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アナキズムとは何か?
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投稿者 AiN 日時 2003 年 5 月 11 日 09:31:37:2OiOnRU9wBg9c

(回答先: リバータリアンとアナキスト 投稿者 副縞 日時 2003 年 5 月 11 日 09:27:56)

A.1 アナキズムとは何か?
 アナキズムとは、アナーキー、つまり『支配者や君主のいない状態』の創造を目指す政治思想である。[P-J Proudhon, What is Property, p.264]
 言い替えれば、「個人が平等な立場で自由に協力する社会」の創造を目指す政治思想である。アナキズムはヒエラルキー支配のあらゆる形態に反対する。国家や資本家による支配は不必要なだけではなく、個人や個性にとって有害なのである。
 アナキスト L・スーザン・ブラウンの言葉:

『アナキズムは、一般には「暴力的な反国家運動」だと理解されている。だが、アナキズムは単なる「政府権力への反対」という意味を越えた、微妙なニュアンスを持っているのだ。アナキストは、「社会には権力や支配が必要だ」という考え方に反対なのである。そして、そのかわりに協同的で反ヒエラルキー的な社会・経済・政治の組織形態を提唱するのである。』[The Politics of Individualism, p106]
 しかし、「アナキズム」や「アナーキー」が、最も誤解されている政治思想であることは間違いない。一般的にこれらの言葉はカオス(chaos)や無秩序(without order)の意味で使われているし、そのため当然アナキストも、カオスや「ジャングルの法則(弱肉強食の法則) 」への回帰を目指しているものとも思われている。
 こうした誤解のプロセスは、歴史的にも例がないではない。たとえば、一人による支配(専制支配)が必要と考えられていた国々では、「共和主義」や「民主主義」という言葉が、まさに「アナーキー」という言葉と同じように「無秩序」や「混乱」を意味するものとして使われてきた。既得権があって現状を維持したい人々は、「現在のシステムに反対したってうまくいくわけはない。新しい社会の形態なんてカオスになるに決まっている」と言いたいのである。それについて、エンリコ・マラテスタは次のように表現している。

『政府の支配は必要であり、無政府状態は無秩序と混乱をひきおこすだけだ、と皆が考えているのだから、無政府を意味するアナーキーが、無秩序に聞こえるのは当然で、無理もないことだ。』[Anarchy, p12]
 アナキストたちは、「アナーキー」に対するこのような常識を変えたいと願っている。人々に、政府や他のヒエラルキー的な社会関係が、有害で不必要であることをわかってもらいたいのだ。

『考えを変えよう。政府の統治は不必要なだけではなく、非常に有害であるということ、アナーキーという言葉は無政府を意味するが、それが誰にとっても有意義な言葉になるということを、人々に悟らせよう。それは、自然な秩序、個人の必要と全員の利益の一致、完全な団結のなかでの完全な自由を意味するのだ。』[前掲書, pp12-13]
 このFAQは、アナーキーの意味やアナキズムについて広く抱かれている考えを変えるプロセスの一部なのである。

A.1.1 「アナーキー」は何を意味するか?
 「アナーキー」という言葉は、「ギリシア語」で「not」や「without」を意味する接頭辞「a」と、「支配者」「指導者」「長」「責任者」「指揮官」を意味する「archos」を組合わせたものから来ている。ギリシア語でanarchosまたはanarchiaは、『政府を持たないこと、政府が無い状態』を意味する。[Peter A. Angels, The Harper Collins Dictionary of Philosophy, Second Edition, pp.11-12」

 ここで述べられているように、anarchismの語源は単に「無政府」だけではない。「An-archy」は「支配者がいない」こと、もっと一般的に言えば「権力・権威(Authority)がない」ことを意味している。アナキストたちはこの意味で、この言葉を使い続けてきたのである。
 したがって、アナキズムは、単なる反政府や反国家の運動というより、主にヒエラルキーに反対する運動なのである。なぜか? それは、ヒエラルキーが権力を構成する具体的な組織形態だからだ。国家はヒエラルキーの最高形態だから、アナキストが反国家なのは当然だが、反国家だけではアナキズムの定義としては不十分なのである。これは、本当のアナキストは国家だけではなく、ヒエラルキーのあらゆる形態に反対するということを意味しているのだ。

 このような文脈で「ヒエラルキー」に言及するのは最近の傾向である。プルードンやバクーニン・クロポトキンらの古典的アナキストたちは、この言葉をあまり使わなかった。(彼らはたいてい「権力」(Authority)という言葉を用いたが、これは「権力主義・権威主義」(Authoritarian)を短縮した意味で使われている)
 しかし、彼らがヒエラルキーに反対し、力の不平等や個人の特権に反対する哲学を持っていたことは、彼らが書いたものを読めばすぐにわかる。バクーニンはこれについて、「公」権力を攻撃し「自然な影響」を擁護したときにも語っているし、次のようにも言っている。

