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Re: 死者たちへの「呈上」(2)
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投稿者 愚民党 日時 2003 年 12 月 01 日 00:35:22:ogcGl0q1DMbpk

(回答先: Re: 海の深き次元での対話 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 11 月 30 日 11:36:59)

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しかしながら、一たびその方向にセットされた存在とそうではない存在とは永劫に交叉することはないのでしょう。そして、死者達への「呈上」とは一体どんな意味があるのか、未だに明快なる解を得てはおりません。(暗黒舞踏の中にはあるのかしらん。)

--------------如往さん

如往さん、マルハナバチさん、こんばんわ。
如往さん、マルハナバチさんから返信をいただきますと、いかに自分が細部を厳密に検討し、なおかつ思考してこなかったという
自己の弱点をさらけだしてしまいます。
これまで、如往さん、マルハナバチさんの対話書簡の読者でありました、その深い省察と思索の展開に
動物的に自己防衛が作動し、自分は弱点があるから、対話に参入しない方がいい、と判断してまいりました。

「とうとう引き寄せられたか」という感じです。
自分は細部にわたる厳密な検討と思考は、これまで経験しておらず、また訓練もしてきませんでした。
今後も注釈していただければ、ありがたいと思います。

 また自分は非常に少年時代から、妄想的な人間であり、対話コミュケーション能力が欠落し、細部の検討なく
「ひとりよがり」として断定してしまう欠陥がありますことを、あらかじめ、申し訳なく思っております。

如往さん、「帰太虚」「骸(むくろ)の林立」のご説明、ありがとうございました。
「グレード・ブルー」は自分は見たことがありません。
マルハナバチさんから説明をいただきまして、イメージに満ち溢れた世界に触れた気がしました。
そして、この三島由紀夫をめぐる対話がMatrix論への方向感覚にあることも、感受いたしました。

ただ自分は「Matrix論」の存在を、はじめて如住さんとマルハナバチさんから、教えていただいたので
コンセプトの概要に関しましては無知です。申し訳ありません。

自分がこれまで三島文学から教えられたことは、小説に登場する人物であり、またその人物をみる「批評眼」でした。
三島文学の特異点は、小説家の特権的内部世界ではなく、その内部を外側から冷酷に分析し批評するという世界であると思います。
それゆえに「豊饒の海」4部作に登場する人物は、それぞれが自分にとっては魅力的です。
三島由紀夫は最後の貴族であったのでしょうか?


とくに4部に登場する「透」少年には魅了されてしまいます。ホクロがなかったことによる転生の瓦解。
「悪意の工場が作動している内部」
自分は三島由紀夫の自決は、批評の円環を閉じたことにあると思います。


三島由紀夫は日本と世界に向けて批評の円環を閉じ、それによって批評を行為によって生成させたのだと思います。
三島由紀夫の1970年11月における自決は批評行為であたっと、今、自分は思っております。
円環を閉じたものは、ヘーゲルのように円環を生成させ、円環を現在進行形へと至らせます。
三島由紀夫の死は、まちがいなく70年代の基底となりました。

80年代の基底となったのが寺山修司であると自分は思っております。
寺山修司は三島由紀夫の死以降、全面的に演劇と映画たる芸能へと疾走していきます。
寺山修司も三島由紀夫とは違った方向からの土着の批評眼をもっていました。
三島由紀夫以後は芸能しかないと寺山修司は判断したのだと思います。批評装置から表現装置への転換。
寺山修司は表現装置によって、今も現在進行形となっております。

寺山修司の最終イメージが恐山であるならば、三島由紀夫は海洋であったのかもしれません。
「船」を監視する透少年。
「午後の曳航」という映画を70年代に池袋の文芸座でみたことがあります。
如往さんとマルハナバチさんから「グレート・ブルー」のお話をいただきますと、もしかして
「豊饒の海」も海洋文学ではと、思ってしまいます。
もしかしたら本多は海の底にある聡子の寺院に訪ねていったのかもしれないと、
本多が最後にみた「庭は夏の日盛りの陽光あびて、しんとしている」あの盛夏の黒点が
マトリックスとして三島由紀夫が海の底深き基調色を同時的に描いていたとしたならば・・・
何故かすくわれます。


舞踏と演劇「舞台空間における死者と生者の応答関係」を、如往さんのお言葉に甘え、語らせていただきます。

日本の舞台は「近代以前」の要素が大きく基底にあります。
舞台用語も江戸期の用語を継承しております。寸法は今でも「尺・寸」です。
舞台裏方スッタフは雪駄と濃紺足袋をはいて、仕事をします。
江戸期の舞台技術を一番継承しているのが、歌舞伎座であり、伝統芸能の国立劇場であると思います。

