アメリカの“飛行船もどき”騒動(『UFOS & SPACE』81年5月号)

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投稿者 SP' 日時 2000 年 9 月 04 日 17:32:21:

「UFOの対地球戦略・総合分析」ACT2
日本の見えない大学情報部


全米各地に奇妙な飛行船が頻々と出没。
19世紀も終わりに近い頃のことである。
いわゆる“飛行船”騒動として有名な
記録に残る最古の集中目撃発生を
今日的視点から科学的に再検討すると……

“飛行船”騒動の具体的様相

 ツングース大爆発の約12年前、アメリカで“飛行船”騒動が起こっている。これが特定期間内に、一定範囲の地域で起きた集中大量目撃の最も古い記録だといわれている。
 当時発行された数百の新聞のファイルやマイクロ・フィルムの中から、幾つかの事例を拾ってみよう。
@ 1896年11月半ば、カリフォルニア州のサクラメント、オークランド、サンフランシスコの上空を、長さ50mほどの“飛行船”が飛ぶのを、多くの人々が目撃した。船体は卵型で横腹に大きな羽根車がついており、下部にゴンドラらしいものがある。この“飛行船”は、強力な投光器で地上を照射した。
A 1897年4月1日、午後8時15分頃、カンザス州、カンザスシティに住む数千の人々が、夜空を飛ぶ不思議な光体を目撃。それは、様々な高度をとり、地面近く下降したかと思うと、急激に飛びあがったりした。光体は街燈ぐらいの大きさで、サーチライトに似た光の筋を放っていた。
 光は初め白かったが次第に明るい赤に変わった。針路は北西に向かっていたが、数度後退して、しばらく逆の方向に進んだ。運動は規則的であり流星の運動とは違う。北方の地平線の彼方へ消えて行くのを見たという人もいた。(カンザスシティ『タイムズ』から)
B 同日、午後9時半すぎ、カンザス州エバレストの市民たちは、低い雲に沿って5分間ほど飛ぶ、飛行物体を目撃した。物体内部から放たれる強力な光線が雲に反射されたため、飛行船の形をした輪郭がはっきり見えた。
 ゴンドラは、約10mの長さでインデアンのカヌーに似ていた。4枚の軽快な翼が船から突き出ていて、2枚の翼は三角形で、ゴンドラのすぐ上に大きな黒い船体があった。これは膨脹したガス袋であろう。また、飛行船が上昇する時は光が弱くなり、下降の時は強くなったので、光を放つのと同じ力が、船体の浮揚にも用いられていると推測される。
C 1897年4月5日、ネブラスカ州オマハの数百の住民は、約1000mの高度を飛ぶ1個の葉巻型物体を目撃した。約5分間滞空していたが、風に逆らって高速飛行を続け、北の空に消えていった。
D 1897年4月9日の夜、オクラホマ州ノーマンで、州立銀行現金係次長T・J・ウイギンズは“端から強力な光を放ち、両横腹には赤い閃光がきらめいている黒く長い物体”を目撃した。2日後には、400名の人々が、これと同じ物体を目撃している。
E 同日夜、イリノイ州エバンストン付近の湖の上空低く、強く光る物体が出現し、西方へと奇妙な飛び方をした。ナイルズ・センターとシャーマービルでも目撃されたが、距離は極めて遠かった。
F 同日、午後8時40分、イリノイ州キャロル山上空を、大きな長円形の物体が通過し、西方に向きを転じて、物凄い速度で飛び去った。長さ3m、高さ1mぐらいで、赤い光を放っていた。
G 1897年4月16日付け、ミシガン州サギノーの『コーリア・ヘラルド』紙は、アイオワ州リングローブで前日発生した目撃事件を報道した。
「昨日の朝、空中を北に向かってゆっくり進む物体が、着陸態勢に入っていくのが目撃された。貸馬屋のジェームズ・エバンズ、馬具屋のF・G・エリス、株式仲買人のベン・バランド、デビッド・エブンス、それにジョー・クロスキーらが、馬車で追跡を開始した。町から6km北で着陸している飛行船を発見したが、700mに迫った時、巨大な翼を広げて北方に飛び去った。飛ぶ前に2つの大きな石を投げ出していったので、彼らは持ち帰ってきた。現在その石は展示中であるが、石の成分はわかっていない。
 この飛行船には妙な格好をした人間が2人乗っていた。エバンズとクロスキーによると、これまで一度も見たことのないほど長い頬髯を生やしていたという。リングローブの殆どすべての市民が、町の上空を航行していたその飛行船を目撃しており、大変な興奮状態にある」
H 1897年4月15日夜、サウスダコタ州ハワードからアーティージャンまで走る列車を、1隻の飛行船が追いかけて来た。車掌のジョー・ライトは、マディスンの『センティネル』紙の記者に「問題の飛行船は、日没直後に現われて、次第に地面に近づきながら飛び、やがて視界から消え、着陸したらしい」と語った。
I 1897年4月16日夜、テキサス州の6つの都市で、「メキシコ葉巻に似た形の飛行物体が目撃された。2つの大きなサーチライトの光によって照らし出された物体は、真ん中が太く、両端が細くなっていて、巨大な蝶のような翼を持っていたが、風のような速さで南東に向かって航行したという。その光景は壮大なものだった」(『ニューヨーク・サン』紙から抜粋)
J 1897年4月19日早朝、ウエストバージニア州シスタービルの市民たちは、異様な光景を目撃して驚いた。魚雷のような形をした物体が上空を飛んでおり、目の眩むようなサーチライトの光りを何本も下に向け、町外れの田園地帯を照らしまわっていた。この飛行物体は、長さ約70m、直径約10mで、両腹に短い翼と赤と緑の燈火が見られた。ほぼ10分間町の上を旋回した後、東方に向かって突進し、見えなくなった。
 なおこの飛行物体と全く同一と見られる葉巻型の機械が、これより先、4月9日から16日にかけて約1週間、中西部のセントルイス以北、コロラド以東の各地で、高高度を飛んでいるのが目撃されている。
 望遠鏡で観察した何人かの天文学者によれば、やはり両側に、短い翼が突き出ているのが認められたという。また目撃者たちは、赤、緑、白などの閃光を繰り返し発するのは、乗組員が地上に対して信号を送っているせいだと解釈している。
K 1897年4月22日、午後11時頃テキサス州ロックランドの牧場経営者ジョン・M・バークレイは、長円形の飛行機械の中から出てきた1人の男と話をした。
 彼が激しく吠える犬に起こされて戸外を見ると、翼のある物体が地上15フィートの空中に静かに浮かんでいた。電燈よりはるかに明るいライトで辺りを照らしている。物体は数回旋回した後、牧場近くに着陸した。ライフルをつかんで調べに行くと、“船”から30mのところで、普通の人間と出くわし、突きつけた銃を引っ込めるよう頼まれた。
「あなたは、どなたですか」
「名乗るほどのものではありませんが、スミスとお呼び下されば結構です」
 と男は答えて、次のようにいった。
「潤滑油と、もし手に入れば2個の鉄たがね、それに硫酸銅が少し欲しいのです。前の2つは製材工場にあるはずだし、硫酸銅は電信技師が持っています。ここに10ドル札がありますので品物を手に入れて戴けませんか。お釣は駄賃にして下さい」
「あなたは何に乗って来たのですか。私を連れていって 見せて下さい」
「だめです。これ以上近づいてはいけません。でも、私たちが要求した通りにして下されば、いつか私たちの方からあなたに声をかけて、お返しに旅にお連れしましょう」
 バークレイは油とたがねをみつけたが硫酸銅は手に入らなかった。彼は戻ってきて品物を渡し10ドル札を返そうとしたが断られた。“スミス”は握手して礼を述べ、飛行物体の方にはついて来ないでくれと頼んだ。どこから来てどこへ行こうとしているのか尋ねたら、あるところからと答え、明後日には、私たちはギリシアにいるでしょう、といい残して物体の方に行った。
 彼の表現によると“まるで弾丸のように”飛び去ってしまったという。