『仲間を抑圧することが誰にもできないようにしたいか? それなら、誰も権力(power)を持つべきでない、ということを認識しなければならない。』[Maximoff, G.P., ed., The Political Philosophy of Bakunin: Scientific Anarchism, p.271]
 ジェフ・ドラハンは次のように書いている。『革命プロジェクトには隠れた部分が常にあるが、詳しい吟味によって反ヒエラルキーのコンセプトが広がったのは最近のことである。しかし、ギリシア語の「アナーキー」の語源にも、この意味が見られることは明らかだ。』[Between Anarchism and Libertarianism: Defining a New Movement]

 アナキストは、ヒエラルキーに反対しているのであって、国家や政府だけに反対しているのではないということを、私たちは強調したい。ヒエラルキーには、政治的関係だけではなく、権力的な経済関係や社会関係、特に私有財産と賃労働で構成される関係も含まれるのだ。これはプルードンの以下のような主張にも見られることである。
 『資本・・それは政治分野における政府と似ている。・・資本主義経済の思想と・・政府や権力の政策・・は一致するし・・様々な方法でつながっている。資本が労働に対してすることは・・国家が自由に対してすることと同じである。』[Max Nettlauによる引用, A Short History of Anarchism, pp.43-44]

 したがって「アナーキー」は、単なる「無政府」だけではなく、権力的組織やヒエラルキーの全ての形態が存在しないことを意味する。クロポトキンの言葉を上げよう。『社会におけるアナキストの最初の起源は・・批判・・ヒエラルキー組織や社会の権力概念への批判、そして・・人類の革新的進歩運動に見られる傾向の分析にある。』[Kropotokin's Revolutionary Pamphlets, p.158]

 さらに、アナーキーはカオスを意味するものではないし、アナキストはカオスや無秩序を希求しているのではない、ということをはっきり言っておかなければならない。そうではなく、私たちは、「個人の自由と、自発的な協力に基づく社会」を作りたいと考えているのだ。言い替えれば、権力からのトップダウンによって負わされる「無秩序」ではなく、ボトムアップによる「秩序」を求めているのである。

A.1.2 「アナキズム」は何を意味するか
 クロポトキンを引用すると、アナキズムは『社会主義の無政府形態・・・』である。[Kropotokin's Revolutionary Pamphlets, p.46]
 言い替えれば『人による人の搾取と抑圧の廃止、つまり、私有財産(すなわち資本主義)と政府の廃止である。』[Errico Malatesta, "Towards Anarchism, " in Man!, M.Graham(Ed), p.75]

 ゆえに、アナキズムは、政治的・経済的・社会的なヒエラルキーのない社会の創造を目指す政治思想である。支配者がいない「アナーキー」は実現可能であり、それは「個人の自由」と「社会の平等」を最大にする社会システムである。自由と平等のゴールは「互いに自立すること」である、とアナキストは考えているのだ。また、バクーニンの金言に次のようなものがある。

『社会主義なき自由は、特権と不公正である。また、自由なき社会主義は、奴隷制度と暴政である。』[The Political Philosophy of Bakunin, p.269]
 人類社会の歴史がこの点を証明している。平等なき自由は強い者だけの自由だし、自由なき平等は、奴隷制度を正当化する口実以外の何物でもない。

 一口にアナキズムといっても、そこには様々なタイプがあるが (個人主義的アナキズムから共産主義的アナキズムまで、セクションA.3に詳述)、その核心には二つの共通点がある。政府への反対と資本主義への反対がそれだ。個人主義的アナキスト、ベンジャミン・タッカーは言う。アナキストは『国家の廃止と不当な利得の廃止を主張する。人による人の支配も、人による人の搾取もやめなければならない。』[Native American Anarchism での引用, -A Study of Left Wing American Individualism by Eunice Schuster, p.140]
 アナキストは利潤・利息・地代家賃を不当な利得(つまり搾取)とみなしており、それを作り出す状況には、政府や国家と同様に反対している。
 L・スーザン・ブラウンはより広い意味でこう言う。『アナキズムの中にある連帯の精神は、ヒエラルキーと支配に対する全般的な批判であり、個人の自由のために喜んで戦う意志の表われである。』[The Politics of Individualism, p.108]
 国家や資本家の権力に服従させられていては、人は決して自由にはなれないと、アナキストは考えているのだ。

