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リアルな認識などという思い込みには困ったものだ。たこさんは善人であると思うが。
http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/766.html
投稿者 Ddog 日時 2003 年 7 月 02 日 23:33:55:gb2b4T9TetGkU

(回答先: さらにリアルな認識(裕仁の「聖断」など) 投稿者 たこ 日時 2003 年 7 月 01 日 18:12:18)

先ほどNHKの「その時歴史は、動いた」を観ました。蘆溝橋事件が単なる偶発的衝突から、現地での停戦協定が結ばれたり、近衛首相や石原莞爾陸軍参謀の当初の戦線不拡大が、武藤軍務局長らが、石原を説得し、近衛の優柔不断な戦線拡大決定の4日間の過程を時間をおって番組を構成していったが、そこには天皇の戦争指導の余地はまったくありえない。最終的に天皇へは報告で、昭和天皇が近衛を評価しなかった理由だろう。たこさん、蘆溝橋事件という重大事件において、昭和天皇が戦争指導したのか?反論の余地はなかろう。たこさんは、いままで、何一つ自分に都合が悪い事例に反論できていない。

たこ:歴史記述を歪めたコメントを目にするするのは、それなりに苦痛である。

Ddog:歪めているとは、私からすれば、たこ氏だと言いたい。歴史とは歴史を説く者の政治的立場主観に起因する。たこ氏の立場が、天皇制反対であるわけであるかえあ、それをもって反対の意見の論者に、歪めているとの批判は、歴史という学問の基本を理解していない。
私も、株が上昇して仕事が忙しい中、深夜の眠い最中、歴史の講義をするのは疲れる。

たこ氏の主張どうり昭和天皇が主導的に、日常的に政治決定をしていたならば、(内奏段階で軍部の意見と合わないことが多々あり上奏に至るまで軍が苦労したのは事実です。)、二二六事件における自分の独裁政治も可能であった状況で、毅然とした態度でそれを拒絶した昭和天皇の行動を、どう説明されるのか。日常的に政治指導していたとすることに矛盾する。
日独伊三国同盟に天皇が一貫して反対していた。これは、歴史的にたこさんも認めざるをえない事実。こんなに重要な決定を、天皇が日常的政治指導していたならば無視されることは、どう考えても整合性がない。
この事実に対してたこ氏の合理的説明はなされていない。

たこ:ここでは、天皇の政治決断として宣伝される裕仁の「聖断」を分析し、これを特別視することによって、「降伏の決断が可能なら、開戦回避の決断も可能であったはず」とする裕仁責任論への防波堤とする論者に反論しておく。
Ddog:天皇独白録等の資料からすれば、対米戦争に勝つ見込みは薄いと天皇は判断していたようだ。内奏が繰り返される中で、短期決戦講和シナリオを納得させられた。御前会議で開戦派の腰をおるように戦争反対の和歌を詠まれることが、たこ氏の説明ではあまりに不自然である。レイテ作戦における天皇の発言をたこ氏は奇妙な平和論と非難しているが、その緻密な頭で冷静に考えてみろ。戦争を止めると言い出すには、それなりのきっかけが必要だ。劣勢に立たされている方が、講和を望むなら、それなりの反撃戦果が必要とされよう。実はレイテ決戦直前幻の台湾沖の大戦果報道がなされて、米海上勢力に一矢報いたと日本中が沸いていたのである。天皇に真実がどれほど伝わっていたか手元資料では判断できないが、海上で大戦果をあげレイテにおいて米陸上勢力を叩くことができれば講和に持ち込めるだろうと考えるのは容易ではないか。これを歴史の歪曲ととらえるたこ氏こそ歪曲である。天皇には真実が伝わっていなかった可能性が高いと私は判断する。真実を伝えていない天皇に軍部が指導を仰がないことは、容易に想像できる。


たこ:「聖断」の特別視はあたらない かつて、Ddog氏は、1945年8月のいわゆる「終戦の聖断」について、「これが決定的となって。ポツダム宣言の受諾となった」とされていた(引用は省略)。この時期に、裕仁が降伏を決意していたらしいことは、確実である。そして、これが現実の政治過程に大きな影響を与えたことも間違いない。しかし、「二二六事件」と「聖断」のみを特別視し、裕仁が主体的に政治決定を行った例外的な事例とするなら、これは事実に反する。 この種の議論は、何が「特別」で、何が「例外」か、明確にしておかなければ無用の混乱を招く。私は、「天皇は輔弼者の正式上奏を拒絶しない(原則1)」が、「正式上奏の前に内奏が行われ、天皇の意思に反しない政治システム(原則2)」とした(「ちょっと反論(上奏と天皇の責任)」<http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/326.html>)。「聖断」がこれに反する例外か否かを検証したい。結論から申し上げると、「聖断」も、少なくとも天皇の関与という点では、昭和期の政治過程として異例のものではない。天皇の意思にそって実質的決定が行われた後(原則2)、輔弼者の上奏を形式的に裁可している(原則1)。

