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Re: 質問の仕方と主体性と南京と........日本は何処へ 投稿者 一般人 日時 2002 年 3 月 01 日 22:36:18:

(回答先: Re: 質問ありがとうございます 投稿者 あっしら 日時 2002 年 2 月 27 日 20:58:32)

貴重な時間を割いて、レス頂ありがとう御座います。

どうも質問の仕方が悪かったようで、わたしもいくつか明言しておかなければなりません。
1.質問は、論旨の明快さを求め、その立脚点を伺っただけで、誰がということを詮索する意図は全くありま
  せん。
2.質問は誹謗中傷を意図し、誘導するものではなく単純な疑問を疑義として申し立てているに過ぎません。

なぜそのようなことにこだわるのかといえば、前提や主体を曖昧にすることで事前に回避できる問題や事件が世の中に多すぎると感じるからです。それは普段の会話にも良く現れています。

よくありがちなパターンとしては

「世の中は○○と思うんだよ。だから、□□してかなきゃね。」

これは日本語が英語で言う「アイ」と「ウイ」を混同することによって

<私は○○と思う、だから私は□□したい。 I think , I want to do. >
<私は○○と思う、だから私たちは□□したい。そうだよね、みんなぁ。 I think , we want to do. >

という、二つの意味を持ってしまっているようです。さらに、

「みんなで□□した。」

といったとき、

<みんなは□□したが、私は参加しなかった。 They do, but I don't. >
<みんなは□□した、そして私も参加した。 We do. >

私は私を含む皆が<I think, I want to do, I do. >であればよいのです。

それを身近な日常でも、誰の合意も取りつけていないのに、いきなり、
「私たちは□□だ。」とか「日本人として□□する。」といった類の言葉が平気で飛び交います。

そして、こうした主体性の曖昧さが特に最近の様々な事件を引き起こしているように思えてなりません。
雪印の問題にしろ、狂牛病にしろ、外交問題にしろ、主体性の希薄な人間の集団化によって引き起こされているように感じています。

マスコミにしても事件性の高いものを社会問題と取り扱ったり、社会問題を小さな事件と取り扱ったりと、その焦点や主体をぼかして、いい加減に扱いすぎ、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」状態を繰り返し、今や死んでしまっていることにさえも気付かないのではないかと、思うことさえあります。(誰かが操作しているのかも知れないが)

私自身が社会問題を取り扱える立場にないにしろ、

日々日常の身近なところでの「主体のはっきりした言葉」を大切にすることで少しでも私にとっても周囲の人間にとっても無意味な不幸を回避できればと思っています。そして、こうした態度は言論を束縛することとは無関係だと考えます。

そして、「ある主体的意見」に対する、疑義の申し立てとそのやりとりは、良い意味で客体性を添加し、立体的なものとなるのではないでしょうか。

前置き長くなりましたが、「あっしら」さんのご回答はなるほどと納得させていただきました。その上で、部分についてのご意見を伺いますが、

>「一人一人で生きて死んでいくしかない」というのは、個としての人の根源的意識として
>そう思っていることで、言い換えれば、「人はひとを根源的には救済できない」という考
>えのベースになっている考えです。

>・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>いろいろな書き込みをしてきたのも、このまま進めば、否応なく、イヤな気になることが
>多くなってしまうだろうと考えたからです。
>書き込みを通じて、人を見てイヤな気になる機会が少なくなったり、人を見て心地よくな
>る機会が少しでも増えればいいなと考えています。


?浄土的な救済を切り捨てながらも、隣人に対する慈しみを忘れることの無いようにする。という意味と捉えて構わないということか?(語彙が宗教的だが宗教とは無関係)

>>このまま進んでいけば、「今日はしのいでいる人」が、じりじりではあれ
>>「もうしのげない人」になっていきます。

>それなのに、政府は有効な手だてを構じようとしていない。
>日本の政府であれば、これまでの政策よりも少ないコストと智恵で解決できる問題を解消
>すべきである。


>>「南京大虐殺」問題すら誠意を持って解決していこうとしない日本が困難に陥り、
>>それを知った中国が手を差し延べないとしても、恨みや非難は投げかけられません。

>>お読みになられたかどうかわかりませんが、12・22の「不審船」は、中国人保有の
>>船ではないかと思っています。
>>さらに言えば、仮りに言われているように北朝鮮の船であったとしても、海上保安庁が、
>>最終的な砲撃を指示した時点では、報道を顧みればわかるように、“中国船”ではない
>>かと思っていたのです。
>>北朝鮮の船だと主張し始めたのは、翌日からであり、その根拠として“不審船と北朝鮮
>>との交信”をリークしたのは25日になってからです。

>>このようなことを前提にすれば、物事を冷静に考える人であれば、「日本政府は、中国
>>船と思っていながら、撃沈するほどの砲撃を加え、しかも、撃沈により漂流した人たち
>>を真摯には救助しなかった」と思うでしょう。

