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日本人は文章を読むだけで外人より2倍頭を使っている - アメリカでは外国語映画がなぜヒットないのか(株式日記と経済展望)
http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/643.html
投稿者 まさちゃん 日時 2004 年 3 月 15 日 11:30:36:Sn9PPGX/.xYlo
 

日本人は文章を読むだけで外人より2倍頭を使っている --- アメリカでは外国語映画がなぜヒットないのか
2004年3月14日 日曜日


友達のお父さんが脳溢血で倒れた。見舞いに行って、運動性の失語症だから治っても漢字は読めるけど仮名はダメだろう、と話しておいた。しばらくしてその友達から本当にそうなったといってきた。元気になってから雪囲いを作るときに材木に書いてある「西」「東」とかいうのをいとも簡単に理解して組み立てたというのだ。失語症の人には表音文字であるカナより、表意文字である漢字の方が遥かに読みやすいのである。

 アメリカやイギリスの子に失読症(dyslexia)が多いのは表意文字でなく(表意的なのはlocomotiveだけといわれる)、表音文字を使っているからである。更に、スペリングの複雑さがある。日本の子供は「あいうえお」を覚えればどんな絵本だって読めるが、英米の子供にはできない。pneumoniaとかpsychologyとかwreathとかubiquitousとかという言葉を初めて聞いたときに意味を調べようと思っても辞書で調べることもできない。日本の子どもは「はいえん」とか「しんりがく」「リース」「ユビキタス」でその意味を調べることができるし、暗記する時も「“指切った・す”ぐに治療してくれる病院は“どこにでもある”」などと簡単に覚えることができる。

 アメリカでは字幕入りの映画というのは受け入れられない。早い話、英語圏以外の映画がヒットすることは稀である。外国でヒットした映画はそのため、リメイクされることが多い。例えば、『赤ちゃんに乾杯』というフランス映画がヒットすると、そのまま『スリーメン&ベビー』としてリメイクされる。黒澤明の『用心棒』はイタリアで作られた『荒野の用心棒』の方は盗作として有名だが、『ラストマン・スタンディング』が最近ではリメイクとして有名だ。

 『ダンス・ウィズ・ウルブズ』が作られた時も、ネイティブ・アメリカンの言葉が出てきて字幕を付けざるを得なかったのでヒットしないといわれた。今のところ、字幕入りでヒットした唯一の映画といってよい。つまり、字幕があると英語だと読み切れないのである。日本語は漢字があるから大体のことはすぐにつかめる。

 戦後、敗戦の理由を軍国主義ではなくて日本語やその文字に求めた人が多かった。

 日本語を英語やフランス語にしてしまえ、という乱暴な議論もあったし、文字を平仮名だけとか、ローマ字にしてしまえ、という議論もあった。冷静になれば、ローマ字を使っていたイタリアもドイツも軍国主義に走ったのだからおかしいと分かるはずなのだが、混乱期にはそうはいかなかった。国家としてのアイデンティティが問われると言葉のアイデンティティも問われるようになる。

  Shikashi, chotto kangaete mireba wakaruga ro-majidakeno bunshoutoiunoha jituni yominikuinodearu.

 にほんごがひらがなだけになっていてもひじょうによみにくくてしそうというものをになうことはできない。谷崎潤一郎は『盲目物語』をひらがなでかいているが、馴れるまで苦労する。

 米原万里も日本語の表記が煩わしいと思っていた一人だった。ところが、同時通訳の中でサイトラ、つまり“sight translation”(黙読通訳)をするようになって、この考えがコペルニクス的転回をとげたという。サイトラというのは、スピーカーの原稿の事前に入手して、目は文章を追い、耳はスピーカーの発言を確認しながら訳出していくものである。日本語からロシア語とロシア語から日本語と、後者の方が日本人には楽なはずなのだが、前者の方が楽なのに、気づいてきたという。アウトプットの問題ではなく、インプットのプロセスに謎があるのだという。つまり、複雑な表記の日本語の方がはるかに内容をつかみやすいということである。漢字のみの中国語よりも、意味の中心を表すのが漢字で、意味と意味の関係を表すのが仮名の日本語の方が一瞬にして、文章全体を目で捉えることが可能だという。いろいろためにしてみて時間を計りながら読み比べてみたという。

《 そして、活字にして断言できるほどの自信満々な確信を持つにいたった。黙読する限り、日本語の方が圧倒的に速く読める。わたしの場合平均六、七倍強の速さで、わたしの母語が日本語であることを差し引いても、これは大変な差だ。子どもの頃から文字習得に費やした時間とエネルギーが、こんな形で報われているとは。世の中の帳尻って、不思議と合うようになっているんですね。
     -----米原万里『ガセネッタ&シモネッタ』(文藝春秋)》

(中略) 養老猛司によれば日本語が世界の言語と違うのは、脳の2カ所を使わないと読めないという。一般に世界の人が文字を読むのに使っている脳の部分は「角回」と呼ばれる場所1カ所だけだが、日本人は「角回」では仮名を読み、漢字は別の場所で読むらしい。これは漢字の読みがたいてい1種類ではないという日本語の特徴による。つまり、日本人は文章を読むだけで外国人より2倍頭を使っていることになる。

 日本語は複雑な文字体系をもっているが、実際には脳にあまり負担がかからない。ただ、外国語会話のような場合には負担がかかってしまって、外国語嫌いが増えるのだと考えられる。レヴィ=ストロースは『悲しき熱帯』で次のように書いているが、日本には当てはまらなかった。文字を中心とした教育が進んでいたからだ。

《 結局のところ、数千年のあいだ、そして今日でさえ世界のかなりの部分で、文字というものは社会における制度として、その社会の圧倒的多数の成員がその取り扱いを知らない制度として存在して来ている。》

西洋では書き言葉(エクリチュール)は話し言葉(パロール)に従属すると考えられている。表音文字であるアルファベットはパロールを、音を分解してしまう。そんな道具に意味をもたせることはない。

 日本は全く逆で文字から入る。「剛」という人がゴウであろうと、タケシであろうと、ツヨシであろうと関係がない。本人すら違って呼ばれても異議を唱えることは少ない。そして、漢字が書けない人はどんなに弁舌巧みであっても教養を疑われる。「目に一丁字(いっていじ)も識らず」(『唐書』張弘靖伝)というのは一つも字を知らない人から無教養の人をいう〔「丁」は「个(か)」を誤ったものという〕。

(中略) 蔡倫が紙を発明したおかげで漢字文明圏がより強固なものとなった。13世紀に元を旅行し、『東方見聞録』を書いたマルコ・ポーロはそこで紙幣が流通しているのを見て皇帝フビライ・ハーンを「錬金術師」と評した。ヨーロッパにまだ紙幣はなく、人工的に金をつくろうとする錬金術が盛んだったからだ。中国4大発明のうちの紙と活版印刷の2つを使って作られた紙幣は、ポーロの目には魔法に見えたようだが、その裏に皇帝の強力な権威があるのも見抜いた。ニセ札作りは斬殺刑に処すと印刷してあったからだ。

 こうして中国を中心とする漢字文化圏では科挙をはじめ、ペーパーテストが横行し。一方、紙がなかった西洋では口頭試問が一般的に長く続いた。

 プラトンも『パイドロス』(275A、B)で文字を批判した。「記憶と知恵の秘訣」を発見したと自慢する、文字の発明者テウトに対して王様の神タモスは次のように言う。

《 たぐいなき技術の主テウトよ、技術上の事柄を生み出す力を持った人と、生み出された技術がそれを使う人にどのような害をあたえ、どのような益をもたらすかを判断する力をもった人とは別の者なのだ。いまもあなたは、文字の生みの親として、愛情にほだされて、文字が実際にもっている効能と正反対のことを言われた。なぜなら、人々がこの文字というものを学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人達の魂の中には、忘れっぽい性質が植え付けられることだろうから。それはほかでもない、彼らは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになるからである。じじつ、あなたが発明したのは、記憶の秘訣ではなく、想起の秘訣なのだ。また他方、あなたがこれを学ぶ人たちに与える知恵というのは、知恵の外見であって、真実の知恵ではない。すなわち、彼らは、親しく教えを受けなくとも物知りになるため、多くの場合、本当は何も知らないでいながら、見かけだけは非常な博識家であると思われるようになるだろうし、また知者となる代わりに知者であるという自惚れだけが発達するため、付き合いにくい人間になるだろう。》

 そして、プラトンは「書かれた言葉とは、ものを知っている人が語る、生命をもち、魂をもった言葉の影に過ぎない」と語る。 藤縄謙三『ホメロスの世界』(新潮選書)には次のように書いてあった。文字によって人間は身体性を失ってしまったのである。

《 言葉の音声には強弱や遅速や色調があり、きわめて多彩な表現性を持っている。文字というものは、これらの微妙な要素を捨て去って、無味乾燥な骨だけにしたものである。文学とは文字で書かれたものだと考えるようになって以後、人間は言霊への感覚をむしろ大きく害されてしまったのである。》

 口頭試問を重んじる西洋と筆記を重んじる漢字文化圏では大きな違いが生まれてきた。ハーバード大学のロースクールを描いた映画に『ペーパーチェイス』というのがあるが、法科学生は教授にいつも厳しい質問を受けて学んでいく。その仕上げにペーパーテストが行われるのだ。英語の「オーディション」auditionというのも「聴く」が語源となっているし、演劇も観るものではなく聴くものであった(「観客」audienceも「聴く」から)。日本人のものの考え方は視覚的だということである。

 イギリス議会の伝統に学んだのだろうが、日本の国会では文章の棒読みは1890年の国会開設以来禁止されている。「会議においては、朗読することはできない」と衆参両院規則にあるのだ。草稿なしに演説するためには、論点をしっかり頭に叩きこんでおかなければならないから、言葉の重みが違ってくる(若宮啓文『忘れられない国会論戦』中公新書)。福沢諭吉はスピーチを「演説」に換え、ディベートを「討論」と訳した。『学問のすゝめ』では「演説」を「大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思うところを人に伝うるの法なり」といい、「第一に説を述ぶるの法あらざれば、議院もその用をなさざるべし」と解説している。(後略)


文字と日本人より

(私のコメント)
テレビを見ているとインタビューなどで、ちゃんと音声が流れているにもかかわらず、下に同じ事を文字にしたテロップが流れていることが多くあります。べつに聴力障害者のために文字を表示しているのではなく、言葉で聞いて理解するよりも、文字で見たほうが分かりやすいのだろう。日本語の場合には漢字の形を目で見て図形的に理解できるからと思う。

外国語の映画の場合に、ほとんどの国では吹き替えで観賞するようですが、日本では字幕を見ながら観賞している場合がほとんどで、映画館などで吹き替えでやっているのは子供向けの映画ぐらいだ。吹き替えだとどうしても不自然さが出てしまい、映画が台無しになってしまう。

アメリカで外国語映画が流行らないのも、英語の字幕では映画のスピードに字幕を読み取るスピードがついて行かないのだ。私は英語がほとんど出来ませんが、たった26文字の表音記号の組み合わせを読み取って、言葉にして理解していかなければならないのですから、映画の字幕を読むのに時間がかかるのは当然なのだろう。

ところが日本語の場合は、ところどころの漢字を見た感じだけで大体の内容が理解できる。バイリンガルの米原万理さんの指摘では黙読だと7,8倍の速さで日本語のの方が早く読めるということです。もちろんどちらを母国語として教育を受けたかとか、個人差もあるのでしょうが、文字を読み取る仕組みが発音記号の組み合わせなのか、絵画的に見るだけということの差が出るはずだ。

演劇の場合でも日本と欧米とでは鑑賞の仕方にも決定的な差があるようで、日本の場合は演劇を見るものとしての要素が強いですが、欧米の場合は観るものと言うより聴くことの要素が強いようだ。同じ語学でも日本語の場合は文字を書いて見て覚えるものであるのに対して、英語の語学学習は圧倒的に聞いて覚える学問だ。

日本の語学教育における一番の欠点は、この日本語と英語の根本的な差を理解せずに、国語を教えるような方法で英語を教えているということだ。日本人の英語の教師ではどうしても文法やスペルなどが中心の英語教育になってしまいますが、本場の英国やアメリカでは徹底的に発音から教え始める。

英語などのアルファベットを使った表音文字の国では、発音が違ってしまうと意味が通じません。だから英語教育に発音がでたらめな日本人教師を使うこと事態が間違っている。ところが欧米人が日本語をマスターしようとして、欧米流に発音から理解しようとするから日本語がよけいに難しく感じているようだ。発音からすると日本語の標準語と方言とでは発音が異なりますが文字で表せば内容は変わらない。同じ表意文字の中国語も同じだ。

日本語はひらがな部分を論理的な左脳で読み、漢字部分を図形を理解する右脳で読んでいるようだ。だから脳梗塞などで左脳が麻痺しても漢字の意味が分かったりする。つまり欧米語などは一つのCPUで言葉を理解するのに対し、日本語は二つのCPUで理解するから黙読は数倍早いスピードで理解することが出来る。

日本の狂った文部省官僚は英語を小学生から必修科目にしようとしている。日本語という複雑で高度な言葉をおざなりにして、英語を教えたところで学力の低下を招くだけだ。つまり日本の文部官僚は日本の弱体化政策のために英語を利用しようとしているとしか思えない。

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コメント
 
1. 2018年6月01日 23:09:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14650]
テスト

[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理
2. 中川隆[-12689] koaQ7Jey 2018年6月01日 23:16:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14653]

実はとてつもなく古かった日本語 2018 05.01
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3756.html#more

日本語は、もしかすると世界最古の言語であり、しかも世界で最も美しい言語かもしれません。


かつて谷村新司がロンドン交響楽団をバックにレコーディングをしたことがあります。
そのとき日本語の素晴らしさを再認識し、日本語を大切に歌っていくことを信念にしたそうです。

ディズニー・アニメの『アナと雪の女王』は、世界的ヒットとなったアニメ映画ですが、そのなかの挿入歌の『レット・イット・ゴー、ありのままで』は、世界25ヶ国語に翻訳され、それぞれの国の歌手が歌ったものが youtube で公開されました。

このとき、世界中の人たちが驚き、そして圧倒的な人気をはくしたのが日本語バージョンです。


『アナと雪の女王』/2014年3月14日(金)公開
公式サイト:http://www.disney.co.jp/movies/anayuki

ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン 配給 (C)Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

Let It Go - Behind The Mic Multi-Language Version (from Frozen) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BS0T8Cd4UhA


松たか子ver(日本語吹替版)「Let It Go」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=4DErKwi9HqM

それは、歌った松たか子さんの声の素晴らしさももちろんあるでしょうが、日本語による発声が、メロディに+αの効果をもたらしたのかもしれません。

どこの国でも、それぞれにお国自慢があります。
ここで日本語が世界一だと述べるつもりは毛頭ありません。
ただ、ひとついえることは、どうやら日本語には、他の言語にはない、不思議なところがあるということです。

ひとつは言霊(ことだま)です。
言葉に魂が宿る。

ではどうして言葉に魂が宿るのかというと、日本語が実はもともとそのように構造された言葉だからなのだそうです。

構造とは、日本語の文法や発音や語彙のことです。

つまり、自然との共生を大切に育くむこと、自然を征服したり、人と自然とどちらが上かのような上下構造をもとうとするものではない文化の下で、人と自然とが対等な関係を育んで来たのです。

2つ目はオノマトペ(仏:onomatopee)です。
オノマトペというのは擬声語を意味するフランス語です。

擬声語は、たとえば

わんわん、メーメー、ブーブー、ニャーオ、ホウホウといった動物の鳴き声を真似たものや、

ドキドキ、パチパチ、バキューン、チリーン、ドカン、カリカリ、バタン、ガタピシ、ガタンゴトン、パチバチ、ビリビリ、ジュージュー、グワァ〜ン、パタパタ、ボキポキなどなど、音を真似たもの、

あるいは、おずおず、おどおど、めろめろ、ふらふら、きゅんきゅん、きらきら、ぴかぴか、ぐずぐず、ツルツル、サラサラのように、本来音を発しない感情などを言葉で表現するものなどのことです。

おもしろいことに、擬声語(オノマトペ)は、言語ごとに、表現がまったく異なります。

冒頭にあるのは、その違いを示した絵本の抜粋で、クリックしていただくと当該ページに飛びますが、たとえば食事をするときは、日本では「PAKU PAKU」ですが、英語では「CHOMP」、フランス語では「MIAM」、イタリア語では「GNAMグナム」、Korea語では「NYAM」です。

キスは日本語では「CHU」ですが、英語では「MWAH」、China語では「BOH」です。
つまり言語によって擬声語(オノマトペ)は、まったく異なります。
ということは、それぞれの言語圏においては、音がそのように聞こえているということです。

そして日本語の擬声語(オノマトペ)は、China語やKorea語ともまったく異なるものです。

ということは、日本語はChinaやKorea半島からの輸入語では絶対に「ない」ということです。

それだけではありません。

日本語は、この擬声語(オノマトペ)が、他の国の言語と比べて著(いちじる)しく多いのです。
その数、なんと5千語です。

日本語の単語数は、たとえば『日本国語大辞典』の収録単語数が50万語です。
このことは、日本語の1%、およそ100語にひとつが擬声語(オノマトペ)であるということです。

そして単語の中には、日常生活でよく使われるものと、そうでない(たとえば学術用語)ものがあります。

オノマトペは日常的によく使われる語です。
早い話、今朝起きたとき、ご家族に「ぐっすり寝れた?」と聞く。
その「ぐっすり」というのがオノマトペです。

しかし睡眠は「ぐっすり」などという音は立てません。
ではなぜ「ぐっすり」というのかというと、「ぐうぐう、すやすや」寝ているからです。
その「ぐうぐう+すやすや」が短縮されて「ぐっすり」です。

「ぐうぐう」も「すやすや」も、なんとなく、そのような音を立てているといわれれば、なんとなくそうかもしれないと思われるかもしれません。
では、

 風が「そよそよ」と吹く
 太陽が「かんかん」に照る
 白い雲が「ぽっかり」浮かぶ
 星が「きらきら」光る

などはどうでしょうか。

風は「そよそよ」などという音をたてないし、太陽は「かんかん」なんてしゃべったりしません。

ではなぜこのようなオノマトペが使われているのでしょうか。

実は、自然がそのような音を立てているのではなくて、受け止める側が自然が発する音をそのように聞いているのです。

このことについて考古学者の小林達雄先生は、「人々が、人と人との間で行うコミュニケーションのための言語活動と同じか、あるいはそれに近いレベルで自然と向き合い、自然との間で活発な言語活動を行ってきた結果」(『縄文文化が日本人の未来を拓く』p.134)と述べておいでです。

つまり、日本語は「自然と対話しながら発達してきた言語」なのです。

だから欧米人にはただの雑音にしか聞こえないカエルの鳴き声や虫の声も、日本人には美しい秋の音色となって聞こえる。なぜ美しいのかといえば、それは人がカエルや虫たちとコミュニケーションしているからです。

では日本語は、いつ頃の時代から形成されはじめたのでしょうか。
言語の発達には、ムラの形成が欠かせません。
なぜならムラを営むには、言語が必要だからです。
そしてそれは磨製石器の登場と時期を同じにするというのが世界の考古学会の定説です。

世界の磨製石器は、おおむね7千年前以降のものです。
中には2〜3万年前のものもあります。

 シベリアの2万年前のもの
 ロシア南西部の紀元前1万6000年前のもの。
 オーストリア中部の2万9000年〜2万1500年前のもの。

など、ほんの数例です。

ところがこれらは、異常に早過ぎる磨製石器であって、作成経緯等はすべて不明です。
そして、その後に起こるおよそ7千年前の磨製石器の時代(新石器時代)と接続していないのです。

ところが日本の磨製石器は、3万年前の磨製石器だけが単独であるのではなくて、昭和48年に東京・練馬区石神井川流域の栗原遺跡で2万7000年前の地層から磨製石斧が発掘され、また同じときに千葉県三里塚からも磨製石斧が出土、以後、秋田から奄美群島まで、全国135箇所から400点余の磨製石器が発掘されています。

そして1万7千年前には縄文時代が始まるのですが、なんとものの見事に、その縄文時代の文化へと、磨製石器の時代が接続しているのです。

ちなみに長野県日向林遺跡から出土した60点、長野県の貫ノ木(かんのき)遺跡から出土の55点の磨製石器に用いられている石は、伊豆の神津島から運ばれてきた石です。

つまり当時の日本人は航海術に長け海洋さえも自在に往来していたことも伺わせています。

こうしたことから、英国のJ・ラボックという考古学者は、

「日本列島の住民は世界に先駆けること二万数千〜三万年前に新石器時代を迎えていた。」

と述べています。

言い方を変えると、これはつまり、日本は世界最古の文明を持っていたことが証明されている国である、ということです。

そして磨製石器の登場と言語の登場、そしてムラを営むための神話の登場が重なるものであるならば、日本語は、およそ3万年前には生まれ、そこから現代に至るまで、ずっと続いている世界的にも稀有な言語である、ということになります。
そしてそれが可能になったのは、日本人が殺し合いや、自然への征服を好まず、人と人、人と自然が常に調和することを好む民族であったからです。

というより、調和を好むという日本人の性質は、最低でも3万年という途方もない長期間のなかで、最終的に生き残ってきた性質である、ということができます。

おもしろいもので身勝手な文化、自分さえ良ければという文化は、一時的な成功を手に入れることができても、必ず最後に崩壊し、再起不能になります。
ところが調和を大切にする文化は、一時的にどん底に落とされても、必ずまた再生し復活します。

植物には一年草と多年草があります。

最近は品種の改良によって、どちらも美しい花を咲かせますが、もともとは一年草の多くは、だいたい派手な花を咲かせるのに対し、多年草の花は、わりと地味な花が多いです。
地味だけれど、ずっと咲き続けます。
まるで日本人そのもののようです。

日本人は、はっきりとわかっているだけでもおよそ3万年、ずっと自然と調和し共生する道を選んできました。

だから日本語には擬声語(オノマトペ)が圧倒的に多いのです。

コメント


新宿の縄文人は、どんな言葉を話していたか?

東京の新宿のど真ん中、皇居の御堀端から2q程の地点から、縄文時代中期や後期(5千年前〜4千年前)の人骨が多数出土した事がありました。

江戸時代の遺跡を調査すると、その下から縄文時代や弥生時代の古い遺跡が続いて出土する事がありますが、その場合、江戸時代以降の大開発等によって、無残に破壊されていてる場合が多いそうです。

僅かな貝殻の堆積が確認されたとはいえ、分厚い貝層が存在しない内陸の地域から、多数の人骨がまとまって出土すること自体が非常に珍しく、当時現場は大変な興奮に包まれたそうです。

当時、保存状態の良かった、40代ぐらいの男性の顔が復元されました。

やや長めの顔に、上下に潰れた長方形の眼窩、彫りの深い目元の頭蓋骨は、ヨーロッパ人の様な風貌、あるいは、若い頃の宇梶剛士さんに似たイケメン風に仕上がりました。

彼のミトコンドリアDNAのハプロタイプは北方系と言われるA、一方彼の近くに葬られていた別の人骨は、南方系と目されるM7aだったそうです。

様々な地域をルーツに持つ縄文人たちが、新宿の地で仲良く暮らしていたのですから興味深いです。

日本語が「どのように成立したか分からない」と言われる所以は、様々なルーツを持つ人々の言葉が、極めて長い時間をかけて、ゴチャゴチャに混じり合った結果ではないかと思います。
2018/05/14(月) 11:38 | URL | 疑問 #iydQorAY[ 編集]

外国人に日本語で話しかける時にこの擬声語は使わない方が良いそうです。

擬声語に相当する外国語がないので、彼らにはさっぱり分からないようです。

また、行けなくも無いなどの二重否定もダメ。

日本人なら、何とかすれば行けると理解できますが、外国人は
理解できないようです。

外国人にとって日本語は本当に難解のようですが、
この言語を意識せず使いこなしている
我々は本当、凄いのかもしれませんね。
2018/05/14(月) 13:40 | URL | 名無し #mQop/nM.


新宿に生きた縄文人〜市谷加賀町二丁目遺跡の発掘

新宿に生きた縄文人〜市谷加賀町二丁目遺跡の発掘
http://www.city.shinjuku.lg.jp/video/video_jm01.html
https://www.youtube.com/watch?time_continue=607&v=P7VUMR0Mvzo

これですね。
2018/05/14(月) 14:31 | URL | KI


加賀町二丁目遺跡の関連本が出版されています。>KIさん

KIさんへ

動画等のご紹介ありがとうございます。

加賀町二丁目遺跡に関しては、講談社から関連書籍も出版されています。

『おどろきの東京縄文人』(瀧井宏臣著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%8A%E3%81%A9%E3%82%8D%E3%81%8D%E3%81%AE%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA-%E4%B8%96%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%89-%E7%80%A7%E4%BA%95-%E5%AE%8F%E8%87%A3/dp/4062870029

という本です。

この本は、考古学少年から考古学おじさん・おばさんまで、幅広い層の人々が興味深く読める内容になっていると思います。

映像で見るのと、写真で見るのとでは、復元された縄文人の顔の印象は少々異なりますね。

映像の方はバックが暗めで、陰影が強調されていますが、写真の方は細部まで鮮明に写っていますので、少し印象が違ったのかも知れません。
写真で見ると、かなり欧米風味の顔に見えます。

個人的に注目されたのは、12号人骨(復元された縄文人)が腰にぶら下げていた、イルカの下顎の骨のアクセサリーです。

縄文人は、イルカやクジラやサメやエイ等も捕獲していたことが分かっていますが、丸木舟しかない時代ですから、漁の腕前は、現代人と比較しても大したものだったと思います。
2018/05/15(火) 09:54 | URL | 疑問 #iydQorAY
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3756.html#more


○○○ 世界で最も《 繊細 》な表現をもつ日本語 ○○○


 雨や風といった自然の気象を表現する言葉や、魚を分類する言葉などの具体例を調べてみるならば、日本語の中に存在するそれらの数の多さに誰もが唖然とすることでしょう。日本語は、外的な事物を対象にした場合のみならず、内的な世界に向かう場合であっても極めて繊細なのです。

 日本語、英語、中国語、台湾語の4ヶ国語を自在に語れる、台湾の李登輝・前総統は、「じっくり考えたい時、私は日本語で考えている」 と語っているそうです。

 私は中国語を話せませんが、100ページ分の中国語を日本語に翻訳すると、どうしても150ページになってしまうことを経験しています。中国語には現在・過去・未来という時制がないこと等も原因の一つですが、対人関係や周辺状況などによっておのずと表現の異なってくる日本語の繊細さが、中国語にはないのです。

 この言語的特長は、「日本人が中国人(外国人)に対して、相手を気づかった繊細な表現をしても無駄である」 ことを示しています。中国語には繊細な表現がないのですから、日本語の繊細さがおのずと生み出している 「日本人の謙虚な態度が、中国人(外国人)には伝わらない」 のです。また、「中国の政治的傲慢さの出所は中国語を話す民族であるから」 とも言えるのです。


○《繊細さ》 それは日本語の中に生きている横の秘儀である 【現実世界での日本の優位性】○

 認知心理学の表現を借りると、「認識できないものは存在しない」 ことになります。言い換えるならば 「言葉で表現できないものは存在しない」 ということです。つまり、「細やかな表現を持つ日本人にとって存在する世界が、細やかな表現を持たない外国人には存在しない」 のです。このことを逆の方向から表現するならば、「言葉で表現できない外国人に創れないものが、言葉で表現できる日本人には創れる」 ということになります。

 常に未知の領域を目指して開発されてゆく最先端産業技術の領域や、繊細な感情表現を背後に内包するアニメなどのストーリー展開において、日本語を話せる人のみが、常に世界の先頭に立って、開発し生産し表現し続けることになるのは必然的なことなのです。

 さて、次に 《繊細》 さ とは全く逆と思われる、《曖昧》 な 表現が活きる日本語の特徴を、その背景から探って見ましょう。


●●● 曖昧な表現が活きる日本語の背景 ●●●

 今日では、日本のアニメがもたらした 「カワイイ(可愛い)」 とか 「ビミョー(微妙)」 といった意味の曖昧な単語が、世界中に広がっています。輸入先の各国では、これらの言葉がいろんな場面によって、異なった意味に用いられているため翻訳できず、「日本語の音」 をそのまま印刷して出版しています。

 言うまでもないことですが、日本語を話す日本人どうしならば、曖昧語を用いた表現でも即座にコミュニケーションが可能です。その理由は、「細やかな感情表現」 や 「音が媒介する意味の広がり」 を言葉の背後で共有しているからです。


■ 細やかな感情表現を持つ日本語 ■

 細やかな感情表現の有無を比較するには、小説や映画のラブストーリーの描かれ方を見るのが例として相応しいでしょう。
 外国のラブストーリーの面白さは、階級や身分の異なる者どうしが、それらの障害を乗り越えて互いを求め合うという “ 状況の中 ” にある ものが殆どです。 故にストーリー展開に引き込まれる傾向があります。「ロミオとジュリエット」 や 台湾・中国でブレイクした 「寒玉楼」 など、みなこのパターンに分類されます。 一方、日本人が心打たれるラブストーリーとは、「相手を思いやる優しさ」 とか、「相手を労わる美しさ」 とか、「惻隠の情」 といった “ 情感の中 ” に見出されるものなのです。

 繊細な日本文学や、日本映画だけを対象にし日本人の審査員だけが選ぶ日本映画大賞の最優秀作品の良さ(美しさ)を、外国人が分るかどうか、日本語の特徴から考えて、かなり難しいと思うのです。


■ 音が媒介する意味の広がりをもつ日本語 ■

 具体例を挙げるならば、「神」と「火水」、「姫」と「秘め」、「松」と「待つ」、「結び」と「生す霊」、「日の本」と「霊の元」、「性」と「生」と「正」と「聖」と「誠」、「愛」と「天意」、「真剣」と「神権」 など、神道の世界では、一つの音を聞いて同音の単語を瞬時に複数思い浮かべることは、「一を聞いて十を知る」 ための大前提になっているのです。神道の世界はここから始まると言っても過言ではありません。

 派生的な事例ですが、日本語の特徴として、音で表現する擬態語や擬声語が非常に多いことが挙げられます。 「ヨタヨタ歩く」 と 「ヨロヨロ歩く」 の違いを日本人に説明する必要はありませんが、外国人にこの違いを理解してもらうためには、ややこしい単語を用いて説明することが必要になります。 前編に記述してきたように、古代の日本人は現代の日本人より遥かに音(言霊)に対して敏感だったようですが、現代の日本人であっても、音としての日本語の特徴に多くを依存して使い分けを行っているのです。

●《言霊》それは日本語の中に生きている縦の秘儀である 【精神(霊的)世界での日本の優位性】●

 音は言葉以前の原初的なものです。日本人が自然の美しさや自然に対する畏怖を感じた時、深い感情をともなって、「ああ」 とか 「おお」 等の母音の単音表現が出てくるのです。感情表現としての音、この原初的な音に細やかな感情表現が乗せられた時、日本語は繊細であるが故に強力なエネルギーをもった言霊となります。

 この原初的な音(母音)を日本語の中に持つが故に、日本は言霊を介して宇宙(神)へと通ずる回路を脳の中に保持している、世界で唯一の特殊な民族集団として<言霊の国・日本>を形成しているのです。
http://74.125.153.132/search?q=cache:Dsy-yxb-UusJ:blogs.yahoo.co.jp/bmb2mbf413/30487456.html+%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%AA%9E+%E6%84%9F%E6%83%85%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84&cd=6&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

日本語の母体のY-DNA「D」縄文語がホモサピエンスの祖語かもしれない
http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-2.htm

  今朝の朝日新聞にまさしく日本学の研究者・マニアには衝撃的なニュースが小さく掲載されました。恐らく2012年の日本学最大のニュースの1つになるでしょう。

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The origin and evolution of word order

Murray Gell-Manna, Santa Fe Institute and Merritt Ruhlenb, Department of Anthropology, Stanford University
Contributed by Murray Gell-Mann, August 26, 2011

Abstract

Recent work in comparative linguistics suggests that all, or almost all, attested human languages may derive from a single earlier language. If that is so, then this language—like nearly all extant languages—most likely had a basic ordering of the subject (S), verb (V), and object (O) in a declarative sentence of the type “the man (S) killed (V) the bear (O).” When one compares the distribution of the existing structural types with the putative phylogenetic tree of human languages, four conclusions may be drawn. (i) The word order in the ancestral language was SOV. (ii) Except for cases of diffusion, the direction of syntactic change, when it occurs, has been for the most part SOV > SVO and, beyond that, SVO > VSO/VOS with a subsequent reversion to SVO occurring occasionally. Reversion to SOV occurs only through diffusion. (iii) Diffusion, although important, is not the dominant process in the evolution of word order. (iv) The two extremely rare word orders (OVS and OSV) derive directly from SOV.


Conclusion:

The distribution of word order types in the world’s languages, interpreted in terms of the putative phylogenetic tree of human languages, strongly supports the hypothesis that the original word order in the ancestral language was SOV. Furthermore, in the vast majority of known cases (excluding diffusion), the direction of change has been almost uniformly SOV > SVO and, beyond that, primarily SVO > VSO/VOS. There is also evidence that the two extremely rare word orders, OVS and OSV, derive directly from SOV.

These conclusions cast doubt on the hypothesis of Bickerton that human language originally organized itself in terms of SVO word order. According to Bickerton, “languages that did fail to adopt SVO must surely have died out when the strict-order languages achieved embedding and complex structure” (50). Arguments based on creole languages may be answered by pointing out that they are usually derived from SVO languages. If there ever was a competition between SVO and SOV for world supremacy, our data leave no doubt that it was the SOV group that won. However, we hasten to add that we know of no evidence that SOV, SVO, or any other word order confers any selective advantage in evolution. In any case, the supposedly “universal” character of SVO word order (51) is not supported by the data.

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  語順のルーツはSOVだと言うことがアメリカ科学アカデミー紀要(業界用語でPNAS=プロナス、当方の学生時代はProNASと呼んでいました)に発表されました。つまり日本語やチベット語などY-DNA「D」遺伝子集団の文法である語順、S(主語)・O(目的語)・V(述語)が欧米語等のSVOより古いことがわかり、しかもホモサピエンスの祖語だろう、との驚異的な言語学上の発見です。

  これは遺伝子の調査結果と完璧に合致します。我々古代シーラカンス遺伝子Y-DNA「D」は古代の出アフリカした当時のホモサピエンスの形態を留めていると言うのが欧米の研究者の結論です。特に「D*」100%のアンダマン諸島のOnge族、Jarawa族は出アフリカ当時の形態をそのまま残していると信じられています。ならば当然言葉も出アフリカ当時のままのはずです。言葉は生き物でその時代のリーダーの決断で言葉は採用されるため、ドンドン変わります。そして征服者の人口が多く、経済力もあれば非征服者の言語はあっという間に征服者の言語に変わってしまいます。

  ところがOnge族や、Jarawa族は外来者を殲滅するという古代習慣を強く持っていたため、遺伝子を保ってきたわけですが、当然言葉も保ってきたはずです。と言うことが今回の発表で間接的に証明されたことになります。

  日本語は長い間孤立語として扱われてきましたが、とんでもない、縄文語から熟成したY-DNA「D2」日本語こそがY-DNA「D1」チベット語と並んで、出アフリカした当時のホモサピエンスの言葉(文法)を維持し続けてきた由緒正しい言葉だと言うことが正にアメリカの研究者によって証明されたのです。

  マレー・ゲルマン博士のチームの仕事ですが、なんとマレー・ゲルマン氏は言語学者ではなく、1969年「素粒子の分類と相互作用に関する発見と研究」でノーベル物理学賞を受賞した物理学者でクォークの提唱者の一人です。恐らく筋金入りの言語学者ではないことが柔軟な発想を生んだのでしょう。西欧優越主義の言語学者なら絶対に欧米語のSVOを祖語として主張すると思われるからです。何はともあれ縄文文化・時代を矮小化したい「O3」御用学者に取っては目障りな発表となりました。

  このことは当然ながら日本人の行動様式こそがホモサピエンスとして本来持っている行動様式であり、ガラパゴス的民族性こそがホモサピエンスの本来の行動様式である事が間接的に証明されたことにもなるはずです。

  そーなんです。やはり日本がガラパゴス化を捨てるのではなく、世界をJaponization(日本化)することこそが人類にとって正しいことなのです。日本人よ自信を持って世界に向かって発言しよう!スティーヴ・ジョブズごとき「R1b」御用商人の日本人に対する悪口・たわごと等クソくらえだ。そしてJaponizationで世界を導こう!

  このニュースの重大さは、何故日本列島人はY-DNA「D2」縄文人の文法を守り続けてきたのか?という点です。「D2」縄文人が圧倒的な文化を確立し、技術者集団だった「C1」、「C3a」縄文人が土器つくりなどで「D2」の精神風土を支え、後からボートピープルとして断続的に韓半島から水田稲作農耕技術を携えて流れてきた呉系長江人「O2b」の子孫も圧倒的な多数派の「D2」と敵対せず、その精神風土を受け入れたため言語の文法も縄文文法を受け入れたのでしょう。

  「O」は「R」などと同じ新興遺伝子集団です。既にSVO文法だったはずです。我々日本人は語順が変わってもそれほど奇異に感じず意味が通じるような適当にあいまいな言葉になっているのはこの「O」の人口と、文化がしっかりと根付いているためです。基本は縄文語ですが、呉系の長江語も漢語の語順でもその中間でも日本人は融通を利かせて理解してしまうように共存してきたからなのです。そして或る動作を強調したい時、我々は平気でSVOになるのです。なぜならSVOの方がキツく聞こえるからです。SOVの方が聞こえ方がやさしいのです。これが縄文の精神風土なのです。

  そして更に後から侵略者として韓半島から暫時流れてきた大和朝廷族や武士団族などのSVO文法の「O3」集団も朝廷内や官僚エスタブリッシュメント階級の中ではSVO漢語を話していたにも関わらず、全国をまとめるために縄文語文法を受け入れることにしたのだと思われます。そして縄文語に翻訳するために開発したのが「かな」、「カナ」なのでしょう。もしこれがなければ、縄文人は漢語を全く理解せず、日本の統一は相当遅れ、日本列島は文化レベルが立ち遅れ西欧列強の植民地化していた可能性が大です。当時の大和朝廷の上層部の誰かが縄文語を認め、縄文人に指示命令するために「かな」「カナ」の開発を命じたのでしょう。この人物こそ本当は歴史に名を残すべきなのでしょうが......。

  またこのニュースは、最近の研究で、人類の祖先は50000年前頃に突然洗練された道具を使ったり、絵画などの芸術活動を始めた、とも書いていますが、これは当たり前のことです。中東でネアンデルタール人と遭遇し交配し、彼らの文化を遺伝子とともに受け継いだけに過ぎません。もしかするとSVO文法はネアンデルタール人の文法だった可能性が実は大です。

  ホモサピエンスは本来SOV文法
  ホモネアンデルターレンシスはSVO文法だったのしょう。
  
  なかなかおもしろくなってきましたね。当ガラパゴス史観が歴史の真実に迫っていることが、少しづつ実証されつつあります。やはりデータマイニング手法はマーケティングだけでなく、古代日本学にも有効なようです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-2.htm 

  日本語の祖先はこれまで書いたようにY-DNA「D2」の話していた縄文語です。現在世界でY-DNA「D」語を祖先にしているのは、わかっている範囲ではチベット語と「D*」100%のアンダマン諸島のJarawa族とOnge族だけです。Y-DNA「D」72%の雲南のPumi族は未調査です。つまりY-DNA「D」語は孤立言語です。

遺伝子調査で初めて理解できたことです。しかもY-DNA「D」は人類が出アフリカを果たした際の形質を最も残していると欧米の研究者は述べています。ということは縄文語が最も古いホモサピエンスの言葉を残している可能性もあるのです。Jarawa族やOnge族、Pumi族の語彙を徹底的に追いかければ解明できそうですが、日本の御用学者ではない欧米の気鋭の言語学者が研究してくれるとありがたいですね!

  現代アイヌも日本列島人と同じY-DNA「D2」85%の「D」民族ですが、残念なことにオホーツク文化時代に侵略者だった古代ニヴフ族に征服され、熊祭りなどすっかり古代ニヴフ文化(古住シベリア民文化)に変貌してしまっています。言語も恐らく古代ニヴフ語に変わっているでしょう。

丹念に追えば語彙には「D」語の痕跡が残っているかもしれません。日本列島のように「D2」が圧倒的な人口多数派だったなら「D」語が残ったかもしれませんが、人口そのものが少なかった北海道では文化も言語も語彙も古代ニヴフ語に変わってしまっている可能性が大です。
http://galapagojp.exblog.jp/i31/


日本の成功の秘密は日本語にあるのですが,欧米人や中国人にはそれがわからない.中国語も日本語も漢字を使っているから,日本語は中国語と同じ様なものだと思い込んでいるんですね:

一口に日本語と言っても、書き言葉と読み言葉がある。ここで取上げるのは主に前者、つまり書き言葉である。主に日本語は、漢字という表意文字と、ひら仮名・カタ仮名という表音文字で構成されている。さらに日本語の表記には、これらの他に句読点やローマ字、簡単な英語、西洋数字、ギリシャ数字そして特殊な記号まで雑多な文字を使う。最近、メールには絵文字まで登場している。

表記方法も、横書きだけでなく縦書きもある。通常、横書きは左から右に書くが、昔の看板なんかは右から左に書いたものがある。縦書きは世界的に見ても珍しく、外国人は日本人が縦書きで文章を書くのを見て驚いている。これらの雑多の表記方法を使っている日本語は、マスターをするのが難しい言語かもしれない。しかし一旦マスターすれば、これほど便利な言語はないと考える。これは筆者の偏見かもしれないが、日本語は世界の中で一番進化した言語であり、優れた言語と思っている。


漢字は象形文字が基になった表意文字であり、文字そのものが意味を持つ。しかし今日、表意文字として使われているのは漢字くらいである。漢字圏は、日本を除けば中国、台湾、シンガポールと朝鮮半島、そしてべトナムである。しかし朝鮮半島やベトナムは漢字離れをしているようだ。

表意文字である漢字は、文字自体に意味を持つので、言葉を速く理解することができるという利点がある。特に漢字はパターンで認識するので、文字とイメージが結びきやすい。「犬」という文字を見ると、犬のイメージが頭に直ぐ浮かぶ。「京都」という言葉に当ると、京都という文字から京都に関するイメージが自然と頭に浮かぶ。


高速道路の標識も、漢字だから速く、しかも正確に認識できる。これがアルファベットなら一瞬のうちに認識することは難しい。例えば長い地名がアルファベットで記されていたなら、車を停車させなければ、書いてある行き先を読むことはできないであろう。これは言語の特徴を考える場合、重要な点である。

日本語の文書は、斜読みによって、ある程度の意味を把握することができる。これも日本語に漢字が使われているからである。速読の達人と呼ばれる人がいるが、もし文章が全て「かな」で書いてあったなら、とても一瞬のうちに読むことはできないであろう。またアルファベットだけの英語も速読に向かない言語と思われる。


しかし漢字にも欠点がある。基本的に一文字がそれぞれ意味を持ち、世の中の現象を表現するためには、漢字がどんどん増えることである。新しい物が発見されたり、新しい概念の表記が必要になると、それに対応する漢字が必要になる。しかしそこを日本語は、熟語と「かな文字」の発明で、極力使う漢字が増えることを回避してきた。

熟語の登場は、文字と文字の組合せだから、漢字の数を増やすことなく新しい概念を表現することを可能にした。また「ひら仮名」と句読点を用いることによって、どれが熟語であるのか明示できる。さらに外来語をとりあえず「カタ仮名」で表記することで、漢字を増やすことを回避している。

中国語も最近は句読点を使ったり、また熟語も使うようになっているようだが、基本的には漢字ばかり並んでいるので、覚える必要な漢字の数は膨大である。仕方がないので、簡略体の漢字を多用している。またインターネットや新聞では、漢字を表意文字としてではなく、表音文字として使っているという話がある。ちょうど全て「ひら仮名」の文書と同じである。おそらく「話し言葉」をそのまま「書き言葉」に使って表現を行っているのであろう。それなら使われている漢字は発音記号のようなもので、わざわざ漢字を使う必要がないような気がする。

筆者は、まず難しい日本語をマスターし、日本語に翻訳された本や文献で勉強するのが一番効率的な学習方法という気がする。英語の本を一冊読む間に、日本語なら二冊の本が読めるのではないかと思う程である。もしこのような方面を研究している方がいれば、是非その辺の事情を教えていただきたいものである。


日本語と中国語
知人から中国語には文法がないという話を聞いたことがある。たしかに漢字ばかり並んでいるのに、どうして文章として理解できるのか不思議であった。そもそも我々が学んだ漢文は、返り点などがあるから読めたのである。

どうも昔の中国人は「四書五経」という基本文献の文章を徹底的にマスターし、「四書五経」と同じ解釈で他の文章を読んだり、新しい文章を作成しているようである。「四書五経」は「論語」「中庸」「春秋」「礼記」などの中国の古典である。「四書五経」を参考に、漢字の並び方をどのように解釈するのかが決まるようだ。しかしこれも絶対的なものとは思われない。いまだに「魏志倭人伝」の解釈が別れるのも、中国語の文法というものが、あやふやな面があるからと考える。


「四書五経」は膨大な文章の集合体である。中国の官僚の登用試験である「科挙」には、これらの暗記と決まった文章の解釈の知識が必要とされた。中国語は文法がはっきりしないから、とにかく全部覚える他はないのである。つまり「科挙」の試験制度は、とてつもなく厳しいものである。しかし行政を司るためには、文書を正しく読み、正しい文章を書く必要がある。たしかにこのためには「四書五経」を完全にマスターしておく必要があったのだ。

一方、日本においては、昔から、一般国民の中に文章を読める者は大勢いた。特に明治時代に義務教育が始まり、誰もが日本語を書いたり読んだりするのが当り前になった。少なくとも日本では、中国のように、国語というものが、極少数の超エリートしか操ることができないという代物ではなかった。

戦後、GHQが日本人を色々調査した。当時、米国人から見れば「日本人は人間より猿に近い動物」という認識であった(失礼な話である)。そのような日本人が、どうして短期間のうちに列強と対等の国力を持つことができたのか、不思議だったのである。しかし調査によって、日本では、どのような地方に行っても、またどれだけ年配の人でも、文字を知り、文章が読めることを発見した。これはGHQにとって驚きであり、これで日本を見直したのである。これも日本の教育制度が優れていたのと、日本語が誰にもマスターできる優れた言語であったからである。


言語は重要である。ところが中国語はそれほど進化していると思われない。しかし世の中が変わって、新しい概念を言語で表現する必要に迫られる。本当に全ての文章が「四書五経」の解釈を踏襲して理解できるのか疑問である。筆者は、「四書五経」の時代にはなかったようなIT関連のマニュアル類が、どのような記述になっているのか興味がある。

「四書五経」の時代にはなかった文章で、一番関心があるのが「法律」である。「法律」は中国にとって新しい文章の形態である。本当に「四書五経」の解釈で現代の「法律」を適切に解釈できるのか疑問である。たしかに中国では、よく条文の解釈を巡って侃々諤々(カンカンガクガク)の議論がなされるという話は聞く。もっともこれは中国の問題であり、我々日本人には関係がないが(中国の日系企業には関係するかもしれない)。


しかし世の中には「国際法」というものがある。「国際法」の基では、日本も中国と利害関係者となる。日本は、戦時中「捕虜の虐待」などで戦時国際法を破った経緯もあり、あまり偉そうなことはいえない。しかし今日国際的な利害を調整するものは、「国際法」とこれに附随する各種の取決めである。少なくとも今日の日本はこれを順守する姿勢である。

ところが最近、日本と中国や韓国の間で国際法上のトラブルや対立が頻発している。しかし中韓の主張が、とても「国際法」に乗っとって行われているとは思われない。中国や韓国は「国際法」を勝手に解釈しているのだろうか。さらに度々日本の要人発言が曲解されている。まるで「四書五経」の解釈を持込んでいるのではと思われるくらいである。


しかしこれほど優れた言語である日本語が、最近の教育現場では軽視されている。群馬の太田市では、全て英語で授業を行う小学校が開校した。例のくだらない特区である。

最近読んだ雑誌に、算数の学力を向上させるには、まず国語の教育を徹底的に行うことが重要という記事があった。特に小学生の低学年の授業は、全て国語で良いというのである。算数や理科・社会の教育は、国語の力をつけてからの方が好ましいという意見であった。これには筆者も賛成である。とにかく太田市の小学校の教育成果が注目される。


今日、国語教育が軽視されているのに、英語、特に英会話の教育が重視されている。筆者は、英会話は必要に迫られればなんとかマスターできるものであり、学校教育で行う必要はないと考える。また必要のない英会話の技能は簡単に失われる。

日本人がどうしても英語で会話する必要に迫られるのは、年間平均で3分間という話を聞いたことがある。筆者の経験でもその程度と感じる。年に一、二度、外国人に道を訪ねられるくらいのものである。しかし年間平均でたった3分間のために、日本人は多額の費用を使い、膨大な時間を割いている。必要なら通訳を雇った方がずっと安上がりである。むろんこのような労力は国語教育に注ぐべきと考える。
http://www.adpweb.com/eco/eco395.html



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中身のない英語を話しても意味がない
日本育ちの子をインターナショナルスクールに入れるのは愚の骨頂だ
バイリンガルに育てるつもりが…
西宮 凛 同時通訳者・ESL英語講師
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54131


日本で日本人の家庭に生まれながら、インターナショナルスクールに入れる。それは経済的にも余裕があり、「子どもにインターナショナルな感覚を持たせたい」という思いを抱く家庭ならではのことでしょう。

しかし自らが海外で育った帰国子女でもあり、同時通訳者として働きながらアメリカの大学院で英語教授法の資格を取得し、多くの「早期英語教育を求める保護者」と「大人になってからきちんとした英語を学ぼうとしてきちんと身につけた大人」を見てきた私は、声を大にしていいたいのです。

「日本に生まれ育ちながらバイリンガルに育てたいのなら、絶対にインターナショナルスクールには入れないほうがいい」と。

母国語で考えることが最重要

日本人が算数が良くできる理由の一つを紹介しましょう。

1、2、3、4、5、6、7、8、9、10を3秒以内に、数字をきちんと耳で誰もが認識できる速さでだーーーーっといえることです。

では、英語で同じように、1~10まで言ってみてください。

One, two, three, four, ……日本語に比べてなんと時間がかかることでしょう。

これは、英語の教育では one, two, three, … をスぺリングから数字に入ってしまうからなのです。

この速さが、算数の四則計算に始まり、基礎力から応用力への発展への理解力スピードにも関係していきます。日本語での教育に素晴らしいところが十分あると理解していただけたらと思います。

では、言語習得能力についてのことを説明していきましょう。

一番大切なのは「絵本の読み聞かせ」

日本では、7歳から基本的に読み書きの習得、識字教育が始まります。この7歳までに子どもにたくさんの本を読ませるということがとても大切だと私は思っています(理想的には10000冊という説もありますが、繰り返し読むことも含めてできる限りでいいと思います)。

0歳からスタートして、お母さんやお父さん、周りの人たちが毎日子どもに読み聞かせをすることで、耳から、目から、自然に子どもが言葉に触れるので、言葉に対する感性が身につきます。


0歳児にお勧めのオノマトペ絵本の代表格『じゃあじゃあびりびり』から、ユーモアものから、大人も思わず涙する感動物語まで、「絵本」とひとことでいっても幅広い。大人も子どもと一緒に楽しもう。

そうして生まれたころから「文字」に目と耳で触れてきた子どもは、おそらく、文字を書く道具が周りにあれば3歳くらいから、ひらがなをしっかり目で追い、自分でも書きたがるようになります。それまで耳と目だけで入ってきた言葉が、文字で立体的に繋がっていきます。

就学年齢になる7歳から学校に入り、ひらがなの正しい書き方を学び、国語を体系的に学ぶことで、一気に子どもの知的好奇心は深まります。それまで受け身だった読み聞かせから、文字と言葉に対する理解が深まることで、その先にある楽しさに能動的に取り組むようになります。

本を読むこと、文字を書くこと、そして起承転結を捉えること、日本語の文章に「はじめ・中・終わり」というまとまりがあることを理解し、自分の思いを正確かつ適切に伝える行動を段階的にできるようになっていきます。文章のまとまりを読み取ることができると、国語のみならず算数、社会、理科などの他の科目も、また具体物に対する理解もどんどん深まります。


このようなやり方を7歳から10歳までに深めておくと、10歳くらいで手に触れることのできない抽象物への理解ができるようになるのです。ちなみに、目に見えないもの、人の感情や目の前で起きていない事象を深く理解でき始めるのは10歳以降と言われています。

言語獲得で特に大切なのはこの幼少期から思春期までの限られた時期であり、「言語習得の臨界期」に言語に触れることが一番の近道とする仮説は、1967年に研究者レネバーグが打ち出しました。その後も様々な研究が続けられています。

無理なインターは「セミリンガル」になる

近年「英語獲得は早い方がいい」という学校現場での取り組みも熱を帯び、また「だから小学校からインターナショナルスクールに入れれば、英語のネイティブになるでしょう」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

でも日本に住み、日本の家族と暮らしている場合、最初に母国語(L1言語と言います)ができなければ、第二カ国語(L2言語)をマスターし、両方の言語を自由に操作出来る「バイリンガル」にはなりません。英語をある程度話せるようにはなりますが、日本人として使えるべき日本語が不自由になってしまいます。

また、近年外国人が日本にも増えてきたとはいえ、日本で学ぶ英語はどうしても「外国語」であり、「第二ヵ国語」ではないことにも注意をしたいものです。

1 本を通して就学年齢に到達する7歳までにできるだけ多くの母国語に親しませる

2 就学年齢である7歳から10歳までに正しい母国語を学び、具体物の理解を進める

3 10歳から抽象物の理解を深めていくことができるように、日本語の文章構造の理解を深める

この3つを受けて初めて、母国語を駆使して物事を理解し、他の言語システムを理解し、他文化、多様性の理解をでき、グローバルに活躍できる人材になる一歩を踏み出せるのです。

「これからの時代は英語が出来たほうがいい」とか「大人になった時に困らないように」という理由だけで、日本で生まれ育ったお子さんをインターナショナルスクールに入れている場合ではありません。

私の尊敬する同時通訳者の諸先輩方も、インターナショナルスクールにいきなり通わせる前に大切なのは、母国語である日本語の習得、と口を揃えておっしゃっていました。それくらい本末転倒なことなのです。


インターナショナルスクールはカリキュラムも含めて良さがたくさんあるが、日本ドメスティックな家庭対象に作られたものではない。photo by iStock

例えば、両親共に海外育ちであるとか、赴任帯同によりお子さんが海外の英語環境で育った等のバックグラウンドがある等の場合には、英語がそのお子さんの核となる言語になっているのでその方がお子さんにとっても幸せだと思います。ただそのような場合にもご家庭で日本語力の維持、特に漢字を読ませることにはみなさん努力していらっしゃるはずです。

バックグラウンドなしでインターナショナルスクールに入れるのであれば、セミリンガル/ダブル・リミテッドまっしぐらです。家族との会話や意思疎通もままならなくなるお子さんもたくさん見てきました。ちなみにセミリンガル/ダブル・リミテッドは「両方の言語において年齢に応じた言語習得度に満たない中途半端な二ヵ国語使用者」という意味です。


もちろん中には、2つの言語を同時期に習得し、二か国語を母語とする話者や「バイリンガル脳」を持つ方もいて、その研究も行われています。しかし一般的に日本で日本人の家庭に生まれたお子さんについては、母国語を習得し、母国語で論理的に考える力があるからこそ、バイリンガル、トライリンガルになる下地が出来ると考えます。

母国語を習得し、母国語で論理的に考える力があるからこそ、バイリンガル、トライリンガルになれるのです。

発音やアクセント習得は早期教育が効果的だが

ただし、「早期教育は効果がないのか」というと、そういうことではありません。

「英語セッティングの環境に入る年齢が早ければ早いほど、英語習得力は高まる」というのは「発音、アクセントにおいてはその通り」です。

これは脳の発達との関係も大いにあると主張する研究もあります。生理学でいう「側性」、つまり大脳の各種機能が左右両半球に分化する状態は、生まれてから思春期にかけて発達し、それがどちら寄りになるのかが決まるタイミングと、英語習得における臨界期に大いに関係があると、スコヴィルをはじめ心理言語学者が発表しています。

思春期の具体的な時期は、人によって違いがあることを前提に、大脳の各種機能の発達が大体落ち着く頃には、新しい言語の発音、アクセントを忠実に再現できる「柔軟性」が少しずつ失われることを主張したのです。脳神経の発達と発音は非常に密接に関わっています。発音、アクセントは口の筋肉の動きがあってこそうまくできるわけで、神経と筋肉の動きと発達が、発音とアクセントの良し悪しを左右することは間違いありません。

自分の目の前にいる第三者が話す英語の発音がきれいだったり、ネイティブの話す英語を聞き取れたりしている、という場面を見ると、「第二ヵ国語である英語習得に成功しているんだ」、と感じることでしょう。実際、大人になって英語を学ぶ日本人の多くは、読むことはできても、聞いたり話したりすることができないという直面に多く立たされ、「小さい時にやっておけば良かった」という声をよく聞きます。

「RとLの発音がきちんとできる!」「アクセントがネイティブ並み!」であると、それだけで「素人目にもわかりやすい」から、その点で「じゃあ早く子どもに英語の学習をスタートさせたほうがいい」という説が出やすいのではないでしょうか。

また、言語学習開始年齢が早ければ早いほど良い、とされる仮説に対し、ただ耳から、口から、の発音、アクセントの習得度合いをもって最終的な言語習熟レベルを図るのは適切ではないとする説もあります。


1995年にスラヴォフとジョンソンという研究者が、7歳から12歳の間に渡米し英語を第二ヵ国語とする中国人、日本人、韓国人、ヴェトナム人の107人の子供達を、7〜9歳の間に英語学習を始めたグループと、10〜12歳に英語学習を始めたグループに分けて実験を行いました。

英語学習の開始時期は早いほど良い、と言語獲得の臨界期仮説を謳う研究者にとっては驚きの結果が出ました。

構文の理解、文章の構造や比較的難しいとされる文法の理解においては、英語学習の開始時期が遅いグループが秀でていたのです。


中身のない英語を話しても意味がない

言語学習の獲得においては、まずその言語の正しい文法を理解できる年齢に到達してから、情緒的、社会的、動機的な要因が言語獲得に与える影響を踏まえて学習することが大切であり、年齢、早期学習が必ずしも最終的な習熟度に直接的な関係があるわけではない、と発表しています。

英語習得のどのレベルを「完成形」とするのか、教養も品格もある過去のアメリカ大統領(「過去」です、残念ながら)が話すような英語レベルを求めるのか、それとも、発音はネイティブ並みでも、とても実際のネイティブが落ち着いて聞いていられないようなスラングだらけの英語を話すレベルで良しとするのか、目標を見据えた学習も非常に重要です。

様々な研究者の発表や実験、また日本人や日本人以外のノンネイティブ学習者に対して本当に必要な英語を日本とアメリカの両方で指導してきた経験を踏まえると、私は以下のことが大切だと考えています。

・正しい文法の習得:

・修辞法の習得:

・論理的根拠を持つこと(ロジックの大切さ)

以上の3つに重きを置いた英語教育が出来るのは、「母国語があって母国語で論理的に考える言語能力あってこそ」、なのです。

子どもであればあるほど、言葉がもたらす社会的影響や価値には気づいていません。発した言葉が持つ影響をわからないまま、ただその言葉を流暢に話せる人間になることは非常に危険だと私は感じており、これが私の英語教育において大切にしている、「その言葉を使って世の中に何を発信する人間になるのか」、という「ロジック」の部分です。

日本人が「英語」を必要とする現場において、英語は出来るのだけれど、軸のない空っぽな会話では困るわけです。ですから幼少のうちから読み聞かせをすることで、豊かな語彙力、表現力、物事を深く考える力を養っておきたいと思うのです。

また、年齢と習熟度の関係だけではなく、年齢を重ねたからこそ「語学は難しい」という心理が働き、及び腰になるので、その分習熟が遅くなるという研究もあります。
しかしその時期を越えてからの語学学習においては、子どもが母国語をマスターする過程の学びプロセスを念頭に入れながら、コツを抑えた学習法をしていけば良いことなのです。その学習法については、別の機会にご紹介できればと思います。


今の小学生が大人になる頃には、現時点で存在しない仕事に就く子どもたちが40%になるとも言われています。

ネットも更に進化するでしょう。数多ある情報の中から、情報を素早く正確に理解し、吸収し、本当に自分にとって必要な情報なのか、また信頼できる情報なのかを判断し、それを仕事や生活に活かしていく力が更に求められると思います。

つまり、文章を読み、論理的根拠、分析力、物事を深く考える力を用いてさらに発展させる力が問われると思います。

国と国の間=inter-national(インターナショナル)ではなく、自分が何者であるのか、そのルーツとスピリットを踏まえた上で日本人として世界に出て、世界基準のものの考え方を出来てこそglobal(グローバル)になれる。

そのために、早期学習で得られる発音とアクセントありきの英語教育はしなくて大丈夫です。幼少期からの読み聞かせの持つ力、大人だからこそ深みのある英語学習ができるのはアドバンテージなのです。

母国語で深く思考できないことが一番、「バイリンガル」への道を遠ざけてしまうのです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54131

グローバル企業が支援する愚民化政策 / 怨念を動機にする英語教育 (part 2)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691561.html

「お遊び」としての英語教科

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(左: 『個人教授』でのナタリー・ドロン / 右: 実際に英語を教える教師 )

  教育改革の理念はご立派だけど、実際、学校側はどのような「英語教育」を行ってきたのか? 「小学校英語活動実施状況調査」によると、公立小学校の総合学習において、約8割の学校が英語活動を実施しており、特別活動等も含め何らかの形で英語活動を実施している学校は、93.6%に及んでいるそうだ。第6学年では、英語活動を実施している学校のうち、97.1%が「歌やゲームなど英語に親しむ活動」を行い、94.8%が「簡単な英会話(挨拶や自己紹介など)の練習」に取り組んでいるという。また、73%が「英語の発音の練習」を行っているそうで、年間の平均授業実施時数は、第6学年で13.7単位時間(1単位時間は45分)であるらしい。


  「英語の授業」といっても、外人教師が子供たちと一緒に歌ったり、大袈裟なジェスチャーで挨拶する程度なんだから、実質的には「遊びの時間」である。文科省は具体例を挙げているので、ちょっと紹介したい。


  @ 例えば、自分の好きなものについて話すという言語の使用場面を設定して、実際に英語を使って、自分が好きな食べ物について話しあったりする(コミュニケーション)。その際、国語科の内容とも関連させながら、日本語になった外国語にはどのようなものがあるかを学習する(言語・文化理解)。また、apple, orangeなどの単語を通して英語の音声に触れてみたり、I like apples.などの表現例を使ってみたりする(スキル)。


  A例えば、友達を誘うという言語の使用場面を設定して、実際に英語を使って、自分が好きな遊びに友だちを誘ってみる(コミュニケーション)。その際、日本の遊びと世界の遊びについて比較対照してみる(言語・文化理解)。また、ohajiki, baseballなどの単語を通して英語の音声に触れてみたり,Let's play ohajiki.などの表現例を使ってみたりする(スキル)。

  もう、論じることすら馬鹿らしくなる。確かに、小学生なら教師の言葉を真似て、上手に「アップル」とか「オレンジ」と発音できるだろう。しかし、自分が欲する事や感じた事をそのまま文章にできまい。「リンゴが好き !」といった簡単な文章なら英語で表現できようが、気に入った服や玩具を買ってもらいたい時など、“微妙”な呼吸を必要とする場合には、慣れ親しんだ日本語となるだろう。例えば、母親と一緒に百貨店を訪れた少年が、「ねぇ、ママ、僕、あのオモチャがおうちにあったら、毎日ママに見せてあげられるんだけどなぁ」とねだることもあるし、父親に連れられた娘が「パパ、私このお人形が前から欲しかったんだけど、クリスマスまで我慢するね」と哀しそうな目をして、暗に買ってくれとせがむこともある。(賢い子供なら、“こっそり”とお爺ちゃんやお婆ちゃんに「おねだり」を考える。なぜなら、こうした小悪魔は祖父母が孫に甘いことを熟知しているからだ。) 子供は一番便利な言葉を選んで生活するものだ。両親が日本人なら、いくら学校で英語を学んでも無駄である。子供は親に向かって日本語を話すし、親の方も日本語で答えるはずだ。

特に、子供を叱る場合、「こらぁぁ、何やってんの!! そんなことしたらダメぢゃない !」と言うだろうし、オモチャを買ってくれとせがまれた時も、「泣いたってアカンで。無理なもんは無理や !!」と日本語で却下するだろう。したがって、日常会話の80%ないし99%が日本語なら、学校の授業なんか焼け石に水である。

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(左: フィリピン人の女中 / 右: ベイナム人の労働者 )

  「外国語専門部会」のメンバーは、机上の空論を弄ぶ連中だから単なる馬鹿ですまされるが、その方針を支持する経済界の連中には用心が必要である。彼らは「グローバル化に伴う英語の重要性」を看板に掲げているけど、本音ではアジア人労働者と一緒に作業が出来る日本人を求めているだけだ。英語を用いてコミュニケーションをはかる相手とは、教養と財産を持つ西歐白人ではない。稚拙な英語教育で低脳成人となった日本人は、工場や下請け企業でアジア系従業員と同列になり、カタコトの英語で仕事をする破目になる。大手企業が輸入するフィリピン人やマレー人、ベトナム人、支那人などに日本語を習得させるのは困難だから、簡単な「共通語」を職場の言葉にする方がいい。英語なら多少発音がおかしくても通じるし、移民労働者も多少の予備知識を備えているから、日本人の現場監督でも何とかなる。「グローバル化」と言えば響きが良いが、その根底には、日本人に対する待遇をアジア人並に引き下げ、低賃金労働者としてこき使おうとする目論見は明らかだ。子供の将来を案じ、私塾にまで通わせる日本人の親は、我が子をフィリピン人並に育てるべくお金を払っている訳ではない。しかし、お遊びの英語教育を受ける子供は、数学や理科、国語などの授業数を削られるから、総合的な学力低下は避けられず、卒業してから就く仕事は限られている。だいたい、望んでもいない低級な職種とか、厭々ながらの職業に就いた若者が、やる気と向上心を持って働くのか? 職場意識の低下は明らかだ。

どんな外人を雇うのか ?