IFOとUFOの二重フラップ

 現代でも、様々な形態の未確認飛行物体が目撃されているが、“飛行船”タイプの目撃報告は殆どない。しかし、この19世紀末のフラップでは、“飛行船”の目撃報告が、大きな比重を占めている。
 前に紹介した12の目撃事例のサンプルの中では、@、B、Gがこれに属する。だが他の報告を注意深く読むと、問題の物体の形態上の特徴について具体的描写がなく、むしろ現代風の、いわゆる“UFO”目撃報告に極めてよく似ており、日時を除けば、殆ど区別できないものもある。A、E、F、Kなどである。残りのC、D、H、I、Jも、目撃された物体が、本当に“飛行船”型をしていたかどうか判断するに充分な描写が含まれていない。
 ここにあげた事例以外にも、現代の夜間光体と全く同じ特質を示す、光点や光点群の報告が、多数新聞に掲載されている。その大部分は、動きからみて、“飛行船”タイプの物体ではないことは確かである。
 また“飛行船”タイプのものを含めて、このフラップ期間の目撃発生時刻分布のパターンは、現代と全く同じ特質を示している。
 すなわち、殆ど夜間であり、20%が午後8時前後、25%が午後9時前後、20%が午後10時前後、15%が真夜中に発生している。残りの20%の大部分が早朝の各時間帯に散らばって分布している。そして着陸事例は、午後11時頃、ないしはそれ以後に殆どが発生しているのだ。
 更に目撃発生の地域的分布密度も現代と共通している。殆ど全米で発生しているが、特にテキサス州とその周辺に集中している点が注目される。
 要するに、1896年末から1897年春にかけてアメリカを襲った“飛行船”騒動は、現象的には、目撃対象を異にするという意味で2つの別々のフラップが、同時に重なって発生したものだったといえる。
 1つは目撃対象が“飛行船”であることで一応はっきり識別される、特殊なIFO(確認可能飛行物体)フラップである。もう1つは、現代の目撃報告と同じようなUFO(未確認飛行物体)フラップである。
 しかし、前者に関しても問題の“飛行船”は、誰が、どこから発進させたものか、一切不明であり、誰のまたはどこの国の所有に属していて、どこで、誰の手によって建造されたものかも全く判明できない。とすれば、当然未確認“飛行船”であり、同時に発生したUFOフラップと何らかの密接な関連があるものと考えるべきであろう。この点について、最近英国の初期航空史の権威、チャールズ・H・ギッブス=スミスは、次のように述べている。
「1910年以前を研究対象としている専門家として、私は確信をもって断言する。1897年に、北米のどこかの空中で目撃される可能性のある乗員を乗せて空中を飛ぶ唯一の乗物は、軟式の丸い気球であり、他のものと間違えることは、まずあり得ない。飛行船、すなわちプロペラによって推進されるガス袋の形をしたものとか、空気より重い、フライング・マシンとかは、当時のアメリカでは飛んでいなかった−−いや、正確にいえば、飛べるに至っていなかったのである」
 しかしこれは北米大陸での話であって、ヨーロッパでは、既にその半世紀近く前に、飛行船が飛行に成功している。1852年、フランスの技術者アンリ・ジュファールが、最初の制御可能な飛行船を建造したと記録に残っている。長さ45mで蒸気機関によって推進されるこの飛行船は、時速12kmという、当時としてはかなりの速度で空中を飛んでいる。
 また、1872年には、ドイツ人、パウル・ヘンラインがガスを動力とする飛行船を製作している。有名なドイツのツェッペリン伯爵のLZ−1号は、1894年から設計、製作を開始していたが完成したのは、アメリカの“飛行船”騒動から3年後の、1900年のことであった。
 しかし、問題のフラップが始まった1年後の、1897年11月13日、ハンガリー人ダヴィド・シュワルツの建造した、最初の金属製骨格の飛行船が、ベルリンで飛行に成功している。このシュワルツ式飛行船は、気嚢のガスが洩れて降下をよぎなくされるまで、約10km空中を航行した。
 北アメリカでは、問題のフラップの時点で、ヨーロッパと同水準の工業的背景と、科学技術者たちそして富の集積が存在していた。飛行船の建造に必要かつ充分な前提諸条件が成熟していたことは明らかである。従って誰かが、飛行船をアメリカまたはその近くで極秘裡に建造し、問題のUFOフラップの最中に飛ばせた可能性がないとは断定できない。
 あるいは逆に、飛行船の実験の開始が、これを監視しようとする地球外からの侵入者を大量に招きよせ、UFOフラップを発生させたということも考えられる。ギッブス=スミスの論理は、あくまでも記録に基づくものであり、全くないと断定するに足る絶対的証拠とはならないのだ。
 例えば、研究費や建造費にあてるに充分な資産を有する、科学技術者グループがあれば、1隻や2隻の飛行船を純粋の研究目的のために、秘密裡に建造することは不可能ではない。
 当時のアメリカには、秘密組立て場を設営するに相応しい、人目につかない土地はふんだんにあったのである。何もアメリカでなくても、メキシコ、キューバなどのカリブ海の島でもよいのだ。

