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メ−ソンの二大ドンが練る日本支配総戦略計画
http://www.asyura2.com/0311/idletalk6/msg/650.html
投稿者 エンセン 日時 2003 年 12 月 25 日 15:53:23:ieVyGVASbNhvI
 

(回答先: グラバーこぼれ話 投稿者 リーマン 日時 2003 年 12 月 23 日 22:29:26)

 
面白そうな話をしているので、私も混ぜてもらおうとして、「トーマス・グラバー」「阿片」で、ググッたら見つけました。
お馴染みの「忍」さんの文章のようです。でも、アヘンとグラバーの繋がりは書いてありませんでした。

以下、転載です。

 
日本謀略3 sinobu@chu2 2001 05/31 12:25 No.255

◎メ−ソンの二大ドンが練る日本支配総戦略計画◎

★明治維新はメーソン同士の代理戦争だった
 この章では、マイトレーヤとフリーメーソンの魔の手が、日本にどの程度浸透しているのか、明治維新までさかのぼって紹介してみたい。
 それは1966年の事だった。この年、横浜のプリンスホテルで、ある記念式典が開かれた。出席者は約200人で、その内の2/3が在日外人だった。
 式典ホールには、「日本フリーメーソン・ロッジ百周年記念」と看板が掲げてあった。
 日本にメーソンのロッジが設立されて100年を記念するパーティである。
 席上、直径5センチ程の銀の記念メダルが会員に贈呈されたが、そのメダルにはメーソンのマークと1866年〜1966年という年代が刻まれていた。
 つまり、日本にメーソンのロッジが初めて設立されたのは、1866年。明治維新の2年前だ。
 横浜で記念パーティが開かれた様に、最初のロッジは横浜に作られている。
 それまでは、日本が長い鎖国から解かれて開港したと聞くや、諸外国からメーソンがどっと流れ込んでいた。そして明治維新の大きな原動力となったのである。
 例えば、フランスの全権大使として江戸に赴任したレオン・ロッシュは、『グランド・オリエント』(大東社)を代表し、幕府を援助した。横須賀製鉄所を開かせ、幕府の軍制改革に助力している。
 その反対に倒幕側についたのが、イギリスのメーソン(スコティシュ)のトーマス・ブレイク・グラバーである。
 グラバーが来日した時には、既に多くのメーソンが入り込み、幾つかの商会が存在していた。
 彼は長崎の大浦海岸にグラバー商会を設立し、日本茶の輸出から商売に取りかかったが、次第に倒幕諸藩への武器弾薬、艦船の販売へと手を広げ、成功を収めていった。
 先住の商人達が幕府と密接な取引をしていた為、入り込める余地がなかったからだ(要するに、内部攪乱の政策を採っている!忍)。そこで倒幕諸藩に絞ったのである。
 それが功を奏して、彼はわずか数年で長崎随一の商人となる。
 その他、フランス人でベルギーのメーソンだったシャルル・ド・モンブランは、薩摩藩の五代才助(友厚)に近づき、1865年、ブリュッセルで五代と共に商社を設立しているほどだ。又、薩摩藩からパリ万国博覧会の事務総長に任命されたりしている。
 プロシア(独逸)のメーソン、エドワルド。スネルは、長岡藩の河井継之助に接近して、長岡城の戦い(1868年、官軍との戦い)を援助した。
 そして戊辰戦争の最後の戦いとなった五稜郭の戦いでは、フランスのメーソン、ブリュネが、榎本武揚ら徳川家臣幹部と共に五稜郭に立て籠もり、最後まで官軍に抵抗したが、遂に敗れる。ここに戊辰戦争は終結を迎えるのだが、いってみれば、明治維新は、フランスを中心とするヨーロッパ系メーソンと、大英帝国系メーソンの代理戦争だった−−。
 どっちに転んでいいように、メーソン特有の”両面作戦”がとられた。そして結果的にはイギリス系のメーソンが勝利を収めたのである。

