「ニューズウィーク 日本版12・12」が示唆する『マザリシャリフの大虐殺』の事実

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投稿者 あっしら 日時 2001 年 12 月 07 日 17:52:35:

11・28に、36名だけの生存者を残し、500名近いタリバン側捕虜の虐殺を完了した「マザリシャリフの大虐殺」については、発端がどういうものであれ、捕虜の暴動を攻撃機の空爆で“鎮圧”した行為はジュネーブ条約違反の戦争犯罪だと考えている。いわんや、いくつかのメディアで語られているように、多数の捕虜が後ろ手で縛られていたというのなら、その犯罪性は「人道に対する罪」に値するものであろう。

暴動の発端については、「捕虜が隠し持っていた手榴弾を北部同盟側に投げた」ためという説と「CIAが捕虜を尋問しているときに、やりとりのなかで捕虜が飛びかかり、それにCIA職員(死亡)が拳銃を発砲した」ためという説がある。


今週号の「ニューズウィーク 日本版 12・12」に、あの大虐殺の解明に役立つと思われる記事が掲載されているので要点のみ書き込む。
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● 捕虜が手榴弾を投げたことが発端

  当該誌のP.32に「アメリカ人の兵士がタリバン側にいた 証言 捕虜収容所で体験した恐怖を語る」という囲み記事がある。

  そこには、『一一月二五日、ハミド(引用者注:あの白人のアメリカ人タリバン兵士)を含む約五〇〇人のタリバン外国人部隊は収容所に連行された。そのとき「二人が衣服の下に隠した手榴弾を投げ、二人か三人を殺した」と、ハミドは言う。「その後、われわれは地下室に放り込まれた。翌朝、今度は一人ずつ連れ出された。殺されるに決まっていたからおびえている仲間もいた」』とある。

この証言が事実だとすれば、『翌朝、今度は一人ずつ連れ出された』とあるように、捕虜の手榴弾攻撃は“前日”にあったが、すぐに鎮圧され、あの暴動には直接つながってはいかなかったことになる。

 この記述からちょっと後ろの方に、

『ハミドは続く数日間の恐怖を克明に語った。「連中はあらゆる武器で攻撃してきた。米軍の空爆もあった。恐ろしかった」』

と体験者のアメリカ人捕虜が語っている。


● CIAが捕虜を尋問しているときになにかが起きたことが発端

  当該誌の「IT戦争の嵐が吹き荒れる」という特集記事のP.22には、

『スパン(引用者注:「マザリシャリフの大虐殺」で死亡したCIA職員)は、マザリシャリフ郊外のカライジャンギで情報収集にあたっていた。そこには泥で固めた一九世紀以来のとりでがあり、刑務所として使われていた。タリバンの投降兵が収容されており、スパンは彼らの写真を撮りながら尋問していた。そのとき、投降したはずの兵士たちが決起した。決起の理由は不明だが、一説によると、彼らはアメリカ人工作員の姿を見て逆上し、スパンと北部同盟の警護兵数人に襲いかかったものらしい。』

と記述されている。


参考:

同じ号には、「アフガンの地に散った恐いもの知らずの夢 戦死者 CIA要因はめざしたままの道を歩んだ」という囲み記事もある。

これは、「マザリシャリフの大虐殺」の過程で死んだジョニー・マイケル・スパンに関するものである。その記事の最後は、『そのためにスパンは「英雄」として葬られることになった。』という言葉で締めくくられている。



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