>>数十年前の「南京大虐殺」でさえ怒っている中国の人たちが、こう考えたり、さらには
>>犯罪者であったとしても“中国人”が日本政府(軍)にまた殺されたと考えたら、とん
>>でもない政治問題になります。
>>中国政府は、嵐のような反日運動が起きる事態に陥ることを避けるために、不審船問題
>>を冷静に処理しているのです。

>>日本政府は、撃沈された不審船を探査していますが、中国政府はそれに牽制を入れてい
>>ます。
>>日本政府が、中国政府及び中国人とどういう関係性を築いていきたいと考えて対中政策
>>を決定しているのか、どう考えても私の理解を超えています。

?事象の客観性は皆さんの書き込みの総体に委ねるとして、
?私はとくに村山政権以降、日本政府は「日本の民(日本に暮らす人々)」よりも「アメリカ政府」と親しい関係にあると考えているが、この意見についてどう思われるか?また、上記の事件を通じて「日本政府」は「日本の民」「アメリカ政府」「中国政府」さらには「韓国政府」「その他の政府」「アジア諸国関連機構」「EU」との関係の中で、何のために何処と親しくすべきか全く判断不能になっているのではないかと感じるがいかがか?


>心情は抑えきれないものです。
>「南京大虐殺問題」も「不審船問題」も、できる範囲で事実を明らかにしたり、きちんと謝
>罪しても、親や祖父母の代の話であったり、現実的な話でもあるので、そう簡単に怨念や怒
>りをぬぐい去ることができるとは思っていません。
>しかし、誠意ある対応をすれば、相手も、歴史的に顧みれば日本を含めていろいろな国に酷
>い仕打ちをしたこともあったなと考える人も増えるでしょう。

>歴史の問題は、悪かったと判断したことはお互いがきちんと謝罪することで“水に流し”、
>そのような過程を通じて得た価値観をベースに今後をどうしていくのかを考えたほうがいい
>のではと思っています。

>新たに憎悪を生むようなことを行えば、昔の出来事に対する憎悪まで増大させてしまいます。


?現時点で、日本政府て何処の国に対しても何も意思表示していないのだろうな。と感じるわけです。
もし、謝罪するにしろ何にしろ、意思表示する場合、これからの「日本の民」にとって有益な交渉をしていただかなければならないわけですが、そのようなメンタリティーを現在の日本政府がもつとはとても思えません。

昔、何かの雑誌で読んだことがあるが、中国にあるの南京大虐殺の資料館のルポで、相当えぐい資料を見せられた後、ルポライターが恐縮していたところ、資料館の担当者かだれか中国人の方が、「この事件について中国はあまり気にしていない。」と言った類のことを言われビックリしたそうです。まあ、この話の有効性が何処まであるかは別にして、

今後、中国のしたたかさに比べ、日本政府は不甲斐なく、例え日本政府が中国に対し優位な立場を取りえたとしても、「中国以外の政府」にとって有利に働いても、それが「日本の民」にとって有益かどうかは以前謎のように思えますがいかがか?


「あっしら」さんが以前にこの類のことに十分説明されていたなら申し訳ないのですが、世情に疎い自分としては、あらためて考えを伺えれば幸いです。


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また、事件ではないので、ここではアップしにくいですが、前段の主体性の希薄さがうむ事柄として、いつも不思議に思っているのが、例えば電車の中での携帯電話の使用についてです。

携帯電話が使われはじめた頃は、その光景に不慣れなためか、「不快だ」とか「うるさい」だとかで車内利用が注意されました。
次に、ペースメーカーの客がいるから危険ということで(ペースメーカー使用率がどれだけなのかはあまり語られなかったように思う)、電源を切るように規制放送が流れた。
いま、アイモードなどのメールが普通になり、その光景も普通になってしまい、電源など切る人はあまりいないと思うが
それでも、規制放送が流れている。
「他のお客様のご迷惑になる」とはどういう社会的コンセンサスを得ているのか理由説明もなく、なぜ一企業から行動規制を受けなければならないのか。そのことの方が耳障りであり、全く理解に苦しみます。
放送する車掌は業務的な放送とし扱っていて、「行動規制執行していること」に対する責任の意識には欠けていると思われます。

長距離列車などでは時間的拘束時間の長さから、デッキでの使用を促すのとは全く異なる次元の問題のように感じます。

なにかこうした小さな行動規制から、良からぬ大きな抑圧を生むのではないかと不安に思うこともあります。
事件じゃない事件が今の社会の中で大きなヒエラルキーをもっている気がします。

まあ、印象論でしかありませんし、そうそう目くじらを立てている暇もないので、ふとした拍子になんだかなぁと思う程度なんですがね。

つたない質問でついダラダラと長くなってしまいましたが、宜しくお願いします。

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