  もう一つ、英語教育改革に伴う問題として挙げられるのは、どうやって充分なALT(Assistant Language Teacher / 外国語指導助手)を確保するかである。現在、英語の授業は日本人の教師に加えて、英語圏からの補助教員を用いて行われているから、各地方自治体は適切な外人のリクルートに手を焼いているそうだ。ベネッセ教育総合研究所の調査によれば、教育現場は英語を専門とする講師や、日本語がある程度話せるALTを獲得したいそうだが、実際のところ、こうした外人は稀で、日本人教師との意思疎通が困難なうえに、授業の打ち合わせができない。しかも、ALTが2、3で交替してしまうし、ALTによって方針や態度が違いすぎる。もっと悪いことに、指導力が身についていないALTが多いという。これは教師でない筆者も想像ができる。英語を話すアメリカ人やオーストラリア人だからといって、外国人に英語を教える能力があるとは限らない。日本語は文法や語彙、発音の点で英語と全く異なる。とりわけ、日本語を話す子供を相手にする場合、相当な根気と熱意が必要で、教育技術の無い外人を雇ったってトラブルが増すだけだ。もし、日本人教師がサウジ・アラビアに派遣されて、現地の子供に日本語を教える破目になったら、一体どのような事が起こるのか? 想像しただけで恐ろしくなる。

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(写真 / アジアへ派遣された英語教師 )

  充分な外人ALTを確保する場合、自治体が負担する費用も馬鹿にならない。仮にも教師だから、渋谷とか新宿で見つけた不良外人を雇うわけにも行かないので、多くの学校はJETプログラム(外国語青年招致事業 / The Japan Exchange and Teaching Programme)に頼んで、外人教師を斡旋してもらうことになる。しかし、上質な人材を招致するとなれば、それなりの給料や恩給を約束しなければならないし、待遇だって日本人以上に設定しないと承諾されない場合もあるだろう。小さな地方公共団体だと予算不足に悩んでいるので、ALTへの住居手当とか出張費を考えると頭が痛い。こうなれば、民間企業に頼らざるを得ないし、人材派遣業者だって甘い言葉を囁いてくる。ALTの増加要請は、地方自治体にとって財政的なピンチだが、「口入れ屋」にとっては儲けるチャンスだ。海外で安く仕入れた「外人」を日本に輸入して高く売りさばく。これを大手の人材派遣会社が全国展開のビジネスにすれば、大きな利鞘を得ることになる。ついでに不動産屋と結託し、外人教師の住宅もセットにすれば、更なる利益を摑むことができるだろう。

  一方、予算の確保に困った地方の役人は、まず中央に泣きつくから、巨額な補助金が各地に流れることになる。気前の良い中央官庁がバックにつけば、学校側は外人教師に高給を渡すことができ、口入れ屋もピンハネ額が多くなってニコニコ顔。これって、何となく、売春婦を斡旋する女衒(ぜげん)みたいだ。例えば、日本の派遣業者が不景気なアイルランドを訪れ、適当な「教師」を物色したとする。教師としての資質が不充分でも、英語を話す白人を物色できれば、日本で高く販売できるから、多少、交渉金が釣り上がっても採算が合う。どうせ庶民のガキに歌や絵本を教えるだけの「補助教員」だから、教養とか品格は問題じゃない。結局、損をするのは、「お遊び」の英語に時間を費やし、気位だけが高い愚民へと成長する子供たちと、巧妙に税金を吸い取られる親の方である。

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(左: 英語を話す黒人女性  / 右: カナダの白人女性 )

  凡庸な外人ALTをあてがわれる事態となれば、子供を預ける親も心配になるが、子供の方にも別の不満が募ってくる。学校教師は言いづらいだろうが、外人教師の人種や容姿が問題となるからだ。極端な例だが、もしAクラスを担当する外人ALTが金髪碧眼の若いイギリス人女性で、Bクラスを受け持つALTがブリテン国籍者なんだけどジャマイカ系の黒人男性であったら、どんな反応が起こるのか? もちろん、両者も英国で言語学を専攻し、教員免許を持っている。しかし、Bクラスの子供たちは、Aクラスの生徒を羨み、「僕もAクラスの先生がいい」とか「Aクラスの方に移りたい」と言い出す。さらに、保護者からも「どうしてBクラスはイギリス白人の先生じゃないの?」と抗議が来る。

  英語の教師を探す場合、イングランドやアメリカだけではなく、カナダとかオーストラリア、アイルランドも募集地となるが、事によってはインドやエジプト、ケニア、フィリピンだって候補地となり得る。外人講師への出費を抑えようと思えば、アジアかアフリカ出身者の方がいい。でも、子供たちの反応を考えれば、ブリテン連邦や北米出身の白人教師の方が“適切”と思えてくる。あり得ないことだけど、もし中学校の英語教師をイングランドから招くなら、ケンブリッジ公爵夫人となったキャサリン・ミドルトンのような女性の方が好ましく、やがでヘンリー王子と結婚するメーガン・マークルのような黒人女性じゃ二の足を踏んでしまうじゃないか。

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(左: キャサリン妃 / メーガン・マークル / エリザベス女王 / 右: フィリップ殿下)

  確かに、どちらも心優しい女性であるが、マークル氏がイギリス文化を解説するなんて、ちょっと抵抗がある。イギリス系のカナダ人が教えるんなら納得できるけど、支那系とかアフリカ系のカナダ人だと遠慮したい。やはり、英国の言葉や風習を教えてもらうなら、先祖代々イングランドに暮らすアングロ・サクソン系のイギリス人の方がいいし、パキスタン移民3世とかインド系帰化人5世の教師より、オランダ系やドイツ系の移民2世の方がマシだ。何しろ、イングランド王国では女王陛下がドイツ系だし、フィリップ殿下はギリシア出身のドイツ系貴族で、スコットランドのエジンバラ公爵になっている。日本の皇室とは大違いだ。

  ベネッセ教育総合研究所が行ったアンケートに、「英語教育で重要なこと」という項目があり、そこでは外国人との交流に関する質問があった。「とても重要」と答えた人は英語教育賛成派で55.4%を占め、反対派でさえ30.7%であった。最重要とは言えないが「まあ重要」と答えたのは、賛成派で41.6%、反対派では54.9%であった。ということは、賛成派と反対派を問わず、多くの人が外国人との交流に何らかの重要性を見出している訳で、子供たちが進んで外国人に接することを期待していることになる。だが、話しかける相手が西歐白人ではなく、イングランドに移り住んで来たインド人やパキスタン人、トルコ系帰化人の2世や3世、あるいはブリテン国籍を持つアラブ系イスラム教徒であったらどうなるのか? イギリス人とは思えない容姿の教師を前にして、日本の子供たちが積極的に話しかけ、英語やイギリス文化に興味を示すとは思えない。

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(左: インド系男性 / 中央: 英国のジャマイカ人女性 / 右: ムスリム男性 )

  もし、帰宅した息子に母親が、「今日、英語の時間はどうだった?」と尋ね、「う〜ん、別に」といった返事だけしか得られなかったら心配になる。それに、問い詰められた息子が、「あんまり面白くない」とか「あの先生イヤだ」と呟いたらどうするのか? 具体的な将来設計を描けない小学生は、教師によって好き嫌いができてしまい、好きな先生の授業なら喜んで学ぼうとするが、気に入らない教師に当たるとガッカリする。ある心理学の実験によれば、幼児だって美女を見ると自分から抱きつこうとするらしく、ブスだと顔を背け、抱きつこうとしないそうである。幼い子供は理性でなく本能で行動するから、大人は冷や冷やするらしい。こうした行動様式はともかく、高額所得者の親を持つ子供は有利だ。お金持ちの保護者は自由に私立学校を選択できるし、優秀な講師を揃えた英語塾にも通わせることができる。しかし、低所得の家庭だと公立学校へ通わせることしかできない。つまり、「選択肢」の無い親子は、どんな学校でも我慢するしかないのだ。

  「日本の学校における教育理念とは何なのか」については様々な意見があるけれど、「立派な日本国民を育成する」ということに関しては、異論はあるまい。いくら英語を流暢に話して歐米人と対等に議論できるといっても、外国人に対して卑屈なら日本人としては失格だ。英語を習得することだけに労力を費やし、大人になっても自国の文化を知らず、日本語さえも未熟なら、こうした人物は歐米人の小使いに過ぎない。まるでローマ人の将軍に飼われたユダヤ人通訳みたいなもので、便利だけど尊敬に値しない「下僕」である。日本人が思考する時に用いる言語は日本語であり、その性格を形成するのも日本語である。その大切な言葉遣いが幼稚で、日本の歴史についても無知な者が、祖国に誇りを持って生きて行けるのか? アメリカ人やイギリス人は、いくら英語が達者な日本人でも、揉み手すり手でやって来る小僧を「対等な者」とは思わない。現在の英語教育は歐米人に対する劣等感を植え付けるだけで、卑屈な日本人を大量生産する結果になっている。我々は英語が苦手なことで尻込みする必要は無い。もし、「英語を流暢に話せるんだぞ」と自慢するクラスメートに会ったら、「ああ、すごいねぇ。まるでフィリピン人みたい」と褒めてやれ。どんな顔をするのか楽しみだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691561.html


専門家が直言「TOEICが日本を滅ぼす」2018年4月20日 プレジデントオンライン


英語能力のテストとして、学校教育でもビジネスでも重要視されるTOEIC。しかし長年、企業の語学研修に携わってきた猪浦道夫氏は「TOEICは英語能力検定試験として欠陥がある。TOEIC対策講座に成り下がった英語教育を進めることで、母国語をふくめたそもそもの言語教育に悪影響が出ており、日本人の知的レベル低下を招いている」と警鐘を鳴らす――。

■TOEICハイスコアは成功への登竜門?

筆者は長年、語学教育にたずさわってきましたが、30年ほど前から学校の英語教育が「文法偏重から会話力重視へ」と急カーブを切り始めました。そのころからビジネス界でもグローバル化の標語のもとに、ビジネスピープルたるもの「誰もが英会話力は必須」のような雰囲気になってきて、どこか不気味な感じがしていました。

その象徴的な存在がTOEICの急成長です。昨今では、あたかもこれからの教育界、ビジネス界ではTOEICのハイスコアが成功への登竜門であるかのごとくみなされるようになってきています。

1990年ごろまで、英語力を認めてもらうには「実用英語技能検定(英検)」が一般的でしたので、この試験は英検に比べてさぞかし画期的な試験なのかと思いました。そこで、この試験の問題を分析してみましたが、そのときの正直な感想は、「これがビジネスに役立つ実践的な英語力とどういう関係があるのか。全体的に英検のほうがまだ数段優れているな」というものでした。

にもかかわらず、TOEICの浸透はやがて文科行政、企業教育にまで及んできて、いまや猫も杓子もTOEICという状況になりました。知人、生徒たちにTOEICの感想を尋ねてみると、その反応の多くは、TOEICなんてあまり意味がないけど上から受けろと言われたので、就職の書類にスコアを書く欄があるので、また若い世代の場合、大学受験で一定のスコアが求められているから仕方がない、という消極的またはやや否定的な意見でした。

いまや、小中学校から大学、大学院、そしてビジネスピープルに至るまで、なんでもかんでもTOEICで学習者の英語力を図ろうとしています。

しかし、TOEICで測れる英語の能力は、あたりさわりない英語トーク(しかも米語の発音)の聴き取りと、専門性の低い英文の理解力だけです。しかも、後者の場合、日本語をまたいでの翻訳力はまったく評価できません。この点では、いろいろな問題はあるにせよ、英検のほうが圧倒的に優れています。

しかるに、言語能力というものは多様でそんな単純なものではありません。「聞く」「話す」「読む」「書く」の4つの能力の区別はよく知られていますが、もう少しキメ細かく見ると、「聞く」「話す」の部分は「通訳能力」があるかどうか、「読む」「書く」の分野は「翻訳能力」があるかどうかの視点も考慮しなければなりません。

さらに、それらの能力はスピーチレベルというものを考慮しなければなりません。おおざっぱに分類しても、現地の人と日常のくだけた会話をするレベル、改まった場面で正式な話し方をするレベル、そして、専門分野の情報交換に必要なコミュニケーション能力です。文章にも、この区別が厳然としてあります。

■本当に英語力が必要な人、不必要な人

英語を学ぶ場合、学習者がどのような目的で学ぶのかによって、どこのゾーンの能力をどの程度まで伸ばすかを考慮しなければ時間の無駄になります。

例えば、日本の大学生がその専門分野の研究において必要としている英語能力とは何でしょう。それは英会話の能力ではなく、原書を読み理解する能力です。大学院レベルの研究(特に理系)においては、それに加えて英語で論文を書く能力が求められましょう。

一方、企業活動における英語力とはどうあるべきでしょう。実は90%のビジネスピープルは高度な英語力を必要としていません。国際化、グローバル化の掛け声のなかで「少しぐらい英語ができないとみっともない」といった曖昧なイメージだけが先行しているだけで、実際に現場にいるビジネスピープルの多くは英語を使う機会はありません。

英語を必要とするのは、海外とのやりとりがある部署の人間だけです。英語を必要としない社員にまで画一的にTOEICの勉強を強要しようとするのは、経理部で働く可能性のない社員に簿記の試験を受けろと言っているようなものです。企業活動のそもそもの目的を考えれば、ビジネスの現場でほとんど役に立たない英語力を少しぐらいアップさせる時間があったら、ビジネスの力を磨いたほうが会社にとってメリットが大きいはずです。

もしビジネスを目的として英語を学習するにしても、個々人の業務内容を考慮してターゲットを絞るべきです。例えば、英文メールが書ければよい、英語文献などを読んで情報分析できなければならない、頻繁に外国人ビジネスピープルと交渉事がある、といったものです。そのレベルによって求められる英語力は大きく異なります。漫然とオールラウンドに高度な英語力を身に着けたいと思っているならば、それは差し迫った必要性に迫られていない証拠です。

■国語ができなきゃ英語なんてできるわけがない

私は、最近、英語のみならず母国語である日本語も含めて、日本人のコミュニケーション能力、論理的思考力が変調をきたしているのではないかと思うようになりました。この傾向は、一般の人々や若者ばかりでなく、ビジネスピープルや知識人と呼ばれる人々のあいだでも顕著で、はたで他の人のトークを聞いていても話がかみ合っていないと感じることが多いのです。

私はこの度『TOEIC亡国論』という、あえて刺激的なタイトルの本を出版しました。それはなぜか。本稿でもこれまで、英語能力試験としてのTOEICの欠陥を示してきましたが、そんな試験が社会に当たり前のように受け入れられてしまったことで、英語にとどまらない言語教育そのものに悪影響を及ぼしはじめているという、強い危機感があるからです。

認知科学者で慶應義塾大学名誉教授の大津由紀雄氏は、文科省「教育の在り方に関する有識者会議(第3回)」において、大学での英語教育の現状を「TOEICの対策講座化に堕している」と評し、「TOEICでの高スコアは必ずしも英語の熟達度を示すものではな」いと喝破しています。

そしてその原因として、「そもそも日本語がきちんと使える人が非常に少ない」ことを挙げ、母国語教育と英語教育のあり方に同根の問題があることを指摘しています。

本来あるべき言語教育とは、英語という特定の言語に偏ることなく、言葉そのものに対する興味をさまざまな角度から養い、母国語と外国語をよく比較観察しながら「ことばの仕組みとか動き」を理解するものであるべきだと、大津氏は言います。

しかも、そもそも「比較観察」する前提となるのは国語力。国語力は思考と深く関連性があり、言語というものは思考した結果を表現するツールに過ぎません。だから、英語を学ぶ以前に、国語力に立脚した思考能力がなければ話にならないのです。

外国語の能力は母国語の能力を上回ることはないが、外国語を知ることは母国語を見直す契機となり、母国語の習熟度を高めます。英語学者の渡部昇一氏はこれを「知的格闘」と呼んでいましたが、外国語を知ることは、母国語と外国語両方に望ましい教育効果が期待できるのです。

■TOEICを目的とした教育で「母国語力」が低下している

ところが、TOEIC対策講座と化した外国語教育では、前述した通り、翻訳能力や通訳能力、そして実践的なスピーチ能力が、正しく身につくとはいえません。大津氏のいう「比較観察」も、渡部氏のいう「知的格闘」も磨かれず、外国語教育で求められる「母国語と外国語両方の習熟」という効果が期待しづらいと言えるでしょう。にもかかわらず、TOEICの点数さえよければいい、という教育を続けていれば、日本語力は磨かれず、当然ながら、日本語力を基盤とする思考力も育たない。

同時に、英語教育における学習者のレベルダウンは、言語学的見地から言えば、紛れもなく背景に国語力の欠如と、読み書き、文法学習の軽視に原因があることはまず間違いありません。つまり、日本語教育がうまく言っていないから、英語力も育たない。

他方で、TOEICの対策講座になった英語教育のせいで、日本語力が育たない。このような負のスパイラルは、基本的には学校教育での誤った教育方針が原因です。重ねて言いますが、そのあしき傾向を助長しているのがTOEICの存在で、その弊害はもはや看過できないレベルにまで達しています。

■日本語教育と外国語教育をセットで考え直すべし

その危機感は最近ますます強まっています。私はときどき国会の審議で答弁している官僚の話し方とか、テレビ番組に出ているコメンテーターと言われる人たちの会話や討論を聞くことにしています。そこで感じたことですが、意識的に論点をずらすとかある種の交渉術的な戦略があることを考慮しても、それ以前に日本語もおかしいというか、きちんとした日本語を話していない人も多い。

一方には、インテリを気取ってところどころ誰にもわからないような英語を交えて話す人もいて、そういう討論を聞いていると、そもそもこの人たちはコミュニケーションする気があるのだろうかという気さえしてきます。

今の世の中は殺伐といていて、子供殺しの親とか、モンスターペアレンツ、会社内での過労死など、痛ましい事件が後を絶ちませんが、これらの事件は、背景に日本語力の貧困によるコミュニケーションの欠如に遠因があるのではないかとすら思えてきます。唐突に思われる方もあるかもしれませんが、自分の考えを理解してもらえないと、人間というものはすごいフラストレーションを感じ、それが極限に達すると「切れる」ものなのです。

文科省の行政指導には、大きな問題があります。経済政策とか外交政策とか、およそ政策というものは、基本的には優れた専門家による検討を踏まえて決められていくものでしょう。ところが、文科省の(特に)英語教育に関しては、優れた専門家の諮問に耳を傾けているとはとても思えません。志ある立派な専門家がどれだけ主張しても、一向にそれが好ましい形で英語教育に反映されません。

浮ついた英語学習を改めて、そろそろ日本人の言語教育がどうあるべきか、国際社会での真のコミュニケーション能力には何が必要かを、国民ひとりひとりが原点に立ち返って考え直してほしいと思う今日この頃です。
http://news.livedoor.com/article/detail/14604971/


2018.4.3
英語を仕事で使う人の数は減少傾向という現実、むしろ必要な力とは
榎本博明:心理学博士、MP人間科学研究所代表+ 
http://diamond.jp/articles/-/165663

2020年東京オリンピックでの「おもてなし」に向けて、“英語ファースト”の時代が訪れている。「いまの時代、英会話ぐらいできないと」、「英語は早いうちから学んだ方がいい」と言われるが、

『その「英語」が子どもをダメにする』(青春出版社)
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4413045203/diamondonline-22/


の著者・榎本博明氏は、そんな思い込みが蔓延する英語“偏重”な教育現場に警鐘を鳴らす。

実際、仕事で英語は本当に必要?

 現在、日本人は仕事上どれくらいの頻度で英語を使っているのだろうか。仕事で英語を話す機会といえば、海外支店に転勤になった場合か取引相手が海外の企業だった場合ぐらいである。

 とはいうものの、これからグローバル化が進む時代で、実際は英語の必要度がどんどん増しているのではないかと考える人も多いだろう。

 これについては、実証的なデータがある。言語社会学者の寺沢拓敬が行った調査で、「日本で実際にどれぐらいの英語が使われているか」を検証した。2002年の調査結果では、仕事で英語を「よく使う」人と「ときどき使う」人を合わせた比率は12.7%だったのに対し、2008年は13.3%と6年間でほとんど変化はみられなかった。

 さらに、「過去一年間に仕事で少しでも英語を使った」という人の比率は、2006年21.0%に対し、2010年は16.3%と、むしろ減少傾向にあるのだ。

このようなデータを見るかぎり、これから先も日本で仕事する上で本当に英語が必要になってくるのか疑問になってくるだろう。

 また、企業が社員にもとめる能力を調査したところ、英語力よりもむしろ専門性や柔軟性、そして仕事ができること、だれとでもコミュニケーションがとれることだったという。(『週刊金曜日』2013年11月8日号)

 最近では、英語は入社後でも十分身につくという考えが広がり、企業では仕事を進める力や人間力が重視されているというのが実態である。

 やはり、子どもの将来を考えた場合、英語教育に先走るよりも、まずは日本語力や思考力の基礎をしっかり固めることが優先されるべきだといえるだろう。

就活で「コミュニケーション力」が重視されるワケとは?

 新卒採用で多くの企業が最も重視するのが、「コミュニケーション力」だ。これはもちろん日本語でのコミュニケーションのことを指す。例年、「主体性」や「意欲」などを抑えて「コミュニケーション力」が圧倒的に重要視されるのはなぜだろうか。

 これは、近年の大学生の日本語能力の低下が関係していると考えられる。たとえば「内向的」「情緒不安定」「引っ込み思案」などの言葉が通じなくなってきていると榎本氏はいう。

 多くの大学教員が、学生に対して心理検査やアンケート調査ができなくなってきたというが、それは質問項目の意味がわからないという学生が増えてきたからといわれている。

 最近の学生は、SNSでのやり取りで記事を投稿したり友達と会話するなど、言葉に触れる経験は豊富なのだが、本をあまり読まないため、読書体験で得られるはずの豊かな表現や抽象的な概念に触れる機会がないのだ。

このように、英語どころか日本語のコミュニケーションさえうまくできない若者が増えているため、企業としては何としても「コミュニケーション力」がある若者を雇いたいと思うわけである。

 さらに、2007年から日本語検定が行われるようになり、企業の採用試験や研修で使われているという。そのようなものが必要になったということは、それだけ日本語に不自由な若者が増えてきたことの証拠といえるだろう。

英会話ができても、外国人と対等にはなれない

 そもそも日本人の多くが、英会話を話せれば外国人と対等にコミュニケーションがとれていると勘違いしている。その勘違いゆえに、わが子に英会話を習わせたいという親が多いのだ。

 もちろん英会話を話せないより話せた方が、コミュニケーションは円滑に進むだろう。しかし、“話せる”ことだけに注力してしまうのは危険である。

 子どもの言語発達について、発達心理学者の岡本夏木氏は、日常生活の言葉である「一次的言葉」と授業の言葉である「二次的言葉」を区別している。

「一次的言葉」は、具体的なことがらについて、いわば、日常生活において身近な人たちとの間で会話するための言葉である。それに対し「二次的言葉」は、抽象的な議論にも使える言葉であり、そこには話し言葉だけでなく書き言葉も加わったものである。

要するに、日常生活の具体的な場面の会話で用いる言葉か、教室で授業を受ける時などのように抽象的思考や議論をする時に用いる言葉か、ということだ。

 日本語を不自由なくしゃべっていても勉強ができない日本人、知的活動が苦手な日本人がいくらでもいるように、大事なのは学習言語能力、つまり後者の「二次的言葉」を磨くことである。それができないと、授業についていけず、ものごとを深く考えることができない子になってしまうのだ。

 幼いうちから英会話に注力しすぎた結果、英語どころか日本語能力も低く、日本語の文章が読めなかったり抽象的な議論ができないとなれば、取り返しがつかないだろう。

 先述しているように、英語はある程度大きくなってからでも学ぶことは十分可能なのだから、小さいうちから焦る必要は何もないのである。

 英会話は勉学ではなくあくまで「コミュニケーションのツール」。子どもが大きくなって勉強や仕事で本当に必要な能力は何なのか。親には、目先の能力にとらわれず、子どもの将来を見越した教育を受けさせることを忘れずに、わが子と向き合ってほしい。
http://diamond.jp/articles/-/165663


内田樹の研究室 2017.11.03 大学教育は生き延びられるのか?
独立行政法人化から後、日本の大学の学術発信力は一気に低下しましたけれど、それも当然なんです。法人化があって、学部改組があって、カリキュラム改革があって、そこに自己評価や相互評価が入ってきて、次はCOEだとかRU11だとかグローバル人材教育とか、ついには英語で授業やれとか言われて、この15年くらいずっとそういうことに追い回されてきたわけです。

グローバル人材育成と称して、今はどこでも英語で授業をやれというプレッシャーがかかっている。どう考えても、日本人の学生相手に日本人の教員が英語で授業やることに意味があるとは思えない。

実際にそういう大学で働いている人に聞きましたけれど、オール・イングリッシュで授業をするとクラスがたちまち階層化されるんだそうです。

一番上がネイティヴ、二番目が帰国子女、一番下が日本の中学高校で英語を習った学生。

発音のよい順に知的階層が出来て、いくら教員が必死に英語で話しても、ネイティヴが流暢な英語でそれに反対意見を述べると、教室の風向きが一斉にネイティヴに肩入れするのがわかるんだそうです。コンテンツの当否よりも英語の発音の方が知的な位階差の形成に関与している。

これも英語で授業をしている学部の先生からうかがった話ですけれど、ゼミの選択のときに、学生たちはいろいろな先生の研究室を訪ねて、しばらくおしゃべりをする。その先生のところに来たある学生はしばらく話したあとさらっと「先生、英語の発音悪いから、僕このゼミはとりません」と言ったそうです。その方、日本を代表する批評家なんですけれど、学生はその名前も知らなかった。
そういうことが今実際に起きているわけです。ではなぜこんなに英語の能力を好むというと、英語のオーラルが教員の持っている能力の中で最も格付けしやすいからです。一瞬で分かる。それ以外の、その人の学殖の深さや見識の高さは短い時間ではわからない。でも、英語の発音がネイティヴのものか、後天的に学習したものかは1秒でわかる。

『マイ・フェア・レディ』では、言語学者のヒギンズ教授が出会う人たち一人一人の出自をぴたぴたと当てるところから話が始まります。『マイ・フェア・レディ』の原作はバーナード・ショーの『ピグマリオン』という戯曲です。ショーはヒギンズ教授の口を通して、イギリスでは、誰でも一言口を開いた瞬間に出身地も、職業も、所属階層も分かってしまうということを「言語による差別化」(verbal distinction)としてきびしく告発させます。ヒギンズ教授は誰でも口を開いて発語したとたんに、その出身地も学歴も所属階級もわかってしまうというイギリスの言語状況を批判するためにそういう曲芸的なことをしてみせたのです。すべてのイギリス人は同じ「美しい英語」を話すべきであって、口を開いた瞬間に差別化が達成されるような言語状況は乗り越えられねばならない、と。だから、すさまじいコックニー訛りで話す花売り娘のイライザに「美しい英語」を教えて、出身階層の軛から脱出させるという難事業に取り組むことになるのです。

でも、今日本でやろうとしているのは、まさにヒギンズ教授がしようとしたことの逆方向を目指している。口を開いた瞬間に「グローバル度」の差が可視化されるように英語のオーラル能力を知的優越性の指標に使おうとしているんですから。それは別に、英語がネイティヴのように流暢に話せると知的に生産的だからということではなく、オーラル能力で階層化するのが一番正確で、一番コストがかからないからです。

日本中の大学が「グローバル化」と称して英語教育、それも会話に教育資源の相当部分を費やすのは、そうすれば知的生産性が向上するという見込みがあるからではないんです。知的な生産性という点から言ったら、大学ではできるだけ多くの外国語が履修される方がいい。国際理解ということを考えたら、あるいはもっと現実的に国際社会で起きていることを理解しようと望むなら、英会話習得に教育資源を集中させるよりは、外国語履修者が中国語やドイツ語やトルコ語やアラビア語などに散らばった方がいいに決まっている。でも、そういう必要な外国語の履修については何のインセンティブも用意されていない。それは、英語の履修目的が異文化理解や異文化とのコミュニケーションのためである以上に格付けのためのものだからです。

TOEICはおそらく大学で教えられているすべての教科の中で最も格付けが客観的で精密なテストです。だからみんなそのスコアを競うわけです。競争相手が多ければ多いほど優劣の精度は高まる。前に申し上げた通りです。だから、精密な格付けを求めれば求めるほど、若い人たちは同じ領域にひしめくようになる。「誰でもできること」を「きわだってうまくできる」ことの方が「できる人があまりいないこと」を「そこそこできる」ことよりも高く評価される。格付けに基づいて資源分配する競争的な社会は必然的に均質的な社会になる。そうやって日本中の大学は規格化、均質化し、定型化していった。
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内田樹の研究室 2018.01.31
『街場の文体論』韓国語版序文


これが韓国語訳されることになったわけですけれど、果たして僕がこの授業で取り上げたさまざまなトピックが隣国の読者たちにとっても同じような切実さを持つものかどうか、確信がありません。でも、一つ言えるのは、韓国でも日本でも、言語が遭遇している危機についてはおそらくそれほどの違いはないということです。それは母語が痩せ細っているということです。序文として、それについて少しだけ思うことを書いてみたいと思います。

母語が痩せ細っているというのは、現実的には英語が支配的な言語になりつつあるということです。すでに各種の学会ではそうなりつつあります。

自然科学系の学会ではしばしば日本人だけの集まりでも発表や質疑は英語で行われます。研究者たちは英語で論文を読んで、英語で論文を書いて、英語で議論する。

韓国でも事情は同じだと聞いています。どちらも英語での大学の授業数が増えています。

「留学生数」や「海外提携校数」や「英語で開講されている授業数」や「外国人教員数」が多い学校に助成金がたくさん分配される。

だから、どの大学も必死になって英語に教育資源を集中的に分配するようになっています。

日本では中学高校で英語の授業は英語で行うことが定められました。

こういう流れを「国際化」とか「グローバル化」といって肯定的に語る人がたくさんいます。でも、それはそんなに喜ばしいことなんでしょうか。

とりあえず日本において統計的に一つだけわかっていることは、母語の教育を疎かにして、限られた教育資源を英語に集中するようになってから英語力が低下したということです。

この現実に慌てた政府は日本人が英語ができないのは学習開始年齢が遅いからだという根拠のない解釈に飛びついて、英語教育の開始年齢をさらに引き下げて、小学校3年生からの英語教育開始を決めました。結果はまだ出ていませんが、英語力を含めてすべての学力が低下することになるだろうと僕は予測しています。

なぜそんなことが起きるのか。それは言語政策を起案している日本の政治家や官僚や学者たちが「言葉を使う」という営みの複雑さを知らないからです。

彼らは言語というものを自転車や計算機のような「道具」だと思っている。こちらに道具を操作する主体がいて、あちらに道具がある。性能のよい道具を手に入れ、操作技術に習熟すれば仕事が捗る。そう思っている。

でも、それは違います。言葉は道具じゃない。僕たちが言葉を使うというより、僕たち自身が言葉で作られているのです。僕たちが言葉を支配しているのではなく、むしろ僕たちが言葉によって支配されているのです。

言葉は僕たちの血であり、肉であり、骨であり、皮膚である。それがどのような質のものか、どのようなかたちのものか、どのような特性を持ったものかによって、僕たち自身のものの考え方も、感じ方も、生き方もすべてが影響を受ける。

英語を巧妙に操れるようになるということは、「英語を母語とする種族のものの考え方、感じ方」をわが身に刻み込み、刷り込んでゆくということです。そのことの重大さに人々はあまりに無自覚だと思います。

アメリカの植民地であったフィリピンでは英語が使えないとビジネスマンとしても公務員としても教師としてもジャーナリストとしてもよい職には就けません。だから、地位のある人たちはみんなみごとな英語を話します。

フィリピンの生活言語はタガログ語です。でも、タガログ語ではビジネスをすることも政治や経済について語ることもできません。そのための語彙が母語にはないからです。

フィリピン人のある大学の先生がこう語っていました。「英語で話せることは実利的(practical)であるが、母語では話せないことは悲劇的(tragical)だ。」

なぜ悲劇的であるのか。それはこのような言語環境に置かれている限り、フィリピン起源の政治理論や芸術運動が出現する可能性が絶望的に低いからです。

知的なイノベーションは(ほとんどの場合)母語による思考から生まれてくるからです。
母語が痩せ細っていれば、知的なイノベーションは始まらない。

例えば僕たちは母語でしか新語(neologism)を創ることができません。新語というのは、勝手に作れるわけではありません。条件があります。それは生まれて初めて耳にした語であるにもかかわらず、聞いた瞬間に母語話者たちにはその語義もニュアンスもわかるということです。だから、あっという間に広がる。これは外国語ではできません。自分で新語を作ってみても(例えば、不規則変化は覚えるのが面倒だからこれからは“I went”ではなく”I goed”にしようと僕が提案してみても)「そんな言葉はない」と冷笑されるだけです。

新しい言葉を創れないということは、新しい概念や新しいロジックを創ることができないということです。創造的なアイディアが思い浮かんだ時のことを思い出せばわかります。それは「喉元まで出かかっているのだけれど、まだ言葉にならない」というもどかしさを伴う経験です。アイディアは身体の奥の方から泡のように湧き出てくるのだけれど、まだはっきりしたかたちをとることができないでいる。最終的にそれなりの言葉になるのですけれど、それは手持ちの言葉を引き延ばしたり、押し拡げたり、これまでそんな語義で使った前例のない使い方をしたことでようやく達成されます。創造的な概念がかたちをとる時には母語もまた変容する。知的創造と母語の富裕化は同期する。

言葉を使うというのは、そういう力動的なプロセスなのです。道具を使うのとは違います。

鋏を手に持っている時にその新しい使い方を思いついたら、鋏がその思いに合わせて形状を変え、材質を変え、機能を変えるということはあり得ません。その「あり得ない」ことが母語においては起きる。それを考えれば、母語の運用がいかに生成的なものであるかが想像できると思います。そして、この知的創造は(例外的な語学の天才を除けば)母語によってしかできません。既存の言葉を引き延ばしたり、押し拡げたり、たわめたり、それまでにない新しい語義を盛り込んだりすることは母語についてしかできないからです。

ですから、母語が痩せ細るというのは、その言語集団の知的創造にとっては致命的なことなのです。

植民地帝国はどこでも自分たちの言語を習得することを植民地現地人たちに強要しました。

宗主国の言語は強国の言語であり、当然「グローバル」な言語であるわけですから、植民地化された人たちはそれを習得したことで、政治的にも経済的にも学術的にも実力をつけて、国際社会の中で以前よりは高い地位に達してよいはずです(日本の英語政策はまさにそのような発想に基づいて実施されています)。

でも、歴史はそのような実例を一つも教えてくれません。

なぜ宗主国は植民地に「グローバルな言語」の使用を強要するのか。

それは宗主国の言語を習得した植民地人たちには母語を富裕化する動機が失われるからです。そして、母語が痩せ細ると知的創造の機会が失われる。

植民地人たちは、自分たちの歴史的現実について語ろうとする場合でさえ宗主国のロジック、宗主国の歴史観、宗主国の世界戦略に即してしか語れないようになる。父祖伝来の「家産」的な生きる知恵と技術を伝え、それに即して生きることができなくなる。母語が痩せ細るというのはそういうことです。

僕が「クリエイティブ・ライティング」という授業を始めたのは、「グローバル化」潮流の中で日本語が痩せ細り始めているということに強い危機感を抱いたからです。

でも、母語を豊かなものにすることは集団の知的創造性において必須であるということが言語政策を考えている人たちには理解されていません。その結果、日本の知的生産力は21世紀に入ってから急激に劣化しました。

一昨年の秋にはForeign Affairs Magazine が昨年春にはNature がそれぞれ日本の研究力の劣化について長文の分析記事を掲載しました。それほど危機的な状況であるのにもかかわらず、日本の教育行政はすでに失敗が明らかになった「グローバル化に最適化する教育」をさらに加速させる政策をいまも次々と採択しています。これは日本の知的生産力に回復不能の傷をもたらす結果になるでしょう。

誤解して欲しくないのですが、僕は外国語教育の重要性を否定しているわけではありません。僕自身は最初に中学生で漢文と英語を習い、大学ではフランス語を集中的に学びました。その後は(どれもものにはなりませんでしたけれど)ドイツ語、ラテン語、ヘブライ語を独学しました。去年からは韓国語の勉強も始めました。新しい外国語を学ぶとは、異国の人々の自分たちとはまったく異なる宇宙観や倫理規範や美意識に触れることです。それによって自分の母語的偏見が揺り動かされることに僕はいつも深い驚きと喜びを経験しています。そして、これらの外国語との触れ合いは間違いなく僕の母語運用能力を高め、もし僕が母語においてなにごとか知的創造を果たしたとすれば、それに深く関与したと思います。

でも、いま「グローバル化」の名の下で行われているのは「母語的偏見を揺り動かされる」ような生成的で鮮烈な経験ではありません。「英語ができないと出世ができない、金が稼げない、人にバカにされる」というような怯えに動機づけられた外国語との出会いが生産的なものになると僕にはどうしても思えないのです。

この本は「母語が痩せ細っている」という危機感の中で行われた授業の記録です。きっと韓国にも自国語の豊かさと創造性について、僕に似た危機感を抱いている人がいるのではないかと思います。そういう人たちにぜひ読んで欲しいと思います。
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チェスタトンの外国語論 早期英語教育は有害


グローバリストの奴隷育成

  文部科学省の中央教育審議会で子供に英語教育を施す環境作りを議論しているそうだ。(『日本の議論』「英語」は本当に必要なのか / 産経新聞 2014年12月20日) 平成28年度にも改定される新学習指導要領では、小学生高学年から英語が科目として導入されるんだって。高校生には英語で討論や交渉力を高めるような教育方針にするという。まったく役人ってのは、どうして余計なことだけでなく、邪魔な改定をするのだろう? 小学生に英語教育など不必要だし、他の教科の時間を削るから有害である。どうせ現場の教師はてんてこまいになって、やる気のない子供は無理強いされてふくれっ面するだけだ。多少興味を示す子供だって、たかが数時間の授業だから挨拶程度でおしまい。すぐペラペラ喋れると期待した子供は授業に失望するだろう。かくして英語の授業はお遊戯の時間となって、子供の学力はみるみる低下するだけ。したり顔のお役人様にいい英語を教えましょう。
Bloody fool, arsehole ! (アホんだら)

  文部官僚や学校教師は立場上の損得勘定をしているから脇に寄せといて、肝心の子供はどのような意見をもっているのか。ベネッセが6200人にアンケートした調査によれば、中高校生の90パーセントが仕事で英語を使うようになる、と予測していることが分かった。テレビや雑誌、学校などで英語の必要性が宣伝されているから当然だろう。しかし、「自分自身が英語を使うイメージがあるか」との問いに対しては、中学生44パーセント、高校生46パーセントが「ほとんどない」と答えたそうだ。具体的な仕事に就いていない生徒に、切迫した現実的必要性はないだろう。

  ところが、英語教育を推進したいのは財界だ。経団連からやって来た三宅龍哉委員は、海外に社員を派遣するときに企業が英語教育をせねばならぬ、と不満の意見を述べた。要は企業が英語教育費を負担することになるから、学校の方(税立施設)で費用と時間を持ってくれ、と要求しているのだ。虫のいい提案だろう。

  もっとけしからんのは、元入試センター教授の小野博・福岡大学客員教授だ。小野氏は「社会情勢の変化により日本企業のアジア進出が更に拡大したり、逆に移民を受け入れるなど、今後日本社会は変化を余儀なくされる可能性が高い。英語は必ず必要になる」と断言したそうだ。こういう馬鹿が教授になっているのだから、いかに大学が堕落しているか分かるだろう。イギリス人が日本に移住してくるわけがなく、おもに英語圏のアジア人を想定しているのだろう。たとえば、フィリピン人のためにどうして我が国の子供が英語を勉強せねばならぬのか。フィリピン人が移民せぬよう防ぐことの方がよっぽど重要である。「社会情勢の変化」という“まやかし”の言葉を用いるところなど、小野氏には如何にも詐欺師的匂いがする。まるで彼は国境を破壊してアジア人を引き入れようとするグローバリストの手先みたいだ。

  小野氏のような腰巾着を登用する財界と役人は、日本人労働者の生活水準をアジア人並(つまり奴隷状態)に下げて、低賃金でこき使いたいだけだろう。そのために小学生から低賃金労働者にすべく、税金を使って調教しようとする肚は見え透いている。国際企業にとりアジアはリスクが高い。社会インフラが貧弱だったり、政情不安で暴動を気にせねばならない。せっかくの投資がパーになったら大変だ。安全で便利な日本で製品を作りたい。日本にインドやシナ、フィリピンから安い労働者を輸入して、利益を最大限まで上げたい。その時、日本人労働者がアジア人と共同して作業できるために、共通語たる簡単な英語が必要なだけだろう。その英語だって簡単な単語を並べて、お互いに推理しながらの意思疎通だ。

  じゃあ聞くが、英語を社員に強要する社長や重役たちは本当に英語で会話しているのか? そんなに英語力が重要なら、英米の有能人物を雇えばよいだろう。そんなこと言ったらお偉方は沈黙。つまり、自分たちは“日本人社員”に向かって、“日本語”で言いたい放題の指図をしたいが、社員どもは雑談でさえ英語を使えと命令するのだ。ユニクロや楽天の社員はどう思っているのだろうか? 日本語では傲慢な態度の重役らは、英米の白人社員の前だと、そのお粗末な英語を披露せねばならぬから、態度が急変して作り笑顔になることがよくある。彼らは同期の重役仲間とは、日本語で会話しながら“のびのびと”ゴルフを楽しむ。ゴルフ場が会議室。英語で雑談などしない。二極分化している日本では、上流階級の子弟は、進学校で英才教育を受けながら日本語で会話をし、低能教育しか受けていない低賃金労働者は、社会の底辺から抜け出せぬ人生を送り、職場ではブロークン英語を強要される仕組みが出来上がる。

怨みのこもった英語教育熱

  日本人が「英語だ、英会話だ」と騒ぐ原因は、多くの国民に学校での英語教育に対する怨みがあるからだろう。十年間くらい勉強したのに、イギリス人やアメリカ人の前でちっとも流暢に喋れないどころか、外人の話を聴き取ることすらできない。そうした若者が親になったら、自分の子供だけは違った教育で英語を流暢に話せるようにさせたい、などと決意して欧米系のインターナショナル学校に入れたりするのだ。勉強が出来なかった親に限って、お金で環境さえ整えれば我が子は自分と違った秀才になると思っていやがる。ばぁーか。蛙の子はカエルだ。日本では英語が喋れるくらいで、自慢になり仕事がもらえる。日テレで英語を披露していた関根麻里という藝人(何の藝かな?)は、米国なら単なる小娘だからテレビに出られない。オヤジの関根勤のほうがよっぽど外国で通用する。だってカマキリ姿でギャグをする藝人の方がアメリカ人にとって面白い。(若きラビット関根の十八番。ただし娘の番組は一度しか観ていないので詳しく語れない。ゴメンなさい。) つまり、子供にはまづ中身のある教育を施し、立派な日本人に育てることが優先事項である。

  元NHKワシントン特派員だった日高義樹の英語なんて酷かった。テレビ東京のレギュラー番組で、ヘンリー・キッシンジャーにインタヴューしたとき、日高氏は、たんに自分の英語を自慢したいがために、通訳を附けずに対談していた。もともと教養がない日高氏が、不慣れな英語を使って鋭い質問など出来るはずがない。台本通りの質問を得意げに吐いていたから、視聴者はつまらないし、どうでもよくなってシラケてしまう。日高のアホは英語より先に政治や歴史を勉強しろ。むかしソニーが輝いていた頃、盛田昭夫会長の話は傾聴に値するものだった。彼の英語は拙(つたな)くても、思わず聞きたくなるようなモノだった。盛田氏の個人的魅力があったからかも知れないが、彼は米国で信念と情熱を込めて中身のある議論を交わしていたのだ。対話しているアメリカ人は、極東アジアから来た英語を喋る九官鳥ではなく、背骨の通った日本の国士を相手にしていたのである。

  つい最近、エアー・バッグ製造のタカタが、缺陷(けっかん)製品のリコール問題で社長が米国の公聴会に召喚され弁明していた。しかし、彼の英語はどちらかと言えば下手で、筆者は大企業の社長でもこの程度かと思った。(詳しく言えば、話す英語にリズムや強弱がないのだ) 大切なのは弁明の中身であり、誠意を示す表現なり態度である。見え透いた嘘を流暢な英語で語っても、アメリカ人は感心しないのだ。個人的魅力がない日本人がいくら英語を喋っても、そのへんのパンク野郎か乞食と同じだろう。日本人は人格形成を蔑ろにして、簡単な英語で空虚な会話を習得しようとしている。せっかく英語を習得したのに、アメリカ人から「へぇー、英語上手ね。あんた香港からの支那人?」て尋ねられたら、日本人は「何を無礼者」と怒るだろう。語学より大切なことがあるのだ。

英語学習より英国史が先

  数学教育についても言いたいことがあるが、今回は語学教育に限って述べたい。日本人が英語を勉強するときには、何らかの目的があってのことだろう。子供はいったい英語で何がしたいのかがはっきりしないまま、学校で英語を詰め込まれるのだから、英語嫌いになって当然だ。日本の公教育は子供に勉強が嫌いになるようプログラムされている。「そんなこととないぞ。こっちとら、一生懸命頑張ってるんだ」と教師は反論するだろう。でも、スクールがギリシア語の「スコラ(σχλη)」から由来することは周知の通り。つまりギリシア人は日常の雑用や仕事を奴隷にやらせて暇だから、みんなで集まって宇宙や地球の構造や摂理を探求するといった趣味に興じていたのだ。だから、幾何学や哲学、論理学といった学問をあれこれ討論しても、定期テストや入試なんか持ち出さなかった。もちろん最低限の基礎知識は必要だ。まったくの素人では議論にならない。ただ、船大工なら親方が新入り職人をテストすることはあっても、プラトンやソクラテスが哲学の議論で仲間に学期末試験なんて課さない。謂わば「オタク族」の集まりにそんなの要らないのだ。しかし、現在の学校では、子供を将来の労働者にすべく、効率的に職業訓練を施したいから、実力試験を課して達成度を測りたいのである。食肉にされるブロイラーが餌と抗生物質で効率的に飼育されるのと同じ要領。家庭で日本語を話している小学生や中学生が、いきなり外国語を強要され、試験でランクづけされたあげく、もっと勉強しろと命令されたら楽しいはずがない。一週間にたった数時間の授業で文法(syntax/grammar)や発音が全く違う言語を習得するなど無理。苦痛のみが増幅するだけだ。一方、ヨーロッパ人にとって英語は姉妹語だから簡単(gravy)である。

chesterton 1  ここで、英国の有名な偉人ギルバート・K.・チェスタトン(Gilbert Keith Chesterton)を紹介したい。筆者も大好きなイギリス人批評家で、日本でも人気の高い碩学の知識人である。チェスタトンは『デイリー・ニューズ』紙に『歴史VS.歴史家』という文章を掲載した。若いときに彼は、「学校に通っている児童には歴史のみを教えるべし」と喝破した。(G.K.Chesterton, History Versus the Historians, Daily News, 25 July, 1908, in Lunacy and Letters, ed. by Dorothy Collins, Sheed & Ward, London, 1958, pp.128-129) チェスタトンが暴論に思えるような意見を述べたのは、当時の古典科目ではラテン語の習得は必修であったからだ。そしてラテン語の教授方法に苦言を呈したのである。「少年は単にラテン語を学ぶだけではラテン語の重要性は分からぬ。しかし、ラテン人の歴史を学ぶことで、それが分かるであろう。」とチェスタトンは提案したのだ。(ラテン人とはローマ人を指す。)

  さすがチェスタトンの炯眼(けいがん)は鋭い。彼が言うには、アウステルリッツ(Austerlit)という地名を地理の授業だけで覚えることはナンセンスだ。単なる計算を学ぶ算数の授業だって同じこと。しかし、フランス皇帝ナポレオン1世が、アウステルリッツでオーストリア皇帝フランツ1世(神聖ローマ皇帝フランツ2世)とロシア皇帝アレクサンドル1世を相手に干戈(かんか)を交えた一大決戦(Bataille d'Austerlitz)となれば話が違う。子供だって大物武将三人が睨み合った三帝会戦(Dreikaiserschlacht)なら、教師の話を手に汗握って聞き入るだろう。日本の子供も桶狭間の戦いや川中島の合戦の話は面白い。弱小藩の織田信長が“海道一の弓取り”今川義元の首をとった逆転劇はスリル満載。智将の上杉謙信と猛将の武田信玄がぶつかった戦の講談は大人だって楽しい。砲兵出身の名将ナポレオンが計算をしたり、地図を見ながら策を練る姿を聞けば、子供たちも地理と算数に興味が沸くだろう。

  チェスタトンは一件無味乾燥な科目でも、その背景を教えてもらえば、子供が“知的好奇心(intellectual curiosity)”が芽生えることを指摘しているのだ。幾何学が嫌いな生徒でも、十字軍のロマンティクな物語やサラセン人の世界を知れば、そのへんてこな数字の羅列に興味を示すかも知れない。(ギリシアの「幾何学Algebra」は中東アジアを経由して西洋に導入されたから。) 英語では「何が何だか分からぬ(It's Greek to me.)」と表現して、ギリシア語などイギリス人には「ちんぷんかんぷん」だろうが、ギリシア人の文化藝術を知れば、その難解な言語を学びたくなる。チェスタトンは、「歴史はすべての学問を、たとえ人類学でも人間臭くする」と言う。「人類学」を人間に親しみのある学問にするとは、いかにもチェスタトンらしいヒューモアだ。

  日本人が外国語習得について考えてみれば、おかしな事に気づくだろう。朝鮮を統治していたのに朝鮮語を喋れる半島在住の日本人(内地人)がほとんどいなかった。朝鮮総督府の役人でさえ、朝鮮語を学ぼうとする者が滅多にいなかったのだ。理由は簡単。馬鹿らしいから。朝鮮人なんて不潔で下劣な民族の言葉をどうして一流国の日本人が学ぶ必要があるのか。初めて見る糞尿だらけの極貧国に、日本人が憧れるような文化はない。朝鮮に渡った日本の知識人だって、儒教を朝鮮人から学ぼうとは思わなかった。小便さえ自分でしなかった両班の姿を見れば笑ってしまうだろう。日本人にはアカンタレと乞食が何を話そうが興味ない。ロシア語なら陸軍将兵も必要を感じたから学ぶ者がいたし、ドイツ語は尊敬するドイツ陸軍とドイツ文化の言葉だから、強制されなくても日本人は進んで学んだのである。現在、支那語に人気がないのは、支那人を見れは納得できる。だって、支那人と話して嬉しいのか?