日本舞踊の舞台仕込みを手伝いますと、舞台平台には、雪駄なり靴を脱いであがらないと、舞台監督から叱られてしまいます。
舞台は神々に呈上する場所であるからです。
今年、自分が属する舞踏舎は若手狂言グループの演者と共演したのですが、狂言も「神に呈上」する芸能行為です。
そこで教えていただいたのですが、客席の方向は「神」がいる場所です。
狂言の身体感覚は神を強烈に意識した所作(身体の動作と形)です。

狂言発生音声における「あ」は陽として空へ向かいます。「い」は陰として地に向かいます。「う」は陽と陰の中庸。
「え」は陽、「お」は陰。これが狂言日本語発生音声の基本です。
それを教えてもらいながら、自分は日本語音声には陰陽道が流れていると思いました。

当初、日本芸能は猿楽・田楽舞として古都奈良地方の神社寺院境内において誕生したと思います。
観客とともに「神々と死者への呈上」これが日本芸能の柱です。
自分はいまだ日本芸能史を細部にわたり検証しておりませんので、くわしく説明できません。申し訳ありません。

「一遍聖絵」には鎌倉時代後期の民衆像が描かれ、「放浪芸人」も登場しております。
説経節は、浄瑠璃「謡」の原型だと思いますが、仏教の教えが入りました、物語です。「貴と賎」の往復運動。

中世の民衆物語は「語り芸」を技術としてもった放浪芸能人が形成していったのではないかと思います。
自分は「小栗判官と照手姫」という中世の民衆物語を、一遍時宗の総本山である遊行寺で、毎年秋、
1996年から2001年まで上演する演劇行為に参加してまいりました。
小栗は相模の国の照手姫と契りを結びます。それに怒った照手姫の父親である横山大善によって小栗判官は
毒殺されてしまいます。地獄に落とされた小栗は閻魔大王によって、また現世に送り出されます。
そのときすでに照手姫は相模川から湾に流されてしまいます。
現世に送り出された小栗はしかし、身体の原型をとどめておりません。
遊行上人が小栗を発見し、熊野の湯に入れば回復すると、民衆の情にゆだねます。
「ひとひき、ひいては、せんぞうくよう」「ふたひき、ひいては、まんぞうくよう」
小栗の引き車は美濃・青墓にたどりつきます。そこで遊女館に売り飛ばされた照手を会います。
しかし、ふたりは、契りを結んだ人であることは、確認できません。
照手は小栗がのった引き車を引いていきます。

http://lian.webup.co.jp/ogurihangan/oguri/
小栗判官一代記(小栗と照手の物語が参照できます)

中世民衆ドラマの高揚である「道行(みちゆき)」の誕生です。

聡子が「そんな人はしりまへん、ひとまちがいであらしゃろ。人は錯覚もするよってに」
こうした人間交差図は、中世民衆物語では壮大なドラマとして登場しておりました。
説経節という形態をとった仏教のおしえが内在している物語。
聡子が本多に言ったセリフこそ「道行」の構造をしめしております。
豊饒の海第1部以後、聡子と死者の「道行」、その総量が、豊饒の海、最終における聡子の台詞だったのです。

日本芸能の「死者たちへの呈上」には霊的構造があります。
芸能行為の場所は神社寺院の境内でありましたから、すでにあらかじめ「霊」の現存を了解し、
観客とともに「神々と死者に呈上」する時間こそ、芸能でありました。

「劇場には幽霊がいる」これは多くの舞台スッタフが感じております。
ゆえに大きな劇場には神棚があります。
神々の食物こそ、舞台人が総力をあげて仕込みからバラシまで、ただ観客と「夢の時間」を現出するためのだけの
「夢の時空」にかけました、死に物狂いのエネルギーです。
劇場の神々をなめると、舞台人はかならずケガをするか、奈落に落下し死んでしまいます。
舞台人は劇場の神々のこわさを身体感覚で知覚しております。
舞台人は観客ばかりでなく、「神々」と「幽霊」にも見られているという恐怖感があります。

自分は39歳から舞台に入り、それで生活費を稼いでいるプロではありませんが、10年の経験と
河原乞食の存在から言えますことは、幕があき、観客頭上の空間にはからなず幻影世界が立ちあがることです。

