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貨幣生成の原生へ、そして近代以降へ  [“コモンズの海”のご紹介も]
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投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 12 月 17 日 12:57:27:WjxaaVdW72Wrk

(回答先: 簡単なレスと『お金(マネー)の歴史全書』(大英博物館編・東洋書林刊)の紹介 投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 17 日 02:33:10)

あっしらさん、お答え有り難うございます。本は探し出して読みます。
クマムシ君:緩歩類クリプトビオシスの歩みですが…

今回、“貨幣生成の原生”の時空において“人間とは如何なるものか”を見つめる事へと話が向かっていきそうでどきどきしています。
これは、近代の貨幣システムの実務的な仕掛けと思想だけ扱うなら、必要はない事項かと想われます。しかし、“貨幣生成の原生”を通し、宇宙のなかの地球における環境と身体、他者との関係生成をみつめるところから、“人間とは如何なるものか”“如何にある
ことが自他共に幸福か”といった事が語りうると想うのです。
(ここから私も拙い“恋文”を書いて“彼ら”に出しうるかと…爆)

結局象徴的に神話的に語られるしかない時空かと想いますが、この現在にも隠蔽されて現象しているはずの“貨幣生成の原生”から
近代以降を見通そうとする時に、現在の状況及び“彼ら”の戦略を批判するひとつのリアリティある基盤が与えられるかなという期待
があります。


>ひとの奴隷であるほうがいいのか、物の奴隷でなおかつ人を奴隷として扱う立場であるほうがいいのかは微妙なところですが(笑)

もしも奴隷であろうとするなら、人でもなく、物でもなく、聖霊の奴隷になれるほうが幸せなのかもしれません。
ああっ、あっしらさんに言っちまったー(爆)

ひえええぇ、八方から天から彼岸此岸から怒りの石が…!
早まんないでくれーー、聖霊でなくて大霊でも純粋なる贈与でも、至高の感応でもいいんだってば!


おおいに食べがいのある領域なので、あせらず着実に考えてゆきたいと想います。

*………………

◆ちょっと気になる本を、皆様へもご紹介させていただきます。
  もし、身体・環境/地域・交換…と関係してゆく動きにご関心がありましたら、某かの取っ掛かりになるのではないかと感じます。


『コモンズの‐交流の道・共有の力‐』 中村尚司・鶴見良行・編著 学陽書房1995年初版 2369円


第一章 コモンズとしての海  玉野井芳郎    …「地先の海」、海の共同利用権等の文あり
第二章 海のコモンズと広義の商業 中村尚司  …水と人間・火の使用と関係性の創出・海と森の交易・人間が同伴する商品交換
第三章 国境をこえる人びと 鶴見良行
第四章 海の自給畑・石干見 多辺田政弘
第五章 海と資源を守る漁業協同組合 山本辰義      …過疎地で「みんなで豊かになる」・青森県尻屋漁協等の文あり
第六章 持続的開発を支える総有 熊本一規     …持続的開発の条件・総有と持続的開発・総有の再生/創造をの文あり
第七章 タイ漁村と活躍する女性たち 赤嶺綾子
第八章 スリランカ漁民社会のジェンダー 田中雅一


◆はしがき(一部抜粋)

 地域主義の主唱者であった玉野井芳郎は、七年間の沖縄生活を終えるにあたって、「コモンズとしての海」という大きなテーマに取り組む決意を固めていた。玉野井はかって学陽書房で研究会を主宰し、『地域主義―新しい思潮への理論と実践の試しみ』(一九七八年)を出版した。そして、これを契機に書斎を捨てて、地域の現実から新しい学問を築こうと琉球弧に向かった。宜野湾市に生活の本拠を置いた玉野井は、生命系の経済学にとって広い意味での農業がもつ意味を明らかにするため、同じ学陽書房での研究会を続け、八四年末に『いのちと“農”の論理―都市化と産業化を超えて』をとりまとめた。…


◆火の使用と関係性の創出(p.15/16)中村尚司稿より一部抜粋

 水があらゆる生命活動にとって不可欠であるのに対して、火を必要とするのは人間だけである。火の制御によって、人間はそれ以外の生物とはまったく異なった生活様式をもつようになる。生命誕生に必要な母体が海であるとすれば、人間誕生の母体は森であった、といってさしつかえなかろう。(中略)

 生物の一員であるヒトもまた他の動物と同様に、枯草のように死んだものか、太陽のように死なないものを通じてのみ、火に接することができる。身体組織に対する水の親和性とは、きわだって対象的である。はじめて火に向かう場合、水と違ってひとりだけでは対象に働きかけられない。自分とは異なったふるまいをし、自分を観察し、自分に指示を与えてくれる、もうひとりの自分が現われるまでまつよりほかない。
 火の使用が始まると、ヒトの暮らしは個体だけでは完結できなくなった。眠っている間でも、燃え広がらないように、同時に火種を絶やさないように注意する他者との信頼関係があってはじめて、危険な火の扱いを任せられる。自己の暮らしを補完する他者との関係性が、人間存在の不可欠の要因を構成するようになったのである。
 そうなると、人間活動相互の交流が、活きることの中心的な課題になる。(後略)

 ※ 蛇足と言いますか、私が意味をとれずに苦労したところがあり、ちょっと皆様への老婆心で…
   >はじめて火に向かう場合、水と違ってひとりだけでは対象に働きかけられない。
   ここからの意味が取りにくいと想いますが、下記のように広げると解かりやすいと想います。

   はじめて火に向かう場合、【生物的にアプリオリな親和性があり、基本的な対処が記憶されている】水と違って、
   【火という、生物的に対処の記憶を獲得していないものに対しては】ひとりだけでは対象に働きかけられない。

   記憶とは本能というほどの意味です。

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