  我々日本人が英語を学ぶときは、まづ英国史を勉強すべきだ。特殊な職業を目指す子共は別だが、語学能力を本業とせぬ一般の日本人は、イギリス人が如何なる歴史を送ったのか、どんな功績を残したのか、彼らはなぜ大帝国を築くことが出来たのか、などを知るべきだ。そして興味をそそられた者が、イギリス人を自分で理解するために英語を専攻すべきだ。大学入試のためだけの英語とは違い、そこにはイギリス人が感じた事を彼らの言葉で自分も感じることができる喜びがある。こうした語学勉強なら一生続けられるだろう。「ハロー、レッツ・スピーク・イングリッシュ」なんて謳う幼児英会話教室は要らない。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68281664.html

詐欺に引っ掛かる日本人 / 怨念を動機にする英語教育 (Part 1)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691413.html


詐欺師が得意とする人、苦手とする人


Robert Vaughn 1Jaime Murray 1Oceans Eleven
(左: 英国のTVドラマ『ハッスル』で詐欺師を演じるロバート・ヴォーン / 中央: 『ハッスル』で共演したジェイミー・マレー / 右: 映画『オーシャンズ11』で詐欺師を演じたブラッド・ピットとジョージ・クルーニー )

  世の中に詐欺師が多いのは周知の事実。ただ、ここで問題なのは、誰が本物の詐欺師で、どいつが“詐欺師もどき”なのか判らない点である。というのも、プロの詐欺師なら確信犯だから仕方ないけど、騙されていることに気付かぬまま詐欺師に協力する者や、嘘つきに唆(そそのか)されて共犯になる者、あるいは本気でそのホラ話を信じている者、さらに厄介なのは単なる馬鹿がいるからだ。

  世間のオっちやんやオバちゃんは、新聞やテレビで金融詐欺とか投資詐欺を目にすると、「こんな詐欺に引っ掛かるなんて、まったくどんな頭をしてやがんるだ? 」と嘲笑し、「愚かな奴だ !」と斬り捨てることがある。しかし、騙された者がみんなアホ・馬鹿・間抜けとは限らない。実際は、知能が高ければ高いほど、持ち掛けられた取引を自分の利益になるはずだと思い込み、虎の子のお金ばかりか、時には他人のお金まで流用して儲けを摑もうと試みる。事件が明るみに出た後で、「ああだった」「こうだ」と後知恵をつけることは可能だが、騙されている間は気付かぬものだ。「カモ」は現実と虚構の区別がつかない“世界”に放り込まれているので、何処までがフィクションで、どこが本当なのか判別できないのである。

  したがって、騙されるのは頭の善し悪しではない。犯罪に詳しい専門家によれば、詐欺師を手こずらせる程の切れ者でも、その人に適した手法を使えばすぐ乗ってくるという。頭の良い人は、最初、何となく不正な取引と勘ぐるものの、あれこれ考えた末、欲の皮が膨張するせいか、やっぱり“エサ”に食いつくそうだ。そして、意外なことに、ほとんどのカモは上流階級の出身者であるという。(デイヴィッド・W・モラー 『詐欺師入門』 山本光伸訳、光文社、1999年 p.127) アメリカたど、それは金を儲けた者とか、金目当てで結婚した者、誰かの財産を相続した人を意味するらしい。彼らは自然と優越感を持つような地位に就いており、とりわけ資金調達や投資話に対しては、しっかりつとした判断を下せると思っている。だが本当は、出世を狙っている友人がいたり、仕事仲間が手助けしてくれたお陰なのだ。ところが、こうした自惚れ屋は、自分が優れているから大金を手にできたのだ、と思い込む。こんな具合だから、自信や幻想を抱く者の中には、次第に自分を天才的人物と考える輩(やから)がいるそうだ。

  例えば、土地開発で50万ドルないし100万ドルを儲けた実業家は、自分が幸運であったことや、人を強引に丸め込んだことを綺麗さっぱり忘れ、自分には先見の明があるとか洞察力に富んでいると思ってしまう。詐欺師によると、不動産業者はカモの中でも最も“美味しい”獲物であるらしい。実業家も似たようなもので、彼らは儲け話しに敏感で、詐欺グループが雇った「おとり」や「インサイド・マン」に引っ掛かりやすく、擦り寄ってくる犯罪者の魅力に惹きつけられやすいそうだ。しかも、このカモは大博打に賭ける資金を豊富に持っているし、たとえ手元に現金が無くても何処からか資金を調達できるから、詐欺師にしたら笑いが止まらない。その他、銀行家や遺産を担当する遺言執行人、信託資金の管財人とか監督者も驚くほど簡単に騙されるという。例えば、「ビッグW」という詐欺師は、コネチカット州に住む敬虔な教会管財人を騙し、大金を巻き上げたことがあるそうだ。詐欺師の業界では、医者や弁護士、大学教授も例外ではないという。

  それにしても、詐欺師は心理戦の達人だ。彼らはカモの欲望や虚栄心、自尊心につけ込むのが上手い。詐欺師が狡賢いのは当然だが、彼らは見た目や感じが良く、どんな人とでも親しくなれる。15分もあれば誰とでも仲良くなれるし、1日か2日あれば親友の域にまで達することができるという。(上掲書 p.132) 彼らは全国をあちこち動き回っており、客船や列車の中でカモを見つけると、偶然を装って罠に嵌めようとするらしい。彼らはお金の嗅覚に優れており、狙ったカモに接近する“コツ”を心得ている。詐欺師は何よりもまず聞き上手になるらしい。そうすれば、相手の目的地や職業、および経済状況が直ぐに分かり、趣味とか家族、友人、浮気相手のことまで聞き出せるという。詐欺師はカモを見つけたその日に騙すこともあるが、完全に引っ掛かるまで“ゆっくり”と時間をかけたほうが安全、と踏むこともあるそうだ。

  詐欺師によると、世間には何度でも騙せる「旨いカモ」がいる一方で、なかなか騙せないタイプの人もいるという。カモには共通する特徴があるそうで、それは「みんな嘘つきである」ということだ。たいていのカモは、自分がどれくらい金があるのか、どんな投資を行っているのか、どれほど良い家柄の出身なのか、妻や子供がどれほど素晴らしいのか、について嘘をつくらしい。中には豊富な恋愛体験について長々と話す者もいるそうだ。ほとんどの場合、カモがこうした嘘をつくのは、自分の利益を図るためで、詐欺師は容易にカモの見栄を“見抜き”、そこをくすぐって仕事に取りかかる。一方、被害者は得意になって自慢話を語り、それが元で大損をする破目になるから実に憐れだ。しかも、カモにされたと判ったら、その経緯(いきさつ)についても嘘をつく。知識人とか社会的身分が高い者は、自分が間抜けだったことを認めたがらず、自己防衛のために適当な話をでっち上げ、次第に自分でもその捏造話を信じてしまうらしい。詐欺師によれば、これは致し方ないことであり、大目に見ているそうだ。

  では、騙されない人というのは、一体どんなタイプなのか? ズバリ、それは正直な人。詐欺師は何が誠実で何を不誠実であるかを知っている者に手を焼く。こうした人物は、静かに湧き起こる心の声に耳を傾けるので、絶対に誘惑に乗ってこない。大半の詐欺師は彼らに出逢っても、決して馬鹿にすることはせず、ただ困惑するだけである。ベテラン詐欺師はほとんど同じ言葉を口にするという。本当に正直者は騙せない。(上掲書 p.143) 象牙の塔で屁理屈を並べている大学教授より、現実の世界で詐欺を実行する犯罪者の意見の方が、よっぽど貴重であり、含蓄に富んでいる。

アジア人を理想とする英語教育

  前置きが随分と長くなってしまったが、英語教育の改革を検討し、提唱する人々を判断するうえで、詐欺師の見解はとても参考になる。なぜなら、高学歴を誇る保護者や知識人を気取る評論家が、いかに文科省の“甘い罠”に嵌まっているのか、が判るからだ。各マスコミの報道によれば、2020年から小学校で本格的な英語教育が実施されるそうで、3、4年生で英語の授業が「外国語活動」となり、5、6年生の段階で「教科」になるらしい。小学校とは縁の薄い大人だと、「どうして小学三年生から英語を始めるんだ?」と訝しむが、文科省には大義名分があるという。役人の「弁明」に一々文句をつけてもしょうがないけど、教育審議会とか外国語専門部会の連中が言うには、以下の様な理由がある。例えば、

  グローバル化により、個々人が国際的に流通する商品やサービス、国際的な活動に触れ、参画する機会が増大するとともに、誰もが世界において活躍する可能性が広がっている。

  さらに、IT革命の進展により、国を超えて、知識や情報を入手、理解し、さらに発信、対話する能力、いわゆるグローバル・リテラシーの確立が求められている。

  また、インターネットの普及や外国人労働者の増加などによって、国内においても外国語でコミュニケーションを図る機会が増えている。

  まったくもう、こんな「言い訳」を聴けば、「あぁ〜あ、また“グローバル化”かよぉ〜」とボヤきたくなる。何かと言えば、政治家や官僚は「グローバル時代だ、国際化社会になった」と騒ぐ。「グローバル(地球的)」と言ったって、要は歐米世界のことだろう。一般の日本人が「グローバル時代」と耳にして、アルバニアとかモルドバ、シエラレオネ、アンゴラ、モルディブ、トルクメニスタンなどを思い浮かべるのか? だいたい、一般の日本人が英語の地図を広げて、「ここがザンビアで、あっちがベニン」とか、「ウズベクスタンとカザフスタンはここ」と指すことは出来ない。地理どころが、どんな民族がいて、何語を話しているのかさえ判らないのだ。日本人が英語を用いて話す相手というのは、もっぱらアメリカやヨーロッパの白人である。つまり、英語を難なく喋るゲルマン語族の人々なのだ。

  将来、貿易商とか国際弁護士、科学者、旅行業者になろうとする人なら別だが、普通の日本人には英語の会話能力とか、文章作成能力は必要ない。確かに、こうした能力はあってもいいが、それを習得する時間と金銭を考えれば、本当にそれを身につける必要があるのかと首を傾げたくなる。一般人が漠然と思い描くのは、西歐白人と楽しく会話する自分の姿くらいだ。英会話スクールに通っている人の中には、ビジネス上やむを得ず勉強する破目になった者もいるが、流暢に喋れる日本人を見て憧れたとか、「白人と喋れるようになったらいいなぁ」という軽い気持ちで入ってくる人もいるはずだ。大半の日本人は口にしないけど、いくら英語を話すからと言っても、フィリピン人やインド人とコミュニケーションを取りたいとは思わない。アジア人と親しく会話するために、小中高大と学校で10年間も費やす者は居るまい。その証拠に、英会話学校の宣伝には、ユアン・マクレガーとかキャメロン・ディアスのような白人ばかりが起用され、ウィル・スミス(Will Smith)といった黒人とか、マレー・アブラハム(Fahrid Murray Abraham)のようなシリア系アメリカ人、あるいはジャッキー・チェンみたいな香港の支那人が採用される事はまずない。

Ewan McGregor 8Cameron Diaz 2Will Smith 4Murray Abraham 1
(左: ユアン・マクレガー / キャメロン・ディアス / ウィル・スミス / 右: マレー・アブラハム)

  筆者は日本人が西歐人と接触し、直に意見を交わしたり、彼らと親睦を深めることや、様々な活動を共にするといったことに異論はない。ただ、文科省の役人や霞ヶ関の議員が、我が国の子供をアジア人並みに格下げしようと謀っているから反対なのだ。察するに、教育行政を司る役人は、英語教育を用いて日本版のフィリピン人を生産したいのだろう。よく日本にやって来るフィリピ人とは、スペイン人に征服され、アメリカ人に売り飛ばされた南洋土人に過ぎない。彼らは形式的に独立してもアメリカの属州民で、国内政治に於いても支那系の華僑に支配されている。上流階級の支那人にとったら、ルソン島のタガログ族など「南蛮人」の類いで、マムシやトカゲと同じだ。彼らの「仲間」というのは、同じ言葉と文化を共有する華僑のみ。ゴミ捨て場に生まれ育ったフィリピン土人は、「エンターテイナー」と称してキャバレーで働き、裸踊りか売春が本業だ。彼女達も英語を話すが、日本人男性はコミュニケーションより“スキンシップ”を取りたがる。

  英語に夢中な日本人は、フィリピン人如きになるべく勉強している訳ではないが、役人たちは庶民の子供をアジア人と見なしている。「国際化時代だから、アジアの民に後れを取るな」と言いたいのだろう。文科省曰わく、

  国際的には、国家戦略として、小学校段階における英語教育を実施する国が急速に増加している。例えば、アジアの非英語圏を見ると、1996年にタイが必修化し、97年には韓国、2001年には中国が段階的に必修化を開始した。EUにおいては、母語以外に2つの言語を学ぶべきとし、早い時期からの外国語教育を推進している。例えば、フランスは2002年に必修化の方針を決定し、2007年から実施する方向で取組を進めている。

  日本の子供が目指す理想がタイ人とか朝鮮人、支那人とは恐れ入る。タイ人の一部が英語を習得するのは、上流階級に昇りたいとか、西歐人相手の商売で儲けたい、という後進国の悲願が基になっている。貧乏で薄汚い環境から抜け出す手段としての英語なんだから何とも憐れだ。南鮮人の場合はもっと切迫しており、「地獄と変わらない朝鮮(ヘル・コリア)」から脱出するため、寝る暇を惜しんで英語を勉強する者が多い。中には、米国の大学を卒業しなければ明るい未来が無いから必死で勉強する者もいる。科擧の因襲が色濃く残る朝鮮では、何でも試験、学歴、派閥、人脈だ。エリート・コース以外に楽しい人生は無いし、一旦そこからはみ出せば二度と戻ることはできない。大手の会社をクビになれば、屋台を引いて小銭を稼ぐしかないし、それがイヤなら天国に一番近い日本へ密入国だ。

kids in thai 2Filipino girls 6chinese girl 2
(左: タイ人の子供たち / 中央: フィリピン人の女性 / 右: 支那人の女性 )

  支那人が英語を学ぶのは一に「銭」、次に「金」、三、四が無くても五番目に「札」、と「お金」がすべてで、最初から最後まで利益が目的。キリスト教徒にとってイエズスが「アルファでありオメガである」ならば、支那人にとっての神様はキリスト教徒が唾棄する「マモン(強欲の神)」である。1億人か2億人がゼニの亡者となって英語を勉強するんだから、優秀な人物が出てくるのは当然だ。支那人は書物の中にゼニが隠れていると思っているんだから。日本の小学校で、先生が児童に向かって、「さあ、みなさん、英語の教科書を開いてくださぁ〜い。小判が見えますよぉ !」と教えるのか? アバ(ABBA)の曲「マネー、マネー、マネー」だって歌わないぞ。

  文科省の例は狡猾だ。フランス人が英語の授業を必須化したって不思議じゃない。英語の語彙にはフランス語やラテン語を語源とする単語が多いし、文法だって似ているから、フランス人の子供にしたら、ちょいとした方言を学ぶようなものである。一般の日本人は英語やドイツ語、スペイン語、イタリア語を話せるというフランス人を紹介されると、「わぁぁ、凄いなぁ」と感心するが、英語やドイツ語は姉妹語に当たる西ゲルマン語だし、スペイン語やイタリア語は同じロマンス語に属する言葉だから難しくはない。江戸っ子に津軽弁や名古屋弁、博多弁、薩摩弁を喋れと命じれば、即座には無理だが、時間をかければ不可能ではないだろう。日本人は気付かないけど、全国の方言を平仮名とかアルファベットで書き記すと、まるで外国語のように思えてくる。しかし、基本的な文法や語彙は同じだし、いくら発音やイントネーションが違うといっても、習得する速度を考えれば、ヨーロッパ人より日本人の方が早い。

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(写真 / フランス人の女性と子供たち)

  小学校からの英語教育となれば、その効果を疑って反対を表明する人もいるけど、普通の親は英語教育の導入に賛成しがちだ。というのも、自分が英語を上手に喋れないからである。一般国民の中には、「小さい頃から“ちゃんとした”英語教育を受けてこなかったせいで苦手なんだ」と恨む人が多い。中学生や高校生の頃、英語が不得意で、期末試験などで酷い点数しか取れなかった、大学受験で猛勉強したけど結局は失敗した、と様々な体験を持経て、後悔の念に駆られている人が親となっているんだから、「我が子には同じ苦痛を味合わせたくない」と考えても無理はない。だから、「まだ小学生では早いかな」と躊躇(ためら)う親でも、テレビに登場する大学教授や教育評論家から、「あなたのお子さんも小さい時から英語に慣れ親しめば、ネイティヴのように英語がペラペラと話せますよ」と聞かされれば、「そうよ。私が不得意だったのは、小さい頃から英語に触れていなかったせいだわ」と思ってしまう。自分で勉強しなかった親に限って、教育制度が悪い、学校の教師がネイティヴ・スピーカーじゃない、文法一辺倒で会話を軽視している、などと不満をぶちまける。自分の怠け癖を棚に上げて、政府の教育方針に異を唱え、自分の子供に「果たせぬ夢」を押しつけるんだから、英語教育への恨みは相当なものだ。

Watanabe Shoichi(左 / 渡部昇一 )

  英会話を等閑(なおざり)にしてきた学校に腹を立てる日本人はかなりいて、故・渡部昇一先生が喝破したように、「ルサンチマン(恨み)」の上に教育改革は成り立っている。上智大学で教鞭を執っていた渡部教授は、英文法の形成に興味を惹かれ、ドイツのミュンスター大学で博士号(PhD)を取得し、『イギリス文法史』、『英語学史』『イギリス国学史』といった名著を世に出していた。(ちなみに、渡部先生は上智大学で名誉教授になったけど、本当はミュンスター大学の名誉博士号の方がすごい。日本の名誉博士号は退職者への単なるプレゼントだが、ドイツの大学が授ける「エメリタス(emeritus)」は輝かしい業績のある者だけに贈られる称号なのだ。)

  ドイツ人の学者が「えっ、ドイツの大学で博士になったの?」と驚嘆する渡部先生によれば、日本の英語教育における目的は、流暢に喋る事ではなく、良い文章を書けることにあるそうだ。英語をペラペラと喋るだけなら乞食にでも出来るが、立派な論文を書くには“しっかり”と文法を勉強し、論理的な文章を構成できる知能を養わねばならない。 歐米の大学に留学したことがある者なら解ると思うが、教授たちは学生がどのような「論文」を書けるかで判断する。いくら授業中にテキパキと発言できても、肝心の学術論文が凡庸なら評価が低く、文法がいい加減で不明確な論述だと却下されてしまう。だから、英語の書物を読む日本人は、著者が何を述べているのか明確に理解せねばならず、その為には日本語で“はっきり”と意味が取れないと咀嚼(そしゃく)したことにはならない。簡単な日常会話なら“おおよそ”の意味さえ解ればいいけれど、学問の世界だと“ちょろまかし”は御法度だ。したがって、日本の英語教育は正確な読解力と作文能力を重視すべし、というのが渡部先生の持論である。もちろん、何らかの特殊な職業に就く人には英会話能力が必要だと述べていたが、一般の子供にまで会話能力の習得を押しつけるとなれば、ネイティヴ・スピーカーを教師に雇い、厖大な授業数を設けなければならない。もしそうなったら、教育現場は大慌てだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691413.html






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自ら発展途上国化しようとしている日本

英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書) – 2015/7/17
施 光恒 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E5%8C%96%E3%81%AF%E6%84%9A%E6%B0%91%E5%8C%96-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%8A%9B%E3%81%8C%E5%9C%B0%E3%81%AB%E8%90%BD%E3%81%A1%E3%82%8B-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%96%BD-%E5%85%89%E6%81%92/dp/4087207951


我が国を長期的に亡国に導く可能性がある衝撃的なニュースが報じられていた。


『ホンダ、英語を公用語…日本人だけなら日本語も
http://www.yomiuri.co.jp/economy/20150705-OYT1T50040.html


 ホンダは2020年を目標に、英語を社内の公用語にすることを決めた。
原則として、外国人の社員が参加する会議や、本社と海外拠点で共有する文書では、英語を使う。自動車業界はグローバル化が進んでおり、英語の公用語化によって、社員同士の意思疎通を円滑に進めることを目指す。

 基本的には、外国人社員が一人でも会議に出席していたり、本社から海外拠点に指示したりする場合には英語を用いる。ただし、外国人社員が出席しない会議や、現地の従業員だけが共有する文書は、これまで通り日本語や現地の言葉を使うなど柔軟に対応する。

 現在、本社と海外の現地法人の電話会議は、主に日本語で会話しており、日本人の駐在員しか出席しない場合が多い。駐在員が会議の内容を英語に翻訳して外国人従業員に伝えるため、手間がかかり、本社の意図を正確に伝えられないこともあったという。』


 これで、ホンダは「日本企業」であることをやめたも同然です。そして、日本語環境で高度な思考を巡らせ、製品開発や販売戦略を練ってきた日本人社員が英語を強制されることで、意思疎通は更に悪化し、需要に応える自動車を作るという意味における、真の意味の「ホンダの競争力」は凋落していくことになるでしょう。


 ホンダを含む「英語の公用語化」などと愚かな実験を始めた全ての日本企業の経営者、社員に読んで欲しい一冊があります。7月17日に発売になる、施光恒先生の「英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書) 」です。


自由、平等、そして民主主義の「基盤」となっているのは、何でしょうか。

国民の言語です。


 国民の言語が統一されていることで、人間は、
「多数の選択肢に実際にアクセスし、その中から選ぶことができる」
 という意味における自由を手に入れます。日本が、

「英語が公用語。日本語は現地語」

 といった状況だと、我々日本国民の人生の選択肢は相当に狭まってしまうでしょう。すでにして、「英語が分からなければ、ホンダで働けない」と、自由の制限が始まっているのです。


 また、言語が統一されていれば、
「グローバル言語(かつてはラテン語。今は英語)を話す人と、現地語(あるいは土着語)で話す人」
 といった格差が生じ、平等が破壊されることが防げます。そして、日常生活で使う言葉や語彙で「政治」を話し合うことができて初めて、民主主義が成立するのです。 


 施先生が本書で例に出されていますが、ベルギーは1830年の建国以来、異なる言語を使う人々の間で連帯意識をいかに醸成するか、苦労に苦労を重ねてきました。結局、言語が異なる国民同士の連帯意識を高めることは不可能に近く、現在は南部と北部の対立が先鋭化し、選挙のたびに国政が停滞する(政権が発足できない)状況が続いています。(最近では、言語問題に輪をかける形で、移民問題を抱えているわけです)


 母国語を捨てることは、自由や平等、そして健全な民主主義が存在する社会を諦めることなのです。
 
 そもそも、「グローバルな言語(現在は英語)」が公用語的になっており、人々が日常的に話す言葉が「土着語」「現地語」と呼ばれ、高等教育を母国語で実施できない国のことを「発展途上国」と呼ぶのです。


 ビジネス界のみならず、我が国では小学校の英語教育の早期化や、大学教育の英語化が始まっています。すなわち、自ら発展途上国化しようとしているわけで、これほど愚かな国は世界に類例を見ないのではないでしょうか。
 
 人類の進歩というものがあるとしたら、それは施先生も書かれていますが、「翻訳と土着化」で進んできました。欧州を近代化させたのは、間違いなくグローバル言語(ラテン語)で書かれた聖書の各国語への翻訳と土着化です。聖書が英語やフランス語、ドイツ語に翻訳され、概念に基づき語彙が増えていき、各地の「国民」は母国語で世界を、社会を、神を、人生を、哲学を、政治を、科学を、技術を考えられるようになったのです。結果、欧州は近代化しました。


 日本の近代化は、それこそ「明治産業革命」時代の翻訳と土着化により達成されました。外国語をそのまま使うのではなく、概念を理解し、日本語に翻訳する。適切な言葉がないならば、作る(日本語は漢字で表現されるので、非常に便利です)。


 科学、哲学、個人、経済、競争、時間といった言葉は、日本語に適切な訳語がないため、造語されました。自由、観念、福祉、革命などは、従来の漢語に新たな意味が付加されました。


 日本が先進国なのは、先人が「英語を公用語化する」(そういう話は何度もありました)という愚かな選択をせず、「総てを母国語で」を貫いたおかげです。結果的に、恐ろしく柔軟性(これも幕末以降の造語ですが)に富み、抽象表現が幅広く使える日本語により、世界に冠たる文明(これも造語)を築き上げることに成功したわけです。


 確かに、日本人は英語が下手ですが、当たり前です。そもそも日常生活で英語を使う必要が全くなく、母国語で素晴らしい文化(これも造語)を花開かせているのです。英語が巧くなるわけがありません。とはいえ、何度か書いていますが、「日本語」以外でワンピースやコードギアスやシュタインズ・ゲートが生まれると思いますか? 絶対に、無理です。


 逆に、「現地住民」が英語を学ばなければならない国は、母国語のみでは生活できない発展途上国なのでございます。この種の国の国民が、母国語のみで生きていけるようになったとき、初めて「先進国」になるのです。


 というわけで、施先生がメルマガなどでも書いて下さったように、我が国は各国が、
「英語が下手でも普通に生きていける国」

 になるよう、支援するべきなのでございます。それにも関わらず、我が国は自ら「英語を学ばなければ、生きていけない国」を目指しているわけで、このあまりにも愚かな動きに対し、断固反対していかなければなりません。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12047937948.html


【施 光恒】英語化と「国のかたち」 2015/07/10


7月17日に、『英語化は愚民化──日本の国力が地に落ちる』(集英社新書)という新しい本を出します。
http://www.amazon.co.jp/dp/4087207951/ref=zg_bs_492118_4


中身は、日本社会で進む英語偏重の流れや、その背後にあるグローバル化を筋道立てて批判したものです。

しかし、英語偏重の流れは、止まりませんね。三橋さんも先日触れていらっしゃいましたが、楽天、ユニクロだけでなく、ホンダも、企業内の公用語を英語にするらしいですね。

昨日もそれに関連する下記のような記事がでていました。

「ホンダ「も」導入した英語公用語化──「オフィスは英語」が日常の風景になるのか」(『日経ビジネス ONLINE』2015年7月9日付)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/070800028/?P=1

小学校での英語正式教科化も、2020年から始まる予定です。7月6日の『朝日新聞デジタル』では、小学校での英語教育推進の是非についてのさまざまな意見が特集されていました。

「早期の英語教育、改めて考える 反響をもとに取材」(『朝日新聞デジタル』2015年7月6日)
http://www.asahi.com/articles/ASH6T6486H6TUTIL03Y.html

日本語も覚束ないような幼い時から「英語、英語」ということには、上記の記事にあるように反対意見も多々出されているのですが、文科省など行政は、着々と、英語化を進めています。

小中学校で外国人教師を採用したり、小学校教員の採用試験を英語重視に改めたりするようです。

「教員採用試験でも広がる「グローバル化」──英語教育の充実で」(『Benesse教育情報サイト』2015年7月2日)
http://benesse.jp/blog/20150702/p1.html

私が「おっかないな」と思うのは、こうした英語偏重の「改革」が続けば、あるどこかの時点で「閾値」を超え、ダーッと日本社会の英語化が進んでしまうのではないか、ということです。

その「閾値」というのは、多くの日本人が、「英語ができなければ、子供たちが将来、よい教育を受けられないし、よい職業にもつけず、みじめな思いをしてしまうだろう」と実感してしまう時点だと思います。

この時点を迎えてしまえば、たとえ個々人が「ここは日本なのだから、英語よりもまず日本語が大切だ」と考えていたとしても、あまり関係ありません。自分の子供が将来、つらい思いをするかもしれないと心配になってくれば、大部分の人は、自分の考えはどうあれ、子供にともかく英語を身に付けさせるようになるでしょう。

この「閾値」となる時点は、すでにすぐそこまで来ているのではないかと思います。

今回のホンダの企業内英語公用語化のニュースも、この時点の到来を早めるものの一つでしょう。

それに政府は、小学校の英語正式教科化や、大学の授業の英語化など、英語偏重の教育改革に躍起になっています。

全国の小学校で英語が正式教科となってしまえば、当然、私立や国立の中学入試でも、英語が必須科目となります。

「コミュニケーション重視」「実用的英語力重視」のご時世ですので、中学受験で英語の面接などが導入されるところが増えるのではないでしょうか。

そうなれば、教育熱心な家庭では、小学生のときから、アメリカやイギリス、あるいはフィリピンなどの英語圏に留学させることが流行すると思います。少なくとも、夏休みに、小学生が語学留学するのは、ごく一般的になるはずです。

また、下村博文文科大臣は、平成25年の第四回産業競争力会議で、「世界と競う大学」を作るために、「今後10年間で、大学の授業の5割以上を英語で実施するようにすべきだ」という成果目標を提案しています。
(-_-;)

「人材力強化のための教育戦略」(「第4回 産業競争力会議配布資料 下村文部科学大臣提出資料」平成25年3月15日)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/dai4/siryou7.pdf
(PDFファイルが開きます。上記の成果目標は、6ページに記載されています)。

「小学生の間にある程度、英語を身に付けていないと、よい中学に入れない」「英語ができないと、よい大学で学べない」「将来、良い仕事にも就けなくなってしまう」と思う日本人が、遅くても10年足らずの間に急速に増えることが予想されます。

財界の一部や、その意を受けた政府が、(日本人の税金を用いて)政策として日本社会の英語化を進め、「国のかたち」を変革しようとしているわけです。

この変革は、ある程度まで行ってしまい、「英語ができなければ、子供たちが惨めな境遇に追いやられる」と多くの人が実感するようになれば、それから先は、半ば自動的に日本社会の英語化は加速度的に進んでいくようになります。

その先に待っているのは、英語能力の格差が経済的なものに反映される著しい格差の拡大であり、「英語族」と「日本語族」との間の国民の分断であり、日本語があやしく日本人的な感覚も持ち合わせていない新世代の「エリート」による、よそよそしい政治であると思います。
(´・ω・`)

なぜ、日本社会の英語化というバカな流れが止められないのでしょうか。

一つの理由は、現代人の多くが、「グローバル化は時代の必然的流れであり、抗うことはできない」「英語化も時代の不可避の流れだから、しょうがない」というような奇妙な歴史観にとらわれてしまっていることにあるように思います。

拙著『英語化は愚民化』では、まず、この奇妙な歴史観の検討と批判から、話を始めています。

「グローバル化・英語化は時代の流れだから、しょうがない」という無力感にとらわれず、「たとえ英語ができなくても、子供たちは、高いレベルの教育をきちんと受けられ、よい仕事にも就ける。様々な機会を享受できる。惨めな思いなどしなくてもよい」という日本を守っていかなくてはならん。そういう思いから、拙著を書きました。

書店に並ぶようになりましたら、ぜひ手に取ってご覧くだされば幸いです。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/category/seteruhisa/


本日は先日来ご紹介して、異様に反響があった施 光恒先生の「英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書) 」発売日でございます。わたくしはゲラ段階で拝読させて頂き、献本いただいて再度読んだわけですが、つくづく「良書」でございます。

 というわけで、あまりネタバレしたくはないのですが、一つだけ、
「なぜ、現在の日本国において、曲がりなりにも民主主義が成立しているのか」
 について、施先生の考察を書きたいと思います。


 民主主義が成り立つためには、国民が政治的な概念、言葉、定義を共有し、議論をする必要があります。政治の語彙(ボキャブラリー)がない人は、政治について語ることはできません。


 例えば、現在の永田町では「防衛という安全保障」を巡る議論(一応、議論としておきます)が活発化していますが、これは「防衛」「安全保障」といった概念を、日本国民が日本語で語ることが出来なければ成り立たないのです。日本語に「防衛」「安全保障」という語彙がない場合、日本国民は防衛や安全保障について議論することはできません。


 その状況で、民主主義が成り立つでしょうか。もちろん、無理です。


 というわけで、民主主義をこよなく愛する(はずの)朝日新聞は、今こそ「反・英語化」の路線を採るべきなのです。日本の政治が「英語」なしでは議論できない状況になった日には、間違いなく我が国の民主主義は終わります。政治は、英語を解する一部の特権階級のものとなり、「土着語」である日本語を話すマジョリティの国民は、政治について語ることが不可能になってしまうのです。


 母国語で、つまりは日常的に使う言語で「政治」について、一般の国民が話し合うことが不可能な国では、民主主義は成り立たないのです(実際、成り立っていません)。我が国が「国民が主権を持ち続ける国」であるためにも、現在の「英語化」の動きには断固として反対しなければならないのでございます。


 日本国民は、江戸末期から明治初期にかけて、欧米から新たに入ってきた「概念」について、「翻訳と土着化」をして下さった先人に感謝するべきです。当時の日本人が、文化、文明、民主、自由、共和、経済、競争といった「概念」について、日本語を「造語」してまで翻訳して下さったおかげで、我が国は先進国になれたのです。すなわち、普通の日本人が文化やら文明やら、共和、民主、経済、競争といった「概念」を用いてコミュニケーション可能な国にしてくれたからこそ、日本は先進国となりました。


 無論、当時の日本人は概念の翻訳と土着化のみならず、より物理的な「技術」についても欧米から学び、「日本で生産可能」とするための投資を積み重ねました。まさに、その「遺産」こそが明治産業革命遺産なのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12051193178.html


施光恒・九大大学院准教授「英語押しつけで日本人は愚民化」
2015年8月3日 日刊ゲンダイ
http://www.asyura2.com/15/senkyo189/msg/878.html


■安倍政権は米国に追随したいだけはないか


 安倍政権は安保法制で何を守ろうとしているのか。根本的な問いかけをしている話題の書が、施光恒・九大大学院准教授が著した「英語化は愚民化」(集英社新書)である。米国の繁栄を前提に、とことん米国に追随しようとする安倍政権は安保政策やTPPで尻尾を振るだけでなく、ついには英語の事実上の公用語化に動き始めている。英語教育の充実は当たり前のように思われがちだが、それによって、強制的に国の形、文化、働き方が変えられてしまう恐れがある。その先に何があるのかを著者に聞いた。


――タイトルは非常に刺激的というか、英会話ブームの今の日本の風潮を真っ向から否定するものですね。この本を書かれた動機は?


 楽天やユニクロが社内の公用語を英語化したでしょう? 同じ頃、安倍政権が日本社会全体を英語化する政策を推進し始めた。たとえば、産業競争力会議の下にあるクールジャパンムーブメント推進会議は「公共の場での会話は英語のみ」という英語公用語特区をつくる提言をしました。日本国内であるのに日本語を「使ってはいけない」区域をつくるという信じ難い提案です。教育行政でも、英語による授業の割合を増やす大学には巨額の補助金を与えるようになり、文科省は一流の大学は10年後に5割以上の授業を英語化せよ、とまで一昨年言っている。その背景には、グローバル化の時代なのだから仕方がないという発想があるのですが、本当にグローバル化の流れは必然なのか、良いことなのか。その波に乗ることで、日本の強さの基盤が破壊されることはないのか。そうした根源的な疑問を持ったんですね。


――小学校でも間もなく英語が正式教科になりますね。


 そうなれば、中学入試の科目に英語が入ります。教育熱心な家庭は小学生を英語圏に短期留学させるでしょうね。父親は日本で稼ぎ、母子は外国で暮らす。そうやって英語が上達した子が、日本のエリートと目されるようになる。しかし、こうした英語偏重教育は当然、日本語の力に跳ね返ってくる。母国語である日本語が怪しいエリートたちに、果たして深い思考ができるのだろうか。英語はできるが思考力のない植民地エリートのような人々が仕切る政治や行政は、一般の国民が求めるものとはかなりずれたものになる。これが怖いのです。


――こうした英語化推進は「国家百年の計の過ちである」と書かれていますね。


 ビジネスや大学教育など日本の社会の第一線が英語化されてしまうと、どうなるか。英語がしゃべれるか否かという教育格差が、収入など経済的格差に直結し、究極の分断社会が誕生します。どんなに他の能力が高くても英語力を磨く余裕がないというだけで、中間層の人々は成長したり、能力を磨いたりする機会を奪われる。日本の誇る中間層が愚民化を強いられ、没落するのです。また、日本語が高度な議論の場で使われなくなれば、日本語そのものも最先端の用語を持たない遅れた言語となり、国民の愚民化に拍車が掛かる。一方で、英語がしゃべれるだけのエリートもまた、深い思考力や洞察力を持てないから日本全体が愚民化していきます。


――でも、英語がしゃべれるようになるのは悪いことじゃないでしょう?英語化に熱心な楽天の三木谷さんは「第2公用語を英語にしたら、日本の経済はシンガポールのように超強くなる」と言っていますよ。


 英語化によって日本の知的中間層が衰弱したら、日本経済の再生など不可能です。ちなみにシンガポールは超格差社会で、民主主義国家ですらないのです。グローバル化の流れに乗れば、国民が幸福になるというのは幻想です。


――今の日本を覆っているのが、米国流のグローバルスタンダードに従うべきだという風潮です。


 安保法制にしても、TPPや英語公用語化の動きにしても、何が日本の利益になるのかはっきり見えない。結局、米国に追従したいだけではないか。こうした問題への対応を見ていると、今の政府が、まるで自分たちをアメリカ人であるかのように錯覚しているのが分かる。すでに植民地エリートになっているのかもしれません。


■英語しかしゃべれない植民地エリートが国を壊す


「安倍政権に強い危機感」と訴える施氏(C)日刊ゲンダイ


――英語を公用語化すれば、グローバル企業が参入し、日本人もそこで働けるというのが狙いなのでしょうが、この発想も植民地的ですね。


「経済的利益のためなら日本語をないがしろにしてもかまわん。言語はしょせんツールだから」と英語化推進派は思っているようです。しかし、経済的利益などあまりないし、それよりも何も、言語は私たちの知性や感性、世界観をつくっているのです。例えば、日本語は私、俺、小生などさまざまな一人称がある。時には子供の前で自分を指して『お父さんはね』などとも言う。相手を呼ぶ場合もあなた、君、おまえから、先生、課長などいろいろです。日本人は常に相手との関係を考えて話をする。それが互いに思いやる文化をつくってきた。一方、英語の一人称は常にIだし、二人称もYouだけです。英語を母国語とする人は、最初から自分が中心にいるのです。


――日本人の気配り、欧米人の自己主張。そういう民族性の違いは言語に起因すると?


 我々は言葉から自由になれないし、その言語がつくり出す文化に縛られているのです。たとえ英語がペラペラになっても、彼らの文化やルールの上で、米国人や英国人と対等に勝負できるかというとそうではない。結局、日本人がグローバル資本の奴隷になるだけです。つまり、英語はそこそこ話せるけれども高度な思考はできないといった、安価で都合のいい現地雇いの労働者の量産が狙いでしょう。


 非英語圏の星である日本までが英語化すると、世界全体も不幸になります。英語圏諸国を頂点に置くピラミッドのような「英語による支配の序列構造」がさらに強固になるからです。つまり、英語のネーティブの特権階級が上にいて、その下に英語を第2公用語とする「中流階級」ができる。その下に英語を外国語として使う「労働者階級」が存在する。そういうピラミッドが不動のものになる恐れがあります。


――このピラミッドの下の方から、日本人が抜け出すことは難しそうですね。


 この言語による不公正な格差構造のある世界を、日本人はグローバル社会と呼び、称賛する。グローバル化って、マジックワードなんですよ。本当は違うのに、進歩した世界に聞こえてしまう。役所でも、グローバル化対応予算などというと、すんなり通りやすくなる。


――村より国家、国家より地域統合体、理想は世界国家みたいな考え方ですね。しかし、EUは地域統合で行き詰まっていますね。


「『ドイツ帝国』が世界を破滅させる」で話題のフランスの歴史学者のエマニュエル・トッドは、グローバル化の進展に伴って、EU各国内での民主主義が機能しなくなっていると警鐘を鳴らしています。


――EUの閉塞状況こそを参考にしなければいけないのに、日本は周回遅れのランナーのように、グローバル化と叫んでいる。


 安倍首相は当初、「瑞穂の国の資本主義」というスローガンを掲げていたのに、真逆の方向に進んでいます。安倍さんのナショナリズムというのは日本の文化や言語を大事にするのではなく、米国がつくった評価システムの中で日本のランキングを上げるという発想です。私はそれをランキング・ナショナリズムと呼んでいます。米国の覇権を前提にして、日本がなるべく米国に近い位置を占めようとする発想です。


 グローバル化の荒波からいかに国民生活や文化を守るかが問われているのに、国民経済の安定を目指すべき経産省がグローバル化をあおり、日本文化を守るための教育を担う文科省が日本を破壊する英語公用語化の旗を振っている。米国への従属から脱する気のない政府に強い危機感を覚えます。
http://www.asyura2.com/15/senkyo189/msg/878.html


英語化は植民地政策だ 施光恒
9月 28th, 2015 by 月刊日本編集部.


英語化は植民地化政策だ

―― 施さんは『英語化は愚民化』(集英社新書)を上梓し、英語化に警鐘を鳴らしています。


施 結論からいうと、英語化は植民地政策の一環です。安倍政権は様々な面で対米従属を深めています。経済面ではTPP、軍事面では日米ガイドラインと安保法案、そして文化面でも英語化という形で対米従属が進行しているのです。

 しかし言語の問題は政治や経済とは訳が違います。国語は国家、民族、歴史、伝統、文化の根源だからです。

 フランスの作家アルフォンス・ドーデの小説『最後の授業』では、普仏戦争後にフランスからドイツに割譲されることになったアルザス・ロレーヌ地方の小学校でのフランス語の最後の授業が描かれます。そこで教師は児童にこう語りかけます。「フランス語は世界中でいちばん美しい、いちばんはっきりした、いちばんしっかりした言葉である。だから君たちはこれを守りつづけ、決して忘れてはならない。なぜなら民族が奴隷になったとき、国語さえしっかり守っていれば、自分たちの牢獄の鍵を握っているようなものなのだから」と。

 現在の英語化は「英語公用語化」といっても過言ではないほどです。このまま英語が日本語を駆逐していけば、私たちは「牢獄の鍵」をうしない、対米自立の道が断たれます。日本的なるものは滅びるか、滅びないまでも再起不能になり、そのあと日本列島に残るのはアメリカの植民地ということになってしまうのです。


―― それでは英語化の現状から伺えますか。


施 現在、日本社会全体で英語化が進んでいます。企業では今年7月、ホンダが楽天やユニクロに続いて社内で英語を公用語とすることを決定しました。

 教育分野でも同様です。政府は早ければ2018年以降小学校5年生から英語を正式科目とする方針です。さいたま市や岐阜市のように小学校一年生から英語の正式教科化を進めている地方自治体もあります。英語のみで英語の授業を行う「オールイングリッシュ方式」はすでに高校では導入されていますが、今後は中学でも採用されます。

大学教育については下村文科相が一昨年、一流とされる大学は、今後、10年のうちに5割以上の授業を英語で行うようにすべきだと述べています。また、文科省も「スーパーグローバル大学」構想なるものを打ち出すなどして、授業の英語化を進めるよう各大学の尻を叩いています。

その結果、京大は一般教養科目の2分の1の英語化を目指していますし、東大理学部化学科に至っては昨年秋からすでに全授業を英語に切りかえています。各学会でも、最近は「研究発表は日本語ではなく英語でやるべきだ」という風潮が強まっています。

 行政も例外ではなく、近い将来、国家公務員から地方公務員まで英語化が進む恐れがあります。今年度からはキャリア官僚になるための国家公務員総合職試験ではTOEFLの活用が始まりました。またTPPには「政府調達(公共事業の入札)」という項目があり、TPPに加盟すれば国家レベルの公共事業だけではなく、地方自治体レベルの小規模な公共事業も国際入札で行われるようになり、行政文書も英語化されていくでしょう。

 さらにクールジャパンムーブメント推進会議という政府の有識者会議は、公用語を英語とする「英語特区」を企画し、「公共の場での会話は英語のみに限定する」「販売される書籍・新聞は英語媒体とする」と提案しています。いわば「日本語禁止特区」です。自ら「アメリカの租界」を作っているようなものです。


英語化で日本の国力は地に落ちる

―― しかしグローバル化の時代を生き抜くには、英語力を高める必要があるという声が大きい。


施 いや、逆に英語化は日本の国力を落とすでしょうね。まず日本人の学力が格段に落ちる。ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏は、中国や韓国の研究者から「どうしてアジアで日本だけが次々と受賞者を輩出できるのか」と尋ねられ、「日本人は母国語で専門書を読むことができるからだ」と思い当ったと話しています。

 本来、人間の可能性は母語の中でこそ最大化します。どんなに上手でも日本人にとって英語は外国語です。外国語である以上、英語で日本語より深い思考をすることはできない。スーパーグローバル大学は「世界レベルの教育研究」を行うために「英語で授業を行う」と謳っていますが、英語化は日本の知的レベルを下げる一方でしょう。

また政府は「グローバル人材」を育てて経済力を上げたいようですが、GDPの上位五カ国はアメリカ、中国、日本、ドイツ、フランスです。一方、英語を公用語として使っているアジア・アフリカ諸国のGDPは低い。

 そもそも英語力と学術や経済の力とを結びつける発想が間違っています。……
http://gekkan-nippon.com/?p=7080


【施 光恒】グローバル化は中世化 2016/03/18


拙著『英語化は愚民化』(集英社新書)で述べたことの一つに、

グローバル化やその文化面での表れとしての英語化は、

なぜか一般的には「進歩」とか「歴史の必然的流れ」とか思われていますが、

その実、全く逆で、中世的世界への逆戻りと考えたほうがいいのではないか

ということがありました。


中世ヨーロッパでは、ラテン語を話す聖職者や貴族などの各地の特権階級が一種の「グローバル・エリート」層を形成していました。そして、各地の未発達の土着語(英語やフランス語、ドイツ語などの元になった語)しか話せない庶民を、社会の中心から排除していたのです。

近代社会とは、この状態が変わることを通じて成立しました。
宗教改革における聖書の翻訳は大きなきっかけでした。

ラテン語で書かれていた聖書を、ルターやティンダルらの宗教改革者が、ラテン語(あるいはギリシア語やヘブライ語など)から庶民の日常語である土着の言葉に聖書を翻訳していきました。

ラテン語などからの知的な用語が、各地の土着語に移植され、それによって、庶民の日常語が知的なものとなっていきました。

これに伴い、ラテン語ではなく日常の言語に根差した社会空間が各地に成立します。

ここでは、多くの普通の人々は、社会の中心から排除されることなく、自分たちの知的能力を磨き、発揮し、社会参加できるようになります。

こういう状態が生じてはじめて、多くの人々の力が結集され、活力ある近代社会が登場してきたわけです。


しかし、現在の世界で進む英語化は、英語をかつてのラテン語のような「グローバル・エリート」の言葉とし、英語が不得手な者を、社会の中心から排除していきます。

日本のような英語国ではない国では、「英語階級」と「非英語階級」(日本では「日本語階級」)といった形に国民が分断されます。

そして、おそらく大多数を占める「非英語階級」は、政治や経済の中心から排除されるわけです。ちょうど、中世のヨーロッパのような社会になってしまいます。

拙著『英語化は愚民化』では、こんな感じで、グローバル化や英語化は、実は、社会が良くなる「進歩」などではまったくなく、逆に、中世のような社会への逆戻り現象だととらえたほうがいいのではないかと書きました。


今回のメルマガで何が言いたいかといいますと、最近、やはり

「グローバル化は、進歩どころではなく、中世化に過ぎないのではないか」

とよく考えます。そう考えられる現象が多々あるのではないかということです。


この点で一つ興味深かったのは、

郭洋春氏の『国家戦略特区の正体――外資に売られる日本』(集英社新書、2016年)
http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%89%B9%E5%8C%BA%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E5%A4%96%E8%B3%87%E3%81%AB%E5%A3%B2%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%83%AD-%E6%B4%8B%E6%98%A5/dp/4087208206


という本のなかの農業改革についての記述です。

国家戦略特区のなかには、新潟市や兵庫県の養父(やぶ)市や秋田県の仙北市のように、農業改革を主眼として指定されたものがあります。これらの農業改革の試みで規制緩和のテーマとして挙げられているものの一つは、「農地の集積・集約、企業参入の拡大などによる経営基盤の強化」です。

つまり、米国のような大規模農業を日本にも導入して効率化を図り、日本の農業の国際競争力の強化を狙うものです。

こうした「農業の大規模化」について、著者の郭氏は、「世界史的に見ても、農地解放運動の歴史に逆行する行為」(107頁)だと指摘しています。

確かに、日本を含む多くの国では、農地解放、つまり大規模な土地を所有する地主の下で働かざるをえなかった小作農に土地を分け与え、自作農にすることこそ、農業の近代化であり、民主主義の社会にふさわしいものだと考えられてきました。

国家戦略特区構想などで進む農業改革は、株式会社の農業への参入が一つのテーマです。大企業が参入することによって、農業は大規模化し、効率化されます。

そこではもちろん、土地所有者ではない人々が、低賃金で働くことになるのでしょう。昔の「地主」と「小作人」の復活とも見て取れます。

郭氏は、

「効率化が目的とはいえ、日本の農業を再び大規模化するというのは、農地解放運動さらには民主主義の歴史に対する挑戦といってもいいだろう」(同頁)

と記しています。


このように、TPPなどグローバル化の中で進む日本の農業改革も、一種の中世化かもしれません。中世ヨーロッパで見られたような、大地主と農奴の再現といったら少々言い過ぎでしょうか。

こういう「中世化」というか、歴史の逆行のようなものは、他のところでもいろいろと見られます。

国家戦略特区でいえば、例えば「解雇規制の緩和」や「労働時間規制の緩和」(残業代ゼロ)などの労働規制の緩和の流れもそうでしょう。

高校生のころ、「現代社会」や「世界史」の時間に、労働者の権利や社会保障受給権などを総称して「社会権的基本権」ということを習いました。また、社会権的基本権は、20世紀になって定められたということで、「20世紀的人権」ともいうと学びました。

私の高校時代は、1980年代後半でまだ20世紀でしたので、「なるほど、社会権的基本権とは、新しい、現代的人権なのだな」と思っていました。

しかしこれ、21世紀になった今あらためて考えてみると、

「20世紀に徐々に認められてきたが、21世紀になるとだんだんと削減され、なくなっていく」

という意味で、労働者の権利などの社会権的基本権は「20世紀的人権」と呼ばれているのだと理解したほうがいいかもしれません。

経済のグローバル化が進み、資本の国際的移動が自由になると、各国政府は、資本の海外流出を避けるために、あるいは外資を呼び込んでくるために、グローバル企業が「ビジネスしやすい」環境を作ろうとします。つまり、グローバル企業に都合のいい環境を作っていきます。

そこで、各国は、労働者の権利や社会保障を徐々に削っていくのですね。
人件費も削減されますので、労働条件は、悪くなっていきます。

これも、「中世化」への流れの一つとみることができるでしょう。

こう考えてくると、最近、自民党が、「移民受け入れの議論を始めるべきだ」と言い始めているのも、この流れのもう一つの現れといえそうです。

近代社会とは、一般庶民が、社会の中心メンバーとなり、自分たちの言語や文化のうえに国を作り、民主主義の下、国を運営していく社会です。つまり、各国では、人々が「我々は同じ国民だ」という連帯意識を持ち、「自分たちこそ社会の主人公だ」と考え、政治を動かしていくわけです。

しかし、経済のグローバル化の名のもと、移民を大規模に導入すれば、こうはいきません。一般的に、国民の連帯意識は薄れ、団結が難しくなります。人々はバラバラになり、政府に意志を伝えにくくなります。

移民受け入れを推進する側の狙いの一つは、このように、移民を受け入れることによって、国民を分断し、連帯しにくくすることだともいえるでしょう。

国民の連帯を分断すれば、政治に文句がつけられることが減りますので、労働者の権利や福祉の削減、人件費の引き下げ、移民のいっそうの受け入れなど、国民に不人気な政策が、その後、やりやすくなります。

また、各種の社会保障などの福祉は、おおもとでは、国民の相互扶助意識に根差しています。つまり、人々のもつ「同じ国民だから、助け合おう」という意識こそが、福祉の基本にあるものです。

移民を大規模に導入することによって、国民の連帯意識を壊してしまえば、社会保障を減らしていくことは、ますます容易になっていきます。

実際、近代社会の成立の一つの前提は、国民意識の確立でした。
国民の連帯があってはじめて、民主主義や福祉(平等)も成り立つのです。

以上のようにみてくると、やはり、「グローバル化は中世化」と言えるでしょう。


一方には、英語を操り、土地に縛られず、愛国心も持たず、世界を飛び回って大金を稼ぐごく少数の「グローバル・エリート」がおり、

他方には、社会の中心から排除され、(英語で構築された)知的な世界から切り離されて自信を失い、低賃金でこき使われ、打ちひしがれ、バラバラの大多数の一般庶民がいる

という世界です。


「グローバル化」って言葉、本当に最近、ますますいやになってきました…

どうにかしないといかんですね
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2016/03/18/se-73/


2014年11月14日「リカちゃん人形」と「いただきます」
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


2週間ほど前のNHKのテレビ番組で面白いことを話していました。
http://www4.nhk.or.jp/masakame/x/2014-11-01/21/30135/

タカラトミーが出しているおなじみの「リカちゃん人形」ですが、今年で発売47年になるそうです。

このリカちゃん人形ですが、47年間、変わらない特徴があるとのことです。

リカちゃんの眼です。リカちゃんの眼は、まっすぐに前を見つめておらず、少し左上に視線が行くように作られています。

なぜかと言えば、子どもがリカちゃんで遊ぶときに目が合ってしまうと、圧迫感を感じてしまうので、それを避けるためだそうです。

タカラトミーは、いかにも日本の企業ですね。

アメリカのバービー人形は、まっすぐ前を見つめています。画像検索して、バービー人形の画像をみてみましたが、なるほど目が合いそうです。私なんかは、バービー人形で遊ぶ子どもは、確かに人形の目から圧迫感を感じてしまいそうだと思いますが、アメリカ人の子どもは別に気にしないのでしょう。

日米の文化の違いですね。

文化の相違といえば、先日、大学院のゼミの時間に学生と「いただきます」についての話をしました。私のゼミは、一応、政治理論・哲学のゼミなのですが、その日はカナダのあるベジタリアン(菜食主義者)の政治哲学者のことが話題に上りました。

その関係で、食事の際に何に感謝するかという話になりました。

日本では、「いただきます!」というときは、料理をしてくれた人とともに、これから食す食べ物(肉や野菜など)にも感謝をします。つまり生命を提供してくれた魚やトリ、ブタ、ウシ、野菜、穀物、果物などに感謝の意を込めて「いただきます」と言うわけです。

欧米では、「いただきます」とは言いませんが、食事の前に祈る場合があります。この際、個々の食材ではなく、キリスト教の神に感謝の念を捧げるのが普通のようです。

私は、キリスト教の中学校に通っていたので、中学時代、たびたびキリスト教のお祈りを唱えさせられました。いまでも覚えているのですが、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」という一節がありました。食物を与えてくれるのは神だと理解するわけです。

生命を捧げてくれた個々の食材に感謝する日本と、万物の創造主としての神を想定し、その神に感謝する欧米。この相違の根底にあるものは、食前の儀礼以外でもさまざまな面で見出すことができ、非常に興味深く感じます。

論者によって詳細は異なりますが、日本と欧米の文化の違いについて、よく次のような指摘がされます。

日本では、状況における他者の気持ちや期待、人々の関係性や社会的役割に注意を払う「関係重視の道徳」が優勢である。他方、欧米文化では抽象的な原理や非人格的なルールを尊重する「原理重視の道徳」が優勢である。

「リカちゃん人形」の件も、「いただきます」の件も、このような文化差から説明できるのかもしれません。

日本社会では、他の人々に敬意を払い、他者の気持ちを大切にしなさいと教えられます。あるいは、「もったいない」の精神に表現されるように、「万物に感謝の心を持ちなさい」などともよく言われます。

こう教えられるため、日本人は他者の気持ちに配慮するようになりますし、他者の視線に敏感にもなります。モノを大切にする文化も形成されますし、「いただきます」と食前にいう習慣も生じます。

当然ながら、日本と欧米の文化のどちらが優れているかという優劣の問題ではなく、文化の違いの問題です。

ただ、日本人は弱気なことが多いですよね。自分たちの文化の論理をうまく説明できず、主張されるがままに欧米の理屈を受入れてしまうことが少なくないようです。

このメルマガでよく取り上げる言語学者の鈴木孝夫氏が、ある本で次のように書いていました(鈴木孝夫『日本人はなぜ英語ができないか』岩波新書、1999年)。

アメリカ人の英語教師が、日本の学生たちによく要求することの一つに、人と話すときは相手の目を見つめながら話しなさいということがあります。会話の最中に目をそらすことは何か心にやましいことがある、何か良くないことを企んでいる、と解釈するのがアメリカの文化だからだそうです。

しかし、日本人の感覚からすれば、人の目をじっと見続けることは、失礼なことです。「ガンをつける」という言い方があるように、日本では相手の目を注視すれば見つめられる方は不快な気持ちになってしまう場合が多いでしょう。

ですが、日本人は、アメリカ人の先生に「相手の目を見て話しなさい」と言われると、照れくささや違和感を覚えながらも、おとなしく従うことがほとんどだと思います。

鈴木孝夫氏は、ここで黙って従ってしまうのはおかしい、それでは本当の国際的な相互理解は果たされないとします。国際的な相互理解という観点からすれば、この場合、日本人学生は、アメリカ人教員に日本の文化的見方をきちんと説明すべきだと鈴木氏は論じます。つまり、「相手の目を正面から見据えて話すことは、アメリカと異なり日本では相手を威圧することにつながりかねず礼儀正しいことではない」とはっきりと述べる必要があるというのです。

私もそう思います。日本では、他者の言い分を受入れ、自分を変えていくことが美徳だと考えられることが多いからか、どうも自分たちのものの見方の意味を言語化し、相手に説明し、納得させることをあまりしてきませんでした。日本人自身が日本的なものの見方は特殊だと思い込み、海外(特に米国)の基準に合わせようとしてきました。

近年は特にそうですね。いわゆる構造改革も、最近のTPP参加を見据えた国内の制度改革(例えば軽自動車の税制上の優遇措置の廃止など)も、そうでしょう。「グローバル化=英語」と言わんばかりのビジネスや教育での英語化の流れも顕著です。この調子でいけば、近い将来、日本人にとって生きづらい日本社会ができてしまい、我々の子孫は大変苦労することになりかねません。

何年かぶりに米国からメジャー・リーガーがやって来て、現在、日米野球が開催されています。近頃いつもそうですが、相変わらず、使用するボールの規格で日本人選手は苦労していると報じられています。

日本のプロ野球で使われているボールと、アメリカの大リーグで使用されているボールは、手触りや縫い目の高さなど細かいところで違うからです。

これなんかも私は、日本で開催するときは、基本的に日本のプロ野球が普段使っているボールを日米野球でも使用するべきではないかと素朴に考えます。あるいは、全試合中、半分は日本球、もう半分はメジャー球というふうに公平にすべきだと思います。

もちろん、メジャー・リーグ主催のWBCではメジャー使用球が使われるので、それに慣れるためという事情もあるのでしょう。

しかし、だったらWBCでも、あるいはメジャー・リーグ自体でも、品質がよりよいとされる日本式のボールを公式球として一部でも採用してもらうように日本野球機構などの上部組織は粘り強く交渉してもらいたいものです。

上に立つ者、あるいは組織が、相手方のルールや土俵を呑まされてしまい、現場の人間が苦労する。なんか最近の日本ってそういうことがやけに多い気がします。
https://38news.jp/archives/04679


2018.2.1 【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】

リカちゃん人形の視線と日本文化

 先日、大学で学生たちと雑談していて知ったのだが、2月22日から福岡市博物館で「誕生50周年記念リカちゃん展」が始まるそうだ。タイトル通り、「リカちゃん人形」の発売50周年を記念する展覧会である。

 面白そうだ。リカちゃん人形は、その時々の流行をうまく取り入れてきた。世相の変化を映し出す展覧会となるだろう。現在のプロフィルによれば、リカちゃんの趣味の一つは「SNS更新」だそうだ。現代っ子のリカちゃんは、友達とラインしたり、「インスタ映え」する場所を探して、あちこちで出かけたりするのかもしれない。

 流行に敏感なリカちゃん人形だが、発売以来、変わらない特徴があるのを、ご存じだろうか。目である。リカちゃんの目は、まっすぐ前を見つめておらず、少し左上に視線が行くように作られている。子供がリカちゃんで遊ぶときに目が合ってしまうと圧迫感を覚えるので、それを避けるためだという。

 対照的に、米国のバービー人形は、真正面を見つめている。私などは、バービー人形で遊ぶ子供は人形の目に圧迫されないのかと心配になるが、米国の子供はあまり気にならないのだろう。日米の文化差である。

 言語学者の鈴木孝夫氏は以前、次のように書いていた(『日本人はなぜ英語ができないか』岩波新書)。米国人の英語教師が日本人学生によく要求する点の一つに、人と話すときは相手の目を見つめながら話しなさいということがある。会話の最中に目を逸(そ)らすのは何か心にやましさがあるからではないかと解釈するのが米国流だそうだ。

 しかし、日本人の感覚からすれば、人の目をじっと見続けることはあまり好ましくない。「ガンをつける」と言うように、日本では相手の目を注視し続ければ、見つめられる方は不快な気持ちになるか、当惑してしまう場合が多い。

 それでも日本人は、米国人教師に「相手の目を見て話しなさい」と言われると、照れくささや違和感を覚えながらも、おとなしく従うことがほとんどだろう。

 鈴木氏は、ここで黙って従ってしまうのはおかしい、それでは本当の国際的相互理解は果たされないと指摘する。この場合、日本人学生は、米国人教師に日本の文化的見方をきちんと説明すべきだ。つまり、相手の目を正面から見据え続けて話すことは、日本では相手を威圧することにつながりかねず、礼儀正しいことではないとはっきりという必要があるというのだ。

 私も同感だ。日本には「ことあげ(言挙げ)」を嫌い、謙譲の美徳を尊ぶ気風がある。そのため日本人は自分たちのものの見方の意味を言語化し、相手に説明し、納得させる努力を怠ってきた。こうした日本的なものの見方について、日本人自身が「特殊で劣っている」と思い込み、海外(特に米国)の基準に合わせようとしてきた。実際、ここ20年ほど「構造改革」の名の下に、日本社会を米国型に改造する動きが顕著であった。この調子でいけば、近い将来、日本人が違和感を覚え、生きづらく感じる日本社会ができてしまい、われわれの子孫が苦労することになりかねない。

 今後、日本でリーダー的立場に就く人々は、日本人の感覚や習慣をきちんと認識し、言語化し、外国人に向かってその意義を説明する能力と気概を身に付ける必要がある!

 …と、このように「リカちゃん人形展」の話題から、いつものように学生相手に長々と演説をしてしまった。「また始ったね〜」という具合に、学生たちが温かくも少々呆(あき)れた目でこちらを見ているのに気づき、気恥ずかしく思った次第である。
http://www.sankei.com/region/news/180201/rgn1802010033-n1.html

2018年2月2日【施光恒】リカちゃん人形の不易と流行
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


昨日付の『産経新聞』(九州・山口版)のコラムに、次のような記事を書きました。

「リカちゃん人形の視線と日本文化」(2018年2月1日付)
http://www.sankei.com/region/news/180201/rgn1802010033-n1.html

リカちゃん人形は1967年生まれですので、昨年で50周年を迎えたそうです。それで、昨年3月の東京を皮切りに「誕生50周年記念リカちゃん展」が全国のいくつかの都市を巡回しています。

以前、このメルマガにも少し別の角度から書いたことがあるのですが、リカちゃん人形の目は、まっすぐ前を見つめておらず、少し左上に視線が行くように作られています。子供がリカちゃんで遊ぶときに目が合ってしまうと圧迫感を覚えるかもしれないため、それを避ける配慮だそうです。

リカちゃんの目のこの特徴は、発売以来半世紀、変わっていないとのことです。

その一方、リカちゃん人形は、そのときどきの流行を敏感に取り入れてもいます。産経のコラムにも書きましたが、例えば、現在のリカちゃんの趣味は、「SNS更新」だそうです。

設定では、リカちゃんは小学校5年生ということですので、「SNS更新」が趣味とは、昭和生まれの私からすると「ちょっとませてるなぁ」とか思ってしまうのですが、まあ今の子はそんなものなのかもしれませんね。

リカちゃん人形が半世紀にもわたってながく親しまれてきたのは、「不易流行」の理念をよく踏まえているというのが一因でしょう。「不易」、つまり「いつの時代にも変えてはならないもの」と、「流行」、つまり「そのときどきの状況に合わせて変化を重ねていくべきもの」のバランスがとてもよいのだと思います。

日本の子どもが、米国などの子どもに比べて、他者の視線に敏感で、あまりじっと見つめられると圧迫感を覚えやすいという特徴は、時代を経てもなかなか変わらない部分です。

日本の家庭や学校での子育てでは、「やさしい子」「素直な子」「人の気持ちによく気がつく子」を育てようとします。これはかなり昔から変わらない特徴だと言えます。

この子育ての特徴から、人の気持ちによく気がつく敏感な子が育ち、それが「おもてなし」「思いやり」の文化を生んでいます。また世界に誇るべき日本の治安の良さや整然とした秩序、清潔さの源でもあるでしょう。(むろん、悪い面を強調すれば、他者の顔色を窺いがちで、自己主張が苦手な日本人を生み出す要因ともいえるわけですが)。

人の気持ちや視線に敏感だという日本人のこうした特徴が変わりにくいことは、「やさしさ」という言葉の語源からもうかがえます。

「やさしい」の語源についてはいくつかの説がありますが、「現在もっとも説得的でほぼ定説化している説」は、「痩せる」という言葉と同根だという説です。

つまり、「やさしい」という言葉は、「人の見る目が気にかかって身もやせ細る思いがする」「やせるほどつらい」「身もやせるように感じる、はずかしい」というのが原義だそうです(参照、竹内誠一『日本人は「やさしい」のか──日本精神史入門』ちくま新書、1997年、76-77頁)。

面白いですね。「やさしい」ことと「人の見る目が気にかかって身もやせ細る思いだ」ということは、元来、表裏の関係にあるようです。「やさしさ」を持つこととは、同時に、他者の目を気にして、ときとして胃が痛くなるような思いもしがちだということなのでしょう。

上記の原義に今の「おもいやり」「細やかな配慮」という肯定的な意味合いが千年ほど前から徐々に付け加わってきたようですので、日本人の性格は、かなり昔からあまり変わらないんだなと思います。

他者の視線に敏感であるというのは、日本文化の根幹の一つで、そうそう変えられるものではありません。

これは、実際、子育ての習慣や言語習慣(人の呼び方や敬語表現など)に深く根差しているものであって、変えようとすれば、「文化大革命」的な日本文化の根本的かつ大規模な変革が必要となります。これは不可能でしょうし、望ましくもないでしょう。

リカちゃん人形は、日本人の子どもは他者の視線に敏感だという変化しにくい事柄に配慮しつつ、そのときどきの流行を積極的に取り入れることによって長い人気を保っています。

このリカちゃんの知恵は、日本の政治や社会、経済の「改革」を考えるうえでも大いに役立つはずです。「リカちゃんに学べ」です。

「やさしさ」に代表される日本人の心のかたちは、良くも悪くも、そう簡単に変わるものではありません。無理に変えようとすれば、どこか歪みが生じます。

例えば、日本人が最も動機づけられるのは、つまり仕事などへの「やる気」を感じるのは、今も昔も、周囲の他者の期待を受け、それに応えようとするときだと言われています。

「きみはわが社の大黒柱だ」「〇〇さんのおかげで皆、助かっているよ〜」といった言葉が、日本人を一番動機づけるのです。

近年、日本人ビジネスマンの仕事への熱意の低下がときおり話題になりますが、この一因は、やみくもな「構造改革」の結果、アングロサクソン型の組織のあり方や雇用制度を取り入れようとし、結果的に、日本の会社組織が日本人のやる気をうまく引き出せなくなってしまったことにあるのではないかと思います。
(この点については、以下の拙コラムをご覧ください。「『仕合わせ』な改革を」(【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】2017年6月1日付))
http://www.sankei.com/region/news/170601/rgn1706010026-n1.html

日本社会をよりよくするためには、何よりも、日本人や日本文化の特徴をよく知り、それを前提としたうえで、よりよき形に伸ばしていくことを目標にすべきではないでしょうか。

人々や文化の性格を根本から大変革してやるというのは、傲慢かつ不可能であり、様々な副作用を招くものだと思います。

リカちゃん人形のように、不易と流行のよきバランスを探していきたいですね。
https://38news.jp/column/11584



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3. 中川隆[-12691] koaQ7Jey 2018年6月02日 07:36:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14659]

中国に未来が無い理由


漢民族という民族は存在しませんし,中国語という言葉も存在しません.
中国は昔から川筋が一つ違えば完全な異民族の土地で言葉も通じなかったので,共通語として漢文(中国語)を作ったのですね.