舞台の幕をあけるのは観客です。

とくに暗黒舞踏であれば、まちがいなく、観客頭上で幽霊が踊っております。
自分は暗黒舞踏特有のきわめてゆっくりした所作をしながら、同時に幽霊の幻影踊りもみながら、おどっているのです。
その幻影はそれぞれひとりひとりの観客身体DNAとイメージ海洋から発信されました「霊的存在」かもしれません。
幽霊の三島由紀夫であったり土方巽がおどっているのかもしれません。

また、こうも語ることができます。
それぞれの観客の想像力回路から発動されるエネルギー体は、観客の集合幻影エネルギーとなり、良質な食物として
劇場の神々へ呈上されるのかもしれません。

こうした実感を言葉に置換できるまで自分は今年10月、京大西部行動公演で、体験しました。
京都に自分が入ったのは10月4日、準備のためです。
そして公演初日4日前からの仕込み。泊り込み。自己の全面的なエネルギーを投入したとき
劇場の神々は本番でおどってくれたのです。
観客とともに、自分たちは良質な食物を神々に呈上できたと感じております。

その後自分はつぎに京大西部講堂で開催する京大生が主催した音楽コンサートを手伝いました。
劇場内に巨大なピラミッドと大・中・小のピラミッド群、その京大生は「自分の誕生日」にロック・音楽コンサートを
パーティとして開催したのです。彼は公演資金など全然ありませんでした。
ただ「単独の力」その人間としての信頼つながりで、パーティを開催したのです。
午後2時26分から午後9時26分の長時間、さまざな音楽グループが巨大なピラミッドの下で演奏しました。
10月26日、彼は26という数字にこだわったのです。
「宇宙のエネルギーとピラミッド・パワーで交信する」そう彼は語っておりました。

西部講堂の守り神の像「それは石膏でできた少女像のようでもありました」
そこに照明があたり、巨大映像は音楽にあわせ、舞台壁に投影され、宇宙エネルギーとの交信に
場所の身体間感覚は躍動感にあふれておりました。しかし静かなるものもありました。
自分はそこにあらたなる音楽を媒介にした世代の登場をみたのです。
また京都の宇宙エネルギー交信のパワーも感じたのです。
「京大西部講堂には宇宙人が降臨する」

「死者たちへの呈上」それは、まさに
音楽が先行している、そう身体で知覚したのであります。

如往さん、マルハナバナさん、カオスからの返信をどうかおゆるしください。

ありがとうございました。


音楽・演劇・舞踏こうした日本芸能行為の主人こそ、観客であり幽霊であり神々であります。
死者達への「呈上」と存在の永久運動、死者と生者の応答関係。
思考もまた空間に作動する知覚回路統合であり、永久運動と応答関係による「死者たちへの呈上」は
思考行為において、生成しているのではないでようか・・・
思考とはまさに現在進行形です。

下降転載は2000年頃に書きました、文章です。

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歌人斎藤慎爾氏は白石征を一言において定性している。「言葉と幽霊とを
同じように心から信じた作家」と。それは三島由紀夫が鏡花を評した言葉だ
そうだが、「十三(とさ)の砂山」にしても、ワラの死体を父親・蟹吉が抱
きかかえる、「瓜の涙」にしても謹三から父親瓜吉の恋の成就となる。つま
り近代における現在から未来のの解放を希求する時間の構造は逆転し、過去
の現在の時間が解放されて演劇の幕は閉じる。そこに「現世を生きる人間の
魂は、生と死の境をこえて往来している」という、往生の時間帯と場所性に
作家としての白石征の根源がある。

 白石征にとって演劇とは「おまえはただの現在にすぎない」ではないのだ。
舞台の生者としての俳優の身体と内蔵からの音声を媒介に、死者の魂が呼応
するのである。つまりそこでは、俳優の類系−先祖、死者としての演劇の人
物、観客の類系−死者となった家族、これらの霊的三者構造の応答関係が白
石征演劇構造には進出しているのである。それを「信」の不退転と呼ぼう。
法然と親鸞の他力本願の往生と一遍における遊行、これら主体行動思想が「
遊行かぶき」を立ち上げる白石征演劇の動的中心軸であり、近代と現代の合
理にまみれたわれわれは、なかなか白石征を理解できない。

