★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > 雑談専用2 > 675.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
《共同的資本主義論》理解のためのすり合わせ
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/675.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 8 月 03 日 19:09:32:Mo7ApAlflbQ6s

(回答先: Re: 《共同的資本主義論》について [馬場さんへ] 投稿者 馬場英治 日時 2003 年 8 月 03 日 06:49:12)


馬場さん、こんばんわ。
レスありがとうございます。

しばらくは理解のすり合わせという感じで論議をさせていただきます。
そのようなことから前後の脈絡で不整合になっている説明もありますが、個々のテーマを断片的に考える段階の議論だとご理解ください。


貨幣について:貨幣の根源的定義は、相互関係性を持ちながら互いに独立して生産(供給)活動を行っている経済主体の交換を媒介するというもので、一般的交換価値性や富の蓄積手段といった役割定義は二義的なものだと捉えています。
(すべての交換は個別具体的なものであり、それが貨幣を媒介にして可能であるという経験から一般性が導き出されたのであり、先んじて一般的交換性があるわけではない。富の蓄積手段という認識も、守銭奴的錯誤意識でない限り、貨幣が個別具体的な財と交換できるということを支えにしている。管理通貨(ペーパーマネー)が通用することで、価値形態という貨幣の特性は消滅した)

これは、所有貨幣の増殖を目的とする近代経済システムが転倒したものであることを示唆し、貨幣は、生産活動に後行するものであり、社会的分業(社会的に必要なものを独立した供給主体が生産していること)を条件にしていることがわかります。
(土地を取得するためには貨幣が必要だということから、生産に先行して貨幣が必要だという意識にもなりますが、労働成果物ではない自然的生成物が財となっていることが“歴史的に特殊な状況”です。貨幣がなくとも、土地(自然)と人が労働過程的に結びつけば財(有用物)の生産は可能です)

>理論的には銀行券は自由通貨であるとして,債務行為の媒介なしに市場に日銀券を投
>入する方法があるでしょうか?

債務行為を幅広い概念で捉えると、債務行為の媒介なしに市場に日銀券を投入する方法はありません。
道路などの建設も、日銀券の受領に伴う反対給付としての債務です。

ここで問題になっている貨幣返済債務については、日銀券の流通始源が政府支出であれば、実質的に債務なしで市場に日銀券を投入することはできます。

中央銀行が紙幣を発行管理するとしても、経済社会での貨幣流通は政府支出を端緒とすればいいわけです。(形式的には返済期限・利払いなしの国債発行で政府が日銀券を手に入れるものでかまいません)

これを中央銀行から見たときは、政府以外に発行した銀行券を渡せないことになります。

(過渡的には、政府以外にも貸し出しを通じて銀行券を渡してもいいと思っています。それは利子取得の容認につながるものですが、貨幣取引(借り入れ)税として政府の歳入になります)

>日銀券は国民になじんでいるし,自販機やATMのプログラミングの問題もあることか
>ら,政府貨幣を日銀券のデザインで発行するという提案は確かにあります.政府が日
>銀に手数料を支払って発行を委任するなどのやり方です.

前述の内容とつながるものですが、「近代経済システム」をすっぱり切り捨てたかたちの経済システムの導入は、「近代経済システム」を作り上げた勢力との関係で無理だと踏むからです。
彼らもアホではないので実質を見抜きますが、形式だけは現行のシステムを踏襲しているかのように見せたほうが軋轢は少ないだろうという政治的判断です。


>このシステムでは中央銀行という唯一の銀行しか存在しないので,「信用創造」とい
>う現象は(絶対に)発生しません.「信用創造」が発生するためには複数の銀行の存
>在が必要です.ただし,原理的にはこの世界でも約束手形,社債などの証券を発行で
>きることになっているので,借入した金を又貸しするということは可能であり,その
>限りにおいて擬似的な信用創造が発生する余地はあります.
>とは言え,銀行のように「安い金を仕入れる」ことができないので,仮にそのような
>ことがあったとしても大規模なものに発展する可能性はないように思われます.も
>し,債券市場で地域的・時間的などの理由から金利差が発生するようなことがあれ
>ば,それを悪用?して銀行類似業務を営むことは考えられるかもしれません.


