利用と弾圧の半世紀 エジプトのイスラム主義

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投稿者 倉田佳典 日時 2001 年 10 月 05 日 21:34:46:

10/05 17:02 終わりなきテロとの闘い サダト大統領暗殺20年  外信87

 【カイロ5日共同】イスラム過激派によるサダト・エジプト大統
領暗殺から六日で二十年。エジプトは事件後、過激派対策に没頭し
てきたが、弾圧は報復の連鎖を生み、同国は今もテロの影におびえ
ている。米中枢同時テロでイスラム過激派の活動が注目される中、
過激思想拡散の根源にもなってきたエジプトの姿は、米国がのめり
込む終わりなき「テロとの対決」の将来図にも重なる。     
 ▽暗殺と弾圧                       
 一九八一年十月六日、カイロ郊外ナセル・シティーで行われた第
四次中東戦争(七三年)の記念パレード中、一人の陸軍中尉が観覧
席に近づきサダト大統領に向け銃を乱射、手投げ弾も使った襲撃で
大統領は死亡した。                     
 後継となったムバラク現大統領は、事件の中核組織「ジハード(
聖戦)」が政府転覆を企てたとして、組織指導者を含む三百人以上
を一斉逮捕し、過激派弾圧に乗り出した。           
 その後はほぼ毎年数百―数千人規模で活動家が逮捕されたが、報
復のテロも頻発。九五年にはエチオピアでムバラク大統領が襲撃さ
れ、九七年にはルクソールで、日本人十人を含む六十二人が殺害さ
れた観光客襲撃事件が起きた。                
 エジプト政府は九○年代半ばに徹底弾圧方針から、懐柔や内部で
の情報活動を中心にした戦術に転換。エジプト国内ではルクソール
事件後、大規模テロは起きていないが、市民生活への抑圧は今も続
いている。                         
 ▽ひげで逮捕                       
 サダト大統領暗殺後に布告された非常事態令は、治安当局に令状
なしで市民を逮捕、投獄する権限を与えた。非常事態令は二十年た
った今も解除されていない。人権団体によると、活動家や支持者約
三万人が裁判もなく獄中にいる。               
 カイロ郊外の男性(26)の場合、学生だった七年前の深夜、国
家治安警察官が自宅を急襲、投獄された。家族によると「(原理主
義者に多い)ひげを伸ばしている」のが理由だった。      
 男性の母親は「息子は裁判もないまま投獄され三十カ所も刑務所
を転々とした。出所できても活動家のレッテルを張られたあの子に
未来はない。アラー(神)だけが頼り」と話す。        
 ▽テロの逆輸入                      
 サダト大統領暗殺を契機に強化された過激派対策で居場所を失っ
た活動家は、七九年に侵攻したソ連との戦闘が続くアフガニスタン
に活路を求め、多くが義勇軍に参加した。           
 活動家らはアフガン人ゲリラらとともに八九年にソ連軍撤退を成
し遂げた後、一部はアフガンに残留し、米中枢同時テロの容疑者と
されるウサマ・ビンラディン氏の組織「アルカイダ」などに合流、
一部は故郷での「聖戦復活」を目指しエジプトにひそかに戻った。
 エジプト経済にも大打撃を与えたルクソール事件には、アフガン
帰りの元義勇兵が関与したとされ、アフガンで経験を積んだテロリ
ストがエジプトに逆輸入された格好だ。「ジハード」指導者アイマ
ン・ザワヒリ氏はビンラディン氏と行動を共にする側近で、ジハー

ドはアルカイダの主力部隊とされる。             
 イスラム主義団体の弁護士モンタセール・アルザヤト弁護士らに
よると、治安警察は、モスク(イスラム寺院)に情報員を紛れ込ま
せ活動家やシンパの動向を探るほか、盗聴、尾行、密告など監視ネ
ットワークを市民生活の隅々に張り巡らせている。       
 しかし同弁護士は「政府は経済対策も政治自由化にも失敗し社会
の不満を放置したまま、イスラム主義者を根こそぎ社会から隔離す
る無謀な策を取った。政府への反発と過激派への潜在的支持は高ま
るばかりだ」と指摘、エジプトの「イスラム過激派対策は失敗」と
言い切った。                        
(了)  011005 1701              
[2001-10-05-17:02]

10/05 16:58 利用と弾圧の半世紀 エジプトのイスラム主義  外信88

 エジプトでは一九二○年代にハッサン・アルバンナが「ムスリム
同胞団」を創設したのが近代イスラム主義の源流とされる。イスラ
ム教の聖典コーランを憲法とするイスラム国家の樹立を目指す穏健
派団体だったが、五二年のクーデターではファルーク王制を倒した
ナセル中佐の「自由将校団」に協力した。           
 その後大統領となったナセルは五四年、大統領暗殺未遂事件をき
っかけに同胞団を非合法化、主要メンバーを逮捕、処刑した。同胞
団活動家の多くは国外に逃れ、サウジアラビアなど周辺国に拠点を
構えた。                          
 六○年代に「ジハード」や「イスラム団」など武装闘争によるイ
スラム国家の樹立を目指す過激派が生まれた。同胞団の思想家サイ
ード・クトゥブ(六六年処刑)が大きな影響を与えたとされる。 
 七○年のナセル死亡で後継者となったサダトは親米路線を取り、
左翼勢力けん制のためイスラム主義団体の活動を容認した。   
 しかしサダトは対イスラエル和平(七九年)に続き、政府批判を
強めたイスラム主義団体などへの弾圧(八一年)に転じ、八一年十
月六日、ジハードに暗殺された。(カイロ共同)        

(了)  011005 1658              
[2001-10-05-16:58]

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