アフガン攻撃の狙いと結末の参考にソマリアでは失敗した米石油戦略を見直す

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投稿者 木村愛二 日時 2001 年 10 月 21 日 10:42:46:

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『亜空間通信』53号(2001/10/21)
【アフガン攻撃の狙いと結末の参考にソマリアでは失敗した米石油戦略を見直す】

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 転送、転載、引用、大歓迎!

『国際利権を狙うPKO』(木村愛二、緑風出版、1994.1.20)
および当時の未発表原稿で構成。

『国際利権を狙うPKO』(p.175-187)
第10章/アメリカのソマリア出兵の狙いは何か

希望回復作戦は砂漠の嵐作戦の継続

 ソマリアへの米軍出動の際、日本の大手メディアはブッシュ前米大統領の意図に疑いをさしはさむことなく、実際にはまったく逆に、アメリカの大量宣伝攻勢に追随してしまった。

 一応の経過をたどってみると、一九九二年十一月三十日、ガリ国連事務総長は安全保障理事会に対し、ソマリアへの軍事介入容認を含む措置の検討を求めた。十二月一日には安全保障理事会の非公式会議が開かれ、二日にはアメリカが武力行使容認と統一司令部設置を骨子とする決議原案を提出した。

 アメリカが提出した原案には、中国以外の常任理事国、イギリス、フランス、ロシアが名を連ねていた。三日には、アメリカ案に基づいてソマリアに対する各国の軍事介入の承認が決議された。指揮権は米軍司令官が確保した。決議の採択以前に、アメリカは三万人の部隊を準備していた。十二月九日未明、海兵隊は待ち構えた報道陣のカメラの一斉フラッシュに迎えられるという、前代未聞の上陸作戦を敢行した。

 日本の大手メディアでも「海兵隊の本格上陸が米本土の夜のプライムタイムに合せ設定されるなど、米政府の側にも国民の関心をひきつけようという下心が見えみえ」(毎日92・12・9夕)という論評が見られた。米本土のテレヴィ放送の夜のプライムタイムに合せて戦争を開始するのは、湾岸戦争の「砂漠の嵐作戦」の場合と同じ報道操作の手法だ。

 だが最初の華やかな報道とは逆に、以後、現地情勢はますます悪化した。一九九三年十月初旬には、米国内からも強力な撤退論が出るにいたるまでに、作戦は破綻を来たした。にもかかわらずクリントンは、来年三月の撤退をほのめかしながら、実際には五千三百名の増派を決定した。増派が全部実施されると、合計で一万三百名の派遣になる。

 だが、いまだに日本の大手メディアでは、アメリカの「人道的動機」という口実を枕言葉よろしく認めたままで、現地の状況悪化を報道している。結局、意図は良かったが「やり方」が上手でなかったと擁護していることになる。混乱の基本的原因は、いかにもすべて現地の無政府状態のみにあるかのように印象づける報道振りなのだ。

なぜ「石油は?」と疑わないのか

 私は最初からアメリカの意図を疑った。湾岸戦争の継続に違いないと思った。

 ソマリアは地理的にも戦略的要衝だが、それだけではない。アメリカは、内戦以前にソマリアに入りこんでいた。元石油採掘業者のブッシュが、大統領選挙で大敗北を喫しながら任期切れ間際に出動命令を下すという、実に際どい勝負をしたのだ。きっと石油があるに違いないとにらんだ。ブッシュの背後には、常にテキサスを本拠とする石油マフィアが控えているのだ。

 ソマリアはアラビア半島の対岸にある。地図を一見すれば分るように、大陸分離時代以前にはアラビア半島とつながっていたのだから、地層も一致しているはずだ。アラビア半島周辺にあれだけの石油の宝庫があって、ソマリアにないはずがない。そう思ってすぐに手元の平凡社版『世界百科事典』を見たのだが、「ソマリア」の項には石油のセの字もなかった。それでも私の確信は揺るがなかった。「アメリカ」「ブッシュ」「出兵」「地理的位置」、これだけのキーワードがそろっていて、石油がないはずはないのだ。