漢文(中国語)は始皇帝の時代に完成し,それ以降は全く進歩していません:


中国語は、(上古において)それぞれ別の言語を話していた商人が中原地帯で取り引きを行う片言(かたこと)から生まれた人工的な言語。

しかも、漢末期からの混乱期に、本来の漢族は実質的に絶滅。その後の歴史で、大量に流入した北方民族が改めて中国語を形成した。

つまり、古代中国語と現代中国語には断絶がある。古くから続く漢文(文章中国語)は本来、片言を記録するための記号列であり、そのため品詞の区別や時制など文法の本質的要件を備えていない。当初から言語(話し言葉)とは別の、通信・記録の手段。現代中国語の古語ではない


知人から中国語には文法がないという話を聞いたことがある。たしかに漢字ばかり並んでいるのに、どうして文章として理解できるのか不思議であった。そもそも我々が学んだ漢文は、返り点などがあるから読めたのである。

どうも昔の中国人は「四書五経」という基本文献の文章を徹底的にマスターし、「四書五経」と同じ解釈で他の文章を読んだり、新しい文章を作成しているようである。「四書五経」は「論語」「中庸」「春秋」「礼記」などの中国の古典である。「四書五経」を参考に、漢字の並び方をどのように解釈するのかが決まるようだ。しかしこれも絶対的なものとは思われない。いまだに「魏志倭人伝」の解釈が別れるのも、中国語の文法というものが、あやふやな面があるからと考える。


「四書五経」は膨大な文章の集合体である。中国の官僚の登用試験である「科挙」には、これらの暗記と決まった文章の解釈の知識が必要とされた。中国語は文法がはっきりしないから、とにかく全部覚える他はないのである。つまり「科挙」の試験制度は、とてつもなく厳しいものである。しかし行政を司るためには、文書を正しく読み、正しい文章を書く必要がある。たしかにこのためには「四書五経」を完全にマスターしておく必要があったのだ。

一方、日本においては、昔から、一般国民の中に文章を読める者は大勢いた。特に明治時代に義務教育が始まり、誰もが日本語を書いたり読んだりするのが当り前になった。少なくとも日本では、中国のように、国語というものが、極少数の超エリートしか操ることができないという代物ではなかった。


言語は重要である。ところが中国語はそれほど進化していると思われない。しかし世の中が変わって、新しい概念を言語で表現する必要に迫られる。本当に全ての文章が「四書五経」の解釈を踏襲して理解できるのか疑問である。筆者は、「四書五経」の時代にはなかったようなIT関連のマニュアル類が、どのような記述になっているのか興味がある。

「四書五経」の時代にはなかった文章で、一番関心があるのが「法律」である。「法律」は中国にとって新しい文章の形態である。本当に「四書五経」の解釈で現代の「法律」を適切に解釈できるのか疑問である。たしかに中国では、よく条文の解釈を巡って侃々諤々(カンカンガクガク)の議論がなされるという話は聞く。もっともこれは中国の問題であり、我々日本人には関係がないが(中国の日系企業には関係するかもしれない)。


しかし世の中には「国際法」というものがある。「国際法」の基では、日本も中国と利害関係者となる。日本は、戦時中「捕虜の虐待」などで戦時国際法を破った経緯もあり、あまり偉そうなことはいえない。しかし今日国際的な利害を調整するものは、「国際法」とこれに附随する各種の取決めである。少なくとも今日の日本はこれを順守する姿勢である。

ところが最近、日本と中国や韓国の間で国際法上のトラブルや対立が頻発している。しかし中韓の主張が、とても「国際法」に乗っとって行われているとは思われない。中国や韓国は「国際法」を勝手に解釈しているのだろうか。さらに度々日本の要人発言が曲解されている。まるで「四書五経」の解釈を持込んでいるのではと思われるくらいである。

中国語も最近は句読点を使ったり、また熟語も使うようになっているようだが、基本的には漢字ばかり並んでいるので、覚える必要な漢字の数は膨大である。仕方がないので、簡略体の漢字を多用している。またインターネットや新聞では、漢字を表意文字としてではなく、表音文字として使っているという話がある。ちょうど全て「ひら仮名」の文書と同じである。おそらく「話し言葉」をそのまま「書き言葉」に使って表現を行っているのであろう。それなら使われている漢字は発音記号のようなもので、わざわざ漢字を使う必要がないような気がする。
http://www.adpweb.com/eco/eco395.html


現代日本語と中国語で最も大きな差異があるのは外来語の扱いです。

中国語が抱える問題は漢字しか使えないことであり、それが外来語を受け入れにくくしている。

中国には日本語の平仮名や片仮名にあたる文字がないので、音訳する場合も漢字を使用する。
本来表意文字である漢字の音だけを利用するのですが、漢字はそれ自体に意味を持っているので、音だけを表すには向いていない。

中国語の場合は外来語をとりあえずは読みが近い音の漢字を当てはめて使い、概念が固まったところで意味にふさわしい漢字が当てられるようだ。だからどうしても外来語の翻訳は時間もかかり、読みだけの漢字を当てただけの文字の氾濫は混乱をもたらすのではないだろうか? 「盤尼西林」も最初見ただけでは何のことか分からない文字だ。ペニシリンと分かるまで時間がかかる。

このような言葉のハンデが外国文化を吸収する際には大きな差となって出てきてしまうのだろう。日常的な小説ぐらいなら翻訳も出来るのでしょうが、理科系の専門書を中国語に翻訳するのは不可能に近いのではないかと思う。それよりかは英語をマスターして英語でIT関係の事を学んだ方が早い。

中国人や韓国人の海外への留学生の異常な多さもこのようなことが関係しているのだ。日進月歩の最新技術を取り入れながら改良を重ねて行かなければならない世界では、中国語のハンデは大きい。中国語も一時期はベトナム語のようにアルファベットを用いてローマ字表記も検討されましたが、それだと河一つ渡れば発音が異なる中国はバラバラになってしまう。

このように外来語一つとっても中国語は適用が難しく、何万もある漢字を覚えなければならないのだから使いこなせる中国人は一部に限られてしまう。かといってハングルのように表音文字を使えば誰もが使えますが意味を掌握するのが難しくなり、専門書などは分からない言葉を読み飛ばしてしまう。だから言葉の数も少なくなってきてしまう。

中国や朝鮮半島の近代化がなかなか進まないのも、近代資本主義や近代西欧文化を理解するには越えられない壁のようなものが存在するからだ。だから理解しようとすれば一気に欧米にまで留学して言葉から学びなおしていかなければならないのだ。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/31f3ff231ae092df09a9a575c2058d6c

中国語を使っている人間は思考ができない,感情が発達しないんですね.
これは中国語が秦の始皇帝の時代から全く進歩していないのが原因です.
中国語を使っている人間は原始人と同じレベルだと思った方がいいですね:


中国語という言語は存在しません.
あるのは広東語とか北京語という全く異なる複数の言語です

今の中国人が使っているというのは漢民族と総称されている無数の民族の共通語として作られた人工語なんですね


自分の民族の言葉(中国語方言とは呼ばれているが実際にはそれぞれ系統の違う別言語)は未開民族の言葉と同じレベルで書き言葉も無い

共通語のはエリート以外には作文すらできない:

漢字のみの言語は致命的な欠陥言語だ。要するに大量な漢字を単に覚えさせるだけに子供の成長が費やされ会話の発達が遅れ高度理論の展開など更々不可能にしてしまうのだ。
無駄に大量な漢字を覚えさせることで多くの脳の記憶領域を費やしてしまい、一番重要な『 創造的 』な超高度理論を発展する頭脳領域の余裕などなくなるのだ。

▽明治日本に留学した清国留学生(年間8000人)がもっとも感動したのが、ひらがなとカタカナ 
 があって、誰でも漢字が学べて、すぐに読めるようになることであった

▽漢字の本場、中国では、二十世紀になるまで、漢字には発音記号がなく ただの表意文字だった

要するに,まともな言葉の無い中国人は永遠に原始人のレベルから抜け出せないんですね.

これなら中国語も自分の民族の言葉も両方捨てて英語にした方がましですね.


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4. 中川隆[-12696] koaQ7Jey 2018年6月02日 07:40:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14665]

英語は声に出して話す事を前提にした言葉なんですね.
本来,本の様な書かれた文章を読むのには向きません.

なぜ外国映画はアメリカで字幕上映されない?

世界中ほとんどの国で、外国映画は吹き替え上映が普通。

日本みたいに字幕上映が多い国が例外。


1 :名無しより愛をこめて [sage]:2009/07/12(日) 13:22:19 ID:J3Qe6wQy
アメリカで公開される外国の映画は殆どが英語吹き替えで上映されたり、
映画の舞台が非英語圏でも堂々と登場人物が英語を喋ったりで、日本で言う
字幕厨なんていう奴は全くいなく、吹替厨だらけ。

なんでアメリカ人は外国映画を英語字幕で見ようとしないんだろ?


3 :名無シネマさん[sage]:2009/07/12(日) 14:18:47 ID:CKJtk7i/
英語は綴りを読まなくちゃならないからな
漢字は一文字の情報量が多いから流し読みしても意味が汲み取りやすい
日本語字幕が全部ひらがなで書かれてる位の読み難さじゃないかな>英語字幕


7 :名無シネマさん[sage]:2009/07/13(月) 14:18:50 ID:Y0rfQyei
>>3
何度か、英語字幕付きの日本映画を見たけど
登場人物が難しいことを言いだすと、長い単語が画面にズラズラと流れて
これは無理だと思ったよ。
8 :名無シネマさん[sage]:2009/07/19(日) 20:34:54 ID:ShU9guzs
ドイツに半年いたことがあったけど、
映画館は約8割はハリウッド映画を吹き替え上映してたよ。 
1日一本週4日、メジャーな映画(天使と悪魔、グラントリノ、ターミネーター等)の
英語のオリジナル(字幕なし)上映があってたけど。

>>4が最初のほうでいってるように、
吹き替え上映はアメリカに限らず、けっこういろんな国で多数派なのでは?


10 :名無シネマさん[sage]:2009/07/28(火) 18:02:21 ID:W/Jd8xzS

吹替えって結構徹底してるみたいです。
しかし一度「John Rabe」というドイツ映画を見に行ったことがあるんだけど、
これがドイツ映画でドイツ語が主言語のくせにせりふがすべて吹替え!
なぜかというと、
この映画はシンドラーのリストドイツ版?
日本軍の南京大虐殺から中国人を救ったドイツ人ビジネスマンの話。
なので、せりふもドイツ語のほか、英語、フランス語、中国語、日本語といくつかある。(IMDbで確認した)
日本人の将校役の俳優さんたちは日本語だな!と期待したらだめだった。
明らかにドイツ語でしゃべってる部分まで調整のため?かふきかえられてんだもん。
まじで徹底した吹替えっぷり。
これはドイツでの一例なので、ほかの国でどうなのかは未体験だが・・・
外国いって字幕で外国映画を見ようなんて、
アメリカに限らずどこの国いっても期待しないほうがいいぞ。


そして,その結果は:


 「アメリカでは大人の4人に1人が自分の名前程度しか読み書きできない」。新聞や雑誌で、こんな統計に出くわしてハッとする。

 ただそれは、ぼくが4人に1人という数に驚くからではなく、「やっぱりそうか、アメリカの非識字率ってそんなとこだったんだよな・・・・・」と改めて意識させられ、でもショックは受けず、危機感もイマイチわかず、「ま、別段新しい数字でもないし・・・・・」と片付けそうになる、とそこで気がつく。そしてハッとするのだ。慣れっこになってはならない、深刻な問題なのだ。

 しかしまったく、ぼくの母国はどこを見ても、危機的な統計がゴロゴロしている。

――国民健康保険の制度はなく、アメリカ人のおよそ6人に1人が無保険状態で、事実上、医療が受けられない。

――ブッシュ政権が1期目で実施した大型減税は、総額の半分以上が超富裕層のトップの1パーセントの懐に入った。

――米国人は世界人口の5%にも満たないが、世界の石油消費量の4分の1以上を、一国だけで燃やしている。

――マリア様がセックス抜きに、処女のまま妊娠してキリスト様を産んだという「処女懐胎」を、アメリカの成人の8割が信じている。

 25%の非識字率と、その他もろもろのトンデモ統計と、当然みんな地続きのものだ。字がうまく読めないと、テレビが主な情報源になってしまい、テレビ報道は、「処女懐胎」と同じくらい現実から掛け離れていることが多々ある。

では、もし一生懸命ABCを勉強し、どうにかディクショナリーと首っぴきで新聞が読めるようになったとして、それで確かな情報にありつけるかというと、そうはメディア屋が卸さない。

 例えば、二年前の古新聞を見てみると、『ニューヨーク・タイムズ』を始めアメリカの全国紙も地方紙も、妄想とイリュージョンの記事で埋め尽くされている。「死との隠れん坊・なおくすぶるイラクの核兵器の謎」「細菌博士・世界一の殺傷力を持つ女」―― 2002年の暮れは、イラクが隠し持っているに違いない生物兵器と化学兵器と核兵器と弾道ミサイルの脅威の話題で100%持ち切りだった。
http://www.web-nihongo.com/back_no/column_01b/041221/index1.html


◆米国民の知的劣化 

これは、米国民が、知的に劣化したせいだと考えられるのです。

 とにかく、米国の成人の5人に1人は天動説を信じていますし、26%しか進化論を信じていません。

そもそも、高卒以下の人々の約45%は聖書に書かれていることはすべて真実だと信じています。

それどころか、白人の原理主義的(evangelical)キリスト教徒の60%は、議会ではなく、聖書に拠って米国の法律が制定されるべきだと考えているのです。

 また、成人のたった57%しか年間に1冊以上ノンフィクションの本を読んでおらず、若い成人の3分の2はイラクがどこにあるか地図上で示すことができず、成人の3分の2は米国の3権を列挙することができず、同じく3分の2は1人の最高裁判事の名前も挙げることができません。

15歳の数学の力はOECD加盟29カ国中24位ですし、2007年の研究では読む力が男女とも、しかも教育レベルの相違にかかわらず、低下気味であることが明らかになっています。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu181.htm


アメリカ人のじつに68パーセントは、悪魔がいることを信じている、との統計がある。それに対して、進化論を信じている人は、28パーセント。神様が、聖書に書いてある通り、1週間で宇宙を創造した。われわれ人間はサルから進化したのではない。最初から特別な存在として、神様が創造したのだ、と信じている人の方が、はるかに多く、48パーセントもいる。

聖書には、この宇宙は、神が7日で創造したと書いてある。それをそのまま信じる。現在世界は、悪魔に支配されているから、この世の中には邪悪なものが充ち満ちている。しかし悪と闘い、福音を全世界にもたらすことが、世界を救う、と信じている。そして、やがてキリストが再びこの世に姿をあらわすこと(再臨)を信じている。

NHKの「クローズアップ現代」とNHK-BSで「ブッシュとキリスト教右派」の番組が放送されましたが、福音派の教会におけるミサの様子はまさしく、オーム真理教の様子とよく似ている。悪魔の存在を信じ、善悪の二元論で考える彼らの思想はブッシュの演説にもよく反映されている。彼らは今、オームがサリンをばら撒いたがごとく、イラクで劣化ウラン弾をばら撒いた。そのためにイランの子供達はその後遺症に苦しんでいる。

アメリカは共和党、民主党の二つに分かれているように、東北部と西海岸地区の人口の多い豊かな地域と、中西部と南部の過疎地域で貧しい地域に分かれている。福音派はこの貧しい地域が地盤でありそこから全土にテレビ伝道などで広がり始めている。民主党の地盤と共和党の地盤も同じように分布するのは、経済格差が原因だろうか。


アクエリアス氏はアメリカ南部のキリスト教について次のように書いている。

《聖書を重んじるあまり、それ以外の人類の知的営みをまともに受け止めない。哲学も歴史学も拒否する。自分らに都合よく書き直されたキリスト教史と、良いとこ取りのアメリカ建国史だけが、彼らの歴史である、科学も拒否する、ダーウィンの進化論は、南部の学校では教えることができない。聖書以外の知的営みを拒否し、対話をすることなく、説教師の話を聞き、聖書を読むという世界に自閉する。そういう点で、聖書主義は反知性主義である。インテリは嫌われ、特に大学教授は悪魔の手先だとされる。

 人間と世界を学ばず、先ほど書いた天国か地獄かの終末論だけに閉じこもるから、極端な善悪二元論に陥る。正義か悪か、救われるものか地獄行きか、黒か白かのどちらかであって、灰色の部分を許さない。一見正しいものにも問題があり、駄目なものも見所があり、救いようがある。人間には強いところも、弱いところもあり、そう単純にはいかない。そんな軟弱な考え方は、すでにサタンに誘惑された間違った考え方だと糾弾する。

http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/594.html


1.スーパーのレジが異様に遅い。(日本の5倍くらいはかかってるw)

2.ファーストフードのセットメニューを頼むと、時々一品抜けてる。(3品しかないのにねw)

3.まともな運行時刻表すらないアメリカのバス・電車。(アメリカでは新幹線なんてとてもムリw)

4.殆どのアメリカ人って、外国に行った事も無い、外国語も話せない。要は、無知な田舎者w

5.レディーファーストなんてカッコつける割には、旦那の暴力が社会問題&驚異的な離婚率w

6.アメリカ人の運転マナーの悪さ・自分勝手度合い・・・ 日本人には『想定外』の連続ですw

7.何かを発注したとき、まず守られない納期。稀に納期を守る会社があるとビックリするw

8.議論は長いが何の結論も出ないアホな会議が、実は日本より多いw

9.必ず下らないギャクを入れるプレゼン。アメリカ人はプレゼン上手だと勘違いしてる模様w

10.テメーの稼ぐ金よりも、多くの金を浪費してる国・国民。愚かな・・・(以下省略w

11.コミュニケーションという言葉が好きみたいだが、要はペチャクチャ話して仕事せずw

12.自由を守る!テロとの戦いだ!などと他国に騒いでるが、要は、親米か反米か、それだけw

13.ミーティングでは“No Problem. We can do that” し か し・・・行動が伴わないw

14.ゴミの分別などお構いなし。誰も居ない週末のオフィスでも冷房ガンガン。環境を語る資格ナシw

15.駐車場で白線内にクルマを停めない馬鹿が多過ぎw、世間の程度が知れるw

16.セクハラ訴訟で何百億円、タバコ訴訟で何千億円・・・素晴らしい常識の国だよw

17.国民総肥満w、何食ってどれだけ怠惰に生活すれば、あんな肥満になるのか誰か教えてくれw

18.いまだにアメリカだけポンド・ガロン・インチ・・・の世の中w ま、彼らに国際単位系への変更なんて理解不能かw

19.終わってる製造業w 武器以外に輸出できるようなモノって一体何があるの?誰か教えてくれw

20.たかだか二百数十年の『アメリカ史』w なんせ白人は人々が暮らしているのにアメリカ大陸“発見”だからw
皮肉な事に、日本の負け組みに限って渡米希望w

イギリス社会の10大特徴

@とにかく犯罪が多い
スリ、置き引き、強盗、売春、ナイフ殺人…
このどれかに遭遇せずにロンドンからは出られねえぜヒャッハー!

A街中にハッテン場
ホモのレイプ魔がトイレや階段の陰で獲物を待ち伏せている。
公衆トイレでアナル強姦されてエイズになって死んだ日本人の大学教授がいる(実話です)。

Bメシが不味い
イギリス料理は脂肪と塩そのまんまの味がする。食事というより家畜のエサ。

C不細工・奇形だらけ
歯並びが悪かったり、顔が左右対称になってなかったり、足が異様に短かったり
日本人が持っている白人のイメージとは随分違った醜い容姿の人たちでいっぱい。

D原因不明の難病患者群
世界の奇病リストを見ると患者にイギリス人大杉。

Eイジメがすごい
幼稚園から大学、社会人まで陰湿極まりないイジメ文化が複雑・重層的に発達している。
人間関係の基本は陰口と嫌がらせ。人を騙す技術に長けた欲深い金持ちを紳士という。


F階級差別・人種差別
貧富の差が凄まじい。言葉づかいの差別が激しく、貧乏人の訛りがついてしまうと一生出世できなくなる。
日本人や中国人がものすごく嫌われている。また、ネオナチがインド人や黒人の移民を襲撃している。

G不潔
毎日風呂に入る習慣が確立していない。ジメジメかつ埃っぽく、どこへ行ってもカビの生えた毛布のような変な臭いがする。

H乱れた王室
王室関係者はスキャンダルまみれ。セックス・ドラッグ・不倫・公金横領・人種差別発言などやりたい放題。

Iウリナラ根性
そんな自分たちが世界をリードするべき人種で近代文明の産みの親だと信じて疑わない恐るべき傲慢ぶり


要するにアメリカの一般大衆は魔女狩りの時代から何も進歩していないのですね.

まあ,2000年前から何一つ進化していない中国語を今でも使っている原始人_中国人よりはましですが,仮に中国人が中国語を捨てて英語を母国語として採用したとしても,せいぜいこのレベルまでしか行けないのですね.

中国の時代が来る事は未来永劫無いという事がおわかりになりましたよね?


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5. 中川隆[-12695] koaQ7Jey 2018年6月02日 07:41:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14665]

中国語の語彙の大半は日本から移入されたもの
日本語がなければ中国語は原始人の言葉そのもの:


現代中国語にあふれる日本語、「職場」「人気」など逆輸入
―シンガポール紙モバイル版
URL : http://rchina.jp/article/28577.html

2009年2月13日、シンガポール華字紙「聯合早報」は、現代中国語の社会や科学、文化の分野で日本語を由来とする言葉が7割を占めると報道。外来語である日本語が現代中国文化に大きな影響を与えてきたと説いている。

中国の漢字が日本に渡ると、日本人はこれを用いて日本独自の発想の下に新しい言葉を作った。その多くが中国に逆輸入されていることは中国ではあまり知られていない。芸能ニュースでよく目にする「人気」や「写真」「超…」といった言葉は日本からの外来語だ。

中国人が知らずに使っている言葉の多くが日本語である確率は高く、最近目にする「新人類」や「職場」「達人」なども日本語からの逆輸入。

また、日常的に使用される「健康」や「衛生」「文化」「時間」「労働」「生産」などの言葉もすべて日本語から来ている。

これら日本語の中国での浸透度はあまりにも深く、範囲も広い。今や日本からの外来語抜きで中国語は成り立たず、会話も出来ないほどだ。

一部の中国人はこうした状況を「日本語による文化侵略」や「中国語の災難」と批判しているが、それは彼らがあまりにも狭い立場からでしか物事を見ていない証拠であると同紙は指摘する。

現代中国語のなかにあふれる日本語は日中両国の文化交流と文化融合の結果であり、中国の現代化を推し進める原動力になっていると記事はまとめている。


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6. 中川隆[-12694] koaQ7Jey 2018年6月02日 07:42:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14665]

中国人にこういう芸当ができるかな?:

当時、森有礼という人物がいた。日本の初代文部大臣である。文部大臣になったのは、38歳のときである。かれは明治3年(1870年)から3年間、少弁務使として駐米したとき、おそらく欧化しがたい日本に絶望したのであろう。日本はだめだという理由を日本語にもとめた。

この時期、医学や理化学用語の一部以外は日本語訳(漢訳)されておらず、西洋の諸概念さえとらえる能力を日本語はもっていなかったから、森の絶望もむりからぬことであった。森は、ついに、日本は日本語を捨て、英語を国語とすべきだと思いつめるまでになった」と述べている。

このような考えを持つ者は少なくなく、ほかにも前島密や、神田孝平、ローマ字論者の外山正一などがいた。

だがしかし、日本は何とか英語が国語にならずにすんだ。

明治の指導者たちが、西洋の衝撃にまともに対面したとき、多少の曲折はあったにしても、最終的には、日本語による高等教育に落ち着いた。今日の日本人が学術の全領域で日本語でいちおうは思索し、研究し、教育することができるのは当時の日本人が、新しいことばをつくりだすという苦労の多い作業を重ねながら開拓し構築したお陰である。
http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2010-01/12/content_239219.htm


明治初期の大翻訳時代

 19世紀半ば以降の日本の近代化は、ある意味で当時の常識を覆す動きであり、世界史に残る偉業だとすらいえるだろう。そのなかで翻訳が少なからぬ役割を担ったのはたぶん確かなので、翻訳について考えるのなら、明治初期の翻訳に注目するのが当然だ。

 明治の翻訳というと、たとえば二葉亭四迷が先駆者として有名だ。有名な「あひヾき」が発表されたのは明治21年(1888年)だ。二葉亭は1864年に江戸で生まれたというから、教育を受けたのは明治に入ってからだ。この事実をみると、明治も半ばのこのころになれば、外国語の教育も進んで、ようやく翻訳もできるようになったのだろうと思える。

 だが、このように考えるのは、小説の翻訳を中心に考えるからなのかも知れない。翻訳の歴史を扱った本はいくつかあるが、たいていは小説や詩の翻訳をテーマにしている。たぶん、翻訳研究者に文学系の人が多いからなのだろう。日本の近代化に翻訳が役立ったとするなら、主戦場は自然科学や社会科学、思想などのはずである。

 文明開化の時期の翻訳を考えるとき、便利な資料に加藤周一・丸山真男校注『日本近代思想体系15 翻訳の思想』(岩波書店)がある。この本に紹介されている明治初期の翻訳は、詩や戯曲もあるが、思想、法律、歴史などの分野のものも多い。丁寧な解説もあるし、翻訳だけでなく原文もあわせて紹介しているので、当時の翻訳を知るには恰好の資料だ。

『翻訳の思想』は絶版になっているが、幸い、丸山真男・加藤周一著『翻訳と日本近代』(岩波新書)がある。『翻訳の思想』の編集過程での問答を記録したもので、いわば座談会のようなものなので、はるかに読みやすい。新書なので安いし、入手しやすい。

『翻訳と日本近代』を読んでいて、少々驚く話がでていた。『経国美談』で有名な矢野文雄(竜渓)の『訳書読法』(明治15年)を紹介した部分だ。明治15 年にはすでに「其ノ数幾万巻」の翻訳書が出版されていて、何をどう読めばいいのかが一般の読者には分かりにくくなっていた。そこで矢野は「内務省図書局ニ納本セル総訳書ノ目録」を調べ、「数千部ノ多キヲ一々精査シ」、読むべき翻訳書をこの本で紹介したというのだ。

 これを読んだとき、「幾万巻」とか「数千部」とかは白髪三千丈の類に違いないと思った。明治15年にそれほどの数の翻訳書がでているなどとは考えられないと思ったのだ。ほんとうはどれぐらいの翻訳書が出版されていたのか、調べてみようとも考えたが、そのころは調べる方法は見つからなかった。

 最近、国立情報学研究所が公開している大学図書館所蔵図書データベース、Webcat Plusで、ある程度までは調べられることに気づいた。これは全国の大学の図書館にある蔵書のデータベースだから、出版された図書の全数のデータベースではない。それでも、出版年別に一覧表を表示させることもできるので、翻訳書の点数を調べることがある程度まで可能だ。

 そこで1868年から1882年まで15年間に出版された和書の一覧表を作り、そのなかから翻訳書を選んでみた。結果は以下の通りだ。


総点数 翻訳書点数 翻訳書純点数
1868年 290     25    19
1869年 279     37    32
1870年 275     35    22
1871年 356     76    53
1872年 410     108    84
1873年 668     132    106
1874年 757     155    116
1875年 781     168    130
1876年 780     172    124
1877年 793     155    114
1878年 789     182    128
1879年 818     188    159
1880年 805     117    88
1881年 934     138    89
1882年 978     181    146
合計   9713     1869    1410
注:Webcat Plus(http://webcatplus.nii.ac.jp/)のデータより作成


 この15年に、データベースに収録されている和書・文書の総点数は9713点(かなりの数の文書が含まれているので、出版点数ではない)、そのうち翻訳書が1869点もある(翻訳書かどうかを書誌情報から確認できないものは除外した)。このうち、あきらかな重複を取り除くと、翻訳純点数は1410点である。簡単には確認できない重複もあるので、この1869点のうちの純点数はもう少し少ないだろう。だが、翻訳と銘打たない翻訳書も多かったし、これは当時の翻訳書の全数リストではないので、明治15年までの15年間だけで1500点以上の翻訳書が出版されているはずだ。『訳書読法』がいう「数千部」はそれほどの誇張ではないようだ。

『訳書読法』が書かれた経緯とその内容からも、当時の翻訳熱のすさまじさが分かる。『翻訳と日本近代』53ページ以下、『翻訳の思想』269ページ以下の内容をまとめると、こうなる。大分県の南端にある現在の佐伯市に「訳書周覧ノ社」、つまり翻訳書の読書会が作られ、佐伯藩出身の矢野竜渓に「有益ノ訳書ヲ送致センコトヲ請フ」。矢野は「有益ノ訳書」を送ると同時に、「之ヲ読ムノ順序方法ヲ誤テ之ヲ解スルニ苦シマンコトヲ恐レ、更ニ一篇ノ訳書読法論ヲ草セラル、則チ是書ナリ」という。

『翻訳の思想』の273ページ以下に「読ムベキ書目」が見事に分類されて並んでいる。地理、歴史、道徳、宗教、政治、法律、経済、礼儀、医学、心理、論理、物理、化学、生物、天文などの訳書を紹介し、その後に雑書として、進化論、文明史、社会、伝記、乱世史、紀行、小説をあげている。

 たとえば、歴史ではヒュームの『英史』、宗教では『旧約全書』と『新約全書』、政治ではトクビルの『自由原論』(『アメリカの民主主義』)、ベンサムの『立法論綱』、経済ではミルの『経済論』、生物学ではダーウィンの『人祖論』、社会学ではスペンサーの『社会学』、ミルの『利学』(『功利説』)と『自由之理』、伝記ではスマイルズの『西洋立志論』があげられている。

 小説は9点紹介されている。『経国美談』ももちろん入っており、それ以外に『イソップ物語』、ベルヌの『八十日間世界一周』と『月世界旅行』、デフォーの『ロビンソン漂流記』などがあげられている。

 明治15年までの15年間に翻訳出版された1500点近くのリストをみていくと、小説は意外なほど少なく、矢野があげた9点以外ではバニヤンの『天路歴程』が目立つぐらいだ。

 翻訳点数がとくに多いのは、医学、工業技術、農業技術、法律などの分野である。当時、必要に迫られていた分野で大量の翻訳が行われていたのだろう。また、初等中等教育の教科書や、各種の分野の入門書が多数翻訳されていることにも気づく。外国から学んで国民を教育するという目的がはっきりしていたことが、翻訳書のタイトルを眺めただけで読み取れる。

 繰り返すが、ここで対象にしているのは明治15年までの翻訳である。当時はまともな辞書もなかった(当時の翻訳書には『ウェブストル氏英語字書』などもあるが)。それよりも何よりも、欧米の考え方を理解するのがきわめて困難だった。そして、たとえ理解できてもそれを表現する語彙が日本語になかった。その時代に、よくここまで翻訳ができたものだと思う。

 明治初期の翻訳を読むと、当時の苦闘の様子がよく分かる。この時代には、ヨーロッパの言葉で書かれた欧米の本を、漢文という枠組みを使って何とか表現するために格闘したのだろう。翻訳のスタイルは直訳ではなく、意訳だといえる。

 たとえば、中村正直訳『自由之理』の冒頭部分をみてみよう。これは経済学者、哲学者として有名なジョン・スチュアート・ミルのOn Libertyの翻訳である。原著の出版は1859年、翻訳書の出版は1872年だから、ほぼ同時代に訳されている。


自由之理、序論
 リベルテイ〔自由之理〕トイヘル語ハ、種々ニ用ユ。リベルテイ ヲフ ゼ ウーイル〔主意ノ自由〕(心志議論ノ自由トハ別ナリ)トイヘルモノハ、フーイロソフーイカル 子セスシテイ〔不得已〔ヤムヲエザル〕之理〕(理學家ニテ名ヅケタルモノナリ、コレ等ノ譯後人ノ改正ヲ待ツ。)トイヘル道理ト反對スルモノニシテ、此書ニ論ズルモノニ非ズ。此書ハ、シヴーイル リベルテイ〔人民の自由〕即チソーシアル リベルテイ〔人倫交際上ノ自由〕ノ理ヲ論ズ。即チ仲間連中(即チ政府)ニテ各箇〔メイ/\〕ノ人ノ上ニ施シ行フベキ權勢ハ、何如〔イカ〕ナルモノトイフ本性ヲ講明シ、并ビニソノ權勢ノ限界ヲ講明スルモノナリ。(『明治文化全集』第5巻、日本評論社、1927年、傍点は太字で示した)

THE subject of this essay is not the so-called 'liberty of the will', so unfortunately opposed to the misnamed doctrine of philosophical necessity; but civil, or social liberty: the nature and limits of the power which can be legitimately exercised by society over the individual.(John Stuart Mill, On Liberty, Penguin Classics, p.59)


 たとえばliberty、society、individual、natureなどの訳に苦労している様子が読み取れるはずだ(この4つの語は柳父章が名著『翻訳語成立事情』〔岩波新書〕で取り上げた10の言葉のなかに入っている)。

 苦労したのは中村正直が英語をよく読めなかったからなのだろうか。あるいはミルの主張をよく理解できなかったからなのだろうか。『自由之理』を読むと、どちらでもないとしか思えない。英語力の点でも、内容の理解力の点でも、中村正直らの当時の翻訳者は間違いなく巨人だ。それと比較すれば、いまの翻訳者はせいぜい子供といえるほどの力しかない。

 当時の翻訳は、中村らの巨人にとってすら、いまでは想像もつかないほど困難な作業だったのだろう。たとえばsocietyやindividualという単語をどう訳していいのかが分からないのは、訳語が決まっていなかったからではない。話はそれほど単純ではない。たしかに訳語は決まっていなかった。だが、訳語が決まらないのは、これらの語で表現されている概念がそれまでの日本になかったからだ。概念がないのは、考え方が違っていたからだ。考え方が違っていたのはかなりの程度まで、現実が違っていたからである。

 そして、翻訳にあたっては、現実の違い、考え方の違い、概念の違いを理解するだけでは不十分だ。理解した結果を読者に伝えなければならない。欧米の現実、考え方、概念を知らない読者に原著の内容を伝えようとするとき、直訳調では何も伝わらない。意訳になるしかない。そして、意訳にあたっては漢文という枠組みを使って表現する以外に方法はなかったはずだ。漢文は中国の古典を取り入れるために作られた文体なので、日本語の文章体のなかで翻訳にとくに適している。

 その後、たとえばlibertyは「自由」、societyは「社会」、individualは「個人」、natureは「自然」という風に訳語が決まってくる。これらの語があらわす概念が理解されるようになったのではない。訳語が決まっただけだ。だがこうなると、たとえばひとつのセンテンスで socialを「人倫交際」と訳し、societyを「仲間連中」と訳すのは許しがたいと思えるようになったはずだ。まして「即チ政府」という注をつけるのは。こうして、明治初期の大翻訳時代の後に、原語と訳語の一対一対応を追求する直訳調の翻訳がはじまったのだろう。この点についてはいずれ、明治初期の翻訳とその後の翻訳を比較検討するなかで考えていきたい。
http://homepage3.nifty.com/hon-yaku/tsushin/ron/bn/maiji.html


新しい日本語はいかにつくられたか

「近世西洋文化をわが国語の中に伝えたるものも亦主として漢語たり」と山田孝雄は『国語の中に於ける漢語の研究』で述べている。つまり、日本は西洋文化を受け入れるためにどうしたかといえば、今のようにカタカナ語を当てるのではなく、漢語に翻訳した。もちろん新しい物だけではなく、見たことも聞いたこともない新しい文化や技術や概念であるから、そのような漢語は中国にも日本にもない。そこで、中国の古典にあることばを転用して当てたり、まったく新たにつくったりした。他にも中国が西洋文化を輸入したときに翻訳書に用いたものや、わが国が西洋文化を輸入するために中国の古典に典拠のあるものをわが国が選定したものがある、と述べている。当時の日本の武士階級には根底に教養としての漢文•漢語が備わっており、新しい文化や概念を読み解くにも「漢才」が縦横に発揮されたのである。

学術用語確定の努力が学問の広汎な領域で、明治の初年から20年代の半ばにかけて、意識的にまたきわめて精力的に行われていた。


横浜鉄道蒸気車通行の図。明治5年新橋―横浜間に鉄道が開通、わずか1時間で行けるようになった(神奈川県立博物館蔵)
新宿路上の禁煙マーク。中国語・ハングル・英語と日本語で表示されている。多少の違いはあれ、漢字はアジア語でもある


穂積陳重博士は、その苦労をつぎのように言っている。法政学者が法政学のことばをつくったときの苦心は一通りではなかった。明治10年(1877年)前後はまだ日本語で西洋の法律の説明がかろうじてできる程度で、明治20年ごろまでは日本語で法律の講義をするのは大変難しかった。したがって明治14年東京大学の講師となった時は、教科は英語の教科書を使い、英語で講義をしたという。

今や高級官僚、政治家やありとあらゆる分野で、日本の頂点を極めている人々を輩出している、東京大学法学部が自国語の日本語で講義さえできなかったほど、当時の日本語は貧弱であった。

大隈重信の『開国50年史』に藤岡勝二が書いた「国語略史」によれば、「江戸に初めて渡来した西洋の文物は維新後も続々輸入され、国語の内容も豊富になった。専門語はその国のことばを用いることが多く、日本語にも各国のことばが入り混じったが、とくに英語は著しく普及し、日常のことばにも数百ものことばがとり入れられ、看板や商標などもその字を使って表記している。数字もアラビヤ数字を知らぬものはまれで、さらに著しいのは日本語化した漢語で西洋語を翻訳したものが日を追って増えた。印刷術も長足の進歩をし、新しいこれらのことばが出版物に現れ、国民が等しくこれを理解するようになった」という。

私がなぜこのような話を長々と引用するかといえば、冒頭で述べたように日本語が歴史の中で三度にわたって大きく変化した姿が、時代の違いはあれ明治に映し出されていると思うからである。目を見張るような進んだ文化が日本に渡ってきたときの、人々の驚きと嘆息が伝わってくる。

鎌倉•室町時代に宋から新たな文化が伝来したときも、きっとこのような光景があったと思われる。いかにも新しい文化的な雰囲気を持つ「玄関」「暖簾」「箪笥」「椅子」や、日本の家屋にはなかった「炬燵」「行火」などの暖房、おいしそうな「豆腐」「納豆」「饅頭」「饂飩」「蒲鉾」、今では欠かすことのできない調味料の「味噌」「醤油」「砂糖」などがやってきたのである。日本文化は模倣文化といわれるが、よくぞ真似してくれたとご先祖に感謝すべきである。こんな素晴らしいものを伝えてくれた「宋」とは一体どんな国であろうか、と羨望と憧憬をもって新文化の伝達者である僧の説法に耳を傾けたに違いない。

日本から中国に移入された漢語


1873年(明治6年)5月1日、オーストリアのウィーンで開かれた博覧会に日本は初めて参加。 (『墺国博覧会参同紀要』より)

「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」といわれた明治時代は、新しい制度と文化と技術の移入に、国を挙げて取り組んだ時代であった。「尊王攘夷」を標榜した倒幕派も、明治になると一転「文明開化」にいそしみ、殖産興業や富国強兵•脱亜入欧などの一連の政策を推進する。「鬼畜米英」と叫んだ戦前から、戦後一転して親米「民主主義」を導入するように、良し悪しは別として日本は、新しいものや変化にきわめて順応しやすい。西洋建築、髪型、洋装、洋食などから、郵便や電信 などにいたるまで西洋化が急ピッチで進められた。さらに植民地経営で莫大な富をアジア諸国から吸い上げていた西洋列強にならって、軍拡に走り、1894年と1904年にそれぞれ清国とロシアに戦争を発動し、莫大な賠償金と利権を得る。

まさにこのころ、西洋化にある程度の成果を得た日本から和製漢字が中国に移入されていく。中国に孫文(1866〜1925年)をはじめとする憂国の士が現われ、一足先に西洋の新しい技術や文化を得た日本から思想や近代科学とともにことばも移入する。それは科学技術、政治経済、制度や思想など多岐にわたっている。

科学や医学では、「科学•化学•現象•液体•蒸発•物質•材料•分析•実験•作用•伝播•電流•電話•反応•反射•医学•動脈•細胞•潰瘍•結核•手術•消毒•進化など」科学や医学の概念とそれを実験•証明する器具や論理を説明することば。

政治経済では「政治•経済•革命•政党•政府•主席•総理•議決•議案•議会•否決•政策•軍事•警察•財政•経理•企業•破産•投機•金額•消費•生産•商業•商品•不動産など」国造りに必要な基本的なシステムやその運営に欠かすことのできない概念。

制度や思想では「社会•身分•自治•主権•権利•法律•法廷•刑法•判決•批判•義務•反動•交渉•独裁•労働•代表•解放•情報•新聞•原則•現実•民主•共和•互恵•交通•軍国•命令•思想•唯物論•共産主義•抽象•概念•運動•積極•客観•観念•意識•目的•手段•要素•要点•判断•説明など」いわゆる社会科学的用語。

「教育•歴史•数学•物理•体育•保健•美術•哲学•文学•文明•文化•建築•学位•試験•環境など」の教育や人文科学に関する用語などである。

このようにみると、ほとんどのことばが現在も、日常的に使われている。それは中国においてもまったく同様に日常生活に欠かせないことばであり、現代の政治や経済においても重要なことばばかりである。

農文協の『図説 中国文化百華』の『漢字の文明 仮名の文化』で著者の石川九楊先生は、「大陸に生じた漢語が裏に西欧語を貼りつけて再び暴力的に里帰りした一面がないわけではない。むろん、そのことをもって東アジアの近代化に貢献したと言えるようなものではないが」といっている。

孫文の辛亥革命から毛沢東をはじめとする中国共産党の中華人民共和国成立にいたるまで、これらのことばが果たした役割は確かに大きい。とはいえ、これらのことばがもたらした代価も決して小さくはない。ただ、同じアジア人としてことばを共有し、文化を享受できたことを喜ぶべきなのかも知れない。
http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2010-01/12/content_239219_2.htm


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7. 中川隆[-12693] koaQ7Jey 2018年6月02日 07:43:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14665]
漢字漢文は不完全な言語である。情緒を表現することができない
論理とか道筋とかを正確に伝えることができない。 西尾幹二

◆訓読みの成功と日本文化の自立

『日本書紀』の編纂にあたっては、かなりの渡来帰化人の協力があるといわれている。ちょうどわれわれ現代人が英語をうまく書ける人につい頼ってしまうように、漢字漢文に練達である朝鮮からの渡来帰化人に依存するということがあったと思う。

日本人が外国語べただという性格は二千年前からつづいているという文化論に、あるいはまた文明の反省につながる話というふうにしてしまうと少し情けないし、間違える。そういう話ではない。古代の日本は他のアジアの国にはできなかったきわめて特異なことを行った。韓国が吏読という訓読みに近いやり方をいったん試みたが成功しなかった。

同じようなことは、ベトナムが字南という言語表記法を工夫し、開発するが、もちろんこれも成功しない。十五世紀につくられたハングルは一語一音表記の表音文字であるので日本の仮名に等しい。訓読みという中国漢字の自在の二重構造というものではおよそない。

韓国の場合、漢字漢文を正式書法とする上流階級の意向にあわせてハングルは軽蔑されたり、禁止されたりして二等級扱いされてきた。そして第二次世界大戦後、伝統となっていた漢字漢文の表記法もやめてしまい、ご承知のようにオールハングルに切り替えた。それで数世代を経て、今、非常に困った文化的局面に立ち至っていることは関係者の反省の言葉としてわれわれの耳に達しているとおりである。

古代の日本は何度も言いたいが、アジアの国で出来ないきわめて特異なことをやった、たった一つの国である。それは中国の文学を日本語読みし、日本語そのものはまったく変えない。中国語として読むのではなくて日本語としてこれを読み、それでいながらしかもなお、内容豊かな中国古代の古典の世界や宗教や法律の読解をどこまでもいじする。この決然たる意思であった。

今のフィリピンでは、公用語も新聞も英語である。しかし民衆はタガログ語を話している。アメリカに植民地として支配されたフィリピンの姿である。フランスに支配されていた旧フランス領アフリカでも同じことで、指導者はフランス語を話し、一般民衆は現地の言葉を話している。古代日本人は敏感にこのことのもつ危険を知っていたに違いない。

もし古代日本が中国語に接したときに、支配階級が中国人と同じように中国語を読み書き話す術を競い合い、他方、一般民衆は「倭語」を話しつづけていたらどうなっていたであろう。日本は中国の属州でありつづけ、日本そのものがすでに消滅してしまっていたであろう。

言語は民族の精神の核である。(P102〜P103)

◆漢字漢文における表現カの限界

いうまでもなく私の関心は日本語の起源問題そのものにはない。前項以来、現代のこの方面の最新学説を紹介することで、日本語は孤立言語とは断定できないまでも、歴史的由来をただすことがきわめて困難を言語の一つであり、したがって日本文化そのものがユーラシア大陸から独立した"栄光ある孤立"を守る正当な根拠をもっている一文明圏だということに、読者が納得してさえくだされば、それで十分なのである。

文字は間違いなく中国から来て、それはいちじるしく変形され、日本化された。だからといって日本が中国文明圏だということにはならない。前にも言ったとおり、言語と文字は違う。言語はより根源的である。日本語は周知のとおり、中国語とは縁戚語ですらない。

人類が音声を使っな言語を用い始めたのは、すなわちスピーキングは、確たることはわからないが約三百万年前に始まる旧石器時代である。それに対し文字の出現、すなわちライティングは最古のシュメール文字にしてもせいぜい数千年前である。現代でも文字を持たない言語がいくらも存在する。

また、優れた文字を持つ文明下に生きているとしても、喋ったことを完全に文字で表現できるとは限らない。言語と文字表現との間にはつねに隙間がある。隙間という程度ではすまないほどの埋められない深い淵があるのが宿命だと言ったほうが、あるいは正しいかもしれない。

「書くことが話すことよりも完壁であるととかく考える誤解が、世には存在する。なかには書くことと言語とを同一視するような行き過ぎた間違いを犯す者さえいる」 書物に取り巻かれている文明社会の知識人が陥りがちな自己錯誤である。

中国の全国人民代表大会には約三千人が一堂に会する。しかし参加者は誰も発言しない。一人一秒もない、という時間の問題だけではない。中国は多言語社会である。誰かが突然立って発言しても言葉が通ない。

江沢民が壇上で演説するのを聴いても理解できない参会者が少なくないそうだ。皆がワーツと拍手するだけである。そこで紙が配られる。書かれている漢字漢文を目で読んで納得する。各々が自分の国の音で読んで、理解はするが、隣の人にこれを朗読して聞かせたらもうわからないということだ。

中国のテレビではニュースキャスターが話している間、ものすごい速さで漢字のテロップが流れることがある。中国人同士でも、耳で聴くだけではまったく理解できない場合がある証拠だ。

「官吏」という言葉も中国から来たが日本とは意味が違う。「官」はキャリアの役人、中央から派遣され、しばらく勤務し栄転していく高級官僚である。「吏」は下積みのノンキャリア組で、それぞれの地方に縛られている。これは端的に通訳のことである。地方語のわかる人が「吏」である。そういう区別が多言語社会の実質を物語っている。

台湾人の文明評論家、黄文雄氏から聞いた話だが、事情は台湾でも同様であるそうだ。国慶節で蒋介石が演説するのを何度も聴いたが、分からない人が大部分だった。台湾には高砂族という原住民がいて、今でも九つの部族に分かれ、それぞれ独自の集団生活をしている。彼らは固有の儀式を行い、お互いに言葉が通じない。仕方がないので、今でも必要な時には日本語で意思疎通を図っていると言う話だ。

私は以上、政治的なテーマを語っているのではない。言語哲学的に非常に重要な事を言っているつもりだ。中国はヨーロッパみたいなものだと思えばいいでしょう、と黄氏はおっしゃった。

フィンランド人はイタリア人が話していることがわからない。アイルランド人はポーランド人が話していることがわからない。それでは文字に書いた文章を見せればいいかというと、中国語と違って、ヨーロッパの文字は表音文字だから、それぞれ相手の言語を勉強していなければ理解はできない。

表意文字としての中国語はこの点断然有利だ。漢字漢文だと相互理解がたちどころに可能になる。中ていさいとつくろ国が曲がりなりにも統一国家としての見せかけの体裁を取り繕うことができ、有機的な一つの文明だと思わせることに成功しているのは、ひとえに表意文字の有効利用のせいであるが、他方、この有利さには別ともなの面の不利が伴っている。

すなわち漢字漢文の伝達力には必然的に制約がある。きわめて大雑把な、決まりきった定型しか表現できないという欠点がある。漢字漢文は不完全な言語である。情緒を表現することができない。論理とか道筋とかを正確に伝えることができない。

だいたい品詞の区別がない。名詞、動詞、形容詞、形容動詞の区別がない。日本語の助詞として重要な役割を持っ「てにをは」がない。だから読みようによってどうにでも読めるし、厳密な伝達ができない。

ヨーロッパ語のように性とか数とか格とかがない。そもそも語と語のつながりを表す言葉がない。したがって大略の内容表現しかできないで押し通してきたことが、偉大な古代文明を持つ中国がその後の発展を阻まれてきた原因かもしれない。

魯迅も孫文もこのことを嘆いていた。毛沢東の文字改革はこの嘆きのうえになされたものだが、文字を簡略化しても根本問題の解決にはならない。それに比べ一語一音を廃し、訓読みを導入し、しかも二種の仮名文字を自由自在に混在させる知恵を発揮した日本語のほうが、言語の表記法としてははるかに進歩し、微妙に洗練され、かつ精緻正確な形態に発達していることは言をまたない。

過日、加地伸行氏という儒学の大家にたいへんに興味深いお話を伺った。日本語の助詞も持たず、ヨーロッパ語の格変化や人称変化も持たない漢字漢文で、語と語の連結はどのようにして行われているのですかという私の質問に、氏はふと思いついたように「端」という字をお示しになった。日本人はこの字を見ると端っこというイメージをまっ先に思いつく。そして、それ以上はなかなか意識に思い浮かぷものがない。われわれには漢字が依然として外来語である所以である。

加地氏によると、「端」はものごとを区切るということであり、礼儀正しいということであり、さらに、恭しく人に物を捧げ持ってさし出す様子などをさえ示す言葉だという。私は知らないことを初めて言われた驚きを覚えた。「つまり『端』はじつにきちんとしているということを言い表す言葉なんですよ。たとえば日本語でも、『端正な芸風』、『端整な顔立ち』、『端然と座る』などという使い方をするでしょう」。

そう言われて私は、なるほどと悟った。日本語では中国語の原義のもつ広い概念が、ばらばらの熟語として二字連結で入っている。「端的にいえば」はまさに「ものごとを区切る」という最初の語義に発している。「端厳な態度」、「端座する」は礼儀正しく、きちんとした姿勢を紡佛させる。

私のようなヨーロッパ系の言語を学ぶ者でも、日本語と対応させるうえでの概念のズレをつねづね経験している。constitutionは組織や構成のことであり、体格や体質のことであり、かつ憲法のことだ。She is weak by conatitutionは「彼女は生まれっき身体が弱い」の意で、憲法とはなんの関係もない。英語やドイツ語だと私はある程度の概念の広がりを当然視しているが、漢字となると、自国語として用いているので、かえって一語の持つ広い概念範囲に平生気がついていない。

しかし中国人は「端」という一語を見ただけで、広範囲のイメージをじかに表象している。そしてひとつの概念の円が次の概念の円と次々に重なって、それによって語と語の連結をつづけていく。助詞や格変化がなくても不自由しないのはそのせいである。

教養のある中国人は一つの概念の円が、当然大きくて広い。歴史的に使われていた中国語のありとあらゆる教養のうえで、大きな円を描き、そのつながりで意味了解がなされていくのが中国語の特徴であるから、古典の教養がなければ理解できないことがたくさん出てくると言われるのも、むべなるかなである。

加地氏は自作の漢字漢文を中国人の先生に見せると、たいてい、ここはいらない、これも不要だ、と文字を削られ、短くされてしまうという。一つの概念の円の範囲がたぶん中国人の先生のほうが広いためである。

中国の科挙がなぜ膨大な量の古典文学の学習を強いたかという謎もここにあるのかもしれないと思ったが、現代の大衆社会に適用できる話ではないので、漢字漢文の伝達力の限界という先の間いに解答を与えてくれる話ではない。(P131〜P135)


(私のコメント)
ゴールデンウィークも後半に入りましたが、相変わらずテレビの大リーグ中継を見て過ごしています。レッドソックスの松坂はストライクが入らずフォアボールで満塁にしてしまう。結局7点も取られてマウンドを降りましたが、明らかにフォ−ムを崩していた。どのように修正して立ち直るか分かりませんが、慣れるまで時間がかかるのだろう。

ゴールデンウィーク中はお休みのブログも多くて読む人も少ない。おまけに晴天だから外出している人が多いだろう。中には私のように金が無いので家でごろごろしているしかない人もいるだろう。このような時には本でも読んでいるのが一番いいのですが、月収が10万円しかないフリーターは本を買う金も無い。

私なども学生時代は金が無くて古本を買って読んでいましたが、今は古本も安くなって定価の十分の一ぐらいで買える。しかしフリーターは狭いアパート暮らしで本を置く場所も無い。最近ではマンガ喫茶で寝泊りしている人もいるようですが、こうなるとネットでしか知識を得られないことになる。

私のブログでは本の紹介もしているのですが、今回は西尾幹二氏の「国民の歴史」を紹介します。フリーター生活と「国民の歴史」とどんな関係があるのかと言うと、格差社会を作り出した政治を通じて若者がフリーター生活に追い込まれているのだ。なぜ政治が格差社会を生み出したのかと言うと、政治家達が日本の歴史と伝統を忘れて、アメリカの残していった教育を放置した事に原因がある。

安倍内閣は教育改革を推し進めていますが、憲法改正なども絡んで日本の歴史や伝統をどのように復活させるかが、これからの日本の大きな課題になる。日本の教育も一番直さなければならないのは歴史教育であり、戦後の自虐史観を正さなければ青少年の心に「日本は戦争犯罪を犯した悪い国」という歴史観が植えつけられてきた。

だからアメリカや中国や韓国などから歴史カードを突きつけられただけで日本は謝罪と反省を繰り返してきた。そうされていくうちに理不尽な要求を突きつけられても日本の政治家は受け入れざるを得なくなり、国民はいくら働いても富はアメリカに吸い取られていく仕組みになっていく。

あるいは中国に6兆円ものODAを援助しても中国に感謝される事はなく、国内の景気対策は放置されて、海外にばかり金は流れ出ていくようになってしまった。本来ならば世界一豊かな国のはずが、若者はフリーター生活を強いられて安アパートすら借りられない人が出てきた。

外国ならばこのような若者が出始めたらデモや暴動などが起きて社会問題化するのですが、日本の若者はデモをすることすら出来ないほど元気が無い。戦後教育で徹底的に政治に無関心になるように教育されてきたからだ。だから若者ほど選挙にも行かなくなっている。これは一種の愚民化政策なのだ。

特に戦後の歴史教育は徹底的に空洞化されて、日本の近代史はほとんど教えられていない。だから従軍慰安婦や南京大虐殺などの「歴史カード」を突きつけられると、何も分からないから謝罪と反省を繰り返すしかないのだ。このような反省に立って西尾幹二氏が「新しい歴史教科書を作る会」の会長となり教科書が作られましたが、採用する学校はまだ少ない。

とにかく中国や韓国やアメリカから歴史カードを突きつけられても反論できるだけの人材を育てなければなりませんが、60年に及ぶ戦後の洗脳教育は、ほとんどの日本人に自虐史観を植えつけてしまった。それに対して「国民の歴史」はその洗脳を解く為の解毒剤になるだろう。

連休期間中は「国民の歴史」をピックアップして注目すべき点を論じていってみたいと思います。その第一はなぜ日本だけがアジアで近代化に成功したかという点ですが、言語そのものに原因があるのではないかと思う。特に中国や韓国などについては何度か触れてきましたが、戦後の文字改革で歴史が断絶してしまった事だ。

中国では文字改革で漢字が極端に簡略化されて、表意文字なのに本来の意味が分からなくなってきている。だから中国語は中国の古典を読まなければ十分な意味が伝わらないのに、古典そのものが中国人は読めなくなっている。韓国にしてもハングル文字は表音文字であり戦前の漢文などが読めない。

それだけ中国や韓国は言語や文字に問題があり改革を必要としたのですが、日本だけは西洋の近代文化を取り入れることに成功した。現代においても中国はコピー文化に陥っていて、自立的な発展は難しいようだ。文化とは積み重ねで発展していくものだから、基礎となるような歴史がないと、いきなり近代文明を上に載せても基礎がしっかりしていないから発展は難しいのだ。

フィリピンなどのアジア諸国やアフリカ諸国などは、欧米に留学して欧米語を話す上流階級と、現地語を話す留学できない一般民衆の二つに分かれてしまって、これではいつまで経っても国が近代化できるわけがなく、欧米などに移民として移住するアジア・アフリカ国民が絶えない。中国や韓国もやはりアメリカに移住する事が唯一の道になってしまっている。

中国に関する限り英語を習うよりも日本語を習って近代化したらどうかと思う。現在でも中国から大勢の留学生が来ているが、日本語が読めるようになれば世界の翻訳された本を読むことが出来る。韓国にしても日本語教育を進めれば近代化のために役に立つだろう。

誇大妄想的にいえば、日本人と中国人と韓国人が日本語を公用語にすれば、英語以上の公用語人口となって世界に普及するかもしれない。
http://www.asyura2.com/07/bd48/msg/693.html


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8. 中川隆[-12692] koaQ7Jey 2018年6月02日 07:44:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14665]
漢字と格闘した古代日本人
_/_/
_/ _/_/_/  外来語を自在に取り込める開かれた国際派言語・
_/ _/_/ 日本語は漢字との国際的格闘を通じて作られた。

■1.日本語と近代中国■

 中国の外来語辞典には、「日本語」とされているものが非常
に多い。そのごく一部を分野別に拾ってみると:

思想哲学: 本質、表象、理論、理念、理想、理性、弁証法、
      倫理学、倫理学、、、
政治軍事: 国家、国民、覇権、表決、領土、編制、保障、
      白旗、、
科学技術: 比重、飽和、半径、標本、波長、力学、博士、 
      流体、博物、列車、変圧器、冷蔵、
医学:   流行病、流行性感冒、百日咳、
経済経営: 不動産、労動(労働)、舶来品、理事、保険、
      標語、例会、

 博士などは、昔から中国にあった言葉だが、近代西洋の
"doctor"の訳語として新しい意味が与えられ、それが中国に輸
入されたのである。

 日本が明治維新後、西洋の科学技術、思想哲学を導入する際
に、各分野の概念、用語を表す数千数万の和製漢語が作られ、
それらを活用して、欧米文献の邦訳や、日本語による解説書、
紹介文献が大量に作成された。中国人はこれらの日本語文献を
通じて、近代西洋を学んだのである。

 軍事や政治の用語は、日露戦争後に陸軍士官学校に留学する
中国人が急増し、彼らから大陸に伝わった。後に国民党政府を
樹立した蒋介石もその一人である。当時はまだ標準的な中国語
は確立されていなかったので、各地の将校達は日本語で連絡し
あって革命運動を展開し、清朝打倒を果たした。

 さらに中共政府が建前としている共産主義にしても、中国人
は日本語に訳されたマルクス主義文献から学んだ。日本語の助
けがなかったら、西洋の近代的な軍事技術や政治思想の導入は
大きく遅れ、近代中国の歴史はまったく異なっていただろう。

■2.外国語を自在に取り込んでしまう日本語の柔軟性■

 日本人が文明開化のかけ声と共に、数千数万の和製漢語を作
りだして西洋文明の消化吸収に邁進したのは、そのたくましい
知的活力の現れであるが、同様の現象が戦後にも起きている。
現在でもグローバル・スタンダード、ニュー・エコノミー、ボ
ーダーレスなどのカタカナ新語、さらにはGNP、NGO、I
SOなどの略語が次々とマスコミに登場している。

 漢語を作るか、カタカナ表記にするか、さらにはアルファベ
ット略語をそのまま使うか、手段は異なるが、その根底にある
のは、外国語を自由自在に取り込む日本語の柔軟さである。

 漢字という表意文字と、ひらがな、カタカナという2種類の
表音文字を持つ日本語の表記法は世界でも最も複雑なものだが、
それらを駆使して外国語を自在に取り込んでしまう能力におい
て、日本語は世界の言語の中でもユニークな存在であると言え
る。この日本語の特徴は、自然に生まれたものではない。我々
の祖先が漢字との格闘を通じて生みだしたものである。

■3.文字のなかった言語■

 漢字が日本に入ってきたのは、紀元後2世紀から3世紀にか
けてというのが通説である。その当時、土器や銅鐸に刻まれて
「人」「家」「鹿」などを表す日本独自の絵文字が生まれかけ
ていたが、厳密には文字体系とは言えない段階であった。

 しかし、言語は本来が話し言葉であり、文字がなければ原始
的な言語だと考えるのは間違いである。今日でも地球上で4千
ほどの言語が話されているが、文字を伴わない言語の方が多い。
文字を伴う言語にしても、そのほとんどは借り物である。

 アルファベットは紀元前2千年頃から東地中海地方で活躍し
たフェニキア人によって作り出されたと言われているが、ギリ
シア語もラテン語もこのアルファベットを借用して書けるよう
になった。現代の英語やロシア語も同様である。逆に言えば、
これらの言語もすべて文字は借り物なのである。

 わが国においても文字はなかったが、神話や物語、歌を言葉
によって表現し、記憶によって伝えるという技術が高度に発達
していた。今日、古事記として残されている神話は、古代日本
人独自の思想と情操を豊かにとどめているが、これも口承によ
って代々受け継がれていたのである。

■4.古代日本にアルファベットが入っていたら■

 アルファベットは表音文字であるから、どんな言語を書くに
も、それほどの苦労はいらない。現代ではベトナム語も、マレ
ー語もアルファベットを使って表記されている。

 古代日本人にとっても、最初に入ってきた文字がアルファベ
ットだったら、どんなに楽だったであろう。たとえばローマ字
で「あいうえお」を書いてみれば、

a i u e o
ka ki ku ke ko
sa si su se so

 などと、「a i u e o」の5つの母音と、「k s 、、」など
の子音が単純明快な規則性をもって、日本語のすべての音を表
現できる。漢字が入ってきた頃の古代の発音は現代とはやや異
なるが、この規則性は変わらない。日本語は発音が世界でも最
も単純な言語の一つであり、アルファベットとはまことに相性
が良いのである。

■5.日本語は縁もゆかりもない漢語と漢字■

 ところが幸か不幸か、日本列島に最初に入ってきた文字は、
アルファベットではなく、漢字であった。「漢字」は黄河下流
地方に住んでいた「漢族」の話す「漢語」を表記するために発
明された文字である。そしてあいにく漢語は日本語とは縁もゆ
かりもない全く異質な言語である。

 語順で見れば、日本語は「あいつを殺す」と「目的語+動
詞」の順であるが、漢語では「殺他」と、英語と同様の「動詞
+目的語」の順となる。

 また日本語は「行く、行った」と動詞が変化し、この点は英
語も「go, went gone」と同様であるが、漢語の「去」はまっ
たく変化しない。発音にしても、日本語の単純さは、漢語や英
語の複雑さとは比較にならない。似た順に並べるとすれば、英
語をはさんで漢語と日本語はその対極に位置する。

