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「世界観という選択肢」  冷泉彰彦
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投稿者 エンセン 日時 2003 年 11 月 09 日 03:02:40:ieVyGVASbNhvI

 
2003年11月8日発行
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JMM [Japan Mail Media]                No.243 Saturday Edition
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■ 『from 911/USAレポート』 第118回
   「世界観という選択肢」

 ■ 冷泉彰彦   :作家(米国ニュージャージー州在住)

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 ■ 『from 911/USAレポート』 第118回
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「世界観という選択肢」

11月5日の水曜日は映画『マトリックス』三部作の完結編、『マトリックス・レボ
リューション』が全世界同時に公開ということで、メディアの方もお祭り騒ぎでした。
文字通り「同時」ということで、米国の東部時間では朝の9時、西部では朝の6時、
そして日本では午後11時に第一回上映があり、その前に行われた出演者たちによる
新宿でのイベントがアメリカの三大ネットワークでも中継されていました。

午前9時の「第一回上映」というのは本当で、マンハッタン島内どころか、ここニュー
ジャージーの田舎でも殆どの上映館で「朝9時の回」をやっていました。さすがに異
例であって、「9時の回」の観客の入りはたいしたことはなかったようです。ですが、
時差を考慮して日本とアメリカという日付変更線の両側で同時に公開したという「話
題性」はありました。日本のアニメ文化に触発されたという監督のウォシャウスキー
兄弟のこだわりだったのでしょうか。

私はさすがに朝の9時から映画館の暗闇に入って、濃厚なSF活劇を見る気にはなら
なかったので、初日の夜遅くの回に行きましたが、場内はファンで一杯でした。中に
は「トレンチコート・マフィア」まがいの丈の長い真っ黒なコートを着ているグルー
プまでいました。そうは言っても、平均年齢は余り若くなく大学生から20代半ばの
社会人という層が多数でした。第一作の『マトリックス』に衝撃を受けた当時の高校
生も、四年を経て確実に年齢を重ねているのでしょう。

映画の方は、第一作の設定にある「コンピュータの支配する世界」への人間の反抗と
いうテーマに、「自分の脳内に構築された世界がすべての世界なのか」という哲学め
いた味付けは、それほど大きく発展はしていませんでした。第二作にあった、神秘主
義あるいは多神教的な色彩も影をひそめ、世界を救済するメシア思想のような常識的
なストーリーで完結感へと導いた無難なものでした。

そうは言っても、壮大なSFXの滑らかな仕上がり具合と、主として黒人のキャスト
による躍動感あふれるキャラクターの造形など、映画としては「なかなか」という水
準で、エンディングのクレジットが回り始めると、場内では拍手も聞こえていました。
初日の水曜日一日の興行収入は、北米市場では24.3ミリオン(27億円)、全世
界(96カ国だそうです)では43.1ミリオン(47億円)ということで、前評判
が大して高くなかったことを思うと大健闘と言うところでしょうか。

それにしても第一作の『マトリックス』は衝撃的でした。ストーリーの巧みさもあり
ましたし、時間や空間を超越したアクションシーンも話題になりました。ですが、そ
れ以上に最新のCG技術を用いた映像が、一種の「哲学的世界観もどき」をイメージ
として描いている点が、若者を中心にブームを呼んだのだと思います。もしも、コロ
ンバイン事件をはじめ、若者の病理がこの映画に触発されて事件を呼んだとしたら、
暴力シーンの刺激というよりも、『マトリックス』の描き出した世界観のようなもの
の「毒」が回ったと言っても良いのかもしれません。

上の世代からは「そんなマンガに毛の生えたようなドタバタ劇に『世界観』など大げ
さだ」とか「哲学とか世界観は本を読んで抽象的に考えるものだ」などと言って、こ
の映画を批判します。私もどちらかと言えば、そうした世代に属するのでしょう。映
画として娯楽として楽しめても、それはそれだけのことと言ってしまえる世代です。
ただ、若い世代にとっては、仮に娯楽として割り切っても、一部の人たちには、ある
種の衝撃的な体験にならざるを得ないのでしょう。

意識を失っている間に、脳内に浮かんだ仮想空間でコンピュータと人間が戦う、意識
が戻ると現実の空間に戻れるが、そこはコンピュータの勢力に追いつめられた人類が
かろうじて生き延びている窮屈な空間だ、これが三部作を通じた設定です。その中に
は、ある種「自分の意識の中が全世界なのだ」という極端な「主観的世界観」が見え
隠れするのです。それが一種「自分だけが選ばれた存在」というような危険な感覚に
も結びついたということなのでしょう。