 だがその時期の私には、ソマリアの石油を調べる時間の余裕がなかった。翌年早々の一九九三年一月中旬にはカンプチア・ヴェトナム取材旅行を予定していた。個人の仕事としてはカンプチアPKO問題だけでも手一杯である。気になりながらも、手が出せない状態だったのだが、労せずして情報は向こうの方から飛びこんできた。というのは私は湾岸戦争以来、経済専門紙誌の記事を見張っていた。特に重視していたのは、石油などのエネルギー関係の開発プロジェクトであった。

 アメリカの突然のソマリア出兵の翌年、一九九三年元旦の日刊工業新聞のエネルギー欄には、「今年はどうなる石油開発プロ」という囲み記事が載った。三段の大見出しは「地域紛争や国際緊張/探鉱事業、一段と厳しく」である。世界各地の石油開発プロの状況を追っているのだが、記事に添えられていた絵柄はただ一つ、「日鉱共石のソマリア鉱区」の図解地図だけだった。内容から見ても、ソマリア出兵を意識した記事だった。

「日鉱共石(旧日本鉱業)がソマリアの北部陸上鉱区で行っていた探鉱作業は九〇年七月より同国の政情不安が深まったことから中断したままだ。九二年十二月に入り、米国などの“多国籍軍”が“人道的理由”から同国の首都モガディシオやその周辺への展開を開始しているが、果たして今年、正常化が図られるのかどうか。同社は八八年にソマリアでの石油探鉱、開発を行うためのプロジェクト会社、日鉱ソマリア開発(権益比率一五%)を設立している。オペレーターは米国コノコ社(同五〇%)」

 早速、日鉱共石本社に電話すると、現地には行っておらず、日本国内でコノコ社のエイジェントと契約したのだという。無精な話だが、石油が噴き出せば出資しただけのシェアが得られるというのが、この業界の商売のやり方らしい。続いて外務省に電話すると、担当の部署はこの件を知っており、日本企業としては唯一の例だという。ともかく、石油業界と外務省は事実を知っていたのだ。

 ところが、その後に出た『エコノミスト』(毎日新聞社発行93・1・19)を見ると、表紙に「特集・ソマリアが日本に問いかけているもの」とある。早速ページをめくったが、これには大変失望した。二人の大学教授による「ソマリアとはどういう国か」という論文と、「ソマリアは国連改革の先例となる」という談話記事が載っていたが、その双方ともに、基本的にはアメリカの出兵に希望を託していた。しかも決定的なことには、双方ともに、石油のセの字も出てこなかった。

アラブのジャーナリストが喝破

 ところが、世の中は面白いもので、なんと、右翼紙の名をほしいままにする読売新聞に、一番胸のすくような文章が載ったのである。ただし、読売新聞記者の取材によるものではなく、筆者は日本人でさえなかった。

 読売新聞の一、二面にわたって時折掲載される大型コラム「地球を読む」に、エジプトのジャーナリスト、モハメド・H・ヘイカルの寄稿による「不透明な米の行動/対ソマリア/七つの座標から分析する」(3・1・1)が載った。ヘイカルはアラブ世界を代表する最も著名なジャーナリストである。読売新聞の著者紹介には一九二三年生れとあるから、執筆の時点で七〇歳またはその直前になる。一九五四年から一九七四年までの二〇年間、エジプトの有力紙アル・アハラムの主筆兼編集主幹を勤め、その間の一九七〇年にはナセル政権で国民指導相に就任した。

 そのヘイカルが「七つの座標から分析」した上で、歴史的事実を紹介し、アメリカの意図への疑問を投げかけ、最後にほのめかす。「あるいは、現在米国系企業四社がソマリアで石油の試掘に当たっていることからみて、米国の決定には石油が何らかの役割を果たしたのだろうか」

