「平成恐慌の可能性」戦慄のシュミレーション〜半ば現実と化した「恐怖劇」はペイオフ解禁でクライマックスに(PRESIDENT2001.11.12号)

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投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2001 年 10 月 29 日 17:36:08:

「平成恐慌の可能性」戦慄のシュミレーション〜半ば現実と化した「恐怖劇」はペイオフ解禁でクライマックスに(PRESIDENT2001.11.12号)

●恐慌のプレリュードがすでに鳴り響いている

経済は人間心理の集合体である。天気予報では「明日、天から人間が降ってくる」と予報士がのたまわっても、絶対にそうはならないが、経済社会ではみなが「近く恐慌になる」と信じれば、本当に恐慌になる。なぜなら、企業は投資を手控え、消費者はいざというときに貯金をしておこうと身構える。結果として経済活動はますます萎縮する。
同時多発テロのあと、ニューヨークに住むアメリカ人の友人に電話をしたら、つい最近まで新しい本を書くのだと言って張り切っていたのが、「何もする気がなくなってしまった」と憂鬱そうな声を出していた。このような人々がいまアメリカ中に増えており、消費は停滞し、株価は冴えない。投資マインドも消費者の購買意欲も沈みきっているという点では、日本も同様である。
そういう意味では、私たちはすでに恐慌劇の中に一歩足を踏み入れていると言ってもいいだろう。
恐慌には段階がある。「起承転結」と言い換えてもいい。「起」はプレリュード。それは株価が日経平均で一万円を割った時点で、すでに始まった。株価は景気の体温計だが、同時にその行方を決める歯車でもある。早い話、この九月から「時価会計制度」が導入となり、銀行は株価下落による含み損が出た場合、剰余金を取り崩して計上しなければならなくなった。株価が下がれば下がるほど、内部留保が細り、経営基盤が弱体化し、産業の血液である資金を市場供給する力が萎えていく。結果として、経済活動が停滞する原因になるというわけだ。
「起」がいよいよ「承」の段階に入るかどうかを決定する悪夢のゲートウエー@は、この一、二カ月以内にやってくる。それは、米国がアフガンに数万単位の地上軍を投入するかどうかで決まる。投入した場合、戦争は長期化して、企業と消費者マインドの沈滞現象は、先進国のみならず世界中に広がっていくことだろう。もし、戦いが西欧先進国対イスラム諸国との対立などに発展したら、石油価格の高騰が発生し、経済はさらに深刻な打撃を受けることになるだろう。
悪夢のゲートウエーAは、これから年末にかけての政府の予算編成である。
仮に、米国が大量の地上軍投入を避け、タリバン政権を兵糧攻めにする作戦に出たとしても、小泉内閣が「国債の発行額を三〇兆円以内に抑える」という愚かな政策にこだわり続ければ、恐慌の「承」は確実にやってくる。深刻な不況下、企業や消費者が支出を切り詰め、借金返済にあい努めるのはミクロの論理として当たり前のことだが、マクロの経済の安定に責任を持つ政府までが同じようなことをするのは、首吊りの足を引っ張るような暴挙である。
後世の歴史家は、経済を知らない愚か者どもが瀕死の患者に乱暴なメスを振るった、狂った季節と位置づけることだろう。