自由貨幣を基礎とした銀行(中央銀行)は、無規制の「信用創造」ができるとも言えます。

現在のシステムでも、「信用創造」は、単一の銀行しか存在しない条件でも可能です。逆に言えば、単一の銀行のほうがスムーズに「信用創造」が行えます。
「信用創造」が預金準備率で規定されるのか自己資本比率で規定されるのかは別として、単一の銀行であればほとんどの決済がその銀行を通じて行われることになりますから、1億円の貨幣を原資に8億円の貸し出しを行うことが貨幣の移転なしでスムーズにできます。

「信用創造」ができないのは、街金のように貸し出しだけが行えるだけで、預金受け入れや決済機能を持っていない金融機関であり、預金準備率100%もしくは自己資本率100%の規制が銀行に課せられているときです。(街金は1億円の原資で1億円の貸し出ししかできない)

無利子貸し出し制度が存在する《共同的資本主義》において、約束手形や社債などの証券が必要なのかどうか別途検討する必要があると思っています。

>中央銀行で行なう無利子金融はすべて「自由貨幣の発行」として行なわれるので,融
>資が活発に行なわれればそれだけ通貨の流通量は増加します.政府と中央銀行は同じ
>ものと思惟しているので,通貨発行量は政府が予算に従って執行する政府通貨の発行
>と中央銀行の融資額の和ということになり,それ自体大枠を決めることはできたとし
>ても一般的には不確定です.

前回書いたように家計に対する無利子金融は必要だと考えていますが、経済主体に対する無利子金融が必要不可欠かどうかは、政府支出の在り方に関わる問題だと思っています。(投資すなわち生産設備が政府の責任と所有権で担われるのであれば、無利子金融の必要性は大きく減少します。原材料の仕入れや賃金・給与の支払いは、政府支出の先払いやつなぎ融資で対応できます)


>> 徴税は、貨幣発行残高の調整(物価変動率の調整)のためだけと受け止めてもい
>>いのでしょうか。


>もし,この命題が正しいとすれば(経済学上の)大変な発見になるかもしれません.
>つまり,「政府は自由に通貨を発行できる.政府は通貨流通量調整ため,それだけの
>ためにそれを回収する.」ということになります.これは既に「税ではありません」.
>確かに誰からどれだけ回収するか?を決めなくてはならないので,結局は「税に類似
>するもの」ということになりますが...つまり,回収の基準=税(制)ということ
>になります.この意味では取引税という選択はまったく正しかったのではないかと思
>います.
>ほとんどコインの裏と表くらい緊密に照応しています.

>我々の通貨は電子貨幣で,実際にはデータベース上のビット値であるに過ぎません.
>従って,自由貨幣を発行するという行為はどこかのビットをオンにしたりオフにする
>という行為に過ぎず,税の徴収も同様です.自由貨幣の発行には何かしらの対向的な
>取引(公務員給与,道路工事支払いなど)がありますが,税の徴収ではそれがありま
>せん.納税者は所有していると(思っている)通貨を失いますが,政府側から支払う
>ものは何もないので,「何の効果もありません」.
>つまり,この操作は明らかに通貨量を減少させる以上のことはやっていません!

「政府は自由に通貨を発行できる.政府は通貨流通量調整ため,それだけのためにそれを回収する」ということであれば、取引税がなくとも、政府支出量の調整や無利子金融量の調整でもある程度可能です。

経済活動の起動因が「利潤の獲得」なのか「政府支出への対応」なのかという問題にも関わるテーマだと思っています。

自由貨幣(政府貨幣)制度により徴税が不要になるという見方は論理的な整合性があります。
(債務を伴わない政府貨幣による支払いは税金の先取り性を含意しているということです。ただし、徴税がないことが国民の財的生活条件を必ずしも増加させるというわけではありません)

>おっしゃられるように,「徴税の目的は物価の安定にある」ということになります.
>すばらしい!
><<<<<どれほどこれまでの政治が間違っていたかよく分ります.>>>>>
>これから色々のことが考えられると思います.たとえば,物価が安定圏にある限り政
>府が発行できる自由貨幣の量は相当な裁量が認められることになりますが,その限度
>はとか...投入する自由貨幣の量と物価の関係.これだけでも経済学者100人を
>養えるテーマになります.

管理通貨制度やドル紙幣国際基軸通貨制は、経済社会が世界的に自由貨幣の成立基礎を持っていることを示唆しています。(ベースは、社会的分業の密度の濃さです)

「どれほどこれまでの政治が間違っていたか」は、政治が個々の経済主体が利潤を追求することを通じて国民経済の成長を達成するという“近代原理”を標榜するものであれば、間違っていたとは言えません。

国民経済の成長を達成するために個々の経済主体を巧く動かすというのが政治の目標であれば、ある時期以降の政治は大きく誤っていると言えます。

(後進国が国際的に置かれた条件や近代の歴史過程性も考慮する必要があります)

《共同的資本主義》では投入(支出)する自由貨幣の量と物価の関係はけっこうシンプルなものなので、経済学者があれこれ研究するほどのものではないと思っています。
(貨幣から投機性・利子取得・蓄財性が薄れれば薄れるほど、貨幣量と物価の関係はシンプルなものになります)


 次へ  前へ

雑談専用2掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。