 さらに三か月後、六月二〇日発行の岩波ブックレット『ソマリアで何が?』の中に、次の記述を発見することができた。著者の柴田久史はIVC(日本ボランティアセンター)のソマリア・自立促進プロジェクトに一九八三年以来参加しており、現在、JVC東京でソマリアを担当している。

「バレ政権時代には米国の石油企業は、領土の三分の二にあたる地域の石油探鉱権を獲得していた。『希望回復作戦』の目的の一つは石油企業の投資と利権を擁護することにあった。これを証明するかのように今回のソマリア視察で、私たちは米国の石油会社コノコが内戦中もモガディシュにとどまり、しかもその事務所はアイディド派の事務所の向かいにあるのを確認した」

 大手メディアに「石油」の字が出たのは、つい最近になってからいうお粗末さである。

「なぜソマリアに?」(毎日93・10・15)

「個人的には、……ソマリア沖で石油埋蔵の芽があるとも聞いた」

「ソマリア深く悲しい傷口」(朝日新聞社発行『アエラ』93・11・1)

「九〇年二月まで十年以上もソマリア議会議長を務めたモハメッド・イブラヒム・アーメッド氏(七二)は、アフリカの角の戦略的な重要性、石油などの豊富な資源、といった理由を挙げて、『単に人道援助のために乗りこんでくるわけがないでしょう。つまり、ソマリアは大国の犠牲になったのだ』と言い切る」

貧困に巣喰うアメリカ国際開発局

 ソマリアのシアッド・バレ政権は一九九一年までの二一年間続いた。初期の社会主義をめざした政策は一時成功したが、連続する旱魃に苦しんだ。一九八〇年以後には主にアメリカからの「援助」の増大によって、かえって経済が崩壊した。

 アメリカの「援助」の目的は、この時も、「人道的」だったのだろうか。ヘイカルは指摘している。たとえばアメリカは、第二次大戦後の「戦利品」分配を相談したカサブランカ会談で、「リビアとソマリアを信託統治地域として管理したい希望を表明した」

 もともとソマリアの食糧危機に関しては、一九八〇年代の旱魃の際にも、アメリカの「援助」の仕方に疑問があった。イギリスの本家『エコノミスト』アフリカ特派員から援助団体ヴォランティアまで経験したグレアム・ハンコックが書いた『援助貴族は貧困に巣喰う』(朝日新聞社)によると、一九八七年の場合、世界最大の食糧援助を行っているアメリカ国際開発局の役割は「もっとも奇怪な部分」であって、緊急食糧援助の要請がなされて以後、食糧の到着が数か月も遅れた。

 この時期のソマリアの食糧危機を悪化させた原因は、それに先立つ一九八五、六年の旱魃の際のアメリカの食糧援助のやり方にあった。アメリカの食糧援助のほとんどは、なぜかいつも遅れてソマリアの収穫期に、しかも不足分よりも大量に届いた。そのために食糧の市場価格が押し下げられ、農民の生産意欲が奪われ、ソマリアの農業は破壊されたのである。だがもっと注目に値するのは、このようになぜかいつも遅れて収穫期に届く食糧援助を、食糧メジャーの国アメリカがここ数十年にわたって、世界中で展開してきたという歴史的事実である。

米マスコミが指示する報道に疑惑

 ヘイカルはまた、先の記事の冒頭で、次のようにアメリカ大手メディアによる世界的な報道支配の危険性を指摘していた。

「永らくワシントン・ポスト紙の編集者だったベン・ブラッドリーによれば、いまや世界は何を考えたらよいか、いつそれを考えたらよいかまで、十ほどの米テレビ放送ネットワーク、新聞、雑誌から指示されているというのだ。(中略)

 連続数か月にわたり、ソマリアの飢餓に関する米マスコミの報道は息もつかせぬものだった。ソマリアの飢える子供らに関するぞっとするような物語や映像は、人間の悲劇的な苦痛という尺度からすれば同様に悲劇的な世界の他地域での危機(エチオピア、カンボジア、ボスニア、パレスチナなど)より優先権を与えられた。