 さらにその表記法たる「漢字」がまた一風変わったものだ。
一つの語に、一つの文字を与えられている。英語のbigという
語「ダー」を「大」の一字で表す。bigという「語」と、ダー
という「音」と、大という「文字」が完全に一致する、一語一
音一字方式である。さらに、英語では、big, bigger, bigness、
日本語では「おおきい」「おおきさ」「おおいに」などと語が
変化するのに、漢語はすべて「ダー」と不変で、「大」の一字
ときちんと対応している。漢字は漢語の特徴をまことに見事に
利用した最適な表記法なのである。

 たまたま最初に接した文字が、日本語とはまったく異質な漢
語に密着した漢字であった所から、古代日本人の苦闘が始まる。

■6.漢字との苦闘■

 漢字に接した古代日本人の苦労を偲ぶには、イギリス人が最
初に接した文字がアルファベットではなく、漢字であったと想
定すると面白いかもしれない。英語の語順の方が、漢語に近い
ので、まだ日本人の苦労よりは楽であるが。

 イギリス人が今まで口承で伝えられていた英語の詩を漢字で
書きとどめたいと思った時、たとえば、"Mountain"という語を
どう書き表すのか? 意味から「山」という文字を使えば、そ
れには「サン」という漢語の音が付随している。「マウンテ
ン」という英語の荘重な響きにこそ、イギリス人の心が宿って
いるのに、「山」と書いたがために「サン」と読まれてしまっ
ては詩が台無しである。

逆に「マウンテン」という「音」を大切にしようとすれば、
「魔運天」などと漢字の音だけ使って表記できようが、それぞ
れの漢字が独自の意味を主張して、これまた読む人にとっては
興ざめである。

 英詩には英語の意味と音が一体になった所に民族の心が宿る。
それが英語の言霊である。古代日本人にも同じ事だ。漢字は一
語一音一字という性質から、それ自体に漢人の言霊が宿ってお
り、まことに他の言語にとっては厄介な文字であった。

■7.言語と民族の心■

 こういう場合に、もっとも簡単な、よくあるやり方は、自分
の言語を捨てて、漢語にそのまま乗り換えてしまうことだ。歴
史上、そういう例は少なくない。

 たとえば、古代ローマ帝国の支配下にあったフランスでは、
4世紀末からのゲルマン民族の大移動にさらされ、西ゲルマン
系フランク人が定住する所となった。フランク人は現代のドイ
ツ語と同じ語族に属するフランク語を話していたが、文化的に
優勢なローマ帝国の残した俗ラテン語に乗り換えてしまった。
これがフランス語の始まりである。

 英語も1066年フランスの対岸からやってきたノルマン王
朝に約300年間支配され、その間、フランス語の一方言であ
るノルマン・フランス語が支配階級で使われた。英語はその間、
民衆の使う土俗的な言語のままだった。今日の英語の語彙の
55%はフランス語から取り入れられたものである。そのノル
マン人ももとはと言えば、900年頃にデンマークからフランス
北西岸に植民したバイキングの一派であり、彼らは北ゲルマン
語からフランス語に乗り換えたのである。

 こうして見ると、民族と言語とのつながりは決して固定的な
ものではなく、ある民族が別の言語に乗り換えることによって、
その民族精神を失ってしまう、という事がよくあることが分か
る。前節の例でイギリス人が漢語に変わってしまったら、「や
ま」を見ても、"mountain"という語と音に込められた先祖伝来
の言霊を全く失い、「山」「サン」という漢人の心になってし
まっていたであろう。

■8.カタカナ、ひらがなと訓読みの発明■

 漢字という初めて見る文字体系を前に、古代日本人が直面し
ていた危機は、文字に書けない日本語とともに自分たちの「言
霊」を失うかも知れない、という恐れだった。しかし、古代日
本人は安易に漢語に乗り換えるような事をせずに漢字に頑強に
抵抗し、なんとか日本語の言霊を生かしたまま、漢字で書き表
そうと苦闘を続けた。

 そのための最初の工夫が、漢字の音のみをとって、意味を無
視してしまうという知恵だった。英語の例で言えば、mountain
を「末宇无天无」と表記する。「末」の意味は無視してしま
い、「マ」という日本語の一音を表すためにのみ使う。万葉集
の歌は、このような万葉がなによって音を中心に表記された。

 さらにどうせ表音文字として使うなら、綴りは少ない方が効
率的だし、漢字の形を崩してしまえばその意味は抹殺できる。
そこで「末」の漢字の上の方をとって「マ」というカタカナが
作られ、また「末」全体を略して、「ま」というひらがなが作
られた。漢人の「末」にこめた言霊は、こうして抹殺されたの
である。

 日本人が最初に接した文字は不幸にもアルファベットのよう
な表音文字ではなく、漢字という表語文字だったが、それを表
音文字に改造することによって、古代日本人はその困難を乗り
越えていったのである。

 しかし、同時に漢字の表語文字としての表現の簡潔さ、視覚
性という利点も捨てきれない。mountainをいちいち、「末宇无
天无」と書いていては、いかにも非効率であり、読みにくい。
そこで、今度は漢字で「山」と書いて、その音を無視して、mo
utainと読んでしまう「訓読み」という離れ業を発明した。こ
うして「やま の うえ」という表現が、「山の上」と簡潔で、
読みやすく表現でき、さらに「やま」「うえ」という日本語の
言霊も継承できるようになったのである。

■9.日本語の独自性と多様性■

 こうして漢字との格闘の末に成立した日本語の表記法は、表
音文字と表語文字を巧みに使い分ける、世界でももっとも複雑
な、しかし効率的で、かつ外に開かれたシステムとして発展し
た。

 それは第一に、「やま」とか、「はな」、「こころ」などの
神話時代からの大和言葉をその音とともに脈々と伝えている。
日本人の民族文化、精神の独自性はこの大和言葉によって護ら
れる。第二に「出家」などの仏教用語だろうが、「天命」とい
うような漢語だろうが、さらには、「グローバリゼーション」
や「NGO」のような西洋語も、自由自在に取り入れられる。
多様な外国文化は「大和言葉」の独自性のもとに、どしどし導
入され生かされる。

 外国語は漢字やカタカナで表現されるので、ひらがなで表記
された大和言葉から浮き出て見える。したがって、外国語をい
くら導入しても、日本語そのものの独自性が失われる心配はな
い。その心配がなければこそ、積極果敢に多様な外国の優れた
文明を吸収できる。これこそが古代では漢文明を積極的に導入
し、明治以降は西洋文明にキャッチアップできた日本人の知的
活力の源泉である。

 多様な民族がそれぞれの独自性を維持しつつ、相互に学びあ
っていく姿が国際社会の理想だとすれば、日本語のこの独自性
と多様性を両立させる特性は、まさにその理想に適した開かれ
た「国際派言語」と言える。この優れた日本語の特性は、我が
祖先たちが漢字との「国際的格闘」を通じて築き上げてきた知
的財産なのである。
(文責:伊勢雅臣)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog221.html


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9. 中川隆[-12691] koaQ7Jey 2018年6月02日 07:46:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14665]
日本から中国へ伝来した和製漢語

1.日本から中国へ“和製漢語”が伝来した背景


 日中両国は、その長い歴史の中で、早くから文化関係を持ち、その交流が連続して繰り返し行われてきたことは日中両国の多くの国民が知るところであろう。だが、その交流が「中国から日本へ」の一方的なものと捉えられがちなのが実情である。

中国人だけでなく、日本人すら「日本から中国へ」伝えられた文化についてはほとんど知らない。

南ドンは「交流に一方通行はありえない」と一貫して考えてきた。例えその交流が征服者と奴隷の関係であったとしても、征服者側だって奴隷から受ける影響はゼロとは言えないはずだ。


 日中両国の"文字"交流史は、後漢の光武中元2年(57年)、漢の皇帝が日本へ「漢委奴国王」と彫られた金印を贈ったことから始まったと広く認識されており、「史記」によれば、秦始皇帝28年(219年)には徐福が日本へ渡った。また、三国時代には日本の邪馬台国が4回に渡って使節を魏に送り、魏もこれに応え、二回にわたり使者を送っている。

 晋の武帝太康5年(285年)、百済の王仁が「論語」と「千字文」を日本に朝鮮半島経由で伝え、日本も推古天皇が630年から200年あまりにわたり、遣隋使を派遣、仏教文化や中国律令制などを積極的に吸収、その結果、大量の漢字が日本へ輸入された。

このような過程の中で、日本は3世紀より漢字の使用を始め、7世紀には漢字の音と訓を利用して日本の発音を表現する方法を創出するに至った。この所謂「万葉仮名」が後の9世紀に登場する「カタカナ」と「ひらがな」の元となり、日本で皇族文化だけでなく、庶民の文化までもが発展する大きな原動力となった。


 894年の遣唐使廃止によって、日本の中国からの"漢語"摂取は一時休止したものの、鎌倉時代に入ると中国から朱子学が入り、江戸時代には朱子学は官学にまでなった。つまり、日本的価値観=武士道を誇る武士の時代になっても、日本の中国からの"漢語"摂取は已然として続けられていたと言ってもいい。


 この「中国から日本へ」の流れが大きく変わったのは19世紀後半である。

1868年に明治の新体制に突入した日本は1881年には詔勅により1890年に議会を開催することを世に知らせたが、中国は1907年にようやく清朝が立憲の詔勅を出し、26年の遅れをとった。また、日本は1889年に大日本帝国憲法を発布したが、中華民国臨時約法は1912年の発布であり、23年遅れている。そして、清朝末期から中華民国初期にかけてのこうした流れを促進させたのは言うまでもなく清朝の日清戦争での大敗北(1905年)である。


 日清戦争以後の中国は「北はロシア、西は英国、南はフランス、東は日本、四方を列強に囲まれ危機迫る」(*1)という状況で「救国のためには維新が必要であり外国に学ばねばならず、西洋に学んで成功を遂げた日本を中国も見習いたかった」(*2)。

そして当時の中国維新派は欧米の書籍だけではなく、日本のものを大量に翻訳したのである。  

特に、康有為は「維新から今に至るまでの30年で欧米の政治、文学、武備など新しい知識の良書が翻訳されている。(中略)

日本の書籍を翻訳したほうがいいのは、文字の8割がわれわれの漢字であり、翻訳が時間をかけずに簡単にできるからだ」(*3)と主張し、

梁啓超は「西洋の政治、経済、哲学などに関する書籍を読もうとするなら、速くとも5、6年を費やさなければならず、踏み込んでやろうとすれば更に10数年かかる」(*4)、

「日本語なら学ぶのに数カ月で初歩まで達することが可能であり、日本の学問はすぐにでも我々のものとなる」(*5)と日本語書籍の翻訳の重要性を説いている。


 1896年、日清戦争が終わって間もなく清朝は駐日大使の新任にあわせて13人の留学生を日本に派遣した。これがおそらく近代中国初の日本への公費留学生であろう。

また1898年には、張之洞が『勧学篇』の中で「留学先としてはその便宜性において西洋は東洋(日本)には及ばない。近いために旅費を節約でき、多くの留学生の派遣が可能であり、また視察にも便利である。そして日本語は中国語に似ており、容易に理解できる。

西洋の本は膨大過ぎて要領を得難いが、日本人はそれらを既に取捨選択してくれている。

日本の風俗も中国に似かよっており、模倣も容易で、これに勝るものはない。

それで尚、更に詳しい知識を得たいと考えるなら、その時に改めて西洋へ渡ればよいのである」(*6)と説き、清朝も1903年にこの意見を取り入れて『遊学卒業生奨励規定』を制定、結果、日本への留学が大ブームとなったのである。


当時の日本への留学者数について正確な数を知るのは困難だが、馬祖毅氏は「20世紀初め、日本への留学生は最も多かった」とし「1905年は8000人」、「1906年は13000人」と推定している(*7)。


 こうした背景もあって、清朝末期から中華民国初期にかけての中国国内の日本語書籍の翻訳本は西洋の書籍数を大きく上回った。

楊寿椿は『訳書経眼録』の目録に基づき、光緒年代末期(1902年〜1904年)に翻訳された533の書籍のうち60%以上の321が日本語書籍であったとしている。(*7)

そして、これらの翻訳書から日本で生まれた"和製漢語"が中国で広く使用されるに至ったのである。


________

2.現代中国語における“和製漢語”の重要性


 中国には1982年に出版された『漢字外来語詞典』という辞書がある。

この辞書は「劉正炎、高名凱、麦永乾などの学者が1960年から22年の歳月をかけて編纂した」(*8)もので約一万の外来語を収録しているが、日本語はその内、896で全体の10%を占めている。

この比率は、中国の漢語外来語吸収の歴史の長さや、英・仏・独・露などの外国語のみならず、朝鮮語・カザフ語・ウイグル語・モンゴル語といった少数民族の言語も含んでいることを考慮すれば、決して小さな数字ではないと言えよう。

ここで、『漢字外来語詞典』に紹介されている"和製漢語"896をその「成り立ち」から分析すると、次の六種に大きく分類し、南ドンが中国で中国人が使用したのを一度でも聞いたことがある"和製漢語"を中心に具体例を幾つかご紹介する。


)、漢字を利用して欧米の語彙の音訳が中国へ伝わったもの

瓦斯、基督、基督教、倶楽部、珈琲など


2)、漢字を利用して欧米の語彙の意訳が中国へ伝わったもの

亜鉛、暗示、意訳、演出、大熊座、温度、概算、概念、概略、会談、会話、回収、改訂、解放、科学、化学、化膿、拡散、歌劇、仮定、活躍、関係、幹線、幹部、観点、間接、寒帯、議員、議院、議会、企業、喜劇、基準、基地、擬人法、帰納、義務、客観、教育学、教科書、教養、協会、協定、共産主義、共鳴、強制、業務、金婚式、金牌、金融、銀行、銀婚式、銀幕、緊張、空間、組合、軍国主義、警察、景気、契機、経験、経済学、経済恐慌、軽工業、形而上学、芸術、系統、劇場、化粧品、下水道、決算、権威、原子、原則、原理、現役、現金、現実、元素、建築、公民、講演、講座、講師、効果、広告、工業、高潮、高利貸、光線、光年、酵素、肯定、小熊座、国際、国税、国教、固体、固定、最恵国、債権、債務、採光、雑誌、紫外線、時間、時候、刺激、施工、施行、市場、市長、自治領、指数、指導、事務員、実感、実業、失恋、質量、資本家、資料、社会学、社会主義、宗教、集団、重工業、終点、主観、手工業、出発点、出版、出版物、将軍、消費、乗客、商業、証券、情報、常識、上水道、承認、所得税、所有権、進化、進化論、進度、人権、神経衰弱、信号、信託、新聞記者、心理学、図案、水素、成分、制限、清算、政策、政党、性能、積極、絶対、接吻、繊維、選挙、宣伝、総合、総理、総領事、速度、体育、体操、退役、退化、大気、代議士、代表、対象、単位、単元、探検、蛋白質、窒素、抽象、直径、直接、通貨収縮、通貨膨張、定義、哲学、電子、電車、電池、電波、電報、電流、電話、伝染病、展覧会、動員、動産、投資、独裁、図書館、特権、内閣、内容、任命、熱帯、年度、能率、背景、覇権、派遣、反響、反射、反応、悲劇、美術、否定、否認、必要、批評、評価、標語、不動産、舞台、物質、物理学、平面、方案、方式、方程式、放射、法人、母校、本質、漫画、蜜月、密度、無産階級、目的、目標、唯心論、唯物論、輸出、要素、理想、理念、立憲、流行病、了解、領海、領空、領土、倫理学、類型、冷戦、労働組合、労働者、論壇、論理学など


3)、日本が独自につくった漢字が中国へ伝わったもの

腺、糎など


4)、漢字を使用してつくった日本語が中国へ伝わったもの

味之素、入口、奥巴桑(オバサン)、海抜、学会、歌舞伎、仮名、簡単、記号、巨星、金額、権限、原作、堅持、公認、公立、小型、克服、故障、財閥、作者、茶道、参観、支配、支部、実権、実績、失効、私立、重点、就任、主動、成員、銭、組成、大局、榻榻米(タタミ)、立場、単純、出口、手続、取消、内服、日程、場合、場所、備品、平仮名、広場、服務、不景気、方針、明確、流感、和服など


5)、古代漢文の中にあった語彙を使った欧米の語彙の意訳が中国へ伝わったもの

胃潰瘍(周礼)、医学(旧唐書)、意義、階級、綱領、労働(三国志)、意識、専売(北斎書)、遺伝、右翼、教授、共和、経費、交通、左翼、主義、侵略、生産、天主、博士、輸入(史記)、印象(大集経)、衛生(荘子)、演習、投機(新唐書)、演説(尚書)、鉛筆(東観漢記)、会計、具体、交際(孟子)、革命(易経)、科目、経済(宋史)、学士(礼儀)、学府(晋書)、課程(詩経)、環境(元史)、機関(易林)、記録、抗議、自由、柔道、神経、節約、分析、分配、理性(後漢書)、気質、身分(宋書)、気分(孔子家語)、規則(李群玉)、規範(孔安国)、偶然(列子)、計画、同情、理事(漢書)、現象(宝行経)、憲法(国語)、交換(魏志)、時事、信用、封建、保障(左伝)、思想(曹植)、事変(詩序)、資本(釈名)、社会(東京夢華)、主食(通鑑)、消極(周書)、条件(北史)、世紀(晋皇甫謐)、精神(庄子)、想像(楚辞)、相対(儀礼)、組織(遼史)、素質、白金(璽雅)、知識(孔融)、登記(斎民宝要)、道具(釈氏要覧)、能力(柳宗元)、発明(宋玉)、反対(文心彫竜)、美化(南史)、悲観(法華経)、標本(劉伯温)、服用(礼起)、物理(晋書)、文化(束哲)、文学(論語)、文明(易・乾)、分子(殻梁伝)、法則(周礼)、法律(管子)、保険(隋書)、民主(書・多方)、民法(書・湯誥)、予算(耶律楚材)、理論(鄭谷)など


6)、古代漢文の中にあった語彙を使い、日本が自ら創り出した概念が中国へ伝わったもの。

浪人(柳宗元)など

 "和製漢語"の掲載は全体の半分くらいにとどめたが、それでも今これらの言葉がもしなければ中国語での日常会話すらほとんど成り立たなくなることが分かる。

それほど"和製漢語"は現代中国人の日常生活に溶け込んでいると言えよう。


__________


3.「中華人民共和国」、「中国共産党」は“和製漢語

 多くの読者の方は前章における"和製漢語"の分類で「漢字を利用して欧米の語彙の意訳が中国へ伝わったもの」について、多くの社会思想用語が含まれていることにも気が付かれたことだろう。


 日本では1881年に早くもキリスト教の『六合雑誌』上にて小崎弘道が社会主義を紹介し、1897年には社会主義研究会が片山潜、幸徳秋水らによって設立された。そして1900年には社会主義協会が成立し、一年後には日本初の社会主義政党「社会民主党」が成立した。

1904年、マルクスの『共産党宣言』が幸徳秋水、堺利彦によって翻訳され、これが当時の革新的中国人留学生に啓蒙的影響を与えた。

呉玉章は「1903年、私は東京で幸徳秋水の『社会主義神髄』を読み、人間の平等、貧富の消滅などの大きな理想に感動を覚えた」(*9)と述懐している。


 こうした歴史から見れば、「中華人民共和国」、「中国共産党」という中国語も"和製漢語"がなければ成り立たないという状況も別段おどろくべきことではない。


________


4.“和製漢語”を忘れた日本人


 中国人が現在に至るまで多くの"和製漢語"を使用し続けてくれている反面、皮肉にも日本ではカタカナによる外来語化が進んでしまっている。

先に紹介した「漢字を利用して欧米の語彙の音訳」などはその最たるもので瓦斯はガス、基督はキリスト、倶楽部はクラブ、珈琲はコーヒーと表記するのが今は普通になっている。

これら簡単なものならともかく、デフレーションは「通貨収縮」、インフレーションは「通貨膨張」のほうが分かりやすくないだろうか。


 日本では昨今、分かり難い外来語を漢字表記に戻そうと国立国語研究所が躍起になっていると聞く。中国ブームと言っても過言ではない今、日本人は対中投資だけに夢中になるのではなく、漢語の"再輸入"を検討すべき態度が必要なのかもしれない。

 同時に中国人読者の方には以上の歴史を通して、経済のみならず、身近な言語文化においても日中双方が“影響し合って”きたのだということを認識していただきたい。「交流に一方通行はありえない」…日中両国民は古(いにしえ)から今日に至るまで“相互”交流を続けてきた。そして将来も互いに影響を与え合い、共に成長していくべきなのである。


参考文献
*1 『康有為詩文選・強学会序』 陳永正 広東人民出版社 1983年
*2 『毛沢東選集(四)』より「人民民主独裁を論ず」 毛沢東 人民出版社 1991年
*3 『変法以致昇平―康有為文選』より「請広訳日本書派遊学折」 謝遐齢 上海遠東出版社 1997年
*4 『飲冰室合集(四)』より「東籍月旦」 梁啓超 中華書局 1936年
*5 『飲冰室合集(四)』より「日本語を学ぶ益を論ず」 梁啓超 中華書局 1936年
*6 『勧学篇』 張之洞 中州古籍出版社 1998年
*7 『中国翻訳簡史(上)』 馬祖毅 中国対外翻訳出版公司 1999年
*8 『漢字外来語詞典』 劉正炎、高名凱、麦永乾 上海辞書出版社 1984年
*9 『呉玉章回憶録』 呉玉章 中国青年出版社 1978年
http://freett.com/nandon/lunwen1.htm


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10. 中川隆[-12690] koaQ7Jey 2018年6月02日 07:51:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14665]
中国人は何故 3000年前の原始的な言葉を何一つ改善しないで、現在もそのまま使っているのか?


アホ・ボケ・カスしかいなかった中国人の歴史

それは首里城の「琉球貢表」から始まった。平成16年、那覇の首里城に行ったときのことである。展示のひとつに、乾隆帝時代の清朝に琉球王朝が朝貢として贈ったもののリストであるという「琉球貢表」があった。なんとその正文は満洲文字で書かれていたのである。印刷されたようにきれいに書かれた満洲文字。その隣に、ガリ版刷りのように粗末な漢字の文書がある。

 相手の公用言語に合わせて書かれたのが満洲語のものであり、漢文は琉球王朝用のものであったのは明白である。これを見ても何だろうと首を傾げるだけで見学者は誰もその意味を理解しないのであった。私は満洲文字というものがあり、清朝の第一公用語が満洲語であることは黄文雄氏らの著書で知っていたから、このことは論理的には当然のことのはずであった。

 だが眼前の満州文字で書かれた公文書は衝撃的だった。乾隆帝は1735年〜1796年の治世、清朝の中興の皇帝。18世紀である。太祖ヌルハチから100年以上後の人である。満州族は漢族に同化していったと言われることが多い。ところが王朝成立の100年後にも満洲語は生きていたのである。このことからは宮廷をはじめとする北京周辺では満洲語が使われていたと考える方が普通である。

 そして英語のmandarinは北京語のことであるが、北京官話とも訳され、元や清朝の宮廷で官吏が話していた公式言語だという。これらの事をつなぎ合わせると、論理的には北京語は満洲語であるという、従来の常識からすれば馬鹿馬鹿しい結論が導かれるのである。それを演繹するとそれには止まらない結論が導かれた。それが本論である。

 もちろん私は言語学は何も知らない。それどころか中国語のイロハも知らない。本書は言語学などから導かれた結論ではない。各種の公刊図書を論理により推測したものに過ぎない。それ故に常識にとらわれないですむ。その結論は奇妙なものであった。だが本書の結論は現在の「中国」世界の現状を説明する一助となると信じている。

 漢民族とは何者であるかを理解するのは、漢民族が少数民族を支配している、と言われる中国を理解するに益があると信じている。むしろ常識となっている中国の民族構成は、過去の歴史的経過やヨーロッパなど他の地域の歴史と現状と比較すれば、矛盾に満ちていると云わざるをないのである。

 遠い昔から、漢民族は周辺の異民族から攻撃を受け、時には支配される。しかし、永い間に蛮族である異民族は、高い文明を持つ漢民族の文化の影響を受け、次第に漢民族化されてしまう。常に大陸の中央には不変の文化文明を持つ「漢民族」がいて、周辺民族を同化してしまうというわけである。

 しかしヨーロッパなど他の地域が民族の争いを繰り返した歴史をみると、それはあまりに不自然なことではないか。外敵に繰り返し支配され、抗争を繰り返し民族の移動を繰り返しながらも、相変わらず不変の漢民族なるものがいる。支配されても支配しても、不変の漢民族がいる。そのようなことは歴史的にありえないのである。各種の民族に支配されたにもかかわらず、何の影響も受けず普遍の漢民族がいるなどということはありえない。

 中国四千年の歴史において漢民族が一貫して存在した。実はそのような主張はギリシア、ローマに始まる四千年の歴史に、一貫して不変の「ヨーロッパ民族」が存在したなどと言うのと同様に、荒唐無稽であると考えるのがむしろ自然である。

 なぜ漢民族に同化されるか。その答えを漢字に求める人がいる。しかしヨーロッパにしてもベースはアルファベットという共通の文字がある。漢字の表意文字という特殊性に注目する人もいる。しかし古典たる漢文を読めるのは古来支那人の中でも極めて例外である。現実に通用するのは北京語、広東語という漢字表記すら必要のない口語なのである。長い間、言語は表記手段がなかった。

 漢文は中国の古代の言語の文字表記ではないという。単なる意志伝達の手段であるという。大多数の支那人が読めもせず、支那のいずれかの言語の文字表記でもないものが「漢民族」の連続性の保証であるはずがない。漢民族という言葉は各時代において、政治的に利用されているのに過ぎない。ある民族が大陸に居住する他の民族を支配して政権を取るための錦の御旗に過ぎない。ある民族とは、血族を中心としたパンと呼ばれる結社かもしれない。そのグループがわれこそは、支那大陸を支配する正統たる漢民族なるぞ、といって支配権を主張するのである。

 異民族王朝とされる元や清の崩壊するときには必ずその手が使われた。しかし倒した当の本人たちは、単に現在大陸に居住するだけであって、漢民族であるという保証は何もないのである。単に現在の血族相続の王朝を倒して政権を奪おうという輩の集団に過ぎないのである。

 よく考えていただきたい。支那大陸の王朝は、必ず前の王朝の一族を絶滅している。これを易姓革命と言う。しばしば禅譲という建前が使われるが、これは事実ではないことがよく知られている。日本の政権移譲が、おおむね平和裏に行われるのに対して、支那大陸における、前王朝の粛清は民族性の相違として扱われる。ところが、これを異民族による政権奪取として考えれば何の不思議もない。政権を奪った、新しい民族が旧支配民族を粛清するのは当然でさえある。そして被支配層においても、新興民族は支配民族として、旧支配民族を弾圧する。まことに全ての「中国専門家」は盲目である。

 琉球貢表のことをもとに、北京語のルーツは満洲語ではないか、と言う説を要約して雑誌「正論」に投稿した。誰かの目に止まり何ら学問的根拠のないこの仮説を補強して、さらに発展させてくれる人がいないかと期待したのである。しかし反応は何もなかった。あまりに奇矯な説であったためであろうか。実は本論も同様なことを期待している。本論は公刊された図書を基に書いたもので、特別な研究や学識によるものではない。私はこの方面に何の学識のない者である。全て直感である。直感が正しいと信じているのみである。

 付言するが後に訪れた時には「琉球貢表」の展示はなかったので問い合わせたところ、臨時展示であったとのことであり幸運だったのである。「琉球貢表」の写真撮影などについて管理センター職員に問い合わせたところ、「琉球貢表」が満洲語であることを職員は認識していた。しかるに展示には満洲語であるという説明が全くなされていなかったので、不思議がっていた観光客もいたが、皆それから先を追求するのは私くらいなものであったろう。

 当時の支那が満洲人に支配されていたが故に満洲語が公文書に使われていたという事実は、中共政府は自慢したくない事実であろう。しかるに管理センターでは暗黙のうちに中共政府に配慮したのであろう。現代日本にはそのような中共政府に対する配慮で事実を隠蔽しようとする人間に満ちている。
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~k-serizawa/sub2.html


1章 支那

1.1 首里城の満洲文字

 平成16年、出張で沖縄に行く機会があった。那覇泊で時間が取れたので、ついでに首里城に行った。十年位前にも首里城を訪れたが、当時も首里城の再建は成っていて、余り変わらないだろうとは予想さ
れた。果たして風景は余り変わらないが、壮大で異様な形状に思えた石垣は左程とも思われない。最初の感動があまりに強いと、その印象が時間の経過とともに膨らみ、二度目に見た時は膨らんだ印象と現実の光景を比較することになるのでこのような印象の落差となって現れる。

 正殿に向かって右の南殿が展示スペースになっている。二階の展示に「琉球貢表」というものがあった。清朝の乾隆帝に琉球王朝より貢物を贈った際の貢物のリストを含む公文書だというのである。二種類あり一通は漢字で書かれているが、もう一通を見て驚いた。漢字とは似ても似つかぬ、アラビア文字に似た、ミミズがのたくったというしかないような奇妙な文字である。

 中国の王朝では文書に漢文を使っているに違いないという先入観からは意外であったが、黄文雄氏の著書に清朝の第一公用語は満洲語であったと書かれていたのが閃いた。これは満洲文字に違いないのである。今でも、条約などの公文書は相互の国の公用語で書かれるのが常だからである。

 日付は乾隆二十七年 (西暦1762年)十月である。後日首里城管理センターに問い合わせると満洲文字だとの回答があった。漢文のものはガリ版刷りのような雑なものである。するとこちらが琉球王朝のものなのであろう。当時、日本でも公文書は漢文で書かれていたから左程不思議なことではない。東京に帰り図書館で「世界の言語ガイドブック」という本の満洲語という項を引くと間違いなく満洲文字であっ
た。

 満洲文字で書かれた貢表は活字で印刷されたように美しく揃っている。満洲文字はモンゴル文字を真似て創られたものだそうである。私が新発見に興奮しているのに、他の観光客は貢表を見ても首を傾げるばかりで、満洲文字などとは思い至らないのであろう。清朝で満洲文字が使われていたということの意味は大きい。清朝の宮廷で話し、かつ書かれた言語は満洲語であるに違いないと思い至ったのである。

 序にも書いたように、このことは以前雑誌「正論」に投書した。投書はインターネットで公開されている。そのことを知ったのは「琉球貢表」というキーワードで何か新しい情報がないか探した。ところが引っかかったのは自分自身の投書だけだった。琉球貢表なるものに興味を持つものは私以外誰もいないのである。

1.2 支那とは

 支那について語る場合、まず用語について述べなければなるまい。本書では中国という言葉は現在の中華人民共和国の支配地域に対する歴史的概念としては用いないこととする。ここでは歴史的概念としての「日本」に対応する言葉としては「支那」という言葉を用いることにする。支那については親中派日本人は差別用語として忌避して、中国と言うべきだと主張している。

 しかし多くの論者が支那という言葉のほうが正当性があり、差別用語ではないと詳しく実証しているのでここでは、文献を紹介するだけにして(@)簡単に触れる。支那の語源は「秦」であり、これがヨーロッパでChina(英独語)でフランス語ではChineでシーヌと発音する。これが漢字で支那と表記されたものである。支那が差別用語なら欧米言語も変えなければなるまい。そして「中国」は中央の国という普通名詞であり、固有名詞にはふさわしくない。日本でも中部とか中国とは、位置関係からきた国内の呼称だから、日本から見て他国を中国という言葉を歴史的概念に当てはめるのはおかしい。

 また現在の中華人民共和国あるいは中華人民共和国成立以前の支那大陸政権、国民党政府の中華民国を省略した言葉として中国と呼ぶこともあることとする。現在の中華人民共和国についてだけ述べるときは、中共と呼ぶこともある。

1.3 支那はヨーロッパである

 支那大陸に国民国家は存在しない。現在の中国と言う国は多民族国家を自称している。国際法で認められた国家の中に多数の民族が居住しているという意味では、多民族国家といえよう。しかし米国のような意味での多民族国家ではない。

米国が多民族国家であるというのも、黒人奴隷を使った経緯を考えると多くの影がある。しかし現在の中国は漢民族を自称する民族の集団が、ウィグル、チベット、モンゴルなどの異民族国家を征服してできた帝国である。これに類似した最近の国家としては旧ソ連がある。

 ソ連はロシア帝国の遺産を継承して異民族国家をかかえると同時に、バルト三国を侵略して併合した。同様に清朝崩壊後、約50年の内戦を経て、清朝の帝国を継承しチベットなどを再侵略して併合するとともに、今まさに台湾を侵略せんとしている。

 支那大陸は古来、多数の民族による中原の支配競争と勝者による統一、再度の分裂と統一を繰り返している。ヨーロッパの歴史は複雑である。ギリシア、ローマの時代から現在に至るまで、ローマ帝国、神聖ローマ帝国などの統一と分裂を繰り返してきた。チンギス・ハーンによる支配もあった。ゲルマン民族の大移動があった。グレート・ブリテン島ですら先住のケルト族がアングロサクソンに滅ぼされて滅亡した。

 このような統一と分裂の結果が現在の国民国家群である。おおまかに言えば、ゲルマン、ラテン、スラブ、ケルトなどの諸民族がいるが一民族一国家ではなく、ドイツとオーストリアのように、一民族が複数の国家を形成している。ラテン系といってもフランス人とスペイン、ポルトガル人とは明らかに異
なる。

 このようなことは世界史の中ではむしろ自然である。支那大陸はそうではないのか。実は支那大陸もヨーロッパと同じなのである。漢王朝は周囲の異民族に滅ぼされて五胡十六国の時代が到来した。そのうち漢王朝の民族が形成した国家はわずかであった。支那大陸は非漢民族が主流となる国家群に分裂した。次の統一大王朝の隋は鮮卑族が樹立した王朝であるという。既に唐代に本来の漢民族の系譜は滅びたのである。

 支那大陸の変遷はこのようにして中央にある統一国家ないし国家群が常に周辺の異民族に滅ぼされて分裂するか、統一支配されるかの繰り返しである。実は完全な統一と言える期間は、支那大陸でもわずかである。このような多数の民族の入れ替わりの模様はヨーロッパ大陸と同じである。このことを詳述すると本論の結論になってしまうのでここでやめよう。

 ヨーロッパのように各種の民族が入れ替わり統一なり分裂なりした国家を作り、ある民族は駆逐されて別の地域で国家を形成するようなことを繰り返すのは、歴史としてごく自然なことである。あれだけの広大な地域に、漢民族という不変の民族が存在し、異民族支配をはねのけて常に「支那」あるいはいわゆる「中国」という国が存在するということは歴史的物理的に不可能である。それは幻想である。そう。支那というのはヨーロッパと同様地理的概念であって国家としての概念ではない。支那はヨーロッパである、と理解すれば現実が明瞭に見えてくる。

1.4 支那とヨーロッパの違い

 支那は国家の概念ではなく、ヨーロッパのような地域の概念であると言った。だから統一支那というのはあるべき姿ではなく、ローマ帝国のように強権で統一された仮の姿である。しかし現在の支那大陸の現状は、共産党政権により軍事支配されて、多くの民族が圧政に呻吟している。かの大清帝国ですらそんな事はなかった。清朝における満州族の支配は比較的緩く、モンゴル、「漢民族」、チベット、その他の各民族はハーン、皇帝、ダライラマなどの伝統的な統治を通じて間接支配されていた。

現在の支那は中央集権により、各民族を圧迫し異民族言語である北京語などの「漢民族」の文化を強制するために、「中華民族」なる言葉さえ発明した。多くの親中日本人は無頓着だが、これは異文化の強制と言う恐ろしい意図が隠されている言葉である。これらの強権政策は国家として多数の異民族を無理して、直接統治しているためである。これを解消するのは支那の分割しかない。その前に何故支那はいったん適正規模に分裂しても再び帝国のようになってしまい、ヨーロッパのように歴史的進化とともに、帝国の時代から、適切な規模の国民国家に移行しないのか考えてみる。つまり支那はなぜヨーロッパのように、適切な歴史的発展をせずに、帝国の時代と分裂の時代を繰り返し、今もって古代帝国の時代に停滞しているのか考えてみよう。


1.4.1 地理的要因

まず第一は地理的要素である。ヨーロッパを常識的に、ロシアを除いた、ウクライナやバルト三国以西の地域と考える。これらの国々は互いに連携抗争を繰り返してきた地域である。これと中共と比較すると、明白な地理的特徴がある。平面形から見ても、ヨーロッパはスカンジナビア半島、イベリア半島、などの多数の半島とグレートブリテン島などの島嶼があり、変化に富んでいる。中共の領土は半島は少ない。大きく半島のように突出しているのは、旧満洲だけである。大きな島といえば海南島だけに過ぎない。

次に三次元の形である。ヨーロッパにはアルプス山脈があり、中共にはチベット高原がある。アルプスはスイスが独立した地域を形成し、チベット高原はチベットが、中共の時代に至るまで、支那の政権から直接支配を受けていないことから、大きな地域的障壁と言える。朝鮮半島も属国支配を受けたとしても、朝鮮が直接統治されたことが少ないのも、半島という地理的障壁によるものであろう。チベットが中共により歴史上初めて統治されることになったのは、軍隊の近代装備が地理的障壁を超えるのに有効だったというのは、チベットの不幸であった。チベットが無防備だったのは支那の軍隊がチベット高原で活動出来まいという、油断もあったのかもしれない。

こう考えるとヨーロッパが適正規模の国民国家に収斂したのは、半島や島嶼、山脈などによる地理的障壁によることが一因だったのは、これらの障壁が国境を形成している事でも分かる。逆にポーランドが東西の大国から繰り返し蹂躙されたのも地理的障壁が少ない事によるのだろう。北アイルランドが未だに紛争地域であるのも、同じ島内で国境を接しているのも原因の一部である。台湾が歴史的に支那政権に服従したことがないのは、地理的障壁にもより、日本時代に開発されて国民国家を形成する基盤ができていた事にもよる。逆に海南島はそのような時代がなかったために、支那政権により、海軍基地として活用されているのに過ぎない。


1.4.2 漢字

 支那が帝国による統一支配を行う口実になっているもうひとつの要因は漢字である、と言ったら驚くだろうか。他の項でも言っている事も多いが、重複を恐れずに言おう。漢字を使うから漢民族、というのが日本では常識である。しかし考えてみれば、こんなインチキな民族の定義が大手をふってまかり通っているのが不思議ですらある。漢字を発明したのが漢民族で、それを継承しているから漢民族というのだが、それならばアルファベットを発明したのが古代ローマ人であるから、それを使っているのは古代ローマ人の直接の末裔だ、と例えればいかに馬鹿げているかがよく分かる。今ベトナムですら、便利さからアルファベットを使っている。

 そもそも古代と言ったのは現代に生きているローマ人とは別であることを意味している。この例えが分かるように、ある民族が発明した文化遺産を継承しているのは、必ずしもその民族の末裔ではない。何故漢民族にだけこのような奇妙な定義がまかり通るのであろう。それは漢民族と総称される人々が言語、文化、DNAなどあらゆる要素において共通項がないからである。つまりドイツ民族とか大和民族とかのように定義できないからである。定義できないのに、漢民族を自称する人たちがいるから無理やり定義せざるを得なかったのである。

 このように定義するのは、大和民族やドイツ民族というのと同様に、漢字を発明した漢民族が連綿と現在まで継続しているという幻想がある。他の項でも述べたが、日本の支那の専門家は、秦や漢といった漢字、漢文を発明した正真正銘の漢民族は、五胡十六国の時代の混乱で、事実上絶滅した。それなのに同じ漢民族が存在するかのように言う事自体おかしいのである。漢民族というものが、他の民族と同様な意味で定義できなければ、他の民族と同じ範疇での漢民族というものはない、というように考えるのが正しいのである。このように強引に漢民族を定義するから、支那大陸には漢民族の統一国家が必要だと考える、革命の指導者が輩出する。もちろん孫文や毛沢東もその輩である。

 毛沢東は一時不便な漢字表記を止めて、ローマ字表記にすることを考えたという。ところがローマ字表記にしたとたん、福建語、広東語、北京語など、従来漢語の方言と言われていたものが、すべて異なる言語であることが露呈する事を知ってこの企てを放棄した。漢民族というのが幻想にすぎないことがばれるのに気付いたのである。そうすれば、統一支那政権の夢は霧散するからである。このように大陸の支配者は、漢民族とひとくくりにすることによって、より広大な領土を支配する口実ができるというメリットを考えているのに過ぎない。これはさらに中華民族という観念を発明して、言語も文化もすべて異民族であることが明白な、チベットやウィグルを支配する口実としている現状と軌を一にしている。いわば中華民族とは漢民族の拡大版である。極言すれば世界支配の口実ともなる恐ろしい概念なのである。

 支那大陸に住む大多数の住人にとって、支配者が漢民族であろうが夷敵であろうが、日々の生活の安寧が守られれば良い。そうやって長い間彼らは暮らしてきた。清朝などはその典型である。ところがその時点での王朝打倒を画策した指導層などは違う。漢民族の統一国家が必要なのだと言うのだ。単に自らが大陸の覇権をとりたいのに過ぎない。嘘ではない。清末「漢民族」の知識階級は滅満興漢を唱えて清朝打倒を計画したのがその典型である。満州族の国家、清朝を倒して漢民族の国家を樹立するのだと。確かに彼らエリートは官僚になるための漢文の試験の科挙を通っていたから漢文に精通していた。

 しかし彼らは北京語、広東語、福建語など各種の言語を話していたからお互いの言葉は全く通じない。そこで日本やアメリカで打倒清朝の革命の密談を巡らすのに、日本語や英語を使っていたというのだ。明治維新の日本で薩摩、長州、土佐の藩士は、互いの方言であっても通じる日本語で話していたというのと事情が異なるのである。漢字の恐ろしさは現在残る唯一の表意文字だという事である。あらゆる文字は元来表意文字から長い時間を経て、抽象化の過程で転化して表音文字となった。でなければ人の話す言葉を表記できないからである。日本でも漢字を輸入しながら日本語を表記するために、漢字から表音文字の仮名を発明した。漢文は意志の伝達手段であっても、話し言葉を記録する手段ではないのである。

 だがなぜ漢字が現在まで表音文字にならなかったのだろうか。それは漢字が表音文字に熟成される前に、多数の古典が漢文によって書かれたからであろうと私は推定している。それは漢字が短時間で完成して、漢文という未熟な文章作成法のままに、それまで蓄積された思想が急遽記録されたからであろう。アルファベットのように表音文字に移行する以前に、四書五経と呼ばれる立派な古典が完成してしまったのである。だから支那大陸を支配した色々な民族は、ヨーロッパにおける公正の各民族が古代ギリシア・ローマの古典を文化文明の基礎として尊重したように、四書五経を尊重したのである。

 これは漢文で書かれた古典を受け入れたのであって、漢字漢文を発明した民族の言語を受け入れたのではない。この意味で構成の大陸の支配民族は漢民族化したのではない。それはラテン語で古代ローマの文明を受け入れて発展させて栄えたヨーロッパ人は、自らのドイツ語フランス語といった言語は維持したのであって、ローマ民族化したのではないのと同じである。現代ヨーロッパ人とて古代ギリシア・ローマ人とは断絶があり、その断絶を橋渡ししたのがオスマントルコなどのイスラム系の王朝であった。元代ヨーロッパですら古代ヨーロッパとは決定的な断絶がある。その点は支那大陸においても類似している。

 漢字を発明した漢民族が滅びて後、支那大陸を支配したいろいろな民族は、漢字を発明した民族とは言語も文化も関係ないのである。漢文が発明者の漢民族の使っていた言語とは異なることは、四書五経が古典として優れている事とは別な問題である。だから後の各支配民族がこれらの古典を尊重したとしても、彼らはオリジナルの漢民族の言語を習得して漢化したのではない。それどころか、外から来た異民族が北京などに首都を構えると、周辺の住民はこれに迎合して外来民族の言語風俗を習得した。考えてみれば支配者に大多数の被支配民族が迎合するのは世の常である。

そして弱体化した外来民族を打倒するのに、すでに定住していた民族の指導者は、自らを漢民族と自称して、現在の政権打倒の正当性の根拠としたのである。外来の民族が別な民族により、革命と称して支配の立場から追放されて大陸の一角に定住したとき、漢文は尊重しても、言語は元の民族言語を維持した。それは漢文が言語表記ではないため、いくら漢文を習得しても、自らの言語体系が壊れることがないためでもある。支那大陸を支配した外来民族が定住により漢化したというのは嘘である。現に北京語や京劇、辮髪、支那服というのは、満州族のオリジナルである。これが西欧では典型的な漢民族文化とみなされていたのは滑稽でさえある。

 このようにして周辺の民族がその前の王朝を倒すたびに、各地に知識層は文章は漢文を使うが、各住民が元の民族の言語を維持する地域の分布が出来上がっていった。同様の経緯を経て、ヨーロッパにもそのような民族分布が定着していった。ヨーロッパではそれが各民族による民族国家の基礎となっていったのである。しかしヨーロッパにおけるローマの古典は、単に古典に過ぎなかった。同じアルファベットを使って、各民族の言語を表記していったから、民族の相違が言語の上でも明らかにわかる。ところが支那大陸ではその間の事情が異なった。

 それは漢字が表意文字だったから、どの民族の言語を表記することはできなかったのである。多数の言語があったにもかかわらず、支那大陸では漢字以外はわずかに、チベット文字とモンゴル文字と、それに起源を発する満洲文字があるだけだった。その他の各民族は文字表記としては漢字による漢文しかなかった。しかも漢文は言語と関係がなく、文法がなく、習得が困難だったから、漢文を使えたのはわずかな知識層だったのである。つまり漢文を使う人たちが一部にいる「漢民族」とはいえ、漢字漢文が分かるのはごく一部だったのである。つまり自らの言語とは関係のない漢字を使う事は、庶民にとって何の意味もなかったし、漢字に代わる文字もなかったから、多数の民族のほとんどの庶民は文盲であるしかなかった。

 しかしほとんどの民族には、文字といえば漢字しかなかった。この人たちを漢民族と総称したのである。そして前述のように、夷言語を話す異民族の清朝末期の革命の志士は日米で、日本語や英語を話しながら、「漢民族」の同志として革命を論じるという奇妙な光景が生まれたのである。彼らの密談の結論は、満州族を追放して漢字を使う漢民族の統一国家を作るべきだ、ということであった。彼らは漢字を使うという共通項だけで、無理やり多数の民族を束ねて、統一国家を作るということに何の疑問を感じなかったのである。表音文字のアルファベットが、民族の個性を反映することができたのに対して、表意文字の漢字は各民族の言語の個性を反映できなかったために、かえって漢民族による統一国家という幻想を生んだ。

 しかし奇跡的なことが起こった。清朝末の白話運動である。まず北京語を漢字で表記するという運動である。その後広東語でも同様な事が起きた。漢文という異様な文章体系にだけ使用可能なはずの漢字で、話し言葉に近い文章を書くことを可能にしたのである。表音文字という漢字の特性からして、これはやはり奇跡に近い。しかし異言語は異言語である。広東語と北京語では漢字の読み方が違う。同じ漢字表記でも北京語と広東語では表記方法は同一ではないが、表意文字だけあって、全く違うわけではない。

 しかし北京語と広東語では漢字の読みが違う。それは元の話し言葉が異なるからである。だから奇妙な事が起こる。つまり話し言葉を文字に書いても、同じような漢字で書かれるのに、全く異なる発音で読まれるのである。ヨーロッパの各言語は、けっこう同一の語源、たぶんラテン語などからきているため、似たような単語が多い。しかし似たようなアルファベット表記であれば似たような発音になる。しかし支那の言語では、同じ文字で別な発音がされる。

 似た単語による異言語が多いヨーロッパでは多数の民族の国民国家に発展したのに、同じ文字で違う発音がされる支那大陸は、中共という唯一の中央集権国家に統一されている。それもこれも同じ漢字を使う、漢民族という幻想を共有しているためである。ために民衆は適正規模の国民国家を持てず、強権的な古代の帝国の支配に呻吟しなければならない。それもこれも、支那大陸の地理的特性とと、漢字というまれにみる不思議な文字の共有が原因である。

1.5 満洲と支那

 私はここで念のため満洲と支那の関係について説明しておいた方が良いように思われる。私にとっては満洲と支那とは別物であり、満洲がいわゆる中国固有の領土ではないことは既に常識の範疇であった。戦前の日本人にも自明のことであった。昭和13年に創刊された岩波新書にも明瞭に支那と満洲は区別されている。しかし多くの日本人にとって確かにそれは常識ではない。

 そして満洲と支那が民族的、地理的、歴史的にも別物であるという前提がなければ、前述した満洲文字が漢字と別であるという事実に対する理解も、それに対する衝撃もない。単に「中国」の一部地域で特殊な文字が使われていたこともあったという解釈に終わる。現に首里城で同じく琉球貢表を見ていた観光客親子は満洲文字を見て、変わった字だねの一言だけであった。ちなみに歴史的に満洲と呼ばれるのは、現在の中共の黒龍江省、吉林省、遼寧省の3省がほぼこれに相当する。清末にはアイグン条約などにより、ロシアに黒龍江省の北方の領域を奪われたから、この地域も歴史的には満洲である。

 分かりやすいのは黄文雄氏や岡田英弘氏あるいは宮崎正弘氏らの支那関係の著書であり、これらを参照されたい。ここでは「満洲事変の国際的背景」Aによることとする。

 満洲の地における固有民族はツングース族である。彼らは、紀元前四世紀頃から、すでにシナとは別個の勢力を持ち、粛慎、挹婁、夫餘、高句麗、靺鞨、渤海、契丹などの諸政権を樹立してきた。ことに一二世紀初頭、ツングースの一派女真が金を建国、長城を超えて北シナに侵入した。金は一旦元に追われたものの、元滅亡後、後金すなわち清国を興して全シナを征服、大移住を行った。以後三世紀にわたって全シナ四億の漢民族を支配したのである。

とある。長城とは万里の長城である。万里の長城は秦王朝以来支那の王朝の国境を定める防壁であった。支那においては殷周の都市国家以来、都市周辺に防壁を作って囲う習慣があった。万里の長城はこの延長で、北方民族の国との国境を意味していた。女真族とは満洲族とほぼ同義である。満洲族の王朝が粛慎や金という漢字で書かれているから、漢民族の一派だと誤解されやすい。

 これは後の漢文で書かれた支那の歴史書の呼称である。ヨーロッパで古典がラテン語で書かれるように、支那大陸とその周辺の歴史は漢字漢文で書かなければならなかったからこのように表記される。漢文が古代中国語の文字表記ではないことは2章で説明する。米国、英国と書いたところでこれらの国は日本や支那とは関係ない国であるように、漢字表記された金という国は漢民族の国ではない。

 ヨーロッパの言語が日本や支那の国を表記するのに、アルファベットを用いるのと同じことに過ぎない。現在の中共は確かにチベットや満洲を実効支配し、国際法上からもこれが認められている。しかしチベットや満洲が歴史的に支那の王朝の領土であるということはできないのは前掲書の通りである。

 中共は中華民国の時代を経て実力で満洲族の王朝の清朝の版図を引き継いだ。戦前の中華民国は国際連盟にも加盟して認められていた国ではあったが、実態は北京政府、広東政府、張作霖の満洲といった具合に群雄割拠しているのが実態であり統一政府の実態はない。このことは戦前の日本の新聞で広東政府の誰々が、などと当たり前のように使っていたことからもうかがい知れる。

 現在の日本人は忘れさせられたが、中華民国に統一の実体がないというというのは戦前の日本国民の等しく理解していた事実であった。だから1912年に清朝が滅亡して以来、1949年に中共が成立するまで支那に統一はなかった。蒋介石の中華民国は成立以来、一地方政権に過ぎなかった。そして台湾に移っても支那全土支配を主張したが、蒋経国、李登輝といった指導者を経て、実態は台湾共和国というべき国民国家が台湾に成立した。

 日本の教科書では満洲事変による侵略を非難したとして教えられる、リットン調査団が国際連盟に出したレポートBも基本的な認識は支那と満洲は別個のものであるというものである。これに言う。

 満洲ハ有史以来各種「ツングース」族居住シ蒙古韃靼人ト自由ニ雑居シタルガ優越セル文明ヲ有スル支那移住民ノ影響ヲ受ケ団結心ニ目覚メ数個ノ王国ヲ建設シ此等王国ハ時ニ満洲ノ大部分並ニ支那及朝鮮ノ北部地方ヲ支配セリ。殊ニ遼、金及清朝ハ支那ノ大部分又ハ全部ヲ征服シ数世紀間之ヲ支配シタリ。(原文は旧漢字使用)

 韃靼はリットン調査団の英文ではTartar である。従ってタタール人又は正確に韃靼でよかろうと思う。いずれにしても、日本の満洲侵略を批判したとして戦後引用されるリットン調査団の報告書ですら、満洲は支那とは別個のものであると述べているのは注目すべきである。そもそもこの報告書では常にManchuria(満洲)とChina(支那)という言葉を常に区別しているのだ。

 なおリットン報告書では次のように述べているのが注目される。

 ・・・又一国の国境が隣接国ノ武装軍隊ニ依リ侵略セラレタルガ如キ簡単ナル事件ニモ非ズ。何トナレバ満洲ニ於テハ世界ノ他ノ部分ニ於テ正確ナル類例ノ存セザル幾多ノ特殊事情アルヲ以テナリ。

 と説明する。何と満洲事変は侵略ではないとリットン報告書は語っているのだ。このことは一部では有名な事実であるが、多くの歴史家は原本を引用せずに一方的に侵略と決め付けている。リットン報告書による勧告は、日本の侵略を止めさせて無条件に満洲を中華民国に返還すべしというものではない。

中国の主権は認めるものの中華民国政府では安定した統治ができないということで、満洲の国際管理を勧告している。これは英米の意向に従った狡猾な話といわざるを得ない。それまで満洲の地には日露戦争で得た日本の権益しかない。国際管理ということは、満洲に権益を持たない英米、特に鉄道王ハリマンの満洲鉄道の共同管理を日本に拒否された米国としてはリターンマッチであったに違いない。

 脱線ついでにチベットについても言う。チベットも現在では、国際法上中共の支配下にある。しかし独立国チベットの侵略は狡猾にも朝鮮戦争のどさくさにまぎれて行われた。チベットの鎖国状態がなおさら国際社会に情報が伝達されず、朝鮮で手一杯の米国の介入も許さずやすやすと中共は広大なチベットを侵略した。チベットから中共の侵略を訴えにインドに行ったチベット政府代表の中国による侵略の報告についても、ネールは耳を貸さなかったというD。日本ではネール首相を持ち上げるが、所詮自ら独立を保持し得なかった国の人。アジアの独立にも奔走した日本人とは比較にならない。

 チベットは満洲族の王朝、清の版図であっても支那の王朝の歴史的領土であったことはない。むしろチベットが北京まで支配した時代もあったのである。清代には満洲族の皇帝がチベットの支配者や支那大陸の皇帝、モンゴルの支配者たる大ハーンを兼務していた。1877年英国のヴィクトリア女王はインド皇帝を兼ねて、英国のインド植民地化が完成したことと酷似しているではないか。

 この意味ではチベット、モンゴル、支那は満洲族の植民地であった。もし満洲族皇帝の支配する植民地たる支那が、歴史的に満洲を支配する権利があるというなら、インドは英国を歴史的に支配する権利があるというべきである。これは単なるアナロジーではない。事実である。繰り返す。満洲は支那ではないことが理解していただけたと思う。私は怪しむ。多くの良心的と自称する日本人の多くがチベットの侵略を非難しもしない。それどころか前掲書に書かれたような中共のチベットにおける目を覆うような残虐行為を無視する。日本の「残虐行為」を非難する巨大な中共の公式施設。これに比べればチベットの訴えはマイナーなものに過ぎない。

 誰の支援もないからだ。見よ東京芸大の元学長の平山郁夫画伯の中共政府に対する献身。日本に対する非難。その陰に多くのチベット国民が残虐な支配に苦しんでいる。彼らは誤った贖罪意識から、中共の暴虐に目をつむる。彼らには真の良心はない。前掲書に書かれた中共のチベット人に対する残虐行為は、私がここに書き得ないほどむごいものである。多くの日本人は目が曇っている。
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~k-serizawa/sub21.html


2章 支那の言語と文字

 2.1 北京官話

 mandarinを英和辞典でひくと、北京官話とある。北京官話とは清朝の時代に北京の宮廷で使われていた言葉であるという。要するに皇帝の使用した言葉である。王朝の皇帝がどのような言語を使っていたか。清朝は漢民族ではない満州族が支配していた。皇帝と重臣などの支配者は満州族である。皇帝は満洲語を話すはずである。もちろん皇帝の祖先は北京の外から来たのであるから、当時北京では満洲語以外の言語が使用されていた。そこに来た皇帝の先祖はどうしたか。わざわざ苦労して外国語である北京土着の言語を話すはずがない。

 北京土着の言語と断ったのにはわけがある。単純に漢語とは言わないのである。それは別項でも書くように、現在漢語とくくられる言語には、北京語、広東語、福建語その他いくつもの言語があり、それらの間にはドイツ語、フランス語、英語、スペイン語といった程度の差異があるということである。つまりこれらの漢語には方言とは言い得ない相違がある。そして満州族が支配を始める以前の北京では、漢語と総称されるもののうちのいずれが話されていたかわからないのである。漢語といってしまったら、ヨーロッパ語というがごときわけのわからないことになってしまうのである。だから満洲族支配以前の土着言語と断る。

 北京で皇帝は満洲語を強制した。当然であろう。周囲の土着民族は皇帝ととりまきの宮廷人と話すときは満洲語を話さなければならない。苦労して新しい言語を覚えなければならないのは、土着の支那の住人であって皇帝であるはずがない。土着の支那の住人と言ったのにも意味がある。後述のように明末の北京に住んでいたのは現在では漢族といわれるが、実際には殷周秦漢までの時代の本来の漢民族とは言い得ないからである。単純に当時北京に住んでいた人間を言うのである。

 これは英国や米国に支配されたインドやフィリピン人が、支配者である英米人と英語を話すのと同じことである。北京官話は北京だけではなく、出先に北京から派遣された中央官僚の共通言語となったという。これも自然なことである。英米に支配されたインド、パキスタン、フィリピンといった国の公用語は、現在でもヒンズー語、ウルドゥー語、タガログ語といった土着の言語ばかりではなく、英語も公用語である。それはヒンズー語、ウルドゥー語、タガログ語は多数言語であるにしてもインド、パキスタン、フィリピンにはこれらの言語とは全く異なる言語を使う民族がいるからである。

 これらの異言語を話す民族にとっては、ヒンズー語、ウルドゥー語、タガログ語を話すより英語を使うほうがプライドが傷つかないというのである。これは明治時代に日本に滞在した支那人同士が話すとき、日本語か英語を使ったという事情と似ている。支那には相互に通じない異言語が多数あるために、共通言語として皇帝の民族言語としての満洲語を使うことが便利だったのである。

とっくに結論が出ている。清朝における北京官話とは満洲語である。そして英和辞典のmandarinとは北京官話と同時に北京語ともある。北京語は満洲語であるという結論が論理的に導かれる。北京語は満洲語がルーツである。これを補強するのが1章で述べた首里城の琉球貢表の満洲文字である。清朝中興の祖、18世紀乾隆帝の時代でも満洲語が公用語として使われていたのである。満洲語は漢語の群れに消えたのではなかった。

 なぜ異民族言語としての満洲語が北京語として土着したか。それは満州族が最後に支那の外から来て残留したからである。正確には最後に異民族言語として残ったのは香港の英語であるのかもしれない。もっとも北京語が正確に満洲語を継承しているとはいえないのであろう。フィリピン人やパキスタン人の英語は公用語であるにもかかわらずなまりが強く、フィリピングリッシュやパキスタングリッシュなどとも言われる。日本人は日本なまりの英語のジャパングリッシュを堂々と話せばよいと推奨する人さえいる。

 最近のインド映画で「レッドマウンテン」というのがある。印パ紛争をインド側から描いたものである。言語はヒンズー語とDVDには表示されているにもかかわらず英語が混じる。下級兵士は数字以外は全く英語を使わないが、階級が上がると英語の混じり方が多くなり、幹部軍人に至っては完全な英語である。こんな言語の混淆の仕方もあるのだと考えさせられる。

 北京の土着民族は努力して満洲語を習得し、なまりながらも満洲語は北京語として定着した。これが実情であろう。満とmanの音の共通性から、西洋人ははじめから北京語が満洲語だと理解していたからmandarinと命名したのである。西洋人はなぜ私のように満洲語を支那の異民族言語と理解しないのだろう。それは西洋人にとってはマクロにみれば満洲人もその他の支那に居住する言語も民族も、等しく支那大陸に居住する民族と言語の一つに過ぎないのである。

 そして支那大陸の歴史と民族をヨーロッパのそれとアナロジーで見てみれば、むしろ正しいのだと思わざるを得ない。すると漢語と俗称される広東語、福建語、客家語なども実は単なる支那の土着言語ではなく北京語と同様の歴史的経過を経て土着して現在に至ったのであると。それは英語、フランス語、ドイツ語などヨーロッパの言語、ヨーロッパの民族が民族混淆の歴史的経過を経て、現在に至ったのと同様ではなかろうかと考えられるのである。

 ここでひとつだけ注釈しておかなければならない。北京語は場合によっては北京における方言とされる。現在の中国語は、オリジナルは北京語であるが、清朝滅亡後に日本語や英語の影響を受けて、漢文ではなく口語の漢字表記が発明されたことによりできた言語である。魯迅などの行ったいわゆる白話運動によってできた標準語というべきものである。

 この結果できあがったのが元は北京語ではあるが現在は「普通話」と呼ばれる言語である。この言語は口語の漢字表記ばかりではなく、改良された口語としても支那政府、当時の国民党政府に採用され、中共政府にも引き継がれて現在に至っている。日本における中国語の教科書では一般にこの関係を東京弁と標準語の関係になぞらえているが、この比喩は正しい。

 現在の日本語の標準語とその表記方法も明治の文豪たちが中心になって完成したものであり、その基礎は江戸弁つまり古典落語で使われる言葉である。東京弁と標準語の差はかなり少ない。北京官話と普通話すなわちいうところの、中国語の差異も僅かであろう。「普通話」と広東語や福建語などの差異が方言の程度ではなく異言語に等しいのと全く異なる。このことを頭の隅において本稿を読んでいただきたい。

2.2 康熙帝伝

 日本では、多くの場合、支那大陸に異民族が侵入して支配しても、いつの間にか漢民族の風習におぼれ、漢化していく、と言うのが一般的である。例えば代表的に中国ウオッチャーで中国にきわめて批判的な、宮崎正弘氏は「オレ様国家中国の常識」で次のように述べている。

