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「誰かが支出しない限り、他の誰かの所得は生じない」◆マンデヴィルと経済学の源流◆(関岡正弘)
http://www.asyura.com/0306/hasan27/msg/759.html
投稿者 TORA 日時 2003 年 6 月 23 日 10:14:21:

1995年3月に日本経済新聞のやさしい経済学に掲載した論文です。


東京国際大学教授  


◆1 ブンブンうなる蜂の巣

 この欄に「ケインズと蜂の寓話」を連載してから、すでに一年以上の歳月が過ぎ去った。それにしても、マンデヴィルという人物には興味をそそられる。 本来であればマンデヴィルは、心理学、社会学、経済学、その他人間行動に関する諸科学の「さきがけ」あるいは創始者になりえたであろう。

 しかるにマンデヴィルは重大なミスを犯した。その主著「蜂の寓話」に、「個人の悪徳は公共の利益」という副題を付けてしまったのだ。まだ、宗教や道徳に最高の価値を与えていた当時の多くの人々は、本の中身を読みもしないでマンデヴィルを非難した。以後マンデヴィルは、反論に追われ、非難する者たちに、なんとか本の中身を読ませようとして一生を使い果し、かんじんの理論構築は中途半端で終わってしまった。

 蜂の寓話は、邦訳(泉谷治訳・法政大学出版局)でも433行に達する大詩である。それに緒言と、詩の中の表現に関する22項目の注釈が付けられ、さらに「美徳の起源についての考察」「慈善と慈善学校についての試論」「社会の本質についての考究」三つの小論文が追加されている。 まず、蜂の寓話を要約しておこう。

「広々とした蜂の巣に蜂の大群が住んでいた。
生活は奢侈で安楽に満ちていた。
学問や精励が奨励されていた。
政治体制は立憲君主国だった。
器械、労働者、船舶、武器、仕事場まですべてがあった。
人口が集中していたおかげで、
かえって繁栄していた。
欲望と虚栄を満たすため何百万人もが働き、
一方では何百万人もが消費していた。
仕事に労働者が追いつかなかった。
莫大な資本を元手に大きな利益を上げる者がいる一方で、
毎日汗を流し食うために体力と手足を使いつくす者もいた。
詐欺師、食客、女衒、博奕打ち、掏摸、贋金づくり、薮医者や占師、
なんでもいた。
弁護士はいつも不和をかもして事件をこじらせた。
医者は医術より名声や富を愛した。
ジュピター信仰の僧侶の多くは無学で、
高位の聖職者たちは安楽にふけっていた。
兵士たちは名誉を目的に戦争に出かけ、
大臣は権限を利用し役得を得た。
肥料の中には石やモルタルが混ぜられた。
百姓はバターといつわって塩を売った。
正義の女神でさえ黄金に買収されて、
持っているべき天秤をたびたび落とした。
かように蜂の巣は、部分的には悪徳に満ちていたが、
全体としては天国であった。
奢侈は貧乏人を百万人も雇い、
いとわしい自負はさらに百万人を雇った。
おかげで貧乏人の生活でさえ以前の金持ちよりよくなって、
足りないものはもうなかった。
しかし命ある者の幸福は空虚である。
そのうちに誰もが、詐欺や不正を非難し始めた。
ジュピター神が怒り、誰もが正直にし始めた。
すると驚愕すべきことが起きた。
肉の価格が下落し、偉大な政治家は道化師に変わった。
役人は俸給でつつましく暮らし始めた。
莫大な金額を浪費していた人がいなくなり、
土地と家屋の値段が下がった。
建築業はまったくだめになり、職人たちは仕事失った。
誰もが節制するようになり、
居酒屋の勘定をしたあとではもう二度と入らない決心をした。
広い蜂の巣に残るものはごく少数になり、
多数の敵に攻め込まれた時多くの蜂が死んだ。