 米メディアは、ソマリアの悲劇に世界の良心を目覚めさせるのに成功した。この点ではほめられてよいだろう。しかし同時にその成功ぶりは、いささか人を不安にするブラッドリー説の真実性を裏づけるものでもあった」

 ヘイカルは、「人道的動機だけで現実を説明しようとするのは、いささか無理があるように思われる」と結論する。
『援助貴族は貧困に巣喰う』もまた、西側大国「援助ビジネス」宣伝の内幕の数々を暴いているが、そのごく一部だけ引用すると、ワールド・ヴィジョンの場合はこうだ。

「煽情的なコマーシャルで、エチオピアから隣国のソマリアに大量の難民が流入したというニュースを全米に流したのである。コマーシャルが触れなかったのは、そこで使われた写真と情報が三年前のものだったということである」
 ライヴ・エイドの場合はこうだ。

「スタジオで恥ずかしいプロモーション・ビデオがつくられた。ネズミがエキストラの足に這いよるシーン、ゾンビーがほこりのなかを必死になってとうもろこしの粒を探し求めるシーン、といった代物だ。こうしたビデオは、多くの人々の偏見--アフリカ人は自分を救うために何もできない無能力者だという偏見--を強めるだけなのだ」

 以上で『国際利権を狙うPKO』からの引用は終わり。

 以下は1994年当時の未発表原稿。

 今回使われたヴィデオは、いつ誰が撮影したのだろうか。歪曲報道は映像だけではない。米マスコミの指示に従った日本の大手メディア報道によれば、アメリカ軍が上陸する以前のソマリアでは、援助食糧の「八割」が輸送中に強奪されていた。その後の検証によると「ほぼ九割」は目的地に届いていた。

アイディド将軍「悪魔化」は失敗

 アフリカ人に対する偏見の利用には、もう一つ「氏族戦争」があった。これにも現状を無視した誇張と歪曲が多い。

 すでに紹介済みの柴田久史は、現地の自立促進プロジェクトのソマリア人スタッフなどから親しく事情を聞いている。「内戦が始まって初めてそれぞれの氏族の違いを知った」という告白もある。氏族が違う男女の結婚は奨励されている。特に都市では氏族が違っても隣人や学友の関係は維持されている。「対立が個々のレベルで解決できない」場合に、「氏族長らの伝統的指導者が間に入って調停」をするのが従来の社会慣行であった。「今回の氏族対立は政治的に利用しようとする権力者の側からつくり出されたもの」であり、「伝統的な氏族対立とはまったく質的に違うもの」、「ソマリア人の多くは内戦の本質を見抜いていた」(『ソマリアで何が?』)

 では何が「内戦の本質」だったのか。

 キーパーソンはアイディド将軍である。次のような評価が日本でもやっと出てきた。

「ソマリア内戦の"悪役"と見られていた将軍が、現地では人望もあり、『国家再建の責務が果せる重要な人物』と評価されている。国連、米国の対ソマリア政策はこの一武装勢力の指導者によって鋭く再考を迫られている」(中央公論93・12)

 ただし、「一武装勢力の指導者」という表現は、いまだにアメリカ系メディアの宣伝に毒されているといわなければならない。クリントン大統領はアイディドを「武装ギャング」と呼び、ハウ国連事務総長特別代表は二万五千ドルの懸賞金で逮捕志願者を募った。アイディドを人格高潔の見本にする必要はあるまいが、これではまるで西部劇の悪漢並みの扱いだ。しかし、アイディド将軍「悪魔化」の儀式は、サダム・フセインに対してのそれと比較すると、準備不足、材料不足、お粗末の限りであった。

 アイディドはソ連で正式の軍事教育を受けた職業軍人で、軍事クーデターで成立したバレ政権の初期には、本人談によると「民政移管を進言したため」六年間投獄されていた。エチオピアとのオガデン戦争が起きた危機に際して再び起用され、将軍、議員、国防相となる。のちインド大使に任命されて遠ざけられるが、全国的な反バレ闘争の高揚を迎えて帰国。ゲリラ戦を開始し、統一ソマリア会議の議長となる。一九八九年八月七日にはアジスアベバで、統一ソマリア会議ほかの三派からなるソマリア解放軍が結成され、国土の大部分を支配するにいたる。アイディドが議長の統一ソマリア会議はバレ政権打倒の中心勢力だった。最後には一九九一年一月、首都モガディシュの住民が決起し、バレは故郷に向けて敗走する。