極端な話をすれば、学校に居場所がなかったり、家庭での束縛感に悩んでいたりする
子供たちには、「自分の意識が世界を作っている」という思想やイメージを極端に刷
り込まれてしまうのです。その結果として、(映画の影響だけではないにせよ)間接
的に彼らの極端な行動を後押ししてしまう、「世界観」を巧妙に映像化した映画には
そんな危険性もあるのです。「一作目の面白さはどこへ行った」などと様々な批判を
浴びながらも、第二作、第三作と、そうした主観主義的な哲学の毒を薄めていったの
も、製作サイドの側で一種の判断があったのかもしれません。

そうは言っても『マトリックス』は劣悪な作品だとは思いません。大傑作ではないに
しても、娯楽として十分な「ややこしさの楽しみ」を提供してくれる以上、映画とし
ては成功作でしょう。では、問題はどこにあるのでしょうか。危険な映画だからと、
未成年者を映画館からシャットアウトすれば(実際アメリカではR指定で、保護者同
伴でないと17歳未満はダメです)良いのでしょうか。

この『マトリックス』文化や、一連のロック音楽など、日本では「ゴシック系」とい
うような厭世的な文化、その中にある極端な世界観、そうした表現様式が、直接的な
イメージとして一部の若者の心をとらえてしまうのは何故なのでしょうか。それはイ
デオロギーの死ということの裏返しなのだと思います。

ベトナム反戦や、貧富の格差の是正など、イデオロギーの問題が若者にとって切実な
目の前の問題である時代がありました。今から30年以上昔の話です。戦争に賛成す
るのか、反対するのか、世界の貧困に対して何か行動を起こすのか、そうした「現代
では政策としての技術論」で済む問題が、あたかも「世界観」の衝突のように思われ、
また語られた時代でした。実際に議論が白熱する余りに暴力沙汰になったりすること
も「あの時代」にはよくあったものでした。

私は「あの時代」を懐かしむのは退廃だと思います。現実を見据えて有効な政策論を
技術的に議論するのが文明ならば、世界観や情念やアジテーションに暴力を絡ませて
政治を語るのは野蛮だからです。ですが、それだけで割り切れるものではありません。
社会全体の意思決定には、一種の抽象的な合意形成というものが必要で、それを浮き
草のような情念の揺らぎに任せるのではなく、一定の法則性なりまとまった選択肢に
持って行って民意を形成するには、一種の世界観めいた「秩序立った理由付け」の共
有は必要だと思うのです。

もしかしたら、あらゆる社会問題、政治課題の意思決定が、無味乾燥な利害調整作業
や、いわゆる現実主義の名の下に一部のエリートによる技術論に流れてしまっている、
それが行き過ぎているのかもしれません。そうした風潮が、あらゆる理念や、(やや
大げさですが)世界観からくる(良い意味での)イデオロギー的議論というものの全
てを「ムダ」と切り捨ててしまう結果になっているとも言えます。

冷静に観察すれば、特定の政党や政治家がさまざまな問題に示す主張の全体には、
「秩序立った理由付けのまとまり」は弱くなっています。それは、あらゆる社会問題
の議論が「現実主義」の名の下に「打算的、功利的」なのが当然となり、利害の力比
べになってしまったということです。アメリカでも日本でも、これは若者にはつらい
時代だと思います。若者は親や社会の庇護から自立してゆく過程で、一旦は現実を否
定しにかかります。自分なりに、この世界がどうできているのかを把握するために、
幼い正義感をフルに使って世界の悪を断罪しようとするのです。

その単純な正義感に、若々しい情念と社会改良の志が乗っかって試行錯誤が続く中か
ら、理念と現実の間に自分なりの筋道を見つけて大人になってゆくのでしょう。仮に、
そうした道筋が有効なのだとすれば、現在の若者の多くは「あの時代」に比べれば、
その道筋を閉ざされていると言っても良いのでしょう。平凡な感受性の持ち主は、さっ
さと理念を諦めて「利害の競争」へ走ってしまいます。その一方で、感受性の鋭い若
者を受け止める理念やイデオロギーはカビが生えてしまっているからです。

『マトリックス』に代表される、主観主義的なイメージの奔流が流行する背景には、
そんな問題もあるように思います。単純なイデオロギーはもう復権しないでしょう。
まして冷戦型の「持てるものと持たざるもの」とか「人民の抵抗は善、正規軍は悪」
などと言っても何も言ったことにはなりません。ですが、社会問題を論じる際に、そ
の核の部分に「社会改良の志」とでもいうべき精神的な筋を通すことは、この複雑な
現代でも可能なはずです。