●街を埋め尽くす路上生活のテント群

恐慌の「承」は、第二、第三のマイカルが登場することによって幕が開く。
体力を落とした銀行群は、不良債権化した、あるいは「要注意先債権」化した取引先に見切りをつけ、取引を打ち切る。
それは銀行にとつては、まことに辛い決断であるはずだ。債権を切り落とすことによって、バランスシートの片方、つまり資本を食いつぶすか、あるいは新たな利益を計上しなければならない。新たな利益源などあるはずもない。あれば、こんな事態になるはずがない。さりとで、このまま融資を続けていけば、将来の損失はもっと巨額になるかもしれないからだ。
資本を食いつぶしていけば、自己資本比率は下がり、国際業務を行うための最低基準である八%を割り込む。公的資金の注入となり、国営銀行があちこちに出現。名実ともに「金融社会主義」が日本に訪れる。草葉の陰のマルクスは、随喜の涙を流すことだろう。
どこが第二、第三のマイカルになるか。その名を記すのは本稿の目的ではない。
世上、囁かれている「三〇社」どころではすまない数の危うい会社があることだけは確かである。竹中経済財政担当大臣は、構造改革に伴う失業者の数を「数万人から数十万人」(国会答弁)と推定しているが、そんな数では収まらないだろう。第二、第三のマイカルはおそらく流通業や建設業から出る。この二つは、下請け企業の数が多い。新しく発生する失業者の数は、少なく見積もっても一〇〇方を超えるだろう。
政府はセーフティーネットを張ると言っているが、小渕内閣で派手に打ち出した「一〇〇万人雇用創出計画」の結果はどうだったか。わずか数万人の雇用が増えただけだった。したがってハローワークの前には、絶望的な長い行列ができ、隅田川沿いや上野の森のみならず、いたるところに青いテント群が広がるに違いない。
民事再生法や会社更生法の適用を受けるまでにはいたらずとも、リストラはさらに進み、賃金はカットされる。結果として、企業活動や消費はさらに冷え込んでいく。この段階で、日経平均株価は八〇〇〇円を割り込むかもしれない。
小泉内閣の支持率は失業率と反比例して、じりじりと下がっていくことだろう。支持率だけが頼りの小泉内閣だが、高い支持の水準と固さは異なる。
小泉内閣への支持は固くはなく、ふわふわと柔らかい。その証拠に、支持率の異常な高さにもかかわらず、先の参議院選挙の投票率は記録的に低かった。投票所に行くという「時間的なコスト」まで支払おうという支持ではないのだ。恐慌という現実のコストに人々は怖気をふるい、ふわふわとした支持率は淡雪のように溶けてなくなる可能性がある。
この世論の空気に反応して、政府自民党は慌てて「国債三〇兆円」の枠を外し、数兆円単位の補正予算を組もうとするだろう。
しかし、もう手遅れである。下血の始まった患者に輸血をするようなものだ。すっかり萎縮した国民の心理は、少々のカネを手にしても、使おうとはしないだろう。同じ栄養剤でも、体力を残したときに投入するのと、何も受けつけなくなったときに投入するのとでは、効果が決定的に異なるのだ。

