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「赤報隊」と朝日
http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/653.html
投稿者 再び問う 日時 2003 年 7 月 13 日 03:31:44:

(回答先: ”直接の責任者が昇格して社長” 投稿者 再び問う 日時 2003 年 7 月 12 日 03:27:33)


 「赤報隊」と朝日

 赤報隊事件の「神奈川県警共産党員宅盗聴事件」にまつわる、神奈川県警職員(赤報隊事件当時]の関与ということについて、少し書いておきたい。

「スパイ防止法」(国家秘密法)は、1980年代に、統一協会の勝共連合が推進した旧内務省の治安維持法的なものなのだが、この勝共連合は86年末から87年にかけて、連日のように、その法案に反対する朝日新聞の東京本社周辺に街宣車を派遣していたらしい。またこの時期は、統一協会の霊感商法がマスコミの批判の対象となっており、86年の末からは「朝日ジャーナル」が批判キャンペーンを行っていたということである。
 87年5月3日に起きた朝日新聞の阪神支局襲撃事件の犯人とみられる自称「赤報隊」は、その襲撃事件に使われたのと同じ薬莢二個を同封した手紙に”「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」”という脅迫状も添えて送付してきた。
 それやこれやで、「赤報隊」の犯行には統一協会が絡んでいるのではないかとする一部の意見も出ているらしい。警察も、右翼と統一協会とを重点において捜査を行っていたらしい。
 しかし、上の時期にはもう一つの事件が世間を騒がせていた。
 神奈川県警による盗聴事件である。

「赤報隊」という名称は、1868年に民間の同志で結成された東征軍の先鋒であり、すぐに「偽官軍」という流言のもとで維新政府により処刑された「赤報隊」の名を拝借したものだとされるが、東京−西宮−名古屋という当時の赤報隊が辿った道と一連の犯行現場が同じということからも、そう考えることは正しいのかもしれない。
 だが、だとすると、どうも釈然としないものが残る。
 辿ったルートまで、名前とともに合わせたとなれば、犯人たちは維新時代の「赤報隊」については詳しい筈である。しかし、現在の「赤報隊」は、維新時代の「赤報隊」とは、場所と名称を除いては、どうにも共通項が見出せない存在なのである。
 それより、維新時代の赤報隊は、軍資金の調達に苦慮していた維新政府が、赤報隊の進言により最初唱えた「年貢半減」という方針の一つを、特権商人と結託することで撤回し、その「年貢半減」の布告をしていた彼ら先鋒隊の「赤報隊」──やはり最初はちゃんと「官軍」という御墨付きをもらっていたらしい──の始末をつけたとされているものでもあり、僕にはどうも「盗聴」に関った人間たちの姿がそこにだぶるのである。無論それが彼ら「盗聴」に関った人間たちの、現実の実情などを無視した牽強付会的な錯誤的なものであったとしても、単なる筋書き的には一番近いものなのである。
 それに、犯行声明というのは、存在が確とした団体が本来やるものではないのだろうか。でなければ、愉快犯でもない限り意味があまりないものなのではないか。この現代の「赤報隊」は未だに実態がつかめない「団体」なのである。
 また、「赤報隊」は、ルクルート疑獄にからんで中曽根康弘氏の名を出しているが、中曽根康弘氏は日本において統一協会や勝共連合での一番の立役者でもあったのであり、当時も他ならぬ「スパイ防止法」を推進していた議員である。また中曽根はリクルート疑獄の本命であったにもかかわらず、司法が表にその名前を出していなかったのに、統一協会がわざわざその名前を出すというのも怪訝なことなのである。そもそもリクルート疑惑の本格的な追及などは、中曽根以外にも統一協会の人脈に打撃を与えたに違いない。
 そもそも、リクルート疑獄が前にも記したように、神奈川県警の捜査ニ課の警部が、くだんの神奈川県警の盗聴事件を取材していた朝日新聞の社会部記者に”「川崎駅前のリクルート・テクノピアを調べた方が、盗聴事件より大きなスキャンダルがものに出来る」”とリークして発展していったものである。
 無論統一協会というのは、統一協会員だった児玉誉士夫が右翼の6割を握っていたと言われていたり、その創設には笹川良一が関っていたとかとも言われているように右翼団体とは親密な関係にあるし、世界各国の反共テロ組織ともつながっているような集団でもある。また実際に凶悪な事件も起こしている。しかし、「赤報隊」の事件の主犯が統一協会であるとはどうも思えないのだ。
 テレビ朝日の或番組を『統一協会の広告塔か』と言ったジャーナリストがいるが、統一協会ということなら、今回僕が問題にした「訪朝をスケープゴートにした支配階層の深い闇」に関わることでの共謀のほうを疑ったほうがいいように思われる。