 よって、アナキズムは、アナーキー、つまり「支配者がない」ことを基礎にした社会の建設を提唱する政治思想である。そのため、『社会主義者と同じように、アナキストも次のように考える。土地・資本・機械の私的所有の時代は終わった。私的所有は消え去るべきである。生産に必要な手段は社会の共有財産となり、生産者の手によって運用されなければならない。政府の機能は必要最小限に縮小するのが、社会の政治組織として望ましい在り方である。社会の最終目的は、政府の機能をゼロにもっていくこと、すなわち、政府のない社会=アナーキーまでもっていくことである。』[Peter Kropotokin, 前掲書, p.46]

 したがって、アナキズムはポジティブでもあり、ネガティブでもあるのだ。それは、現在の社会を分析・批判すると同時に、新しい社会のビジョン、現在の社会が否定している人間の欲求を最大限に保証する社会のビジョンを、潜在的に示しているのである。欲求とは、人間にとって最も基本的な自由(liberty)・平等(equality)・連帯(solidarity)であるが、これらについてはセクションA.2で論じる。

 アナキズムは批判的な分析を希望へと結びつける。バクーニンは「破壊の主張は創造的的主張である」と指摘している。今の社会の悪い点を理解せずに、よりよい社会の建設は出来ないのだ。

A1.3 アナキズムはなぜリバータリアン社会主義とも呼ばれるのか?
 「アナキズム」という言葉にはネガティブな響きがあるので、ポジティブで建設的な面を強調するために、これまで多くのアナキストが別の言葉を用いてきた。
 もっともよく使われたのが「自由社会主義」「自由共産主義」「リバータリアン社会主義」「リバータリアン共産主義」だった。アナキズムとリバータリアン社会主義・リバータリアン共産主義は、アナキストにとっては事実上、同じ意味である。

 「アメリカン・ヘリテイジ辞典(アメリカの広辞苑か?)」をひいてみよう。

リバータリアン: 思考と行動の自由を信じる人、自由な意志を信じる人。
 社会主義   : 生産者が、政治権力と生産・流通手段の両方を所有する社会システム。
 上記の二つを、ただ単にくっつけただけ。

リバータリアン社会主義: 思考と行動の自由・自由な意志を信じ、生産者が、政治権力と生産・流通手段の両方を所有する社会システム。
 (辞書は政治思想には無知であるという、いつものコメントをするべきかもしれないが、ここでは「リバータリアン」は「自由市場」資本主義も、「社会主義」の国家所有をも意味しないということを示したかっただけである。他の辞書では別の定義をしているかもしれない。特に社会主義については。辞書の内容について不毛な議論をここでするつもりはない。したい人はご自由にどうぞ。)

 ところが、アメリカで「リバータリアン党」が作られて以来、「リバータリアン社会主義」という言葉は矛盾している、と考える人が多くなったようだ。「リバータリアン思想」に「反リバータリアン」的な「社会主義」思想をくっつけようとしている、アナキストが「社会主義」思想を受け入れ易くするために無理矢理くっつけたのだ、というわけである。つまり、アナキストが「正当な所有者」から「リバータリアン」の看板を盗もうとしている、と言いたいらしい。
 これほど事実からかけ離れた言いがかりはない。アナキストは、自らの思想を表現するために、1850年代から「リバータリアン」という言葉を使い続けているのである。
 革命的アナキストのジョセフ・デジャックは、1858年から1861年の間、ニューヨークで「Le Libertaire Journal du Mouvement social」を発行していた。[Max Nettlau, A Short History of Anarchism, p.75]
 アナキスト歴史家のマックス・ネットラウによれば、『リバータリアン共産主義』という言葉は、1880年11月にフランスのアナキスト評議会が採用したときから使われている。[前掲書, p145] 1890年代には、フランスの反アナキスト法を回避するためや、「アナーキー」という言葉の否定的なイメージを避けるため、「リバータリアン」はますますよく使われるようになった。(例えば、1895年、フランスでセバスチャン・ファウレとルイズ・ミッシェルがLe Libertaire(=The Libertarian) 紙を発刊した。) それ以来、特にアメリカ以外では、リバータリアンはアナキストの思想や行動と常に結び付けて使われてきたのである。
 最近のアメリカの例を上げれば、1954年6月にアナルコ・サンジカリズムを堅持する「リバータリアン連盟」が結成され、1965年まで存続している。
 それに対し、「リバータリアン」党は、アナキストが初めてその言葉を使ってから100年後(「リバータリアン共産主義」が採用されてから90年後)の1970年代初期に、初めて登場したに過ぎない。言葉を「盗んだ」のはアナキストではなく、そっちの党の方である。後のセクションBで、(リバータリアン党が希求している)「リバータリアン資本主義」という言葉こそ、いかに矛盾しているかを示そう。

