めて』1971年)。
 同じ遺跡群を指しているのかもしれないが、イギリスの科学ジャーナリスト、R・ヒューイットは1950年代に、インド中央部には石柱とレンガ造りで“木材も化石化した”未知の文明遺跡が、80か所以上も“土砂の雨”の下に埋もれているが、全く調査の手がつけられていないと書いている(『地震と火と洪水から』1958年)。
 これが事実だとしたら、現代にあってもなお、インドはまさしく“考古学上の未知の地”といえそうである。

 海底に眠るラーマ帝国の遺構

 南インドはドラヴィダ系タミール人が多い。インダス文明の担い手だったドラヴィダ人が、アーリア人の進出で南部に追われた結果とされている。
 タミール文献中には洪水伝説があり、そのとき、祖先の2つの都テンマトゥライとカパタプラムが沈んだという。
 一方、1000年以上昔のヒンドゥー教史家、ナルキレンの著作には、右の2都市とマトゥライにいずれも由緒ある“文芸学校”があり、洪水で滅びるまでそれぞれ4440年、3700年、1850年も続いたと記されている。
 マトゥライは現在の聖地マドゥライらしいが、ほかの2都市はその所在がわからなくなっている。
“洪水”というのが先ほどの解氷期に世界中で起きた海進(海面上昇。日本では“縄文海進”といわれる)のことなら、これら3都市は“太古ラーマ文明”の文明都市だったのかもしれない。
 もうひとつ、この地方に伝わる“失われた都市”は、古代タミール人の都ドラヴィダである。2万年以上昔のタミール人は文明社会を築いていて、ドラヴィダはその首都だったという。ドラヴィダがどこにあるのかはわからないが、この文明社会というのは“太古ラーマ文明”のことだろうか。
 ドラヴィダ人については、まだモヘンジョ=ダロも発見されず、インダス文明そのものの存在が知られていなかった19世紀末、おなじみのムー大陸説の自著を次々に発表しはじめた時点で、すでにチャーチワードは敬意を込めてこう記している。
「ナーガ族(ムー人)がインド亜大陸で最初に征服したのはドラヴィダ族だったが、彼らも元をただせばムー大陸の南西部から移住してきた文明度の高い亜大陸最初の先住民だった。インド初期の歴史は彼らの非アーリア的制度の適切な考察を抜きには語れない」
 さらにチャーチワードは『ムーの子孫たち』の中で、古代インド文明“ナーガ帝国”の遺跡を発見するには、ラカダイブ、モルジブ両諸島の浅い周辺海域を捜せばいいと興味深い指摘をしている。
 インド半島南西沿岸沖に南北に連なる両諸島のうち、モルジブは人気のある観光地で、現在は独立国だが、ムー大陸を消滅させる大激変の前までは、ひとつの巨大な島を構成していたというのだ。
 そしてこの島こそ、『ラーマーヤナ』に登場する真実の“ランカ島”だとして、彼は“太古セイロン”と命名した。
 チャーチワードの主張では、天侯に恵まれた日には、浅瀬の海底によく巨大な石組構造物が見えるという。付近の漁師は昔からその存在を知っていて、彼自身も漁師から教えられたと記し、考古学者はなぜ発掘調査に乗り出さないのかと挑発している。
 この海底遺跡については、その後全く情報がないので、はたして実際にあるのかどうか疑問だが、もし実在するのであれば、やはり“太古ラーマ文明”の一部であることは間違いない。