Ddog:戦後の天皇および側近者の証言で、二二六と終戦の聖断が立憲君主のシステムを逸脱したと証言している。天皇の証言をまったく無視するたこ氏の歴史の歪曲には少々疲れる。昭和初期の昭和天皇は、欧米の立憲君主制を模範とし、それを逸脱することを律儀なくらい警戒していた歴史的事実です。事実を立証するのに、事例をもって紹介したが、たこ氏は、天皇の積極的政治関与の事例を示していない。反論してやろうと待ち構えていたが事例が示されず、やむをえず、自分から天皇の戦争指導を指摘される部分を、紹介して反証しておいたぐらいだ。たこ氏は天皇の積極的政治関与を示すだけの根拠を示し、私の反論を待つべきだ。

たこ:事実の推移を時系列で示そう。いずれも1945年8月の事件である。 8月9日 「御前会議(1)」で紛糾したが、裕仁の発言を受けて、「国体護持」を条件とするポツダム宣言受諾を決める。8月10日 外務省がポツダム宣言受諾文を在外公館を通じて連合国に交付。8月12日 ポツダム宣言受諾文に対する連合国の回答(いわゆるバーンズ回答)が得られる。8月14日 上記の回答に接して賛否両論があったが、「御前会議(2)」で裕仁がポツダム宣言受諾の意思を発言する。 最初に確認しなければならないのは、「御前会議」の性格である。天皇が出席する会議がすべて御前会議ではない。たとえば、天皇が皇族会議や元帥府会議などに出席する例もあるが、これは会議出席者に勅語を語っただけとされ(帝国議会の開院式や国会の開会式と同様)、その会議が御前会議と呼ばれることはない。その理由は、これらの会議は官制によってその構成が定められているので、それに属しない天皇は、会議参加者ではなく、「お客さん」とされたのであろう。

Ddog:ポツダム宣言受諾の御前会議以外お客さんであったのは、たこ氏も認めるところだ。しかし、内奏段階でも意見がまとまらず決断を天皇に委ねられた。14日のクーデター事件も天皇は毅然として、終戦の決断は、揺るがなかった。
天皇の独白録において、開戦の内奏を拒絶しつづけたが、天皇がこれ以上開戦派の主張を退けるとクーデターが勃発し、開戦阻止派の自分が退位させられることを危惧した。事実終戦阻止のクーデター八.一四事件は勃発したのである。
以上のような事実は、天皇が積極戦争推進派であるという主張は、まったく整合性に欠ける。


たこ:1945年8月14日の御前会議(2)は、実は最高戦争指導会議の体裁もない。内大臣の内奏に基づいて、天皇の側から招集し、出席を求められたのは、内閣のほぼ全員と大本営(参謀総長、軍令部総長)である。形式は「集団内奏」に近い(天皇の側から内奏を命じ、その際に「御下問」と「御内意」を行うことはまれではない)。これを最高戦争指導会議とするのは、おそらく戦後の説明である。
いずれにしても、これらの「御前会議」は、正式上奏に先立って、天皇の意思を確認するものに過ぎず、原則2を忠実に守っている。

Ddog:苦しい説明ですね。御前会議でない?昭和天皇は、己の命を危うくする可能性を承知の上で、意見がまとまらない内閣に、ポツダム宣言受諾の意思を示したのである。それを英断と言わずして、何という。

天皇による戦争指導という結論を導きたいのなら、まずは、第二次世界大戦の泥沼へ繋がる道を開いた、蘆溝橋事件における、天皇の戦争積極指導の証拠を論理的に示してほしい。私の本棚の書籍ひっくり返しても出ていないな。

それから、たこさんが擁く昭和天皇像は、どうも二二六事件の首謀者 磯辺浅一が擁く天皇像と同一のようだ。
彼は天皇のイメージは、自分が擁いた神国日本の神話の天皇をイメージしていた。しかし実像は、西洋的合理的精神を持った立憲君主制の守護者であった。
磯辺浅一は、天皇の実像を知るに到ると、天皇を呪詛しながら刑死した。

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