真相を隠すための“おとり作戦”

 特定の科学技術者グループが、北米大陸で密かに飛行船を建造する動機は、幾つか考えられる。1つは、兵器として軍事的目的に用いられることを避けるためである。問題のフラップ中の、1897年4月1日夜、カンザス州ブレンワース砲台の1兵士が“飛行船”を目撃したところ、上官から、喋るなと脅されるという事件が起こっている。取材にあたった新聞記者に対し同砲台の技師の1人は、飛行船というものは、いつかは武器として使用されるかもしれないと示唆し、次のように述べたという。
「ちょっと想像してみたまえ。軍団を乗せた飛行船が都市の上空へきて、あらゆる大きさや種類の爆弾を下界の人間たちの中に落とす光景を。殺戮は物凄いものとなるだろうね」
 周知の通り、飛行船による対都市無差別爆撃は、第一次大戦で実現し、第二次大戦では航空機を用いて更に大規模かつ徹底的な形で繰り返された。だがこうした考え方は、既に飛行船が実用化され始めた頃から話題となっていた。従って、良心的科学技術者グループが、自分たちの研究欲と社会的責任感との矛盾を解 決するため一種の秘密結社をつくり、地下に潜って研究開発を進めていた可能性が充分考えられる。
 これとは逆に、まさに軍事的目的のために飛行船を建造するグループなら、当然秘密に進める可能性が強い。政府の秘密財政支援があれば、尚更のことである。政府といっても、必ずしもアメリカであるとは限らない。
 例えばドイツが考えられる。もしドイツが国内で製作したら、飛行実験を行ったりすると目立ちすぎる。そこで、北アメリカ大陸の科学技術者グループを買収するか、あるいは、ドイツ系アメリカ人及びドイツから送り込んだ科学技術者たちを秘密研究グループに組織し、北米大陸のどこかの僻地で開発を行っていたという可能性が存在しているのだ。
 最後にまた、スポンサーは、必ずしも、地球上にある国でなければならないと考える必要はない。宇宙の支配者が、この時期に、何らかの目的で北米大陸を航空調査ないし着陸調査を実施する必要に迫られ、しかも、円盤型航宙艇や葉巻型母艦を、直接アメリカ人の目にさらすことは不得策であると判断した時には地球製に見える旧式な乗物を、おとりとして見せて欺くということは、充分考えられるのだ。
“飛行船”フラップが、現代風UFOフラップと重なって出現している点からみて、この可能性は極めて大きい。UFOフラップを隠す手段としてはおとり作戦が最も有効である。
 この場合、飛行船の部品は、全部地球外から持ち込む必要はない。秘密基地の設営が可能ならば、地球上で現地調達もしくは現地生産して組立てることもできるからである。
 幾人かのUFO史研究家が、当時の資料を徹底的に発掘研究した結果、問題の“飛行船”は、地球外起源のものであることを論証するに充分な記録が、既に明るみに出されている。
 その中でも特に重要なのはフラップの始まる直前に、“飛行船”の青写真を持って、サンフランシスコの弁護士のもとに現われた、1人の“発明家”の異常な言動である。