 セクションIでは、「リバータリアン社会主義」の所有システムだけが、個人の自由を最大にすることを説明する。言うまでもないが、現在「社会主義」と呼ばれている国家所有は、アナキストに言わせれば社会主義でも何でもない。セクションHでは、国家の「社会主義」は資本主義の一変種であって、社会主義的な内容を少しも持たない代物であることを詳しく述べよう。

A1.4 アナキストは社会主義者なのか?
 イエス。どんな種類のアナキズムも、全て資本主義に反対である。資本主義が「支配と搾取」を基本としているからだ。(セクションB、C参照) 『人間は、主人(master)に強制されないと、一緒に働き・分け前を受け取ることができないのだ』という考えに、アナキストは反対する。アナキストの社会では『実際の労働者は自分たちの規律を持ち、物事はいつ・どこで・どのようになされるべきかを自分たちで決められる』と考えられている。そうすることによって、労働者たちは『資本主義におけるひどい奴隷状態』から解放されるのである。[Voltairine de Cleyre, "Anarchism," pp.30-31, Man!, M.Graham(Ed), p.32, p.34]

 プルードン・バクーニンなどの社会的アナキストと同様、ベン・タッカーのような個人主義者たちも、自分たちは「社会主義者」だと主張している。なぜなら、「社会主義」という言葉の元々の意味には、『自分の作った物は自分の物である、という個人主義の見解』が含まれているからである。["Ayn Rand and Perversion of Libertarianism, " in Anarchy: A Journal of Desire Armed, no.34]
 それを実現するために、社会主義者は、生産者が生産手段を所有し運営するような社会を構想したのである。資本主義の下では、生産のプロセスにおける労働者の自主権はないし、労働の成果に対する権利もない。そういう状態は、万人の自由平等に基づいている状態からはほど遠い。だからアナキストは反対しているのだ。
 したがって、アナキストは皆、反資本主義者である。例えば、最も自由主義の影響を受けたアナキスト- ベン・タッカーは、自分の思想を『アナーキスティック社会主義』と呼び、『利子・地代家賃・利潤を受け取る不正利得者』として資本家を非難する。アナキズムの自由市場社会(資本主義の自由市場ではない)では、『労働が、自然な賃金と全ての生産物を獲得するので』資本家は不必要な余計者になると、タッカーは考えた。その経済は、消費組合・職人・農民間の生産物の自由交換と、人民相互銀行 を基礎にしている。エゴイストの第一人者マックス・シュティルナーでさえ、資本主義とその「幽霊たち(spooks)」を軽蔑していた。シュティルナーに言わせれば、私有財産・競争・労働の分業などの観念は、神聖なものとして崇められる幽霊に過ぎなかった。

 だから、アナキストは自分たちをある種の社会主義者、リバータリアン社会主義者と考えているのである。個人主義アナキストのジョセフ・A・ラバディは次のように言う。(タッカーとバクーニンも繰り返し述べている)

『アナキズムは社会主義ではないと言われているが、これは間違いである。アナキズムは自発的な社会主義(Voluntary Socialism)なのである。社会主義には2種類あるのだ。アーキスティック(archistic)な社会主義とアナーキスティック(anarchistic)な社会主義、権力主義的な社会主義とリバータリアン的な社会主義、国家の社会主義と自由な社会主義である。どんな社会改良の提案も、個人に対する圧力や外部意志の力を“増やす”か“減らす”かのどちらかになる。増やすのがアーキスティック、減らすのがアナーキスティックなのだ。』[Anarchism: What It Is and It Is Not]
 社会的アナキストと個人主義的アナキストでは、多くの問題で意見を異にしている。たとえば、自由市場(free market)が、自由(lieberty)を最大にする最高の手段なのかどうか、等だ。しかし、資本主義に反対であること、アナキストの社会は、賃金労働ではなく協同労働(associated labour)に基づかなければならないことの二点では、一致している。協同労働だけが、労働時間中の個人に対する圧力や外部意志の力を減らす。そのような労働の自主管理こそが、本当の社会主義の理想の姿なのである。
 だが、時の流れと共に言葉は変化してしまう。今日では、「社会主義」と言えば、自由と「本来の社会主義の理想」を否定する、国家の社会主義を意味するものになってしまった。ノーム・チョムスキーがこの問題について言っている言葉に、アナキストなら誰もが同感であろう。