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「北朝鮮社会はいま、どのようになっているのか」荒沢峻
 http://www.jrcl.net/web/frame02I.html

 北朝鮮の主な権力機構

 核心をなす権力機関として、労働党、人民軍、政務院(内閣―党の決定履行を要求される行政機関)などが存在している。そして日本のマスコミなどであまり明らかにされていないが、最も権力を持っているのが執務室という金正日直属の機関だと言われている。日本で言えば首相官邸、韓国だと青瓦台(大統領府)に該当する。
 労働党は、人事権を掌握しているからもちろん権力の核心をなしている。だがそれより上に位置しているのが執務室だと理解していい。執務室は金正日の直接の指示の下、外貨獲得など様々な活動を行う。労働党や軍をさしおいて独自の領域、ネットワークを持っている。ここ数年で明らかになったことは、この執務室が統一協会系列の企業集団とかなり親密だということだ。統一協会関係の幹部や「信者」が相当数ピョンヤンに入っており、ホテル関係の事業などにかなり浸透しているらしい。
 人民軍百万人の存在がことさらに強調されたりもするが、その置かれている現実はかなり厳しいものになっている。北朝鮮の予算は、軍が優先的に確保し、その残ったカネが国家予算と言われるぐらい莫大なものだ。だがそのことが強大な軍事力を持っていることと必ずしもイコールではない。最近の情報では、軍組織の末端では食糧を確保するのに精一杯とか、あるいは軍独自の会社を作って外貨稼ぎ、災害復旧などの活動に時間がとられている。どこかの国と事を構えるとか、そういう余裕がある軍ではなくなっているというのが実態のようだ。
 政務院は、日本の内閣に相当するところで、これは国家や党が決定した政策を全国的に遂行していく責任を負っている。この行政機構の下にいわゆる外交、経済のテクノクラート層が配置されている。「優秀」と言われている人たちは、政務院の中にだいたい入っていると言われている。昨年12月に始まったばかりの四者会談(韓中米と北朝鮮)や対日・対米交渉などの国際会議などに出てくるスタッフはここにいる人たちだ。
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(引用終わり)

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F 朝日のフィクサー記者だった三浦が、テレビ朝日に移ってから派手に動いたことは、モスクワ五輪の独占放映権の入手で証明され、メディアでは注目を集めたそうですね。朝日新聞のOBの話によると三浦は追放され、今のテレビ朝日に都落ちしたそうですが、その辺の事情はどうだったのですか。

Y 彼が移った頃は未だNET(日本教育テレビ)と言って、旺文社の赤尾好夫や東映の大川博などの経営者が、教育テレビの経営権を支配していました。
 ところが、NETの報道部を廃止する計画で反対闘争が起き、労働組合を潰すために三浦が送りこまれ、報道本部長として組合幹部を切り崩しをやった。それに続き報道部門を朝日新聞が引き受け、更に、大川や赤尾と喧嘩して支配権を奪った朝日は、九州アサヒ放送の高野信を社長に据えて植民地化した。

F それは朝日が労働組合対策に使いまくった、三浦を裏工作に活用したやり方です。それで三浦は親会社に恩を売った形になり、テレビ朝日の法王として君臨したのですね。

Y テレ朝で常務と専務をやったわけだが、三浦が仕切った頃の社長全員が傀儡だと言われた背景には、実に異様といえる政治力があったのです。政界に食い込んでドロドロしたことをやり、実際に人事を握る能力は絶大だったし、河野一郎の後を継いだ中曽根と結んで、三浦は児玉誉士夫の人脈を使っていました。

F 日本の闇の帝王の人脈を権力支配に使って、裏側から政治を動かした独特な手口は、中曽根の出世のパターンと共通ですね。

Y 児玉の子分の[政界往来]の恩田貢と組んで、インチキ布団で問題を起こした男と一緒に、アントニオ猪木のスポーツ政治連盟とか、色んな形で政治工作をやっていたが、要するに児玉の代理人をやろうとしました。だから、インチキ右翼の四元義隆や読売の渡辺と共に、中曽根の政治指南役をしていたし、色んな利権を動かす仲介をしていました。
 特にソ連関係の利権にとても強かったので、KGBのエージェントだと噂されたし、今里広記との独特な結びつきがあり、それがモスクワ五輪の独占契約の背景にあった。[朝日と読売の火ダルマ時代/藤原肇著]
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(引用終わり)