白石征演劇とは何か

http://www.awcjapan.net/forum.cgi?md=read&sn=mc5053

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古代中国に誕生した漢字は、おそらくその造形力と造語力から見て鉄の
誕生によって形成された文字であろうと思われる。7世紀大化の改新後、
「倭」は百済を支援すべく軍隊を送り出し新羅・唐連合軍との戦争で敗北
した。その後「倭」の大王継承をめぐる内戦として壬甲の乱をえて、唐帝
国との強大な他者関係性から「倭」そのものの記憶を消却し「日本」を誕
生させる。朝鮮・韓での「百済」「新羅」「高句麗」この三国で展開され
ていた壮絶な戦争と動乱をみすえ、日本はこの三国の集団としての政治亡
命者を受入れ、中国から漢字・通貨・仏教・政治体制としての律令制度を
取り入れ、模倣造形しながら国家形成していく。その場合高度技術・高度
情報をもった政治亡命者が国造り部として活用されていくのだが、逃亡者
亡命者・漂流者がもつある絶望ある断絶ある自己喪失が日本誕生には孕ま
れていた。その自己喪失こそ中心なき中心である。

 その中心なき中心は古代邪馬台国・卑弥呼による原始道教・鬼道をなき
ものにはできなかった。何故なら彼らも大陸からやってきた弥生人だった
から。縄文人の殺戮によって場所を征服したとき、縄文の土着の神たちを
漢字によって回収・内部化したのである。道教が日本的霊性にあり、支配
の正統性としての神、国家鎮護としての仏教。

 語り部はまず民衆ではなく国家から登場する。それが「史記」をモデル
にしながら編纂した「古事記」「日本書紀」である。そこにおける熊野と
はある重要性をもった場所として記述されている。「小栗判官と照手姫−
愛の奇蹟」ラストシーン、小萩が「熊野は、もうそこですよ。かならずや
かならずやご本復、お信じなさってくださいませ」その復活への祈願は、
天武の日本誕生を引き継いだ女帝・持統の熊野詣での音声と連動している。
日本の根幹としての霊性の中心、それが熊野であろう。熊野神社が奉って
ある遊行寺とは、日本の根幹を握っている場所なのだ。

 蘇我一族が滅んだ大化の改新とは、仏教輸入政策にたいする今一度の日
本的霊性からの反撃である。ゆえに神官としての藤原鎌足は登場し、その
子・藤原不比等が国家デザイナーとして引き継ぐ。縄文時代からの山岳信
仰にやがて輸入仏教は同化し、比叡山・高野山と展開されていくのだが、
民衆の思想・宗教として誕生するのは、比叡山・高野山を離れた在野とし
ての鎌倉民衆仏教からである。ここに日本の中心が誕生し悪党・バサラ・
遊女の系譜は演劇市場を形成した。

 わたしは89年、日雇労働者として横浜・寿町ドヤ街で生活していたの
だが、中国天安門広場での民衆とその弾圧、秋、ベルリンの壁崩壊、東欧
民主化巨万の民衆街頭デモ、それは12月ルーマニア大統領の処刑へと展
開していくのだが、テレビ映像を呆然のごとく見ていた。ドヤ街でわたし
は、90年代は街頭に日雇労働者が裸体のごとく投げ出され死んでいく、
そのような街頭的な時代になると予感した。その街頭は外国人労働者の流
入といった世界市場でもあったのである。90年代演劇としての白石征「
遊行かぶき」は、中世の路上へと想像力をおしすすめたのである。

 それは文学において、ヨーロッパの中世を表出した堀田善衛の仕事と通
低している。山谷、釜ヶ崎、寿町それら下層の人々の街頭生活は過酷であ
る。冬、朝になると大きなごみ箱に労働者が死んでいるのだ。「今日も死
んだわね」といった、長い黒髪の女性の一言が、今でも胸に痛みとして残
っている。その場所に存在していたわたしが、「遊行かぶき」遊行舎のひ
とりであるのは、自明であるのかもしれない。演劇は借金をつくり河原乞
食へと落下する、しかしここから再度、復活し演劇行為を市場へとのせる
営為は、鬼神もたじろぐ執念がいる。白石征の執念と精神力とは、個人と
しての日本を背負っているからであろう。白石征自身が日本の中心として
起動しているのである。日本とは国家といった上部構造にあるのではなく
個人の背骨の理に内遊している。ゆえに白石征演劇は日本の根幹を握って
いるのである。