◆2 コーヒー・ハウス時代

 バーナード・マンデヴィルは一六七〇年にオランダで生まれた。ライデン大学に入り一六九一年に医学博士の学位をとった。専門は神経系統だった。併せて哲学も勉強したという。その後ロンドンに渡り、結局永住することになった。 マンデヴィルが移住した頃イギリスは、コーヒー・ハウスの最盛期にあった。一六五〇年オクスフォードで、イギリス最初のコーヒー・ハウスができ、それ以来、ロンドンを中心に急速に普及した。

イギリス人たちは、まだ貧弱だった家から好みのコーヒー・ハウスへやってきて、知的な議論を楽しんだ。 桂冠詩人のジョン・ドライデン、「ガリバー旅行記」のジョナサン・スイフト、「ロビンソン・クルーソー」のダニエル・デフォー、辞書編纂で有名なサミュエル・ジョンソン、さらには1721年から42年まで、首相の在位記録をつくったロバート・ウォルポールなどもコーヒー・ハウスの常連だった。コーヒー・ハウス時代は約百年間続いた。正にイギリスの百家争鳴の時代だったといえる。

 コーヒー・ハウスでの会話から、新聞や雑誌など近代的なメディアが誕生した。世界最大の保険機構ロイズが、エドワード・ロイド経営のコーヒー・ハウスから生まれた話は有名だが、マンデヴィル自身、蜂の寓話の中でロイズの店に言及している。 さらに、その頃起きた重要な経済事件としては、1680年代以降急速に進んだゴ−ルド・スミス(金細工師)の貯蓄・貸付銀行への発展を挙げなければならない。

この新しいシステムによって、人類は、史上初めて社会的な規模で、銀行券および預金という必要に応じていくらでも創出できる便利なマネーを手にしたのだ。1694年には、民間銀行ながら規模が大きく、銀行券の発行を最初から目的としたイングランド銀行が設立されて、この自然発生的なシステムに確固たる基盤を与えた。

 なんといっても経済はマネーが基本である。世界最初のぺーパー・マネーの出現がイギリス経済をテイクオフさせたことはまちがいない。やがて一八世紀半ば頃からイギリスは、世界に先駆けて産業革命に突入していく。しかし初期の頃は行き過ぎもあったのだろう。1720年には、有名なサウスシー・バブル(南海泡沫会社)事件が発生している。ぺーパーに仮託された価値は陽炎(かげろう)の如く儚いのだ。

 マンデヴィルはこのような興味ある時代を背景に、1703年から執筆に入り、まずフォンテーニュやイソップ、ギリシャ神話の神々と巨人族の戦いなどに関するエッセーを書いた。そして1705年に、問題の「ブンブンうなる蜂の巣」というパンフレットを匿名で出版した。

マンデヴィルは、このパンフレットの海賊版が本来の定価の一二分の一の価格で出回ったと、その後追加した緒言で書いているが、この時はそれほど大きな反響は呼ばなかったようだ。 1714年には、やはり匿名で、蜂の寓話に緒言と注釈を付けて出版した。しかし邦訳の訳者あとがきによれば、この時もほとんど一般の注目を引かなかったという。「世間から注目され非難」されるようになったのは1723年の出版からである。奇しくもアダム・スミスが生まれた年であった。

◆3 経済学の源流

 1723年に出版された蜂の寓話は、大きな反応を引き起こした。人間の行動が、すべて利己心や自己愛を動機としているというマンデヴィルの考えは、最近の世界的ベストセラー、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読めば至極もっともな考えなのだが、当時は忌避されたのである。

 出版された年、蜂の寓話は、ミドルセックス州大陪審院によって告発された。さらにその後も新聞などに、度々非難の記事が掲載された。そこでマンデヴィルは、反論を書くはめに追い込まれた。 1729年にマンデヴィルは、続・蜂の寓話(邦訳・泉谷治・ウニベルシタス叢書)を発表した。