謎の発明家と飛行船もどき

 当時サンフランシスコの各新聞が報じているところによれば、1896年11月初めのある日、有名な弁護士ジョージ・D・コリンズの法律事務所に、発明家と称する見知らぬ紳士が訪れた。その男は、自分の発明した、圧縮空気を動力とする新式飛行船の特許を取りたいので、コリンズに代理人となって協力してほしいと述べ、詳細な青写真を見せて、技術的な説明を始めた。その青写真には、翼のある一種の飛行機械が描かれており、材質はアルミニウムであった。
 コリンズは、機械工学や力学について本格的な専門素養をもっていなかったが、この40代後半の紳士の爽やかな弁説と立派な風采から、いい加減なものではないと判断し、最新の科学技術の成果に接したと信じ込んで、おおいに感動したのであった。
 コリンズは、数十年前に飛んだ、ジュファール式蒸気推進飛行船やヘンライン式ガスエンジン飛行船などについては知っていた可能性はある。あるいは、これに関連して飛行船や形態について新聞や雑誌などで読んでいたと思われる。さもなければ弁護士という、慎重で保守的な、知的職業人であるコリンズがいかに風采がよいとはいえ、初対面の人物から、もっともらしい青写真を見せられ、すぐに信用したり、感動したりするはずがないからだ。
 しかしもし彼が、この領域について専門的な基礎知識を持っていたら、この話がある種のペテンか、誇大妄想の産物であることが見抜けたはずだ。なぜならば、その紳士は、“圧縮空気を動力とする”新式飛行船という素人だましの「原理」をぬけぬけと語っているのである。
 ボンベの中に詰め込んだ圧縮空気の圧力で駆動されるエアー・エンジンは、すぐエネルギーを消費しつくしてしまうので、実用飛行船の動力のように、極めて長時間、しかもかなり大きな出力を維持する必要のあるものには、不適当である。
 圧縮空気が実際に推進力として用いられたのは、第一次世界大戦での初期の魚雷とその後の模型飛行機用動力ぐらいのもので、いずれも内燃機関に切り換えられている。当時既に、比較的軽量小型の高出力でかなりの時間運転できる、蒸気機関や各種の内燃機関が、実用化されていた。もし仮に、圧縮空気を動力とするならば、極めて大量の液体空気を飛行船に搭載できる特殊な軽量高圧タンクと、液体空気を大量生産できる地上設備が必要となる。さもなければ、飛行船上で圧縮ポンプを駆動する別の原理に基づく高性能の原動機を装備しなければならない。
 少なくとも19世紀末の地球上にはそのような装置設備は存在していなかったはずである。しかも効率や費用を考えれば、他の原動機を選ぶのが当然である。ガソリン・エンジンで飛ぶ、ジェット機の模型とか電動モーターで動く展示用蒸気機関のたぐいの、おもちゃか一種の見世物的な紛いものの飛行船もどきでない限りは……。
 ところが、この飛行船もどきと推測される飛行物体が、先に事例をあげたように、数日後からサンフランシスコを中心とする、カリフォルニア州北部の上空に実際に出現し、多数の人々に目撃され始めたのだ。翌年には、目撃発生範囲がアメリカ全土に広がり、着陸中の飛行船に出くわし、乗組員と話をした人まで出てきたのである。
 その中には“圧縮空気を動力とする”と乗員から聞かされたばかりでなく、航空力学的にみて、疑いなく飛行船もどきと判断される珍妙な飛行乗物の詳しい見取り図を新聞に公表した、信頼性の高い報告者が含まれているのだ。
 
フートンが遭遇した飛行機械

 1897年4月22日付け『アーカンソー・ガゼット』紙は、アイアン・マウンテン鉄道の経営者、ジェームズ・フートンの目撃報告を“問題の飛行船を見た”という見出しで、掲載している。これまでどちらかというと目撃報告に対し批判的態度をとっていた同紙が、“今までに報道されてきたものの中で、最も信憑性のある報告”というサブ・タイトルをつけ、太鼓判を押した上で次の談話を載せている。
「臨時列車の回送のため、テクサーケアナに行った時のことでした。現地で8〜10時間ほど体があいたので、アーカンソー州ホーマンまで狩猟に出ました。猟場に着いたのは、午後3時頃でした。獲物はかなりありました。
 そうですねえ、6時を少し回った頃でした。駅に引き返そうと、ブッシュの中を歩いていると、商売柄聞きなれた音がしたんです。機関車の空気ポンプの作動音に似ているんですよ。
 変だなと思った私は、音のする方にいってみると学校の運動場より広い空地に出たんです。そこで、音をたてている、モノを見つけました。
 船内には中ぐらいの背たけの、黒メガネをかけた男が1人乗っており、船の後端と思われる辺りで、修理か調整か何かをやっていた。フートンは驚きの余り、声も出なかった。その男も彼の姿を見て驚き、
「今日は、だんな。今日は」
 とあいさつした。そこでフートンは、
「これが、例の飛行船ですか?」
 と尋ねた。
「さようでございます、だんな」
 そのとき、船の竜骨と思われるところから、3〜4人の男たちが船外に出てき た。よく眺めると、この竜骨は2つの部分に分かれていて、前方で1つになり、ナイフの鋭い刃のように尖っていた。船の最先端もナイフの先のように尖っていたが、中ほどになるにつれて太く張り出し、船尾になるとまた細くなっている。両舷には、何かの金属を曲げてある大きな羽根車が3個とりつけてあり、前進すると引っ込む仕掛けになっていた。
「失礼ですが、その音は、ウエスティングハウス社の空気ブレーキに、とてもよく似ていますね」
「そうかもしれません。私たちは圧縮空気と、飛行翼を使っています。詳しいことは、後に段々おわかりになると思います」
「船長。発進準備、よろしい!」
乗組員は、船の下部に入り込んだ。
 フートンが見ている前で、羽根車の前にある、6cmの管が、それぞれの車に向けて、空気を噴射し始めた。羽根車が回転し、シューッという音をたてながら、ゆっくりと空中に浮かんだ。突然、飛行翼が前方にはねて、その鋭い先端を空に向けた。それから船尾のカジのようなものが一方に回転し、羽根車は速くまわり出したので殆ど見えなくなった。そして、あっという間に、視界から去っていってしまった。
「以上のような経過の結果として、見取り図を描きました。私の印象に残っている特徴のひとつは、機関車の排障器に似た先端の部分が、ナイフのように鋭くて、針のように尖っていたという点です」
 フートンの目撃した飛行船と同じく横腹に羽根車のある飛行物体は、1896年末、弁護士コリンズのもとに飛行船の青写真が持ち込まれた直後、カリフォルニア州で、度々目撃された事実が記録されている。
 更にフートンの記事と見取り図が掲載された日から12日後、見取り図そっくりの飛行船が、アーカンソー州で犯人を追跡中だった2人の警官に目撃されている。1897年5月13日、アーカンソー州ヘレナの『ウィークリー・ワールド』誌にこの事件が記事にされており、5月8日に、公証人立ち合いのもとに、両名が署名宣誓した正式報告書が作られている。
 フートンの職業柄、機械に対する観察力に富んでいた点と、これらの傍証が存在した点から考えても、彼が、一種の“飛行機械”と遭遇したのは、まず間違いないと判断される。
 フートンの見取り図を例の弁護士コリンズが、直接見たかについての情報は入手されていないので、あの青写真の飛行船と同型だったのかは、定かでない。しかし“圧縮空気を動力とする”という点は同じである。
 空気力学的ないし航空工学観点からみて、フートンの見たものは、まともな、本物の飛行船ではなく、一種の飛行船もどきというべき、紛いものであることは疑いない。すなわち、見せかけの浮揚原理または推進機構と、真の飛行原理とが、全く異なっている。
 19世紀末に、アメリカで発生した“飛行船”騒動の、真の意味、特に10年後にロシアで発生した、ツングース大爆発との関連を探る上で、この点は決定的に重要であるから、ここで詳しく明らかにしておく必要がある。