 「赤報隊」の犯人に神奈川県警の警察官が容疑者として浮かんでいたが闇に葬られたという記事が、「噂の真相」誌2000年5月号に載っている。
 この警察官は「大悲会」とも接点があるらしい。
 「大悲会」は、「暴対法」の成立を阻止するために国政選挙にも立候補しているが、たしか何者かに狙撃された国松警察庁長官はその「暴対法」を断行した長官でもあった。朝日新聞の阪神支局襲撃事件などの一連の「赤報隊」の犯行が、「大悲会」とも接点を持った神奈川県警の警察官によって行われたものであるとすれば、何か無気味な共通点を持った事件といえるだろう。

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 東京地検特捜部の調べによって現職の公安警察官五人の名前が浮上したのと前後し、警察と検察の間では微妙な綱引きが行われるようになる。
 事件について、当時の警察庁長官山田英雄は87年5月7日の参院予算委員会で「警察は過去も現在も電話盗聴を行ったことはない」と強弁したが、間もなく神奈川県警本部長の中山良雄が辞職、同県警警備部長吉原丈司が総務庁に転出する。
 これに続き、警察庁警備局長の三島健二郎が辞職、同公安一課長小田垣祥一郎、さらには「サクラ」を指揮していた公安一課理事官の堀貞行までが配転させられる人事が発令されたのである。
 警察庁は当初、国会の場などを通じて「定例の人事異動を早めたもの」と抗弁していたが、後に事実上引責人事だったことを認めるに至る。こうした動きを受け、東京地検は、警察が内々とは言え事実を認めて再犯防止を約束したことを理由の一つとし、五警察官の不起訴、あるいは起訴猶予処分を決定するのである。[日本の公安警察/青木理著]”
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(引用終わり)

 5月7日といえば、阪神支局の襲撃事件から僅か4日後である。その襲撃殺害事件で日本中が騒然としていた中で警察の盗聴事件の収束が行われたのである。

       ×   ×   ×

「サクラ」という符合で呼ばれていた集団があった。結成は1952年である。

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「サクラ」とは、全国の公安警察において行われる限りなく非合法に近い、あるいは非合法そのものの活動を統括する組織だった。また公安警察が運営する協力者獲得作業の指示、あるいは管理を一手に引き受ける機関であった。組織の全貌は、今も厚いベールに包まれている。[日本の公安警察/青木理著]
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(引用終わり)

 ここでいう「公安警察」というのは、警察庁警備局のことであり、その中の公安一課が運営にあたったが、この「サクラ」を統括するキャップは「理事官職」でありながら、警察庁の組織名簿からは名が消される秘匿性を特徴とした。それは、上の作業から考えれば当然の防護策であったともいえる。ちなみに、「協力者」というのはスパイのことである。また、公安調査庁も独自に同じようなことをやっているということは書き加えておきたい。
 この「サクラ」の実行部隊となっていたのは各都道府県警の「公安」業務を行う警備部の四係だったが、初期の「サクラ」部隊の教育には旧陸軍の諜報機関の人間があたったということである。
「サクラ」という符合名の由来は不明のようだ。1937年の20万英ポンドのアヘンの密輸で、東京毎日新聞社社長の藤田勇に密輸の使いを頼む陸軍中佐の長勇は「桜会」なる団体に属していたのだが、公安の「サクラ」とその「桜」は無関係なのだろうか。というのは、この国の支配者図というのは非常に狭いということがあるからである。また、組織の謀略的な性格も関東軍と一面共通するところがあるからである。
 たとえば、この長勇についても、この男は前に記した沖縄における細川護偵の日記にも登場する人間である。また、「南京大虐殺」でも活躍した人間である。
 また、次の1952年に公安機関が起こした「菅生事件」と呼ばれる謀略事件は紛れもなく陸軍が満州で行った「柳条湖事件」を真似たものだろう。

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 事件が起きたのは講和条約発効直前の1952年6月2日、日付が変わったばかりの午前零時半ごろのことだった。場所は熊本との県境に近い大分県直入群菅生村(現・竹田市菅生)。標高約600メートルほどの高原地帯にある住戸数わずか350程度の人里離れた寒村だった。
 当時、夜の早い村民たちはすでに寝静まり、村は深い闇と静寂に覆われていた。だが突如として鳴り響いた激しい爆発音によって、一瞬にして静寂は切り裂かれる。村の中央を貫いて大分−熊本を結ぶ県道に面した駐在所が爆破された瞬間だった。
 事件は奇怪な展開を見せた。事件発生時、現場近くにはなぜか数十人もの警察官がすでに待機しており、直後に近くを通りかかった二人の共産党員をあっという間に取り押さえ、’犯人’は一瞬にして逮捕されたのである。さらに現場付近には新聞記者までが待ち受け、事件直後には早くも周辺で取材活動を展開していた。記事は翌日の新聞に大きく掲載される。駐在所巡査の妻との会見記だった。
「私は昨夜、駐在所が爆破されるのを知っていました。主人から今夜共産党が駐在所に爆弾を投げ込みに来ると聞かされました」
 なぜ、このような寒村で起きた「爆弾テロ」の発生時、大量の警察官が現場で待機していたのか。そしてなぜ、新聞記者までが居合わせたのか。謎ばかりが多い事件だった。[日本の公安警察/青木理著]
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(引用終わり)