★日本初のメーソンロッジは1866年、横浜で創立
 アメリカ独立、フランス革命、イタリア統一、ロシア革命など、歴史の潮流の裏には必ずメーソンが絡んでいた。日本の近代化もその例外ではなかったのである。そして、日本の場合、その前段階として忘れてはならない出来事は、1842年の阿片戦争だった。
 この戦争によって英国領となった香港に、メーソンの極東ロッジが創立され、アジア進出の拠点となったからである。
 その香港から横浜の居留地警備の為に派遣されたのが、英国陸軍第20連隊だった。この連隊には、軍人結社『スフィンクス』があった。アイルランド系の移動式ロッジで、駐屯地でメーソンの儀式を行うのである。
 アメリカ、カナダの植民地時代も、こうした軍隊の移動式結社が各地で展開され、その地にメーソンが浸透していったものである。
 『スフィンクス』のメンバーは、やがてメーソンの英外交官や貿易商と共に移動式ではなく、本格的なロッジを望む様になり、1865年本国に新ロッジの設立を申請している。
 翌年の1866年にそれが認可され、横浜に初ロッジが創立された。それが冒頭の百周年記念の始まりである。
 第1回集会には、スコティシュ系メーソンの西インド地区の前副棟梁カートライトが出席し、初代ロッジ長にはウィリアム・モタ、二代目ロッジ長には英国近衛連隊将校G・M・スマイスが任命されている。
 こうして正式のロッジが横浜に設立されてからというもの、日本各地にい次々とロッジが開設された。
 例えば、1869年に『オテントウサマ・ロッジ』(横浜)、1870年に『ロッジ・ヒューゴ・アンド・オオサカ』(兵庫・大阪)、1872年に『ライジング・サン・ロッジ』(神こうした各地のロッジを統括する為、1873年、『日本グランド・ロッジ』が横浜に設立され、その初代グランド・マスターにチャールズ・ヘンリー・ダラスが就任している−−。
 ざっとこれまで日本に於けるメーソン進出の全体的流れを紹介したが、その中でなんといっても特筆すべき存在は、トーマス・ブライク・グラバーとなるだろう。
 彼は武器弾薬を調達した「死の商人」として、又観光都市長崎の名所「グラバー邸」の主だった事でその名は有名だが、日本の近代化にも大きな功績を残している。
 例えば、英国の蒸気機関車を日本に輸入して、日本の地で初めてそれを走らせたのもグラバーであり、長崎の高島炭坑に近代的な採掘機械を最初に導入し、又日本の造船技術の始まりとなったソロバン・ドッグ(我が国最初の様式ドッグで、入江を利用したスリップ式造船施設)を作ったのも彼だった。
 三菱商事の創立者の岩崎弥太郎との関係も深く、グラバーが出資の面で深く関わっていた高島炭坑と長崎造船所(三菱造船所の前身)を三菱に譲渡している程で、明治26年にグラバーが住居を東京に移した時、三菱の特別役員となっている。この時の待遇も破格のもので、最高役員の2割増の給与を得ている。
 そして日本で初めて電話線を敷いたのも彼であり、其の功績をあげたらキリがないほどである(総て分からない。江戸時代の科学研究論文をしっかり調べる必要があるのです。科学論文を出しても時の政府が受け入れなかったのです。他国の技術だけを良く見えて自分の国の文化と技術に対して誇りがないのです。日本国家は、宇宙文明の基準であり、『神の国』なのです。ユダヤ教・基督教・イスラム教の主である『天帝(エル・ランティ様、今現在はミカエル大王様』が存在している国なのです。それを早く認識して欲しいのです。そして『神の国』一員として自覚ある行動をとって欲しいのです。『神の国』に、『神の国』の国教である『法華経』を否定する自体が悪魔に魂を売っているのです。『昭和天皇陛下』と『明治天皇陛下』の違いは、『法華経』行者を否定したのです。それは、『明治天皇陛下』の机の中に聖徳太子がお書きになった『法華義疏』が入っており、それを基に政治を行った。だから、『乃木将軍』と『東郷平八郎将軍』を起用したのです。そして『昭和天皇陛下』の幼少教育に『東郷大将』を起用したのです。そして『明治憲法』を『プロシア憲法』を模範したのです。其の結果が国体を大切にした明治時代なのです。しかし、『昭和天皇陛下』は、一番誤ったのは海賊国家である『英国』を模範にしたのである。その為に清和(陽成)源氏(日本国家の守護神である八幡大菩薩(応神天皇陛下)を氏祖とした)の流れを受け継いでいる田中智学先生が率いる『国柱会』から出た石原莞爾将軍の言葉を従わなかった。世界最終戦争に備えよ。そして北方の守りを固めよ。それなのに、昭和天皇陛下は、『英国』に憧れてしまったので、英国の中に潜む悪魔教集団である『フリーメーソン』の言葉を傾いている山本五十六海軍将軍と米内海軍将軍の言葉に従った。その為に南進政策であり、亜細亜大陸の北方の共産主義国家作成政策である。そして今、現在『今上天皇陛下』は、同じ清和(陽成)源氏の正統の八幡太郎源為朝の流れを受け継いでそして、ムー大陸の天帝の流れを受け継いでいる沖縄王族の子孫である千乃裕子先生(合体霊はミカエル大王様そして守護霊がユダヤ教・基督教・イスラム教・色々な宗教の天帝にあったエル・ランティ様)が主宰する『千乃正法』を受け入れて宇宙戦争に備えよと云う言葉に耳を受け入れない。そして、その『フリーメーソン』が率いる三極委員会
  永井陽之助(青山学院大学教授)
  船橋洋一(朝日新聞編集委員(元北京特派員))
  行天豊雄(東京三菱銀行相談役、国際通貨研究所理事長)
  八城政基(シティ銀行)
  井上薫(第一勧業銀行名誉会長)
  宮崎勇(大和総研特別顧問、元経済企画庁長官(村山改造内閣時))
  千野宜時(大和証券名誉会長)
  (日本証券協会会長)
  西原正(防衛大学校社会科学教室教授)
 (防衛庁防衛研究所第一研究部長)
 (国際戦略研究所(ロンドン)理事)
 (元ロックフェラー財団国際関係部門客員研究員)
 (悪名高き猪木正道氏が主宰する平和・安全保障研究所研究委員歴任)
  天谷直弘(電通総研所長)スカラー波研究はここから来ているかも知れない?
      理由は、自分がスカラー波を頂いたのは電電公社関係の人だから
  永末英一(元民社党委員長、ハーバード大学に留学)
  加藤浩一(元自由民主党幹事長、ハーバード大学に留学)
  宮沢総理の時官房長官を務め、その時に従軍慰安婦問題化した。
  羽田孜(元太陽党党首、「日本が侵略戦争した。」発言した細川総理時、外相兼副総理)
 (竹下派で、平成5年の時の自民党分裂の旗手)
  柿沢弘治(羽田総理時外相)
  (渡辺派)
  宮沢喜一(元総理大臣・大東亜戦争の時、軍隊の仕事をしなかった人)
  渋沢雅英(東京女学館理事長、東西セミナー)
  出身 英国、ロンドン
  楠川徹(富士総合研究所会長)
  小林陽太郎(富士ゼロックス会長 経済同友会副代表幹事)
   日米経済協議会会長
  北村俊(日立相談役)
  椎名素夫 参院議員(自由の会、岩手) 日英2000年委員会日本側座長
  鈴木哲夫(HOYA会長)
  椎名武雄(日本IBM会長 経済同友会副代表幹事)
  奥村有敬(興銀エヌ・ダブリュ・アセットマネジメント社長)
      (元・興銀投資顧問)
  中村金夫(日本興業銀行相談役、金利調整審委員、証券取引審委員、元経済同友会副代表幹事)
  吉野丈六(国際経済研究所理事長、元・駐西ドイツ大使、経済連参与)
  佐伯喜一(国際政治評論家 世界平和研究所常任顧問 元・野村総合研究所社長)
  (国際戦略研究所(副会長)国際情勢研究会(会長))
      (東京国際研究クラブ(顧問)、経済同友会(顧問))
  又ワイズメン・グループの大来佐武郎(300人委員会会員)の後を継いで、
  54年ワイズメンに選ばれる。
  ゾルゲスパイ事件の首謀者である尾崎秀美が居た満鉄調査部に入り、エコノミストの
      キャリアを積む。
  室伏稔 (伊藤忠商事会長・社長 日本貿易会会長)
  瀬島龍三(大本営陸軍参謀と大本営海軍参謀を兼務)が特別顧問している会社
  香西泰  日本経済研究センター理事長
  山本正  日本国際交流センター代表理事長
  小笠原敏晶 ジャパンタイムズ会長・社長、ニフコ(日本工業ファスナー)社長
FMインターウェーブ会長、日英物産を設立
  鷲尾悦也 連合会長、鉄鋼労連代表
  向坊隆  日本原子力産業会議会長 日本工業教育協会会長
   日中協会会長、日本生命財団会長、東京大学名誉教授・元総長
       元・日本ユネスコ国内委員会副会長
  石川六郎 鹿島建設名誉会長、日本商工会議所名誉会頭
       元・東京商工会議所会頭
  小林庄一郎 関西電力元会長 日本航空監査役、ロイヤルホテル取締役、現阪急電鉄取締役
  三好正也 元・経団連事務総長
       日本交響楽振興財団専務理事
  薬師寺泰蔵 慶應義塾大学法学部教授
『国際関係理論の新展開』『テクノヘゲモニー』『政治家VS官僚』
『社会科学に於ける理論と現実』
  佐藤誠三郎 世界平和研究所主幹、所長代理、埼玉大学大学院政策科学研究科教授
東京大学名誉教授、元慶応義塾大学総合政策学部教授
過去共産党東大グループの有力メンバー 今現在保守陣営?
『文明としてのイエ社会』『近代日本の対外態度』『自民党政権』
『近代化日本の内政と外交』『自由と統合』
  並木友三郎 キッコーマン社長、経済同友会副代表幹事
ウィスコンシン州(米国)名誉大使
  野口照雄  興亜石油名誉会長、三井石油化学取締役
  福川伸次  電通総研社長・研究所長
東京都臨海副都心開発懇談会座長、地球産業文化研究所顧問
元・神戸製鋼所副会長 日中経済協会(理事)
ワールド・リソーシズ・インスティテュート(米国)(理事)
  堀江鐵彌  日本長期信用銀行頭取
  富永恵哉  産業基盤整備基金理事長、関西経済連合会副会長
元・松下電器産業副社長
元・日本国際通信会長
  牧原稔   三菱商事社長 日本経済協議会副会長 最高情報統轄責任者
米国三菱商事会長、IBM社外取締役、経団連米国委員長
モーリシャス名誉領事
  江尻宏一郎 元・三井物産会長 現相談役 元・日本貿易会会長 経団連日本EC委員長
  石川 武  三井海上火災保険会長
  小島明   日本経済新聞論説副主幹 元・編集局次長兼国際第1部長
総合研究開発機構(理事)
  梅村正司  元・日興証券会長 現相談役 元・日本証券業協会長
元・東京証券取引所理事会議長
元・中国青島市経済発展顧問
  松川道哉  日興リサーチ特別顧問 代表取締役
元・国家投資紛争解決条約調停人
元・モルガン・スタンレー社アドバイザリーボード
  松岡誠司  元・日本債券信用銀行会長 現相談役
  齋藤裕   新日本製鐵会長
  久米豊   元・日産自動車会長 現相談役
  細見卓   ニッセイ基礎研究所会長・理事長 構造改革フォーラム代表
元・海外経済協力基金総裁 税制調査会、国際協調の為の経済構造調整委員会
  渡辺武   損害保険事業総合研究所会長 日本シルバーボランティアズ会長
日本フォースター・プラン協会会長 AFS日本協会理事
  堤清二 セゾンコーポレーション会長 西友相談役、西部百貨店相談役
西洋環境開発相談役 経済同友会副代表幹事
元・西部セゾングループ代表
リベラル派財界人のリーダー 元学生運動の活動家
  神谷健一  元・三井銀行会長、元さくら銀行取締役相談役
全国銀行連合会長 元・アジア金融投資会長
  川勝堅二  元・三和銀行会長 現相談役 経団連副会長
日本国際協力機構(JAIDO)会長を兼務
桃山学院理事長、大阪銀行協会会長
  盛田昭夫  ソニー名誉会長 元・経済連評議会副議長 外資企業支援会社、
対日投資サポートサービス会長 元・ニューヨーク証券取引所諮問委員会委員
  森川敏夫  住友銀行会長 元全国銀行協会連合会会長 元・大阪銀行協会会長
  巽外夫   元・住友銀行会長 現相談役、追手門学院理事長
元・関西経済同友会常任理事、代表幹事
元・大阪銀行協会副会長 元・全国銀行協会連合会副会長
  長谷川周重 元・住友化学工業会長 現相談役 日本ギリシャ協会会長
元・経団連副会長、顧問、日経連理事
日米経済協議会代表世話人 世界経営協議会名誉会長
  伊藤正 住友商事名誉顧問
  岡野光喜  スルガ銀行頭取
  下川辺淳  エコノミスト、開発プランナー、東海海上研究所理事長
国土審議会会長、阪神淡路復興委員会委員長
  中原伸之  東燃名誉会長
吉情報 株の高配当にめぐり、大株主のエクソンやモービルと対立
  神谷不二  東洋平和女学院大学教授 慶應義塾大学名誉教授
日本学術会議会員 さくら総合研究所特別顧問
讀賣新聞調査研究本部客員
日本国際政治学会(理事) 国際法学会
日本国際問題研究所(理事) 平和安全保障研究所(理事)
防衛学会(会長)
  豊田英二  トヨタ自動車名誉会長 トヨタ学園理事長 元・経団連副会長
  緒方貞子  国連難民高等弁務官 元・上智大学教授 元・国際基督教大学助教授
平成2年国連人権委員会で、ミャンマの人権抑圧調査
(此の人歴の中で、共産党による人権抑圧は調べてはいない)
  緒方四十郎 山一証券顧問 元・日本開発銀行副総裁
元・山一投資顧問取締役、元日本銀行理事
富士ゼロックス取締役、国連財政諮問委員会共同議長
  嘉治元郎  放送大学教授・副学長 東京大学名誉教授
  田中明彦  東京大学東洋文化研究所助教授
  植谷久三  山一証券相談役 元・山一証券経済研究所会長 元・経済同友会幹事
元・東京証券取引所理事会議長 日本証券業協会会長
  渡辺文夫  元・東京海上火災保険会長 現相談役
日本航空相談役、日本棋院理事長 日本租税研究会会長
日本コントラクトブリッジ連盟会長 東京マリーン会長
元・日航会長
  市村真一  国際東アジア研究センター所長、京都大学名誉教授
元・大阪国際大学副学長
エコノメトリック・ソサイエティ、アジア政経学会
の言葉を従う。悪魔教(フリ−メ−ソン)の主催者であるロックフェラーの言葉(其の例が高松宮殿下主宰の芸術祭)を従う。そして孝明天皇陛下の遺志を無くさせる。そして悪魔王国の建設に協力する。その日本神道(正統なるユダヤ教)の最高責任者である『昭和天皇陛下』が、海賊国家、阿片国家である『英国』を模範したのはどうしてなのか理由が分からない。日本神道の教えは、『英国』は海賊国家であり、阿片国家である事を教えていたのです。そして孝明天皇陛下の遺志を大切にしたのです。その孝明天皇陛下は暗殺された事実はどうするのですか。そして、『プロシア憲法』作成者である『伊藤博文』の暗殺は、『英国』である事を言っているのです。其の事実はどうするのですか!忍)。
 しかし、グラバーの影響が最も大きかったのは、こうした物質面だけではなく、当時の幕末の志士達に与えた思想的、精神的影響力である。
 中でも維新の最大物、坂本竜馬に与えた影響を見逃すわけにはいかないだろう−−。