“飛行船”の空気力学的解析

 飛行船の主要な浮揚力は、当時から現在まで変わっていない。気球と同じで、密閉された船体内に大気圧と同じ圧力で充填された軽いガスと、同容積の大気との質量の差によって発生する。
 この差は余り大きなものではないので、推進機関や燃料、搭乗員やキャビンなど、最少限必要な搭載物件に限っても、それだけの重量を空中に浮揚させるために要する船体の容積は、大変膨大なものとなる。
 更に、この膨大な容積を密閉し、しかも航行時の風圧や、その他の圧力に抗してその形態を保持するばかりでなく、気密性を維持できる強度をもたせた構造にしなければならない。
 ところで、航行時に船体にかかる風圧は、速度の2乗に比例して増大する。高速度で飛行できるよう、より大きな風圧に耐えうる船体構造にしようとすると、船体の重量がどんどん増加して結局何も積めなくなるばかりか、船体そのものも浮揚できなくなってしまう。
 この制約のため、飛行船の速度は、毎時、数10km以上にあげることはできないのだ。ところが、フートンの見た飛行機械は、一定の高度まではかなりゆっくり上昇したが、そのあと“あっという間に視界から去ってしまった”とされている。
 従って、フートンの出会った飛行機械は、浮揚原理そのものが一般の飛行船と全く異質であり、高速飛行や、急激な加速に耐えられる頑丈な船体構造をもっていたか、それとも、大変強靱で軽量の材料で造られていたかのどちらかである。
 後者だったとすれば、フートンの見た飛行機械は、一応飛行船と呼んでもさしつかえないことになるが、問題は両舷に合計6基も装備されている大きな羽根車である。これらは明らかに、素人だましに過ぎない。
 ごく最近になって、飛行船にへリコプター式の回転翼を幾つか装備し、飛行船の搭載力とヘリコプターの運動性能を結びつけた、新種の航空機械が研究開発されている。この場合、すべての回転翼の軸線は垂直方向に向けられ、角度だけ少し前後左右に傾けて、発生する水平方向の分力をそれぞれの方向への推力として用いる設計になっている。
 ところが、フートンの見た羽根車は、全部横向きに取りつけられていた。軸線は、船体の中心線に対して直角の水平方向に向かっているのだ。これでは発生した力は、揚力として利用できない。推力として用いれば、飛行船はカニのように横向きに航行してしまう。
 羽根車が、殆ど見えなくなるほど、速く回っていたにもかかわらず、推進力としても、揚力としても、何の役にも立っていなかったと考えざるを得ないのだ。
 しかも、この羽根車の駆動方式が、報告通りのものだったとすれば、これらの羽根車は、“各々の前にある、6cmの管”から噴射される空気によって駆動される、一種の風車、ないしタービンにすぎない。それらは、空気や蒸気、ガスなどの流体力学的な力を、機械的回転力に転換するための装置である。
 ヘリコプターの回転翼や、レシプロ飛行機のプロペラ、あるいは、船のスクリューや外輪車などのように、推力を発生させるためには、これとは逆に機械的回転力を、流体力学的力に転換しなければならない。そのためには、羽根車の軸を駆動して、これに機械的回転力を与える、何らかの原動機が、別に存在していなければならない。
 フートンが、飛行船の舷側に目撃した羽根車は、実は原動機のタービンだと考える者もいるかもしれない。この羽根車によって機械的回転力に転換されたエネルギーで、別の推力発生装置、例えば羽ばたき式の飛行翼とか、フートンが“カジ”と呼んでいる、船尾の4枚の回転尾翼を駆動し、推力を得ているという考えである。
 だが、この解釈は成立しない。エネルギーの転換効率を上げるためには、タービンの羽根車は、外気とは基本的に遮断されていなければならない。フートンが目撃したように、舷側に半分露出した形で装備されていれば、噴出する圧縮空気の大部分は、抵抗の少ない外気の方向に洩れてしまう。これでは、エネルギーの効率が大変低いものとなって、とても実用にはなり得ない 。要するに、6個の大げさな羽根車は、航空力学的には、全く無意味な飾りものでしかないのだ。
 問題点はこれだけではない。船尾の“カジのようなもの”は、“飛行船”が空中に浮揚して、加速して飛び去る直前に“一方に回転し始め”ているので、推進器と考えるのが一番自然である。だが、そうだとすると航空機用のプロペラとしては、全く不適当な形態をしている。
