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「密林のカジノ王になった元ポル・ポト派No.2イエン・サリ」(『SAPIO』2002/4/24)
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/458.html
投稿者 YM 日時 2003 年 6 月 22 日 23:34:52:gOTvopzJQci7w

(回答先: カンボジア特別法廷関連資料:「ポルポト時代の死の記憶をいかに処理するか」(アジ研ワールド・トレンドNo.82) 投稿者 YM 日時 2003 年 6 月 22 日 23:32:14)

『SAPIO』2002/4/24

タイ国境パイリンは今や〃独立王国〃化
密林のカジノ王になった元ポル・ポト派No.2イエン・サリ

写真・文
フォトジャーナリスト 横田徹

先頃特別完全版が公開されたフランシス・コッポラ監督の大作『地獄の黙示録』。ベトナム戦争で戦線を離脱したアメリカ人大佐がカンボジアの奥地に独自の王国を築き、米政府から大佐の暗殺指令を受けた大尉が密林の奥までその「王国」を目指すというストーリーだ。これはあくまで映画の話なのだが、「戦線を離脱し、カンボジアに独自の王国を築いた」人物は実在する。しかもそれが、ジェノサイド(大虐殺)で知られるポル・ポト派の元最高幹部だというのだ。


カンボジアで2番目の規模を誇る都市バッタンバンから西方に約70H、カンボジア・タイ国境の街、パイリンを目指して悪路を進む。時折道の脇には〃地雷注意〃の看板を見かける。
「この付近の地雷は撤去チームによって撤去されたが、まだまだ大量の地雷が除去されずに薮に埋まっている。うっかり薮に入って足を吹き飛ばされる農民が後を絶たない」
トヨタのセダンを巧みに運転するドライバーはそう教えてくれた。
パイリンでは90年代半ばまでカンボジア政府軍とポル・ポト派の間で激しい攻防戦が繰り広げられていた。道脇に乗り捨てられた戦車の残骸が戦闘の激しさを物語っている。

投降とひきかえに「自治区」の実権を掌握
バッタンバンを出発して2時間ほどが過ぎただろうか、ジャングルのさらなる奥地であるにもかかわらずデコボコの悪路から急にアスファルトで舗装された道に変わる。数年前までは〃ポル・ポト派の拠点〃とよばれたパイリンの入り口だ。
整備された道路、新築の豪華ホテル、きらびやかな寺院。ここはカンボジアでも豊かな地区であることを実感する。パイリンで使われる通貨はカンボジアのリエルではなくタイのバーツであり、市民の年間平均所得は1万5000バーツ(ーバーツ=約3円、約4万5000円)でカンボジア全体平均の2倍にもなるという。
イエン・ブット副市長の側近ミウ・サマイ氏がいう。
「パイリンは96年には人口は2万人ほどでしたが、現在は4万人を超えました。パイリンと聞くといまだにポル・ポト派を連想する人がいますが、ポル・ポト派は消滅しました。現在はパイリンではイエン・サリ氏の影響力はありません。パイリン市は政府から100万ドルの年間予算を受けています。(主要産業である)材木や宝石は企業や個人で取引されていますから、パイリン市にはお金は入りません」
しかしながら、この街で厳然として実権を握るのは元ポル・ポト派のナンバー2、96年に政府軍に投降したイエン・サリ氏であるといわれている。
1975年から79年まで続いたポル・ポト政権崩壊後、当時のイエン・サリ副首相(兼外相)は兵士を率いてカンボジア西部まで撤退を余儀なくされる。その後、ポル・ポト派の最後の拠点となったパイリンで抵抗を続けたが、96年にシアヌーク国王による恩赦と引き換えにイエン・サリ氏は政府軍に投降した。パイリンは政府直轄の特別市になったが、例えばイエン・ブット副市長がイエン・サリ氏の長男であり、行政の実権を握っているというようにパイリン市幹部の多くは元ポル・ポト派が占めており、事実上は「特別自治区」といえる。投降の際、イエン・サリ氏が引き連れていた兵士は約4000人ともいわれているが、元ポル・ポト派兵士が警察官として治安に当たっている場合も少なくない。
パイリンに駐屯する政府軍のソッポー大佐が語る。
「ここパイリンには1200人の兵士が駐屯している。この部隊には元ポル・ポト派から編入された兵士が多い」