★竜馬の思想はメーソン員グラバーによって培われた
 日本史最大のドラマである明治維新。その最高のスターは、坂本竜馬であろう。
 彼の行動と思想は、当時の日本人から見れば、あまりにも型破りであった為、「維新の奇跡」とすら言われている。その竜馬の行動と思想がメーソンのグラバーによる影響が大だとしたら、どう思われるだろうか!?
 事実、まぎれもなく竜馬は、グラバーから大きな影響を受けていたのである−−。
 まず坂本竜馬が行った最大の功績は、薩長同盟である。
 当時の事情を簡単に説明すると、倒幕側の尖鋒として長州藩があった。もう一つの雄藩で薩摩藩は、一応幕府側についていたが、西郷隆盛を中心として反幕府としての旗色を強めていた。
 しかし、その長州と薩摩は完全に対立し8ていた。事に長州藩の遺恨の情は、かって禁門の変等で薩摩から手痛い目に遭っていた為、生易しくなかった。
 だが、最も力のある長州と薩摩が手を結べば、幕府を倒すことも可能である。その薩長同盟を考え、実行に移したのが、土佐藩の坂本竜馬だったのだ。
 断っておくが、今だからこうした発想も理解出来るのである。だが当時の両藩の対立ぶりからみれば、思いもよらぬ発想だった。事実、勝海舟、松平春岳、横井小楠、大久保一翁、それに長州の桂小五郎、薩摩の西郷隆盛といった当時の超一流の知識人でさえ、誰一人として思いつかない発想だった。
 ただ竜馬だけが、こうした破天荒な考えを画策し、実行に移したのである。なぜ、竜馬にこのような発想が出来、其の行動を支える武器調達が出来たのだろうか。
 多くの歴史解説書や小説では、竜馬の家庭環境、その性格、勝海舟や松平春岳などの知識人の影響をその理由としてあげている。
 だが、待って貰いたい。当時の状況を外国人の第3者の立場から見た場合、その発想は決して不思議ではない。ましてビジネスという合理的な視点で眺めれば、納得がいくのである。
 つまり、薩摩と長州が手を結び、戦線が拡大すれば、武器や船舶の需要も高まる・・・。グラバーこそ最も薩長同盟を待ち望んでいた人物ではなかったか(それ故に、孝明天皇陛下が暗殺されたのではなかろうか。なぜならば、孝明天皇陛下は、『公武合体』を趣旨で外国に対して自国を守る為に軍隊を作ろうとした。しかし、軽率な日本人が外国勢力の戦略に魂を売った。そして、孝明天皇陛下の暗殺をたくらんでは無かろうか。はっきり言ってこれらの人達は日本人を裏切ったのです!忍)。
 事実、薩長同盟の為の第一回の会議が行われると、グラバーは長州に対してミニエール銃とゲベール銃7300丁と、軍艦ユニオン号を調達しているほどである。
 又、海援隊の前身となった亀山社中からグラバー邸までは、歩いて50分ほどの距離であり、そのグラバー邸には、「グラバーは、坂本竜馬、桂小五郎(木戸孝允)、伊藤俊助(博文)、高杉晋作、小松帯刀、五代才助など維新の志士を庇護し、明治政府の実現にそえた」と記録されているのだ。
 グラバーが維新の志士達に与えた影響が如何に大きかったかを物語っている。
 中でもグラバーの日記には、竜馬が亀山社中の連中と度々グラバーを訪れている事が記録されているのである。
 そればかりか、1987年に、グラバー邸の屋根裏から隠し部屋が発見されている。中は意外と広く、かなりの人間が長期間潜伏する事が出来る造りであり、そこは竜馬をはじめとする幕末の志士達との密談の場所であり、潜伏の場所であった事が判明した。
 この邸は、グラバー自身が設計し、日本人大工を直接指揮して建造したものである。それが1987年迄発見出来なかったというから、如何に巧妙に造られていたかがわかるというものである。
 今日に至って、メーソンのグラバーと竜馬の関係が実証されつつあるといえよう。

