★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > 選挙1 > 603.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
「土井たか子の首をとれ」
http://www.asyura2.com/0311/senkyo1/msg/603.html
投稿者 NOユージ 日時 2003 年 11 月 15 日 12:37:49:Yi9aAI/v.7r2c

兵庫7区のひとこま 


関西の友人から兵庫7区の様子を少し聞いた。

土井対大前の選挙戦で、自民党は有本恵子さんの両親が地元在住だということもあって、この二人を前面に立てて、救う会の佐藤勝己等も西宮入りして大前支援集会をやるなど、拉致問題をテーマにした選挙を行ったことはメディアでも報道されているとおりだ。

しかし、最新号のアエラでは少し報道されていたが、熾烈を極めた土井たか子に対する様々なレベルでのネガティブキャンペーンはほとんど報道されていない。インターネット上でもふれる人がいないので、その一端だと思われるが、聞いたことをいくつか書いてみる。

まず、選挙ポスターに対する妨害がひどかったようだ。
公営掲示板の選挙ポスターはチャッカマンのようなもので、目と口を焼かれる。ポスターごと破られる。ポスターに有本恵子さんの写真を貼り付けるなどがあちこちで行われたという。

また、「土井たか子の首をとれ」という非常に露骨なキャンペーンも執拗に展開された。「首を取れ」というステッカーが貼られ、大前の選挙部隊とは別に「日本を救う会」という宣伝カーと大量の動員者による
キャンペーンが繰り広げられたという。

さらに、11月はじめから、秘書給与流用事件で全国3000人にアンケートしているという録音テープの電話が無作為にかかり、党首や社民党に責任があるかどうかを番号でプッシュして回答するように要請したという。ないと答えた人には、後から土井事務所を名乗って、「事件は誤解だ」、あると答えた人には大前後援会を名乗る人物から「苦戦しているので支援を」との電話がかかってきたという。

はるか昔、参議院選挙や地方議会の選挙をやった経験からすると、強力な裏選対が作られて、そのもとで今の時代状況をうまく生かして、土井候補の弱みを突く、極めて戦略的で重層的なネガティブキャンペーンが
強力に繰り広げられたという印象が強い。

例えば、選挙ポスターを破いたり、火を付けたりするのは生半可ではできない。

選挙ポスターにシールを貼り付けたという話を聞いて、かつて中選挙区の頃、自殺した新井将敬のポスターに、石原慎太郎陣営が「朝鮮に帰れ」というステッカーを貼った事件を思い出した。

「首を取れ」という合い言葉は、自民党の鴻池大臣の「市中引き回し」発言を思い起こさせる。また、「拉致問題」の焦点化のさせ方は、沖縄県知事選挙で太田昌秀に対する広告代理店を使った「県政不況」キャンペーンを彷彿とさせる。

そして、最後の電話を使ったスクリーニング(ふるい分け)は今、最も効果的なマーケティング手法として注目を浴びている電話とコンピュータを使ったやり方の応用だ。

その分野は私の専門なので、やり方はよくわかるのだが、音声自動応答のテープを流して回答を集め、スクリーニングして、さらにフォローの電話をかける。そこまでの大規模な展開はNTTなどの大手企業が開設しているコールセンターをレンタルで借りて行う以外にない。
それを借りるにはかなりのお金が必要だし、大手代理店や企業などのように、よほどの信用がないとそもそも、貸してくれない。

こうした戦略的なキャンペーンに対して、昔ながらの選挙戦術では歯が立たないのははっきりしている。

社民党の主体的な問題や左派の弱さについては、ここでは触れないが、
ナショナリズムや排外主義的な風潮が非常に強まる中で、自民・民主とは別の第3勢力の可能性が小選挙区で出てきて、それが自民・民主と競り合うような形になると(あり得ないかもしれないが、可能性として)、今回の兵庫7区のような包囲網が確実にしかれる。そこでは、自民や民主と同じ土俵に乗らず、それをどう打ち破っていくかが大変重要な課題になると思う。

http://6305.teacup.com/mappen/bbs

 次へ  前へ

選挙1掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. NEMO[-150] gm2CZIJsgm4 2025年9月21日 02:21:01 : g5bv38QxZc : Wmt1OXNOcm5DM1E=[9] 報告
<▽42行くらい>
やっぱり背乗りだったのかな?いずれにしても疑惑は深まったままだけど♪

あと社会党はGHQによってつくられた半分傀儡(※GHQの名の下に逸脱した行動も起こしていた為)

なので反米は形だけで実質は反日隠れ朝鮮工作員の機関(※GHQの残党はどこまで把握できていたかは不明)

>日本労働組合総評議会  支持政党 日本社会党

>第二次世界大戦の日本敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の保護と育成の下に再出発した日本の労働運動は経済・社会情勢を背景に急進的かつ政治的色彩の濃いもので、日本共産党も大きな影響力を及ぼしていた。しかし冷戦の勃発によりGHQが反共姿勢(いわゆる「逆コース」)を強めたことに伴い、1947年(昭和22年)の二・一ゼネスト中止、東宝争議への米軍出動など、日本共産党の影響力が強い産別会議や全労連などに集約されていた労働運動は行き詰まりをみせた。1948年(昭和23年)にはGHQの意向により政令201号が公布され、公務員の争議権が剥奪された。さらに1950年(昭和25年)にはレッドパージにより共産党員とシンパが大量解雇されるに至った。                                    1950年(昭和25年)7月11日、日本労働組合総評議会(総評)の結成大会が東京都港区の東交会館で行われた[3]。初代議長には炭労出身の武藤武雄、事務局長には都市交出身の島上善五郎が選出され、総同盟、国労、日教組、都労連、海員組合、私鉄総連など主要なナショナルセンターと単産(産業別単一労働組合の略[4])が参加した。総評結成にはGHQの強い意向が働いており、結成大会で日本共産党排除や国際自由労連への接近を内容とする大会宣言を採択し、産別会議・全労連とは一線を画する労働組合として出発した。                           こうしてGHQの援助の下に、反共的色彩の強いナショナルセンターとして出発した総評であったが、翌1951年3月10日の第二回大会で、講和をめぐって民同左右が対立し、行動綱領として再軍備反対・全面講和・中立堅持・軍事基地反対の平和四原則を決定し、国際自由労連に加盟する議案を否決するなどして、右派が後退し、早くも左傾・反米へと方向転換した。事務局長に高野実を選出した。吉田内閣が国家公安保障法(後に破防法として成立)、集会デモ取締法、ゼネスト禁止法、労働三法改正の成立を図ったことに対し、同1951年6月に「労働法規改悪反対闘争委員会」(労闘)を設置し、国会審議中の1952年には政治ゼネストを4波にわたって行った(労闘スト)。日本炭鉱労働組合連合会(炭労)と電力会社の単産である日本電気産業労働組合(電産)を筆頭に、加盟単産も戦闘的な労働争議を展開した。総評のこの変化を当時のマスコミは「ニワトリからアヒルへ」と呼んだ。一説に、これは総評の変化を当時のGHQ労働組合担当者が「チキン(臆病者)が役立たず(lame duck、レームダック)になった」と罵ったのを、通訳が理解できず「アヒルになった」と直訳したからという。

[18初期非表示理由]:担当:アラシ認定のため全部処理


  拍手はせず、拍手一覧を見る

★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。