英国のビン・ラディンの調査資料全文訳

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投稿者 猫の手 日時 2001 年 10 月 16 日 22:32:21:

回答先: 英国のビン・ラディンの調査資料は十分 投稿者 bbc 日時 2001 年 10 月 05 日 09:39:39:

原文
http://www.pm.gov.uk/news.asp?NewsId=2686
分析記事
http://www.pm.gov.uk/news.asp?NewsId=2686
http://www.guardian.co.uk/Archive/Article/0,4273,4270894,00.html

 結論としては、すべて状況証拠にすぎず、ガーディアンの解説記事にもあるとおり英諜報筋さえ「ケニアとタンザニアの米大使館爆破事件容疑との関連のほうが強い」と認めている。かりにビンラディンとアルカイダまでは「容疑」を認めたにせよ、タリバン政権崩壊を狙ったアフガン攻撃は飛躍しすぎていて、常識的にも国際法的にも通用しない。しかもタリバン側は空爆開始直前、ビンラディン氏関与の明らかな証拠があるならブッシュ政権と話し合い、裁判を行なう用意があると発表していたにもかかわらず、ブッシュ大統領はそれを一蹴した。アメリカ国内にも、この重大な過ちにより法的・倫理的な大義が失われたという議論が起こっている。

(星川淳/屋久島環境政策研究所)

イギリス政府発表
「2001年9月11日、米国でのテロ残虐行為の責任者」

本文書は、法廷においてオサマ・ビンラディンに対する起訴可能な申し立てを提
供することを目的としたものではない。証拠能力に関する厳格なルールおよび諜
報源の安全を保護する必要から、諜報を証拠として用いることができない場合が
よくある。しかし、入手可能なあらゆる情報をもとに、英国政府は、本文書に表
明されたその結論を確信している。

<はじめに>

1. 政府の到達した明らかな結論は:

・オサマ・ビンラディンと、彼が率いるテロリスト・ネットワークであるアルカ
イダは、2001年9月11日の残虐行為を計画し、遂行した。

・オサマ・ビンラディンとアルカイダは、さらなる残虐行為を実行する意志と資
源を保持している。

・英国および英国民は、標的となる可能性がある。

・オサマ・ビンラディンとアルカイダは、タリバン政権との緊密な連携があるた
めに、これらの残虐行為を行うことができた。タリバン政権は彼らを罰せず、そ
のテロ行動の追求を行わせた。

2. 1998年およびUSS Cole 号に関する情報は、起訴状および諜報筋からのもので
ある。9月11日に関する情報は、諜報筋および今日までの犯罪捜査からのもので
ある。詳細を提示することができない点がいくつかあるが、諜報筋から事実は明
確である。

3. 諜報源を保護する継続的および絶対的な必要性に鑑みて、本文書には英国政
府の知るところとなった情報のすべてが含まれているわけではない。

< 要約>

4. 関連のある事実の示すところは以下のとおりである。

● 背景

・アルカイダは、グローバルなネットワークにつながりを持つテロリスト組織で
あり、10年以上にわたって存在してきた。この組織を設立し、終始導いてきたの
は、オサマ・ビンラディンである。

・オサマ・ビンラディンとアルカイダは、米国およびその同盟国に対するジハー
ドを行ってきた。彼らが表明した目的のひとつは、米国民の殺害であり、米国の
同盟国への攻撃である。

・オサマ・ビンラディンとアルカイダは、1996年からアフガニスタンに本拠地を
置いているが、世界中に軍事行動ネットワークを有している。このネットワーク
には、訓練キャンプ、倉庫、通信施設、およびその活動を支えるための巨額の資
金を集めるための商業事業が含まれる。この活動は、アフガニスタンからの大規
模な不法麻薬貿易を含む。

・オサマ・ビンラディンとアルカイダおよびタリバン政権は、相互に依存する緊
密な同盟である。オサマ・ビンラディンとアルカイダは、タリバン政権に対し物
質的・財政的・軍事的支援を提供している。彼らは連帯して麻薬貿易に携わって
いる。タリバン政権はビンラディンに対し、彼のテロリスト訓練キャンプやアフ
ガニスタンからの活動を行うことを許し、外界からの攻撃から彼を保護し、その
麻薬の貯蔵を保護している。オサマ・ビンラディンは、タリバン政権の同盟と支
援なしには、そのテロ活動を行うことはできないだろう。タリバンの強さは、オ
サマ・ビンラディンの軍事的・財政的支援がなければひどく弱体化するであろ
う。