 逮捕された共産党員らは1955年大分地裁の法廷で有罪の判決を言い渡された。
 ところが、1958年にその大分地裁は原判決を破棄し、無罪の判決を下した。
 実はその後明らかにされたことによると真犯人は、その逮捕された二人の共産党員を、自分との待ち合わせという用事を作り(彼はスパイとしてもぐりこんでいた)その夜その時間に爆破現場の近くを通るように仕向けた戸高公徳という当時国家地方警察大分県本部に所属する公安警察官だったのだ。
 この真犯人はそこ後どうなっただろうか。

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 謀略工作のため投入されていた公安警察官、戸高公徳はその後、どうなったのか。
 大分地裁は戸高を爆発物取締罰則違反で起訴し、その後福岡高裁も戸高の有罪を認定したが、結局は「爆発物に関する情報を警察の上司に報告したことが自首にあたる」として刑を免除される。驚くべきはこの後の戸高に対する処遇だった。警察庁は有罪判決からわずか3ヶ月後、警部補としての復職を認めたのである。
 当時の警察庁人事課長はこんなコメントを出している。
「上司の命令でやむを得ず関係した気の毒な立場を考慮した。今後も同じような犠牲者が出た場合を考えテストケースとしたい」
 復職後の戸高は警察大学校教授、警察庁装備・人事課長補佐などを歴任して警視の地位まで昇任。85年、警察大学校術科教養部長を最後に退官した。ノンキャリアの公安警察官としては異例の出世だった。
 事件から37年以上もの時を経た1989年10月25日。いわゆる「パチンコ疑惑」の論戦が繰り広げられた参院予算委員会で、再び「戸高公徳」の名が物議を醸す。
 取り上げたのは社会党議員の梶原敬義。梶原は、警察職員や家族を対象にした障害保険代理業を目的に設立され、職員の四分の三を警察OBが占める「たいよう共済」の常務に、問題人物が就任していることを明らかにした。戸高公徳のことだった。
 「たいよう共済」は、パチンコ業界にプリペイカードを導入しようと設立された「日本レジャーカードシステム」の資本金のうち9パーセントを出資しており、梶原は「かつて陰謀工作に関与した人物が、こんなところにも顔を出している。たいよう共済を警察の身代わりにして業界を取り仕切ろうとしている疑いが強い」などとい訴えた。
 手元にある「たいよう共済」の法人登記簿をめくる。確かに「戸高公徳」の名前は刻まれていた。それによると、戸高は1987年同社の代表取締役に就任。95年5月まで役員を務めていた。
 菅生事件の’亡霊’は事件から40年以上を経ても警察組織の中枢でひっそりと息づいていた。そしてプリペイカードは、今も巨大な警察利権の一つと指摘されている。[日本の公安警察/青木理著]
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(引用終わり)

「日本レジャーカードシステム」は1988年に、たいよう共済の他に、三菱商事、NTTデータ通信によって設立され、警察庁OBが役員として天下っている。
 パチンコのプリペイカードシステムは、パチンコ店が反対するのを警察庁が利権獲得のために強引に制度化させたものである。また、プリペイカードに三菱商事やNTTを引き込んだのは、「コスモワールド」の熊取谷稔のようであり、その熊取谷は赤坂の高級料亭の「満ん賀ん」を通して小沢一郎に、稲川会にと繋がっていく。この稲川会は千葉県柏市の「カーサ」で店員の女の子の頭を拳銃で撃って殺した組員が所属するところだが、その射殺事件は名古屋の住友銀行の畑中支店長射殺事件(やはり頭を撃たれている。一般市民が頭を撃たれ殺されるというのは、日本ではこれが最初ではないかと思われる)の後に起きており、住友商事がプリペイカードで「日本ゲームカード」を設立していてたことなども考えると(「日本レジャーカードシステム」は「日本ゲームカード」と偽造プリペイカードの件で激しく対立していた)、偶然とはいえないようなものを感じさせる。住友商事ではその後、横浜の社宅で社員の妻の戸田正美さんが、福岡の刑務所を出たばかりの男に殺されたが、マスコミはこれを「ストーカー殺人」だとした。しかし、福岡の刑務所を出たばかりの男が面識もなかった戸田正美さんに、どうして「ストーカー」ができるというのだろうか?マスコミのこの報道には非常に胡散臭いものを感じる。
 この戸田正美さんを殺害した男は、オウム教のサティアンなどがあった山梨県の一色村に逃げ込んでいる。故意にかどうかは知らないが。
 実はオウム教の黒幕の一人とされている人物─「ナミレイ事件」で、親しかった石原慎太郎と警察官僚出身議員の後藤田正晴を恫喝の道具として使ったという人物─が、このプリペイカードにも言及していたのだ。この人物は嘗て「政権掌握が選挙で達成できない時はクーデターも辞さない」という台詞も吐いていたが、オウム教の解体後は、マイケル・ジャクソンを担ぎあげて、日本でオモチャ屋を開業するという計画や、黒人信者をあてにした宗教組織作りを画策している。よほど黒人につてがあるようである。