 清王朝は北京に乗り込んだときから漢族の文化に魅せられ、満洲語を田舎の言葉と恥じたのか、宮廷では使わずに、むしろ被征服民族の漢語を喋り、自らの言葉を重視しなかった。現在の中国語というのは「普通語」(標準語)のことで、それは華北で通用した中国語を満洲族の訛りで発音したのが北京語である。北京語は日本にあてはめると江戸弁である。つまり北京語と普通語は江戸弁と標準語の違いがある。

 具体的にはこれから検証するが、華北で通用した中国語を満洲族の訛りで発音したのが北京語である、という見解は極めて不可解である。当時の北京とその周辺は『華北で通用した中国語」を話す人たちは満洲族より圧倒的に多かったであろう。満洲族が無理に中国語を話すのなら満洲語訛りがあっても当然だが、元々中国語を話す人たちが゛満洲語訛りになるのはあり得ない。まして満洲族は漢語に憧れているのだから、訛りは矯正されるのであって本来の中国語を話す人たちに影響を及ぼすことはあり得ない。さてこれから資料により、宮崎氏の主張を検証しよう。
 
 「康熙帝伝」Dはフランス人宣教師ブーヴェが康熙帝時代に北京に滞在して、主に実際に見聞したことを書かれた物語である。内容はフランス人の北京滞在記といってよい。解説にも書かれているように、支那で布教する宣教師という立場から、王朝に対して評価が甘くなるという傾向になりがちであろうと考えられるにしても、外国人だから王朝の公式記録よりはるかに客観性があると考えられる。

 康熙帝は1654年〜1722年の人である。康熙帝伝には清朝の宮廷でいかなる言語が使われていたか、生き生きと描かれている。康熙帝伝には韃靼という言葉がよく使われている。韃靼とは広辞苑(第三版)によれば「蒙古系の一部族タタール(塔塔児)の称。後、蒙古民族全体の呼称。明代には北方に逃れた元朝の遺裔に対する明人の呼び名。また、南ロシア一帯に居住するトルコ人も、もと蒙古の治下にあった関係から、その中に含めることもある。」とある。

 康熙帝伝における韃靼はタタールの訳語であろう。タタールとは一般にはロシア人の言う、タタールの軛(くびき)である。すなわちモンゴルの恐怖の支配である。従って一般にはタタールとは蒙古と考えられるが、支那大陸の北方民族一般の呼称で、康熙帝伝で意味するところは前後関係からして満洲族の意味であろう。皇帝は満洲人だから満洲語を話すはずである。そして皇帝は韃靼語を話したと書かれているからである。

康熙帝伝に次のような記述がある。P95の注に

 「宣教師の多くは漢語の研究に志したが、その至難なことに辟易して、この研究を放棄するのが常であった。しかるにヴィドゥルー師はこつこつ(漢字)として倦まず、ついに漢語を征服するに至った。」

とある。前段でみんな韃靼語は容易に習得したとあるが、これは前述のように満洲語のことである。現代でも西洋人にとって広東語などの「中国語」が満洲語より遥かに難しいとは考えられない。西洋人はもちろん支那人自身にすら習得が極めて難しいのは漢文である。つまり、ここでいう漢語とは漢文のことである。それはこの文に続いて

 「・・・殊に康熙帝の第一子は書経の一節を示して、ヴィドゥルー師の学殖を試験し、その学力に敬服し、絹本に賛辞を書いて送ったそうである。」

とあることでもわかる。当時漢字表記の口語文はありえず、書経は漢文で書かれている。次節以降で述べるように書経などの漢文は広東語などのような、口語のいわゆる漢語とは関係のない文章だけの体系である。だからここでいう漢語は間違いなく広東語などの口語ではなく、漢文である。つまりここでも満洲語以外の言語が宮中で話されていないことが証明された。強調しておくが、皇帝は漢文を読めたが、満洲語以外の北京の土着の話し言葉を話すことができたと言う証言は、康熙帝伝にはない。

 康熙帝は、書経の漢文を読んで見せたのであって、話し言葉としての漢語を喋ったのではない。この電気で分かるのは宮中では、漢人も含めて漢語は使われておらず、満洲語で会話がなされていたのである。康熙帝の時代は清朝中期である。段々満洲王朝の漢化が進んでいたのであれば、この時期既に皇帝は漢語を使っていなければならないがそうではなかった。ブーヴェはむしろ漢民族の満洲化が進んでいた事を示唆している。

 現在インドやパキスタンでは土着言語の他に英語が公用語となっている。インドに支配者としていたイギリス人は僅かであったのにもかかわらず、である。当然であろう。どうして武力で征服した民族が面倒な土着言語を憶えなければならないのか。土着民族に支配者の言語を強制する方がよほど自然なのである。

*康熙帝伝・東洋文庫155・平凡社・ブーヴェ

2.3 漢文とは何か

 日本では漢文について誤解がある。この誤解の糸を解きほぐすことが、支那大陸の歴史理解の重要な鍵である。結論から言おう。漢文は支那の言語ではない。漢文は支那の口語を文章化したものではない。古代中国語の文字表記でもない。最も原始的な表意文字という、誰にでも簡便に利用できる意思伝達手段である。

 岡田英弘氏の「この厄介な国中国」Eを見てみよう。

(P122)あるフランス人学者は「漢文とは書くための言語だ」と喝破したが、それは明察である。漢文は中国で話されている言葉(中国語)とは全く無縁の言語体系なのである。・・・
 たしかにラテン語は、はるか昔に廃れた言語ではあるが、漢文に比べればとても理解しやすい言語である。なぜなら、ラテン語には品詞の分類があり、活用語尾があり、また耳で聞いても理解できるからである。

 あえて類例を用いて比較するなら、漢文は古代エジプトのヒエログリフと言えるかもしれない。

 しかしそのヒエログリフにしても、当初は漢字のように表意文字として使われ続けていたけれども、やがてひとつの文字にひとつの音が対応するようになり、英語のアルファベットのように使われ、話言葉をそのまま表記することも可能になった。ところが漢文には、そのような変化が起きなかった。あくまでも孤立した「書き言葉」のままで、話す言葉とは無縁のものでありつづけたのである。

 そして漢文が進化して話し言葉の表記法となるのを阻止したのは秦の始皇帝である。悪名高い焚書とは、実はそれまで私家版の本などで不統一だった、漢文の表記や表現を政府公式に統一したというのが真実であると書く。つまり標準の漢文表記や表現の文書をひとつ選定し、それ以外のものを全て焼却処分したというのである。

 それは初耳の人には意外な事実かもしれないが、中国語の現代の書籍を読める現代中国人が全く漢文を理解できないことから意外なことではない。注意しておくが、現代中国人が漢文を読めないのは、ほとんどの現代日本人が源氏物語や枕草子を読めないのとは、全く意味を異にする。漢文の本質の理解は本書では重要なことだから、以下に敷衍する。実際に使われる漢文の表記の順序を無視して考えてみよう。「私」という単語と「行」という単語を使うものとする。ふたつの表意する意味を知っていれば、「行私」「私行」と書こうと「私は行く」と言おうとしているのはわかる。

 ところが正確に言えば「私は行った」のか「私は行こうとしている」のか「私は今行っている最中」なのか区別がつかない。いやそもそも品詞がないのだからF、行という文字は行くという行為の動詞的意味とは限らず、行く事という行為の名詞的意味かもしれないのである。漢文は時制も何もないのだから意味は多義に解釈できる。このような原始的な表記手段なのである。漢文の翻訳は原文の数倍になる。それは意味が多義なので前後から推定して日本語を補足しているからである。

 漢文の解釈がいくつか存在するのも、古代の文章のゆえではなく、漢文に文法がないことによるものである。そして科挙の試験のように難しい漢文の試験を行うのも、古典による文章例を記憶させることによる作文と解釈の統一を図るためであった。漢文が古代中国語でないとするならば、漢文による古典、いわゆる漢籍の位置づけも常識とは異なってくる。漢籍とは既に滅びた古代支那で作られた古典である。現代の漢民族と自称するひとたちと何の関係もないものである。

 これは現代西洋人における現代語とラテン語による古典の関係とよく似ている。西洋人の教養ある人たちはラテン語を習得する。これは彼らの現代語とは関係なく、古代の知恵を教養として習得するに過ぎない。だからルネッサンスの時代にはラテン語の古典がアラビア人によって受け継がれていて、アラビア語訳されていたものをさらにドイツ語、イタリア語などに翻訳して読まれていたのである。ラテン語の時代と現代ヨーロッパ語の間には、アラビア語という深い断絶がある。

 ずるい西洋人はそのことを無視して、あたかも古代ギリシア、ローマ時代と現代ヨーロッパが連続しているかのように「ルネッサンス」すなわち文芸復興であるという手品を発明した。実態は復興ではなく、異文明異文化を獲得したのである。支那大陸において本来の「漢民族」は古代ギリシア、ローマ時代の民族のように滅び去って漢籍という古典だけを残した。清朝においては皇帝はこの古典を普遍的教養として満洲語に全て翻訳した。これはラテン語の古典をアラビア語に翻訳した事業に似ている。

 満洲人の努力は無駄ではなかった。「世界の言語ガイドブック」Oという本によれば、現代に満洲語を習得するメリットは支那の古典を満洲語に翻訳されたものから理解できることである、というのだ。つまり漢文は誰にとっても難しいが、通常の言語体系である満洲語によって古典を習得できるというのだ。満洲語により支那の古典を理解することは、ルネッサンスの時代にヨーロッパ人がアラビア語からラテン語の古典を理解したのに似ている。

 ここでいう満洲語とは満洲文字で表記された本来の満洲語である。北京官話となって、その後白話運動により口語の漢字表記が発明された北京語とは、少し異なることは言うまでもない。漢文に文法も品詞もないということについては説明を要する。行という漢字は一般には動詞と解釈されやすい。それならば名詞があるはずである。だがないのだ。だから行という漢字は動詞でも名詞でもない。前述したように、行くという概念を表すのか、行くという行動を表す動詞なのかの区別はない。もちろん動詞ではないのだから、過去なのか未来なのか現在なのかの区別もない。

 英語でもドイツ語でも名詞と動詞が同じ単語はある。しかし名詞か動詞かは文型から置かれる位置と格変化でわかる。インチキ漢文で考えてみる。「私行山」とかけば英語からの類推でSVOと考えて行を動詞と考える人がいる。だが漢文では決してそう教えない。山が私の後に来るのは動詞だからではない。古典に書かれた先例から行はこの位置に置くべきだと判断できるのである。

2.4 漢字について

 漢字は現存する唯一の表意文字であろう。従って外国語を輸入する場合、表音文字ではアルファベットのように音声を一致させるだけだが、表意文字である漢字では音声を一致させるととんでもない意味の単語が出来上がることが多い。日本語のように「コンピュータ」とそもまま音で輸入するわけにはいかない。そして現在使われている「漢語」のうち、全てが漢字表記できるわけではない。例えば「世界のことば小事典」Nによれば、福建省や台湾、海南島で使用されている「福建語」には漢字表記がないという。しかも福建語を使っているのは四千万人もいるという。上海語の単語には音を借用した当て字として漢字を使っているために、単語の意味とは無関係な漢字を当てているものがあるという。

そもそも支那の口語の初めての漢字表記は中華民国初期の白話運動による北京語の漢字表記から始まった。多くの漢語で漢字表記がないのは、口語の漢字表記の困難さを示す。長い間漢字は漢文のために使われていたのであって、口語が漢字表記すなわち文字表記された歴史は百年程度しかない。口語で漢字表記がないものがあっても不思議ではない。繰り返すが、漢文は文章専用の漢字表記法であって、口語文に対する文語文ですらない。文語文のひとつである日本の漢字書き下し文体はあくまでも日本語の漢字仮名まじり表記法であって、日本語の一種である。漢文は中国における文語文ですらないのであることを銘記しておかなければならない。

 文字の国といわれた支那で大多数が文盲であったのはこのようなわけである。長い文明を持つ国の中では他の諸国に比べはるかに、言語の文字表記が遅れたという事実が浮かび上がる。奇妙だが漢字をはるかに遅れて学んだ後進国日本ですら、紫式部の時代には既に漢文ではなく、日本語の文字表記が行われていた。漢字が珍重されるのは、古典として優れていたゆえである。漢文は中国語ではないから、漢文を珍重することは中国語を珍重することではない。

  言語の文字表記という意味ではなく、古典という意味において漢文は西欧におけるラテン語のようなものである。ギリシア、ローマの文化はラテン語の古典がペルシアなどアラビア語文化を経由して現代ヨーロッパに伝わっているように、支那の文明にも断絶がある。唐、モンゴル、満洲などの各民族が間に入った断続がある。現代支那の言語は漢文とも古代支那語との連続性はない。ヨーロッパ言語がアルファベットを借用して各民族言語を表記するように、単に古代漢民族の発明した漢字を借用して、北京語、広東語などの現代支那言語を表記しているに過ぎない。ただ漢文が表音文字という抽象性を欠いた原始的表記法であったために、現代支那言語との落差が大きく、口語の漢字表記は困難であった。

 漢字が発明されて以後、支那では長い時間の経過があったにもかかわらず、文化的熟成がなかったために、日本のようにかな文字という表音文字を発明することができず、相変わらず漢字漢文をそのまま使うということを、わずか百年前まで行っていたのである。世界の文明が進歩している二千年の間に、何の変化もなく相変わらず漢字漢文をそのまま利用し続けるのは、相対的には退化である。簡体字は単に字画数を減らしただけで、本質に変化はない。漢字が何万字もあるのも当然である。漢字は一語一語が単語だからである。例えば嶋という言葉をつくるときには、山と鳥を組み合わせてひとつの漢字にするのである。

 山鳥と2字で書いてはならないのである。その点で嶋を島と略した日本人はあながち間違いではない。この点明治の日本人が西欧の概念を哲学、経済など2字の熟語にしたのは正統な漢字の使い方ではない。漢字の発明者ではない日本人は勝手にphilosophy、economyに対応する一字の漢字を作り出すことはできなかった。しかし複数の漢字表記により新単語を造語する手法は日本人の独創による新発明である。日本による造語の単語を直輸入している現代支那人は、漢字を発明した漢民族ではない無神経さで和製漢語を受け入れて恥じない。

2.5 漢文と支那の言語との関係

 言語は口語と文語に分離しやすい。江戸時代までの日本の文語は源氏物語のような大和言葉によるものと、漢文調のものがある。また多くの古典や論文が漢文そのもので書かれていたから、三種類の文語があったように思われる。漢文は日本語ではない別の言語である。ただ日本では漢文を日本語の音で読み、不足する音も補足して読むから、文字として見ると外国の言語であるが、読みを聞いていると日本語となるという奇妙なことになる。漢文を読むときの音声の順に漢字を並べ、ひらがなを補足すれば、漢文調の文章ができる。候文もこの範疇である。

 かつての日本語には複数の系統の書き言葉があったが、話し言葉と書き言葉に大きな乖離が生じていた。英語などの西洋の言語は書き言葉と話し言葉、すなわち口語と文語の差異は比較的少ない。そこで日本では明治時代に、西欧の言語が文語と口語の差異がないと考えて言文一致の運動がおきた。言文一致の文語のモデルとなったのが江戸時代の落語、古典落語である。言文一致の文章、つまり現代文語の成立の過程は二葉亭四迷の浮雲によく表されている。浮雲の最初は現代人からは違和感のある文章であるが、最後になるとほとんど現代の文章と変わりがなくなる。英語でも口語と文語は全く同じというわけではない。洋画の導入部の語りと本編のせりふの相違でそれがわかる。

 現代の中国語の文章は現代日本文と同じ意味での文語であって漢文ではない。中国語の文章はやはり明治時代に白話運動として、日本の言文一致運動の影響を受けて成立したもので、漢文ではない。正確に言えば漢文とは全く異なる。だから現代中国語を読めるからといって、中国人は論語などの漢文を読めるわけではない。漢文を特別に学んだほんの一部の専門家が漢文を読めるだけである。これは現代の日本人が源氏物語が読めないのとは全く意味が異なる。源氏物語がもともと日本語の話し言葉を基礎としているのに対し、漢文は意味の伝達のために表意文字を並べただけだからである。たとえば「行東京私」とランダムに漢字を並べて「私は東京へ行く」という意味を表していると主張してもよいのである。これが漢文の本質である。

 中国人が「私」「行」「東京」という漢字の意味を日本人と共有すれば、互いの話し言葉が理解できなくても意味は伝達できる。漢文のインターナショナルなゆえんである。日本人が中国に行って筆談が通じたと喜ぶ人がいるが、これは漢字発生時に使われていた原初的用法である。だが三つの単語だけだったからこんなでたらめができたが、ひとつの文章で使われる単語が多数になるとこんな芸当はできない。漢文が複雑な表現ができないひとつの理由である。

 漢文を北京語なり広東語なりの発音で読んでも中国語とはならない。それは「私」など個々の漢字の意味が北京語、広東語などと異なるというレベルの事象ではない。漢字は元来一つの文字はひとつの読みしかない。北京語と広東語では同じ漢字を違う発音をする。しかし原則として北京語のなかでは同じ文字がふたつの発音を持つことはないはずである。ところが白話運動で作り出された北京語では、名詞などはともかく接続詞などは、口語の発音をその意味の漢字であてるために、使い方によって発音が異なるということにならざるを得ないのであろう。表音と表意を常に一致させることはできないからである。ひらがなのような完全な表音文字ですら「は」を使われ方により「は」と読んだり「わ」と読んだり使い分けている。

 ここで漢字と漢文の面白い特性の例をひとつ。平成13年に佐世保の旧偕交社跡の記念館に行った時のこと。出征する兵士の遺書が漢字だけで書かれているものがあった。漢文かと思って読むとすらすら読める。私が漢文を読めるはずがない。よくみたら漢文ではない。漢文書き下しのような日本文の平仮名の部分を省略してあるのだ。だから一見漢文だが本来の漢文ではない。しかし日本人にはすらすら読める。しかしこれは漢字と漢文の特性を生かした漢字漢文の本来の使い方といってもよい。

 漢字は表意文字だからそれを日本語読みするのは正しい。そしてそれを日本語の語順に並べて日本人が読めるようにするのは、古代のグローバル文字たる漢字の本来的な使い方である。実は現代の北京語の漢字表記も同じことをしている。つまり漢字をアルタイ語系の読みとアルタイ語系の語順に並べたもので、本来の漢文の語順ではない。そして先の日本語漢文とは異なり、発音の必要があることから、省略した平仮名に相当する文字を漢字で補っている。従ってこれは漢字を現代日本文の漢字と平仮名の二役に使っているのだ。

 現代の漢字による漢文でない中国語の表記は、漢文ほどではないにしても口語を十分に表記できているものではないのであろう。例えば英語でも日本語でも、口語と文語に乖離があるのは事実である。しかし、インタビューやディスカッションの録音をともかくアルファベットなり漢字かな混じりの文に書き示すことは可能である。

 もちろんそれはきちんとした文章にはなってはいないのだが。ところが中国語の漢字表記ではこのようなことは不可能であろう。漢字では話した音をそのまま書き下せないから、表記するとしたら口語をきちんとした文語に書き改めなければならないであろう。それほどに漢字表記は不便なものである。前述のように発明以来原理が一切改良されていないことが原因である。発明当時最新のテクノロジーであっても何千年も経てば時代にはるかに遅れるのは当然である。漢字漢文の不幸はあまりに早く発明されたことである。発明当初は文字は、記録ができ言葉でなく意志の伝達ができるという革命的なものであ
った。

 初期の発明だから直感で分かりやすい絵文字から発展した象形文字であったというのは、発明の容易さからであろう。例えばメールで使う(^^)が「笑い」の意味であるのは洋の東西を問わず分かるようなものである。漢字は絵文字がある程度進化した段階で改良をやめてしまった。岡田英弘氏はそれを秦の始皇帝の罪だと指摘するのだが。

 ところが漢文自体は口語の言語に対応するものではないから、漢文で書かれたものは異言語の民族間でも意志伝達手段として便利である。漢文は特定民族のものではなく、インターナショナルなものとして使われていたのである。それこそ支那大陸では多数の民族が交易交流していたのである。漢文の表記法は四書五経などといわれる古典が書かれる時代に固定化した。古典は支那社会で普遍的なものとして尊重されることとなった。

古典が貴重なのは、本来伝えられている思想の内容であろう。だが支那では古典を尊重するあまり、漢文という表記法をも固定化してしまった。文字が発明されると初期の表記法が改良されて、民族の言語を表記する手段とはならなかった。日本ですら最初に漢字が紹介されて以来、万葉仮名など各種の苦闘を経て「日本語」を漢字仮名交じり表記するという画期的な改良をした。支那ではやっと明治時代に魯迅などの白話運動により、漢文を捨て口語である「漢語」を直接漢字表記するに至った。この間には絶対的な断絶がある。

 日本でも同時期に二葉亭四迷などの文学者により口語文が発明され、現代文に至っている。だがそれ以前に使われていた、漢字仮名交じり文や源氏物語などの古文は日本語の文字表記である。明治日本では欧米の言語が口語と文語に日本ほど差がないことに刺激を受け、文語と口語の乖離が大きい日本語の改良を目指したのであった。だから中国のような文章表現の断絶はないのである。

 漢字と支那の言語が関係ない事実を示そう。広東語四週間*に妙な記述がある。まず一ページ目に「音に対する漢字が無い場合には、□で示した。」とある。そこで巻末の「広東語語彙索引」を見ると確かに□が登場する。例えばbahngと発音する言葉の意味は「動詞で「もたれる」という意味だとあるのだが、漢字が□なのである。

 もたれるという言葉に対する漢字は無いのである。48ページある索引に対して34の□が登場する。1ページに平均25個の単語があるから、約3%の単語に漢字が存在しない。これは驚くべき数字である。例外的に漢字が無いのではない。そもそも漢字の国といわれる支那に漢字で書けない単語が存在するのが、これまでの常識を超えているではないか。

 予想されるのは動詞が多いだろうということである。その通りであった。しかし日本語の「場所」、「濃い」、「茎」などの形容詞や名詞にさえも対応する漢字が無いという奇妙なことになっている。これでも漢字が支那の言語と直接リンクするものではなく、強いて当てている文字に過ぎないことが分か
る。ちなみに北京語を学ぶにはピンインと呼ばれるローマ字表記の発音記号を使わなければならないのはご存知だろう。ヨーロッパ言語はアルファベットを基礎にした発音記号で発音を表す。日本語は仮名を使う。漢字王国の支那は全くの外来のアルファベットを使わなければならないのである。

 そして広東語はピンインは使えない。イェール大学が考案した「イェール式ローマ字表記法」が使われるというのである。そういえば中共政府の刊行する日本向け観光地図には、旧満洲、河北地域及び別章で述べる支那南方方言の使われる地域以外の大部分の地名表記はカタカナである。この地域には地名の漢字表記が無く、ローマ字表記しかないことを示している。

 私は広東語に漢字表記できない単語が多数あることに驚いた。引用したのは入門書だから高度な単語になったら、漢字で表せない単語の比率はさらに増えるだろうことは容易に類推できる。前述のように、福建語にはそもそも漢字表記自体がないのである。これらのことは素人の私には驚くべき事実でも、支那言語の専門家には常識なのに違いないのである。私はこのことに何の疑問も感じずに、中国は漢字文化の国などと語る「中国」専門家の見識を軽蔑する。


 余談だがレンタルビデオショップに行くと面白いことがわかる。ジャッキー・チェンなどの香港映画の言語である。音声に中国語と書いてあって、字幕に日本語の他に簡体字、繁体字と書いてある。または音声に北京語と広東語の二つが表記されているものがある。字幕はさきのものと同じ場合が多い。皆さんこの意味を理解できるだろうか。ビデオの言う中国語とは北京語のことである。そして北京語と広東語の二種類を併記する場合には中国語、広東語と書いては奇妙だから「北京語、広東語」と書く。字幕の簡体字とは北京語字幕のことである。同様に繁体字とは広東語字幕のことである。

 これは北京語が簡体字で、広東語が繁体字表記されるのが一般的だからである。ご存知のように簡体字とは漢字が難しいため、中共政府が推薦する簡略化された漢字である。しかし日本人の省略した漢字に比べ、簡体字なるものは漢字とは言いがたいくらいに崩れているとしか思われない。だが繁体字の字幕の漢字をそのまま簡体字の漢字に置き換えれば、広東語字幕が北京語字幕になるのではないのに注意していただきたい。北京語と広東語では漢字表記法も違うのである。

 だから広東語しか理解できないものにとっては、「中国語」の音声のビデオは繁体字すなわち広東語の字幕が必要なのである。ドイツ語のビデオに英語の字幕サービスのあるようなもので、北京語と広東語にはそれだけの言語の相違があることを意味する。そのことは両言語をローマ字表記するとさらに明瞭となる。ちなみにジャッキー・チェンは香港生まれで英語も話すが、母語は広東語である。そして巷間で売られている「中国語会話」のテキストとは例外なく北京語会話のテキストである。広東語を習いたかったら広東語入門の本を買わなければならない。


2.6 漢字が支那の歴史をわかりにくくしている

 「漢民族」なるものは言語風俗からはフィクションである。漢民族に共通する言語も風俗も存在しない。ところが一般にはそのフィクションが事実として通用している。その原因のひとつは漢字、すなわち漢文というマジックにある。例えば女真族が立てたのが金王朝と表記される。すると金は明、清、宋、元などの歴代王朝と並列に並ぶ。このように大陸に存在した王朝、すなわち国家の名称は漢文では漢字一字で表記するという慣習がある。

 こう表記してしまうと各王朝の支配民族が何であるかが、全く意識されなくなってしまうのである。今列記した民族の歴史は現在では漢文という文章言語で表されている。実はこれらの王朝の支配者がどのような言語を話していたかは不分明である。現在では「漢語」を使っていたということが暗黙の了解となっているが、事実とは異なるはずである。それは一般的に漢文が漢語の文字表記であるという誤解がなされていることによる。

 漢文は支那における話し言葉と何の関係もないことは前項までに述べた。漢文書き下しの日本文であっても、候文であっても、古文であっても口語の日本語との関連性がある。漢文と広東語などの口語との関係はこのような関連性が全くないことを想起してほしい。支那大陸の各王朝の歴史が漢文で書かれていたということと、王朝の口語での公用語が漢語系であったかどうかということは対応しないのであ
る。このことに気がついたのは、琉球王朝の琉球貢表であった。琉球貢表の正文は満洲文字で書かれていた。満洲文字は表音文字であったから口語と対応していたはずである。従ってこの時代の支那、清朝の公用語は満洲語であった。口語も文語も満洲語が公用語であったのである。

 このことは既に黄文雄氏ら多数が指摘していることだから新事実でも何でもない。清朝での第一公用語は満洲語で、第二がモンゴル語、漢文および漢語は第三公用語に過ぎないというのである。琉球貢表からは公文書は満洲語で書かれていたことがわかる。貢表が書かれていたのは乾隆帝の時代で、既に18世紀である。「康熙帝伝」の項で説明したように、満洲人が皇帝である清朝の宮廷では満洲語が話されていた。

 するとモンゴル人の王朝である元朝ではモンゴル語であったはずである。以前放送されていたNHKの大河ドラマでも、フビライ汗がモンゴル語を話していたから、現代中国でもそのことを認めているのであろう。漢民族の王朝とされる宋、明では何語が使われていたのであろうか。私の知る限りこれを説明する文献はない。謎なのである。

 その謎があたかも漢民族というフィクションを成立させている。福建語のように漢語と呼ばれるもののうちにすら、漢字表記できないものがある。しかも彼らは漢文なぞ読めないのである。漢字を使う民族が漢民族であるとしたら、現在漢民族と自称する人たちには漢民族ではない者が多数いるということになってしまうのではないか。

 北京語の漢字表記は西欧の進出を恐れ日本の勃興に刺激され、日本語や英語表記を参考にして白話運動により作られたものである。唯我独尊が二千年後崩壊したと悟ったときに始めて生まれた現象である。とすれば、白話運動以前の「漢民族」の大部分は口語の漢字表記もなく、漢文を読めなかった。漢文はごく少数の知識階級の独占物であった。とすれば支那大陸の大多数の住人に漢字というアイデンティティーはなかった。

 現在の中国語講座などがアルファベットの発音表記を用いざるを得ないところをみると、いずれ漢字表記だけでは済まなくなるだろう。しかし、その暁には中国の言語、ひいては中国社会に画期的変化を齎すであろう。そのときに大陸社会の近代化が始まる。中国は中世社会すら経験していない。古代社会のままである。古代から中世に変化ができないものが近代に脱皮できようはずがない。

 支那大陸は漢字に呪われている。漢文に呪われている。あたかも歴代王朝のほとんどが漢民族支配であり、例外的にモンゴルと満洲に支配されていたというフィクションに呪われている。現代では更にエスカレートして、チベットや満洲人まで含めて中華民族というフィクションまで作り出した。病は深くなるだけである。

 漢滅亡後起こった隋唐は明らかに外来の異民族である。なぜなら戦乱飢餓、疫病で死に絶えた地域には外から人が来て定着支配するしかないからである。その外来の異民族も次の外来民族から襲われて追いやられる。そのように以前に定住した異民族が、その後やってきた後発の異民族支配を脱却して再度勃興することもあった。例えば、清朝打倒の標語として使われていた「滅満興漢」の「漢」とは単に支那に先住していた満洲族以外の民族のことである。そのような抗争の繰り返しによって大陸における言語地図は完成していった。

 ところが漢王朝以前のいわゆる漢民族が牢固として中国全土に永住していて、そこに異民族が入ってきて漢民族に同化したり、異民族を追放して漢民族が復活して永遠に存在する、というのが支那大陸の公式の歴史である。そのようなことがありえないことはヨーロッパの歴史が示している。北京語、広東語、上海語といった支那大陸における多数の言語の分布は、大陸における民族抗争の結果を記録した年輪のようなものである。

 ヨーロッパ大陸との大きな相違は、漢字漢文という異様な表現手段である。それが唯一の表記手段として存在したために、漢民族というフィクションが生まれた。どの民族も歴史を語るのに、多くの場合漢文を用いたからである。その意味に限定すれば漢字を用いるのが漢民族であるというのは正しい。それならば漢民族は単一ではなく、いくつもの言語風俗に全く共通性のない異民族の複合といった方が正確である。大和民族といった意味での「民族」とは全く意味が異なると言わざるを得ない。

 異民族の痕跡を明瞭に残したのは元と清である。元は故地モンゴルに帰って現代まで存続し、固有の言語と固有の文字を持っているからである。清は現代に続く近い時間の出来事であり、まだ歴史の彼方に埋もれることはないからである。またモンゴル文字のまねとは言え固有の満洲文字を残したからである。漢王朝滅亡以後の外来民族は、広東語、福建語、上海語などの言語や料理、風俗などに民族の痕跡を残した。

 それではなぜ漢文だけがそれほど珍重され永続したか。一般に誤解されているが、蛮族とされる周辺民族は、固有の文字を持たずとも優れたテクノロジーを持っていたから定住していた既存の王朝を倒すことができたのである。しかし人間の道徳や哲学というものは、テクノロジーの進歩と必ずしも関係が
ない。現代人はテクノロジーは優れており、社会制度も経験により改善されているが個人の道徳や哲学という面で全て優れているとはいえない。むしろ退化していると言わざるを得ない面もある。道徳や哲学についての記述というのは古典で書き尽くしたと言えないこともないのである。必ずしも古典が書かれた時代に、その道徳や哲学が実践されていたというわけではない。

 そのような優れた古典が珍重されたとしても不思議ではない。まして漢文には異言語間の民族相互のコミュニケーション手段として優れているという特性がある。そのことが文字を持たない多数の民族の跋扈する支那大陸で重用されたのである。繰り返すがその原因は表意文字の故である。表意文字は即物的であり、表音文字のような抽象性が少ない。それ故、文字の歴史の初期に発生しやすい。発声しやすいが故に古いのである。最古の文明の一つである黄河文明に表音文字が生まれるのは、作るのが即物的で楽であったからに過ぎない。

 それは漢字の価値を低めるものではないが、表意であるゆえの障害も大きいのである。漢字に固執したことは現代に至るまで、漢民族といわれるひとたちに国民国家を発生させなかった一つの原因となり、古代国家の圧制の不幸を現在まで継続させている。


2.7 漢字の発音

 漢字は表意文字である。だから何と読んでもかまわない。猫を訓すなわち大和言葉で読めば「ねこ」と発音する。音すなわち「ある時代の」支那の発音では「びょう」と読む。これは便利な機能である。「猫」という漢字を「ねこ」を意味する、ある言語の発音で読めば使えるからである。だから猫をcatと発音してもよいのだ、というのは極端な例えではないことが理解していただけると思う。

問題は猫と書いても各人がどう読んでいるか分からないことである。だから中国語会話のテキストはローマ字を使っている。日本人は仮名を発明することでこれを克服した。表意文字になじまない「は」「である」などや動詞の語尾変化、例えば「行く」などに平仮名を使って補った。発音は仮名によるルビなどで指示できる。表音文字であるはずの英語でも発音は発音記号を使わなければ正確にはわからない。アルファベットが完全な表意文字ではないことは、同じスペルでも英独仏語で発音が明らかに異なることでもわかる。

 読みがわかりにくいのは日本文で使う際の漢字ばかりではない。特に英語の読みは独仏語より規則性が崩れている。英語でも母音の基本はa,e,i,o,uの5つしかない。なぜなら他に母音を表すアルファベットがないからである。aとeの中間母音があるが、中間母音はあくまでも中間母音であって、aとeとは全く別の発音ではない。

 日本語にしても中間母音は意識せず使われている。aufというドイツ語は日本語表記ではアウフとアオフの中間の発音であるが、日本語の青(あお)に近い発音だと教わったことがある。「言う」と書いて正確に「いう」と発音したら硬すぎて不自然だが、「ゆう」と発音したらだらしなく聞こえる。実際には前後の関係で「いう」と「ゆう」の中間のどこかの発音で使っている。これに気がついたのはラジオ英会話の日英バイリンギュアルの講師が「言う」を常に明瞭に「ゆう」と発音していたのをだらしなく感じたためであった。

 閑話休題。現代中国語の文字表記でも「私は」の「は」に相当するものを漢字で表記している。だから一見漢字だけで表記されているが、日本語の平仮名に相当する機能の漢字が使われている。漢文にはこのような機能をする漢字は一切使われていない。だから漢字表記の現代中国語と漢文とは全く別物なのである。

 重要な問題は漢字の読みである。岡田英弘氏によれば(*p85)後漢当時はサンスクリットのbrahmaは音訳を使って漢字で「梵」と表記されるという。だから当時は「梵」の発音はbramという二重子音で読んだ。漢字の読みにも二重子音があった。ところが隋王朝で編纂された「切韻」という漢字の発音辞典では二重子音がなくなっているという。

 切韻ではRで始まる漢字は全てLに変わっている。この原因はトルコ語、モンゴル語、満洲語などの北アジアのアルタイ語系の遊牧民族の発音が使われていたからだという。その後切韻は現在に至るまで、漢字の読みの基本となっているという。これは五胡十六国時代に漢語はアルタイ語化したという次節の黄文雄氏の説明と一致している。

 そればかりか切韻を編纂したのは漢民族とは明らかに異なる鮮卑人であるというのだ。だから岡田英弘氏は秦・漢の中国人は二世紀末にほとんど絶滅したので、隋・唐の中国人はその子孫ではないと結論
する。岡田氏は指摘していないが、発音は変わっても漢字が単音節で読まれるという伝統だけは維持されたのであろう。なぜならbrahmaでは2音節になってしまうからである。brahmaをbramと読み替えて発音した理由は、bramなら単音節になるからであろう。

 漢字一字を一単語と考えれば、単音節に限定するのは非常に発音の種類が少なくなり、同音の確率が高くなるからヒヤリングが困難となる。日本人の才覚はこの不便な原則を漢字の読みに導入せず、素直に大和言葉で読んだことである。例えば兎は英語ではrabbitであり単音節ではない。このように世界の言語では単語は単音節ではないのが主流である。in, atなどの接続詞に単音節が使われることが多いのは言葉の音の流れをスムーズにする機能があるためと思われる。

 岡田氏は隋唐がそれ以前の漢語とは隔絶した言語となったと指摘する際にひとつの誤りを犯していると私は考える。すなわち支那大陸の各方言がともに、一律にアルタイ語系の発音となり、その後の出発点になったという点である。これによれば方言とはいうものの支那大陸の言語が同一の基礎に基づくということになってしまう。これは支那の言語の均質論である。支那の言語は均質ではない。

2.8 漢字が一音節であることの意味

 漢字の発音は現在では読みが全く異なっても一音節という原則は変わらない。切韻の時代以前の四書五経の時代も全く読みが異なってもこの原則であるという。このことは漢字の古さに関わっていると思われる。漢字は基本的に一字一単語であると既に書いた。どの言語でも古くからある基本的な単語は一音節であるものが多い。英語のI、you、goなど。ドイツ語のIch、du、binなど。フランス語のJe、ne、pasなどである。

 言語が未発達の時代にアーとかウーとか言って意志を通じていた名残なのだろう。だが一音節だと漢字の日本の音読みの同音異義語が多くて混乱するように、単語の識別が困難だという不便さが発生する。しかし前述のように、日本語以外は母音も子音も多いから、日本語で一音節の単語を使うときのような、識別上の不便は比較的少ないのである。

 漢文は古代支那言語ではないとはいえ、個々の単語の発音が当時の古代支那言語と異なるはずはない。やはり古代支那言語の単語も一音節の同じ発音であったはずである。しかし現代「中国語」の漢字表記は漢文とは使い方の異なる文字を補って表記する。それは話し言葉を比較的忠実に再現しようとするからである。そこで現在過去未来や仮定法、その他の微妙な表現が可能になった。

2.9 アルタイ語化していた北方言語

 「世界のことば」Gにこのような記述がある。「たとえば、中国語は元来、動詞が先行する言語であり、『私は北京に行く』は『我去北京』というはずだが、北京語ではむしろ『我到北京去』と日本語のように動詞『去』が後置されるのがふつうである。」

 その通りだとすれば、北京語は日本語と同じ語順、すなわちアルタイ語系の語順を持つことになる。ただし、別項で述べるように北京語すなわち北京官話は多くの方言がある。「ふつうである」と書いてあるのは、そうでない北京語方言も稀にはあるということである。そして中国語の教科書、すなわち、ある普通話の教科書には、「他去北京」と書いて彼は北京に行くの意味だとある。これで行くと普通話を採用するときには稀な語順を持つ方言を採用したということであろうか。

 この著者の誤解は「征服者として君臨したものの、文化的には漢民族に劣る満州人は、次第に自らの言語を忘れ、中国語を学ぶようになる。」と書くことである。それでは満洲族の民族衣装である、支那服が典型的な中国の民族衣装とされ、満州族の演劇である「京劇」を中国の伝統芸能としているのはなぜか説明できない。

 もちろん満洲族の文化が優れ、それを中原に住む「漢民族」が競って取り入れたからである。このように満洲人やモンゴル人の文化はそれ以前の支那文化をほとんど追放してしまった。この著者の矛盾は「満洲語は中国語とは、全く構造の異なる、むしろ日本語に近い言葉である。」として、さらに北京語は満洲語の影響で日本語のような構造になってしまったと認めていても、北京語は満洲語ではなくあくまでも漢語だと主張する点にある。

 更に岡田英弘氏によれば漢字の読み方である切韻もアルタイ語系に完全に置き換わったという。語順も発音も満洲語化した言語、これを常識ある人は満洲語と判断するのではなかろうか。漢字で表記された北京語これは満洲語の漢字表記というのである。もちろんこれは「漢文」ではない。

 さらに黄文雄氏によれば H

 四百年にわたる天下大乱と五胡の侵入によって北方漢語の基礎構造は、アルタイ語系に変わり、「雅言」が五胡言語の音韻に変わった。古代漢語のアルタイ語化である。

 これは正しい。黄氏によれば、最初の漢語である「雅言」も夏人の言語を基礎として、各語族が物々交換するときに使った「市場語」。だから漢文もただの文字の不規則な羅列だけで、註解しないと意味がわからない、曖昧で不完全な表記文字体系であるという。

 3章で説明するように黄河以北の支那北方地域は、五胡十六国の時代に漢民族が、北方民族から駆逐されて匈奴、鮮卑といった北方の非漢民族の居住する地域となった。 五胡十六国時代、隋唐以後は杉山徹宗氏の説によればI、漢民族は絶滅したのであり、東洋史通論の通説によっても、五胡十六国時代に漢民族は黄河流域を追放され南下したのである。いずれの説でも中原に漢民族はいなくなったのである。非漢民族が漢語を話すはずがない。

 中原の言語は匈奴などの言語となり、アルタイ語系になったのである。ここにこの地域が同じアルタイ語系の満洲語を受け入れる素地はすでにあったのである。むしろ「南方中国語諸方言」(2.11 項)を押し付けられる方が受け入れ難かったであろう。北京官話すなわち北京語が満洲語をルーツとしているというのは奇矯なものではないのである。


2.10 支那の言語の種類

 北京語を母国語とする人間が、広東なり上海に行って仕事をする場合、言葉を覚えなければならないが、そのためには語学校に行かなければならないという。日本ではそのようなことはない。東北や鹿児島の田舎で老人と話すのは困難だが、慣れにより克服できる範囲である。それは方言だからである。中国語の場合はそうではない。異言語だからである。

 このような相違はどうして発生したのか。例えばフランス語とドイツ語はゲルマン系とラテン系の相違がある。異民族だから異言語である。英語は古ドイツ語から分化したものであるという。だが単に分化しただけではない。フランス語の影響を受けたのである。半分以上の単語はフランス語語源でもあるという。また英語への変化はそれだけが原因ではない。民族の相違がある。元々ベースとなる言葉がありそれを基礎に異民族が受け入れたために単なる方言ではなく異言語となったのである。すなわち異言語になるのは単に地域の隔離や時間の経過だけでは発生しない。元々の基礎となる部分に相違があるからである。

 時間や地域の隔離だけが原因なら、そこに生じるのは方言というべき相違だけである。だから北京語などの言語間の相違は、地域や時間の隔離によるものだけではない基礎的な違いがあると見なければならない。基礎的な違いとは各言語を話す人たちの出自の相違すなわち民族の相違である。北京、広東、上海、福建などの言語の相違は、その人たちの民族の出自の相違によるものである。このことを以下の項で見ていく。


2.11 南方中国語諸方言の分布

 現在の中共のいわゆる漢語圏とされる言語は、北方の「北京官話」と南方の「南方中国語諸方言」に大別される。まず南方中国語諸方言について検討する。「世界のことば」Gに漢語の分布図がある。これを現在の中華人民共和国の省と台湾の地図に重ねると面白いことがわかる。

呉方言;上海語・・・江蘇省南半分と浙江省

閩方言;福建語・・・台湾、福建省、海南島

粤方言;広東語・・・広東省、北部の一部を除く江西省

客家方言;客家語・・・広西省と湖南省の境界地帯、江西省南端の一部と福建省南端の一部

韓(字見つからず、仮字)方言・・・江西省と安徽賞南部

湘方言・・・湖南省北部

 この本には圧倒的に多くの面積を占める、残りの地域の言語には言及されていない。チベット、ウイグル、青海、甘粛、内モンゴルなどは明らかにチベット語、モンゴル語、ウイグル語などの非漢語が使われている。しかし河北、山東、山西、河南、寧夏、陝西、湖北、貴州、四川、雲南などの地理的には中共中央部の大部分を占める地域の言語の種類が書かれていない。まさか全てが一律に北京語が使われてるというわけではあるまい。また一般に黒龍江、吉林、遼寧の旧満州国に属する地域は北京語を話すとされているがこれについても言及されていない。

 またこの文献にも中国語の方言は言葉が異なり「もしも漢字という紐帯がなければ、中国はいくつかの言葉がせめぎあう今日のヨーロッパのような状態になっていただろう、と想像する人は多い。」と書く。これは認識の誤りである。支那が国民国家らしく統一されたのは歴史上現在が始めてである。黄文雄氏や岡田英弘氏らが指摘するように、統一帝国と言われる清朝や元ですら皇帝はモンゴル、チベット、満洲、「漢民族」地域などの複数の民族国家群の名目君主であって、統一的に支配していたわけではない。例えば清朝の皇帝とは支那に対しては清という王朝の皇帝であり、モンゴルに対しては大ハーンである。

 支那人はモンゴルや満洲には住めないのである。この支配形態はヨーロッパの神聖ローマ帝国に似ている。国境の無いひとつの神聖ローマ帝国があったのではない。正確ではないがドイツ、フランス、オーストリアという支配領域があり、それらの代表として神聖ローマ帝国があった。別な文献にも中共と台湾の言語分布が示されているJ。「世界のことば」は地図の描き方が正確ではないがこちらの文献では、現在の省区分と正確に対比されている。これによれば、先にあげた6種類の言語は包括して南方中国語諸方言と呼ばれている。この文献に示された南方方言と地理の関係を以下に示す。

呉方言;上海語・・・江蘇省南の一部と浙江省

閩方言;福建語・・・台湾、福建省、海南島と広東省の東の一部

粤方言;広東語・・・広東省西部、北部の一部を除く江西省

客家方言;客家語・・・江西省と広東、福建省の境界地帯、他に福建省に散在するほか広く周辺各省に散在する。

韓(字見つからず、仮字)方言・・・江西省と湖北省の南東部の一部

湘方言・・・北西の一部を除く湖南省

 以上のように両文献はほぼ一致する。後者の文献では省の区分と言語分布が重ね合わせてあり、より正確に読み取れる。Wikipediaによれば福建語の音は日本語の「音読み」に似ていて、北京語とは異なるために福建語は古中国語の残存が見られるという。例えば目・モクは北京語でイェン、福建語でバクという。走・ソウは各々パオ、ツァウという。子音からしても北京語は特異である。

 だがこれには注意を要する。日本語の訓は遣唐使の唐代に輸入された発音である。別項で述べたように隋、唐の漢字の読みすなわち切韻はそれ以前の漢字の読みと異なり、二重子音を持たない鮮卑系の音声である。つまり古中国語といっても隋唐の時代のものである。このように「中国語」の発音には少なくとも隋唐以前と以後、そして北京語の三系統はあることになる。民族にも最低限これに対応する数の種類があるはずである。現在の漢字表記に隠された発音には民族の分布が隠されている。ヨーロッパとのアナロジーでいえば漢字でも簡体字と繁体字に分かれる。

 例えばロシア語がキリル文字であり、同じアルファベットでもフランス語のアクサン・グラーブ、ドイツ語のウムラウトといった発音表記の若干の相違がある。発音に至ってはゲルマン系でもドイツ語のwが英語のvに相当するような相違がある。このように言語の表記発音分布でも複数の「中国語」とヨーロッパの各言語にはアナロジーがある。

2.12 北京官話の分布

 北京官話に移ろう。北京官話系の北方言語の分布は前項の残りの地域のうち

河北、山東、南の一部を除く江蘇、南部の一部を除く安徽、山西、河南、寧夏、陝西、南東の一部を除く湖北、貴州、四川の東部、雲南の東部、江西の北西部、甘粛である。また黒龍江、吉林、遼寧の旧満州国に属する地域は正確に含まれる。

 また北京官話はJ、

@北方官話・・・東北部すなわち旧満洲と北方(黒龍江、吉林、遼寧、河北)
 原著によっても河北はどこにも入れそうもないので仮にいれた。原著では北方官話は黒龍江、吉林、遼寧の旧満洲国領だけ。

A西北官話・・・黄土台地とその西方地域(甘粛、寧夏、陝西、河南、湖北、)

B西南官話・・・四川とその近隣地域(四川東部、貴州東部、雲南)

C東方官話・・・南京とその周辺(江蘇、安徽、山東)

 以上のように分布しているとされる。()内は私の推測である。北方官話がよりオリジナルの満洲語で、他の方言は満洲語が清朝支配以前の土着の言語の訛りで変化したものと私は推定する。フィリピン人のタガログ語訛りの英語が、タガログ語を母語としていた民族が英語を習得したためにできたようなものである。

2.13 支那大陸の言語分布と民族

 前項までに見てきた、北京官話と南方中国語諸方言の分布から、民族との関係に映ろう。これまで見てきた言語の地域分布は土着言語の相違を反映しているものと考えられる。また南方言語内の相違は異言語であるが、北京官話内の相違は方言の範囲に止まると記されている。両文献をさらに分析するとさらにこれらの言語分布は歴史的経過を反映していることが分かる。北京官話は満洲語である。「世界のことば」の閩方言の「閩」とは広辞苑によれば、五代の十国の一。後梁の世、王審知が福州を都として建てた国。三代を経て南唐に滅ぼされた。

 すると閩は10世紀初頭に福州を都とした国である。福州は現在の福建省の省都である。閩の言語が上海語のルーツとなる。その系統を探るには閩の民族を調べなければならない。いずれにしても漢王朝までの本来の意味での漢族が滅びた以上、これらの言語は古代漢語とは異なる言語であることは間違いない。呉方言の呉とは紀元前2世紀に蘇州を都とする蛮族の国の名称がルーツと中国の諸言語には書かれている。呉にはふたつあり、紀元前5世紀頃の春秋戦国時代に蘇州を都とする国と三国志の呉で南京が首都とある。

 いずれも時代は一致しないが、蘇州も南京も上海の近傍で江蘇省南部にある。南京は官話を話すので、上海語圏の蘇州とすれば蛮族と言われた紀元前の春秋戦国時代の呉ということになる。とすれば当時の蛮族の言語、非漢語をルーツとした言語であろう。しかし同じ地域に時代が変わっても同一名の国家があったというのは偶然ではない。

 例えば西フランク王国が後のフランスになったのはフランクがフランスの語源になったというべきである。ふたつの呉にもこのような歴史上の関連性があってもおかしくない。すなわち蘇州南京上海あたりの地域は「呉」と称されるべき地域であったのである。その意味でもし中共が分裂していくつかの国家群になったとしたら上海語を話す江蘇省南部の一部と浙江省に「呉共和国」ができてもおかしくはない。同一言語を話す国民国家という観点からは、コミュニケーションその他からもその方が住民にとって幸せである。

 広東語は三をサームと読むというから、必ずしも全ての漢字の読みが一音節ではないのではないか。このように漢字の読みの原則も「漢語」の各言語に相違があるのに違いないのである。だから「漢語」には複数の異なる系統の言語の集合である。だから広東語と北京語を比較すれば、南方系と北方系の相違がわかると思うのである。

2.14 支那の言語の現代表記法

 北京語広東語などの支那の言語の相違はドイツ語フランス語ほどのヨーロッパ言語の相違があり、方言と呼べるものではないと繰り返し述べた。これについて例証する。「私は日本人です」という言葉を北京語、広東語及び上海語で表記してみる。


@北京語(普通話)
・漢字表記
 我是日本人
・ローマ字表記
 Wo shi Ribenren.

A上海語
・漢字表記
 我是日本人
・ローマ字表記
 Gno zhi Zhakbnnin.

B広東語
・漢字表記
 我係日本人
・Ngoh haih Yahtbunyahn.

 ここでは語順ではなく、発音を見る。漢字表記はほぼ3言語とも同じだが、発音が全く異なることがわかる。確かに漢字は表意文字としてしか機能していないことが分かる。それどころか、「〜である」に相当する漢字も、是と係という二種類の漢字が使われている。これでは漢字は表意の機能さえしていないことになる。もし漢字を廃止してローマ字表記しても3つの言語は機能する。もともと支那における文語は漢文しかなかった。そして漢文は口語の漢字表記ではないと言った。

 ほとんどの支那大陸の住人は漢文が読めない。庶民は文字のない話し言葉だけの世界で生きてきた。ほとんどが文盲だったのはこのためてある。気の利いた一部の人が漢字の意味だけを知っていて、少しの字を並べて簡単な表現ができるといった程度であった。

 表意文字の原則を通せば、同じ漢字でも言語が違えば発音が違うのは当然である。元々支那の書く言語の発音も、漢字の読みからきているのではないから、ローマ字表記でも間に合う。この点は西洋言語と同じである。支那の言語は漢字漢文とは関係なく発達したから、発音さえ表記できれば良いから、支那の言語の表記には漢字よりローマ字の方が適しているという倒錯したことになる。

 一方日本語では多くの言葉を漢字の意味を使って作って取り入れてしまった。日本語の発音は母音も子音も圧倒的に支那やヨーロッパの言語よりも少ないから、漢字の「音読み」から作った日本語の単語の意味は発音だけでは認識しにくい。「貴社の記者が帰社した」というのは下手なジョークではない。従って日本語をローマ字表記すると意味が極めてわかりにくくなる。日本語には漢字仮名交じり表記が適しているのであって、ローマ字表記はなじまない。漢字を廃止した韓国でも同じことになると危惧している日本人識者がいるが、朝鮮語では日本語よりは母音も子音も多い。

 したがってハングルによる表音表記は馴染むのかも知れない。ただ漢字ルーツの単語は本来の意味が分からなくなる。しかし実用上は支障ないのであろう。このように「中国語」はむしろローマ字表記が適していることを理解した毛沢東はローマ字表記の運動を始めた。

 しかしすぐ気がついたのは、北京語、広東語、上海語などは別言語だということが明瞭になるということである。そしてこれらの言葉には地域性がある。するとこれらの異言語の地域はヨーロッパのように別の民族の別な国家であるべきではないかということになる。中華民族どころか、漢民族というのは複数の民族をまとめて呼称しているに過ぎない、いんちきな民族であることがばれるのだ。ちょうどヨーロッパ人と十ぱ一からげに呼ぶのと同じである。

 すぐに毛沢東はローマ字運動を中止した。先の三種類の支那の言語を漢ローマ字表記すると全く別言語だと分かるが、漢字表記だとあたかも同じに見えるのだ。そこで漢字を使う漢民族という空想に戻れる。そしてモンゴルやチベットなどだけは漢民族にあらざる「少数」民族であるということにした。多数派の漢民族にわずかな例外である少数民族を抱えた中華民族という幻想。その幻想を支えたのが漢字である。だから中共政府にはローマ字表記は好ましくない。

 しかし実態はローマ字表記の方が、はるかに実態にも合い便利である。従って支那の言語のテキストには発音を表記すると称してローマ字表記が使われている。このローマ字表記は英語などの発音記号とはやや性格が異なり、発音を表すばかりでなくベトナム語のように正規の文字表記となる可能性がある。永い間にローマ字表記が発音記号ではなく、本来の文字表記に移行する可能性すらある。漢字は簡体字を作らなければならないほど不便なものだからである。ローマ字表記は中共を解体する底辺からのきっかけになる。

 繰り返すが、日本語の「しあわせ」をsiawaseとローマ字表記しても意味は分かる。ところが漢字から発明した「幸福」をkoufukuとローマ字表記したら、降伏、幸福、降服、口腹などの区別が困難になる。もちろん文脈から分かる可能性はあるのだが、なぜしあわせのことを「こうふく」というのか不明になってしまう。それは「しあわせ」を意味する漢字の幸の支那の読み方のひとつの「音」から借りてきた読み方をしただけだからである。

 ところが支那で幸をkouと読むとすれば、支那のある言語でしあわせを意味する言葉をkouと発音していたから、しあわせを意味する漢字の幸をkouと読んだのに過ぎない。漢字がなくてもkouと話せば「しあわせ」の意味は通じていたのである。そして漢字の読みが支那の各言語で全く異なる。幸をどこかの支那の言語でkouと本当に発音するのかは知らない。これは単に例示として言っただけであることを付記する。

 日本語では多数の言葉を漢字の意味から合成して、音読みした単語を多数発明してしまって、本来の日本語たるやまとことばの単語よりはるかに流通している。従って現在の日本語の文字表記にこそ漢字は必要である。

 ところが支那大陸の言語の漢字表記はもともとの言語の発音に、該当する意味の漢字をあてているに過ぎないから、漢字が消えてローマ字表記となっても何ら支障ない。例えばコンピュータの訳語である「電脳」という言葉は、支那の各言語で発音が異なるのであろう。しかしどの言語で発音しても「電脳」は「電」という意味の単語と「脳」という意味の単語をくっつけたということは明瞭にわかる。だから「電脳」という漢字ではなく、ローマ字だけでも単語の発明者の意図は分かる。

 繰り返すが、このように支那の言語の漢字表記に必然性はなく、ローマ字表記でも足りるのである。それならばなぜ漢字表記がなぜまかり通るのか。それは前述のように一面は中共の統一政策、独裁のための政策である。しかしそれを支えているのは圧倒的な文盲の多さであろう。教養のない地方の庶民にまで漢字表記を行きわたれば、漢字表記の不便さがわかり、ローマ字表記の便利さがわかるであろう。漢字の発音はローマ字で表記して教えられるのだから、多くの漢字の上にローマ字も覚えるよりは、いっそローマ字だけでよいということになるであろう。

 現に漢字の不便さから簡体字が発明された。だが簡体字は表記の簡素化だけであって、何万という漢字を覚えなくても済むわけではない。これに比べ24文字覚えれば済むローマ字は一般庶民には何と楽なことか。また単音節が多い支那の言語では、ローマ字表記でもさほど長たらしくはならない。なぜ北京官話の文字表記の運動である、白話運動が満洲文字ではなく漢字表記によったのか検討する。辛亥革命をになっていたのは知識人だった。知識人は言語としてはメジャーな北京官話である満洲語を常用していたが、古典の教養として漢字漢文を理解していたのである。

 さらに辛亥革命は滅満興漢を標語に行われていた。満洲人王朝打倒後の文字は、満洲文字ではなく漢字でなくてはならないのである。革命同志の言葉が北京語以外にも広東語、上海語と言葉が違っていたからこそ、同志の連帯を作るのは漢字というアイデンティティーしかなかったのである。そして漢字はかつての「漢民族」の古典に使われていたという、いんちきでも都合良い誇りもある。

 実際には血統は本来の漢民族とは異なっていてもである。そのことは現代のヨーロッパ人が血統が繋がらない古代ギリシア、ローマの文化文明を自己のものであるかのように誇るのと同じ虚構である。実際には言語風習文化などで満洲人は支那の民族を同化したにもかかわらずである。なぜ満洲語ルーツの北京語が残ったのか。仕方ないであろう。

 風習と同じく300年にわたって支配されて言語も同化してしまったのである。既に母語となってしまったのである。なぜ満洲文字が消えて漢字になったのか。それには他の原因もある。満洲文字はモンゴル文字から作られた比較的歴史の浅い文字だからである。もうひとつは清帝国全体としての文盲率の高さである。漢字にしても満洲文字にしてもどのみち識字率は低かった。そこに西洋文明を導入するために漢字による白話運動が起き、広く学校教育が行われた。空白地帯に漢字が流れ込んだのに等しいのである。

2.15 科挙は清帝国全土で行われてはいなかった

 科挙は隋の時代に始められた。3章などで述べるように、本来の漢民族が絶滅した時代に始まったのには意味がある。官僚は文章の世界である。文章が書けなければ仕事にならない。支那王朝唯一の書き言葉は漢文である。四書五経の漢文を発明した民族にとって漢文はさほど難しいものではなかったのであろう。あるいは日常的には漢文で表しにくい、複雑な文章を作ることはしなかったのかもしれない。

 しかし漢民族は絶滅して外来民族がその言語文化とともに流入定着した。その民族が言語を表記する文字を持たなければ、命令を伝達して支配する手段として漢文は官僚文として必要である。こうして新たに漢文を読み書きできる官僚を育てるために科挙を行わなければならなかったのである。本来の漢民族ではない隋唐以後には、漢文は難しい科挙により育成しなければならなかったのである。あるいは官僚の文章として複雑な文章を頻繁に作らなければならないから、四書五経の古典の学習を必要としたのかもしれない。

 ところがモンゴル帝国の元が支配すると科挙を廃止してしまった。それはモンゴル文字を持っていたからだと私は推測する。モンゴル語を全土で使う第一の公用語としたからである。しかし漢文は旧隋王朝あたりの領域、元々漢字しかなかった地域では、第一公用語のモンゴル文字とあわせて、漢字が使われていたのであろう。その証拠に旧隋王朝の領域の支那に土着していた民族が宋を建国すると科挙は復活した。正確には元末からであるが。

 すると再び北方から侵入した清帝国の場合はどうだったのだろうか。別項で述べるように、元と同じく満洲人も領土の2元支配を行っていた。英国のヴィクトリア女王がインド皇帝を兼務していたように、モンゴルに対しては大ハーン、支那に対しては清朝皇帝を兼務して君臨していた。従って正確には清朝とは支那だけにおける国号というべきであるが、現在では満洲族の帝国を現す名称が残されていないために、便宜的に清朝と呼ぶしかないのである。

 そこでこの項ではモンゴルなどを含む満洲人の帝国を清帝国と呼び、支那に対する支配者としての王朝を清朝と呼ぶことにする。ここで使った「支那」とはどこを指すのであろうか。清帝国は明朝を倒して支那を支配する。支那に対しては明朝を継承したのである。従ってここでは支那は旧明朝の領土と民である。明朝では漢文が公用文として使用されていた。だから公文書に漢文を使うために科挙が行われていた。

 さてここで私の仮説に入る。本稿自体が全て仮説と言えるのだから、あらためて宣言することもないかも知れないのだが。清朝で科挙が廃止されずに継続されていたことは知られている。しかしモンゴル、チベット、満洲ではそれぞれの文字があったから漢文の必要はない。

 そして琉球貢表が立証しているように、対外的には第一公用語、公用文として満洲語と満洲文字が使用されていた。すると科挙が行われていたのは、漢文が使用されていた地域であり、清朝すなわち旧明朝の領土なのだというのが私の仮説である。それでは明朝の領土とはどの範囲か。

 逆に科挙が行われていなかったと考えられる地域を、現在の中共の省などの区分で列挙する。まず旧満州国領、黒龍江、吉林、遼寧の三省である。次に新疆ウイグル、内モンゴル、チベットと青海も明らかに科挙は行われていなかった。河北省も北京の清帝国直轄として行われていなかった可能性が高い。四川、雲南、貴州省もあやしい。清帝国が元帝国と異なり科挙を支那に残したのは、自治の幅が大きかったことの他に、モンゴル文字が比較的古いのに対して満洲文字がモンゴル文字を元に作った新しい文字であったことにもよるようにも思われる。

 ちなみに科挙の最高位として皇帝自らが行う殿試があるが、康熙帝伝でも康熙帝は満洲語を話すことができる他、漢文の読み書きができたことが書かれているから、殿試はできたのである。何も試験官は皇帝なのだから、受験者よりも漢文に熟達している必要がないのはもちろんである。

