Re: 気になる情報:Osama bin Laden visited Turkey twice 日本語訳

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投稿者 倉田佳典 日時 2001 年 10 月 01 日 14:08:54:

回答先: 気になる情報:Osama bin Laden visited Turkey twice 投稿者 sophiatp 日時 2001 年 9 月 30 日 01:44:50:

sophiatp氏による翻訳が出てましたので、
こちらにも転載しておきます。
http://www.omochannel.com/bbs/type2/bbs.cgi?room=jxpcwnd
より。
アブネタ掲示板に心さんの翻訳・分析もあります。
http://www.tcup3.com/315/himitsu.html


276] 269の翻訳 投稿者:sophiatp 投稿日:2001/09/30(Sun) 21:45


インタポル(国際警察)に指名手配されて居たにも関らず、オサマ・ビン・ラデンは、1996年に、そして再び1998年にトルコを訪問していた。トルコの保安機関が、彼が訪問し、実業家達や、「全体主義団体」であると公式に認定されている「灰色狼」の指導者と接触したことのみならず、彼が占領下のキプロス(※訳注:北キプロス)にある少なくとも4カ所の訓練所に於けるムスリム系テロリストの訓練に関与している事を知っていた事は、ほぼ確実である。この情報は、今日(9月25日)報道されたアテネの新聞「Espresso」紙上の「[ビン・]ラデンとトルコの秘密協力」と言う記事に纏められている。

 その無署名のEspresso紙の記事の記者(彼自身は、バルカン諸国におけるイスラム系破壊活動に関する研究の権威である)は、トルコ民放チャンネルNTVに拠る暴露記事を引用している。NTV情報に拠ると、ビン・ラデンは、自家用ジェット機に乗って、1996年8月28日1にアダナ空港に着陸し、イスタンブルへと急行し、そこに合計33時間滞在した。彼が、2回目に、アダナとイスタンブルを訪問したのは、アフリカに於ける米国大使館の爆破事件の6ヶ月前の、1998年2月17日のことであった。

 文脈から考えるに、トルコ当局が、このムスリム逃亡者を逮捕しなかっただけでなく、更に協力を提供したという事実は、注目に値する。NTVに拠ると、「イスタンブルの航空当局(の秘密記録)にのみ、ビン・ラデンの自家用機の到着が記録されており、電子記録には、彼が入国したことは記録されなかった」ようである。第一の訪問は、祖国党と民主左翼党と民主トルコ党の連立政権時に行われたものである。

 一見、この情報は、この暴露記事に因るトルコ政権に対する衝撃を和らげる為に漏らされたようにも見えるかもしれない。ビン・ラデンの訪問・接触は、権力の座に最早いない集団の政権下に行われたと、言い張ることは、一応可能である。しかし実際には、トルコの専制的政府は、人権や民権を尊重することの制約を受けない複雑な保安機関を用いて支配権を行使している。この現実を念頭に置いた上で、Espresso紙は、ビン・ラデンが難無く準VIP待遇で入国出来たのみならず、更に、トルコ経済界の支配者層の最高クラスの幾人かの代表者に会ったことに注目している。換言すれば、トルコを実際に支配する軍閥は、明かに、ビン・ラデンの人脈に気付いていた筈である。

 ビン・ラデンの「全体主義灰色狼」との接触は密なもののようである。この「全体主義灰色狼」は、トルコ政権によって存在が黙認されており、時には支持され、しばしば利用される準国家機関である。(この組織の熱心な活動家の一人は、20年以上前に、ローマ法王ヨハネ・パウロU世の暗殺を試みたアフメット・アリ・アジャである。)

 ビン・ラデンの組織と、トルコとトルコ・キプロス(訳注:北キプロス)の「灰色狼」は、1992年以来、最低四つの訓練所を、トルコ軍の占拠下にあるキプロスの諸地方にて運営してきたと、自紙の過去の報告に基づいて、Espresso紙は述べている。これらの訓練所は、後にバルカンやコーカサスで戦う為に送り込まれた、ボスニア・ムスリム人達やアルバニア人達やチェチェン人達を訓練する為に使われた。米国や他の西欧諸国の当局は、これら訓練所の存在を知っていた(そして、現在も知っている)のみならず、少なくとも、それらの隠蔽手段を提供していたと断定できる。

 最近フランスで出版された、ロラン・ジャカール著「ビン・ラデンの名の下に」の中には、Espresso紙がビン・ラデンとトルコに占領されたキプロス(訳注:北キプロス)の関係についての下した断定の幾つかを裏付ける情報が提供されている。「[ビン・]ラデンは、東欧に対する作戦を実現する為に、キプロスのトルコ統治部分(すなわち、キプロスの不当に占領されている地域)にある銀行を利用した。彼はトルコ政府と親密な協力関係にある幾人かの実業家の緊密な協力関係にあった。その協力者たちは、大統領の家族の一員について、言及することもある。」と、ジャガールは述べている。

 米国政府が、現在、ビン・ラデンとトルコ政府の関連について詳細に分析しなければならないことは、皮肉なことであると同時に、悲しい現実である。ビンラデンの協力者達や占領下のキプロスを統治するよう命じられている人々の何人かは、Ankaraの最高権力者に直結する人脈の者もいることが示唆されている。仮に、ジャガールがDenktash氏(北キプロスの占領政府の”大統領”)について言及すれば、その分析は、Washington自身に至らざるを得ないのである。(Denktash氏の甥の一人は、或る権威のある有名なシンク・タンクの研究員として、Washingtonで勤務している。)あらゆる地中海諸国と中東諸国に、Denktash氏の一族は散らばっているが、それが家族の結束の源となっている。彼の甥が自分の叔父の人脈について気づいていなかったと考えるのは困難である。

 ビン・ラデン組織と癒着した人脈のトルコ政府への浸透度と、北キプロス占領政府への浸透度は、ワシントン駐在の北キプロス代表部のメンバー数人による、キプロス共和国政府に対する最近の攻撃姿勢を物語っているかもしれない。キプロスは、(正道からはずれたメンバーを公然と避難していた)サウジ・アラビアの「ビン・ラデン一族」との銀行決済の抜け穴になっていたのである。この点においては、キプロスは、「ビン・ラデン一族」が実際に重要な経済的支配権を有している米国と何ら変わるところが無いのである。両国は、現在、多くのレベルにおいて協力関係にある。

 トルコ政権は、一方で「文明世界」の要求に従属的に応じているかのふりをしながら、実際には情報を隠蔽している。多分、それは、9月11日に米国を攻撃した張本人達を援助した事を示唆する斯様な情報によって、自国の西欧に対する実際の忠誠心に関する当惑があることが明白になったり、その忠誠心に対して重大な疑問が提起されることになるかもしれないことが、その理由であろう。

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☆ここにビン・ラデンと「ファティマ第3の予言」〔1981年のロ−マ法王(ローマ総主教)暗殺未遂事件とされている〕の関係が出てきましたぞ。ホンマにもう、怖いわー。

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