 もしフートンが報告しているように、かなり巨大なこの飛行船を“あっという間に視界から去らせる”ために必要な推進力を発生させるのに充分な速さで、この“プロペラ”を回転させたならば、最も強靱な素材である特殊鋼を使ったとしても、強大な空気力学的応力と、遠心力のため、それこそ、あっという間に折れ曲って、四散してしまうことは間違いない。高出力で、最も効率のよい、しかも頑丈な航空機用プロペラの形態は、現代のレシプロ・エンジン機用のもの以外には、理論的にあり得ないのだ。
 仮にこの推進器の材料にも、我々の知らない、物凄く強靱な素材が用いられているとすれば、効率や重量の点では不適当でも、強度だけは大丈夫と考えられないことはない。
 だがそうだとしても、今1つの問題点は解決できない。この飛行船は、どうやって、飛行中の動安定を保つのだろうか。通常の飛行船には、船尾に、尾翼と呼ばれる、水平安定板が左右1枚ずつ、垂直安定板が上下1枚ずつ装備されている。これらによって、それぞれ上下、左右に向かって働く、回転モーメントを押え、船尾を、飛行方向に向けて保ち、船体を航行中、水平に保つことができるのだ。
 ところが、フートンの見取り図には、安定板に当たるものがない。見取り図には、船体の上部に、かなり大きな面積の“飛行翼”が2枚描かれているが、風圧中心の位置から判断して、着陸時の姿と思われる。だがこの場合でも、飛行翼が前方にありすぎて、水平垂直安定板の役割を果たせそうもない。
 まして、高速航行の時は、もっと前方に飛行翼がシフトすると述べられているのだ。理論的には、風圧中心が船全体の重心より後方に位置していれば、一応安定板の役割は果たすから、重心が船着に大変近い位置にあるとすれば、多少は効果があると考えられる。
 だが、この飛行船の場合、プロペラが、船尾にあるため、推進力の作用点が、重心より非常に後ろに離れたところに位置していることとなる。それに加えて風圧中心よりもかなり後ろにあって、モーメント・アームがこれより大幅に長くなっていることから、飛行中に進行方向に軸線を安定させる、船全体の動安定が得られる見込みは殆どない。
 従って、この“飛行船”が、空気中を高速で飛行中、動安定を維持できるとすれば、外側に見える、たくさんの装置による、空気力学的動安定によってそれを確保しているのではない。船内に装備されていて、外からは見えない、例えば、極めて強力な、ジャイロ安定装置などによる、物理学的姿勢安定によってそれを保っているとしか考えられない。
 だが動安定維持は船体内に内蔵されている、何らかの安定装置によって行われているとしても、操舵系統の問題が残る。通常の飛行船では、尾部の垂直安定板の一部を可動翼として、これで舵をとって方向転換を行うシステムとなっているのだが、垂直尾翼そのものが欠除しているから、この方式はとれない。
 側面の羽根車が、タービンではなくプロペラであれば、これを方向転換用に用いることはできるが、前述のように、すべて飾りのタービンでしかないので、そうはいかない。例えば、船尾の推進プロペラが、ユニバーサル・ジョイントで駆動されており、推進線を、船体の中心線に対して左右に傾けることによって方向転換に必要なベクトルを発生せしめているかもしれない。
 あるいは、我々地球人の全く知らない、極めて進歩した装置によるものかもしれない。
 いずれにせよ、以上のすべての問題−−推力、大気中動安定、操舵系統、など−−を解決する独特の原動機や、装置を装備したうえ、大きな飛行翼とその操作のメカや、大きな6個の羽根車とその駆動系統、ゴンドラと搭乗員たち、そして船体そのものを含んでいるのだから、全体としてかなり大きな重量となることは明らかだ。
 従って軽ガスと空気の極めてわずかな質量差を利用する、通常の飛行船と同じアルキメデスの法則による浮揚力で空中に持ちあげることは、困難であると考えられる。
 かくて問題の“飛行船”は、第二次大戦末期以後発生した未確認飛行物体の観測データと、その活動の歴史に照らしてみると、宇宙の支配者たちが、地球外から大気圏内に送り込んできた飛行機械の一種であると思えてくる。何らかの謀略目的で、いわゆる葉巻型UFOに、珍妙な疑似航空機の外皮を被せて特別に製作した、飛行船もどきだとみて、まず間違いない。
 当然のことながら、コリンズのところに“飛行船”の青写真を持ち込んだ紳士は、その後二度と彼のところに現われなかったし、特許の申請をした形跡もない。だが、同一人物と推定される男が、この後半月ほどたってから同じような青写真を携えて、別の場所に姿を現わしている。