今回は、蜂の寓話で展開された経済学的分析には触れられず、もっぱら人間行動の奥に潜む利己心の証明が焦点だった。 いずれも架空の人物である2人の友人の対話形式で、クレオメネスがホレイショを説得するのである。クレオメネスはマンデヴィルの代弁者、ホレイショは同時代の思想家シャフツベリー卿の信奉者という想定で、もちろん最後はホレイショがクレオメネスに同意することになる。

 シャフツベリー卿とは、第三代シャフツベリー伯のアントニー・アシュリー・クーパーのことである。家庭教師がジョン・ロックであったせいもあり、ロックとともに、イギリス啓蒙思想の創始者となった。シャフツベリーは、宇宙は調和的、倫理的であって、その一部である人間も、生来の自然感情として正邪の感覚、良心を先天的に備えていると考えた。正に性善説であり、マンデヴィルの性悪説とは真っ向から対立した。

 シャフツベリーは、マンデヴィルより一年遅い1671年の生まれだが、1733年まで生きたマンデヴィルに比して遥かに若く、1713年に死んでいる。しかしその考えはマンデヴィルのものより時代の風潮に合っていた。マンデヴィルは、自分の対極として強くシャフツベリーを意識した。 そこでマンデヴィルは、自分の考えをクレオメネスに代弁させるとともに、ホレイショという人物にシャフツベリーの立場を代表させたのである。

シャフツベリーの思想は、1694年生まれのフランシス・ハッチスンに強い影響を与えた。 ハッチスンこそは、アダム・スミスの先生である。「諸国民の富」(邦訳・岩波文庫)の編者エドウィン・キャナン(1904年)は、後に「諸国民の富」に発展したスミスの初期の講義録の、論題の配列順序は体系的に、ハッチスンの著書「道徳哲学体系」のそれに、ほとんどまったく同じだったと指摘している。

1751年にグラスゴー大学の教授に任命されたスミスは、準備の時間が限られていたせいもあり、旧師の講義ノートに手を入れて使ったのだろう。ハッチスンは「道徳哲学体系」の中で、「『贅沢や不節制は、大きな消費の原因となり、労働と製造業を奨励するから一国の富にとって必要だ』と強弁するのは空虚な話だ」と述べている。

明かにマンデヴィルを意識した言葉であり、師筋のシャフツベリーの立場を代弁したものである。 だとすると、現在の経済学の「自然調和」思想は、ハッチスンを経てシャフツベリーまで源流を遡ることになる。

◆4 積み残された命題

 経済学の父アダム・スミスは、明かに理想主義者シャフツベリーの系統に属している。しかし興味深いことに、そればかりではなかった。 「諸国民の富」の編者キャナンは、「アダム・スミスが自由主義の一般的方向についてはハッチスンから影響を受けたことを信じてさしつかえないにしても、それと同時に「諸国民の富」のなかにしみわたり、またそのとき以来からの経済学的思索の出発点になったところの、利己心の経済的恩恵についての信念までをハッチスンに帰する理由はまったくないように思う」(岩波文庫・以下同じ)と言い、さらに「アダム・スミスは、ハッチスンの体系が利己心に十分高い地位を与えなかったということを明かに信じていた」と言っている。

そしてキャナンは「スミスがマンデヴィルの研究によって力をえたことはたしからしく思われる」と述べ、さらに「『われわれが自分たちの食事に期待するのは、肉屋や酒屋やパン屋の仁愛にではなくて、かれら自身の利益に対するかれらの顧慮に期待してのことなのである』ということを、はじめてスミスにさとらせたのは、ほかならぬマンデヴィルではなかったのか、と疑ってもまず間違いないであろう」とも言っている。ここであらためて「蜂の寓話」の中で寓意された経済理論について考えよう。

 蜂の社会は最初大いに栄えていた。しかし後半一転して大不況に陥る。その転機は、それまで欲望のままに浪費していた蜂たちが、ジュピター神の一喝に合い、急に節制を守り始めたことにある。 マンデヴィルの注釈によれば、栄えていた原因は、貴族や金持たちが、競って豪壮な邸宅や六頭立てのはでな馬車、贅沢な庭園やすばらしい家具を調達していたからである。

