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本を投げるとき-すみちゃんへ
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/604.html
投稿者 愚民党 日時 2003 年 12 月 04 日 05:41:08:ogcGl0q1DMbpk

(回答先: Re: 表現は何故、誕生するのか 投稿者 愚民党 日時 2003 年 12 月 04 日 01:43:00)

本を放り投げるのは舞踏の始まりかな?
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/522.html
投稿者 すみちゃん

すみちゃん、返信がおくれて申し訳ありませんでした。
「?」が基軸的な問いだったもので、時間がかかってしまいました。

「本を投げる」切断する時間が舞踏の始まりだと自分は演出家から教えられました。
表現様式は演出家によって、それぞれ違うのですが、
舞踏者が「物語」をもって、おどりますと、内向が、お客様に意味付けされてしまいます。
ダンスを見に来るお客様は、舞踏者と空間の波動をみにくるわけです。
舞踏者の内面などは、あってほしくないわけです。

何故なら舞踏者はお客様の想像力が入る身体の器だからです。

演劇でも俳優が本を投げ出さないと、「立ち稽古」が始まりません。
立ち稽古とは俳優がテキストを投げ出して、セリフは俳優の身体に入ったという了解のもとで
演出家がいよいよ俳優身体を動かし、空間を創造するための稽古です。
舞台上での俳優の演技とは演出家が振付けた所作です。

テキストの解体から舞台表現は始まります。

すみちゃんがぱーんと本を投げ出す瞬間は舞踏的時間です。
舞踏の時間はスライスされた瞬間の時間を、かろうじて舞踏者の身体が接続しているという
断面の非連続として構成されています。

舞踏者はその瞬間そしてつぎの瞬間
猿になったり、犬になったり、蛇になったり、仏になったり、赤ちゃんなったり、馬になったり、草になったり
魚になったり、非連続的に憑依していくわけです。
また舞踏者は、おのれをかろうじて立たせてくれる光景と風景と情景(舞踏者が没入すべきイメージ母体)を、
非連続として表出していきます。

おのれの脳から出力したイメージ母体におのれの身体を没入させていく行為です。
01,01,01、と組み立てて行く作業はダジタルと類似しています。
このイメージ作業がないと身体の器になれず、お客様は舞台から引いてしまいます。
何故ならお客様とは舞台を切り取る映像カメラのアングルであり、カメラマンだからです。

演出家の存在理由とはお客様のかわりとして、稽古場にいることです。
演出家が稽古で作業しているのは、「お客様からどう見えるのか」この思考です。
お客様の立場で思考する、それが演出家の空間想像力です。

意味をできるだけもたせない
何故なら意味をつかんでくれるのは、それぞれのお客様だからです。

日本の伝統芸能は1400年前後の頃、足利義満に見出された能楽の世阿弥から600年。
出雲阿国歌舞伎発祥から400年。
中世から近世の長い過程をえまして、かなり、お客様にとっていらない意味が、はぶかれ
お客様にとっていい所作のみが残り蓄積されて、今日に継承されていると思います。

美術作品はは美術館でお客様がその作品と対話することによって、作品美術物質細胞は生き生きと再生していきます。
絵画とは、圧倒的なお客様の対話の時間が浸透することによって生成する物質作品です。
現在進行形の絵画は投資の対象ともなっております。

薪能は神社とか寺院の境内での野外舞台で、能と狂言が演じられますが
あれこそ宇宙惑星そして星雲との応答関係にあると思います。
お客様が、地球そして宇宙そして演者による過去の死者たちの時間と対話する宴こそ薪能かもしれません。
装置としたしましては、シンプルの極意です。ただ演者の衣裳はすごいです。

佐渡は芸能の島と呼ばれておりますが、能をやっている人は衣裳代で財産をつぶすと聞いたことがあります。

能と狂言そして歌舞伎また日本舞踊は幼少児から、意味ではなく、形としての器(所作)の習得から訓練していきますが
それが日本伝統芸能の強さであると思います。

浄瑠璃の謡でも高齢になればなるほど芸が豊かになると聞いたことがあります。
三味線のバチが持てるまで、耳その聴音能力があるまで、芸を追及していく死生観は、すごい迫力です。

日本芸能の場合は、まず「近代」が壊れても心配はないと確信しております。

自分が演劇の演出家から教えていただいたのは
「わからなくなったら、中世にもどれ」でした。

三島由紀夫の戯曲は近代演劇の要素が濃いと思います。
三島由紀夫を強烈に意識していた寺山修司が表現装置としてめざしたのは、「近代」をいかにはずして行くか、
だったのではないかと思います。

自分は、三島由紀夫をめぐる対話をえまして
「豊饒の海」は三島由紀夫がインド的宇宙に打倒されてきたと、長らく思いこんでいた観点を
いま修正できます。

三島由紀夫は情熱をもってインド的宇宙と仏教的世界に、からだごと飛びこんだのだと思います。

日本伝統芸能はいまも現在進行形です。

過去の豊饒な時間とは謎です。

本を投げたとき、瞬間という空間が波動します。その波動とは表現の始まりです。
世阿弥が流された佐渡から、波音が聞こえるかのようです。

世阿弥はそこで能楽理論を書いたのだからすごい人です。70歳になっていたと思います。
佐渡は芸能の都です。
佐渡へぇ〜佐渡へぇ〜草木もぉゆれるよぉ〜

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