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イワンの脱走
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投稿者 エンセン 日時 2004 年 1 月 24 日 20:04:08:ieVyGVASbNhvI
 

(回答先: キエフの空の下 投稿者 エンセン 日時 2004 年 1 月 24 日 20:01:40)

 
イワンの脱走


覚悟

そのころ、イワンは病院のなかで策を練っていた。自分ひとりでは何もできないことを思い知ると、イワンの手足となってくれる仲間を作ることが一番だと気づいた。もちろん、あのマルチューク先生は、助けてくれるかも知れない。しかし、それでは先生があとで大変な罰を受けるだろう。悪いが、マルチューク先生にも秘密で、何とかここを逃げ出す方法を見つけなければならない。
イワンは顔に激しい熱を感じていた。この熱は、朝早く目ざめた時からずっと続き、ひどく体が疲れた。目がさめても、頭の芯が焼けるように熱を帯び、30分から1時間近くも意識が戻らないような状態のまま、すぐまた眠りに誘われそうになった。
なぜか分らなかった。
来る日も来る日もベッドで横になっていたためだろう、腰がみるみる弱く、力なくなってくるのが自分で分った。足が衰弱してゆき、手でさわると、少しずつ細くなってゆくように感じられた。いや、まだ大丈夫だろう。このようなことはたびたび体験したことがある。少し日が経てば、また体が回復しはじめ、体じゅうに血が巡り、つらかったことをすっかり忘れてしまうものだ。
イワンの目ざめは、明るい朝の斜光を両眼に受けて目を開き、あたり一面に明けそめる風景を見る、というものではなかった。自分の目にはいっさいなにも見えない。朝鳥の声が騒がしくなってから、まわりの少年たちが少しずつざわめいてゆく、顔に暖かい光の熱を受けながら、これが朝というものだ、朝がやってきた、と皮膚に感じる目ざめだった。イワンはその知覚を楽しんだ。
その日の朝はやわらかく明けてゆき、幼いころ母親に甘えながら夢見たように、ここでもターニャの指が自分の髪にそっと触れる瞬間の、あの至福を感じて目ざめた。ところが、体は、背骨が肉に張りつくように重苦しく、言うことをきかなかった。
頬は厚ぼったく腫れあがった肉をつけたように鈍く、目の下が重く垂れさがるように疲れを覚えた。体じゅうの血管は、まるで血が流れていないヒモのように感じられた。
──そうだ。あのふたりはどうしているだろう──
イワンは突然、先日の出来事を思い出した。コーリャとグリーという名の少年が、この病院に収容されていた。この2人が病院からひそかに脱走しようと計画している会話を、イワンは3日前の真夜中に盗み聞きした。そのとき、この豪胆な連中の話では、そろそろ今日か明日にも、窓からシーツを垂らして夜中に逃げ出そうという、命がけの企みをしていたのだ。食べ物を毎日少しずつ、パンのように長持ちするものだけを選んで隠しておき、あとは逃げるにまかせるほかはないという、大胆なものだ。
彼らが仲間に入れてくれれば、自由になれるのだ。ここを逃げ出してよろう!
イワンは、コーリャとグリーについて多くを知らなかった。
しかし、コーリャのきつい声の調子から判断して、なかなか手強い相手だということを感じ取ることができた。このいかめしい雰囲気の病院で、こともあろうに脱走しようとは、不敵な考えではないか。