また貴婦人たちが、流行を追ってドレスを次から次へと新調していたためである。これら他から目立ちたいという自己愛や利己心がもたらす贅沢や見栄、あるいは放蕩、博奕等々が、大きな支出を生み出し、それが下層階級の職人たちに収入をもたらしていたのである。 しかし433行におよぶ蜂の寓話の中で、マンデヴィルの言いたいことを、もっとも的確に表現している場所は、「あの呪わしく意地悪く有害な悪徳で悪の根源をなす強欲が、奴隷としてつかえた相手は放蕩であり・・」(泉谷訳)という箇所だろう。この場合強欲とは、けちのことである。

 一代で築き上げた成金が、貯め込んだ金にまみれながら、餓死するほどけちけち暮らして、死んでしまった後、放蕩息子がせっかく相続した莫大な財産をあっという間に蕩尽してしまう。よくある例だが、マンデヴィルによれば、親父は、マネーを流通から引き上げて死蔵する結果、相続人以外の社会全体に(不況という)損害を与えるが、放蕩息子の方は、死蔵されていたマネーを流通にもどすことによって、社会全体に対する貢献度が高いという。

 結局マンデヴィルは、経済学的にみれば「誰かの支出は別の誰かの所得を生み出す」あるいは「誰かが支出しないかぎり所得は生じない」という命題を主張しているように思われる。現代経済学の父アダム・スミスは、一部マンデヴィルの思想を受け入れ、私欲放任つまりレッセ・フェ−ルの思想を経済学に導入したが、肝心の命題だけは積み残したのである。

◆5 その後の経済学

 スミスの「諸国民の富」は、よく知られているように、分業から書き始めている。そして分業を支えるのは交換ということで、
交換の基礎である価値あるいは価格の問題へと議論を展開させていく。 さらに貨幣論へと展開するが、スミスにとって貨幣とは結局貴金属マネーでしかない。

実はスミスの時代は、銀行預金という形のぺーパー・マネーが誕生してすでに半世紀以上経っている。マネーを問題にするのなら、当然その点に対して考慮が払われるべきだったろう。 しかし、それがまだ、商人同士の間しか通用していなかったせいか、スミスはその事実に全く関心を払わなかった。その後のスミスの弟子たちも、この点では学祖と同罪である。

 それはともかくスミスの理論で最大の問題は、労働価値説という厄介なものを生み出したことだ。諸国民の富の第一編第六章「諸商品の価格の構成部分について」において、スミスは、「一匹のビーヴァーを殺すのに、一頭の鹿を殺すのの二倍の労働が通例費やされるとすれば、一匹のビーヴァーは、自然に二頭の鹿と交換され、つまり二頭の鹿に値することになるであろう」と述べている。

 スミスがこのように書いた時、どれだけ推敲を重ねたか分からない。しかしこの記述は、その後の経済学に実に重大な枠をはめたことになった。商品の価値が生産された時点で固定されるとすると、社会的存在物であるが故に、「変化する価値」であるストックを扱えなくなってしまったからである。 労働価値説はリカードに至って強化され、さらに階級間の価値の分配(争奪)という概念を生み出した。そしていつの間にか、労働のみが価値の生産者という概念が追加された。搾取という概念はその二次的概念である。

 一方、スミスがシャフツベリーから受け継いだ調和という概念もまた、スミス以来の経済学を呪縛した。「供給はそれ自らの需要を生む」というセイの法則も、さらに、ワルラスやマーシャルの「生産物の需給と価格は均衡状態を目指す」という、いわゆる均衡概念も、この調和概念から生み出された二次的概念と言える。

 ところでケインズは、その著書「一般理論」の「フランス語版への序」の中で、本書の目的はセイの法則からの最終的な離脱にあると述べている。ケインズは、一般均衡理論についてはなにも言っていない。しかしシャフツベリー以来の経済学の流れの中では、「ある時間の経過後需給は安定調和する」と考える点では、セイの法則も一般均衡理論も同じ範疇に入るように思う。

