アフガン侵攻・元兵士に聞く ソ連軍はなぜ失敗したのか

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投稿者 いがらし 日時 2001 年 11 月 03 日 02:16:19:

※かなり前の記事ですが。。。既出でしたらごめんなさい。

アフガン侵攻・元兵士に聞く ソ連軍はなぜ失敗したのか
(2001/10/03 毎日新聞)

 米政府は同時多発テロ事件の「報復」として、アフガニスタンへの軍事作戦を準備している。アフガニスタンにはソ連軍が79年に侵攻し、10年後に撤退した。当時とは支配勢力も国際環境も異なるが、軍事作戦を展開する上で、アフガニスタンとはいったいどんなところなのか。ソ連軍の軍事作戦に加わった元兵士に語ってもらった。【モスクワ石郷岡建】

 モスクワの東部、ペローワ地区。何の変哲もない住居ビルの1階に、「アフガニスタン戦争記念館」がある。エリン・イーゴリさん(39)はその館長で、「アフガン・ベテラン」と呼ばれる元戦士だ。

 戦争記念館とはいっても、実はペローワ地区からアフガンへ出征した約1500人の若者のうち、戻ってこなかった27人の戦死者(他に行方不明者1人)を弔うために作られた小さな施設だ。エリンさんら元同僚兵士が「アフガンで何があったのか」を人々に知らせるために細々と続けている記念館でもある。

 エリンさんは、モスクワの自動車工場に勤めていた時、招集を受けた。国内で軍事訓練を受けたあと、83年から84年にかけて、ソ連軍第201機動師団(現タジキスタン駐屯)の曹長として、アフガニスタン北部のクンドゥース州に駐屯した。

 エリンさんによると、まず何よりも大変だったのは気候の差だった。昼間は50度以上の気温が夜には0度近く下がる。山岳気候に慣れない者は体がついていけなかった。そして砂の大地。その結果としての水不足。ソ連軍は食料などはふんだんに供給したが、兵士たちが使う膨大な量の水をすべて供給することはできなかった。各部隊は井戸を掘ったが、それでも足りなかった。暑さと砂ぼこりと水不足のなかで、兵士たちは次々と衰弱し、病気にかかった。マラリア、下痢、黄だんなど、兵士たちは戦う前に病に倒れた。

 次いで兵士を悩ませたのが、険しい地形だ。3000メートルから6000メートルまでの山岳地帯が延々と続く。山岳地帯を歩く訓練をしていない者は、すぐにへたばる。戦車や装甲車は険しい山岳地帯には入っていけない。酸素不足でエンジン系統がすぐ壊れた。さらに、兵士たちを悩ませたのは、ゲリラ訓練をよく受けたアフガン兵士たちだった。暑さも砂ぼこりも水不足もものともせず動き回る頑丈な体力。地元の地形をよく知り展開するパルチザン戦術。狭い渓谷道路を進むソ連軍機動部隊の先頭車と最後尾車を山の上から待ち伏せ攻撃し、追撃に回ったら回ったでソ連軍に対しては、巧妙に仕掛けられた地雷原が待っていた。立ち往生した部隊を全滅させるというような戦術だった。ソ連軍部隊は幹線道路から奥へ入ることができず、結局、点と線の支配しかできなかった。エリンさんは「アフガンでは戦闘らしい戦闘はほとんどせず、部隊は消耗していった」と述懐する。

 しかし、何よりもソ連軍を悩ましたのは、アフガンの人々だったかもしれない。人々はソ連兵士を侵略者とみなし、敵対し、抵抗した。ソ連軍には、まず「共産主義者=無神者の集団」とのレッテルが張られた。イスラム信仰の強いアフガンの人々にとって、異神を信ずる者よりも、さらにタチが悪い存在と受け取られたのだ。

 ソ連軍兵士たちはアフガンの人々と対話が出来なかった。それどころか、人々の慣習・伝統を知らなかった。アフガンの女性たちは慣習上いろいろ制約を受けた生活をしているが、その一方で女性は「聖的な存在」で、汚すことは許されなかった。他人が声をかけたり、触ったりするだけで、侮辱行為と人々は受け取った。さらに家々は男女の空間が分かれており、女性空間に間違って入れば、それはその家のみならず、村全体の侮辱につながった。また、ソ連軍は機動部隊を動かすだけで、人々の畑や田、草地をじゅうりんする結果になった。当然生活の糧を乱され、壊された人々は怒り、敵意を募らせた。

 そんなことを知らないソ連軍兵士たちは、次々とアフガンの国土と人々の気持ちをじゅうりんし、人々を徹底抗戦の気持ちへと追いたてた。侵攻後まもなく、住民への対応が重要なことに気付いたソ連軍当局は、あいさつの仕方から対話の仕方、複雑な民族構成の説明までを書いたマニュアル集を作ったが、すでに手遅れだった、という。