・オサマ・ビンラディンとアルカイダは、大規模なテロ攻撃を実行する能力を有
している。

・オサマ・ビンラディンは、18名が死亡した1993年10月のソマリアでの米国兵士
への攻撃、224人が死亡し、5000人近くが負傷した1998年8月のケニアとタンザ
ニアでの米国大使館への攻撃の犯行を主張している。また、17人の乗組員が死亡
し、40人が負傷した2000年10月12日のUSS Cole号への攻撃につながりがあった。

・彼らはテロの武器として使うために、核物質および化学物質を入手しようとし
てきた。

● 9月11日のテロ攻撃との関連

5. 9月11日のあと比較的最近になって、ビンラディンが米国に対し大きな攻撃
を仕掛けるつもりだと示唆していたことがわかった。9月11日のテロ攻撃の詳細
な計画は、オサマ・ビンラディンの側近の一人が行った。2001年9月11日に関与
した19人のハイジャッカーのうち、少なくとも3人はアルカイダとのつながりが
あることがすでに立証されている。2001年9月11日の攻撃は、オサマ・ビンラ
ディンとアルカイダが行ったこれ以前の攻撃に、その野望や意図された影響が似
ており、共通する特徴を有するものでもあった。特に、

・自爆攻撃者
・同日に調整した攻撃
・最大の米国人犠牲者をもたらすという目的
・イスラム教徒も含め、その他の犠牲者をまったく気にしていないこと
・細部にわたる長期的な計画策定
・警告がないこと

6. アルカイダは、米国および英国を含むその同盟国に対し、さらなる攻撃を行
う能力と意志を保持している。

7. アルカイダは、テロ攻撃の警告を発しない。

<事実>

● オサマ・ビンラディンとアルカイダ

8. 1989年に、オサマ・ビンラディンと他の人々は、「アルカイダ」(基地)と
いう国際的なテロリストグループを創設した。つねに、彼がアルカイダのリー
ダーであった。

9.1989年から1991年まで、オサマ・ビンラディンはアフガニスタンおよびパキス
タンの ペシャワールを本拠地としていた。1991年に、彼はスーダンに移り、そ
こに1996年までいた。その年に、彼はアフガニスタンに戻り、そこにとどまって
いる。

● タリバン政権

10. タリバンは1990年代初めに、パキスタンのアフガン難民キャンプから台頭し
た。1996年までに、彼らはカブールの支配権を握った。彼らはいまなお、アフガ
ニスタン全域を制御するための血みどろの内戦を行っている。彼らの指導者は、
ムラー・オマール(オマール師)である。

11. 1996年に、オサマ・ビンラディンはアフガニスタンに戻った。彼はオマール
師と緊密な関係を構築し、タリバンへの支援を展開した。オサマ・ビンラディン
とタリバン政権は、お互いの存在をお互いに依存している緊密な同盟関係にあ
る。また両者は、同じ宗教的価値とビジョンを共有している。

12. オサマ・ビンラディンはタリバン政権に対し、北部同盟と闘うための軍隊、
武器、および資金を提供してきた。彼はタリバン軍の訓練、計画策定および作戦
に緊密に関与している。彼は、タリバン軍の命令系統に代表を有している。ま
た、彼は社会基盤整備と人道上の援助を与えてきた。オサマ・ビンラディンのコ
ントロールする勢力はアフガン内戦において、タリバンといっしょに戦ってき
た。

13. オマールは、ビンラディンに対し、行動するための安全な聖域を提供し、ア
フガニスタンにテロリスト訓練キャンプを築くことを許してきた。彼らは共同
で、アフガニスタンの麻薬貿易を搾取している。積極的なアルカイダの支援の見
返りとして、タリバンはアルカイダに、テロ行動の計画策定や訓練、準備を含
め、自由に行動することを許している。さらに、タリバンは麻薬の貯蔵の防護を
提供している。