★グラバーの写し絵のような存在だった竜馬
 其の竜馬の謎の一つに、彼が海援隊というカンパニーの発想をどこから得たのかというものがある。それまでの日本人ではとても考えの及ばない発想だからだ。
 だが、グラバーが英国の大商社ジャーディン・マジソン社の長崎代理人であった事を考えれば、それも充分に納得がいく。
 又、その海援隊の最初の仕事は、長州とグラバー商会の間に立って、銃と軍艦の斡旋を行う事だった。それほど竜馬とグラバーの二人の関係は親密だった。
 そして、グラバーと竜馬の考えは非常によく似ている(最も、その基となったのが、グラバーのメーソンによる思想だったので当然と云えば当然だが)。竜馬の最大の功績は、薩長同盟と大政奉還の二つとされる。薩長同盟については述べた通りだが、グラバーも又大政奉還論者でもあったのだ。
 薩長同盟が成立した後、グラバーは、英国大使のパックスに対して徳川家は天皇家に政権を返上した方がいいと進言した。パークスはこの進言を受けて、勝海舟と西郷隆盛の間で江戸城無血開場の話し合いを行わせたのである。同時にグラバーも、徳川慶喜保護斡旋の願文を、外国軍勢総督宇和島侯と朝廷に差し出している。これは、大政奉還後も徳川慶喜を敵軍の将として処罰せず、新政府に参加させようとしていた竜馬の考えと同じなのである(それなのに、なぜ孝明天皇陛下の公武合体政策を反対したのか!忍)。
 グラバーは後に回想談を発表するが、その中で「薩長の間にあった壁を壊したのが、自分の最大の手柄」であり、「徳川政府の謀反人の中では、自分が最大の反逆人であった」と語っている。これは、即ち薩長同盟も大政奉還も自分が中心だったと語っているようなものである。
 維新の最大の逸材といわれた坂本竜馬は、実はグラバーの介在者に過ぎなかった−−!?
 そして問題は、明治政府のスタートとなった「船中八策」である。
 船中八策とは、1867年6月15日、長崎から土佐へ向かう土佐藩船「夕顔」の中で、竜馬が作った新政府案である。明治維新の政府はここから始まったといってもよく、これが後に「新政府綱領八策」、「五箇条の御誓文」へと発展していった。次のような内容である。