 核戦争によって生まれた大砂漠

 だが、古来『ラーマーヤナ』の“ランカ島”とされてきたスリランカ(旧セイロン)のほうも、太古の謎にはこと欠かない。
 スリランカの歴史は、前6世紀に北インドからヒンドゥー教の王子の一族が渡来して、先住民ヴェッダ族を征服、王朝を開いて始まったが、その後、前3世紀に仏教に帰依した。このとき作られた仏典『マハヴァムサ』が伝えるところでは、ヴェッダ族は当時“ヤッカ人”と呼ばれ、冶金技術にすばらしく長けていたという。
 そればかりか、巨石加工技術にも長けていたらしく、例えばリティガラには巨石城塞が残っていて、そこには高さ6メートル、幅2メートル、厚さ60センチの完全な直方体の巨石をストーンヘンジそっくりの形に並べたものが現存している。
 だが、1982年に同国の考古学者A・D・フェルナンドが「王立アジア協会スリランカ支部会報」で行った報告によると、マドゥルオヤという渓谷で貯水池の建設に着手したときの発見は、もっと驚くべきものだった。
 ブルドーザーが設計通りの場所で仕事にかかったとたん、太古のレンガ積みにぶつかったのがきっかけで、有史前の水力工学技師が、同じ計算のもとに同じ場所に同じような貯水池を建造していたことがわかったのだ。
 この太古の巨石水道工事の大部分は、四角いトンネル状に組まれた高さ10メートルの15トン切り石とレンガ壁から構成され、一連の人工池で何百万トンもの水の流量を自在に制御できる水路が、延々10キロにも渡って延びていたのである。
 ヤッカ人たちの王都はランカと呼ばれていたと『マハヴァムサ』は伝えている。とすれば、スリランカの先住民は、あの魔王ラーヴァナの末裔だったのかもしれない。
 末裔といえば、「タイム」誌1990年3月26日号に「ある溝掘り屋の一生」というインドの土木作業員の話が紹介されている。
 ティロカ・ラムという名のその男は、代々、土木作業員のカースト(世襲身分)に属していて、遠い先祖はラーマ王子がランカ島に攻め込むとき、島まで橋を架ける作業を請け負ったという、誇り高い家系なのだそうだ。
 ラムは現在、北のパンジャブ州から南のラジャスタン州まで広大な大インド(タール)砂漠を縦断する全長940キロの“インディラ・ガンジー運河”建設工事に従事しているのだが、この砂漠についてはこんな不思議な神話が伝承されているという。
 大昔、神々が戦ったとき、ラーマの放った炎の矢がヒンドスタン王国の心臓に突き刺さり、そこがタール砂漠になった−−。
 ひょっとしてこれは、太古の核戦争の結果、この砂漠が生まれたという意味なのではあるまいか?
 だとしたら、現在進められているこの大運河建設工事の途中で、厚い砂の下から“太古ラーマ文明”の存在を実証するすばらしい都市遺跡が掘り出されないとも限らない−−そして、願わくばあの“空飛ぶ装置”ヴィマーナも−−。
 夢のような話だが、ぜひそうなってほしいものだ。


特別インタビュー
インド第一級のサンスクリット学の権威は太古ラーマ超文明の存在を確信していた!!

インド国内でも最高級の頭脳をもつ大学の学長は、古文献研究からヴィマーナや核戦争の実在を確信した!
その彼が語る超古代史の真相とは−−?

 かつて宇宙文明は実在した!!