14. タリバンがカブールを制圧した1996年以来、米国政府は彼らとの話し合いの
場で一貫して、人道的援助やテロリズムを含め、ありとあらゆる課題を持ち出し
ていた。2001年9月11日よりかなりまえに、彼らはタリバンに対し、東アフリカ
でのテロ攻撃はアルカイダの責任であるという証拠を提示していた。この証拠
は、タリバンの上級指導者に対し、彼らの求めに応じて提示されたものである。

15. 米国政府はタリバン政権に対し、アルカイダが米国市民を殺害し、さらなる
殺害を計画していることを明らかにした。米国はアフガニスタンからテロリスト
を追放するために、タリバンと協力するという申し出をした。これらの話し合い
は1996年以来継続されてきたが、何らかの結果を生み出すことはできていない。

16. 2001年6月、アルカイダの脅威を示す証拠が増す中で、米国はタリバンに対
し、米国には自らを防衛する権利があり、アフガニスタンが庇護しているテロリ
ストによる米国民への攻撃は同政権の責任となるだろうと警告した。

17. ここにおいて、米国は国連の支持を有していた。安全保障理事会は、第1267
号決議において、国際的なテロリズムを後援し、テロリストキャンプのネット
ワークを運営していることに対してオサマ・ビンラディンを非難し、タリバンに
対し、オサマ・ビンラディンを法に照らして処断することができるよう、さらな
る遅れなしに引き渡すよう、求めた。

18. 1998年の東アフリカ爆撃はオサマ・ビンラディンとアルカイダの責任である
とする米国が提示した証拠にも関わらず、さらなる残虐行為の脅威が明確に認識
されるにも関わらず、また、国連の要求にも関わらず、タリバン政権は、オサマ
・ビンラディンに対する証拠はひとつもない、彼もそのネットワークも追放され
ることはない、と反応した。

19.アフガニスタンの元政府役人は、タリバンとオサマ・ビンラディンは「ひと
つの硬貨の両面である。オサマはタリバンなしにはアフガニスタンに存在するこ
とができないし、タリバンはオサマなしには存在し得ない」と述べている。

● アルカイダ

20. アルカイダは、武力と暴力でイスラム諸国の「非イスラム」政府に対抗する
ことに熱意を燃やしている。

21. アルカイダは、憎しみを持って米国に対抗している。オサマ・ビンラディン
は、これ以上ないほど明白な言葉で、米国市民を殺害するよう、自分の部下たち
を促し、扇動してきた。

22. 1996年10月12日、彼は以下のようなジハード宣言を出した。

“イスラムの民は、ユダヤ人と十字軍の同盟やその協力者の押しつける侵略や不
正行為、不法行為に苦しんできた. . .

ジハードを戦い、この地をこれら十字軍占領者から清めることは、いまや、アラ
ビア半島のあらゆる部族に課せられた義務である。彼らの富は、彼らを殺す者へ
の戦利品である。

我がイスラム教徒の兄弟よ。パレスチナと、二つの聖地をもつ地(サウジアラビ
ア)のあなたの兄弟たちは、あなたの助けを求め、敵――米国人とイスラエル人
――との戦いに参加するよう、あなたに求めている。彼らは、聖なるイスラムの
地から敵を追放するために、あなたにできることを何でも行うよう、求めてい
る”

同年後半に、彼はこのように述べた。

“(イスラムの聖地の)米国人占領者をテロの恐怖に陥れることは、宗教的また
論理的な義務である。”

1998年2月、彼は、すべてのイスラム教徒に対する命令を含む 「ファトワ」を
出し、署名した。

“. . . 米国人及びその非軍事・軍事同盟者の殺害は、Al Aqsa モスクが彼らの
掌握から解放され、彼らの軍がイスラムの地を離れるまで、あらゆるイスラム教
徒にとって、どの国にいても、実行しなくてはならない宗教的義務である。”

同じ「ファトワ」の中で、彼は、イスラム教の学者やその指導者、その若手に対
して、以下のことを求めた。

“サタン(大悪魔)の米国兵士に攻撃を仕掛ける.”

