<エディトリアル・メディア1・「ビンラディン殺害」米政府に公然化した異常さ>(ウイークリーポスト・ドットコム)
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投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2001 年 11 月 26 日 17:40:51:
当初は「デッド・オア・アライブ」といっていたのではなかったか。ブッシュ大統領をはじめとする米政府要人らは9・11の直後、オサマ・ビンラディン氏を同時多発テロ事件の首謀者と名指しし、その身柄を「生死を問わず」必ず捕まえる、と宣言していた。日本の新聞もそう伝えた。
英語でも日本語でも「生死を問わず」というのは「できれば生きたままがいいが、場合によっては死亡していてもやむを得ない」という意味である。
ところが、このごろはむやみと「殺害」を使いはじめた。読売新聞インターネット版はパキスタン軍当局者の言葉として「米軍はウサマ・ビンラーディンの居場所をほぼ突き止め、殺害作戦に自信を持っている」と伝え(11月20日)、朝日新聞もタリバーン政権崩壊後の米国軍事行動の重心を「オサマ・ビンラディン氏らテロ組織とタリバーン幹部の拘束や殺害に移す」(11月15日朝刊)と解説した。
殺害は「キル」である。「死ぬ」と「殺す」ではまったく意味がちがう。もちろんこの背景には米政府の報復意志が露骨になってきたという事情があるのだが、メディアはそれに引きずられてはならない。デッド・オア・アライブがキルへと急傾斜していくことに異常さを感じ取り、ブレーキをかけるのがメディアの役割のはずだ。
ちなみに共同通信は、ドイツのある大司教がやはり殺害を容認したことについて「西欧キリスト教会に異教徒への不寛容が根強く残っている」と指摘している(11月15日)。これがメディアの視点というものである。
無差別大量殺人のテロはけしからん、と私も思う。しかし、それを阻止するのが殺害だというのでは、ただやり返すというにすぎない。手段は目的を正当化しない、という言葉をあらためて噛みしめたい。
(作家 吉岡 忍)
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