 ともあれ、この「サクラ」は1987年に消滅し、今では警察庁の警備局公安一課から、同警備企画課に担当部署がかわり、実行部隊の符合名も「チヨダ」と改められている。しかし、作業の内容も、またキャップも前と同じように組織図から名前が消されるという秘匿性なども、「サクラ」をそのまま継承した集団といえそうだ。
 この「サクラ」が1987年に表向き解体されたのは、神奈川県警の警備部公安一課に所属する公安警察官による、共産党の国際部長を務めていた緒方靖夫宅の盗聴工作が発覚したためであった。無論その盗聴が「サクラ」の指示したものであったからだろう。また元公安警察官で、当時大手電機メーカーの労務部(日本ではこの部署は総じて、健全な労組を偽装労組化[御用労組化]するための、或は偽装労組化させた後は、それを維持・管理するための業務を行うところであるといっていいのだろう)にいた人間もこの事件には関っている。
 この盗聴事件は、オウム教に殺害された坂本弁護士が勤める弁護士事務所がその被害者側の弁護士を務めていたなど、何かしら未だに霧がかかっているような事件である。ちなみに、坂本弁護士一家を殺害した実行犯は、これも濃い黒い霧がかかったような審理が行われているオウム教の裁判の結論とは違い、その後に宅見組組長を白昼射殺している○○会とされている。
 もう一つその盗聴事件にはどす黒い霧がかかっている。その神奈川県警による盗聴事件の裁判(被害者が国、神奈川県などに対しておこした損害賠償請求訴訟)が行われた直後に、同じ神奈川県内の大和市で、「覚醒剤による錯乱状態にあった」とされる男による警察官の射殺事件が発生したことである。この「錯乱状態にあった」男は、アメリカ映画のワンショットのように車で逃亡し(このような「カーチェイス」はアメリカではよく起こることだろうが、日本ではこれが最初である。しかし、これ以後では幾つか起きている。同じような、不審に思える射殺カーチェイス事件も九州で起きている)、他ならぬくだんの盗聴機事件の舞台となった町田市に正確に(?)辿りつき、民家にたてこもった。連合赤軍による浅間山山荘事件のことを一瞬思い起こさせるようなものでもある。
 この射殺逃亡劇には不穏な疑問が幾つかあがっている。その一つは、射殺されることになる警察官に、拳銃を持たさず犯人の所に行かせたこと、また、逃亡した町田では、山狩りの際、犯人が隠れていた場所だけ何故か捜索が行われなかった(これはテレビ朝日の報道)ということなどである。
 しかし、何より、その「無目的だったイカれた男」による神奈川県警の警察官射殺という事件が、「それに比べたら盗聴が何だ!」と言っているように思えることなのである。
 この神奈川県警の公安警察が行った盗聴事件の裁判では、その後のその裁判の直後に、今度は「偶然に」九州で暴力団による拳銃発砲事件が続発して、日本中を騒然とさせた。


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 『噂の真相』2000年5月号

 不祥事続発の神奈川県警が封印した
 「赤報隊」事件は警察犯行説を追跡!

