トルコが「自民族保護」と言っていること関連:イラク内少数民族「トルコマン」
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投稿者 YM 日時 2003 年 3 月 22 日 19:40:04:gOTvopzJQci7w
イラク内極少数集団
アッシリアン
アッシリア帝国を築いたフルリ系の人々の末裔といわれ、現在は、多くがネストリウス派やカルディア派のキリスト教徒である。ネストリウス教会(アッシリア教会)は、5世紀に異端とされたコンスタンチノープルの主教ネストリウスを支持する一派によってシリアで6世紀に創設された。一時は中国(中国では景教)にまで広がったが、中東ではイスラム教の拡大とともに勢力を弱めた。ネストリウス教会から分かれてローマ教皇に帰属した一派が、カルディア教会と呼ばれる。迫害を受けてクルディスタンの山中に逃れたアッシリアンは、19世紀までほとんど外部に知られていなかったという。ムスタファ・バルザーニの配下で活躍したアッシリアンの女性ペシュメルガもいた。一方で、イスラム社会で偏見や攻撃の的になることもある。自治区では、アッシリア語教育も盛んで、新政党も結成されている。
トルコマン
トルコ系遊牧民が中央アジアやアゼルバイジャンから現在のイラクに移動してくるのは7世紀の前半からで、特にバグダッドを首都とするアッバース朝(750年〜1258年)のもとで兵士や王宮の警護として徴用され、次第に政治的な力をもつようになっていった。13世紀にモンゴル人がこの地域を征服したときは、軍人として採用されてきた中央アジアのトルコ系部族が住み着いた。イラクでは、こうした幾度かの波を経て住み着いたトルコ系の人々を「トルコマン」と呼び、現在イラクに100万から150万人いるといわれる。北イラクの自治区からイラク中央政権の支配下にあるモースルやキルクークにかけての地域や、バグダッドなどにも多い。自治区では、湾岸戦争後に多くの政党や文化団体が生まれた。
(勝又郁子『クルド国亡き民族のいま』P41〜)
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