トンデモ本ばかり読むと、陰謀世界と現実の区別がつかなくなるのでしかたないか。 田中上奏文は、偽書である典型的ケースであるので下記の文章を読んで感想を聞きたいものだ。 それでも松方乙彦の100年計画 も田中上奏文は出所はいっしょであろう。 <http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-44-4.html> その三) 謀略文書・田中上奏文 <> 「田中上奏文」というものがある。昭和2(1927)年に首相となった陸軍大将・ 田中義一から天皇に進言された政策文書とされたもので、 ・・・・ But in order to conquer China we must first conquer Manchuria and Mongolia. In order to conquer the world, we must first conquer China. If we succeed in conquering China the rest of the Asiatic countries and the South Sea countries will fear us and surrender to us. ・・・・The way to gain actual rights in Manchuria and Mongolia is to use this region as a base and under the pretense of trade and commerce penetrate the rest of China. Armed by the rights already secured we shall seize the resources all over the country. Having China's entire resources at our disposal we shall proceed to conquer India, the Archipelago, Asia Minor, Central Asia, and even Europe. 世界を征服しようと欲するなら、まず中国を征服せねばならない。中国を征服しようと思うなら、まず満州と蒙古を征服しなければならない。我が国は満州と蒙古の利権を手に入れ、そこを拠点に貿易などをよそおって全中国を服従させ、全中国の資源を奪うだろう。中国の資源をすべて征服すればインド、南洋諸島、中小アジア諸国そして欧州までが我が国の威風になびくだろう。 などというとんでもない内容の文書である。 昭和2年(1927)4月20日、田中内閣は発足した。中国では、軍閥、コミンテルン、共産党等が絡む事件が続き、我が国の対応が難しくなっていた時代である。「田中上奏文」の計画の実行の第一歩とされたのが、昭和3年6月の関東軍による張作霖爆殺事件である。 <> 張作霖 <> しかし実際は、張作霖事件の勃発を知るや、昭和天皇は暴走する軍部を懸念し、事件の真相解明を強く求めた。ところが、田中は陸軍とはかりもみ消しをしようとした。天皇は激怒し田中は辞職したのである。 さすがに、戦後になって、このおどろおどろしい「上奏文」は偽造文書であるということが証明された。英米の代表的な百科事典ブリタニカにも"田中メモリアル"は、偽造されたものであると書かれているそうである。 (1)エドガー・スノーによるプロパガンダ <> エドガー・スノー(Edgar Snow)は1936年、「中国の赤い星(Red Star over China)」のなかで、「毛沢東はやせたリンカーンのように見えた」とのべ、読者に中国共産党が良心的な民主主義者であるとの印象を与えた。そして、1941(昭和16)年に出版された、「アジアの戦争(The Battle for Asia)」において、スノーは「残虐な日本人」というステレオタイプを読者に植え付けたうえで、その「残虐な日本人」の侵略と戦っている中国共産党というイメージを多くの読者の脳裏に焼き付けた。 「アジアの戦争」の冒頭を飾ったのが、「世界を征服するには、まず中国を征服しなければならぬ。In order to conquer the world we must first conquer China.」との「田中上奏文(田中メモリアル)」の一節なのである。スノーによって「世界征服をたくらむ野蛮で残虐な日本人」のイメージが英米の大衆に広く深く浸透していったのである。 (2)世界に流通した偽上奏文 昭和4年12月、中国で漢文の「田中上奏文」なる文書が出現した。1930年代には、米国で英文パンフレットとなり、米国共産党によって大量に配付された。ソ連のコミンテルンは、昭和6年12月の雑誌「国際共産主義者」にロシア語版を発表した。 (漢文の田中上奏文) 『欲征服支那、必先征服滿蒙、欲征服世界、必先征服支那。□支那完全被我國征 服、其他為小亞細亞及印度南洋等異服之民族、必畏我而降於我、使世界知東亞為 日本之東亞、永不敢向我侵犯、此乃明治大帝之遺策、是亦我帝國存亡上必要之事 也。』 『寓明治大帝之遺策、第一期征服臺灣、第二期征服朝鮮、既然實現、惟第三期滅 亡滿蒙、以及征服支那領土、使異服之南洋及亞細亞全帶、無不畏我仰我鼻息之云 云大業。尚未實現、此皆臣等之罪也。』 「上奏文」に「日本が世界制覇を達成する過程で米国を倒さなければならない」という一節があり、米国との戦争を明確にした点が米国内で強い反発を呼んだ。 In the future if we want to control China, we must first crush the United States just as in the past we had to fight in the Russo-Japanese War. 『將來欲制支那,必以打倒美國為先決問題,與日俄戰爭之意大同小異。』 ルーズベルト大統領もその内容に注目したという。この文書が米国の対日姿勢の硬化に一役かったことも十分推測される。 田中上奏文は、10種類もの中国語版、ドイツ語版も出され、世界中に「世界征服を目指す日本」というイメージをばらまいた。ただし、当然ながら「偽」である故に日本語で書かれた原文は存在しない。 (3)東京裁判 <> 昭和21年5月3日に始まった東京裁判 (極東軍事裁判)の冒頭陳述において、キーナン検事は、日本は昭和3年以来、「世界征服」の共同謀議による侵略戦争を行ったとのべた。 被告等が東アジア、太平洋、インド洋、あるいはこれと国境を接している、あらゆる諸国の軍事的、政治的、経済的支配の獲得、そして最後には、世界支配獲得の目的を以て宣戦をし、侵略戦争を行い、そのための共同謀議を組織し、実行したというのである。「夢にも思い及ばざること」と、東条は呆気にとられて答えるほかはなかった。 <> 東条英機 この時「田中上奏文」は、連合国が日本を裁くうえで重要な根拠とされたようである。「田中上奏文には、天皇も承認した日本の世界制覇の計画が書いてあり、それを実行に移したのが、昭和3年の張作霖爆殺事件とその後の日本の行動である。」というわけである。 日本人弁護人の中心となった清瀬一郎は、1927年からの「世界侵略の共同謀議」が、田中メモリアルに基づいているのではないか、と気がついた。そこで弁護団は田中メモリアルが偽書であることを証明する戦術をとった。 蒋介石の部下、秦徳純は次のように証言した。 「私は、中国におけるきわめて普遍的な印刷物によったもので、そのなかには 「田中の世界侵略計画」、つまり第一段階で満蒙侵略、第二段階で華北の侵略、 第三、第四段階では1940年の(41年の誤り)真珠湾攻撃となって現れるのであ る。」 林逸郎弁護人が「日本文の原文を見たことがあるのか」と尋ねた。秦は「見たことはない」と答えた。 ウェッブ裁判長が聞いた。 「私はただ一つだけ証人にお聞きしますが、あなたは田中メモリアルといわれる ものの真実性について、何か確信を持っているのであるが、それとも疑う理由を 持っているのですか。」 「私は、それが真実のものであることを証明はできないし、同時に真実ではない ことを証明することもできない。しかし、その後の日本の行動は、作者田中が、 素晴らしい予言者であったように、私には見えるのである。」 結局、キーナン首席検事は証拠として提出することはしなかった。判事団も、「田中上奏文」が偽書であることに気づかざるを得なかったと推測される。 (4)偽文書の証明 「田中上奏文」には、本来なら当然あるべき日本語の原典がない。内容も、文書内の日付などに矛盾や誤謬が多く、上奏文にもかかわらず表現が不穏当で『どぎつい表現』が使われている。到底、日本人が天皇に上奏するために書いた文書とは考えられない。昭和5年2月、我が国の外務省は、文書を偽造と断じ、中国の国民党政府に抗議した。 歴史家・秦郁彦氏は、「田中上奏文」が偽文書である証拠を列挙している。 l 田中が欧米旅行の帰途に上海で中国人刺客に襲われた。 → 正確には「マニラ旅行の帰途、上海で朝鮮人の刺客に襲われた」。田中本人が上奏した文書で、自分自身が襲われた事件を、このように書き間違えるはずがない。 l 大正天皇は山県有朋らと9カ国条約の打開策を協議した。 → 山県は9カ国条約調印の前に死去している。 l 中国政府は吉海鉄道を敷設した。 → 吉海鉄道の開設は昭和4年5月で、上奏したとされる昭和2年の2年後。 l 本年(昭和2年)国際工業電気大会が東京で開かれる予定→ 昭和2年にこの種の大会はない。昭和4年10月の国際工業動力会議のことか。