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Re: 自由について再考 投稿者 あっしら 日時 2002 年 6 月 01 日 23:41:59:

(回答先: 自由について再考 投稿者 楽観派 日時 2002 年 6 月 01 日 22:49:21)

すれ違いの感もありますが、レスします。


>世界のさまざまな人々の間に、”こんなときに自由だと思う”という共通潜在意識が
>すでにあると考えます。

具体的には、どんなときが自由だと思うことでしょうか?


これまでのレスで書いたことは、自由という抽象的な概念をことさら使わなくても多くの人がイメージしている自由は別の表現で説明できるという思いに拠っています。

そして、根源的な自由はないということから出発したほうが、イメージされている自由の実現も可能だと考えています。
自由ではないから、自分(人)以外の自然にどう働きかけるのか、人と人の関係性をどう律するのかという問題が真剣に考察されるようになると思っています。

他者(権力機構を含む)にいわれなく身体を拘束されたくない、生存条件が満たされない状況には置かれたくない、心地よい生活をしたいなどをどう実現するかを考えるとき、自由を掲げる必要はなく、根源的には人は自由ではないということから始めたほうがまともな策が生まれるのではないかという問いかけです。


>それは近代化の課程ですでに意識に刷り込まれたものであり、そうした自由の概念は
>十分地面に足がついているのでは?

そう思っているからこそ、反意語的に、「人は根源的に自由ではない」という理屈を持ち出しているのです。
端的に言えば、近代の自由概念は、多くの人がそこそこの条件でも生存でき、それが将来的に維持できる自然条件を維持し続けるためには経済活動に対して規制が必要であることをはねのけようとするものとして持ち込まれた背景もあるからです。


>もし他者や環境に依存しない自由を求めるならそれは”涅槃”でしかありえないで
>しょう。涅槃というのは全てを超克しより高い論理レベルにいたることですからそも
>そも議論の対象となり得ません。バートランド・ラッセルが提唱した階層理論です。
>プラグマティックな自由の定義が必要なのでは?

自由を求める必要性はないと考えています。具体的な何かを求めればいいことだと思っています。
自由という抽象的な概念から離れて、プラグマティックな要求(欲求)を論議すればいいと考えています。


※ 一応、西欧で自由という概念が普及した歴史的・宗教的・政治的・経済史的な背景は理解しているつもりです。


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