 他の項で述べるように当時の読みは既に四書五経が書かれた当時とは別の、切韻と呼ばれる読み方がなされていたから、考えて見ると奇妙なものである。これは類似の読みをする欧州言語ですら、ドイツ語で書かれた文章をフランス語風に読んだら奇妙なことになることを想像していただければわかる。ドイツ語の文をフランス語風に読んだら、ドイツ人が聞いてもフランス人が聞いても意味がわからないのである。

 Hitlerはよく知られているようにイットレルと発音する。ドイツ語では逐一発音するのに対してフランス語ではhを発音しないとか、末尾のtを発音しないとか様々な相違があるから、ドイツ語をフランス語風に発音すると滑稽なことになる。科挙はこのように四書五経を作った当時の漢民族が聞いたら笑い出すようなことを大真面目にしていたのである。

 康熙帝が漢文を学んだのは価値ある古典としての漢文で書かれた古文書を読むためである。それは現在ではほとんど使われていないラテン語を教養としてヨーロッパ人が学ぶのとよく似ている。ラテン語はローマ帝国の公用語として使われていたが、その後いくつかの異なる言語に分化していって、現在では直系に近いラテン語が使われるのはバチカン市国だけであるといわれる。

 現在ではラテン語は学術用語として使われている他、水族館をラテン語の水を意味するaquaからaquariumと造語したように新語を作るのに使われている。イギリス人とローマ帝国の住人とは血統も文化も本来関係がないのにもかかわらずである。これは日本人が特に明治時代に西欧の輸入言語を、漢字を使って造語したのと酷似している。

 そして康熙帝などにとっても漢文の古典は異文化であったが普遍的古典として尊重したのである。満洲族にとって漢文は異文化であることは、清帝国では漢文の古典の全てを満洲文字を使った満洲語で翻訳させたことからも証明される。漢文は発生が古く、表意文字という特性のために他の言語の文語に比べると極めて不完全な文章だから、解釈の幅が広く著者の真意を読み取るのが困難であり自ら書くことも困難である。だから科挙という困難な試験があったわけである。

 私がなぜ清帝国の全土で科挙が行われていなかったという仮説を強調するのか。それは科挙がチベットなども含めた全土で行われていたと漠然と考えると、既に清帝国の時代に清帝国の全土が漢字文化化されていた、すなわち漢民族化されていたという誤解がされかねないからである。

 また支那すなわち清朝は清帝国の一部に過ぎないことを明示したかったのである。あくまでも科挙は清帝国の一部地域の限定版であった。中共がチベットやウイグルなどの旧清帝国の領域を領有するのは単に軍事的暴力のゆえんであって、歴史的正当性のゆえではないというのである。すなわち植民地インドが英本土を呑み込んだようなものである。満洲人は支那人に比べわずかであったから、呑み込まれても仕方ないと言うなかれ。英本土の人口と植民地インドの人口の比率を考えたら、そんな理由は成り立たないことは明瞭である。

2.16 北京語とは支那言語訛りの満洲語である。

 2章の最初に述べたように、mandarinは北京官話と訳される。北京官話とは、北京の宮廷で使われる言語の事である。大雑把に言えば、現在の北京語すなわち、支那の標準語は北京官話をアレンジしたものであると言われている。北京官話が宮廷で使われている言葉であるとすれば、最後の北京官話は満洲語である。これまでに論じてきたように、少なくとも康熙帝の時代には宮廷では漢人といえども満洲化して、満洲語を話していた。康熙帝伝の宮中では、使われている言語と言えば満洲語と漢文しか登場しない。漢文とは繰り返し述べたように、四書五経のような書き言葉であり、広東語のような話し言葉とは何の関係もない。そして乾隆帝の時代の公文書は満洲文字を使った満洲語で書かれていた。

 さらに難解な漢文の四書五経などの支那の古典は全て満洲語に翻訳されていた。この意味するところは明瞭であろう。現在の北京政府が普及しようと努めている標準語、普通話とは、満洲語を基礎としたものなのである。満洲語を話す漢人が、魯迅などの白話運動によって漢字表記ができるように改良されたものである。この事は日本でも明治期に、二葉亭四迷などによって、これまでの文語体しかなかった文章が、落語などの江戸言葉を基礎として口語文に改良され、これが基になって標準語が出来た経緯と似ている。いや、白話運動とは日本語の口語文成立の過程に触発されたものなのである。

 繰り返し述べたように被支配民族は強制であれ自発的であれ、支配民族の言語を習得するものなのである。しかし土着の言語があるから、その言葉は土着言語の訛りがある。例えばフィリピンやパキスタンの英語はフイリピングリッシュとかパキスタングリッシュとか揶揄される。これはフィリピン訛りあるいはパキスタン訛りの英語、と言う意味である。我々が現在中国語と称している支那の標準語とは、支那訛りの満洲語を改良したものなのである。英語で北京官話の事をmandarinと書くのは満の音をなぞったものと私は想像している。

 康熙帝以後の北京で満洲語が使われていたことを証明する資料はない。しかし康熙帝時代まで北京を首都として百年近く経つ。このころまでに北京の宮廷では満洲化した漢人が当たり前になるほど、満洲文化は普及したのである。当然満洲化した漢人や宮廷に出入りする漢人によって、これらの満洲文化は周辺地域に広く普及していった。この事は言語ばかりではなく、支那服や京劇が満洲文化オリジナルであることからも証明されるように、満洲化の傾向は康熙帝以後強まる事はあっても弱まる事はないと考えるのが自然である。さらにその後の乾隆帝の時代にも、公文書が満洲語で書かれていた事は「琉球貢表」で証明した。満洲人が漢化したと主張する人に聞きたい。支那服や京劇をあたかも漢民族文化であるごとく主張する現代中国人の倒錯をいかに説明したらいいのか、と。

 東洋で英国やフランスの植民地だった地域は言語や文化まで宗主国に染まっていたのと同じことが支那大陸ででも起きていたのである。そう。支那は満洲人の植民地だったのである。孫文らが滅満興漢と叫んだのは、彼らの独立運動である、との意識の表れである。独立を果たしてもインドが公用語として英語を採用しなければならなかったのと同じ事情か中華民国や中共にも起きた。インドやパキスタンあるいはフィリピンではそれぞれ、ヒンズー語やウルドゥー語あるいはタガログ語がメジャーであるとはいえ、多言語国家国家である。そこでどの民族語に属さずに、既に習得もなされている外国語たる英語も共通言語としての公用語に採用されたのである。

 このアナロジーが支那大陸でも発生した。漢民族といっぱひとからげにいっても、広東語、上海語といった多言語の地域である。そこで共通語として採用されたのが首都北京周辺で一般化していた支那訛りの満洲語を採用したのである。同時に、孫文などの辛亥革命の指導者はそれこそ満洲文化にどっぷり浸かっていたのである。袁世凱にしても漢人とは言え、清朝の軍人であったから、宮廷に出入りしていたから満洲文化が当然身に付いていたのであろう。同じく支那大陸を支配していたモンゴル人との違いは何か。モンゴル人は帰る土地を持っていたのである。すなわち朱元璋が反乱を起こして、元朝を倒すとハーンはゴビ砂漠の北方に逃げ、そこに王朝を移動した。明朝成立以後でもモンゴルの皇帝のハーンは存在した。モンゴル王朝は支那の支配を止めて故地に帰ったのであって、消滅したわけではなかったのである。

 当然北京周辺には、モンゴル化した漢人はいたのであろう。しかし彼らは漢人の報復を恐れて家族ごとモンゴル人について行ったのである。モンゴル化した漢人のモンゴルへの帰属意識がいかに強かったかについては、明朝に投降を呼びかけられた南方の漢民族出身の元朝の軍人の多くが投降を拒否して処刑されたことからも分かる。彼らは南方にいたために皇帝ハーンと共にモンゴルについて行くことが出来なかったのであろう。一方清朝最後の皇帝の愛新覚羅溥儀は袁世凱に騙されて北京の紫禁城に残る道を選んだ。恐らくは故地の満洲の地がロシアに軍事占領されていたり、漢人が入植していたりして、もはや帰るべき土地ではなくなっていたからでもあろう。こうして満洲人は満洲化した漢人に混じって支那北部に土着していった。それがモンゴル語が内モンゴルという一部地域に限定される地方言語になったのとは逆に、標準語として採用されるようになったのは皮肉である。

 インドやパキスタンで英語が公用語であるとはいっても、英語が通用するのは首都などの大都市周辺だけである。実際には香港では広東語が話されているように、標準語による統一が成立するとは私は思わない。現に日本で発行されている中国の反体制新聞の「大紀元時報」(平成22年8月12日付け)は、広東語擁護を掲げ市民抗議デモ、という記事を書いている。ここには「広東語は、海外の華僑圏でも広く使われている言語であるとともに、最も古い中国語の要素が残っている方言として、北京語を基礎とした普通話(標準語)が代表する文化とは大きく異なる固有の文化を育んできた」という興味深い記事がある。さらに「彭氏は、普通話は満洲族の言語の影響なども受けた北方方言の一つであるのに対して、広東語は二千数百年前の春秋戦国時代からすでに存在しており、文化的基盤が深淵である上、広東語のほうが真の中原文化を伝える言語であると述べた」と書く。私はこの主張を「普通話は北方方言の影響を受けた満洲族の言語である」とひっくり返しているのである。

 大紀元時報の主張はあたかも、たかだか数百年の支配の歴史しかない満洲族の言語文化を拒否しているようではないか。そして滅満興漢の主張のようではないか。話を基に戻すと、支那大陸では二千年続いた北方民族の侵入の繰り返しにも拘わらず、言語の分化は強くなっているように思われるのである。そして北方民族の侵入と土着化による多言語化はむしろ満洲王朝は例外ではなく、多くの異民族王朝の崩壊に伴う一般的な現象なのである。つまり広東語や上海語などのいくつかの言語のうちの多くは、かつて倒れた王朝の民族の残滓である。つまり支那大陸の言語の分布はかなり民族分布を代表していると考えられる。その事はヨーロッパの現在とのアナロジーがある。つまりドイツ語を話すドイツとオーストリーはゲルマン民族であり、フランス人はラテン系の民族であると言ったように、言語と民族の分布には、全くイコールではないにしても相関関係がある。

 こう考えると支那大陸に侵入した北方民族の興亡としては、満洲人は標準的な過程を経過したのであって、モンゴル人が例外なのである。現在漢民族と呼ばれる人たちのほとんどは漢字文化を成立させたオリジナルの漢民族からいえば、侵入者たる異民族だったのである。その点で満洲族が漢民族の一部である、と言われるのも逆の意味では当り前であろう。私がオリジナルの漢民族と考えているのは客家と呼ばれる人たちである。しかし客家語は必ずしも広東語など他の言語のようのような明瞭な地域分布がない。あるいは客家と呼ばれて中国各地に分布している場合が多い。つまりオリジナルの漢民族は外来民族に蹂躙されて、大陸の各地に分散したのである。このことは、ユダヤ人と似ているともいえる。外来民族が定住の地を得たのに対して本来土着とも言える民族が定住の地を持てないというのは皮肉である。

 ちなみにモンゴル語だけが明瞭に非漢語であるとされるのは単純な理由である。前述のように、ともかくも北方に逃亡して支那大陸以外に民族国家を維持し続けたからである。だから内蒙古と書こうとも、支那にいるモンゴル人はモンゴル人であり漢民族ではない、とされるのである。別項でも述べたように支那大陸の歴史や言語はやはりヨーロッパとのアナロジーで考えるのが正しいのである。
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~k-serizawa/sub2-2.html

3章 漢民族滅びる

3.1 地形と国家

 国境はアフリカのように、植民地の旧宗主国が人工的に分割したのでない限り、山脈や河川により区切られている。日本の江戸時代の藩や現代の県境についても同様である。すなわち藩の境界にしても戦乱を繰り返したことにより確定したものである。天然の障害が、文化的交流を困難にするとともに、戦闘の際に越えがたい障害ともなってそこが妥協点となるからであろう。

 今、ヨーロッパの地図を見るとアルプスをはじめとする高山が多い。これに対して歴史的に漢民族が住んでいるとされる地域は、日本よりはるかに広大であるにもかかわらず、三千メートル級の高山は少ないばかりか、山脈と呼ばれるものはあるものの、連続していて障害となると考えられるものは少ない。これがヨーロッパに多数の国民国家が分裂して定着し、支那大陸が多数の国民国家に分裂して定着しない一因を成していると考えられる。同一言語の民族でもドイツとオーストリアが分かれているのも平地の民族と山岳民族という相違があるのであろう。山岳民族は地の利を生かして、平地民族の侵入を防ぐことができる。

フランスとドイツは異言語異民族であって、紛争が起こりやすいのは地形的障害が少ないからであろう。現に第二次大戦の際にドイツ軍は中立国のベルギー経由したのも地形的障害の少なさが電撃作戦を可能にするからである。朝鮮は半島という要因ばかりではなく、チャンパイ山脈などの障害があったことが、属国とは言っても中国に対する文化的独立性維持と異なる国家であることを可能にした。

 中国が統一と分裂を繰り返し、適正規模の国民国家に収斂しない不幸の一原因は「漢民族」居住区の平坦な地形にある。軍事技術の優れた周辺の蛮族が中原に侵入して豊かな富を手にすると、漢民族地域ではない周辺地域に一気に膨張した。かえって中原より統一を起こした国家、宋や明にはそのような活力はないから、かつての漢民族地域より大きく拡大することはない。

 唐や元、清といった周辺から起こった異民族国家が極端な膨張をして、世界帝国とも言える国家を樹立したのは偶然ではないのである。共産中国は、日本アメリカソ連といった国の軍事技術を利用して膨張し、再び清朝の版図を入手した。地形が中国を不幸にしている。

3.2 異民族の名前

 井沢元彦氏が、愛親覚羅という満洲人の姓を説明するのに漢民族に同化したと述べた。これはおかしい。一字の漢字姓にせずして同化したとはいわない。
 「東洋史通論」Kに次のような記述がある。

・・・異民族の侵入を招いた。まず西方の巴族(氏)の李雄が四川の地をとり、帝を称し国を成と号し、ついで山西北部に居住していた南匈奴族の首長で晋軍の将校であった劉淵が、山西南部の平陽によって国を漢(後趙)と号し帝を称した。

 まず気付くのは異民族であるにもかかわらず、名前が李雄や劉淵という漢民族風であることだ。実際に彼らが漢民族風の名前であった可能性は低いと考えるのが自然であろう。しかし、中国史に出てくる異民族の名前はほとんど漢民族風の名前で記録されている。これは漢字が表音文字ではないことにひとつの原因がある。

 アルファベットやカタカナなら不完全ながら、名前を言語の発音に近く表記できる。ところが漢字は表音文字であるために、音を合わせると奇妙な意味を持つことになる。漢語ではコンピュータを電脳と訳しているが、読みは英語と全く異なる。ややこしいことに漢字は意味を表すのが目的なので、電脳と書いても北京語と広東語では発音が異なる。

 中国で有名になったエドガー・スノーなどの西洋人も中国では漢字表記で呼ばれる。これはラフカディオ・ハーンが小泉八雲と自称したのとは少し意味が違う。日本では記録する際に元の名前と日本名を記録することができるが、漢語ではそのようなことは不可能である。あたかも漢民族風の名前をつけて歴史に記録するしかないのである。

 文字を持たない民族も漢文で歴史を残すとなるとこのような手法しかないのである。例外はモンゴル族であろう。チンギス・ハーンなどである。これはモンゴル人がモンゴル文字という表音文字を持ち、しかも現在も固有の国家を持っているからと考えられる。満州族も歴史には愛親覚羅溥儀などという漢民族らしからぬ漢字表記が使われている。

 だが彼らは本来固有の音の名前を持っていたのに違いないのである。だが満洲文字を失い、自らの固有の国家を失うことによって、漢民族と称される人たちの使う漢字表記に埋没してしまったのである。愛親覚羅溥儀という名前もいつか失われるのかも知れない。いつか溥儀などという名前だけで表記されるのかもしれない。

 そのときはあたかも溥が苗字で、儀が名前であるように理解される。このようにして漢文で記録される歴史では、漢民族風の名前で記録されることになる。そして満州族は漢化したなどという虚偽の歴史が語られることになる。漢文で記録された歴史上の異民族が漢民族風の名前で表記されるのは、必ずしも事実を反映しているとは限らないであろう。

 なるほど香港出身の中国人も、ジャッキー・チェンなどという西洋風の名前を本名以外に持っている中国人もいる。これは英国統治による影響であろう。それでも漢民族風の名前を失っているわけではない。漢文表記の歴史での人物が、漢民族風の名前を持っていることは必ずしも事実を反映していない。つまり当時そのような名前で呼ばれていたとは限らないのである。

 周辺の異民族が支那本土で暮らすうちに漢民族に同化したというのは事実ではない。歴史が漢文で記録されたということに過ぎない。彼らの名前も言葉も風俗も文化も失われたわけではない。むしろ漢字を発明した、本来の意味での漢民族は異民族に埋もれ、事実上絶滅したのに近いといえるのである。

 漢以前の記録の支那人の名前と隋唐以後の名前に差異はないか、漢以前は苗字二字以上ではなかったかを確認する必要があろう。現在の漢民族風の名前の付け方は漢王朝成立当時は蛮族と呼ばれていた周辺の異民族の風習ではないかを確認する必要がある。

3.3 清朝皇帝像の謎

 私は故宮博物院紫禁城出版社の出している「清代皇帝像」という絵葉書集を持っている。太祖ヌルハチから始まり溥儀で終わる清朝皇帝12人の肖像である。溥儀が写真である他は全て肖像画である。何人かは生存中に描かれ、何人かは没後のものである。ひとつの特徴はこの手の肖像画にありがちな顔つきをそれらしく美男子やら威厳のある顔に変えたという形跡が皆無であることである。ヌルハチは眠そうな細い目をしているし、道光帝は極端に頬のこけた浅黒い逆さラッキョウのような貧相な顔であるし、威豊帝、同治帝は狐のような目つきである。

 強いてよく描かれているとすれば、乾隆帝と次の嘉慶帝であろうか。それでも乾隆帝は目の落ち窪んだ様子までリアルに描かれている。とにかく皇帝らしく格好よく見せる誇張の様子が感じられないのである。もう一つの特徴はそれ以前の東洋絵画にあまり見られない写実さである。ヌルハチ像は線描を多用しているものの顔の立体感の表現がある。そして世代を経るに従って線描が徐々に陰を潜め、特に顔の立体感がよく描かれリアルになる。この変化が徐々に起きているところを見ると、生前描いていない像もそれほど後になって描かれていないことが推定される。

 有名な若き乾隆帝の馬上の像の乾隆帝大閲図は郎世寧(ジョゼッペ・カスティリオーネ)はイタリア人で有名な馬上の乾隆帝を描いている。帝自身や着衣は写実的だが馬や背景の風景になるとそれ以前の支那の絵画の形式的表現を残しているように思われる。郎世寧は西欧絵画と支那の絵画の融合を図ったとされることが原因であろう。

 画家は宮廷おおかえの絵師と説明されているから、絵師は必ずしも郎のような西洋人ばかりではないだろう。先に支那絵画との融合を図ったと書いたが、郎がベースとした支那の絵画は、それまでの支那のより細密で異なると思われる。郎は満洲族の絵画の伝統を引き継いだ可能性がある。

 それまでの支那の絵画がお粗末だったとは言わないが、これらの歴代皇帝像は絵具の製造など高度なテクノロジーに支えられているのである。すなわち満洲族が蛮人と呼ばれるような低い文明で、武力だけで支那大陸を支配したという常識は誤りであることを証明する。そして圧倒的少数で最大の版図を築いたのは軍事技術にも優れていたことも証明する。すなわちそれまでの明代の支配者よりも高度な文明を持ったのが満洲族であったのである。

 むろんこれらの絵画にそれまでの支那大陸の絵画との共通性があるのは、地域的近親性から不思議ではない。そして満洲族の文明が支那大陸の文明の発展形であったとしても不思議なことではない。現代の文明の覇者である米国の文明にしてもヨーロッパ大陸の発展形であるが、そのことが現代米国の文明の高さを否定するものではない。

 米国の優れた軍事技術の多くはヨーロッパ特にドイツの技術の継承である。しかしその上にコンピュータやインターネットと言った独自の技術を生み出した。ハリウッド映画も同様である。もちろんヨーロッパやロシア、日本などの優れている部分もあるが、マクロに見れば米国の優位は疑えない。当時の満洲族あるいは元朝のモンゴル族は世界にそのような地位を占めていたはずである。

 それどころか満洲族やモンゴル族は宋や明に侵入する以前から独自の優越した文明を涵養し、その力で宋や明を滅ぼしたのかもしれない。現に支那服や京劇などの中国文化とされるものは明らかに満洲族のオリジナルであり、むしろそれ以前の「漢民族」のオリジナルの文明文化の痕跡は少ないとさえ言える。

3.4 漢民族とは何か

 漢民族とは一般には漢字を使う民族であるとされる。考えてみれば、それは他の民族の区分と比較すると実に不思議なことである。ヨーロッパ大陸の民族は東方のキリル文字を使う民族を除けば、皆アルファベットを使用している。だが彼らはアルファベット民族とか、ヨーロッパ民族と呼ばれることはない。

 漢字は単に意志の伝達手段としての文字に過ぎない。アルファベットが表音文字としての普遍性を持ち、そのためベトナム語など全くの非ヨーロッパ民族の言語の表記にさえ使われる。同様に漢字も普遍性を持つために、朝鮮や日本などの異民族においても長い間公式文書に用いられてきた。単に表記手段として用いられてきたばかりではない。日本では漢字仮名交じりという簡易表記を発明していたにもかかわらず、公文書としては長く漢文そのものを用いていたのである。にも関わらず日本人や朝鮮人は漢民族とは異なる。漢民族を先のように定義するとこのような矛盾が生じる。

 ここでヨーロッパにはアルファベットを共通の文字を使用する、ラテン系、ゲルマン系などという異種の民族がいるということを支那大陸に演繹するとどのようなことになるか。明らかに異民族とされる中国の少数民族、チベット族、モンゴル族など以外にひとくくりされる漢民族とは何者だろうか。漢民族もアルファベットを使うヨーロッパと同様、事実は複数の異民族に分かれていると考えた方が自然である。すなわちフランス語、スペイン語、イタリア語などのラテン系の言語の民族、オーストリア、ドイツなどのゲルマン系の言語を使う民族、オリジナルはゲルマン系の言語である英語を話すイギリスなどと比較するとどのようなことになるか。

 漢民族といっても、北京語、上海語、広東語、福建語などの各種の言語がある。これらは一般には漢語の方言とされるが、その際は日本語などの方言と違い、先にあげたヨーロッパ諸民族の言語と同程度の差異があり、他の漢語方言の習得には慣れという程度では間に合わず、語学校に通わなければならないという。あるいはアメリカに居住すればネイティブの漢語ではなく、英語を共通の話し言葉として使用するほうが便利であるという。ヨーロッパの民族構成と言語も歴史の経過により複雑である。同様に複数の言語がある漢民族と呼ばれる集団においても、その民族構成は単純ではあるまい。

 そして多数の異民族の侵入と征服、定住や移動という、ヨーロッパ大陸と類似した歴史を持つ支那大陸において、漢民族という単一民族が存在するというのは、むしろ考えにくい。中国人の作家柏楊氏は「醜い中国人」(カッパブックス)で中国では、外部から侵入した民族は定住すると中国の漬物甕文化に溶かされて腐食して異物に変質同化していく、と批判した。

 これは倒錯した仮説である。この説によれば中国には古来、漬物甕のような不変のものが元々存在したということになる。つまり文明なり、文化が時間の経過とともに進歩しないで元の姿に戻るということだからだ。昔から不変の文明を持つ漢民族なるものがいて、異民族を同化するということだからだ。はヨーロッパの歴史からわかるように、このようなことはあり得ない。

 日本人でさえ狭い地域で、多年かかって多数の民族が日本語という共通言語を醸成して単一民族と言われるに至った。それでも一部の人たちに言わせれば、日本人が単一民族というのは幻想であると言う。まして多数の言語が融合しない漢民族が単一の民族であるというのは、漢字の不可思議さが醸成した壮大なフィクションである。まして先に挙げた多くの漢語と呼ばれるもののうち、漢字で表記することのできるものは、北京語、広東語などごく一部である。また現代の漢民族の大部分は漢文を全く理解できないというに至っては、漢字を使うのが漢民族という定義は意味をなさない。

 漢民族とは漢字を使用する民族である。とすれば単に漢字を借用して口語を表記しているだけの現代支那人は漢民族ではない。アルファベットを使用するヨーロッパ人がひとつの民族ではないのと同じである。ヨーロッパ人はギリシア文字から発達したアルファベットを借用しているのに過ぎないのと同様である。またベトナム語が現代ではアルファベットを使用しているのと同じである。アジアとヨーロッパの違いがあるというのは間違いである。ギリシア、ローマはアラビア文化を経由して隔絶している。

3.5 民族名の消えていく支那大陸史

 支那大陸の歴史にはヨーロッパの歴史と異なり、固有の民族名というものがめったに登場しない。例外は満州族とモンゴル族だけである。あるいは登場しても瞬時に消え去る。すなわちみな蛮族か漢民族に分けられてしまう。しかも女真族というのが満州族というように勝手に変化するので固有の民族の連続性がわからない。

 西洋史のようにアングロサクソンというように継続して存在しない。魏呉蜀などという異民族は後世の漢字名で呼ばれる。するとあたかも漢民族だけが普遍でその他は生まれてすぐ消えるように思わせてしまう。例えば北方の異民族が支那本土に侵入して魏という国を作る。そして周辺の国、呉蜀などと争う時代が来る。

 その物語が始まった頃は魏が漢民族ではないなどということは忘れられ、あたかも漢民族の国家の如くなってしまう。中国の王朝は一字の漢字で表されるというのだ。イギリスでケルトが追い出されて別な民族に置き換わったなどというような歴史は支那では書かれない。異民族の侵入にさらされている歴史を繰り返すのに、支那大陸の中原を支配するのは常に漢民族という奇妙な現象となる。

 そうではない。支那大陸では各民族は漢民族に同化したのではない。各民族は固有の言語風俗を維持しつつも漢民族を自称するようになったのに過ぎない。この点は各民族の出自を持つ皇帝が異民族を支配統一するのに都合がよかったのかもしれない。いずれにしても歴史が比較的新しい元や清においては満洲族やモンゴル族といった異民族支配の記憶が新しいために、異民族により支配された国家として正しく理解されているのはせめてもの救いである。

 モンゴル人は王朝崩壊とともに原郷に帰ったためにモンゴルなる民族名が残った。しかし清王朝は辛亥革命により倒れても、袁世凱にだまされて北京に残り、故地満洲に帰らなかったために、満州族の名前は中共政府により薄められて、漢民族に同化したなどと吹聴されている。事実は満洲語が北京語として支那全土に強制されることにより、支那大陸全土が満洲化されようとしているのだ。

 だから多くの異民族、広東、福建、上海などの民族は実は自らの民族言語を放棄せずにしたたかに生きていくであろう。支那大陸ではそのような歴史が繰り返されてきたのだ。だからチベットやウィグルなども含めた、統一中国における中華民族なる概念を創出しようなどという試みは失敗するだろう。いや失敗しなければ大陸住民にとって大いなる損失と不幸を現出する。ソ連ですらロシア人による異民族支配は失敗した。

 ここでヨーロッパと比較してみよう。フランス人、ドイツ人は民族名ではない。にもかかわらず、歴史の経過のなかで固有の言語と文化を形成してあたかも一民族であるかのようにして国民国家を形成した。西ヨーロッパの本来の民族名はゲルマン、ラテン、アングロサクソンなどである。

 支那においては越人、鮮卑、突厥など中原以外から侵入した民族が定住した。これらの名称は時代により異なる民族を指していることがあるから、ラテン、ゲルマンなどに比べると普遍性は少ないが、ともかくも支那の歴史においてはラテン、ゲルマンに相当する民族名と考えてよい。そして長い歴史の経過の中で広東語、上海語、福建語などの言語に分化するとともに、各々固有の文化を持ち、特定の地域に定住するようになった。例えば広東料理、北京料理など食文化の面でも固有のものに分化している。日本人はこの差異を軽視しすぎるのである。

 これらの言語と地域の関係は2章で詳説した。するとフランス人、ドイツ人と呼称するのと同様に、広東人、福建人と呼称することができるのである。さらにいえばヨーロッパとの類推からは広東国、福建国という国民国家が将来形成されても不思議ではないのである。現在の中共は清帝国と同様に多数の異文化地域を強制的に統合し、さらに清帝国でも行わなかったように、中華民族という概念を創出して巨大な国民国家を作ろうとしている。このことは徒労である。モンゴル、チベットはもちろん、「漢民族」が住んでいると言われる地域においてすら、前述のように広東、福建、上海といった異文化が融合せずに対立している。

 現在の中共の状況はヨーロッパにあてはめれば、国民国家出現前の神聖ローマ帝国のような統一ヨーロッパ帝国と似ている。本来の意味での漢民族が滅亡した後から現在までの支那大陸の千五百年の歴史は停滞と混乱の歴史であった。しかし停滞の底で秘かに固有の文化を持つ地域に分化して、将来の噴出を待つマグマを形成している。停滞は表面的なものであったのに過ぎないかもしれないのである。この意味でも支那はヨーロッパである。

3.6 満洲化した漢人

 日本には、支那大陸には漢民族が定住していて、外来の異民族が支配しても長い間に漢民族に同化されるという定説のごときものがある。例えば、評論家の石平氏は次のように書くP。

 大陸の漢民族は、その長い歴史において、侵入してきた外来民族によって支配されたことが何度もあるが、外来民族の建てた政権が崩壊してしまうと、漢民族自体は何も変わらず、そのまま生き延びてきたという実績がある。
 しかもその際、変わってしまったのはむしろ支配者としての外来民族の方である。たとえば満州から中国本土に入って清王朝を作った満州族の場合、数百年にわたって漢民族を支配しているうちに、彼ら自身はその文化的純粋さと原初性を失って完全に漢民族に同化されてしまった。気が付いたら、独自の文化を持つ満州族というものはもはや存在しなくなっているのである。

 昔から今までずっと漢民族が大陸にいる、という俗説を信じればこの主張は正しいかに聞こえる。だが、論理的に考えれば明らかにおかしい。紀元1世紀前後に漢民族なるものが成立したものとすれば、その時既に、漢民族なるものの、言語、風俗、文化なるものが完全に確立していて、その後全く変化がないのでなければこの説は成立しない。

 つまり二千年前に現代と同じ漢民族の文化、風俗、言語を持っていたという奇妙な主張になるのである。そんなことはあり得ないのは普通の頭脳の持ち主なら分かるはずである。この主張は支那人が尚古の精神、すなわち昔の昔の文物や制度を尊ぶことを言うのと類似の主張である。古代には理想が実現されていたというのである。これは幻想であって現実ではない。これが間違いであることを閲していく。
 康熙帝伝に次のような記述がある。

「朝廷の尊貴の子供達と韃靼人と『韃靼化した漢人』すなわち韃靼人の麾下に即する漢人の中で、・・・」 (P67)「パルナンは満洲人に仕える奉公人を二種類に分けて、次のように述べている。『これらの公子 (宗室の)たちに仕える奉公人を二種類があります。・・・かれらに賜わる満洲人、もしくは満洲人化した漢人であります。』」 (P182別注)

 つまり満洲人化した漢民族が満洲貴族に奴婢として使われているという驚くべきことが書かれている。一般には支那大陸の周辺民族は支那に定住することによって漢民族に同化するということが言われる。ところが黄文雄氏は逆に、「華化」は虚構、漢民族の夷化が真実、として漢人がモンゴル、日本、満洲などの風習に容易になじむ例をあげる。康熙帝伝はそれが事実であることをフランス人ブーヴェの証言で証明している。

 前述のように、北京語のルーツは満洲語である。すると康熙帝伝の証言を適用すれば、現在、北京語を話す中国人とは満洲人ないしは満洲化した漢人ということになる。ハワイにいる日系二世や三世はほとんど日本語を話せない。特に三世などは全くだめである。だが容貌は全くの日本人である。彼らは日系であるというのは人種上の区別だけで、英語を話しメンタリティーもアメリカ人である。完全にアメリカ化している。日系というのは容貌だけのことである。

 同様に満洲人化した漢人とは満洲人に等しい。康熙帝伝でブーヴェが奴婢でも満洲人と満洲化した漢人とを区別しているのは注目される。風俗と言語が満洲化していて外国人にもその区別がつく、という事は恐らく容貌上で区別がつくということしか考えにくい。つまり、同じ東洋人でも日本人とフィリピン人程度の容貌の差異が、当時はまだあったのではなかろうか。現在では同じ満洲語 (北京語)を話すもの同士が混血して区別がつかなくなっているのであろう。つまり北京語を母語として話すひとたちの居住する地域は、満洲人の居住区ということになる。ハワイの日系人と同様に、もとの民族のDNAは関係ないのである。

 常識では支那大陸では異民族が侵入して王朝を建てても、長く定住化しているうちに土着の漢民族に同化して漢民族化していく、ということになっている。しかし康熙帝伝の証言は、逆に土着の民族が外来の民族に同化していったことを証明している。これを敷衍すれば、支那大陸の歴史はこのことの繰り返しであったと考えられる。

 このように考えると、次のような仮説が成立する。中国には広東語、福建語、上海語など全くことなる言語を話す地域の区別が厳として存在する。歴史のかなたに忘却されているが、これらの地域は周辺から侵入した異民族が支那に王朝を作って、定住していった痕跡なのである。広東、福建、上海などの各地域に居住する漢語系の言語を用いる人たちを、通常、チベット、朝鮮、モンゴルなどのいわゆる少数民族と区別して、漢族と総称しているが、実は漢族などという民族は存在せず、それぞれの言語に対応した民族に分かれているのであろうと考える。

 漢語族言語とひとくちで言っても、アルタイ語、タイ語、ベトナム語系など多数の周辺民族の言語の系統に分かれているという。もし漢民族なるものがいて、異民族を同化してしまって漢化しているのなら、全て同一の系統の言語に収斂しなければならない。そうではないのだから、もともと漢民族なるものが中原にいたとしても、結局は地域ごとに異民族に同化されたと考えるのが自然である。

 それならばなぜ、分布した民族ごとにヨーロッパのように各々の民族国家を形成するように収斂しなかったかという疑問が残る。そのひとつの回答は、支那大陸ではヨーロッパのような封建制度が発生しなかったということであろう。封建制度とは日本の藩と同じで、統一国家だとしてもその中に、多数の半独立国を持つ、いわば中央集権の逆のいわば拡大した地方自治である。

 類似民族ごとに半独立国をある程度束ねて、適正規模の国家を作る。ゲルマン系、ラテン系、アングロサクソン系、ケルト系など。ヨーロッパではさらに同系統の民族も、スペイン、ポルトガルあるいはドイツ、オーストリアなどのように分裂している。ならば中国はなぜ封建制度が出来なかったか。それは支那の統一志向で説明されることが多いように思われる。それならば統一志向がなぜ起こったかということを検討しなければならない。

 それは地域の特性の相違に求めなければならない。現在でも支那大陸は地域格差がはなはだしい。上海、北京などで日本にもいないような高収入の者がいる反面、地方では極貧以下としか言えない地域が広がっている。一般には改革開放による外国資本の投資によるものとされている。しかしそれなら投資されるような好環境の地域と、そうでない地域の区別がはじめから存在したはずである。

 中原と呼ばれる地域は、もともと天候や運輸などの好条件が揃っていたのではないか。だから古代文明が発生したのである。各地域にそれぞれの個性があり、各々の特性を生かして個々に発展する条件があれば封建制度は成立する。少なくとも地域格差がある程度少なければ、人はその地域で努力して定住する。中国は改革解放以前から移動の自由がない。その当時から放っておけば中原に集まってしまうほどの格差があったからではないか。支那大陸の住民は常に生活に好条件の整った中原を目指した。チベット人ですら北京を占領した。よい生活の出来る場所を目指したのである。

 支那大陸の地形的生害の少なさが、それを容易にした面もあろう。これが中国における統一志向の正体ではないか。中原に行ってよい暮らしをしたい。そして中原にいたものを追い出して皇帝一族として居座るのだ。だから各々の地域で安住して封建国家を形成することはない。これがヨーロッパとの相違なのであろう。周辺地域にいるから文化文明が低いということではない。人は条件が悪ければ努力して技術開発する。そして戦争技術に長けた周辺民族が中原をめざすのである。

 中央で安定しきって武に衰えた民族を倒す。中原を占拠した支配民族はその地の利を生かし、さらに自らの生存を安定させるために周辺地域を併呑して拡大する。すると力が拡大するから領域も拡大して統一王朝なるものに拡大する。その版図は力次第であろう。中央から追放された民族はどこかに逃れて、一地方民族として存続する。

 その分布が現在のような多言語の地域として、例えば広東、福建等として存続している。中国の言語分布はこれほど統一されても混淆することはない。それは異言語すなわち異民族という対応がある程度あるからである。漢民族なるものがあり、異民族を漢化させるのであれば、ひとつの漢語になり、現在のように異なる系統の言語が常に存続するということはあり得ないのである。

 中国の統一志向の正体は中央志向ということである。中共政府はそれを知っているのではないか。だから賢くなった政府は国民の移動を制限する。そうしなければ自分たちは滅ぼされてしまう。歴史からそう学んだのではないか。つまり支那大陸は過去の歴史に起きたような分裂をすることはあり得るのであろう。しかしそのことがヨーロッパのような適正規模の国家群に収斂することになるのだろうか。

 ソ連はロシア帝国を継承した一種の帝国である。独立国を侵略併合して各共和国群を置く制度をとった。露骨に行われたのは第二次大戦のどさくさにまぎれて行われたバルト三国の併合やフィンランドやポーランド領の一部割譲である。この点は中共が清帝国を継承したのとよく似ている。朝鮮戦争のどさくさにまぎれてチベットを侵略し、最近ではフィリピンなどからスプラトリー諸島の領有を主張して一部を強奪した。

 ソ連は崩壊してバルト三国などの多くの独立国が解放された。もし中共が崩壊したら、という仮説はソ連の例とは異なる。ソ連の崩壊はチベットや内モンゴルが独立したようなもので、単なる帝国の崩壊である。中共がヨーロッパのように適正規模の国家群に分裂するという仮説は、現在「漢民族」の居住地域と言われる、広東、福建、江南などの普通の省の地域までが言語風俗などの共通性にあわせて独立するという意味である。

 現在のロシア共和国でもチェチェンなどの異民族地域をまだ抱えているが、その事情も中共の「漢民族」地域とは異なる。この地域はロシア共和国とは異なり徹底的に異なる「民族」の地域に等分されている。中共の解体とはこれらの地域毎に分裂するということであって、ご本尊のロシアを残したままチェチェンが独立することとは異なるのである。


3.7 中国文化のルーツ

 チャイナドレス、京劇、辮髪などはすべて清朝に起源を有する。京劇の化粧は明らかに明や唐、宋の時代とは異なるどぎつい趣味である。このように中国文化と理解している多くのものはほとんどが満州族のものである。そして現在中国古来の文化なり習慣として理解されているもののうち、本稿でいう本来の漢民族すなわち漢王朝以前に遡るものは少ない。有名な纏足は唐末に始まったといわれている。19世紀の支那人の風俗として有名な辮髪は満州族に強制されたものである。

 唐の始祖安禄山は父がイラン系ソグド人(胡人)、母がトルコ系突厥人(705〜757)であったというH。そして唐王朝は民族国家ではなく、複合民族国家であるという。すなわち纏足は異文化を受け入れたのである。このことから唐は実は元王朝、清王朝がモンゴルや満州族による多民族国家であったように、それこそアラビア系民族による多民族国家であったということになる。

 宦官のルーツではっきりしているのは秦王朝の趙高という者である。趙高は秦王朝の宮廷で権力をふるったとされる。宦官は珍しく漢民族ルーツであった。しかし宦官はそもそも家畜に対する去勢から始まったため、牧畜文化であるという説が強い。従って実は農耕民族であった漢民族のオリジナルではなかったのかも知れない。あるいは秦朝自身も西方から来た遊牧民族であるという説もある。

 火薬や印刷技術の発明についても中国人の発明と簡単に言われるが、むしろ異文化交流のなかから生まれたものと言える。支那大陸をヨーロッパに例えたが、これらの支那大陸から生まれた発明を単純に中国人の発明とするのはおかしいのである。現に火薬は元朝のモンゴルで武器として発明されたのである。モンゴルの軍隊が強かったのは、このオリジナルの発明によるのも一因である。何でも中国人の発明とするのは、一部中国人の自尊心を満たすだけで科学技術や文化史研究の観点からは正確ではないと言わざるを得ない。

 支那大陸がいかに異民族と言われる征服王朝の影響を絶大に受けているかを示す証拠がある。2章で述べたように中共の言語で北京官話を使う地域は、黒龍江、吉林、遼寧、河北、甘粛、寧夏、陝西、河南、湖北、山西、四川東部、貴州東部、雲南、江蘇、安徽、山東の16省にわたる。人口にいたっては「中共人民」の大多数であるとされる。

 北京語のルーツは2章で述べたように満洲語である。だから北京語は旧満州の3省と北京を中心とする北方地域に分布する。複数の異言語からなる「南方諸方言」が北京語とは異なる言語として残ることができたのは、清朝の首都北京からの距離が遠かったためもあろう。

 もうひとつ重要なのは、清朝皇帝とは満洲人に対しては「8部族の部族長会議の議長」であり、モンゴル人に対しては「大ハーン」であり、チベット人に対しては「チベット仏教の最高の保護者」、東トルキスタンには「ジューンガル帝国の支配権を受けついた者」、そしていわゆる漢字を使う「漢人」に対しては明朝皇帝の後継の「皇帝」という多元支配をしていたこととも関連するF。それは英国のヴィクトリア女王がインド皇帝としてインドを支配していたのと類似している。すなわち皇帝の直轄地域と漢字を使う人たちの地域は明瞭に分かれていたのである。だから北京の影響力が少なく、距離の遠さとあいまって南方では独自の言語が残存する要因があったのであろう。

 距離による中央の影響力の低下という事は、フィリピンでも英語の影響が強いのは首都周辺であり、地方に行くと、多数の言語が依然として残されていて、土着言語の主力であるタガログ語で統一することはできないのと同じ事情であろう。フィリピンでは地方になると英語の影響力が少なく土着言語が残りやすかったのは、アメリカの支配が50年と短かったためもあろう。

 それでも満洲語すなわち北京官話の影響は絶大であった。300年の長い支配があったため北京官話は比較的均質であり、4つの方言に分かれているだけだが、南方では6つの異言語が融合せずに残った。もとはいくつかの異言語の言語分布があったにもかかわらず、北京語の影響力で満洲語を基層とする方言という程度の言語差に統一されてしまったのである。方言は50年や100年では定着しないであろう。満洲王朝の影響は300年近くもあったのである。その影響の大きさの証拠が多数の話す「北京語」の均質性である。そのことは南方諸方言の方言とはいえない異言語性と比較すれば明瞭となる。

3.8 被支配民族が支配者の言語風俗を受け入れるのは当然

 清朝で満洲語が話され、地元の支那人に定着して行ったということは、考えてみれば自然なことである。満洲人は支配者とはいえ漢民族に対して圧倒的少数だといわれる。しかし、そのことは、言語の影響を及ぼしたか否かということと何の関係もない。欧米の旧植民地では上流階級と知識層は全て旧宗主国の言語を話せる。

 しかも植民地に滞在する宗主国の人間は圧倒的少数であった。それにもかかわらず宗主国の言語が植民地に普及したのは、ひとえに支配層の言語だったからである。米国は19世紀末にフィリピンを支配したが第二次大戦後独立するまで、わずか50年しかなかったにもかかわらず、英語はフィリピンの公用語のひとつになったのである。300年近く支配した満州族の言語が普及しないと考えるのがおかしい。満州族の少なさと北京への定住を言うなかれ。モンゴルは北京に定住し、少数であったにもかかわらず、モンゴルの言語風俗は「漢民族」化されなかった。

 ただしヨーロッパの植民地において宗主国の言語が残存しているのが、上流階級、知識層であり、首都なり大都会の周辺である。満洲語が北京語として旧満州と北京周辺で話されているのと事情は類似している。皮肉なことに北京政府は、満洲語を全国に普及させようとしているがなかなかそうはいくまい。それならばモンゴル語はどうした、という疑問がわく。モンゴルの支配が終えてから明、清という異言語民族の支配があり、モンゴルは元朝崩壊後祖地に撤退した。モンゴル化した北京の支那人はモンゴル人とともに逃亡したのであろう。ベトナム戦争に負けた南ベトナムの人々の多くがアメリカをはじめとする世界各地に逃避定住したのと似ている。

 しかも清朝でもモンゴル地域は支配され、中共時代にもモンゴル地域の半分は支配されたのであった。中国における異言語のひとつモンゴル語はモンゴル支配の残像として残った。満洲語も北京語として残った。満洲語が中国語の一部とされて、モンゴル語が明瞭に支那の言語と異言語とされるのはなぜか。モンゴル人が故地に帰り帝国を残存させたから、モンゴルという名前が支那の外に残ったから、モンゴル語は支那人の支配下にあってもモンゴル語なりモンゴル文化と指摘できるのである。そうすると満州族と同様に唐などの異民族支配時代の民族の言語風俗はどうなったのであろうか。

 それは必ず残っているのに違いないのである。すると支那大陸における多くの言語、福建語、上海語、広東語などはかつての支配民族の言語であったのではなかろうか。すなわちこれらの言語を話すのは、かつての支配民族すなわち大陸の東西南北周辺にいた異民族が大陸を支配して、その後別の周辺民族に滅ぼされて残った民族の末裔なのであろう。

 漢民族は漢王朝末に戦乱と疫病で民族としてはほぼ絶滅し、その後周辺から乱入したいわゆる蛮族に取って代わられている。すなわち漢民族はこのとき少数民族に転落した。その後は外来民族が支配し、その支配がまた周辺民族に取って代わられるという歴史を繰り返したのである。その結果、次々と各種の言語と風俗が各地に定着したのが現在の支那大陸の民族言語地図である。つまり支那大陸は各種民族の雑居する地域なのである。そして広東語の地域は広東語の地域であるごとく、決して地域が地域外と融合することはない。ヨーロッパの類似で言えば、広東語を話すのは広東族としかいいようがないのである。国民国家が成立するとすれば、広東国としかいいようがないのである。

 それらの国が合体して中華人民共和国という帝国を構成している。毛沢東が江南の出身であったように、支配者は各地から競って次々と現れる。漢民族はいない。正確に言えばわずかに客家として残った。これが一つの仮説である。それではなぜ異民族の言語が残存したのであろうか。欧米の言語が東南アジアに残ったのと同じである。かつての支配者の言語であったことと、優れた文明を持っていたと考えられることである。満洲語が北京語として定着したのは長期間支配されていたということで十分である。満洲語は北京官話として地方に派遣された官吏の共通言語としても使われていたから普及しないはずはない。

 北京語と広東語との相違は英語とドイツ語、フランス語ほどの大きな相違で、方言といえるものではないといわれる。だがヨーロッパ系のどれかの言語を話す者が、英独仏語を外国語として習得する事は、北京語広東語を習得するよりははるかに容易であろう。だからインド人やフィリピンが英語を習得するよりは、広東語を話す者が、北京語を習得する方が容易である。すなわち「漢民族」が満洲語を習得して満人化することは大いにありうるのである。

 満州族の方が文明として優れていたと支那の原住民が考えていた証拠もある。支那服は満洲人の服装である。支那服が衣服として、高度な技術を持って作られているのは明瞭である。京劇も紫禁城の中の文物も満州族のものである。支那人はこれらの文化風俗を中国の文化遺産として誇っている。すなわち優れたものと考えている。これらのものを取り入れた原住民が、満洲語を取り入れるのは当然であり、現在も残存するのは当然であろう。満洲民族が漢民族に同化したのではない。北京語を話す漢民族と自称する人々は満洲民族に同化した人たちである。

 そんなに満洲の支配がいやであったのなら、清朝を転覆したときに漢民族の言語風俗を取り戻せばよかったのではないか。それはできないのである。清朝転覆に奔走した孫文ら上流階級、白話運動を行った魯仁ら知識階級は何百年もの満洲人の支配で言語風俗まで完全に満洲化しており、取り戻すべき漢民族文化など既に持たなかったのである。地方の民衆はともかく、高度な知識を持ち学問に優れたもの、あるいは財力のあるもの、すなわち革命の原動力を担うことのできる者ほど満洲化していたのである。ちなみに辮髪は残らなかった。すなわち良いものと悪いものは選別されていたのである。

 だから彼らの支那訛りの満洲語を北京語とし、満洲服を支那服と偽り、満洲という単語を駆逐忌避するしか、自らのアイデンティティーを満洲文化と区別することはできなかったのである。漢民族という共通した民族は存在せず、異民族が侵入するたびにそれぞれの地域に定住していった、異民族の複合であると規定すれば、中国人なるものの性格は理解できる。チベット、モンゴルなどの少数民族以外、すなわち漢民族と称される人々は概して、個人主義でエゴが強く、他人を信用せず、血族だけを信用するという、ヨーロッパや日本の現代人にあるまじき性格である。すなわち人間不信の世界である。

 大陸の歴史は、常に異民族が侵入して王朝が交替することを繰り返した。元々は多数の民族の集合であり多少の戦乱はあっても、日本では多年の同化混淆の後に安定し一民族として融合する歴史を経過した。支那大陸で繰り返された戦乱は日本の戦国時代の比ではない。社会は安定する前にすぐに壊される、賽の河原の歴史を繰り返している。社会のルール、共通した常識やモラルというものが熟成されることがなかったのである。すなわち社会に埋没して安心して暮らせる社会が決してできることがなかったのである。もし漢民族という共通したアイデンティティーがあるならば、このような不幸な社会になるはずがないのである。

 せめて広東語、福建語といった共通言語を話す社会の中だけで排他的に安定する社会を作ることができたなら、そのようなことはなかったであろう。共通言語を話す民族同士でも戦乱と統一の繰り返しの中で、共通したアイデンティティーを持つことが妨害された。だから他人を信用せず、血族だけに頼るという事が不幸な「漢民族」の唯一のアイデンティティーとなってしまったのである。彼らが安定した社会を構成するには言語風俗を共通する人々だけで個別の国民国家を構成するしかないのであろう。

 しかし長い支那大陸の歴史を閲する限り、分裂したところでそこで安定することがなく、再び統一するといった歴史を繰り返している。すなわちヨーロッパのように国民国家を形成する方向に収斂するということはないように思われる。それならば、唯一あるべき姿は、いわゆる漢民族と自称する人たちの地域と、チベット、内モンゴル、ウイグルなどの非漢民族の地域を分離し、後者がいくつかの独立国となることである。自称「漢民族」の地域は勝手に戦乱と統一を繰り返していればいいと思うのである。


3.9 漢民族滅びる

 杉山徹宗氏は次のように書くI。

 時代は下がるが、特に三国時代 (三世紀)の末期、蒙彊の諸民族やチベット族が大挙して漢民族居住地に侵入し、いわゆる五胡十六国時代(四世紀から五世紀ごろ)を現出させるが、これによって、それまでの漢民族という人種をほぼ絶滅させ、異民族との混血による新たな漢民族を出現させたことは特筆すべきことであった。したがって隋(五八一〜六一九年)から始まる現在の中国人は、新種とも言うべき漢民族なのである。

 これは驚くべき記述である。秦の始皇帝や孔子といった人たちが活躍し、漢字を発明した時代の漢民族は隋成立以前に滅んで、もはやいないというのである。なるほど中国には孔子の何代目と主張する中国人はいる。雪舟の息子が英国に行き、現地で英国人と結婚したとする。そのようにして英国で代々結婚を繰り返して残った人がいて、一方で本国の日本民族が絶滅したとする。すると英国に行った人の末裔が雪舟の子孫だと主張することは勝手だが、民族としての連続性から考えれば何の意味もないのである。紅毛碧眼で日本語を完全に忘れ、風俗文化も継承しないそのような日本人の末裔が、日本人の子孫であると主張することに何の意味もない。孔子の末裔とはこのようなものであろうと想像する。

 「東洋史通論」Kには次のような記述がある。

 五胡とは匈奴、羯、鮮卑、氏、羌の五つの異民族のことで、これらは西晋の衰亡に乗じて華北に侵入し各々国をたてて互いに抗争し約百三十年間に前後十八国(国名は略)の興亡を見た。その中、西燕は存立期間がきわめて短いために、また後魏(北魏)はのち諸国を平定して江北を統一したので、この二国を除き他の国々を五胡十六国と称する。ただし前涼と西涼、北燕は漢族である。

 これは五胡十六国時代の説明である。18国あったうちのわずか3国が漢族であり、残りは漢民族以外の異民族だと言うのだ。その上、これら諸国を異民族の後魏という国が平定して、江北を統一したということなのである。ここにも漢民族の国家が滅びたことが書かれている。通論は杉山氏の著書と異なり定説をのせた教科書的なものである。通論には滅んだ漢民族国家の民はどうしたかと言えば、大量に南下して漢文化の南方への移植を果たしたとある。元来、揚子江流域は開発は進まず、土地は肥沃であったが農耕生産も少なかった、とある。

 農耕生産がすくなければ、当然人口は希薄であったに違いない。そして漢文化が南下したということは、当時の揚子江流域には漢文化はなかった、すなわち漢民族はいなかったということである。地図を見るに揚子江は河口付近が平地であるだけで、すぐ上流と揚子江南部は山地であり黄河周辺とは地形が異なり人口が少なかったと想像される。

 そして別項で述べるように、このころ南下したのは最初の「客家」と呼ばれる人たちである。そして客家は移住先に混じることなく、独自の文化を維持していたというのは定説である。つまり南部に新たに漢民族国家を形成することはなかった。つまり杉山徹宗氏の言う、漢民族も漢民族国家も絶滅したというのは正しいといえよう。漢民族は隋帝国以前に絶滅したということは、歴史を考える上で重大な事実である。漢字と古代中国文明を発明したあの漢民族は単に消えてしまったのか。その答えは次章にある。

 中原にいた本来の漢民族は五胡十六国の時代を経て、彼らの言う夷狄により滅ぼされて言語も文化も異なる北方系の新しい王朝、隋唐の時代となる。正確に言えば秦自体の出自も地理的に言えば、春秋戦国時代にかつての周の西の外れにあったから、夷狄というべき西戎出身といわれる。いずれにしても殷周の時代あるいは秦漢の時代に中原を支配した民族を漢民族とすれば、その後漢民族は絶滅して新しい文化に置き換わった。かろうじて残ったのは漢字だけである。この経緯はギリシアローマが滅びて、彼らの文字の発展形であるアルファベットだけが残って西欧近代世界となった経緯とも類似点がある。現在のイタリア人もギリシア人も古代ギリシアローマの末裔ではない。

 ちなみに古代ローマの末裔を主張しているのは文字通り現在のルーマニア、すなわちローメニアンである。宋の時代とて支那大陸に外から定住した非漢民族が前王朝を倒したに過ぎない。大事な点は、これらの非漢民族は支那で漢民族の言語風習を受け入れて漢化したのではないということである。漢民族は滅びて言語も風俗も絶えたのであるから。これらの民族は自らの言語風俗を維持したのは当然のことである。

 四書五経の読み方は、作成された当時の漢民族の読み方から切韻というアルタイ語系の読み方に変わっている。これは英語の文章を勝手にドイツ語読みしたりフランス語読みするのに等しい暴挙である。風俗風習も同様で、隋唐以後は非漢民族の各種の民族が入れ替わり立ち代り支配するたびに、彼ら自身の風俗風習を維持し定住していった。

 彼らは決して秦漢当時の言語風習を取り入れて漢化するなどということはなかったのである。こうして中国には各種の民族分布が出来上がっていく。モンゴルに支配された支那大陸はモンゴルが故地に帰ると、支那大陸に定住していたどれかの民族が有力となって、支那大陸を支配する。これが明王朝である。これを異民族を漢民族が追放したなどというのは間違いである。モンゴルにとって替わったのが滅びた漢民族でありうるはずがない。それは秦漢の時代に北狄、南蛮、西戎、東夷と呼ばれた民族が漢民族を滅ぼして中原と大陸を支配して定住したなれの果てである。漢民族の復興などというのは、支那大陸を支配するものの正統の象徴であって事実ではない。

 我こそ漢民族の復興をなしたる者なるぞ。我が支配に従えというときのせりふである。だから歴史書は支配民族の出自を漢民族と偽って書かされるというのは既に常識である。あれだけ民族の支配被支配が繰り返された支那大陸で、常に不変の漢民族がいて周囲の異民族が漢化されるというのは、ヨーロッパ史のアナロジーからもあまりに馬鹿げている。第一蛮族に滅ぼされるのは蛮族が、野蛮どころか実は文明文化が優れていたからである。現在の米国は軍事力でもテクノロジーでも、文化でも世界を席巻している。テクノロジーが優れているから軍事力が優れ、テクノロジーが優れているから、それにより新しい文化を生むことができる。ハリウッド映画の特殊撮影はテクノロジーに支えられている。

 王朝を倒したのは、倒した民族が優れたテクノロジーに支えられた軍事力があったからである。現に「漢民族」は征服者たる満洲族の民族衣装を支那服として取り入れてしまい、京劇として喜んでいる。征服者は優れているから征服者であった。2章でフランク王国とフランスの関係が支那史で関連のない王朝とされるふたつの呉王朝にもあるはずだと書いた。このような整理を行っていくと、支那大陸史は実はヨーロッパのような民族の離合集散が行われていることが発見されるはずである。

 このような整理を阻んでいるのは支那史における統一願望である。大帝国とされる唐、元、清にしても統一が保たれているのは建前の期間の半分にも満たない。そう考えれば統一されていた期間は十分の一にも満たないだろう。統一は願望であっても例外であった。そして統一といっても現在の世界各地で見られるような国民国家の統一とは全く異なる。

 元朝を例に取る。フビライハーンの帝国は元朝というから誤解される。フビライはモンゴルの元首である大ハーンである。そして支那の元朝の皇帝であり、チベットではダライ・ラマの庇護者として支配といった具合である。それぞれの領域に対して各々の伝統的支配形態をそのままにした君主として君臨したのである。このときの元朝の領域とは、2章で説明した南方方言の使われる地域と北方では河北、河南、山東、山西、江蘇あたりの各省の領域に限られる。そしてここに住む支那人は他の地域に住んではならないのであった。すなわち異国だからである。

さらに支那人の居住域ですら各地では言語が違う。言語が違うまま保持されるということはこれらの地域内の交流はなかったということである。モンゴルの帝国はこのような程度のものであった。さらに漢にしても隋唐にしても似たようなものであったし、各帝国が興ってから滅びる間の大部分は名目上も統一されていなかった。このように支那大陸の統一とは願望であって実態ではない。また2章のような現在の言語分布を考えると、奇妙なことがわかる。客家語は別かもしれないが、南方方言の地域は6つの互いに通じない異言語地域に分かれている。しかし北方方言の地域では地域内の言語の相違が希薄で、互いに何とか通じる範囲であるというのだ。

 この明白に区分された南北の相違になぜ疑問を持つ人がいないのだろうか。この区分を地図にしたものを見ると実に不自然である。北方は北京官話で統一されているのに、南方は互いに通じない言語地域に細分化されている。これが奇妙でなければ奇妙なことはない。北方の北京官話の地域とは満洲と首都北京の周辺が主である。北京官話とは満洲人の王朝で話されていた言葉である。そして宮廷には多数の満洲化された漢人がいると書いたことを思い出して欲しい。

 ハワイ旅行に行ったときに日系人のみやげもの売り場に若い日系人の若者がいた。普通に英語を話すが日本語は全くの片言。日本語で書かれたパンフレットを見せると漢字が面白いからくれないかといわれた。だが読めないのである。しかし容貌は全くの日本人だから日系人同士で結婚した何世かであろう。白人と混血してはいないから血統は完全な日本人である。しかしこの人は民族としては日本人ではないとしかいいようがない。言語も風俗も完全に米国化したのである。康熙帝伝でいう満洲化した漢人というのはこのような人たちであろう。

 すなわち首都近辺の満洲人の支配力の強い地域では土着の支那人−漢民族ではなく、かつて北方西方から来て定住した、鮮卑トルコ系などの人たち−は競って満洲化した。元の出自が各種あり、地域の隔離があるから必然的に方言が生起する。しかし宮廷の満洲人やそのとりまきと交流するから、言語と文化は一定の範囲に収斂する。互いに通じなければならないからである。このように満洲と満洲王朝の影響力の強い地域では、三百年の間に満洲化する。三百年は長い。彼らは満洲人の支那服を着る。満洲人の北京官話を話す。満洲人の京劇を演じ、鑑賞する。血統から言える満洲人がどれ位いるかは問題ではない。中共建国直後満洲族は2〜3百万人と言われた。

 それが満洲人を名乗ってもバッシングされないと分かると突然満洲人は一千万人を超えた。しかし彼らは言語風俗も漢民族と区別がつかないといわれる。そうではない北方の地域が満洲化したのだ。聞きたい。言語風俗のどこに孔子孟子の時代の漢民族の痕跡があるというのだ。すなわち現在、北京官話を話す人たちは満洲人である。南方の人たちは、はなから漢民族ではない。一部はベトナムなどの東南アジア系であろう。このことは言語にも証拠がある。繰り返して言う。漢民族は二千年近くの昔に滅びていない。四書五経を作った漢民族はいない。

 「世界の言葉」Gは「現在の中国語の南方諸方言の基層に東南アジアや南島語の要素があることを指摘する学者が間々ある。その説に従えば、かつてこのあたりに住んでいた非漢族が後に漢語を習得した結果できあがったのがこれら南方方言ということになる。」と書く。これは筆者の意図とは反してこれら南方方言を話す人たちは漢民族ではないということを言っている。そもそも言語の基層が漢語ではないのに、なぜ漢語を習得したと言えるのだろう。この本の筆者は牢固として中国に入ったら言語は漢語に支配されると信じている。しかしこれらの言語は南方民族が自らの言語を発展させた結果に過ぎない。

 例えば英語である。英語は古ドイツ語から発展したものである。言語の基層はドイツ語である。これはドイツ語と英語を比較することによって、両方の言語の理解に役に立つとされていることからもわかる。しかし英語は徹底的にフランス語の影響も受けている。英単語の60%までもがフランス語ルーツであるといわれている。これほどの影響を受けても文法の基本はドイツ語である。すなわち英語の基層はドイツ語にあるといえる。つまり言語の基層は失われないのである。