そして、以下のように結んでいる。

“我々は −神の助けを得て− 、神を信じ、神の秩序に従って報いられることを
望むあらゆるイスラム教徒に、いつどこであっても見つけ次第、米国人を殺し、
その金を略奪することを求める。我々はイスラム教徒に対して・・・サタンの米
軍と悪魔の彼らの味方を襲い、彼らの背後にいる者を追い払うよう、求める。”

1998年に、化学兵器または核兵器の入手に関して質問を受けた際、彼は以下のよ
うに答えた。

“イスラム教徒の防衛のために、そのような武器を入手することは、宗教的な義
務である。”

アルジャジーラ(カタールのドーハ)テレビで放映されたインタビューで、彼は
このように述べた。

“我々の敵は、直接戦っていようと、税金を払っていようと、ありとあらゆる米
国人男性である。”

1997年と98年に米国のテレビで放映された2回のインタビューの中で、彼は、以
前に1993年の世界貿易センターへの攻撃を行ったテロリストを「お手本」である
と述べた。彼はさらに、自分の部下に対し、“戦いを米国へ持っていくこと”を
熱心に説いた。

23.1990年代はじめより、オサマ・ビンラディンは、テロの武器として用いるた
め、核物質および化学物質の入手を画策してきた。

24.米国の標的がアルカイダの優先事項であるが、明白に米国の同盟国をも威嚇
している。“ユダヤ人−十字軍同盟とその協力者”、また、“サタンの米国軍と
彼らの悪魔の味方”と言及しているところには、間違いなく英国も含まれてい
る。

25.継続的な脅威が存在している。このネットワークの過去の動きに関する我々
の経験によると、9月11日のテロ攻撃を行ったグループと同じような他のグルー
プが存在すると考えなければならない。

26. アルカイダは、独自で、また他のテロ組織のネットワークを通じて機能して
いる。そこには、エジプト・イスラム・ジハードや、その他の北アフリカのイス
ラム過激派テログループ、スーダンやイエメン、ソマリア、パキスタン、インド
などのその他の国にある数多くのジハードグループが含まれる。アルカイダは、
その活動を促進するためにその他の多くの国々にもグループや要員を保持してい
る。

27. オサマ・ビンラディンは、アルカイダのネットワークを率いている。彼の下
には、シューラShuraという組織があり、ここには、エジプト・イスラム・ジ
ハードのリーダー、アヤマン・アルザワヒリや、Abu Hafs Al-Masriなどのビン
ラディンの右腕など、他のテログループの代表が含まれる。エジプト・イスラム
・ジハードは実際には、アルカイダと合併している。

28. シューラのほかにもアルカイダは、軍事、メディア、金融、イスラム問題を
扱うグループをいくつか有している。

29. Mohamed Atef は、軍事およびテロ作戦を扱うグループのメンバーである。
彼の任務には、アルカイダのメンバーの訓練の主な責任者であることも含まれ
る。

30. アルカイダのメンバーは、オサマ・ビンラディンの命に従うという忠誠を誓
わなくてはならない。

31. オサマ・ビンラディンとアルカイダに関する大量の証拠は、過去の犯罪の米
国での起訴状により入手可能となっている。

32. 1989年以来、オサマ・ビンラディンは、アルカイダのために、またその目標
追求のために、かなりの金融取引および商取引を行ってきた。その中には、訓練
キャンプ用の土地の購入、爆薬を含む物資を保管するための倉庫の購入、通信設
備や電子機器の購入、アルカイダや世界中の国々にいる関連テロリストグループ
のメンバーへの資金や武器の輸送などが含まれる。

33. 1989年以来、オサマ・ビンラディンは、アルカイダや関連するテロリストグ
ループが使うために、アフガニスタン、パキスタン、スーダン、ソマリア、ケニ
アに訓練キャンプとゲストハウスを提供してきた。諜報機関から、現在少なくと
も12ヶ所のキャンプがアフガニスタンにあり、そのうち少なくとも4ヶ所はテロ
リストの訓練に使われていることがわかっている。

