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戦争目的の変遷や場数を踏むなかでルールが定まったものです
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投稿者 あっしら 日時 2003 年 10 月 26 日 02:24:13:Mo7ApAlflbQ6s

(回答先: 何故、民間人を殺してはいけないのでしょうか。 投稿者 エンセン 日時 2003 年 10 月 25 日 20:01:41)


エンセンさん、こんばんわ。


戦時国際法を批准している国家が遂行する戦争は、それを遵守して戦うべきという法理論は承知の上で、戦争状態になったら、ルールは勝利をめざしてそれぞれの陣営が勝手に定めるものだと考えています。
逆に、ルールに縛られて負ける戦争を行うことほど愚かなことはありません。仕掛けた戦争ならともかく、仕掛けられた戦争ではルールを度外視して勝てる戦いをしなければなりません。そうしないのなら、強い相手にははじめから手を挙げて羊になるほうが合理的判断です。
(それでも負ければ、理不尽な処罰を受けることになっても甘受するしかありませんから、堂々と主張を貫きながら身の処遇を戦勝国に預ければいいのです)


パレスチナもそうですが、アフガニスタンやイラクの主権回復勢力がどのような手段で占領軍兵士を害したしても、戦術的不合理性の指摘以外に戦時国際法を楯に非難することはできません。
プロパガンダを含むあらゆる戦術を駆使し、できるだけ犠牲が少ないかたちで占領者を撃退して欲しいと思っています。
米国そのものを本格的に叩くことはできない戦力ですから、米国政権が撤退を判断せざるを得ない状況に追い込む戦いを自国内で展開するしかありません。

(いわゆる戦時国際法は先進国(軍事的強者)間の思惑で決定されたもので、“兵器”的に弱い国を相手にした先進国は、必要に応じて戦時国際法を踏みにじりながら、相手国の対抗活動に対しては戦時国際法を楯に非難するというご都合主義の道具になっています。国際法的正当性がないまま始めたアフガニスタンやイラクでの戦争でありながら、制服を着ていない戦闘員及びそこにいた外国市民はどうにでもできると公言しグァンタモナ基地で迫害を続けている現在の米国政権はその代表です)

現在のような戦争ルールが規定性を持ったのはそれほど遠い昔のことではなく、20世紀になってからです。

それまでの戦争は、相手の土地や資産を丸取りしたいのなら相手の殲滅をいとわないし、相手に継続的な貢納をさせたい場合は殲滅させてしまうと意味がないので殺戮は抑制的になり、労働力や性的快楽の対象といった奴隷が欲しい場合はそれがうまく手に入るように策を立て、相手に政策を変更させたい場合は武力的威嚇を背景に外交交渉を重視するというものです。
また、軍需産業の利益を重視ないし目的としている場合は、自分(自国)を攻撃できない弱い相手を選び、爆撃などをだらだらと続ける戦争形態になります。

(このような意味で、強いほうでも心がける戦争のルールは古代からあります)

そして、戦争がどのような階層によって担われるかということも、戦争の在り方を規定します。
遊牧騎馬民族のように戦闘意欲に富んだ有志連合なのか、土地を支配する騎士同士がぶつかり合うものなのか、傭兵を利用した戦争なのか、徴兵制に基づく戦争なのかでも、ルールを含む戦争の仕方は変わります。


交戦国間でルールが重視されるようになるのは、戦争目的が国策の貫徹になり、そのために戦争をしなければならない相手が自分とそれほど戦力が違わない状況があるときです。

国策を貫徹するということは、殺戮や相手の土地を奪うことではなく、相手に政策の変更を強いることが戦争の主要な目的になるということです。

「国防とは、領土の保全や国民の安全を確保することではなく、“国策の防衛”である」と見抜いた石原莞爾はすごいと思っています。
国策には領土や国民の安全は当然含まれます。そのレベルでとどまるのではなく、それぞれの国家の国策がぶつかり合うなかで自国の国策が貫けるようにすることだと動態的関係性すなわち現実的に国防を考えたことは見事です。
(これは、憲法で戦力を放棄している現在の日本にもそのまま適合する考えです。日本の領土の保全や国民の安全であれば、それを条件として、相手の要求を呑めば済むというのが現実です)


欧州諸国は、ナポレオン戦争以後近代的な軍事対抗関係に入ります。

(それまでの戦争は騎士階級を指揮官として傭兵を活用したものでしたが、両陣営の前線部隊が傭兵であれば、むやみに死んでは意味がないとか、だらだらと戦争が続けば実入りが増えるといった思惑で戦争は膠着状態になりがちでした。フランス革命で国民国家意識を醸成したフランスがそのような戦争形態を打ち破り、国家総力戦的戦争観を欧州諸国にもたらすことになります)

ナポレオン戦争を契機に欧州での戦争目的は、領土拡張というより、国家的統一を含む市場の拡大であったり、政治的理念を押し付けであったり、対抗力をはらむ危険な国を押さえ込むといったものに変わります。
(後ろに隠れている戦争を通じて国際金融家たちが獲得する膨大な利益という最重要目的はここでは脇におきます)

市場の拡大が目的であれば、財を買ってくれる人たちをむやみに殺したり、国家を立ち直り不能までいたぶることは損失につながります。
(後から近代化を歩み始めたドイツやロシアは領土ないし権益拡張を志向していましたが、既に広大な支配地域を保有する英国やフランスは、それを脅かすような国を叩けばいいという立場です)

また、戦前の欧州は、英国・フランス・ドイツ・オーストリア−ハンガリー・ロシア(ソ連)の間に決定的な戦力の差があったわけではありません。
将兵及び国民の士気や幕僚の作戦指揮能力で勝利がどちらに転ぶかわからないという力関係でした。(ナポレオン戦争ではフランスがドイツに勝利しましたが、普仏戦争ではドイツがフランスに勝利しています)

戦争主体が近代国家になり、一般国民を戦争遂行のために駆り立てなければならなくなったわけですから、勢力が均衡に近い状態で、捕虜になったらいたぶり殺されるとか、戦争に負けると戦勝国から何をされてもしかたがないという状況であれば、一般国民は戦争そのものを忌避するようになります。
今回勝ったからと言って悪逆非道なことをすれば、次にどういう報復をされるかわかりません。
この問題は各国が共通に抱えるものですから、それなら、捕虜の待遇や兵器などについて話し合いでルールを決めようということになります。
(資産の扱いに関するルールは、国際金融家の影響力が強く働いたと思っています。戦勝国が資産を総取りすることになれば、敗戦国への融資が回収不能になってしまいます)


人道的配慮とも言われている戦時国際法も、このような戦争形態や戦争目的の変化に伴って先進国間で策定された“戦争遂行可能ルール”でしかありません。

そうであることは、戦後の米国が数々の国家に対して行った戦争行為の内容を考えればわかります。
米国本土及び広範囲の米国民に攻撃を仕掛けるという対抗力を持たない国家に対しては、自己のルールのみに従って戦争を行っています。
(もちろん、自国民の支持を必要としていますから、それが得られるものという自己規制もルールに含まれます。そして、米国は、自国に攻撃を仕掛ける能力を持つ国家に対しては、実際に戦争を仕掛けた相手を超える政治的対立があっても戦争を仕掛けるということはありませんでした)

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