 第一策 天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷よりいづべきこと。
 第二策 上下議政局を設け、議員を置きて、万機を参賛せしめ、万機よろしく公
     議に決すべき事。
 第三策 有材の公卿、諸侯、及び天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、よろし
     く従来有名無実の官を除くべきこと。
 第四策 外国の交際、広く公議を採り、新たに至当の規約を立つべき事。
 第五策 古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典を選定すべき事。
 第六策 海軍よろしく拡張すべきこと。
 第七策 御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。
 第八策 金銀物価、宜しく外国と平均の法を説くべき事。

 (この中で、説かれていない物は、神に対する責任の問題なのである。そして、神の行事も無視している。宇宙大自然と人間の調和についても言及されていない。要するに、神の存在が全く無視されている事に分かっていない。日本の場合には、佛でも良いのである。佛の存在も全く無視されているのです。宗教道徳から来る魂の自由が表現されていないのです。一番最悪の問題なのです。だから、神の法を無視し、人間至上主義に入っているのです。孝明天皇陛下は、神の下に軍隊を作る事を考えていたのです!忍)。
 この新政府案は、当時から見れば、とんでもない過激思想だった。特に第二策の上下二つの議政局をつくり、そこで公の決議を行うべきだと云う箇所は、長い封建制度から突然、ひよこが鶏を生むように、民主主義が誕生するようなものだ(意味不明、日本型民主主義である根回し主義の良さは中川八洋著『超先進国日本』に詳しく書かれいます。西洋民主主義は、基本的は上下が敵対関係であり、信用がない事を前提にして出来た制度なのです。日本の昔から上下一致して家族社会(和の社会)を国是とする民の思う社会を真剣に考えた出来た国の良さを否定するのです(只、時々天を敬う心を失う人が覇権をとった歴史がある)。だから分からないのです!忍)。
 人間全く何もないところから新しい発想は生まれてこない。
 ここにメーソンの「自由、平等、博愛」の発想が反映されている。
 それを教えたのは誰か?勿論グラバーである。新しいモラル(道徳に新しい物と旧い物に区別する考えが、形と時代を超えた真理を求める態度ではない。道徳とは思いやりと愛の心から来るのです。宇宙大自然の法と調和のある社会を作る努力が必要なのです。形がこれだと決定できないので、新しいと感じるけれど、其の根底は、唯一絶対の宇宙大自然の法が厳存しているのです。そしてその宇宙大自然の法を預かる最高責任者が、かってユダヤ教、基督教、イスラム教の唯一の絶対神を指していたのです。東洋の言葉で言えば、天帝を指したのです。今現在はミカエル大王様です!忍)を求めていた竜馬にすれば、ひどく魅力的なものに感じられたとしても、それも無理はない。
 又、竜馬はメーソンのジョージ・ワシントン大統領を尊敬していたという。
 だが、明治政府は、薩長二藩の藩閥政治となり、竜馬が意図した政府とは別のものとなった。二院制が実現したのは、1890年(明治23年)であった。それほど竜馬の思想は革新的だったのである−−。