危険に構わずやってみるがいい。
──頼むぜ。俺も一緒に連れ出してくれるだろうな。そういう向こう見ずの計画なら、イワン・セーロフが一番の得意とするところだ。目が見えない代りに、夜中の暗闇になれば、コーリャとグリーの耳になってやれるじゃないか。いやだと言っても、俺はついてゆくぜ──
しかし実際には、この日の朝、イワンが窓辺に立って誰にも気づかれないようコーリャをつかまえ、「仲間に入れてくれ」と申し出たとき、コーリャの驚きようは大変なものだった。相手はイワンをにらみつけ、どうしても「うん」と言わなかったのである。
「目の見えない奴と一緒に走れるか」
「だから、途中まででいいと言ってるんだ。どこか、農家の前で放り出してくれればいい。俺はそこで、朝までじっと隠れているよ。いや、食うものがなくなるまで、納屋のどこかに隠れるさ。3日でも4日でも、じっとしてる。そのあいだに、君たちは自由に、遠くまで逃げられるはずだ」
それでも相手が納得しないので、卑怯だとは思ったが、イワンは脅しをかけた。
「俺を仲間に入れなければ、どうなるか分ってるだろうな。ここから出る前につかまっちまうぞ。俺は話をすっかり聞いたんだ。いやなことを俺にさせないでくれ」
こうして監視の目を盗んで、イワンは遂にコーリャを説得することに成功し、握手をした。驚いたことに、決行は今夜だという。それでコーリャも焦っていたのだ。イワンは最後のチャンスに間に合った幸運を、神に感謝せずにはいられなかった。
夜が訪れた。
10時を過ぎると、監視している者が誰もいなくなった。外はすっかり闇夜と変って、予定通りに脱走には絶好の条件となった。看護婦の巡回も終っていた。
窓を開くと、3人は言うことを聞かない自分の体を呪いながら、シーツを垂らし、コーリャ、イワン、グリーの順で、巧みに外へおり立った。ここまでくると、弱り切った体に異常な力が湧き出した。人間が最後に見せる執念のせいだろう。難なく外へ出てみれば、あっけないほど簡単なことだった。病院ではこのような脱走を考えてもいなかった。3人は驚くほど敏捷に裏庭へまわると、まったく誰にも気づかれずに、病院の外へ出ることができたのである。
イワンは冷やりとした夜気を頬に感じた。
──ここは一体、どこの町だろう──
しかし、そうゆっくり考える暇もなく、イワンはグリーに強く手を引かれ、思い切って走った。初めは走るのがひどくこわかった。グリーは彼なりに勢いよく走り、イワンにこう声をかけてきた。
「いいか。俺が走るところは、絶対に転ばないと思って走れ。こわがるな。足を高くあげて、目が見えると思って走れ」
「分ってる。俺と足並だけ合わせてくれ。止まるときには、手を強く握ってくれればいい。ずっと同じ速さで走ってくれれば、俺は大丈夫だ」
3人は、ほんの5分ほどそのまま裸足で人気のない町のなかを走り抜けると、町はずれに来た。
「おい、出たぞ」と、グリーが話しかけてきた。「町を出たんだ。しかし、畜生、どこにいるか分らないな。通りの名前が書いてあったが、聞いたこともない場所だ」
「道路に、どこか標識があるだろう」とイワンが言った。
しかし、そのあたりには何も見当たらなかった。何よりも、道路を走るのは危険だった。仕方なく3人は、自動車に出くわさないよう、少し小高い丘に向かって斜面を登りはじめた。