イタリアの干渉とアメリカの思惑

 ところが、そこで異常事態が発生した。

 アイディドがバレを追撃していた背後で、統一ソマリア会議のモガディシュ・グループが、他の反バレ勢力はもとより議長のアイディドさえ無視して暫定政権樹立を宣言し、前議員という経歴だけの貿易商アリ・マハディを暫定大統領に指名するという挙に出た。以後、マハディ大統領vsアイディド将軍の対立を中心として、全土に内戦が続く。

 では、なぜマハディ派は、常識的に考えても無理な暫定政権樹立に走ったのだろうか。 決定的な答えは『ソマリアで何が?』の中にあった。両者の争いが続いていた一九九一年秋のこと。アイディドは、マハディが「総額一二〇〇万ドルに達するイタリアを中心とした外国援助についての説明をしなかったこと」を非難した。さらには、「一一月にモガディシュ空港に到着する予定だったイタリア代表団を乗せた飛行機と新札を積んだ飛行機を砲撃して妨害した」。

アイディドは「紙幣がまちがって使用されていると非難した」 また、「内戦中にイタリアとスイスの会社が、アリ・マハディ派と契約して有害廃棄物を海上または陸上投棄したことが伝えられている。その量は何百万トンともいわれ、アリ・マハディ派は投棄料として三〇〇万ドルを手に入れ、それを武器購入資金にあてた」

 モガディシュは元イタリア領部分に属している。今回の西側出兵に際しても、イタリア軍とアメリカ軍の確執が伝えられている。イタリアとモガディシュ・グループの関係は、もっと詳しく探る必要がある。イタリアの干渉がなければ、アイディド大統領の中央政府が実現していたかもしれないのだ。

 アメリカの狙いは次第に明らかになる。

 米政府は「武装解除は目的でない」としていたが、米軍が上陸した後の一九九二年十二月十四日、ガリ事務総長は、「紛争各派の武装解除の必要性」を強調した。実際に、米軍は強引な武装解除作戦を展開した。続いて十二月二二日、現地国連PKOのワルファ政治調整担当官は「二派以外から政治指導者をみつけることも含めて独自の和平交渉、武装解除プランを持っていることを示唆した」(毎日93・12・22)。ワルファの背後関係は不明だが、政治学と植物学を専攻した「元国立ソマリア大学長」、つまり、内戦以前のバレ政権下での社会的地位が高かった人物だ。

 米軍は、モガディシュより南で元イギリス領のケニアに近いキスマヨにも別途上陸したが、キスマヨ周辺のソマリア南部でバレ前大統領の娘婿、モーガン将軍がアイディドと盟友関係にあるジェス大佐派とが衝突した。アイディド派放送によると、ジェス大佐側に三百名の死者が出た。その後、キスマヨ周辺で米軍による武装解除が進む内、モーガン将軍側がキスマヨに侵入して占拠した。

 ソマリアの現地取材もした恵谷治は、次のように記している。
「アイディド派は、米軍が自派の武装解除を優先して、バーレ前大統領派であるSSDFの武装を放置、その攻撃を黙認した結果、キシマヨがモーガン将軍に占拠された、と非難した。このキシマヨ占領事件により、アイディド派の反米感情は一挙に高まり、数千人による反米暴動が起り、米軍と激しく衝突した」(国防93・7)

 以後、状況はますます悪化。十月六日には、米兵の死亡が二三名に達した。米軍は地上のゲリラ戦には弱い。大手メディア報道でも明らかなように、軍事的には大失態続きである。クリントンも失敗を認めた、石油戦略の思惑は次第に雲行が悪くなっている。

 以上。



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