その意味で、今週の民主党内で大統領候補たちが行った論戦は興味深いものでした。
発端は、今のところトップランナーと言われているハワード・ディーン候補です。公
費による選挙助成を拒否して、インターネットによる個人寄付金を無制限に集め、現
職のブッシュ大統領に一騎打ちを挑もうと言うディーン候補は、思い切った発言に出
ました。

「私は、禁じられた『南部連邦の旗』をトラックに掲げて走っている人々からも支持
されるような候補でありたい」

これがディーン発言です。私の第一印象は「この時代に、なかなか筋の良いことを言
う人だな」というものでした。この欄でも再三指摘した「草の根の保守化」現象に目
を向け、「悪い保守主義に毒されている人も、自分は救ってみせる。自分を支持して
もらうようにしたい」というメッセージです。自分はイラク反戦で一貫したリベラル
だが、草の根保守の心情を敵視はしない、いわゆる「イデオロギー」にはとらわれな
い、そんなメッセージも濃厚です。

選挙中の日本で言えば、拉致問題を追求されて窮地に立っている伝統的革新政党の党
首が「街宣車に乗っている民族派も社会から疎外された弱者であり、私は救ってあげ
たいし、支持してもらいたい」と言う、あるいは保守的な言動で物議を醸している知
事が、朝鮮総連と組んで北朝鮮の軟化工作をしようと言い出す、そのぐらいのインパ
クトのある発言と言えるでしょう(そのどちらも実現しそうもないところに、日本の
政治風土の貧困があります)。

民主党の他の候補からは早速非難の大合唱になりました。「南部連邦旗」イコール
「奴隷制へのノスタルジー」であって、リベラリズムとは相容れないという典型的な
集中砲火です。それでも、ディーン候補はひるみませんでした。「南部の白人貧困層
が右傾化するのは、共和党の悪質な人種分断策のせいだ。私はそれを問題にしている」
と言って胸を張ったのです。これまた切れ味の良い弁舌ではありました。

ですが、今週の公開討論会では、南部のノース・キャロライナ出身のジョン・エドワー
ズ候補(上院議員)が、そのディーン発言に対して、言葉を選びながら対決して行っ
たのです。

「ハワード、君の言いたいことは分かる。だが、大事なのは君のような人が南部へ来
て、貧しい人々と直接語り合うことではないか。人種差別をなくすために、どうした
ら良いかをだ。南部では、君は北部の反戦リベラルという『ステレオタイプ』で見ら
れている。その偏見を打ち破るためには、君の発言は『お高く止まり過ぎて
condescending 』いる。第一、私は南部で育ったけれど『南部連邦旗』を掲げている
人は、そんなにはいなかった」

という発言、特に「お高く止まっている」は、さすがに効きました。エドワーズ候補
が大幅に点数を稼いだわけではないのですが、ディーン候補は最終的に謝罪と発言の
撤回に追い込まれました。CNNのビル・シュナイダーなどの事情通の見方としては、
「草の根保守に切り込もうというディーン候補の発想は買えるが、エドワーズ候補の
反論も正統的で上質、今回は久々に良い論戦を見せてもらいました」というところの
ようです。

私も、この論戦は珍しく良質とは思いました。押すところと引くところの呼吸感を見
ていますと、ディーン陣営のスタッフの優秀さも見てとれます。同じ民主党でも、例
の「シュワルツネッガー氏のセクハラ騒動」を刑事立件しようなどと言っているカリ
フォルニアでの党利党略に比べれば、雲泥の差でしょう(被害者が真剣に告発を考え
ているのなら別ですが)。

そうは言っても、やりとりの全体は、理念らしきものを交えた舌戦、それ以上でもそ
れ以下でもない、それもまた事実です。肝心の「イラクをどうするのか」、「財政赤
字をどうするのか」といった具体的な政策の選択肢とは「理念らしきもの」が結びつ
かない、そこに民主党の悩みも、ひいてはアメリカの政治風土の悩みもあるように思
います。

一方の共和党は、レーガン元大統領の伝記テレビ映画の流出脚本にイチャモンをつけ
て、CBSの全国地上波放映を潰して有料のケーブル局放映に押しやったり、疑問だ
らけの「女性兵士ジェシカ・リンチ救出作戦」の「真相」として同兵士がイラク兵に
性的暴行を受けたというキャンペーンを始めたり(リンチさんが手記にそう書いてい
るというのですが、NJのFMなど、保守系のラジオなどでも「真相はヤブの中」と
言っています)ということで、頼りない限りです。