33. 1989年以来、オサマ・ビンラディンは、アルカイダへの収入を提供し、爆
薬、武器、化学物質を調達する費用およびアルカイダのスパイの旅行費用を提供
するために、一連の会社を設立してきた。そのビジネスには、「Wadi Al Aqiq」
という持ち株会社、「Al Hijra」という建設ビジネス、「Al Themar Al
Mubaraka」という農業ビジネス、「Ladin International」と「Taba
Investments」という投資会社などがある。

● オサマ・ビンラディンと過去の攻撃

35. 1992年と1993年に、Mohamed Atef は、当時ソマリアに駐屯していた米軍お
よび国連軍に対する暴力を組織する目的で、何度かソマリアへ出かけた。毎回、
彼はハルトゥームのリヤード地区にある基地で、オサマ・ビンラディンに報告し
た。

36. 1993年の春、Atefと、アルカイダのもうひとりの幹部メンバーであるSaif
alAdel、そしてその他のメンバーは、国連軍と戦う目的で、ソマリア部族に軍事
訓練を提供しはじめた。

37. 1993年10月3日、4日、アルカイダのメンバーは、「希望回復」作戦の一環
としてソマリアで任務に就いていた米国軍人への攻撃に参加した。この攻撃で、
18人の米国軍人が死亡した。

38. 1993年から、アルカイダのメンバーは、ナイロビに住み始め、そこでAsma
LtdやTanzanite Kingなどの会社を設立した。彼らのところには定期的に、アル
カイダの幹部、特にAtef と Abu Ubadiah al Banshiriが訪れた。

39. 1993年後半から、ケニアのアルカイダのメンバーは、ソマリアでの希望回復
作戦に米国が参加したことへの報復として、ナイロビの米国大使館を攻撃する可
能性についての話し合いをはじめた。米国市民であり、アルカイダのメンバーで
あると認められるAli Mohamedは、テロ攻撃の可能な標的として、米国大使館を
調べた。彼は写真を撮り、スケッチをして、ビンラディンがスーダンにいる間
に、それらをオサマ・ビンラディンに提示した。彼はまた、1990年代はじめに、
アフガニスタンで、アルカイダのためにテロリストの訓練をしたこと、自分の訓
練したテロリストには、1998年8月の東アフリカ爆撃に関与した者が多数いたこ
とを認めている。

40. 1998年6月または7月に、2人のアルカイダのスパイ、Fahid Mohammed Ali
Msalam とSheik Ahmed Salim Swedanは、トヨタのトラックを購入し、そのト
ラックの後席に様々な改変を加えた。

41. 1998年8月はじめに、アルカイダのスパイのスパイは、ナイロビの米国大使
館爆撃を実行するために、ナイロビのNew Runda Estates の 43番地に集結し
た。

42. 1998年8月7日、サウジアラビア人のAssamと、アルカイダのスパイのスパ
イは、トヨタのトラックを米国大使館に向かって運転した。トラックの後席には
大型爆弾があった。

43. トラックには、別のサウジアラビア人、Mohamed Rashed Daoud Al ‘Owali
も乗っていた。自身の告白によれば、彼はアルカイダのメンバーであり、1996年
頃からアフガニスタンのアルカイダメンバーのキャンプで爆発物、ハイジャッ
ク、誘拐、暗殺、諜報のテクニックの訓練を受けた。オサマ・ビンラディンの明
白な許可を得て、彼は、アフガニスタンでタリバンと並んで戦った。彼は1996年
にオサマ・ビンラディンと個人的に会い、別の「任務」を求めた。オサマ・ビン
ラディンは、アフガニスタンのキャンプでの広範な特別訓練の後、彼を東アフリ
カに送った。

44. トラックが大使館に近づくと、Al ’Owali が下りて、警備員に向かってス
タン榴弾を投げつけた。Assamはトラックを大使館の後方に向かった運転した。
彼が下り、それから爆弾を爆発させた。それによって複数階からなる事務舎が破
壊され、米国大使館と協同組合銀行ビルはひどい損傷を受けた。この爆弾で213
人が死亡し、4500人が負傷した。Assam はこの爆発で死亡した。