 「野村秋介の運転手」を名のる男からのタレ込みは、赤報隊事件は現職警官の犯行だったという、実に衝撃的な内容だったが・・・

 ▼不祥事続きの警察に浮上した重大疑惑

「嘘を嘘で塗り固める」という言葉は、まさしく今日のケーサツ官僚のためにあるようなものだ。9年以上にわたって監禁されていた女性が発見された当日、「接待」を優先させ、温泉旅館でマージャンに熱中していた新潟県警の小林幸ニ・元本部長や、「特別監察」などという建前で国民を歎き、血税を使って新潟まで出向いて、マージャンにふけっていただけでなく、「雪が見えるところがいい」などと宿にまで注文をつけた中田好昭・元関東管区警察局長。全自動マージャン卓を持ち込ませたにもかかわらず、そのマージャンに現金ではなく、「図書券を賭けていた」というから笑わせる。あの蛭子能収が安い賭け金で逮捕されたのだからこのメンバーも逮捕したらどうか。
 上も上なら下も下。この女性監禁事件で新潟県警は、女性救出のチャンスを度々逃しただけでなく、それこそ「嘘に嘘を重ねて」責任逃れに終始したのだから呆れ返る。
 不祥事続きの新潟県警といい、本誌が3月号特集で事件屋とのズブズブの癒着を暴露した警視庁といい、まさに「底なし腐敗」の様相を呈しているニッポン警察だが、ここにきて、13年前に起こったある重大事件の”重要参考人”の存在をなんと警察が、組織ぐるみで隠蔽したという新たな疑惑が浮上してきたのだ。
 その重大事件とは、ほかでもない、過去、その事件の捜査に従事した警察関係者、そして取材経験のあるマスコミ関係者からは通称「ロク」と呼ぱれる、警察庁広域指定116号事件。そう、13年前に日本全国を震撼させた「朝日新聞阪神支局襲撃事件」である。
 1987年5月3日、朝日新聞阪神支局に、目出し帽を被った男が侵入し、散弾銃を発射、記者一人を殺害し、一人に重傷を負わせ逃走。その3日後、「赤報隊」を名乗るグループから犯行声明が、共同、時事通信社に届いた。この戦後稀にみる言論テロ事件を皮切りに赤報隊の犯行はエスカレートする。
 阪神支局襲撃から4ヵ月後の9月には名古屋本社新出来寮に散弾銃が撃ち込まれ、翌10月には東京本社で弾痕と散弾粒が発見された。88年3月には静岡支局にピース缶爆弾が仕掛けられているのが見つかり、その5ヵ月後の8月には江副浩正・リクルート元会長宅に散弾銃が撃ち込まれた。そして90年5月、名古屋市の愛知韓国人会館放火事件を最後に、赤報隊は忽然と姿を消したのだ。
 それぞれの現場を管轄する警視庁、兵庫、愛知、静岡の各県警捜査本部はこれまで、犯行に使われた散弾銃や犯行声明を作成したワープロの洗い出しなどのブツ捜査を進めているが、未だ特定には至っていない。また犯行声明や脅迫状にみられる右翼的思想に注目し、新右翼とその周辺から捜査対象者をピックアップ。その過程では「広島県在住のアナーキストY」、「大阪府内の中学校教師H」など複数の「不審人物」が浮上したものの、いずれも不発に終わり、時効まで残すところ約3年となった今、その捜査は完全に暗礁に乗り上げていると言っていいだろう。
 ところが、発生から13年を経過した今、この朝日新聞襲撃事件になんと、現職の警察官が関与していたのではないかという大疑惑が浮上してきたのだ。しかもその警官とは、一連の警察不祥事の火ぶたを切った、悪名高き神奈川県警の元巡査部長だというのである。

 ▼朝日新聞襲撃事件に警察官が関与か

「その元巡査部長の存在を知ったのは、今から10年前、そう、事件から3年後の11月のことだ……」
こう証言するのは神奈川県警のレッキとした現職捜査員Aだ。Aは機動捜査隊や強行盗犯など主に捜査一課畑を歩み、116号事件発生当時も捜査一課広域担当に在籍していた。そしてこのAによると、全ては深夜、県警本部に入った一本の電話で始まったという。
「その電話は捜査一課あてにかかってきた。電話の主は『野村秋介の運転手』とだけ名乗り、いきなり『オレは朝日新聞襲撃事件の犯人を知っている』と切り出したんだ」
 野村秋介。63年、河野一郎邸焼き打ち事件で懲役12年の刑に服役。75年に出所後、「一水会」の鈴木邦男らと共に新右翼を旗揚げし、77年には経団連本部を武装占拠。再び懲役6年の刑に服し、83年に出獄。その強いカリスマ性で行動右翼の若者に強い影響力を与え、93年、朝日新聞東京本社の役員応接室で、短銃自殺を遂げたことは記憶に新しい。
 前述した通り、赤報隊の犯行声明や脅迫状に見られる右翼的な思想に注目した捜査当局は「新右翼か、その周辺にいる人物・グループの犯行」との見方を強め、新右翼の関係者、特に野村秋介の周辺を徹底的にマーク。
「一水会」元会長、鈴木邦男が『SPA!』の連載で「赤報隊」に触れた5年前にも、「一水会」事務所などの家宅捜索を行うなど、言論弾圧ともいえる捜査を繰り返していることでも分かるように、未だ「野村秋介の周辺の人物の犯行」との基本的な見方を変えていないのが現状だ。
 その「野村秋介の元運転手」を名乗る人物からの情報とはいえ、事件とは直接関わりのない神奈川県警の捜査一課に深夜、しかも匿名でかかってきた電話である。受けた捜査員がイタズラの類いと思ったのも無理はない。が、電話の主が続けて語ったこの言葉に、捜査員は一瞬、息を呑んだという。
「犯人は神奈川県警を最近辞めたXという元警察官だ……」
 Aによると、電話を受けたこの捜査員は、相手のただならぬ雰囲気を察知し、電話の主に対して、捜査一課の直通番号にかけ直してもらうよう依頼したところ、すぐにベルが鳴った。Aが続ける。
「その『野村秋介の元運転手』の話によると、Xは20年以上も前から野村秋介の元に出入りしていたらしいんだが、あの事件の後、Xの態度が急に大きくなり、野村のXに対する態度も変わったというんだ」
 Aがさらに続ける。
「もちろん『元運転手』が何か確証を掴んでいたわけじゃない。ただウチの元警官が名指しで『犯人だ』とする情報が入ってきた以上、こちらとしても調べざるを得なかった」
 そしてこの告発電話を端緒に、神奈川県警の極秘捜査が始まったという。