カジノにひっきりなしに訪れるタイ人たち
パイリンの中心地から約30H離れたタイ国境ゲート付近の密林の中にケバケバしい場違いな建物が現われる。これはタイとカンボジアの国境貿易を促進するために建設されたカジノだ。オーナーは華僑系のカンボジア人だという。カジノの横には同系列のホテルやディスコもある。取材当日が週末ということもあってピックアップ・トラックを改造したバスに乗ったタイ人観光客がひっきりなしにカジノに入っていく。圧倒的にタイ人が多いが、韓国、台湾、シンガポールからも客が訪れるという。あるカジノには一晩で数百人が訪れるといわれ、同じような規模のカジノリゾートが2軒ある。
(中略)

新車のホンダのバイクに乗った宝石商人は、「ここにはタイからだけではなくて日本や欧米の宝石バイヤーが宝石を買い付けに来る。パイリンのルビーは世界でも高品質だからな。俺はこの商売で1日300〜500バーツくらい稼くよ」と息巻いた。
この「宝」が内戦中、武器購入の資金源になったことはいうまでもない。そして現在でも豊かなパイリンを支え、その金の一部がイエン・サリ氏や政府に渡る。パイリンでは禿げ山をよく見るがこの森林乱伐にも同様の構造がある。
「その他にもイエン・サリ氏はガソリンスタンドなどいくつかの事業をタイでも展開している。石油密輸にも手を染めている」(現地ジャーナリスト)

「虐殺の歴史」の上に築かれた「帝国」
イエン・サリ氏にとって最近、順風が吹いた。犠牲者200万人ともいわれるポル・ポト派による大量虐殺を裁く特別法廷設置を国連が断念するとカンボジア政府に宣告したのだ。フン・セン首相がイエン・サリ氏への恩赦やポル・ポト派幹部の訴追取り下げなどの動きをみせていることに、国連側が不満を表明した形だ。フン・セン首相も元ポル・ポト派幹部を執拗に責め立てれば再び内戦が訪れるとの危機感を拭いきれず、元ポル・ポト派を徹底的に裁くことに蹟躇している。
96年にポル・ポト派の兵士が政府軍に編入されたが彼らの心の中ではいまだポル・ポト派の精神は生きているのだろうか?
42歳のティー氏は1973年にポル・ポト派に入り96年の政府軍への編入までベトナム軍や政府軍を相手に長い間ずっと戦い続けてきた。80年に政府軍との戦闘中に被弾して足を失った。現在は政府から恩給を貰い妻と息子と共に生活している。
「長かった内戦が終わって、これだけパイリンが豊かになったが、自分たちのような貧しい者の生活にはまったく変わりが無い。ポル・ポト派という組織は消滅したが、私は今でもイエン・サリ氏に忠誠を誓っている」
現在、イエン・サリ氏は77歳という高齢に加えて心臓を悪くして首都プノンペンで静養しているが、先述の国連の宣誓を受けて「特別法廷は多くの人が好ましくないと考えている。いかなる国にも内政問題を自分たちで解決する権利がある」と息を吹き返すような発言をしている。
投降後のイエン・サリ氏にインタビューをしたという知人のジャーナリストは「彼は、70年代にカンボジアで何が起きたか自分は全く関知しないと強弁している」という。
パイリンにはヌオン・チア元人民代表会議議長、キュー・サムファン元幹部会議長などポル・ポト派の老幹部が隠遁生活をしている。国連宣告には彼らもほっと胸をなで下ろしているだろう。「虐殺の歴史」を封印し、元ポル・ポト派の牙城として「イエン・サリ帝国」の繁栄はこれからも続くのだろうか。

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