 世の中には、実にユニークな人がいる。それが実際にインタビューして、まず最初に受けた印象だった。
「私は大昔、ヴィマーナが空を飛んだことも、核戦争が起きたことも、異星人と人類が接触したことも、みんな真実だと信じている」
 そう断言する人が、なにしろサンスクリット学の権威で、その分野ではインドでも指折りの名門単科大学の現役学長なのだ。
 カルカッタ・サンスクリット大学第18代学長、ディリープ・クマール・カンジラル博士。西ベンガル州最上級教育職公務員。イギリスのオックスフォード大学を出て、インド第一のカルカッタ大学で博士号も取っている。あくまでもまじめな学究肌の人だ。
 9年前、私がスイスで開かれた宇宙考古学国際会議を取材したとき、インタビュー予定者リストに入っていたのだが、博士が何らかの事情で参加を取り止めたために、実現できなかった。その念願が今回ようやくかなったのである。
 今回のこの特集をまとめる上でも、ぜひとも博士には、直接話を伺うことが、私自身必要だと前々から考えていた。そうした意味でもこのインタビューは、またとない絶好の機会だったわけである。
 博士の自宅に伺ったときは、持参したプレゼントを気さくに喜んでくれた。だが、別の日に大学の学長室へ訪ねたときには、威厳のある側面を見せ、ささやかな手土産も「私は公務員だから」と受け取ろうとしなかった。
 構内を案内してくれたときは、職員がいちいち起立して迎えるのでちょっと驚いた。やっぱりエライ人なのだ。
 以下は、そのインタビューのあらましである。
       *
−−いつごろからこの問題に興味を持ったのですか?
「学生時代、サンスクリット文学の勉強中に、ヴィマーナとか空中旅行の話に強く心を惹かれた。西洋の学者は古代人の空想と片づけていたが、それにしては妙に具体的すぎる描写だ。どんな意味があるんだろうと思ってね」
−−最初は、ヴィマーナを“空飛ぶ装置”と訳すのは誤訳ではないかと考えて研究を始めた、というように聞いていたのですが?
「そんなことはない。研究を始めたのは正確にどんな意味か知りたかったからだ。その結果、文学書ばかりでなく『ヴァイマーニカ・シャストラ』とか『サマランガナ・スートラダーラ』とか、ヴィマーナの原理や構造を客観的に扱った技術書も伝わっているのを知って、これはただの空想などではないと確信するようになった。
 もうひとつはっきりしたのは、サンスクリット古文献の中では、ヴィマーナという言葉が2通りに使われていたということだ。
 最古の時代にはもっぱら“空飛ぶ装置”の意味で使われていたのだが、後期になるにつれ“宮殿”という意味でも使われるようになったことがわかった」
−−なぜ、そうなったのですか?
「古代インドの王や貴族は、自分たちの宮殿の形にヴィマーナ、つまり神々の乗り物の形を取り入れるようになった−−おそらくその素晴らしさと形の斬新さに憧れて、似せて造るようになったのだ。それで“宮殿”そのものも指すようになったわけだ。
 これは決してただの憶測じゃない。『サマランガナ・スートラダーラ』にも“ヴィマーナのデザインを真似て宮殿が建設されるようになった”と、はっきり書いてあるのだから。
 ここから先は私の推測だが、ヒンドゥー教寺院の形も、本来はそうだったに違いないと思う。今でもとくに南インド地方では、寺院のてっぺんの部分をヴィマーナと呼ぶくらいだからね」
−−文化人類学でいう“カーゴカルト(贈り物崇拝)”ですね。宇宙考古学者のエーリッヒ・フォン・デニケンが、パプアニューギニア原住民の飛行機崇拝という現代の例を指摘していましたね。
「そうそう、あれと同じだね。ヒンドゥー教も他の多くの古代宗教と同様、古代世界に発生したカーゴカルト的信仰が、大本の起源となってできあがったものだろう。だから、寺院の形がヴィマーナに似ているのは、むしろ当然といっていいわけだ」
−−デニケンについてはどう思います? 私も2、3度インタビューしたことがあるんですが、とてもカリスマ性を感じました。
「科学者やマスコミはとやかくいうが、私は彼を尊敬している。宇宙考古学的な考え方は基本的に正しいと思う。私もデニケンや同じ考え方の人たちと出会わなかったら、ここまでヴィマーナの研究に首を突っ込まなかっただろう。こんなおもしろいテーマにね。
 デニケンは世界史と古代のテクノロジーの忘れられた側面に、新しい光をあてた人だ。その功績の大きさは、歴史という公平な裁判官が、いずれきちんと評価してくれると思うね。
−−つまり先生は、太古の地球に異星人が訪れて、文明を授けてくれたと考えているわけですね?
「その通りだ。私はサンスクリット古文献を専門家の目で調べあげた結果、太古のインドにヴィマーナとそれを支えるだけの高度なテクノロジーが存在したことを、文献の上では十分証明したと確信できるまでになった。
 ただ残念ながら、インド国内では、まだそれを裏づけるだけの考古学的証拠がほとんど発見されていないがね。
 同じ古文献には、そのヴィマーナで宇宙都市か宇宙ステーションとしか考えられない建造物まで行き来する場面も、ヴィマーナを使って核爆発としか考えられない恐ろしい被害をもたらす戦争の場面も繰り返し出てくる。
 その宇宙ステーションに住んでいてヴィマーナを乗り回し、超人的ではあるが限界も弱点もある、妙に人間的な神々も登場する。
 そういったところだけ全部ヴィマーナと切り離して、空想の産物だと決めつけるわけにはいかない、というのが私の考え方なのだ。
 それに、核戦争のような大災厄があったからこそ、太古の文明が崩壊して歴史の断絶が起こり、こういった高度のテクノロジーや異星人の存在が忘れられて、わずか に神話や伝承の形で後世の人たちの記憶に残された、と考えるほうが筋が通るだろう」
−−インドラやヴィシュヌなどインドの神々は、自然現象を擬人化したものだという従来の神話学的解釈は間違いなのですか?
「異星人の存在を前提としない限り、そう考えるのは当然だろうね。驚くかもしれないが、紀元前5世紀のヤースカという歴史家が、当時すでに、神々が肉体を持った存在か、それとも自然現象の擬人化されたものかという問題を論議している。もっと昔から、学者や歴史家が両派に分かれて対立してきたというのだ。
 そして神々は、ずっと昔どこからか地上にやってきた、長命だが有限の寿命の生身の生き物だと結論している。
 総じていえば、古代に遡るほど、文献中の神々は生身の肉体を持つ存在として扱われ、時代が新しくなるほど神格化されてきたことがわかる。ラーマのような史的人物でも、後世になるにつれ英雄神に祭りあげられてしまうようにね。
 神が本当に肉体のない抽象的存在なら、ヴィマーナに乗らなければ空間を移動できないのはおかしい。
 人間の行動を投影させたのだという反論もあるが、宇宙ステーションのようにテクノロジーが高度に発達した段階で初めて発想できるものを、どうして知っていたのかという点までは説明できない。だから、私はヤースカの解釈に賛成なのだ」
−−現在も神々、いや異星人は来ていると思いますか?
「それは私の研究の範囲外だ。来ているかもしれないし、いないかもしれない。監視されているかもしれないし、もう見捨てられてしまったのかもしれない。残念だが、答えは他の研究家に任せるよ」
       *
 インタビューが終わって別れ際、カンジラル博士は私に頼みがあるといいだした。日本へ帰ったら、広島と長崎の被曝状況をまとめた英文資料を捜してほしいという。ユニークだが、どこまでもまじめな学究肌の人物である。



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