 「遊行かぶき」とは、主体の側が遊行という試練を不断にくぐる。白石
征が発見した「遊行かぶき」の概念は、その思いの強さによって、90年
代日本演劇の本流でもあり、その営為は世界演劇と通低する双方向を持ち
ながら、観客によって可能性ある社会性の間口を広めている。ながらく編
集の仕事で培った想像力は空間の変遷としてあり、日本・世界映画のシー
ンは絵画のように白石征の記憶装置に入力されて、俳優は白石征の出力装
置によって内部の動きとしていきいきと舞台に立つ、俳優は土方巽暗黒舞
踏での身体としての器であり、その器に観客の想像力イメージが真水のよ
うにそそがれる。白石征は俳優を生命潮流として見る、彼・彼女の内部か
らの声をその霊的存在の拡大する世界の声を聞く。俳優のすぐうしろには
彼・彼女の系譜としての霊的存在が有することを、白石征は信じている。
死者を忘却の彼方へと記号化させたとき、演劇人の磁場は溶解する、と。

 ある意味で今日のデジタル電子社会こそが、白石征演劇の独自性と正統
性その本流のありかたを強くおしだしているのかもしれない。演劇は俳優
と観客の魂のコミュニケーション。それは同時に生命潮流として俳優の背
骨から立ち上がる霊的存在と、生命潮流としての観客の頭上に立ち上がる
霊的存在が無言の会話をしているのである。通信の源態として。

 舞台が幻想上にあるのではなく、観客側が幻想の場所として内遊してい
る。舞台とは俳優と俳優の空間計算と音声身体による動と受、これに音響
・照明テクニカル技術が多重構造を豊富化情感を拡張するものとして浴び
せ、裏では黒子が待機しているというスポーツ試合のごとくである。幻想
空間が立ち上がり生成しているのは、観客と観客席という舞台。主体は観
客にあり、それゆえに厳しいリアリズムをもった市場なのである。そして
演劇はこの市場においてしか成立しない。観客なき演劇は稽古と言われる。
演出家はこの市場を最も痛感している仕事人である。俳優のようにアドリ
ブや失敗は許されない。

 演出家はこの社会にもうひとつの社会を提示する、それが演劇である。
ゆえに本番前には一晩で白髪が増えたりするのであろう。演劇市場におけ
る演出家は孤独な自己闘争と覚悟を有しており、それはすざましい。
演出家とは劇団集団の親分ではなく、社会化された人格を形成する仕事人
であり、その人格に人が集まる。言葉とはすでに社会である、ゆえに演劇
は舞踏と違い、もうひとつの社会を提示する。演劇の祝祭性とは祭を準備
する人間の協働作業の理にある社会活動と類似する。それはひとつの文化
創造運動でもある。ゆえに社会に投企しない演劇活動は、演劇のための演
劇となり、それが終われば記号化され、次の公演と向かう。演劇とは劇場
というハードウェアのためにソフトウェアを提供する演目のことではない。

 演劇市場は自己表現における自己批評を主体に問う、主体が問われない
演劇は存在が社会化されていないということであり、記号化される。商人
は牛のよだれのごとくあきない根性をもって市場に日々さらされている。
製品を創造する職人も、製品が不完全であれば、次からお客さんは来ない。
市場こそ人間の誠意を主体に問う。その意味で白石征演劇は遊行フォーラ
ム文化活動の一旦を担い、遊行寺という歴史ある場所で「小栗判官と照手
姫−愛の奇蹟」を4年間にわたって幕を上げたという事実は、日本演劇市
場における可能性を社会に提示した。中世においても民衆芸能が歴史とい
う記述に登場するためには、まず生きのびなければならなかったのである。

 演出家の主体とは社会そのものであり、この社会とは演劇市場であり、
俳優の主体は厳しく演出家という社会と市場から問われる。演出家とは提
示するために膨大な借金を背負うのであり、俳優とは社会的位相が違う。

 市場に敗北した世阿弥は時の権力者足利義教の怒りをかい、70歳で佐
渡に流された。そこから行方はわからない。こうした妥協なき世阿弥の演
劇人生と死生観こそ、日本芸能のすざましい生き方であり起源であろう。
豊臣秀吉に殺された利休の存在もしかり、文化創造とは権力者の主体を脅
威にさらす内容を持つ。世阿弥を佐渡に罰として配流させた将軍足利義教
は赤松満祐によって暗殺される。豊臣秀吉は暗殺はされなかったが、
豊臣家崩壊の予感と暗いしこりを残し孤独な死に至る。人格において世阿
弥と利休は政治家に勝利したのである。ここに日本芸能と文化の伝統的な
強さがある。

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