死の恐怖

──あとで考えれば、あれは無謀な脱走だった。逃げられると思ったのは子供の考えだよ──
イワンは今、再び連れ戻された病院のベッドで、あの痛快な一夜を思い返していた。ちょっと先のベッドでは、コーリャとグリーも寝息を立てていた。3人は猟犬を使った追跡隊に発見され、何ともあっけなく脱走劇は失敗に終り、翌朝にはここへつれ戻されてきたのである。
──それにしても、あの丘のうえは気持がよかったなあ。もう一度逃げてやろうか──

1ヶ月が過ぎていった。

イワンが本当に苦しみはじめたのは、それから何日もしない時だった。医師のマルチュークは、3人の脱走を知らされてから、以前よりも熱心に子供たちと話をするようになっていた。
その彼が、1ヵ月後から悲しい色を帯びてきた。
イワンの枕元に来ると、ある日、マルチュークはこう言ったのである。
「コーリャを逃がしてやりたかった」
「どういう意味ですか」
「分っているだろう。あの子は、君と脱走する前からひどく弱っていたんだ」
こう言って、マルチュークは黙ってしまった。
「コーリャが死んだのですか……あいつが」
「逃がしてやりたかった。死ぬ前に、親のところに帰してあげたかったのに」
「僕も覚悟はできています」
「バカなことを言うな」と、マルチュークは強く言い返した。
「でも、今朝からおかしいのです。とても苦しくて、自分でも初めてなのです。先生は、僕に隠さなくて大丈夫です。もう全部知っています。自分の体が自分のものではないように、力なく感じるのです。どこかへ離れてゆくようで、手も足も、なにも言うことを聞いてくれません。こういう弱い自分を、遠くから見て、あきらめているみたいなんです。きっと人間が死ぬときにはこんなふうになるんですね。初めて死ぬ覚悟ができました。痛くて頑張っている時は、自分がまだ生きていると感じていました」
それからイワンの語調が変った。
「でも、こんなふうに自分が分らなくなってくると、今度眠ったら、そのまま目がさめないような気がして、こわくなるのです。先生の声をもう聞けないかも知れませんね。僕は先生と別れたくない。僕の言っている意味が分りますか。まだ、もう少し生きて、先生と話をしていたいのです。母さんに会いたい。妹のイネッサにも会いたくて、毎日毎日、あいつと話をしてるんです。それなのに、俺が死んだら、もう話ができない」
「そんな話はやめよう。君は私を苦しめようとするのかね」
「そうじゃありません。でも、死ぬのなら、もうすぐ死ぬと分っているなら、教えてください。少しでも、一秒でも余計に、母さんとイネッサと話をしておきたくて……先生、本当のことを言ってください。眠らないように頑張ってるのに、体がどこかへ吸いこまれるようで、時々、いまどこにいるか分らなくなるのです」
マルチュークはイワンの手を握ってから、口に出そうとした言葉を呑みこんだ。
彼は、「ゆっくり眠りなさい」と言いかけたのである。
──自分はこの子の親ではない。何も言う権利などないのだ。この少年の親がどこかにいる。その母親に、いま何かを言ってほしい。イワンを力づけ、イワンを休ませてあげる言葉を言ってほしい。神がいるなら、どうかこの子に言葉をかけてあげてください。今すぐにです。なぜ助けないのですか。なぜこの子の目を奪って、これほどまでに苦しめるのですか──
マルチュークは、自分が弱い人間だと思い知らされた。
「先生、もう行ってください。僕には分ります。自分で、最後に考えたいことがあります。ひとりきりで、しっかり考えてから死にたいのです。もう何時間もないような気がするのです」
これだけ喋るのが、イワンには精一杯だった。マルチュークは仕方なく病室を出て行った。イワンは肩で息をしながら、頭をゆっくり枕のうえで振ると、必死で起きあがろうとした。しかし、それができなかった。イワンは考えようとした。
──自分にできるのは、考えることだけだ。俺は父さんのところへゆく。その前に、母さんとイネッサと話をしたい。ありがとう、母さん。楽しかったよ。4人で、俺は楽しかった。必ず会える。また4人で会える。時間のある限り、すべてを思い出したい。これで最後だから、誰もいらない。母さんに頬ずりしたいよ。なあ、イネッサ、お前を抱きしめたい。こんな気持は初めてだ──

翌朝、イワンの姿は病棟になかった。
マルチュークは病室へ入ることをためらい、何かに怯えていた。
──君は15歳だ。私は50を越えたよ。つまり君と私は、これだけ歳が違う。君が先に死んでしまった。しかし、何も変らないのだ。死ぬときは、何歳だろうと同じなんだ。いや、そう思わないと、私はこの病室に入る勇気がない。本当は違うだろう。許しがたいことが起こっているのだ。誰がこれを仕組んでいるのか教えてくれ──
イワンの遺体は、風吹きすさぶ荒野の地底に埋められた。
そこには花輪ひとつなく、悲しむ者ひとりいなかった。