45. Al ‘Owali は自分が死んではじめてこの任務は終わると考えていた。彼は
アルカイダのメンバーのために喜んで死ぬつもりだった。しかし、最後の瞬間
に、彼は爆弾トラックから逃げ出し、生き延びた。彼は、この任務の後に逃げる
ための金もパスポートも計画もなかった。なぜなら、彼は死ぬことになっていた
からだ。

46. 数日後、彼は、ケニアにいる自分に送金してもらうために、イエメンの電話
番号をかけた。Al ‘Owaliが送金を求めていたその同じ日、彼が電話をかけたイ
エメンの電話番号にオサマ・ビンラディンがコンタクトしていた。

47. ナイロビ爆撃に関して逮捕されたもうひとりは、Mohamed Sadeek Odehで
あった。彼は自分の関与を認めた。彼は爆発に参加した主要メンバーを明らかに
した。彼は3人の名を挙げたが、その全員が、アルカイダまたはエジプト・イス
ラミック・ジハードのメンバーであった。

48. ダルエスサラームで、同日、ほぼ同時刻に、アルカイダのメンバーが米国大
使館で爆弾を爆発させ、11人を殺害した。関与したアルカイダのメンバーには、
Mustafa Mohamed Fadhil と Khaflan Khamis がいた。爆弾は日産のトラックで
運ばれた。これは、Ahmed Khfaklan Ghailani と Sheikh Ahmed Salim Swedan
という2人のアルカイダのスパイがダルエスサラームで1998年7月に購入したも
のである。

49. Khaflan Khamis Mohamed はこの爆撃の件で逮捕された。彼はアルカイダの
メンバーであったことを認め、この爆撃へのアルカイダの他メンバーの関与を示
唆した。

50. 1998年8月7日、8日に、アルカイダのふたりの他のメンバーが、パリ、カ
タールのドーハ、アラブ首長国連邦のドバイのメディアにFAXを送り、この2
つの爆撃は自分たちの責任であるという主張を流布した。

51. 東アフリカ爆撃にアルカイダが関与していたという別の証拠は、アルカイダ
とエジプト・イスラム・ジハードのメンバーのいくつかの住居および会社をロン
ドンで調べた結果、出てきた。これらの調査では、「聖地解放のためのイスラム
軍」という架空のグループ名で東アフリカ爆撃の責任を主張する文書など、数多
くの文書が見つかった。

52. 自爆するはずだったAl ‘Owaliは、同じ架空グループの名前を使って自分自
身のビデオテープを作成するように指示されたことを認めた。

53. FAXで送られた犯行責任の主張から追跡した結果、電話番号が得られた。
その番号は、オサマ・ビンラディンの携帯電話とのコンタクトがあった。報道機
関に広められた主張は、明らかにこの陰謀をよく知っているだれかが書いたもの
である。彼らは、爆撃はケニアの2人のサウジアラビア人、ダルエスサラームの
ひとりのエジプト人が実行したと述べている。彼らはおそらく、爆撃がまだ行わ
れるまえに送信したのだろう。彼らはナイロビの攻撃で死んだ2人のサウジアラ
ビア人に言及している。実際には、Al ‘Owaliは最後の瞬間に逃げたので、死ん
だサウジアラビア人はひとりだけだった。

54. 1998年12月22日、オサマ・ビンラディンは、タイム誌から、1998年8月の攻
撃の責任者かと質問された。彼はこのように答えた。

“米国とイスラエルに対抗するジハードのための国際イスラムジハード戦線
(The International Islamic Jihad Front for the jihad against the US and
Israel)は、神の恩寵により、聖地を解放するためのジハードを行うように、イ
スラム国家に呼びかける極めて明確なファトワを出している。モハメッドの国
は、この訴えに反応している。もし、ユダヤ人と米国人に対するジハードの煽動
が・・・犯罪であると考えられるのであれば、歴史は私が犯罪者であることを立
証するだろう。我々の仕事は、煽動することであり、神の恩寵により、我々はそ
れを行い、ある人々はこの煽動に応えた。”

彼は攻撃した者たちを知っているかを尋ねられた。

“. . . 神の悦びを得るために命を賭けた人々は、本当の男たちだ。彼らは、イ
スラムの国から不名誉を駆逐することができたのだ。我々は彼らを最高に尊敬す
る。”