★メーソンの二大ドンが日本包囲網に乗り出した
 竜馬が明治維新を見ずにこの世を去ったのに対して、グラバーは73歳まで生き、1911年、東京で亡くなっている。
 欧化政策の申し子として鹿鳴館が建造された時、グラバーはそこの名誉書記となり、在日外人の中心的存在となっていた。
 明治41年には、勲二等旭日重光章という在日外人にしては破格の栄誉を受け、大正15年には、天皇皇后両陛下が赤坂離宮御苑で開いた親菊会にも招待されている。
 現在、日本には北海道から沖縄まで24箇所のロッジがあり、会員には2600人。その内日本人が250人である。意外と少ないように思われるが、政財界のトップクラス、宗教人、文化人、外務官僚、大蔵官僚など、社会的に大きな影響力を持つ人々によって占められている。
 だが、日本の場合、世界でも類のない単一民族からくる独特の民族性の為(此の意味も不明。日本人は、神の国である。世界の人々が日本の言葉を習い、そして日本の風習を学ぶ必要がある。世界の宗教の本家が日本だからです。天帝が存在する国家である事を忘れるな!忍)、諸外国のように深くメーソンの根は張らなかった。
 如何にトップエリートがメーソンであろうとも、絶大なる力を持つロックフェラーやロスチャイルドの様に決定的な力を持ち得ないのである。その為、独自に急速な成長を遂げた日本経済は、彼等の戦略の枠には収まりきれず、一人歩きをしてしまった。
 又、彼等から見れば、予想に反して日本は経済大国に成り過ぎたのだった。その教訓もあって、今、彼等は東南アジアの成長に目を尖らせているのである。
 そこで日本パッシングが始まった。この際、日本経済を徹底的に叩き、メーソンの戦略レールの中に収めようと云うわけだ。様々な日本叩きが行われて来たが、底力を秘めた日本経済は、その度にそれを跳ね返して来た。
 だが、彼等が演出したバブル経済の崩壊により、今度ばかりは足腰から弱まり始めた。又、それに追い討ちをかけるようにスタートしたのが、自民党分裂による連立内閣の誕生である。
 自民党の長期政権は、善きにつけ、悪しきにつけて、根回し、派閥、金権主義など、余りにも独特の政治機構だった。
 メーソンから見れば、これほど分かり難く、扱い難い日本独特の政治機構はなかった。
 彼等が日本とその影響力のある亜細亜を自らの戦略に組み伏せるには、まず日本の政治形態、つまり自民党体制をなし崩しにする必要があった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 世界のメーソンの二大ドン、ロックフェラーとロスチャイルドが、遂に本格的な日本包囲網に乗り出したのだ−−。
 日本は今新たに、メーソン勢力に狙われた、明治維新ならぬ平成維新を迎えたといえよう。
 只、明治維新と違うところは、フリーメーソンが新自民党(自由党系、又は自民党(新保守主義者))と新野党を束ねて新たな政界編成を狙っている点である。
 そして今度ばかりは、単一民族としての日本民族の独自性をよく考慮して、彼等の民主主義(悪魔民主主義)を日本に徹底的に浸透させようとしているのである。
 その第一歩として行われたのが、米の開放であった。メーソンの戦略武器となるのは、情報操作とエネルギー、そして食糧である。
 情報とエネルギーを握られている現在、最後の砦である食糧を押えられてしまったら、将来、日本は彼等の意のままにならざるを得なくなるだろう。
 メーソンにとって、細川内閣の誕生は、それだけでも大きな効果を上げたといえよう(そして、先の世界大戦を日本の侵略戦争だと認める表現をした。メーソンが仕掛けた戦争であるのに。今、現在異常に危うい状態なのである。天と悪魔の戦争は、ミカエル大王様がいらっしゃる千乃裕子先生のところで悪魔の三極委員会が参加している企業団体である「関西電力株式会社」とのスカラー波戦争である。今、関西電力は電信柱を通してスカラー波を出して千乃裕子先生に攻撃しているのです。スカラー波は重力波であり、実際に西日本では重力が毎年落ちているのです。この戦争に勝たなければ、世界は3/4の虐殺が待っているのです!忍)。
 今後、日本の破局と経済は、益々混迷の度を増し、不安定化の一途を辿るだろう。その混迷の裏から巧妙に操る、それが世界各国にとってきたメーソンの手段だ。
 そして日本独自の動きに完全にストップをかけ、彼等の戦略路線へと組み入れていく(神の王国造りの戦略を止めるという意味で、悪魔王国造りの戦略を勧めると云う意味)。その為には、まず日本経済に揺さぶりをかけ、その源となる政界編成に大鉈を振るわなければならなかったのである。政変劇の裏側にメーソンの策動があった。日本にも、もう身近なところにメーソンの魔の手が伸びているのである−−。