真の発明者による謀略の痕跡

「黒い肌、黒い目、身長およそ170cm、体重60kgぐらい。年齢は40代後半」−−コリンズ事務所に青写真を持ち込んだ、自称発明家の人相書きに一致する人物が、当時の新聞によれば、約2週間後に、コリンズよりも更に有名な法律顧問ウイリアム・ヘンリー・ハートのところで、やはり飛行船の青写真を見せていたのだ。
 ハートは、検事局に勤めたことのある人で、信用を第一とする職業柄、いい加減な作り話を吹聴することは勿論、訪問客の権利、利害関係についての意図や、要請について聞き違えや、聞き洩らしをしたりする男ではないはずである。そのハートによると、問題の人物は、“自分は金は一切欲しくない、誰かに投資するよう頼んだり、望んだりもしていない”と述べたという。
 ハートのところに青写真が持ち込まれた時は、既に“飛行船”目撃騒ぎが始まっていた。そして1896年にカリフォルニアにおける集中発生はピークに達する。その中で、ハート自身の署名入りの談話が、1896年11月29日、サンフランシスコの『コール』紙に掲載されたのだ。
「私は、飛行船を自分の目で見たことはないが、その発明者だという人物と数時間話し合ったことがある。彼は私に、彼の発明の青写真や図表を見せたが、これまでに見たことのある同じような主張をしている他のどんな発明よりも、彼の狙いにぴったりしていると確信できた」
「私がその発明家だと称する紳士に、取引きを行うに当たって、何を希望するかと聞いた時、自分は金は一切欲しくない、誰かにそれに投資するように頼んだり、望んだりもしていない、自分はカリフォルニアの住民ではない、飛行船を完成し、テストするためにここに来たのだ、と述べた。私はカリフォルニアで、誰かが何かを持っていて、誰にもそれに投資してほしいとは思わない、といったことは、私の知る限りでは、これが初めてであったと認めざるを得ない」
 この発明家は、ハートに彼の飛 行機械を用いてキューバに飛んで行き、キューバ人の解放戦争を助け、スペイン人を追放するのに使うことに興味を持っている、と語ったという。1897年に発生した着陸事例の中でも幾つかは、キューバ戦争について、乗組員が共通して言及したと報告している点は注意を要する。
 この種の共通の情報は、飛行船もどきの真の発明者によって、各接触事例に意図的に組み込まれたものと推定される。その目的は、実際に存在している“飛行船”やその乗組員の実在性を暗示し、各報告の真迫性を強めることにあると考えられる。
 また、明らかに、相互にくい違ったり矛盾していたり、更にそれぞれ固有の、不自然で非合理的な情報が含まれている点にも注意を払う必要がある。
 例えば、この事例では“発明者”はハートに、この“飛行船”はガスと電気で動く、と述べたとされている。しかし、コリンズやフートンは圧縮空気で動くと説明されていたのとはくい違っている。事実、1872年にドイツのヘンラインは、ガス・エンジンを用いて飛行に成功しているのだ。
 公表された、ハートとコリンズの物語における幾つかのくい違いは、ジャーナリスティックな誤まりか、あるいは、その発明によって提示された技術データの誤解に基づくものであったと単純に解釈されている。
 しかし情報解析にあたっては、一見どのような矛盾や、不自然さを含む情報であろうとも、一応客観的事実と仮定して、このような矛盾や不自然そのものの背後に潜んでいるかもしれない合理的で自然な特殊な事情を、あらゆる可能性にわたって探究してみるのが基本原則である。
 特に、ある種の謀略ないし対敵情報収集妨害戦術が実施されていることが予期されるこの領域では、作為的工作につきものの矛盾や不自然さの中に、謀略や工作の動かしがたい痕跡ないし証拠の発見を期待し得るのである。
 もし発明家が、投資してもらいたいと述べたとしたならば、サンフランシスコの実業界や富裕階級に顔が広く高い信用を博していたハートは、たちどころに、大勢の投資家を集めたに違いない。コリンズのところに現われた時とちがって、問題の“飛行船”は、既に堂々とデビューして、その飛行性能のデモンストレーションを繰り返し、大評判となっていたのだから。
 しかしそうなれば、当然青写真は機械工学の専門家たちの前に持ち出され、たちまちバケの皮がはがされてしまったことであろう。この紳士の目的は、勿論ハートやコリンズの名声と信用を利用して、新聞に記事を書かせ、飛行船の宣伝をし、同時に後世に確実な記録を残させることにあったのだ。
 何のための宣伝か? この時期に、地球外の知的生物が何らかの作戦目的のために、アメリカ上空で行動させた多数の、航宙艇−−現代風の通俗的な表現を用いればUFO−−のカモフラージュのためと推定される。
 何のために後世に記録を残させたのか? 後に、地球人の前で公然と上演する予定でいた無言劇の、一種の序曲として、自分達の活動が、少なくともこの時点で、このような壮大さと、地球社会への巧妙かつ徹底的な浸透力をともなって実行されていた事実について逆アリバイ証明のための伏線を張っておくためと考えられる。
 この2つの謀略的目的のいずれをとっても、一定の範囲での説得力と真迫性をもっていなければならないが、余りに完全にまともであってはならないのだ。幾つかの、非合理的で不自然な情報を故意に組み込んでおいた方が、人々に、根も葉もない作り話や、根拠のない噂にすぎないのではないかと疑わせることが可能であり、それによって初めて、うまく引っ込みもつき、ごまかしてしまうことができるのだ。
 逆にこの非合理で不自然な情報の存在が、後世の地球人たちに対しては、地球外からの工作が行われた事実についての、疑う余地のない識別信号の役割を果たしているのだ。
 もし、ハートやコリンズのところに持ち込まれた青写真がガソリン・エンジンか何かを動力としたものであり、実際に特許を取ったり、投資を求めたりしたならば、現代の我々は、全く注意を払わなかったであろう。この問題の重大性に気づいて、古い新聞のファイルやマイクロフィルムの徹底的な洗い出しを行ったのは、証人や目撃者の高い信憑性に結びついた報告内容に含まれている顕著な異常性のためである。