そして、米国は何を彼から何を予期できるか、と尋ねられた。

“. . .盗みを働くために他の国に入る盗人や犯罪者は、いつであっても殺害の
危険に曝されることを予期すべきである・・・。米国は、私が神の恩寵により、
今では10年以上も米国を攻撃してきたことを知っている・・・。神は、私たちが
(1993年ソマリアでの)米国兵士の殺害に喜んでいることを知っている。これは
神の恩寵と、ムジャヒディンの努力のおかげで成し遂げたものである・・・。米
国に対する敵意は宗教的な義務であり、我々は神がこれに報いてくれることを望
んでいる。イスラム教徒は、いわゆる超大国という米国の伝説に終止符を打つこ
とができると、私は確信している。”

55. 1999年12月、アルカイダにつながりのあるテロリスト・グループが、米国内
で攻撃を遂行しようとしているのが発見された。アルジェリア人のAhmed Ressam
が米国とカナダの国境で抑えられ、100ポンドの爆弾製造用原材料が彼の車の中
から見つかった。Ressamは、元旦にロサンゼルス国際空港で大型爆弾を爆発させ
る計画であったことを認めた。彼はフガニスタンのアルカイダのキャンプでテロ
リスト訓練を受けたのち海外に出て、米国の民間人と軍人を殺害するよう指示を
受けたと述べた。

56. 2000年1月3日、アルカイダのメンバーのグループと、アフガニスタンのア
ルカイダのキャンプで訓練を受けたその他のテロリストが、爆発物を載せた小舟
で米艦を攻撃しようとした。彼らの舟が沈んだので、その攻撃は成らなかった。

57. しかし、2000年10月12日、USS Cole号がアデン港で燃料補給をしている間
に、爆発物を積んだ舟に攻撃された。17人乗組員が死亡し、40人が負傷した。

58. Cole号攻撃の犯人の何人か(ほとんどはイエメン人とサウジアラビア人)
は、アフガニスタンのオサマ・ビンラディンのキャンプで訓練を受けていた。Al
‘Owaliは、USS Coleの攻撃のふたりの指令者が、東アフリカの大使館爆撃の計
画策定と準備に参加していたことを明らかにした。

59. 9月11日の攻撃以前に、アルカイダによって宣伝ビデオが中東とイスラム世
界に広められた。その中で、オサマ・ビンラディンやその他の人間が、イスラム
教徒に対し、米国とユダヤの標的を攻撃するよう奨励している様子が示されてい
る。

60. 米国やその他の標的への暴力を賞揚する同様のビデオが、1998年8月の東ア
フリカ大使館攻撃のまえに広められていた。

● オサマ・ビンラディンと9月11日の攻撃

61. 2001年9月11日にハイジャックされた4機の飛行機の乗客名簿から、19人の
男がハイジャッカーであると割り出された。そのうち少なくとも3人はすでに、
アルカイダのメンバーであることが明確に確認されている。ひとりは、東アフリ
カ大使館爆撃とUSS Cole 号攻撃の両方において重要な役割を果たしたことが明
らかになっている。これらハイジャッカー全員の背景を探る取り調べが続いてい
る。

62. 9月11日以降、諜報筋から以下の事実が確証されている。そのメンバーの名
前はわかっているが、諜報上の理由によりここでは明かされていない。

・9月11日の準備段階で、ビンラディンは目的を同じくする人々のグループに、
協調宣伝キャンペーンを活発に行っていった。それにはビデオや文書が含まれ、
ユダヤと米国の標的への攻撃を正当化し、そのような攻撃の最中に死んだ者は神
の仕事を実践していたのだと主張するものであった。

・9月11日のあと、ビンラディン本人が9月11日の少し前に、米国への大規模攻
撃を準備していると主張していたことがわかった。

・8月から9月はじめにかけて、ビンラディンの側近が、9月10日までに世界の
他の場所からアフガニスタンに戻るように警告を受けていた。

・9月11日の直前、判明しているビンラディンの部下の数人が、行動の日を9月
11日頃と述べていた。

・9月11日以降、ビンラディンの側近でもっとも上位の幹部メンバーが、この攻
撃の詳細な計画策定の責任者であることがわかった。

・ビンラディンとその部下の犯罪行為に関する極めて具体的な証拠があるが、こ
れはあまりにも微妙なので発表することができない。

63. オサマ・ビンラディンはいまでも、アルカイダの責任者であり、その首謀者
である。アルカイダでは、9月11日の攻撃ほどの規模の作戦であれば、オサマ・
ビンラディン本人に承認されることになっているだろう。