政権の内部でも、ラムズフェルド国防長官がイラク戦争の前に「反テロ戦争戦略は破
綻しつつある」という謎のメモを残していたことを新聞(『USAトゥデー』)にすっ
ぱ抜かれ、制服組上層部から総スカンを食う有様で、今や大臣としては911以降の
「権威」はどこへやら、政治生命的には完全に「死に体」状態です。

今月の後半には、その国防長官が訪日しますが、彼としては暖かくもてなしてくれそ
うな小泉政権(が続いていれば、の話ですが)閣僚との懇談で、一息入れたいという
のが真相でしょう。海兵隊の移転問題が取りざたされる沖縄の視察が含まれるあたり
は「キナ臭い」感じもしますが、いずれにしても影響力の低下している長官には、
「お土産」は不要でしょう。

その日本では、総選挙の真っ最中ですが、先週もお話ししたように、今回の選挙は
「二大政党制らしきもの」を実現する選挙というよりも、これからその「二大政党制」
を始めるための「スタートアップ」という位置づけが正しいのでしょう。勿論、日本
でも理念と政策の連続性が薄く、そのために「大ぐくり」での国政の「選択」がしに
くくなっています。安保に絡んだねじれの問題もあり、「景気対策か構造改革か」の
総論と各論の問題があり、また社会問題を扱う日本語の貧困と言う問題もあります。
ですが、とにかくこの選挙を通して出てくる新しい問題に対して、より対立軸を明確
にしてゆく作業は選挙後になるのでしょう。

アメリカの保守とリベラルという対立軸は、今回のディーン=エドワーズ論争のよう
に「退屈な対立」から抜け出そうとしてもなかなか抜け出せないところがあり、よく
言えば現代でもある種の有効性を持っていると思います。日本の場合は、どちらかと
言えば、世代の問題や、地域の問題などを通じて「都市型」か「農村型」かという漠
然とした対立はあります。明治以来の伝統にある「中央政府」対「野党的反抗」とい
う対決ムードもまだまだ残っています。こうした古い対立構図は、よく見れば世界観
というよりは利害グループの代表という側面が強いようです。

そこを一歩進めて、世界観の対立というストーリーを描けるのか、それが二大政党制
が成立するかどうかの鍵になるでしょう。明治以来の政党政治は、理念的な対立が成
立した時期もありますが、人に付属した影響力が集合離散を繰り返した歴史でもあり
ます。今回の総選挙を契機に、理念による結集をした二つの政党が、実現可能な政策
の選択肢を「納得感のある組み合わせ」として提示してゆく流れになればと思います。

『マトリックス』に群がり、黒いコートを羽織って虚無を気取る若者たち、その姿に
対して「政治に関心を持て」とか「社会改良の志はないのか」とお説教をしてもはじ
まりません。人々の利害をまとめる政治の調整機能が、所詮は弱肉強食や既得権で決
まってしまう、そんな絶望からは、若い人々に「この世界」を自分の居場所として参
加してゆこうと言う気概を持てと言っても無理だと思います。

選択肢が二つの「セット定食」しかなく、そのどちらの定食も「好きなものと嫌いな
ものが半々」だから「どちらもイヤ」、今回の日本の選挙で棄権する人にはそんな心
情があると思います。これは有権者の責任ではありません。だからと言って、景気、
構造改革、安保、年金、地方自治などの選択肢の組み合わせをアラカルト式に全部用
意すれば良いのでしょうか(これだけでも2の5乗で32通りの選択肢があり得ま
す)。

それは不可能です。やはり「秩序のある理由付けのまとまり」として「組み合わせの
妙としての選択肢」は必要です。その「組み合わせの妙」を束ねるものは、極端な信
仰や信念では困りますが、ある種の抽象的な世界観として、人々の生き方としての選
択肢であるべきなのでしょう。

個々の技術的な政策の選択も、長い糸を介してはいても世界観の選択とつながりがあ
る、そんな手応えを人々は求めています。最新のCG技術を駆使して複雑な虚構空間
を映像化した『マトリックス』三部作が世界中の若者の心をつかんだように、複雑を
極めるこの現実世界での利害調整を、いわば言語と論理の技術革新によって人々に選
択可能な形に改めて行く作業が必要なのではないでしょうか。


冷泉彰彦:
著書に
『9・11(セプテンバー・イレブンス)―あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093860920/jmm05-22

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