 ▼元巡査部長Xを巡る数々の不審点

 Aによると当初はさすがに「半信半疑」だったというが、Xの過去、そして周辺を洗っていくうちに数々の不審点が次々と浮かび上がってきたというのだ。
 Aによると、Xは1956年生まれ。茨城県出身で、日本大学を卒業後、79年に神奈川県警警察官を拝命。自動車警ら隊などを経て、磯子署を最後に90年に退職している。Aが当時の捜査資料をめくる。
「Xの過去を洗うとほどなく、あの『元運転手』が言ってた通り、日大在学中に右翼思想に傾倒し、在学中から、野村秋介の元に出入りし始めていたことが分かったんだ」
 Xが野村の元に出入りし始めた時期は、野村が1回目の服役を終え、社会に復帰。新右翼を旗揚げした時期と符合する。Aが続ける。
「しかも拝命後にXは神奈川県警の独身寮『白根寮』で、当時の仲間を新右翼の活動や集会にしきりに勧誘していたことが、当時の同僚の証言で明らかになっている」
 そしてAがXの過去の勤務記録を遡ると、驚くべき事実が浮かび上がってきたというのだ。Aが再び当時の捜査資料をめくる。
「阪神支局襲撃事件、名古屋新出来寮事件、そして静岡支局ピース缶爆弾事件など犯行日時が特定できる5件の事件の発生日、Xの勤務はいずれも公休、非番になっていたんだ」
 この事実に色めき立ったAらは、さらにXの周辺捜査を進めたという。Aが回想する。
「Xの同僚の話から、Xが日大在学中にクレー射撃をしていたという話を掴んだんだ。が、関東一円の射撃場を虱潰しに当たり、過去の利用者の簿冊をくまなく調べたんだが、Xの名前は無かった。もちろん神奈川県内の散弾銃1万5千〜2万挺の登録リストを洗い、検査漏れの銃の所有者を調べたんだが、該当なし。過去10年の盗難銃、過去の事件で押収された改造銃などの捜査資料も当たってみたが、Xの名前はヒットしなかった」
 他府県警による朝日新聞襲撃事件の捜査と同様、神奈川県警捜査一課のXに関する極秘捜査もブツ捜査で完全に行き詰まったかにみえた。
「ところが、Xの周辺からなんと、あのドアミラーの白いマークUの所有者が浮上してきたんだよ」
 記者2人が殺傷された阪神支局襲撃察件の前日の夕方から当日の午後8時過ぎまでの間、不審な2人組の男が乗った82年型の白色のトヨタ「マークU」が現場近くの駐車場でエンジンをかけたまま停車していたところや、一方通行を逆走したところを複数の住民らに目撃されていた。目撃証言によると、このマ一クUは「横浜か静岡のナンバープレートをつけていた」といい、兵庫をはじめ、警視庁、愛知、静岡の各県警は当時、神奈川、静岡の対象車両数千台をピックアップ。不審車両の洗い出しを進めていた。Aが語る。
「阪神支局襲撃事件当時もXは『白根寮』に頻繁に出入りしていた。その仲間の中に、あの事件で目撃されたものと同型のマークUを持っている男がいてね。しかもあの事件の直前にXにその車を貸したというんだ。我々がそれを知ったときには、その車は既に廃車になっていたんだが、サッチョウ(警察庁)から回ってきた116の資料にあるマークUと酷似していたのは間違いない。その所有者の名前?それは勘弁してやってくれ。何も知らずにXに車を貸したというだけの第三者で、まだ現職だから」
 ブツ捜査と同時に、捜査一課によるXの周辺捜査もさらに進んだという。Aが続ける。
「Xは退職する1年前にYという女性と離婚しているんだが、このYに離婚理由を聞いたところ、Xの極端な右翼思想への傾倒ぶりが明らかになったんだ」
 そして離婚から1年後、前述の通り、Xは磯子署を最後に退職する。
「諭旨免職になったんだ。Xは署に出入りする生命保険の外交員と男女の関係にあっただけでなく、この外交員に同僚を紹介することによってマージンを取っていたんだ。それが発覚し、処分を受けた。ただ、こんなことはウチではよくあることで(笑)、普通はそんな処分じたいに低抗するんだが、Xは不思議にすんなりと辞めていったので、かえって不審がられたんだよ」
 Aによると「この時点でXに関する基礎捜査はほぼ完了し、後はXに対する事情聴取など本格捜査に向けて、上層部のゴーサインを待つだけだった」という。が、Aが満を持して待った「上層部のゴーサイン」は、遂に下ることはなかったのである。