64. 9月11日の手口は、以前の攻撃とまったく一致していた。これまでのアルカ
イダの残虐行為の特徴は、細部にわたる長期的な計画策定、大量の犠牲者を生じ
させたいという願望、自爆テロリスト、そして、複数地点での同時攻撃である。

65. 2001年9月11日の攻撃は、東アフリカ大使館とUSS Cole号の攻撃に用いられ
た計画策定の規模と緻密さとまったく一致している。9月11日に関しても警告が
なかったように、これら3つの攻撃に対しては、警告はまったく発せられなかっ
た。

66. アルカイダのメンバーは、東アフリカ大使館の爆撃に関する裁判で出された
証拠の中で、同グループがどのように何年間も攻撃の準備をするかを説明してい
る。彼らは繰り返し監視を行い、忍耐強く資料を集め、攻撃に参加できるスキル
を有し彼らの大義のために喜んで命を投げ出すメンバーを見出し、厳しく吟味す
る。

67. 9月11日の残虐行為に関与したメンバーは、飛行学校に参加し、より大型の
飛行機を研究するためにフライト・シミュレータを使い、可能性のある空港と
ルートを監視下に置いていた。

68. アルカイダの攻撃の特徴は、イスラム教徒を含む罪のない人々の命をまった
く尊重しないことである。東アフリカ大使館爆撃後のインタビューで、オサマ・
ビンラディンは、米国を攻撃する必要性から、イスラム教徒であろうとなかろう
と同様に、その他の罪のない民間人を殺しても許されると主張していた。

69. 9月11日のような攻撃を実行する動機と能力の両方を有している組織はほか
にはない。オサマ・ビンラディン配下のアルカイダのネットワークだけである。

<結論>

70. 2001年9月11日の攻撃は、オサマ・ビンラディンが率いる組織、アルカイダ
が計画し、実行した。この組織は、同様の規模のさらなる攻撃を実行する意志と
資源を有している。米国とその近しい同盟国はともに、そのような攻撃の対象で
ある。その攻撃は、タリバンとオサマ・ビンラディンの連携なしには起こらな
かった。タリバンは、ビンラディンがアフガニスタンで自由に行動し、テロ活動
を促進し、計画し、実行することを許したのである。

(翻訳: 枝廣淳子+星川 淳)
原文→http://www.pm.gov.uk/news.asp?NewsId=2686

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イギリス政府公表の証拠に関するガーディアン紙論評
「これで有罪?――政府の主張は精査に耐えうるか」2001.10.5より
最後の2点要約抜粋

●イギリスについて
 発表はイギリスが潜在的標的だと主張するが、イギリス諜報筋は一貫してこの
可能性を否定してきた。ビンラディンの敵はアメリカである。9.11以来、イギリ
ス国内で告訴された3人のうち、1人はパリ米大使館の攻撃計画、1人はハイ
ジャック犯の4人を訓練した容疑がかけられている。イギリスが暴動や爆弾テロ
などの「潜在的」標的になるとすれば、アメリカとの強い同盟関係と、アフガニ
スタンへの軍事攻撃によるものだろう。

●秘密について
 発表が政府の知る情報すべてを含まないのは、情報源を明らかにしないためだ
とされ、法的な証拠材料としては不十分である。情報源は非公開の裁判で明らか
にされる可能性がある。しかし、情報源を隠すのはCIAとFBIによる諜報活
動の大失敗をごまかすためかもしれない。CIAはイスラム過激派内に人的情報
源をもっていないが、イギリスはソ連のアフガン侵攻以来、現在の北部同盟とパ
キスタンのSISの中に諜報ルートを保っている。イギリス諜報筋が見るかぎ
り、今回の発表でビンラディン関与の証拠とされるものは、9.11より1998年の米
大使館爆破事件との関わりのほうが強い。



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