●取り付けの嵐による借用恐慌が発生

さあ、いよいよ恐慌劇の「転」である。
「転」は来年春から夏にかけてやってくる。きっかけとなるのは四月から実施されるペイオフである。
九月二五日付の日本経済新聞の一面に三段見出しでごく地味な記事が載った。
「定期預金離れ加速−新規預入額、ニケタ減」
記事は、日銀の発表によるもので、国内銀行が七月中に受け入れた定期預金が前年同期比一二・三%減少して四四兆四〇〇〇億円になったとしている。その理由は定期預金の利率が低いことに加え、二〇〇二年四月のペイオフを控え、預金者が大口預金に慎重になったためという。取り付けの前奏曲演奏が始まっているといっていい。
「ペイオフ」とはいうまでもなく、預金の払い戻し保証を一定額までとする措置のこと。一〇〇〇万円以上の預金については銀行がつぶれても払い戻しはしないというわけで、預金者が動揺して、噂の立った銀行に預金引き下ろしにどっと動くのが取り付けだ。「転」のハイライトはこの取り付けの嵐による信用恐慌である。
昭和の金融恐慌当時は、預金者が銀行の前に列をなし、日銀は現金紙幣が足りないと大蔵省造幣局に泣きついた。造幣局は大慌てで、片側の真っ白な紙幣を印刷して供給したという。すさまじい話だ。
しかし、現代の取り付けはそんなことになりはしない。CD(現金自動支払い機)によって預金者はどこの銀行からでも預金を下ろせる。引き下ろし額には制限があるから、あちこちの銀行を駆け回ることになるだろう。一〇〇〇万円以下の小口預金者は安心して預金を下ろさないかというと、そうではない。銀行がつぶれてしまったら、すぐには預金を下ろせなくなる。毎日のやりくりに困る。
取り付けの大波を受けるのは、とかくの噂のある銀行で、都市銀行だけではなく、地方銀行や借用金庫にも及ぶだろう。その銀行の担当者は、行内にあるパソコンのモニターを脂汗を流しながら見つめるはずだ。現金準備を示す数値の水位がじりじりと下がっていく。目に見えない行列である。とりわけインパクトの大きいのが、一般の預金者よりも、中小企業や自治体の預金引き下ろしである。彼らは大口の預金者だからだ。
私の友人である中小企業の経営者が取引銀行の支店長と実際に交わした会話を紹介しょう。
その銀行はとかくの噂のある銀行だった。友人は預金を引き下ろしに行ったのだ。慌てた支店長に泣きつかれた。
「長いお付き合いじやありませんか。どうかこの預金、置いておいてくださいよ」
考えてみれば、支店長には随分と世話にもなった。そこで、友人は言ったものだ。
「わかった。それでは、当分下ろさないでおこう。ついては、何を担保にしてくれるかな」
銀行に預金するということは、その銀行に無担保で融資するようなものなのだ。中小企業の経営者たちは、命かを賭けて銀行の選別を始めている。
取り付けが実際に起きるかどうかを決定するゲートウエーは、二つある。
第一は、国債価格の動きだ。株式などの有価証券に不信感を抱いた銀行は大量の国債を抱えている。この相場が何らかの理由で大幅に下がったら、大変だ。巨額の含み損が発生する。含み損が銀行の経営をいかに傷つけるかは前述したとおりである。
では、国債価格が暴落するきっかけは何か。ひとつは、国債をこれも大量に抱えている資金運用部の不良債権が明るみに出たときである。郵便貯金などを原資とする資金運用部は財政投融資にも資金を回している。その金額はおよそ四五〇兆円。膨大な数字である。ところが、そのうち一〇〇兆円は不良債権化していると囁かれている。
これが明るみに出たら、銀行、生命保険会社、外国人投資家などが国債の売りにどっと走るかもしれない。
取り付けが起きるかどうかの第二の要因は、政府与党、いや野党も含めて、どれくらい不良債権の処理にこだわり続けるかにかかっている。どうして?とおっしゃる方も多いだろう。
実は、大変皮肉なことだが、いまのように銀行の体力が弱っているときには、なまじ不良債権を処理しょうとすればするほど、不良債権は膨らんでいくのである。
不良債権の処理が銀行の体力を傷つけるだけではなく、倒産を通じて大量の失業を生むと言った。それ自体がまた全体の有効需要を減らし、本来なら息を継いでいた企業までを危うくする。つまり、要注意先の取引先を増やすのである。
不良債権とは産業廃棄物のようにどこかに,うずたかく積み上がっている物体ではなく、膨らんだり縮んだりする生き物なのである。
経済の力がいまのように萎縮しておらず、銀行が新しい利益源を確保するのがそれほど困難ではない状態なら、不良債権の処理は経済の浮揚力を高めるのに役立つだろう。
しかし、恐慌の「転」の段階では、百害あって一利なし。これもまた首吊りの足を引っ張る結果になる。
政治家、官僚のみならず、マスコミも何かというと、「不良債権の処理を急ぐべき」と操り返すが、これはミクロの論理であって、マクロで見ると、不良債権処理の最大のポイントは景気をよくすることの一点に尽きる。

●自治体の相次ぐ倒産で行政サービスが崩壊

恐慌の「転」で一気に表面化するのが、地方自治体の倒産である。
自治体は国からの交付税と補助金に長い間頼った財政構造になってきたから、不況の影響はすぐには受けなかった。しかし、国はもはやない袖を振るわけにはいかない。補助金は大幅に切り込むことになりそうだし、交付税制度も徹底的に見直そうとしている。
そうなると、自治体の財政難が一気に表面化する。「財政再建団体」に指定される自治体が続出するはずだ。つまり自治体の倒産である。財政再建団体とは、国がそれぞれの自治体に定めた標準的な財政規模に対して、赤字幅が二割以上になったところのことを言う。ただし、単年度ではなく、過去の黒字(「財政調整基金」として積み立でている)もなくなり、すってんてんになったときである。
地方税や交付税などの経常的な収入に対して、人件費や福祉間係などの経常的な支出がどれくらいあるかを示す指標に「経常収支比率」というのがある。これが八〇%を超えると、財政状態に黄色信号が灯るとされているが、いまでも自治体の八、九割はこの水準を超えているのである。
いま、あちこちで自治体の合併話が進んでいる。熊本県などはほとんどの市町村が合併協議会をつくったという。
総務省は、自治体の合併を促すため、交付税をカットしないなどのニンジンを与える方針だが、いくら合併したところで、首長とか職員の数が減るだけであり、市町村の経済が蘇生するわけではない。
国もさることながら、自治体の弱体化は国民の生活に直接影響を及ぼす。
早い話が、消防署は自治体の管轄だが、消防車の減価償却もままならず、一一九番しても途中でエンコしてしまうかもしれない。ある自治体では、教育予算が足りなくて、中学校の社会科の教科書には、まだ「ソ連」が存在しているという。