終りのない物語

広大な荒野のなかに、イワンとずっと離れた距離にあったが、母親のターニャが落日の光を顔に受けてたたずんでいた。病院を訪ね歩き、精も根も使い果たしながら、噂ひとつつかむことができなかった。
ターニャが気づいたのは、姉のアンナのアパートに帰り着くころ、黒塗りの自動車が一台、必ずそこに停まってこちらの様子をうかがっていることだけだった。あの自動車に乗ってる男が、イワンとイネッサの居どころを知っていると分っていながら、手を出せないのだ。おそろしい現実がある。自分はこの理解しがたい世界に耐えなければ、息子にも娘にも再会できないのだろうか。
ターニャを取り巻く世界は異常なものだった。開放政策≠ニいう言葉が全世界で語られ、そのなかで大量の子供たちがひそかにどこかへ連れ去られ、葬り去られていたのである。しかし、当局の言葉の力は強く、ターニャの感情を押しつぶそうと翼をひろげ、おどりかかってきた。この翼の先には、新聞やテレビに群がる有象無象の人間たちが乗り、人の悲しみを何も知らずに、集団で襲いかかるのだ。
それでもターニャは、このウクライナの大地に立って踏みこたえていた。傾きゆく太陽はあの人間たちより強く、やがて翌朝にはふたたび雲を破って光を投げかけるだろう。ターニャはその力に応えて、どこまでも抵抗する決意を固めた。
おそろしいことに、この事件には、はじまりがあって、終りがない。幕が開いたきり、閉じない劇。
そして、ようやく今、イワンの死から壮大な物語がはじまろうとしていた。ウクライナに散った生命の惨劇から、その舞台が地球全土にひろがりはじめていることに、ほとんどの人間は気づかなかった。
イネッサとイワンの命を奪ったものは、ごくささいな粒であった。時にはそれがキラキラと輝く液体となって、時にはそれが目に見えない透明のガスとなって、山から走り落ちる急流にまぎれこむかと思えば、高地から吹きおろす風にまじって、どこまでも手足を伸ばして行った。
原子炉に閉じこめられていた魔物たちは、人びとから死の灰≠ニ呼ばれ、恐れられていた。それが今では、妖精が飛びまわるように、翼を持って、自由に地球上にひろがりはじめた。何億、何兆と数えきれないほど夥しい量のものが、初めはひしめきあって千メートルの上空まで一気に昇りつめると、あたりの空を一瞬で闇夜に変えるほど群を成した。実際、チェルノブイリ原子炉が吹き飛ばされた日の午後、一機の飛行機がモスクワからキエフに向かって飛行していた。
この機内には、大勢の西ドイツの旅行者が乗っていた。彼らはウクライナの上空で異様なものを目撃した。午後3時、太陽がまぶしく輝いていたかと見るまに、三千メートルの上空が突然、闇夜のように暗くなったのである。この飛行機は、チェルノブイリから吹きあげた黒い雲のなかに突入していた。
そのころ、イワンたちは、飛行機から見おろされる草原のなかに群を成し、移動しながら休息していた。
こうして黒雲はさらに勢いよく成層圏のギリギリまでふくらみ、そこから、天井にぶつかった水蒸気のように前後左右へ大きな網をひろげていった。この網は、丸いひとつのボールをらくらくと包みこみ、日が経つにつれて、この網を頑丈につくりあげていった。
地球はすでに、死の灰≠ナしっかりと縛りあげられ、ここに棲む生物は最後の一匹まで、この粒から離れて生きることができなくなっていた。
地球は変ったのだ。
牧草を食んでいた牛たちは、全世界の至るところ、緑なす草原のなかで、しきりとこの粒を体に取りこみはじめた。それまでと格別変った味がするわけでなく、牛にとっては空腹を癒してくれるうまい草であることに何の違いもなかった。
黒い雲は、ぎ峨としてそびえ立つ山々にぶつかり、そこで水滴をつくると、山間地帯に大降りの雨をもたらした。山の木々は水浴びをして、活き活きと育っていった。
雨は地面を掘って池をつくり、池はやがてあふれて大磐石の斜面を奔流する川となり、濁流は清流と落ち合って見事な湖へ流れこんで行った。この湖は、あたりに給水している水源地だった。
水源は田や畑をキラキラと輝く水で潤してゆき、作物は春の季節を迎えて芽吹きはじめた。それでもなお、チェルノブイリから飛び出した粒たちは、魔物のようにこの作物のなかげ入り込み、緻密に地球の表面をその手で織りあげていった。それはちょうど、上空を包んだ網がゆっくりと地上におりてゆき、大地をしっかり取りおさえるような形で地球に根をおろしていったのである。
逃れる術はなかった。
ターニャがキエフの食卓で見たように、人間が口に入れようとするものはすべて、これらの粒を充分に取りこんでいた。
姉のアンナは、そのようなことを気にもとめていない様子だった。しかしターニャの頭には、忘れられない記憶が刻まれていた。夫はチェルノブイリで働いていた。ターニャ自身もそれを誇りにしていた。
何とおそろしい職業だったのだろう。
自分は、なぜそれに気づかなかったのだろう。このような結末は分っていたはずなのだ。あるいはイワンとイネッサに今日の不幸をもたらしたのが自分たちだったかも知れないと思うと、ターニャは気も狂わんばかりに、自分を責めたてた。
しかし、ターニャが知っている以上に、この原子炉爆発は重大な意味を持っていたのである。
犠牲者はイワンとイネッサだけではなかった。大地に根をおろした死の灰≠ェ静かに襲いかかったのは、全世界の子供たちであった。


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