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歴史とは現代の鏡である。
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投稿者 Ddog 日時 2003 年 6 月 21 日 22:50:45:gb2b4T9TetGkU

(回答先: wash-out !さんへ田中上奏文ですか、新鮮味に欠けますね。 投稿者 Ddog 日時 2003 年 6 月 21 日 22:38:12)

歴史はそれを叙述する者の「価値観」「関心」「所属する文化」さらには「政
治的立場」等によって規定されるもののようである。

私と、天皇はなにがなんでも、悪人としたい側(これは、中国韓国北朝鮮の歴史観、国益と合致する)の人たちとは、まるで歴史をみる目が根本的に違ってくる。私は、小室直樹 馬野周二 渡辺昇一 山本七平 西尾幹二 西部進 井沢元彦etcの思考を媒介として歴史を捉えていることはいることは事実だが、これで、新鮮味がないとされるのは、非常に不愉快である。

天皇擁護にまわるのは、日本人であるなら当然の歴史認識ではないのかと私は思う。不当な要求をするのに天皇批判を持ち出す諸外国の国益と、歴史認識が合致する歴史観の持ち主の正体は、単純な個人なのか疑いたくなる。歴史とは現代の鏡でもある。

マックス・ヴェバーは、「どんな"歴史叙述"でも現代の価値関心の立場から書かれ、しかも現代的な関心というものはその時々の価値理念によって変動する。それ故、現代はいつでも歴史史料に対して新たな問題提起を行いうる。反面、現代的な関心が現代文化の構成部分の原因を求めて因果的な遡及を行った際に、原因とはされ得ない過去の文化構成部分をも"価値評価し"それらを歴史的な"個体"とすることも確かである。」といっている。

他にも様々な論者が、歴史はそれを叙述する者の「立場」によって規定されるものである、ことを指摘している。

「歴史は、それを見る者の目によって様々な光を放つ。どれだけ正確に、公平にと心がけても、本人の能力や人間観、世界観などに無意識のうちに規定されてしまう面があるだろう。このことは、先哲の著した幾多の史書をひもとけば了解できることである。それでもすぐれた史書は、時代の風雪を経てなお、読者の胸をうつものがある。それは歴史に科学としてだけでなく、作品としての側面があるからであろう。歴史学の対象が人間である以上、書く者の人間性や想像力がそこに反映されるのは当然だ。問われるのはそれらの質如何であろう。」水谷千秋著 『謎の大王 継体天皇』文春新書刊

たこさんや- wash-out !さん 如往 の歴史観とは、立場が異なる。フランス18世紀の劇作家・歴史家・思想家のヴォルテールは「歴史の真実を知ることは、自由が存在する国においてのみ、はじめて可能となる」といった。自由の存在しない国においては歴史の真実を知ることは出来ないということである。
こうやって、歴史について議論する幸せをかみ締めたいものだ。

歴史を汚すものとして、陰謀偽書がある。一番困るのは陰謀偽書が勝手に一人歩きしてしまうことだ。
歴史に学ぶには、歴史の流れを読み取り、己の真実を見る眼力を備えたい。

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