●孝明天皇陛下の遺志(徳川家茂に下された勅書(元治元年正月二十一日付))
 ・・・惟に因循姑息、旧套(旧来のやり方)に從ひて改めず、海内(国内)疲弊の極(結果)、卒には戎慮(外国人)の術中に陥り、坐しながら膝を犬羊(西洋人)に屈し、殷鑑遠からず、印度の覆轍(二の舞)を踏まば、朕実に何を以てか先皇在天の神霊に謝せんや。若し幕府十年を限りて、朕が命に従ひ、膺懲の師(懲らしめの軍隊)を作さずんば、朕実に断然として神武天皇神功皇后の遺蹤(前例)に則り、公卿百官と、天下の牧伯(諸侯)を師(ひき)いて親征せんとす。卿等其(それ)斯(この)意を體して以て朕に報ぜんことを計れ。(時局を御軫念御述懐の勅書、『歴代詔勅全集』第4巻所収)
・・然りと雖も無謀な征夷は、実に朕が好む所に非ず。然る所以の策略を議して、以て朕に奏せよ。朕其(その)可否を論ずる詳悉、以て一定不抜の国是を定むべし。(中略)嗚呼、朕汝と興に誓て衰運を挽回し、上は先皇の霊に報じ、下は万民の急を救はんと欲す。若し怠惰にして、成功なくんば、殊に是朕と汝の罪なり。(徳川家茂に賜れる勅書、同)


●その時の幕府の態度
 明治維新とは、この孝明天皇の身命を擲った驚くべき御覚悟に打たれた将軍家茂が、雄藩各藩主が、各藩士が、そして志士が、幕府といふそれまでのパラダイム(旧枠)を乗り越えて、次々に天皇と直結していった、日本国の精神的再統合の全過程をば、指して謂う言葉なのである。
 文久2年(1862)12月、将軍家茂は書を天皇に奉り、二百数十年來の幕府専断の誤りを公式に謝罪し、越えて3年3月には、実に230年ぶりに上洛(入京)の上、君臣の名分を正して天皇に帰順した。又、これに先んずる文久二年十月から十二月にかけて、雄藩各藩主が(長州藩・土佐藩・筑前藩・因幡藩・宇和島藩・安芸藩・津軽藩・肥前藩・阿波藩・岡藩・肥後藩・備前藩・津和野藩)、天皇の内勅を奉じて続々京に至り、やはり天皇に忠誠を誓っている様を見るのは壮観である(『孝明天皇紀』)。いわば大政奉還の5年も前に、既に事実上の天皇政府が形成されつつあったのである(なおさら家茂・孝明天皇陛下暗殺は、事実かも知れない。其の後倒幕が盛んになったから。!忍)。


「日本一の大魔王」崇徳上皇の怨念  井沢元彦
 最近、たまたま四国讃岐(香川県板出市)の崇徳上皇の御陵に参拝する機会があった。
 上田秋成が「雨月物語」の一編「白峯」に、この地を登場させたことは、余りにも有名であるが、その頃とは違って御陵のあたりは明るく整備されている。しかし上皇の遺骸が永遠の眠りについている墓のあたりは、昼なお暗く今にも化性の者が住んでいるようだ。
 「白峯」は歴史上の事実である西行法師の白峯御陵参拝に、崇徳院(上皇)の怨霊が現われるという虚構を付け加えた本邦屈指の怪談である。
 崇徳院はどのような怨念を抱いていたか、そしてそれはなぜ当時の人々に恐れられたのか。
 実は、日本の明治維新は崇徳院の「承認」のもとに行なわれた。近代以前、崇徳院は日本最大の霊威を持つ怨霊として、700年の長きにわたって恐れ続けられていたのである(これを怨霊として考えて良いのか、それとも神が罪を問いているのかを考えた方がいいと思う。日本は神の国である。神の国であるから霊界の現象をはっきり出る場所である。要するに悪いことを行えば、悪い結果を表面に出させるのである。これは心に刻む必要がある。しかし、外国はそれほど表面に出ないと思う。何故なら神が存在しないからである。だから外国は悪魔崇拝者が増えるのである。それ故に弱い者虐めが増えるのである。それが共産主義である!忍)。
「ミカエル大王様のメッセージ
 わたしは主、あなた(日本人)の神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。」
 孝明天皇が亡くなり、明治天皇が践祚したのは慶応三年(1887)年一月のことである。しかし、明治天皇は正式な即位をする前に、勅使として大納言源通富を遠く四国讃岐にある崇徳院の白峯御陵に派遣した。そして、院の命日にあたる八月二十六日に、その墓前で宣命(勅語)を読み上げさせたのである。長文にわたるので極一部を意訳すると、次のようになる。

 (明治)天皇の御言葉を白峯に眠られている崇徳院の霊にお伝えします。そもそも、
 過ぎし保元年間に、いまいましきことあり(保元の乱)、貴方様がこの讃岐に配流さ
 れ御憤死されたことは、大変悲しいことでありました。ここにおいて、私(明治帝)
 は先帝(孝明帝)の御遺志を継いで、貴方様の為に、京の都に新しい宮(神社)を建
 立致しました。どうか長年の怨念をお捨てになって、この源通富が御先導致しますの
 で京へお帰り下さい。そして、この後は天皇と朝廷をお守り下さい。また、最近、皇
 軍に反旗をひるがえしている陸奥・出羽の賊徒(会津藩や奥羽列藩同盟に属する諸藩
 )の鎮定と天下安穏の実現の御助力を賜りますよう、お願い申し上げます。