上院議員とホラフキ紳士

 フートンの目撃報告が掲載された次の日、アーカンソー州ハリスバーグ郊外に住む、前上院議員ハリス氏の報告が『モダン・ニューズ』紙に掲載された。
 1897年4月21日、午前1時、不思議な音で目をさまし、外を見て驚いた。自分の地所に有名な飛行船が降下していたのだ。戸外に出てみると、乗組員が、せっせと新鮮な井戸水を補給していた。2人の男と1人の女、そして腰の辺りまで届く黒い髯を生やし、輝く黒い目と彫りの深いきりっとした表情をした老紳士がいた。
 ハリス氏が語ったところでは、この老紳士はのべつ喋りまくったらしい。その中で26年前、ミズーリ州セントルイスの『リパブリック』紙に老紳士の叔父が科学的発明をした記事が載り、それによると重力の法則は、全面的かつ完全に克服されたとある。
 叔父は、その発明をニューヨーク・シティの完全保管金庫に入れておいた。各国から資本提供の申し出が多く、検討している間に病気で死んでしまった。およそ19年後に、私はやっとのことで叔父の発明の資料を手に入れることができた。
 最近になって殆ど完全な飛行船を造ることができたが、実験のため見つからないように夜間飛行を続けているのだ。私は飛行船を公開する前に、火星を訪問するつもりでいる。重量は私にとっては問題ではない。
 細いワイヤーを物体に巻きつけることによって重力が棚上げされるのだ。この船には、4tの改良ホッチス銃と10tの弾薬が積んである。私はキューバに行ってスペイン軍を絶滅させる準備をしていたが、計画を変更してアルメニア人を救いにいこうと思っている。
 この改良銃を使えば、ホッパーにカートリッジを差し込んでボタンを1つ押すだけで、1分間に6万3000発の弾丸が発射される。この4tの銃にワイヤーを巻きつければ、片手で持って狙いを定めることができる。距離も殆ど克服された。我々は、1時間前の12時10分にはダラスの郊外にいたのだよ。新しい推進器が完成したらもっと楽になるだろう。
 と語った老紳士は、ハリス氏に飛行船に乗ってみないかと勧めたが、断った。そして彼らは船に乗り、夜空の中に上昇していったという。
 紳士の話のうち、発明の経過については、些かメロドラマ風であるがキューバやアルメニアの話は、当時のアメリカ人の関心を集めていた時事トピックスである。主に話の後半に出てくる、火星訪問とか改良ホッチス銃などに関する部分は、当時の人々にとっては「ホラフキ男爵」顔負けの大ボラに聞こえたに違いない。
 前上院議員ともあろう人が、こんなとてつもない夢物語のすべてを、本気で信じ込んだとは考えられないが、新聞記者によってつけられた、おひれにしても話が余りに大きすぎるし、科学技術史の長期的な展望に は、正確に沿いすぎている。
 話を、ヴァイキング火星探査機・ジェット戦闘機用高速機関銃・コンコルド超音速旅客機などが実現している現代にもってくれば、表現の点は別として、紳士の示した諸問題の本質的内容は大ボラでも何でもない。
 既に一部は実現されており、他の大部分も近未来に実現ないし解決を期待できる諸課題にすぎないのだ。また、重力現象の核心的部分に対しても、各国の科学者たちが、真正面から研究を始めている。
 恐らくハリス氏は、実物の“飛行船”をまのあたりに見、その上、乗員と接したショックに圧倒され、興奮していた矢先に、何の準備もなく、いきなり駈けつけてきた新聞記者にインタビューされたため、ありのままに語ってしまったのではないだろうか。そして“自分としては、こんな夢物語を全部信じているわけではないが、乗組員が語ったことは事実なのでお伝えする”という、コメントを記事の中に入れてもらうのを忘れたのではないかと思われる。
 他の著名人たちや一般市民たちの、接触報告のすべてに、程度や内容の差はあるが、この種のはっきりした、非合理的ないし不自然な情報が含まれている事実によっても、裏付けられていると思われる。また、逆説的にみれば、問題の“飛行船”とその乗組員との接触報告に関する限り、不自然な情報が含まれていない方が不自然なのだ。

デタラメ情報の心理的効果

 ハリス氏の所有地に“飛行船”が着陸した次の晩、テキサス州、ジョサランド近郊の、有名な農場主、フランク・ニコルズ氏も、自分の井戸の水を“飛行船”乗組員たちから所望された。
 ニコルズは、真夜中頃、機械の回転音で目がさめた。トウモロコシ畑に奇妙な恰好をした重そうな飛行船が、着陸し、眩しい光が出ているのを見つけてびっくりした。調べに出たが、それほど遠くまで行かぬうちに2人の男に出会った。
 彼らが、井戸の水を汲ませてほしいと頼んだので承知した。すると彼らは自分たちの船に彼を招いた。船の中で6〜8人の人たちと話をした。機械類の説明もあったが、充分理解することはできなかった。彼らは更に次のように語ったという。
「この種の船が、アイオワ州で五隻建造された。まもなくこの発明は正式に発表されるだろう。現在、大きな株式会社がつくられつつあり、来年中には、この飛行機械は広く一般に使われるようになるでしょう」
 この説明は勿論すべてデタラメだが、実際に“飛行船”の船内で聞かされれば、本当のことだと信じるのは無理のないことだ。この記事を読んだ人々は、さしあたり半信半疑で受け入れるだろう。しばらく経って、空を飛ぶ物体も見かけなくなり、発明の正式発表もなく、問題の船の建造事実はないということを知ってから、どうも一杯喰わされたらしいとさとるだろう。
 しかし同じ頃、ドイツで最初の硬式飛行船が飛んだ事実を聞かされて、あの話はアイオワでなくてヨーロッパのことだったのかもしれないと思ったりしているうちに、忘れ去り、世代も交代して、人々の記憶から、この“飛行船”騒動は消えていく……。ニコルズ氏は、こんな仕掛けの、心理戦謀略に利用されたのである。
 1897年4月25日、『デーリー・テクサーカニアン』紙上に“飛行船”を見たという真実と乗組員から聞かされたデタラメを、次のようなもっともらしい談話として発表させられる破目になった、アーカンソー州テクサーカナの判事ローレンス・A・バーン氏は、その無教養ぶりを、一世紀の後まで伝えられることとなってしまった。
「私は金曜日(23日)に土地の面積調査を監督しに、マツキニー入江に降りて行こうとしていた時、妙な形の物体が地上に保留されているのを発見した。それは問題の“飛行船”だった。船の中には3人の男がいて外国語で話をしていた。容貌から判断すると、日本人のようだった。彼らは私に、船の中を見せてくれた。……機械はアルミニウムで、船を上昇させるには、その怪物を上下させるポンプで、アルミニウムのタンクに充填し、降下するときは排出される」
 容積の変わらないアルミニウム製のタンクに、軽ガスを幾ら詰め込もうが、排出しようが、浮力には関係ないのである。
 本物の飛行船や気球は、砂袋などのバラストを搭載した状態で同容積の空気と同じ重量となるように地上で調節しておき、離陸上昇するときにバラストを捨てたり、容積が膨張し得る気嚢部分に軽ガスを充填してふくらませ、全体として同体積の空気よりも重量を軽くして、浮力を得るのだ。
 物理学か、気球技術の知識のある人が、この記事全体の信憑性を疑い、判事の信用を傷つけるような発言をする可能性が存在する。この事例の演出者たちは、このような効果を狙ったものと考えられる。
 この時代にあっては、飛行船そのものの出現がかなりショッキングであり、人々は半信半疑の心理状態にあったはずである。この状況が強化されることによって、地球外に起源を持つ飛行機械がアメリカ上空で実施中の低空作戦を、噂の飛行船かも知れないと住民たちに思わせるようにしむけることが可能である。しかもよく調べてみると、飛行船そのものが地上に着陸していたという目撃談そのものが、疑わしいと判明するという状況をつくり出せるわけである。



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