 ▼Xの存在を隠蔽した神奈川県警上層部

 Aによると、Xの極秘捜査は、ある時点を境に完全に頓挫したというのだ。Aが語る。
「Xに関する基礎捜査が固まる前後に、ある事件で、所轄署に逮捕された、右翼に知り合いが多いヤクザものが、『オレは116号事件の犯人を知っている。それについて話すから、なんとか罪を軽くしてくれ』と取り引きを持ちかけたんだ。別の捜査員が行って、そのヤクザの調書を巻いたんだが、調べに対し、そのヤクザも『あの事件には元警官が関与している』と供述したんだ。名前こそ出てこなかったものの、それがXを指していることは明らかだった」
 つまり朝日新聞襲撃事件の犯人を、明確にXだと名指しする、別の証言者が現れたというわけである。
「だがその調書が”上”にあがった時点から、捜査に圧力がかかり始めたんだ、正直言って、それまで上層部は、我々がどんな復命をあげても、本気でXを被疑者とは思っていなかった。だから我々のXに関する極秘捜査も半ば黙認されていたんだ。が、『犯人は元警官だ』と名指しする別の証言者が現れるに至って、さらに言えば、その証言者の調書が巻かれるに至って、いよいよ上層部はビビり始めたんだ。國松孝次警察庁長官を襲撃したと告白したK巡査長を内々で封印したように、ね。それもそうだろう、もしあの事件に当時、現職だった警察官が関与していたとなれば、県警の本部長どころか、警察庁長官の首まで飛びかねない一大不祥事だからね」
 そして、この調書が作成されて以降、神奈川県警捜査一課のXの極秘捜査に従事していた専従班は解散に追い込まれ、Xの捜査はこの時点で完全に消滅したという。
「無論、”上”の意向だよ、はっきりと『捜査を中止せよ』という命令さえ下っていないものの、我々がXの捜査から外されたということは、『これ以上Xに触るな』という無言のメッセージだったんだ。もちろん我々がそれまでに上げた復命はすべて破棄され、おそらく、あの調書も隠滅されていることだろう……」
 断っておくが、本誌はAの証言だけで、Xが「朝日新聞襲撃事件の犯人である」と断定はしない。しかし、少なくとも神奈川県警による朝日新聞襲撃事件の捜査線上に元巡査部長のXという存在が浮かび、「不審人物」として捜査していたことは紛れもない事実なのである。そして当時の神奈川県警の上層部が、「現職警察官が朝日新聞襲撃事件に関与した」という一大不祥事の発覚を恐れるあまり、Xに対して事情聴取さえ行わないまま、捜査を中止、封印したこともまた、動かしがたい事実なのだ。
 しかも、である。前述の通り、朝日新聞襲撃事件は警察庁の広域指定事件で、全国の都道府県警が入手した捜査情報は全て、警察庁に集約されるはずだ。にもかかわらず、神奈川県警は、警察庁はおろか、朝日新聞襲撃事件の捜査に必死になっていた兵庫、警複庁、愛知、静岡のいずれの各県警にも、Xに関して極秘捜査を行っていたという事実自体を未だに隠蔽し続けているのである。Aが再び重い口を開く。
「かくいう私もあの時点で、Xが犯人だと断定する確証を掴んだわけではない。が、逆に『Xが犯人ではない』とする確たる証拠も未だにない。あの捜査が途中で中止になったため、全ては闇の中なんだ。つまり神奈川県警がやったことは、あの女性監禁事件で、捜査線上に身内の警察官が浮かんだだけで捜査を中止した新潟県警と同罪、いやそれ以上の”犯罪”ではないか」
 身内の不祥事の発覚を恐れるあまり、朝日新聞襲撃事件の「不審人物」の存在を永久に闇に葬り去った神奈川県警。暴行に恐喝、痴漢にシャブと犯罪のデパートと化したケーサツに、まともな事件捜査を期待するほうが間違っているということだろうか。
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