 しかるに、ケインズが明解に述べなかったばかりに、その死後、ケインズ理論と一般均衡理論を統合すると称する、新古典派統合なる奇妙な考えが現れて一世を風靡した。 しかし水と油が混ざるはずはない。新古典派統合なる考えが光を失った後、しぶとく姿を現わしたのが一般均衡理論であった。

皮肉な観点からあえて言えば、新古典派統合の歴史的役割は、オーストリア生まれの一般均衡理論を、ケインズ全盛時代のアメリカに、何時の間にやらもぐり込ませ、厳しい論議抜きに定着させたことにある。

◆6 それにしても

 蜂の寓話を読んで気になるのは、現代日本との奇妙な一致である。マンデヴィルの蜂たちは「暴政の奴隷でないばかりか、野放しの民主主義の統治下にもなく、法律で権力を制限されている国王の下にあり、繁栄していた」(括弧内は泉谷訳より要約・以下同じ)のだが、その状態は正に第二次大戦後の日本の官僚民主主義そのものだ。

「おたがいの渇望をみたそうとして何百万もが努力(生産)し、他方さらに何百万もの仕事は生産物を破損(消費)することであった。仕事に労働者が追いつかなかった。莫大な資本で、ほとんど苦労なく利得の大きい事業に飛び込んだ者もいた」とは、まるで、数年前のバブル期、空前の売り手市場に酔った学生の姿、あるいは不慣れな不動産事業に走った日本企業のことを描写しているようだ。

「弁護士がきまって打つ手は、不和をかもして事件をこじらせること・・・、医者は名声や富のみを重んじ、腕前や患者の健康はあとまわし・・・、大臣たちは権利を乱用し役得を得た」と同じ記事が、今でも新聞や週刊誌の紙面を埋めている。「各部分は悪徳に満ちていたが、全部そろえばまさに天国であった。

悪徳は生活の便益やまことの快楽や慰安や安楽を高め、おかげで貧乏人の生活でさえ以前の金持ちよりよくなって、足りないものはもうなかった」。マンデヴィルの悪徳の定義、「奢侈」「浪費」「放蕩」などを前提とすれば、そっくりそのまま、一九八〇年代後半以来の、バブル期の日本の描写として通用する。 そして、神の中の神ジュピターが「わめく蜂の巣から欺瞞を一掃する」と宣告するやいなや、一転不況に陥るのだが、現代のジュピターは、もちろん、最近おやめになった銀行の中の銀行の鬼平総裁である。

やがて蜂の社会は、「土地や家屋の値段は下がり、職人たちの仕事がなくなってしまう」のだが、今の日本ではまだ進行中の現象である。

 不幸にして、マンデヴィルが「個人の悪徳は公共の利益」などといった偽悪的表現を付けたため、経済学では数少ない絶対的に正しいと思われる命題、「誰かが支出しないかぎり所得は生れない」という命題が、経済学に取り入れられることなく無視されてきた。 率直にいって、経済学の現状は正に危機的である。

世界でもっとも古く権威ある経済学誌エコノミック・ジャーナルの百年記念号を翻訳した「フューチャー・オブ・エコノミックス」(鳥居泰彦監修・同文書院インターナショナル)の日本版の序の中で、監修者の鳥居慶応義塾塾長は、経済学の現状について「誰もが、何かが狂っているのではないかと考え始めているのが、現在の状況である」と述べている。

 諸悪の根源は、ずばり、一般均衡理論にあるだろう。この世は宇宙ですら絶えず変化している。安定均衡の状態など、現実の世界にはありえない。もちろん道徳を論ずることは必要だが、経済学とは別枠で論ずべきである。 経済学は未曾有のピンチを脱するために、マンデヴィルが残したという、絶対命題の原点に立ち戻って考え直す必要があるのではないか。

http://homepage3.nifty.com/sekiokas/Topfile/Economics/mandevil.html

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