『もし、左翼がボルシェビキを含むものと解されるのなら、私は左翼とはきっぱり決別しよう。レーニンは、社会主義の最大の敵の一人だったのだ。』[Red and Black Revolution, issue 2]
 アナキズムは、マルクス主義、社会民主主義、そしてレーニン主義にずっと反対し続けてきた。レーニンが権力を握るよりはるか以前に、バクーニンは『赤い官僚政治』の危険について、マルクスの弟子たちに警告している。もし、マルクスの国家的社会主義思想が実現すれば、それは『あらゆる専制政府の中で最悪のもの』になるであろう、と。

 しかしアナキストは(基本的には)社会主義者なので、マルクス主義と共通の考えもいくつかある。(レーニン主義と共通なものは全くない) バクーニンとタッカーは、マルクスの資本主義に対する分析・批判や、労働価値説を認めている。(セクションC参照) マルクス自身はマックス・シュティルナーの著作、「唯一者とその所有」に大きな影響を受けていた。マルクスが「粗野」な共産主義と呼んだものや、国家の社会主義に対する見事な批判が、その本には書かれているのである。
 マルクス主義者の運動の中にも、社会的アナキストの見解(その中でも特にアナルコ・サンジカリスト)によく似た要素が存在する。例えば、アントン・パネクーク、ローザ・ルクセンブルク、ポール・マティックなどの人達は、レーニンとは全く異質だ。マルクスとレーニンの間にはもちろん密接な関連性があるけれども、ボルシェビキやレーニンを厳しく批判するリバータリアン的マルクス主義者とマルクスの関連性はもっとあるのである。その思想は「平等な人間の自由連合」というアナキストの目標と近いものだ。

 以上見てきたように、アナキズムは基本的に社会主義である。ただし、今日、一般的な意味で使われる「社会主義」(つまり国家統制の社会主義)とは、真っ向から対立する社会主義なのである。ダニエル・ゲランは、著書「現代のアナキズム」で次のように指摘している。『アナキズムは、まさに社会主義の類義語(シノニム)である。アナキストはまず最初に、“人による人の搾取”の廃止を目標とする社会主義者なのである。』
 アナキストは、「計画経済」の代わりに「個人・労働現場・共同体間の連合と協力」を提唱し、国家資本主義の変種である「国家の」社会主義に反対する。「計画経済」と社会主義が同じではないということは、セクションHで詳しく論じる。

A1.5 アナキズムはどこから生まれて来たのか?
 アナキズムはどこから生まれて来たのか。それに答えるには、ロシア革命(セクションA5.4参照) 当時、マフノ主義運動に参加した人々が作った「リバータリアン共産主義者の組織綱領」を引用するのが最も良いだろう。

 『労働者の奴隷化から始まった階級闘争と、抑圧された労働者の自由への熱望が、アナキズムを生んだ。それは、階級と国家の原理に基づく社会システムを全否定し、労働者が自主管理する自由な無国家社会を目指す思想である。

 だから、アナキズムは哲学者やインテリ知識人の抽象的な思考から生まれたものではない。労働者による資本主義との直接闘争から、労働者の真の必要性から、そして自由と平等への熱望、特に労働者大衆の生活と苦闘(life and struggle)が最も英雄的だった時期の彼らの心からの願いから、生まれてきたのである。

 傑出したアナキストの思想家、バクーニンやクロポトキンたちがアナキズム思想を考え出したわけではない。彼らは、大衆の中にアナキズム思想を見い出し、知識と思考によってそれを書き記し、広めるのを助けたのである。』[pp.15-16]

 他のアナキスト運動と同様、マフノ主義は、1917年から1921年の間のウクライナの大衆運動であり、労働者階級人民が、赤(共産主義) と白(ツァーリズム/資本主義) 双方の権力に抵抗した運動であった。『アナキズムの・・主な支持者は、伝統的に労働者・農民であった。』とピーター・マーシャルは書いている。[Demanding the Impossible, p.652]

 アナキズムは、抑圧から自由への苦闘の中から生まれたものである。それは自由を求める戦いと、「私たちが真に生き・愛し・遊べるような人間的な暮らし」を求める気持ちから生まれたものである。生活からかけ離れた象牙の塔から社会を見下ろし、何が正しく・何が誤りかを判定するような少数の人達によって作られたものではない。
 言い替えれば、アナキズムは、抑圧・搾取に対する苦闘の表現であり、今の社会の悪い点について働く人々の経験と分析を総合したものであり、よりよい社会への私たちの夢と希望を表現したものなのである。
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/faqa1.html

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