(理解出来ない。孝明天皇陛下の遺志は、公武合体の政策であった。そして上で見た様に天皇中心に政治が出来るようになったから!忍).こうして崇徳院の霊が9月6日、700年ぶりに京へ帰る事になった。
 明治天皇の即位の礼は、なんとこの翌日慶応4年(1868)の八月二十七日に行われているのである。あらかじめ、この崇徳院の命日に宣命が読み上げられることと、その翌日に即位の礼が行なわれることは、予定されていたに違いない。「明治」と改元されたのはしかも崇徳院の霊が京都に帰還した翌々日の九月八日のことである。崇徳院の「承認」を経てから、正式な改元の儀式を行う事も決められていたのだろう。
「王政復古」(この言葉に騙されてしまった。これは革命である。なぜなら孝明天皇陛下が暗殺の可能性があるから。そして家茂にあたっても暗殺の可能性があるから。主君を殺して政治を取るならば革命というだろう!忍)を行なうにあたって、朝廷はこれだけの配慮を、崇徳院の霊に対して行っている。
 どうして、そこまでする必要があるのか。
 崇徳院は平安末期の人、第75代の天皇陛下である。この天皇陛下はわずか5歳であった。そして23歳の若さで、父鳥羽上皇から、弟でわずか三歳の体仁親王への譲位を強要された(理由無しの譲位の強要は革命を意味している!忍)。体仁は崇徳の異母弟で、鳥羽上皇は美福門院という女性の生んだ体仁親王が可愛いあまり(実は、崇徳上皇は白河上皇の皇子ではないかと噂されている。それが原因で鳥羽上皇に睨まれたのではないかと!忍)に、崇徳を天皇の位から無理矢理追い払ったのである。これが近衛天皇陛下となる。ところが近衛天皇陛下はわずか十七歳で若死してしまった。当然、崇徳院は自分が再び天皇の座に返り咲くか、悪くても長子の重仁親王が位に就く事になると思っていた。
 ところが美福門院が邪魔をした。近衛の死は崇徳院の呪詛によるものだと、讒言したのである。鳥羽上皇は怒り崇徳院の復権のチャンスは消えた(悪魔ダビデの謀略か!忍)。
 ここに至って崇徳院はついに叛乱を決意した。左大臣藤原頼長、源為朝らを配下にして政権奪取を試みたのである(この時、為朝の作戦を受け入れなくて、逆に襲われた!忍)。これが保元の乱である。だが企ては失敗に終わった。崇徳院は讃岐に配流される事になった。如何に叛乱を企てたとはいえ、上皇が流罪になるとは前代未聞のことである。奈良の昔平城上皇も同じ事をしたが、頭を丸めれば許してもらえたのである。
 崇徳院は望郷の念を抱きつつ、流罪地の讃岐で五部大乗経の写経をした。五部大乗経とは法華経、華厳経、大品般若経などの五つの極めて功徳のある経のことである。この経を院は京へ送り、寺へ納めようとした。
 ところが朝廷ではこれを拒否し、経を讃岐に送り返したのである。
 院は激怒した。
 そして指を喰い破って血を出し、其の血で経に誓文を書き付けた。

 「この経を魔道に廻向して、魔縁と成って遺恨を報ぜん」

 この五部大乗経の大功力を全部悪いことに使う、そして魔縁(魔王)となって恨みを晴らす、というのである。更に院は誓いを立てた。

 「日本国の大魔縁となり、皇を取って民となし、民を皇となさん」

 皇を取って民となす、とは革命の宣言である。天皇家を没落させ、天皇家以外の者をこの国の皇にするというのである(そうかな。崇徳院は強制的に廃位されたから、革命だとは思わない。そして、其の後政権に就いたのは一応皇族の血を流れている清和源氏であるから。まして、上で書いたけれど、清和源氏は、本当は陽成源氏であり、陽成天皇陛下も強制的に廃位されたから、其の恨みが神は認めて単なる天誅であるともいえるのである!忍)。
 これは、それまでの日本で、国の根本の規範として認識されていた「天壌無窮の国体」に真っ向から異を唱えるものである。「天壌無窮」とは、皇室の祖先神天照皇大神が孫の瓊瓊杵尊をこの国に天下りさせる際、述べた言葉の中にある文言で、

 「豊葦原の瑞穂の国は是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宝祚の盛えまさんこと、まさに
 天壌と窮りなかるべし」

というものである(この時に、稲穂を与えられたのである。意味は稲穂を中心に栄えるように云う事である。この井沢氏は書き入れていない!忍)。
 是の日本の、天皇家の根本規範というべきものに、一度は天皇の位に就いた者が正面切って呪いをかけたのである。
 この世に恨みを抱いて死んだ者といえば菅原道真や後醍醐天皇も思い浮かぶが、この人々は正面切って天皇家を呪ったわけではない。「天皇家を没落させる」と言い切ったのは崇徳院だけなのである。
 しかも、その呪いは奇しくも実現した。
 院の没後すぐに平家の政権が我が世の春を謳い、次に初めての本格的な武家政権である鎌倉幕府が成立した。そして、その幕府を倒そうとした後鳥羽上皇は、臣下であるはずの北条氏によって流罪にされた。崇徳院を流罪にしたのはあくまでも天皇家の意志である。しかし、後鳥羽院は初めて臣下の手によって流された。当に「民を皇となさん」の呪いが成就したのである。
 これ以後、何か悪いことが起こるとそれは崇徳院の怨霊の仕業だと、広く信じられた。
 「平家物語」と並んで近代以前に親しまれた「太平記」には、崇徳院が金色の鵄に変身し、大魔王会議の議長としてこの世を混乱に陥れようと画策する場面がでてくる。第二十七巻雲景未来記事の章である。金鵄となった崇徳院が後鳥羽院、後醍醐院たちと「天下を乱り候うべき評定にてある」のである。「太平記」講談の原型だから、文字の読めない人にも広く親しまれた。
 崇徳院が日本の第一の大魔王であることは、貴族階級から庶民に至るまでの常識だったのである(是れからは、藤原高子の怨念が付きまとうでしょう!忍)。
 

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