●欧米資本の「ドルと英語」による支配が始まる

最後は恐慌の最終幕、「結」である。
この投階では、人心がすさむ。中高年の自殺がうなぎ上りに増え、一方では治安が悪くなる。カルトが流行するかもしれない。株価は六〇〇〇円の大台を割り、五〇〇〇円台をうかがうだろう。
「結」の決定的なイベントは、貿易収支の赤字転落である。その兆しはすでにある。貿易収支の黒字幅がこのところずっと減っている。企業は大中小問わず生産拠点を中国などの低コスト国に急速に移している。
海外にシフトするのは、モノの生産だけではない。恐慌劇の「結」では、カネもシフトする。いわゆる資本逃避である。かくて国際収支は、経常収支も資本収支も赤字となり、絶えず円安の圧力がかかるようになる。円安は景気を刺激するではないか、などと考えてはならない。この段階では、国内に生産拠点が少ないのだから、輸出しようにも肝心のモノがない。
むしろ、円安は輸入インフレをもたらす。不況とインフレの共存をスタグフレーションと呼ぶ。しかも、国際収支が万年赤字だというのだから、これはひところのラテンアメリカ経済の姿である。
国際収支の改善のため、政府は外資をどんどん入れざるをえなくなる。現在のラテンアメリカのように、経済の主要な部門は米欧の資本に押さえられるようになるだろう。そのうち、円などという通貨は廃止して、ドルに替えようということになるかもしれない。ついでに、英語の公用語化も始まる。
モノ、カネだけではなく、ヒトも海外に移るだろう。最近、PHP研究所から『二〇〇三年の「痛み」』と題する近未来小説を出版したが、その中で書いたひとつの場面に読者の方々が強く反応されたのには驚いた。主人公の娘が大学進学を諦め、マレーシアに集団就職するという場面である。しかし、こんなことはざらに起きるのだ。まだ、就職する先があるだけ幸せというものではないか。
恐慌劇の起承転結を描いただけでは、私としてはいかにも寝覚めが悪い。
最後にそうならないための処方箋を書いておこう。
小泉内閣が断行しようとしている「特殊法人の改革」と規制の撤廃は、自民党の族議員に妥協することなく、徹底して実行する。
しかし、「国債三〇兆円」の枠はただちに撤廃して、大規模な景気刺激型の予算を編成する。補正予算であっても構わない。ただし、このときは旧来の予算配分をそのままにするのではなく、日本の進むべきグランドデザインを示し、予算の大胆な組み替えをすることが絶対条件となる。
国債の増発となるではないか、という批判があるだろう。それでも一向に構いはしない。増発債は必要とあれば日銀が引き受ける。その代わり、景気が少しでもよくなり、自然増収があった場合は自動的に国債を償還する制度を組み込む。
国債を市中消化し、日銀が買いオペする場合と、最初に日銀が引き受けて、必要に応じて売りオペするのとでは、富士山に山梨側から登り、静岡側に下りるのと、静岡側から登り山梨側に下りるのと同じくらいの違いしかない。
最後に、来年四月に予定されているペイオフは延期する。ついでに、不良債権の処理も景気が上向くまでうるさく言うのをやめる。いまは非常事態なのである。非常事態には、非常事態の政策を実行しなければならない。

●みずき・よう
一九三七年、中国上海生まれ。日本経済新開ワシントン支局長、論説主幹などを歴任し、現在は作家として活躍。『巨税同盟』『田中角栄その巨善と巨悪』など著書多数。近著は近未来シミュレーション小説『二〇〇三年の「痛み」』。

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