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ぷち熟女のヴィジョン
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投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 4 月 10 日 03:15:47:WgkZZjZT3HifU
 

(回答先: 愛はすべて「自己愛」である。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 01 日 20:14:45)

あっしら様、

ようやく本論へのレスが出来ます。

今回はあたくしのバージョンを提示しますね。
別の機会に、あっしら様の本論への他の細かいコメントを書きます。

*

自分にとって伝えやすい手法ということで、便宜上、
抽象的な説明とイメージの描写を並行して書いてみようと思います。
感じるままを綴る部分が大きくなるので、
それによって多少『昼休み板』的色合いのきついものになることはご容赦下さい。
あらかじめ他のみなさまに申し上げますが、あたくしは一応、不可知論者である旨を日頃公言している者です。
書いてみたら、まるで仏教徒にしか見えなかったりしますね。
まあ母方が仏教徒、という日本人ですから仕方ないのかも知れません。

*

あたくしにとっては愛は概念的なものであるかも知れませんが、それは高尚なものでも何でもありません。
そこに在るがままに在るだけの『何か』です。
厳密に言えば、そこに在ると言うよりは、我々一人一人がその中に在り、
我々には全貌を見渡すことはおろか、それが何なのかも分かりません。

その本質を感じようとしてみると、自分が実体としての身体を失い、
意識だけになったように感じながら音も時間もないところに漂っており、
自身の上下左右と言わず、気の遠くなるような無限大の闇が広がっているような感覚に襲われます。
闇は、しかし完全な闇ではなく、
それぞれがある色彩の輝きを持った不定形の小片のような浮遊物に満ちているのが見えます。
それを見渡したところは、玉虫色の螺鈿が塵芥となって浮かんだ漆黒の闇みたいなんですね。
無限に広がる万華鏡の内部のような世界です。
それは『宇宙』の一つのヴィジョンに過ぎないようにも思えるし、
『無の静寂』のヴィジョンかも知れません。ゼロの概念のような完全な無というより、有機的な無かな。
自分はその中に独り、ただ何も解らずに漂っているだけです。

自分の意識は透き通っており、自分の外にあると思っているその塵の浮かんだ闇と
実は互いに透過し合っているかのようです。
我々のそれぞれは、その闇の中で自分に認知出来るある部分を裡に抱いて生まれるようです。
持って生まれた以上のものを取り込もうとすることは出来ます。
しかし、一生のうちに自分の中に取り込めない分は、理解出来ないままで終わります。
一人一人の抱いたものもまた、異なっています。
その、一人一人に抱かれたものが、あっしら様のおっしゃる『自己愛』に相当し、
それが闇に漂う一つ一つの塵の色となって出ているかも知れません。

その自己愛を、あっしら様は自分にとって好ましいこと、快いこと、自分を満たすこと、
と説明なさったようだと認識しています。
あたくしにとっても似たようなものだとは思うのですが、
それらの『好ましいこと』etc.の基底には多分、
それぞれが『自分を守るもの・こと』に繋がっている、という共通項があるんだろうと思います。
突き詰めると生命保存欲に収斂されていくということなのかも知れません。
自己愛が高尚なものでなく、むしろエゴに満ちたものである所以ですね。
ですから、その点(高尚なものなどではない)についてはあっしら様に同意出来ます。

上述の内容でお分かりいただけると思いますが、個人個人の自己愛は愛の微細な一部であり、
概念的な愛とは、生きとし生けるものの自己愛すべてをコロイドのように含んで
無限大のガス体のように広がり漂うものだ、といった様相を『観る』思いでいます。
(そこが、愛イコール自己愛、と切ってしまわれるあっしら様の本論と最も大きく違うところです。)
生命保存欲、死生観、エゴなどの集合体ですから
よこしまなものも残酷なものも含む一切合財を全て呑み込んだ静寂ですね。
雑談板でお話した『大悲のような何か』とも繋がるのかも知れません。
音は聴こえませんが、そこにも、ある残響の振動を感じます。

闇に漂泊し続け、そんなところにそのまま永遠に身を置くのだ、という思いを味わい続けると、
やがて激しい孤独と、身体はないんですけど全身の力が抜け切って崩れ去るような感じを持ち、
はらはらと涙が止めどなく流れるかという気分になります。
(あたくしのヴィジョンに共感を憶えておられようがおられまいが、
こういったシチュエーションを思い浮かべてみてそういう気分にならない方は、
きっとそれをまだリアルにイメージお出来にならないだけなんだと思います。)

意識の手を伸ばしても何にも触れることが出来ず、足を伸ばしても地面はありません。恐ろしい不安があります。
その終りがないかというような孤独を感じながらも、
意識の手を出来る限り伸ばして、自分と繋がってくれる存在を求めたくなります。

やがて、その自分の意識の手をつかまえる他者に出遭いますが、
その存在も多分、この闇の、自分が抱いているのとはまた違った部分を抱いて生まれ、
取り込み続けてきたのでしょう。
・・・

つまり、もともと相互のコミュニケーションへの希求なしには
他者とは繋がれないようになっている、というヴィジョンなんですね。
ここが重要だから、あっしら様のこのスレでのある時点までのご投稿の中で
『自己完結』に終わっているように見えていた部分が引っ掛かっていたわけです。

*

今回はこういう風にしか書けませんでしたが、もっと詰めなさいとおっしゃる向きは、
理屈で問いを発していただければ、それに答えていく、という形でお応えすることは出来ると思います。

ここまで書くだけで結構疲れましたので、今夜はこれにて失礼。

ではまた、ごきげんよう。

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