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Re: クラウゼヴィッツの暗号文
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投稿者 なるほど 日時 2003 年 11 月 09 日 09:10:04:dfhdU2/i2Qkk2

(回答先: 虐殺の犠牲者、130万人か=集団墓地は260カ所−イラク 投稿者 アメリカが必死です、アメリカが必死です(爆 日時 2003 年 11 月 09 日 01:52:31)

クラウゼヴィッツの暗号文の部分転載です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101132348/qid=1067533784/sr=1-64/ref=sr_1_2_64/250-4567685-3701021

デマの創作と普及は、古くから情報屋にとって重要な作業である。ヒットラー
は『わが闘争』のなかにこう記している。−きわめて簡潔な考え方を何千回も
繰り返すことによって、覚えさせることができる。嘘さえこの方法で信じさせ
ることができるという。しかし、金門島の事件は、全くの嘘ではなかった。平
和論者が「武器は要らない」と主張した時、自ら出向いて行き、この平和論者
の頭を棍棒で殴りつけ、「どうだ、武器がないと危ないではないか」と説得す
るほどに真実である。こうして生み出された真実が世に広まるためには、「流
言蜚語の大原理」が適用される。その原理の第一は、問題が重大であればある
ほど広まりやすい、という。<中略>第二の原理は、不思議である。その問題を
伝える情報がアイマイであればあるほど広まりやすい、という。なぜアイマイ
なほど広がるのだろう。アイマイであることが人の想像力を刺激し、不安を高
め、隣人と語り合う結果を招く。そして、広く拡散する。この現実の鍵を『戦
争論』に戻してみよう。−決断は疑念が存在することを前提として下されるも
のである(P222)<中略>−敵の事情は分からない。−情報ほど不確実なものは
ない。−決断は疑念が存在することを前提にして下されるものである。−戦争
は本来不確実なものである。戦争では、行動の基礎となる条件の四分の三が不
確実なものである。これが情報に関するクラウゼヴィッツの言葉である。いず
れも情報の不確実性を指摘している(P242)。−戦争の危険を知らないうちは
、戦争の恐ろしさがわからず、むしろすばらしいもののように思う。−初めて
戦争の危険に直面した者は、その瞬間に判断能力を失う。−計画と実行のあい
だには、大きな差がある(P287)。

トルストイは『戦争と平和』を書くにあたって<中略>『戦争論』を熟読し、当
時の軍人が何を考えていたのか小説に映し出そうと考えた。やがて『戦争論』
のなかに、クラウゼヴィッツがボロジノの会戦当時を回顧している、次のよう
な興味深い箇所を発見したのである。−ナポレオンは一八一二年のモスクワ進
行によって、その大部分の戦力を失うという大失敗をしたが、この戦いは次の
ことを教えた。一、広大な領土を持つ国の征服は困難である。二、最後の勝利
を得る可能性は、必ずしも二、三の会戦に敗れ、首都やある地方を失ってもな
くなるものではない。敵の攻撃力の衰えに乗じて反撃に出れば、強大な戦力を
発揮して、最後の勝利を獲得できる<中略>トルストイはこの大原理を読んだと
き激怒していた。「二、三の会戦に敗れ、首都やある地方を失ったあと」に残
るものは、民衆の累々たる死骸の山であるからだ。そのようなあとに獲得され
る「最後の勝利」に何の意味があろう。トルストイの『イワンのばか』の中に
、次のように書いている。タラカン王は怒って兵隊どもに、国中を走り回って
村を荒らし、家や穀物を焼き、家畜を殺してしまえと命じた。兵隊どもは、王
の命令どおりにやりはじめた。が、ばかたちはただただ泣くばかりで、だれも
自分を守ろうとするものはいない。老人たちも、老婆たちも、小さい子供たち
も、だれも彼もみな泣くだけだった。「なんのために」と彼らは言うのだった
。「おまえさんがたはわしらをいじめるのかね?なんのために、わしらのもの
を無駄にしてしまうんだね?もしおまえさんに入り用だというなら、みんな持
って行って使ったらええだに」トルストイは、『戦争と平和』の主題を借り、
主人公アンドレイ公爵の口を借りて、この民衆「イワンのばか」たちが虐殺史
のなかで常に味わう苦い感情を、代弁しないではいられなかった。腹のなかが
煮えくり返る思いで筆を執っていた(P296)。

クラウゼヴィッツは<中略>軍人である。その個人的な復讐を正当化するため、
「流血をいとう者は、これをいとわない者によって必ず征服される」と、多く
の若者に力の思想を植付け、戦争に駆出そうとした。「戦争とは他の手段をも
ってする政治の継続である」と、戦争が正当な、当然の活動であることを印象
づけようと努めた。「博愛主義の介入する余地などない」と決めつけ、ひたす
ら軍国主義を説いた男、それがクラウゼヴィッツの正体である<中略>『戦争論
』は戦争の性質を解き明かした万人普遍の理論ではなく、どのように戦争を正
当化し、挑発するか、という目的で書かれた個人的演説だったのである。「人
はなぜ戦争をするのか・・・」という問いに対して、クラウゼヴィッツは戦争の
「目的」を書こうと骨を折った。戦争を鼓舞するための作業である。この「戦
争目的」が確定されたあと、「兵器」「戦略」「人心」「情報」へと、論理の
筆を運んだのである。この演説の目的地は−勝つこと、である(P308)。

第二次大戦後の世界史は、クラウゼヴィッツの言葉通りに動いてきたのではな
かっただろうか<中略>戦争が絶え間なく続いてきた虐殺史はクラウゼヴィッツ
の予言通りである−兵器が際限なく強力になってきたのも<中略>情報が不確実
なことも<中略>どれもこれも『戦争論』の言葉が的確であることを実証してき
たのではないだろうか<中略>いや、違うのである<中略>『戦争論』が真理なの
ではなく、そこに書かれた主張通りに政治家と軍人が行動することによって、
地球がくまなく虐殺の血でおおわれたのではないか?<中略>彼ら政治家と軍人
はクラウゼヴィッツの亡霊である<中略>クラウゼヴィッツ人には一つの特徴が
ある。それは「敵」を創作する気質である<中略>『戦争論』に書かれたすべて
、「敵」を創出することによってはじめて成り立っている(P309)

クラウゼヴィッツの『戦争論』に関する書物が山のように出版されはじめたの
も、今日この頃の出版界の動きである。われわれのまったく気づかないうちに
、こうして着実に亡霊の数が増え、全世界を取り囲んできた。それは、どこの
国にもいる<中略>クラウゼヴィッツ人を判別する方法があるのだ。『戦火を交
えているどちらか一方を非難することによって、自己の軍事的行動を弁護する
説』は、すべて「敵」を創作するための軍事煽動である。この説を語る者が近
づいて来れば、それがクラウゼヴィッツ人である(P320)。

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