 エリンさんのアフガンの印象は「20世紀(近代)から14世紀(中世)に戻り、別の文明、社会に入ったような感じだった」という。首都カブールでは近代的な生活が営まれていたが、農村地帯へ行くと、ソニーのラジカセやトヨタの車が動いている一方で、銃をかついだ民族服の男がラクダに乗って移動している奇妙なコントラスト。遊牧民生活と銃の取引の世界。中世がそのまま続いている雰囲気で、ロシア・欧州とは違う価値観で動いていた。アフガン戦争とは人々の支援、共感を受けることなく、異空間での奇妙な戦争だったとエリンさんは今思う。

 現在、米国の進める対アフガン軍事作戦について、エリンさんは「軍事作戦だけでは解決できない」と力説した。そして、(1)地上軍動員の大規模作戦は人々が苦しむだけで、意味がない(2)アフガン国内で力を持つ宗教指導者に解決を求めるべきだ(3)アフガンへ経済援助すべきだ(4)国際刑事警察機構のような反テロ国際機関を創設すべきだ――の4点を挙げた。

 最後に、エリンさんは「戦争は過酷で、悲惨だ。シルベスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーが活躍するハリウッド映画とは違う」と語った。

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▼ガレーエフ元アフガン大統領軍事顧問

 軍事的手段でアフガンを鎮圧するのは不可能だ。アレクサンダー大王も大英帝国の軍隊もソ連第40軍もできなかった。
 どんなひどい状況でも、アフガンの人々の気持ちをくじくことはできない。彼らにとって人的損害は恐れることではない。アラーに生き、アラーに死ぬ。その信念を崩すことは出来ない。
 アフガンはユーゴとは違う。破壊すべき発電所も橋も通信施設もない。首都カブールでさえ、上下水道がないのだ。
 われわれはアフガンに5師団10万人を投入した。しかし、実際に戦闘に参加したのは1万5000人程度で、その他の兵士は道路、基地その他の軍施設を警備したにすぎない。

▼レベジ元345空てい連隊第1大隊長(現クラスノヤルスク州知事)

 ソ連上層部の軍アフガン派遣のやり方は犯罪だった。彼らはアフガンが何であるかを知らず、アフガンの人々の知識もなかった。私には戦略的計画さえなかったように思える。私のアフガン戦争の印象は「シラミとほこりと血」だ。
 ひとりの兵士を殺害すると、その村の残りの者は、ただ報復という言葉だけで生きることになる。まるでオオカミのようなものだ。米国とロシアのすべての爆薬を動員しても、アフガンの問題は解決できないだろう。

▼シャマーノフ元ソ連軍参謀本部代表(現アフガン戦争兵士組織「タロカ」代表)

 戦争をする場所としては、アフガニスタンは世界で最も過酷なところだ。人々は常に戦いの用意ができており、非常に勇敢に戦う。ベトナム戦争の10倍もひどい。われわれがアフガンで考えたのは「なぜこんなところにいるのか?」という疑問で、回答は「ここはわれわれの場所ではない」だった。

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◇1万4453人の兵士失う

 78年4月、ダウド大統領を殺害するクーデター(4月革命)で、アフガニスタン人民民主党政権が成立した。タラキ書記長が革命評議会議長兼首相となった。まもなく政権内部の対立が始まり、タラキ書記長のハルク(人民)派と、のちに権力を握るアミン氏のパルチャム(旗)派が権力闘争を展開した。79年9月タラキ議長は殺害され、アミン議長が政権の座に座った。

 しかし、国内の対立はさらに激化し、ソ連共産党政治局は同年12月12日、「このままではアフガニスタンが米国の勢力下に入る」との漠然とした危機感からアフガン侵攻を決定した。

 ソ連軍第40軍の侵攻作戦は79年12月25日15時(モスクワ時間)に開始された。まず、ソ連特殊部隊が27日、首都カブールに侵入し、アミン議長らを追放、処刑し、モスクワからカルマル元副議長がカブールに戻り、権力の座についた。

 その後のアフガン戦争は4段階に分かれる。
▼第1段階(80年2月まで)=ソ連軍は反政府勢力との戦闘を避け、道路、発電所、物資輸送の警備にあたった。
▼第2段階(80年3月〜85年4月)=パキスタンからの軍備輸送を行う反政府勢力のキャラバンなどを相手に、軍事衝突を展開した。
▼第3段階(85年4月〜87年1月)=アフガニスタン政府軍の支援へと重点を移し、反政府勢力との戦闘は避ける戦術へと転換した。
▼第4段階(87年1月〜89年2月)=ソ連軍の撤退準備へ。

 ソ連軍は88年5月から撤退を開始し、89年2月撤退完了したとされる。常時約10万人、延べ62万人の兵力を駐留させ、1万4453人の兵士を失ったとされる。


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