 この地域は中原ではない。漢語ははなからないのである。別項で述べたように漢語を話す客家は北方から逃げてきて、土着民とは混淆していないのだ。そして2章で述べたように客家語は広東福建江西の各省にまたがる地域にわずかに存在するに過ぎない。これがオリジナルの南方語を大きく変容する影響があるとは考えられない。南方方言を話す民族は北方と同じく漢民族ではなく、東南アジア系であると断定せざるを得ない。この地域でも漢民族は存在しないのである。

3.10 軍管区と言語と中共の分裂

 週刊誌・サンデー毎日の平成18年10月29日号の北朝鮮の核実験による金正日体制崩壊特集に面白い記事がある。金正日体制が崩壊した場合、中国は緩衝地帯を失いその影響で中国も分裂してしまうだろうというものである。分裂は人民解放軍の7つの軍管区の管轄に分裂するだろうというものである。軍管区は現在軍閥化して半独立国家になっていると言われるから、荒唐無稽なことではない。天安門事件の際も国際社会は各軍管区がどう動くかを注目したが、結局北京政府に従った。もしかすると北京以外の軍管区が離反して中国が分裂するのではないかと疑ったのである。

 ちなみに中国における軍閥とは戦前の日本軍を指して言う軍閥とは意味が異なる。中国の軍閥とは頭目が私兵を雇用して、軍事ばかりではなく農耕など全生活にわたって一体化して共同体もしくは半独立国家化したものである。戦前の支那大陸は実際には多数の軍閥が群雄割拠する社会であった。蒋介石も毛沢東も張作霖も実態は軍閥の頭目であった。

 蒋介石は英米から金をもらい私腹を肥やし、毛沢東はモスクワの指示で動く傀儡であったし、張作霖は日本の支援を受けて利用されていた。軍閥は戦争などで略奪して子分を養う、日本で言えば強盗集団であり、良くて戦国武将である。支那軍閥の様子はパール・バックの「大地」に描かれている。だが軍閥が分裂して独立するためには、言語との関係をチェックしなければならない。軍管区に異言語があまり混在するようでは、独立の条件としては厳しいからである。独立後、国内に複数の対等の勢力を持つ民族が並立するのは困難だからである。

 2章では北京官話の分布を次のように推定した。

@北方官話・・・東北部すなわち旧満洲と北方(黒龍江、吉林、遼寧、河北)

A西北官話・・・黄土台地とその西方地域(甘粛、寧夏、陝西、河南、湖北、山西)

B西南官話・・・四川とその近隣地域(四川東部、貴州東部、雲南)

C東方官話・・・南京とその周辺(江蘇、安徽、山東)

 一方「中国人民解放軍」Lによれば、中共の人民解放軍の軍管区は

@瀋陽軍管区・・・黒竜江省、吉林省、遼寧省

A北京軍管区・・・北京、天津、河北、山西省、内モンゴル

B済南軍管区・・・河南省、山東省

C南京軍管区・・・上海、浙江省、江蘇省、福建省、安徽省、江西省

D広州軍管区・・・湖北省、湖南省、広東省、広西省、海南島

E蘭州軍管区・・・陝西省、甘粛省、寧夏省、青海省、新疆ウイグル

F成都軍管区・・・四川省、雲南省、貴州省、チベット

 軍管区の区分で注目されるのは、となりに本国というべきモンゴルがあり、独立志向の強い内モンゴルが中共政府の直轄というべき北京軍管区に入れられて監視されていること、独立地域というべき広大な新疆ウイグルとチベットが単独の軍管区を構成せずに、他の軍管区に入れられて、これも監視されていることである。

 軍管区と言語の分布との比較でひとつの特徴は、2章で説明した漢語と呼ばれる言語のうち、北京語を除いた、南方中国語諸方言と呼ばれている6種類の言語、呉方言(上海語)、閩方言(福建語)、粤方言(広東語)、客家方言(客家語)、韓(字見つからず、仮字)方言、湘方言は、広州軍管区と南京軍管区に完全に包括されていて、軍管区の方がやや広い

 さらに詳細に見ると、海南島を例外とすれば、広州軍管区は広東語と湘方言の分布地域であり、南京軍管区には福建語、上海語、韓方言が含まれる。この境界は比較的明瞭である。客家語は両軍管区の中央にまたがって分布しているが、2章で述べたように客家語は土地との結びつきがやや薄いことを考えれば、客家語は例外と考えるべきであろう。

 軍管区独立説との関係を見よう。新疆ウイグル、チベット、青海省と四川省西部、雲南州西部などの北京語でも南方中国語諸方言でもない、いわゆる非漢語の地域は、軍管区とは関係なく各々別途独立すべきものと考える。残りの北京語を使う軍管区では、旧満洲の黒竜江省、吉林省、遼寧省の軍管区は他の軍管区と隔離されていること、方言としてもまとまりがあること、旧満州であることを考慮すると、これも分離独立する要素があると考えられる。

 さらに残った北京語を話す軍管区では方言という程度の差なので、長い間に軍閥としての軍管区内の結びつきが強くなっていれば、方言の区分ではなく軍管区での区分で独立する要素があるというのはおかしな話しではない。

 南方方言の2軍管区は軍管区内での言語の差異が大きいと考えられるので、軍閥としての軍管区内のまとまりが、言語の差異を超えることができるかにかかっている。このように考えると、中共の軍管区による独立説は荒唐無稽とは言えない。中共の分裂は歴史のあるべき姿としてのヨーロッパ化である。しかし多くの暴動が現在でも起こっていることを考慮しても、中共が近いうちに分裂するという徴候があるとは私には考えられない。

 中共の分裂は「あるべき姿」と書いたように、私の願望である。ソ連の場合にも私は同じ願望を抱いた。バルト三国などは明らかに第二次大戦のどさくさにまぎれて侵略されたのだし、ウクライナなどは明らかにロシアではない。だからいつか分離独立すべきだと考えた。ただ私が生きている間には到底あるまいと考えた点と、あそこまで多数の共和国が短期間に一気に分離独立した事は予想もできなかった。

 中共の分裂の願望もそう簡単には成立しまい。歴史的に見て支那の元、清といった征服王朝は300年近く支配を続けた。まだ中共の帝国は60年程度の歴史しかない。歴代王朝の転覆は内部崩壊の場合には白蓮教などと呼ばれる民間の秘密結社の反乱であった。しかし当時と比べると武器の発展が著しく、政府軍の持つ武器と民間の武器の格差が著しい。

 戦車や爆撃機の前に民間のライフルは無力である。実は秘密結社ともいわれる法輪功は簡単に弾圧されたではないか。軍管区分裂説の背景にはこのような武器の発展がある。軍管区は戦車どころか核兵器も持つから、軍管区が独立の意志を持つときは中共政府に対抗できる。民間による反体制運動より軍管区独立説の方が現実味はある。それどころか内モンゴルという内敵を抱える北京政府直轄の北京軍管区は、内部に反対勢力を抱える不安定勢力である。ただし現在の各軍管区には分離独立の動機が見当たらないのである。

 しかしいつの日か中共は分裂する。その日を私は見ることはできない。しかし中共の分裂は歴史の予言するところである。しかし分裂が従来の歴史的パターンと異なり、ヨーロッパのような国民国家化として定着すべきであると考える。従来の弾圧と搾取と反乱の繰り返しから脱却し住民が真の幸福を得られる唯一の条件だからである。それはひとえに言語の問題にかかっている。
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~k-serizawa/sub2-3.html


4章 漢民族の末裔

4.1 漢民族の末裔

 「客家」は広辞苑によれば、

 中国の広東省を中心に東南部の諸省において、かつて華北から南下移住してきた漢民族の子孫として、原住民とは区別されてきた集団。独特の風俗を保ち、言語も独特の方言をなす。

とある。この説明も注意して読めば、現在の常識からは実に奇妙であることがわかる。現在の常識では広東省にいる人々は漢民族そのもののはずである。ところがこの説明では漢民族とは異なる原住民がいたというのである。そして華北から来た漢民族は、「原住民とは区別されてきた集団である。

 独特の風俗を保ち、言語も独特の方言」を持ち続けたということだから、原住民と同化せず原住民も漢民族に同化せずに区別されて現在もそれを維持していると言っているのだ。それならば漢民族である客家とは現在でも異なる言語、風俗を持つ広東省の人たちは漢民族ではないという奇妙なことになる。

 「日本大百科全書」(小学館1995年)によれば客家とは、

 「原郷は黄河中流域の中原地方であることが知られる。紀元4世紀、東晋の時代以後、五胡乱華によって第一回の南渡を経験して以来、十九世紀後半の清朝同治年間まで五回(説によっては三回)南下移民を余儀なくされたとされる。」

とある。五胡の乱華とは五胡十六国の時代のことである。漢王朝が北方民族に滅ぼされて乱れた時代のことである。このとき南下したのは、間違いなく漢王朝支配下の民族、すなわち漢民族のことである。その後数回に渡って南下したのは純粋に近いのか、北方民族と混血、文化も混淆したのかは不明である。いずれにしても黄河中流の中原を原郷としたということは、漢民族の正統であると主張していることを示している。

 「世界大百科事典」(平凡社2005年)によれば客家とは

 「・・・独立心に富み団結力が強くて簡単に土着民と融和せず・・・もっとも代表的な客家語は、広東語と古い中原地方の漢語との2要素からなっている。」

とある。一方で中原とは広辞苑によれば、現在の河南、山東、山西の大部分と河北、陝西の一部の地域であるという。実はこれは実在が証明されている最古の支那王朝の殷の領域に等しい。漢民族とは殷、周、秦、漢の4王朝に渡る期間に熟成された民族で、最後の漢王朝の名をとったものと考えられる。周の領域も殷と重なって中原である。そして秦は戦国時代に周の一部、現在の河南あたりの領域を支配していた。

 秦の始皇帝の焚書坑儒は悪虐で有名だが、これは漢文の表記方法が各流派に分裂していたものを統一するために、始皇帝が決めた流派以外のものを処分したというのが一方の真相だという説がある。すると漢字漢文はこの時代に完成したことになる。秦は数十年しか続かないからこの成果は漢王朝にすぐに引き継がれる。だから漢字漢文漢民族というわけである。歴史上の支那の初の王朝ではないが、秦は初の中国「統一王朝」とも呼ばれる。

 それは現在のウィグル、チベット、四川、雲南、内モンゴル、甘粛などの諸省を除いた本来の支那本土を支配した初めての王朝であるということを意味している。すなわち漢民族の本土中原から一挙に支配を拡大したということである。しかし秦は現在のベトナム北部も支配していることになっており、ベトナムは明らかに言語文字なども明らかに異民族であり漢民族と同化していないことからもわかるように、これらの支配の拡大は中原の漢民族による異民族支配すなわち植民地に等しかったのである。そうでなければ広辞苑のように広東省に原住民がいて客家は独特の風俗を保ったということにはならない。

 さてこれらの知識と先の3種類の辞書の表現を総合する。大雑把に言うと客家は漢王朝が滅びて五胡十六国の時代となると大挙して広東の方面に逃げて独特の風俗を保つ客家となった。漢民族は中原から追放されて滅びた。三国時代(三世紀)末にモンゴルやウィグル、チベットなどの民族が侵入して五胡十六国の時代となり、漢民族なるものは戦乱と飢餓で数千万の人口が数百万に激減した。これは事実上の民族の滅亡である。

 五胡十六国の時代の18ヶ国のうち漢民族は3国に過ぎないといわれている。そして大多数は南方に逃亡した。中原に残った漢族はモンゴルやウィグル、チベットなどの異民族に吸収された。すなわち本来の漢民族としてかろうじて残ったのは客家である。正統の漢民族といえる資格のあるのは客家である。

 これは知る限り誰もとなえたことのない私の仮説である。常識はずれの仮説であるとは百も承知している。だが論理的にはそう結論せざるを得ない。客家語とは漢時代の本来の漢語を基層として広東訛りの混じった言語のことであろう。漢民族の末裔は客家である。客家が独特の言語と風俗を維持したのは、中原の文明の始祖という誇りなのであろうと思う。他の支那大陸の諸民族は北方、南方あるいは西方から来た蛮族の末裔であると。

 客家語とは地域との関係が、他のいわゆる中国語と異なる。例えば、北京、広東、上海、福建の各言語が主に使われている地域に定着しているから、言語の名称も地域名を使っているのに対して、客家語だけが客家というグループに使われていて、地域の名称を言語名に使っていない。そして客家は定住する地域を持たない。この点で客家はユダヤ人と似ていると言えなくもない。中原を追われ、かといってどこにまとまって定住するでもなく、新しく国を作るでもない流浪の民。

 華僑の多くは客家出身であるという。華僑は世界各地に商売をしに散っていった。この点でも客家はユダヤ人と似ている。想像をたくましくすれば、ユダヤ人がパレスチナの地をあくまでも原郷としてこだわったように、客家は中原の地にこだわっているのではあるまいか。

 私は客家を漢民族の末裔だと書いたのが奇矯な論理でないことを強調したい。通説に従っても、どれも客家は漢民族の発生した中原から北方の異民族に追放されて南方に逃げ、南方の土着民と混淆せず、独自の言語風俗を保ったと記している。それは単純に客家はオリジナル漢民族そのものの末裔だということではないか。

 ただし前出の世界百科事典にも記されているように、客家が中原から南下した時期は漢末ばかりではない。Wikipediaにも客家は「・・・唐から元のころに華北から移住してきた人々の子孫・・・」と書かれている。五胡十六国の時代で支那の民族が断絶しているとすれば、唐から元のころに南下した客家は別系統である。すなわち客家全てがオリジナル漢民族の末裔とは限らないということになる。してみると客家とは、中原から逃避していった流浪の民の総称であろう。

4.2 その他の民族のルーツ

 Wikipediaによれば福建語は発声、語彙、文法の面で古中国語の残存が見られるという。しかし2章で述べたように、福建語の発音は古中国語といっても隋唐代のものであって、それ以前のものではない。そしてWikipediaにはかつて中原にいた漢族が南遷したため、その時代の中国語が中国南部や海外に残されたものだと推定している。しかし前述のように正確にはオリジナルの漢族ではなく、中原を一時期支配した隋唐の鮮卑族系の人たちのはずである。

 Wikipediaによれば広東語は韻母のタイ語やチワン語などと共通する特徴があり、もともとはタイ語系の基層に古中国語がかぶさってできた言語であると推定している。そしてチワン語自体はタイ語と深い関係があり、雲南省、貴州省、広西省、ベトナム北部に住むチワン族の言語であるという。

 広東語自体は文字通り広東省を中心に分布する言語だから、広東語、チワン語の分布は支那言語の最南端に属する地域に分布していることから、これらを話す民族は中原から来た満洲族、鮮卑、漢族などの人々でもなく、南方から来た民族であろう。そして福建語や広東語に代表されるように、これらの民族は元の言語風俗を維持して定住している。つまり支那大陸における言語の分布は民族の分布地図となっていると考えられる。

4.3 近代支那の指導者のルーツ

 滅満興漢といわれるように、清朝崩壊以後は漢民族であると単純に考えられている。だが以上閲したように事はそれほど単純ではない。そこで清朝滅亡以後の指導者の出身地を確認してみよう。出典は「世界政治家人名事典」・日外アソシエーツ刊(亀戸図書館)である。また地域から言語も推定した。


@清朝末
康有為・・・広東省南海県、広東語または客家語

A国民党時代
孫文・・・広東省中山県、広東語または客家語・・・Wikipediaによれば客家
袁世凱・・・河南省項城県、北京官話
汪兆銘・・・広東省番禺県、広東語または客家語
蒋介石・・・浙江省奉化県、上海語

B共産党時代
毛沢東・・・湖南省、湘方言
林彪・・・湖北省黄岡県、北京官話
劉少奇・・・湖南省寧南県、湘方言
華国鋒・・・山西省交城、北京官話
ケ小平・・・四川省交安県、北京官話・・・Wikipediaによれば客家
胡耀邦・・・湖南省、湘方言
江沢民・・・江蘇省揚州、上海語
胡錦濤・・・上海、上海語

 指導者はトップ以外にも思いつくまま無作為に選んだが、この分布には明白な特徴がある。すなわち共産党以前と以後とに出身地の重複がただの一人もいないことである。共産党以前は広東省が主流であり、共産党支配になってから毛沢東の湖南省主流に移る。

 そして江沢民以後は上海を中心とした江蘇省に移るという傾向を読める。そして両方に共通するのはメジャーな広東省、浙江省(蒋介石)、江蘇省はともに海岸の豊かな地帯にあるということである。この経緯を要約すると辛亥革命は豊かな海岸地帯から生まれ、これに対する抵抗勢力の共産党は湖南省、山西省、四川省といった貧しい山間地から発生した。しかし改革解放で上海を中心とした海岸地帯が豊かになり、再び中心勢力となったのである。

 言語について言えば良好な関係にあった孫文と汪兆銘は同じ広東語か客家語を話し、これと対立した蒋介石はこの時代では例外的な上海語の指導者である。毛沢東が北京語を話さなかったから毛沢東の言葉はわからないといわれたのは有名である。袁世凱は清朝末の漢族出身の軍人である。しかし北京語を話したはずだから、康熙帝伝の言うところの満洲化した「漢民族」であろう。

 いずれにしても清朝滅亡以後、北京官話を話す有力な指導者が少ないというのは象徴的である。ケ小平は四川省出身だが四川省は北方官話と南方方言をも話さない地帯を多く抱えているので、北京官話を話さなかったのかもしれない。客家語の分布も少しあったので客家語を話した可能性もある。ちなみにWikipediaによれによればケ小平は客家だというから、それが事実ならば、間違いなく客家語を話したのであろう。

 共産党初期の指導者が北京官話というのは似つかわしくない。袁世凱は清朝の軍人官僚出身であったから北京官話は当然であり、従って辛亥革命の関係者としては当然異端であり、自ら皇帝にならんとして失敗した。やはり民族出自はともかく清朝の末席にあった。このように言語や地理に地域的特長が出るのは支那が血族社会だからであり、背後に祖先の民族の繁栄をになっていると考えてよかろう。

 共産党政権はかつての王朝のように世襲制度ではないから特定の民族支配は困難である。しかしやはり血族社会だからケ小平にしても江沢民にしても権力中枢にいる者たちは常に血族を国営会社の幹部にする措置を取るなど、かつての血族支配の伝統の残滓がある。しかしこのことが共産党政権の安定をもたらすものか否かは不明である。

 いずれにしても中共政権は民族出自という観点からも、分析し直す必要があると考える。なお私には公刊された資料から支那の各指導者の使った言語を確認できなかったから、上記のような稚拙な推定となってしまった。誰か彼らの使用言語を教えていただければありがたいと思う。

4.4 支那大陸のヨーロッパ

 これから中国の民族分布を大胆に推測する。現在の中共の領土のうち、新疆ウイグル、チベット、青海、内モンゴルは明らかに言語も民族もいわゆる漢民族ではないことは明白である。さらに2章で述べたように、四川省西部と雲南省西部もいわゆる非漢語地域である。

 すると残りのいわゆる漢語を話す地域の「漢民族」は均質なのであろうか。既に述べきたったように答えは否である。南方諸言語は客家語を除くと5つの言語分布地域に明瞭に分かれる。これらは歴史的経過で形成された国家内国家とでも言うべき領域に分かれているのである。客家語を話す人たちを除いたのは、客家語は地域との結びつきがやや薄く、人間に属すとでもいうべき性格から独立「民族国家」を形成しているとは言いがたいと考えたからである。

 残りは北京官話ないし北方諸方言が使われる地域である。北方諸方言のうち東北部すなわち旧満洲は北方官話が使われているとされる。地図を見ればわかるようにこの地域は他の北方諸方言の地域とは地理的に隔離していること、旧満州であることなどから満洲族であるといってよい。定説では満洲族は漢民族に同化して事実上消滅したとされる。ところが2章で説明したように、言語の面からも満洲語は生きている。そして康熙帝伝で例証したようにこの地域では漢族、すなわち清末に流入した支那人が言語も風俗も満洲族化したのである。アメリカに住む日系2世3世が日本人の風貌をしていても、完全に米国人化しているように、この地域の人間は満洲族化した人たちである。

 そして同じモンゴロイドだから混血しやすく、血統的にも混淆した新満洲族とでも呼ぶべき民族の地域である。残りの北方諸方言については推定する手段を持たない。しかし地域による方言の分布は3つに分かれて確かにあるのである。方言が発生して定着するには50年や100年では不可能であろう。

 清朝滅亡から現在まではわずかに100年に過ぎない。清朝滅亡後に形成され定着した方言ではない。清朝が支配して満洲語すなわち北京官話を300年にわたって普及した結果、形成されたものが残りの北方諸方言である。なぜ方言に分化したか。それが鍵である。北方諸方言の地域における、方言の形成には言語の基層の相違に起因するものがあるのに違いない。すなわち北方諸方言は、差異は少ないとはいうものの構造などにも若干の違いがある。

 その違いは北京官話を受け入れた元の民族の元の言語の差によるものである。受け入れた側の民族すなわち言語の相違が方言として残ったのである。同じ英語の訛りでもフィリピンとパキスタンとは異なる。フィリピングリッシュやパキスタングリッシュと呼ばれるゆえんである。それは英語を受け入れる側の元の言語に、タガログ語とウルドゥー語という違いがあったからであろう。それでも互いに英語としては通じるのである。このように北方諸方言の民族の差が方言の差として残ったのである。満洲族以外の3つの北方諸方言には3つの民族が潜んでいるというのが一つの結論である。

 次は、なぜ南方諸方言が満洲語化せずに残ったかである。第一の要素は距離と言語基層の遠さであろう。元々ベトナムやタイ語と共通する部分もある南方の諸方言は言語の基層が満洲語と異なることと、北京から遠いことによって北京から来た役人が官話を話そうと、土着民族の言語にはさほど影響を与えなかったのである。

 英国の女王がインド皇帝に就任したのと同様に、清朝の皇帝は単独の民族の長としてではなく、チベット、満洲、ウイグル、漢族、満洲族の五族の各々の皇帝なり大ハーンといった形態の異なる長に就任することによって五族を分割統治していたことは既に述べた。漢族すなわち漢文が使用される地域の民族、実は南方諸方言を話す6つの民族がまとめて自治区のようにして統治されていた。だからこの地域の言語は保存されたという側面もある。チベットが清朝に支配されながら満洲語を受け入れず、チベット語が保存されたのと同様な現象なのである。

 以上のように私は中国の民族分布を推定した。現在の中共政府は北京語を普通話として全土に普及させ、「漢民族」の文化で全土を覆うことにやっきとなっている。ところがこれらの言語や文化は、実はオリジナルの「漢民族」のものではなく、満洲族のものであることは縷々説明したとおりである。従って中共政府が行っているのは実は中共全土の満洲化である。この試みは恐らく成功しないだろうことは支那大陸の歴史が実証している。


4.5 漢民族均質説の欠陥(文献にみる漢民族)

 平成19年の1月に「漢民族とは何か」Mという著書を手にした。「漢民族はいなかった!?」という章があったので驚いたのである。もしかして私と同じ考え方の人がいるのではないかと考えたのである。私の従来の説に対する不満は次のようなものである。

 現在の支那大陸の住民、いわゆる漢民族が漢字漢文を発明した人たちとは言語もDNAも異なることはほぼ定説といっていい。しかしその後がいけない。多くの文献においては新しい均質な漢民族が現在定住しているかのようにいうのである。ここで均質というのはすべて同じ性格を持っているという意味ではなく、漢民族といっても言語や風俗が個人によって大きく幅があるということは認めるのだが、ヨーロッパの国々のような地域によるまとまりがなく、ある範囲に様々な人が雑多に住んでいるということである。

 多くの場合、チベット、モンゴル、ウイグルなどの従来より異民族と考えられている民族の居住する地域以外に住む者をまとめて漢民族と称して、雑多ではあるもののあたかも上記の意味において均質な漢民族がいるかのようである。

 例えば岡田英弘氏は次のように述べる。F

 つまり秦・漢の中国人は二世紀の末にほとんど絶滅したので、隋・唐の中国人はもはやその子孫ではなかったわけである。

 岡田氏らは以前よりこのような説を唱えており、私の説の重要なひとつの基礎になったのである。岡田氏らの説には、漢民族王朝の民が王朝崩壊の際の戦乱や飢餓、疫病で激減しそこに外部から異民族が入ってきて入れ替わるというのだから説得力がある。そして秦の始皇帝から清の宣統帝までの二千百三十二年間のうち明瞭に非漢人とわかる皇帝の在位期間の四分の三であると結論する。さらに

・・・皇帝制度は中国文明の本質ではあるが、その皇帝は非漢人のほうが圧倒的に多いのだから、中国文明は漢人の専売特許ではない。

 なるほど。でもどこかおかしくはないか。秦・漢の漢民族は絶滅したのだから、その後は漢民族ではないはずである。岡田氏は隋・唐以後の漢民族をどう定義しているのであろうか。岡田氏は明言しない。そこで文脈から読み取る限り、王朝の外部から侵入して王朝を倒したものを非漢人としているだけなのだ。

 そして王朝の内部に以前より定住していて王朝を倒した者を漢人と判断しているのに過ぎない。これはおかしいのである。外部から侵入しても長い間定住すると漢人になってしまうと言っているのだ。これはよく言われる漢民族に同化するという俗説を基礎にしているのに過ぎない。

 繰り返し述べたように、例えば清朝の持ち込んだ満洲民族の文明は、支那服や京劇など、明瞭にわかっているだけでもそれ以前の「漢人」の文明を駆逐して入れ替わっている。決して満洲族は漢民族に同化して漢人になったのではない。岡田氏の卓見も従来の説に引きずられている。黄文雄氏はさすがに漢民族文明が異民族を同化したのではなく、その逆であると述べる。しかしそこから先の展開がないのである。

 そこで私は安達氏の説を閲してみようと思う。この本は戦前から戦後の支那に関する文献を渉猟しているのに、現代中国にはおおまかには5つくらいの方言があると述べるような杜撰さがある。おそらく彼にはモンゴル語、チベット語、北京語、漢語といったおおまかな分類しかないのだろうか。これが間違いである事は既に述べた。

 「漢民族とは何か」は明らかに不定見である。「漢民族はいなかった」の章では冒頭で、「漢民族なるものはいなかった」というのが現在における小結論であるとし、漢民族という言葉は一種の記号論的用語であるとする。要するに漢民族という概念は実在のものではないというのだ。しかしそれに止まらず「漢民族とは何か」という本書のメインテーマを何と「現在の中国人を形成している人びととはだれだったのか」と問い直すというのだ。この言葉に多くの「中国」民族論の重大な欠陥がひそんでいる。

 これはソ連が崩壊した現在、「ソ連民族とは何か」という疑問を追及しているのと同じであると言えばわかりやすい。崩壊したロシア帝国に代わってロシア帝国の版図を回復しようとして、周辺のバルト三国やポーランドなどを次々と侵略して成立したソ連の住民をまとめて定義することの滑稽さは現在では容易に理解できるだろう。

 現在の中共の領土は、支那大陸の歴史のうちの一時期を占めるに過ぎない清王朝の版図を清朝崩壊後の50年近い内戦の時期を経て、チベット、ウイグルなどの周辺国家を侵略して成立した。中共の指導者は「漢民族」を自称するが、漢民族の支那王朝がチベットやウイグルを支配したことはない。このように周辺の民族を侵略して成立した現在の中共の民族を普遍的に自明な、中国人として定義しようなどというのは、ソ連民族とは何かを問うに等しい愚挙だということはわかるはずである。

あとがき

 やっとあとがきに達した。しかしこれは始まりであって終わりではない。何回も述べたように私から見れば、支那大陸の歴史は奇妙な理解をされているとしか言いようがない。私は以前から「中国史」は日本史のように単一民族と言えるような国の変遷の歴史ではなく、ヨーロッパの歴史に近いものではないかということを漠然と思っていた。

 常に漢民族なるものが大陸に存在していて周辺民族を同化していくというのは歴史の力学からもあまりに不自然だからである。そのことを簡単に「中国はヨーロッパのようなものである」と簡単に指摘する識者はわずかであるが、いるにはいた。しかしそのことを誰も掘り下げないのである。

 そして首里城で「琉球貢表」を見るに至り、一挙に疑問が吹き出た。中国史はおろか歴史の専門家ではない私が雑誌「正論」に投書すれば、この疑問を専門的に補強して展開してくれる人が現れると期待した。しかし期待は外れて私の考えに賛同してくれる人は誰もいなかったようである。それどころか反対意見の投書すらなかった。

 そこで自分で考えるしかなかったのである。その結果がこれである。しかし専門家でもなく時間もない私の「研究」はあまりに不完全で不整合で齟齬が多く荒削りなのは間違いない。だが私の直感は大筋において間違いないと確信している。だから私の考えを理解して引き継いでくれる人が出るのを望む。そんな人がいるとしたらその筋の専門家ではないだろう。専門家はあまりに常識に囚われ過ぎている。

 始まりであるというのにはもうひとつの意味がある。これを本格的に書き始めたのは平成18年の夏だった。この文章はそれと比較してすら内容もボリュームも大幅に変化している。今後も変化するはずである。その意味でも始まりの途中である。

引用文献

@雑誌「諸君」平成13年11月号「支那は差別語にあらず」高島俊男

A満洲事変の国際的背景・渡辺明・国書刊行会

Bリットン報告書・昭和7年・中央公論付録・訳及び原文

C中国はいかにチベットを侵略したか・マイケル・ダナム・講談社インターナショナル

D康熙帝伝・東洋文庫155・ブーヴェ・平凡社

Eこの厄介な国中国・岡田英弘・ワック文庫

F誰も知らなかった皇帝たちの中国・岡田英弘・ワック文庫

G世界のことば・「朝日ジャーナル」編・朝日選書・1991年

Hそれでも中国は崩壊する・黄文雄

I中国4000年の真実・杉山徹宗・祥伝社刊・平成11年

J中国の諸言語−歴史と現況・S.R.ラムゼイ著・高田時雄他訳・大修館書店・1990年

K東洋史通論

L中国人民解放軍・矢吹晋・講談社選書メチエ・1996年

M漢民族とはだれか・右文書院・2006年

N世界のことば小事典・柴田武・大修館書店・1993年

O世界の言語ガイドブック2(アジア・アフリカ編>東京外国語大学語学研究所編・三省堂1998年

P雑誌「正論」平成19年8月号・東方人記・石平
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~k-serizawa/sub2-4.html


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11. 中川隆[-12689] koaQ7Jey 2018年6月02日 07:56:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14665]

原始言語を 3000年間何一つ改善しないで使っていると こういうアホ民族になってしまう


「混沌の大国」中国と中国人を知る エコノミスト 田代秀敏氏
http://www.ikaganamonoka.com/intr/tashiro1/

行ったことはあるのですが、どうにもその行動や価値観が理解しにくい国「中国」と「中国人」について、田代さんに一から教えてもらいました。聞いてびっくり。わたしは中国のことについて、知ってるようでいて、実は何にも知りませんでしたね。万人のための「中国入門」です。


『中国に人民元はない』(文春新書588)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AB%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%83%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%94%B0%E4%BB%A3-%E7%A7%80%E6%95%8F/dp/4166605887


そもそも「中国人」は外国人がつくった概念


運営者 北京オリンピックや毒餃子事件を介して中国のプレゼンスが庶民のレベルでまた高くなっています。

 今まで企業のレベルでは生産基地として、あるいはこれからの大消費地として非常に意識されてはきましたが、今や市井の人たちも無視することはできない主要なプレイヤーになってきているということです。

 田代さんに伺いたいのは、そういう存在である中国の民、中国人と言い切れるほどひとつのまとまりはないと思うのですが、それはどういう人たちだとわれわれは考えるべきなのか、その辺のことからお話していただきたいんです。

田代  まず中国というのは、本当に、多様というよりも混沌・カオスなんです。だから一口には何も言えません。中国に関するお話は、とめどもなく、まとまりがありません。

運営者 中国自体が、まとまりのない国だからですね。

田代  だから中国に関する話で、まとまりがよかったり、日本人が聞いて分かりやすかったりしたら、それは疑ってかかるべきなんです(笑)。

 よく言われることですが、中国の統計がよくまとまっていたら、それは嘘だということです。

運営者 統計的にすら、把握ができない国ということですね。

田代  そもそも、中国人という概念は、外国産なんです。中国人同士にとっての、「あなた何国人?」というのは、国籍を聞いているのではなくて、北京人か、上海人か、広東人かを聞いているのです。ちょうどアメリカで、What is your religion? と聞いたら、プロテスタントの宗派を聞いているのと同じようなものです。

 北京と上海では、言葉語も、食事料理も、文化も全然違うわけですから。だから彼らは、「同じグループに属している」という意識はあまりないんです。

運営者 日本では新任大臣が「日本は単一民族」と食言したらクビになりますが、中国では「中国は単一民族」と発言してもクビになることはないということですね。

田代  そういうことです。そんなことを言っても、まったく意味がわからないわけですから。中華人民共和国は国民国家ではないので、「国民」という言葉は避け、「人民」とか「老百姓」とか「中華民族」という言葉が使われます。「老百姓」は「昔からいるいろいろな姓」という意味で、「中華民族」は「漢族と55の少数民族との共同体」という意味です。ちなみに「漢民族」は日本語で、中国では「漢族」です。

 ではどうして「支邦人」、「中国人」、「チャイニーズ」という言葉ができたかというと、清国の終わりに留学生がアメリカや日本に行ってからのことです留学生が学校で、「チャイニーズ集まれ」と言われても、みんなが誰のことかわからないわけです。「チャイニーズって誰なんだよ?」と聞き返したら、「お前とお前のことだよ」と言われて、「びっくりした〜。上海出身の俺と、福建出身のアイツが同じカテゴリに属しているのか!」と驚いて書き残した留学生の日記が見つかっています。

運営者 へえー。

「具体的なことしか信じない人たち」


田代  東京大学や早稲田大学でも同じようなことがあったんです。彼らが中国に帰って、「知ってるか、おれたちは中国人だぞ、支邦人だぞ、Chineseだぞ」と、ふれまわったわけで、中国人というのはそういう概念なんです。

 だから、中国人についての一般論は、とても難しいのですが、むりやり一般化すると、中国人とは次の2つの特徴をもつ人たちなのです。

 ひとつは「漢字だけを使う人たち」

 もうひとつは「具体的なことしか信じない人たち」

 二番目の特徴を、吉川幸次郎という中国学の碩学は、中国人の思考の特徴は自分の素朴な感覚への絶対的な信頼であり、だから、中国人は感覚を超えた存在をあまり信頼せず、冷淡になりやすいと述べています。

運営者 感覚というのは五感ですか。

田代  五感ともちょっと違うんです。中国では「味わう」というのが非常に重要な感覚なんです。フランス人はよく「美しい」と言いますが、中国人は「おいしそう」と言います。「食べたらうまそう」というのが最高の褒め言葉なんです。だから、他人の家にお呼ばれされたときには、その家の子供を「子豚のようにかわいい」と褒めると、その子もその子の親にもよろこばれます。

 中国人という概念はこういうふうに非常に漠としたものなのですが、漢字だけを使い、なおかつ、自分の素朴な感覚を100%信じている人たちということが最大公約数だと考えるのが好いでしょう。中国人は、自分の素朴な感覚の対象にならないものや、感覚を超えたものは信じません。

運営者 例えばコンセプトとかも信じない。

田代  「死」なんかもそうなんですよ。中国の人は死について極めて無頓着です。ほとんど考慮しません。感覚を超えた死後の世界について考えている節があまりない。

 あえて言うと中国人は、死もいまの世界の延長だと考えています。だから中国の葬式では、金箔や銀箔を貼ったお金のおもちゃを燃やします。どうやらATMがあの世にあって、燃やすとそのお金がATMに入っていってお父さんやお母さんがそのATMからお金を引き出せると考えているらしいんです。

 「あの世でもお金がいるんですか」と聞いたら、「それはそうでしょう。ものを買うにしても、役人を買収するにしてもお金が必要ですよ」と答えます。
 だからあの世にも今と同じ世界があると考えていて、商店があって、役人も腐敗していて、現世の仕組みが死後もそのまま続いているのだと信じているわけです。

運営者 本当の現実主義者ですね。「天国はパラダイスであって、地獄はどうしようもないところだ」という感じではなくて、「あの世もこの世の延長でしかないのだ」という認識ですか。

田代  だから中国人の想像力、イマジネーションはおもしろいですよ、日本人と全然違っていて。ただしよく気をつけてみるとすべて「感覚の内側」にとどまっているんです。哲学的なこと、形而上学的=メタフィジカルなことはまったく関心を持ちません。関心があるのはフィジカルなことだけです。

形而下に止まる思考形態


田代  彼らがどんなに想像力を膨らませたとしても、すべてフィジカルな範囲内にとどまっています。

 たとえば孫悟空が、お釈迦様の手の平から、キン斗雲に乗って飛び出して、世界の果てまで行こうとしますよね。そうすると世界の果てには5本の柱が立っていたので、孫悟空は「ここが世界の果てだ」と思って、その柱に落書きをして帰ってきます。

運営者 斉天大聖ここに来たりて曾遊す。

田代  すごく気宇壮大に見えますけれど、結局はフィジカルな世界の中にとどまっている話なんです。

運営者 それが彼らに理解できる範囲内なんですね。

田代  インド人は、もっと抽象的に話が広がっていくのですが、中国人にはそれはない。だから吉川幸次郎は、「中国人の想像力は、まりが跳ねるようなものだ」と言っています。地面から少し離れたとしても、いつかは地面に戻って、地面の上を這って、どこかで止まる。地表の上をわずかに離れるんだけれど、基本的には地表の上を転がっていくようなものだと分析されています。

 インド人の思考は、ヒューンとはるかかなたに飛んでいくんですけどね。

運営者 なるほどね。お話を聞いてみると、なるほどと納得するのですが、日本人がなぜ中国人のその部分を理解していないかというと、日本人にとっては、どちらもできるからだと思うんです。

田代  そうですね、私が深く尊敬する混血の天才中国語学者に言わせると、中国語よりも日本語のほうが哲学的なんだそうです。中国人の思考には哲学性が希薄なのだからだそうです。

運営者 言語の構造は、当然、使っている人たちの認識を反映するはずですからね。

田代  またその認識を制約しているはずですよね。

 実はね、「中国語」というものは存在しないんです。実際にあるのは、北京語だったり、上海語だったり、広東語、四川語なわけです。例えば「我」という言葉も、それらの言葉で全く発音が異なります。中国人にとっても、自分の地方の言葉でない言葉は、勉強しなければ皆目わかりません。方言ではなくて、違う言語なんです。

運営者 北欧の国の言葉が違う言語だというのなら、それらの言葉も全く違う言語だと言えるでしょう。

 台湾に行って驚いたのは、すべての番組に漢字の字幕が出ていることですよ。漢字さえ出しておけば、だいたい分かるということなんですね。

田代  それしか方法はないんです。大陸も全く同じで、特に胡錦涛総書記が出てくる演説の放送では、3段も4段にもわたる非常に詳細なフルテキストの字幕が出ます。しかし共産党の最高指導者の発言だけでなく、どんな人でも同じですし、映画の字幕も同じです。

漢字の国の人たちは言語を信じていない


田代  もうひとつ中国の特徴は、言葉に対する信頼がないということです。

運営者 でも、言葉に対する信頼がなければ、ものが考えられないし、政治も難しくなっちゃいますけどね。

田代  中国人は漢字という、人類の言葉の中でも最も精緻な文字の体系を作り上げた人々なのですが、その彼らは言語に対して非常に不信の念を持っています。

 「言語というのは、せいぜい物事を暗示するだけであって、決して真理そのものや、自分の本当の気持ちというのは決して語りえない」と思っているんです。

運営者 それはひとつの見識ではありますがね。それに対して、「語りえぬものについては沈黙するしかない」と言った人もいますが。

田代   言語観の違いは、中国人と日本人との摩擦の原因になるんです。たとえば、「本音と建前」というのは純粋な日本語であって、中国人には説明できません。
 さっきの天才中国語学者が作った日中辞書典では、本音を「真実話」、建前を「原則」と翻訳されています。「ちょっと違うんじゃないですか?」と聞いたら、「だってこうしか説明できないじゃないか」と言われましたけどね。

 日本人だと、「君の本音を一言で言ってごらん」といえますが、中国ではまったく無理です。中国では自分の本当の気持ちは、たとえ百万言を費やしても語りえない。せいぜい暗示するしかできないと考えられているんです。

 真理についても同じです。中国人にとって真理とは、かすかに、わずかに暗示できるだけであって、わかる人にはわかるけれど、ほとんどの人にはわからないものだと考えられているんです。

 だから、われわれが学校で習う漢文なんかも非常にシンプルですよね。

運営者 そうですよ。どうしてあれがそういう具体的な意味を的確に表していると断言できるのか、テストでいつも不思議に思っていたのですが。違う解釈もできるだろうと。

田代  あれはもともと、孔子が言っているように「文は言を尽くさず」、つまりどんなに文書を書いても言いたいことは言えないし、「言は意を尽くさず」、どんなに言葉を重ねても自分の心は語れないというあきらめが先にあるんです。

運営者 そこですよ、そこであきらめるかどうか、真理に肉薄していこうとするかという態度の違いが非常に大きいと思うんです。

田代  日本人はあきらめないですよね。必死になって説明しようとします。でも中国では最初からあきらめている。

運営者 日本人が持っているのは、ルネサンス的な姿勢だと思うんです。

田代  そうですね。

運営者 中国人がそれをあきらめているということは、また別の思想体系がそこにあるんだと思うんです。

テレサ・テンの歌に見る自己中心的世界観


田代  一方で、中国の人たちの世界認識は極端にエゴセントリック(自己中心主義的)です。徹底して自分を中心とした世界像を描いています。

 アジアの歌姫テレサ・テンの歌でこういうのがありますよね。

 「だからお願い そばにおいてね 今はあなたしか愛せない」

運営者 「時の流れに身をまかせ」ですな。

田代  この歌は日本語の歌詞が元ですが、中国語に翻訳されていて、今では全中国人の愛唱歌になっています。みんなすごく大好きな歌なのですが、これの中国語訳はこうなんです。

 「所以我求求[イ尓] 別離我離開[イ尓]」

運営者 ふむ。

田代  日本語の歌詞では、一言も、「わたし」とか、「あなた」とか言ってないでしょ。

運営者 そうですね。

田代  ところが中国語ではこんなに短いことばの中に、「我」が2回、[イ尓]つまり「あなた」も2回出てきています。こういうふうにしなければ、そもそも言葉として成立しないんです。

 直訳すると、「だから私、あなたにお願いお願い、私をあなたのそばから離れさせないで」になります。

運営者 すごいですね。日本語でそんなこと言われたら、ちょっと引いちゃいますね。

田代  中国語では、こう言わなければそもそも意味が伝わらないんです。

 中国語では徹底して、まず一人称の「我」(ウォー)があって、次に二人称の「イ尓」(ニー)つまり「あなた」がいて、その次に三人称の「他」(ター)つまり「わたしでもあなたでもない他の人」があるんです。「ウォー・ニー・ター」、人称代名詞はこれでおしまいです。英語のような格変換はありません。複数にするときはその後に「們」(メン)をつければいいだけです。以上、おしまい。

運営者 便利ですね。つまり中国語は、他者認識が、世界の言語の中でも恐らく最も単純であるということですか。

田代  もっと言うならば、非常に強烈に自分を中心に世界を組み立てているのですね。

 まず私があって、次にあなたがあって、それから第三者がいて、それでおしまいなんです。

でもこの関係性は重要で、「だからお願い、そばにおいてね」と言うだけでも、私とあなたが2回ずつ出てこなければならない。

感覚で分かるものには徹底してアプローチする


田代  日本語が話せる中国の人がふだん冷静に日本語で話しているときは普通の日本語ですけれど、興奮してくると、「わたしあなたに言った、あなたわたしにこう言った。わたしあなたにこうした・・・」って言うじゃないですか。

運営者 そうですね。それは彼らにとっては普通なんだ。

田代  中国語を直訳しているだけになっているのです。日本人も興奮すると、英語で話していてるときに興奮すると、明らかに日本語の単語を英語に置き換えただけになってるじゃないですか。

運営者 "We Japanese"って言っちゃいますからね。それはよくわかります。

 そういう世界認識、世界の中での自分の位置が、中国人にはまずあるわけですね。

田代  まず「我」が中心です。その周りにあなたがいて、その周りに第三者がいると。

運営者 現実主義であり、言い方は悪いけれど自己中心主義であると。

田代  現実主義というよりも、徹底して形而下のことにしか関心がないんです。それが善いか悪いは、別の問題ですよ。

運営者 もちろんです。文化の差異についての話ですから。

田代  だから漢字の体系も、形而下のことに注目する文明の産物です。漢字はよほど字の形を、きちんと見なければいけないようにできています。

 例えば「犬」と「太」と「大」の違いなんて、字の中に点「、」のあるなしと位置の違いだけですよね。アルファベットしか用いない人々は、なかなか覚えられません。

運営者 なんか白川静先生の世界になってきたな。

 なるほど、アルファベットしか使わない連中は字の形におおざっぱですからね。そういえば漢字圏でない外国で漢字の本を読んでいると、えらく感心されて「これをお前も書けるのか」と聞かれますよね。  

田代  漢字の精密なシステムは、いかに中国人が、感覚的なものに対しては、執念を持って見ているかを、よく表しているんです。

運営者 なるほど、そうですね。感覚で分かるものについては徹底してアプローチするということですね。

田代  その点で日本人は甘いんです。たとえば、中国の書法家の作品とくらべると、日本の書道家の書はどこか甘いところがあります。なぜかと言うと、われわれは漢字が書けなくても、ひらがなやカタカナでごまかせるじゃないですか。

でも、中国人は漢字が書けなければ何も伝えられない。漢字が読めなければ何も読めない。◯音(ピンイン)という中国語のローマ字書きのシステムはありますが、それを使って読み書きするのは幼稚園の年少組までで。幼稚園でも年長組になると漢字で絵本を読みます。幼稚園を出た段階で、「東京文化学園」を、ちゃんと「トンチンウェンファシュエエン」と読めます。そうした漢字だけの国の書法は、ひらがなもカタカナもある日本の書道と厳しさが違うのは当然です。

運営者 ということは、唐代に顔真卿なんかが確立した書法は、そういうスタイルを徹底したたものだったんですねえ。

中国人は遅刻しそうになっても連絡しない


田代  そういう意味で、中国の書法は、すごく切羽詰まったものがあります。しかし、その文字は、決して言を尽くさないし、言は意を尽くさないんです。不思議な言葉の体系ですよね。

運営者 意外です。僕はあの書が雄弁に真理を語っているからこそ、彼らは何世紀も大切にしてきているのかと思っていました。意外とそんなに信用してないんですね。

田代  中国人にとって、漢字というのは交通標識みたいなものなんです。それを北京の人は北京語で読むし、上海の人は上海語で読む。でも、お互いそれを声を出して読むと、さっぱり意味がわからないんです。

運営者 あくまでも記号なんですね。

田代  でも交通常識だから、なんとなく意味は伝わります。もっとも、伝わるのは、本当に言いたかったことの何分の一かです。

運営者 その他、中国人を理解するために覚えておかなければならないことは何ですか。

田代  日本人が中国人を理解するのは難しいですよ、とにかく中国は日本と全く違う社会ですから。

 例えば中国には非常に大きな企業がたくさんありますよね。だけど私から見るとあれは普通の企業には見えないんです。

運営者 どういうことですか。

田代  中国の会社では、個人レベルでさえもそうなんだけど、「ほうれんそう」がないんですよ。

運営者 「報告、連絡、相談」ですね。

田代  日本の企業に入るとまず最初に研修で厳しく教わるのは、「何事も報告、連絡して上司と相談せよ」ということです。そうしなければ集団として機能できないと日本では考えています。

 中国の企業は正反対で、報告しない、連絡しない、相談しない。

運営者 社会性がないってことじゃないですか。

田代  いえ、中国人は社会性が非常に高いんです。日本人以上に高いでしょう。日本社会よりも中国社会の方が長く続いているわけですから。日本以上に、アメリカと、うまくやっている。でも、「報連相」は、しません。

 約束の時刻に遅れてしまうと、日本人だったら、すぐに携帯電話で、「すみません、遅れてます」と連絡しますよね。

運営者 ええ。

田代  中国人は、まずしません。「定刻になっても自分が現れていないのだから、遅れていることは明らか。それをあえてもう一度言う必要があるのか」ということで、自分から連絡はしません。だから、中国人に「すみません、私いま遅れています」と電話したら、「当たり前のことをいちいち言うな」と、かえって不機嫌にさせてしまいます。

運営者 そこにいないんだから(笑)。


食べられるものはすべからく食べる


田代  「何でそんな当たり前のことを言うのか」ということです。

 あいさつでも、日本人はすぐに「暑いですね」とか「暖かくなりました」とか天気の話をしますが、中国人は天候のことを挨拶に使いません。中国人にすれば「わかってるよ、同じところにいるんだから。そんなわかりきったことを口にすることに、なんの意味があるのか」ということです。

運営者 それじゃ話の接ぎ穂というのが・・・

田代  彼らは話の接ぎどころが違うだけなんです。天気の話はしません。

 中国のおもしろさは、あいさつをしないことにもあります。おはようもお休みも、ただいまも行ってきますもありません。なぜならば見れば明らかだから。

 中国でただいまというのは、「私は来ました」で、答える方も「あなたは来ました」という言い方ですから、単なる確認事項ですよね。

運営者 「アイム・ホーム」に近い感じですね。

田代  おはようも言う必要はありませんよね。お互いの起きていることはわかるわけですから。

運営者 解らんでもないですけどね。

田代  中国の文化は日本とはコード体系が全然違うんですよ。

 ただ問題は、日本人と中国人とが、同じ服を着て、お互いに黙って座っていたら、相手が日本人か中国人か、全然わからないですよね。それくらい、日本人と中国人とは、人種的には非常によく似ている。だから、日中双方とも、お互いに「そこまで言わなくてもわかるでしょ」と思っているわけですが、そこがお互いの国に行って暮らしている日本人と中国人にとっては悩みの種なんです。

運営者 なるほど。
  話が戻りますが、「おいしそう」というのは褒め言葉なんですか。

田代  中国人が日本の家庭で飼われているチャウチャウ犬を見て、「あれは今、ちょうど食べ頃ですね。そろそろ食べるんでしょ?」「日本では食べないですよ」「なんてもったいない。それなら私がこれから料理して、田代さんにご馳走しますよ」「それはちょっとやめてください」なんて会話が実際にあるんです。

 食べられるものは、すべからく食べようとしますね。

運営者 本当にテーブル以外の4つ足のものは食べるんですね。

田代  日本では、「人を食う」というのは人をバカにする意味ですよね。でも中国では実際に食べちゃうんです。

運営者 「水滸伝」の世界になってきたなあ。


中国人を食事に誘うときはよほど考えたほうがよい


田代  中国では、古代の王様が「美食に飽きた」と料理人に言ったら、料理人が自分の子供を調理して王様に差し出して褒められたというのが、忠義のエピソードとして伝えられていますよ。

 あるいは、垓下の戦いで、大英雄である項羽が虞美人の行く末を嘆き哀しんだ歌は有名です。その後彼は自ら虞を刺し殺したのですが、その続きを読んでみると項羽は虞を食べちゃってるんですね。日本の漢文の教科書は、そこは省略してしまっています。

 孔子の弟子で論語に最も頻繁に登場する子路は、衛の国の高官になったのですが、政敵に倒され、塩漬けの刑で「醢」にされてしまいました。孔子は嘆き哀しんで、自分の家にある醢、つまり塩漬け肉を捨てさせ、それ以降、口にすることはなかったと、伝えられています。

運営者 つまりそれまでは、人肉の醢を食べていたかもしれないのですね。

田代  それまで孔子が食べていた「醢」が人肉の塩漬けでなかったとは、『論語』にも『礼記』にも明記されていませんし、後世の儒家たちもその点を追求していません。喫人つまり人肉食は中国の文化ですから、喫人の経験の有無は、人物に対する評価の基準ではないのですね。

運営者 という文化であったということですね。

田代  善いか悪いかの問題ではないんですよ。喫人の習慣が有ったと中国を非難するのは、自分の民族が世界で一番というエスノセントリズム(自民族中心主義)でしかありません。

運営者 もちろん。文化的差異を論じているわけですから。

田代  重要なのは、それくらい、中国人にとって、食べることがとても大切だということなんです。

 ですから、うかつに中国の人に、「食事をしましょう」と言わないほうがいいです。

運営者 なぜなんですか。

田代  中国人に対して「食事をしましょう」ということは、「あなたと私は、切っても切れない仲になりましょう」と誘っているのと同じことなんです。

 最近はそうでもないようだけど、一昔前にしばしばあったトラブルで、こんなものがあります。中国人の女性の留学生が大学院でがんばっているんだけど、学力不足で博士号がとれそうもない。そこで、大学院の指導教授は、「研究者への道をあきらめさせ、転身を図らせたほうがいい」と考えている。そこで、その指導教授は中国人の女性大学院生を食事に誘い、そうした趣旨を伝えようとする。でも、これが、トラブルのもとになります。

 日本の会社でサラリーマンが上司から食事に誘われると、「降格? 転勤? 下手すると解雇?」かとヒヤリとしますよね。ところが中国人はそうは思いません。食事に誘うことは、これから特別な関係になりましょうという意味か、特別な関係をこれからも継続発展しましょうという意味なんです。

運営者 へー。

田代  だから、日本人の指導教授から食事に誘われた中国人の大学院の女学生は、「一晩考えさせてください」と答えるわけです。そのうえで、「お受けします」となって、教授から指定されたレストランに向かう彼女は、「先生からプロポーズされるんだ」と思っているかもしれません。

 食事の席で指導教授が「君の学力では博士号の取得は難しいから、別の道を考えたほうがいいよ」とか言っても、彼女の頭にはそんなことは入ってきません。食事に呼ばれ、それを受けているということで、頭がいっぱいになっているんですから。

 しばらくして何が起きるか。彼女は大学の学長に、「私は○△教授から食事に誘われて応じたのに、いつまでたっても正式にプロポーズされません。今の奥さんと離婚したという話も聞きません。何ということでしょうか」と、ねじ込むことになるわけです。

 ですから、中国でよく挨拶に使われる言葉に、「喫飯了◯」(チー・ファン・ラー・マ)があります。直訳すると「飯を食べましたか」ですが、単なる挨拶であって、食事に誘っているのではありません。日本人が「熱いですね」と挨拶しても、涼しい喫茶店に行きましょうと誘っているのではないのと同じです。日本人が同じ季節にいることを確かめ合うことで挨拶するように、中国人は同じく食後であることを確かめ合って挨拶しているのです。

自分が認めた人に対してはとことん礼を尽くす


運営者 中国では、親族以外の人と食事をするということは、とてもまれなことなのでしょうか?

田代  中国でビジネスをするとき、飛び込み営業をやると、「お話を聞きましょう。ああそうですか。分かりました。では、またね」と、あしらわれます。

 それにも懲りずに何回か行っていると、そのうちお茶が出るようになります。
 さらに頑張ると、お茶にお菓子がつくようになります。

 もっと頑張ってると、食事に誘われます。それで、ようやく「商談に応じましょう」ということなんです。

運営者 なるほど。

田代  人前で一緒に食事をしているということは、「自分はこの人間と特別な関係にあると思われてもかまいません」という意味なんです。だから、中国ビジネスの第一段階は、相手を何とか食事に持ち込むことなんです。これが難しい。

 そういうわけですから、男女であれば、食事を申し込むというのは大変なことなんです。

運営者 西洋でも、そういうことではあるんですけどね。

田代  それよりも、もっと重たいんです。日本は軽すぎますね。これも善い悪いの問題ではないですけど。

運営者 ということですね。

田代  それから、中国の宴会には決して二次会がありません。それは、食べるという瞬間を共有していることを大切に思っているからなんです。

運営者 大切に思っているのなら、二次会にも行けばよいのでは。

田代  二次会という言葉自体がないんですよ。

 中国人は、人間と人間の関係を、ある意味で日本人よりもずっと大切にします。

 「この人は自分の朋友(ポンヨー、友人)だ」と思った相手への友情は日本人以上に厚いです。

運営者 そのつながりの厚さというのは、どのようなものだと考えればよいでしょうか。

田代  あくまで、自分が認めた人に対しては礼を尽くすということです。

 例えば上海に行ったときに、北京の友人に電話をしたら、ホントにやってくるんです。それで「実は私、すぐまた帰らなければなりません」といって、30分話しただけで、北京に帰っちゃうんです。

運営者 すごいなあ。というか、ちょっと重たい友情ですね。

中国の食事の席に取り箸がない理由


田代  そう。だから中国では、友達になるというのはそのくらい重たいことなんです。

 友達になった中国人はこちらの無理をきいてくれます。しかし、むこうもこちらに無理をいってきます。どこまで無理をきいてやり、きいてくれるか。それが友情の尺度なんです。

だから、中国で会食は、お互いの人物を測りあう重要な場面であって、神経を使って、へとへとになります。

運営者 そうすると、日本人がそれを意識せずに中国人と会食するのはまずいですね。

田代  大変に軽蔑されます。

運営者 なるほど。

田代  テーブル・マナーも大切です。中国のテーブル・マナーでは、取り箸というのはないんです。自分の直箸で、相手が食べる分を取ってあげるんです。

運営者 あっ、さっき田代さんが私の分を取ってくれたのはそれですね。

田代  お互いがそうするわけです。

 これは、ある意味では毒殺防止法でもあります。最初から取り分けてあったら、自分の皿に盛ってある料理にだけ毒が入っている可能性がありますからね。

運営者 日本の酒席のマナーでお流れ頂戴やら返杯やらをするのも、同じ理由です。

田代  ところが中国では、お酒は上から下に注ぐものなんです。上の立場のものが、下の立場の者にお酌します。

 だから中国の宴会に行くと、そこにいる共産党の一番偉い人が、テーブルの間を走り回って、お酌しています。

運営者 日本人はそれを見て感動するかもしれないけれど、実は中国ではそれは普通なんですね。

田代  そうです。お互いがお酌をするということは、対等な立場であるということを表すわけですから。

運営者 日本ではお酌をしてもらうのは目上のように思いますが、中国ではそうではないわけですね。

田代  そうです。対等な関係にはなかなか持ち込めないです。

「自己人」=「刎頸の友」


運営者 中国の社会は、昔の日本と同様に、お互い同等の権利を持つ者が集まった社会ではなく、身分に上下をつけて固定化したがる社会という感じでしょうか。

田代  中国人は日本人とは違って、組織に何の執着もありません。

 だから転職は当たり前だし、外国に移民することも当たり前なんです。自分の可能性を生かせる場所が中国よりも日本であるのなら、日本に行く。

 その意味では、中国型組織というのはありえません。

運営者 では、個人の一対一の関係ではどうでしょうか。対等なパートナーというのはありえるのでしょうか。

田代  中国人の持っている人間関係の観念は、同心円状なんです。

 つまり、まず中心に自分がいます。自分のすぐ周りには、「自己人」(ジー・ズー・レン)=「自己と同じ人」という、最も親しい友人が一人か二人います。これは、「自分と同じ人だと思ってもらってよい」、「この人とだったら、私は一緒に殺されても悔いはない」というくらいの友人です。

運営者 「刎頸の友」ですね。

田代  そうです。わかりやすいのは「三国志演義」に出てくる劉備と関羽と張飛との関係ですよね。

運営者 「桃園の誓い」ですね。

田代  彼らは居酒屋で意気投合し、裏庭に行って、「同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、願わくば同年、同月、同日に死せん事を」と誓います。これが「自己人」です。

 その周りに、そこまでいかない友人がいます。「一緒に死ぬつもりはないんだけれど、利益は一緒にしよう」という人たちです。

 そういうふうに、距離が遠くなればなるほど、だんだん扱いが落ちていきます。

 これは非常に明確で、中国の人たちは、「この人は自分の自己人だ」と思ったら、どこまでも無理をききます。

 たとえば、「今日は給料日ですよね。給料を全額貸してください」と言われた時に、何も聞かずにぽんと貸すのが自己人なんです。しかも一切証文など取りません。そこで証文を求めたら、その時点で自己人としての友情は終わりです。

運営者 なるほど、よくわかります。今のお話を知らずに「三国志」を読んでも、登場人物の行動がよくわからなくて、「なんでこんなに他人のためにバカみたいなことしてるんだろ」と思うところが多いのですが、今のお話で合点がいきました。

田代  自己人との約束は何があっても守る、それが守れないと中国人社会では生きていけません。

「中華思想=中国は無条件に正しい」の理由


田代  自己人との約束は何があっても守る、それが守れないと中国人社会では生きていけません。

 自己人に借りができたら、その借りはいつかは返すんです。例えば江沢民が総書記の時の国務院閣僚の中に、どう見ても閣僚にはそぐわないような経歴の人がいたんです。どうも、その人は、江沢民が若いときに工場で同僚だったらしい。それだけで最高幹部になった人もいます。おそらく江沢民氏が苦しかった時に、助けてあげたんでしょうね。その恩を、自分が出世を極めたときに、返しているんです。

 自分が出世したら、昔恩義を受けた人を弊履(履き潰した草履)のように捨て去るということは、中国人では絶対に許されません。ある意味で最大のスキャンダルでしょう。

運営者 ということは、江沢民前総書記も胡錦涛総書記も、日本に来ると田中角栄の娘である田中真紀子を訪ねていますが、あれは日本政府に対する当てつけでやっているのではなくて、ホントにそう思ってやってるわけですね。

田代  そうですよ。トウ小平は「田中角栄は井戸を掘った古い友人だ」と言っています。自己人が一番の親友だとすると、知り合いは「朋友 ポンヨー」です。「老朋友 ラオポンヨー」が日本でいう友人ですね。中国の人たちからすると、田中角栄はかなり高い水準の友人なわけです。

運営者 それは、私は全く理解していませんでした。

 しかしそうした同心円上の対人関係把握は、中華思想的なものにつながるような感じがしますね。

 いや、質問を変えましょう。中華思想というものをどのように理解すればよいでしょうか。

田代  中華思想というのは、ある意味で悪口であって、中国人はあまりそういう言い方はしません。あれは日本語として、中国人の傲慢ともいえる世界観の、いわく言いがたいところを指してるんです。

運営者 日本ではそういう意味になってるんですね。

田代  中華思想があるとすれば、「中国人は無条件に正しい。なぜか、それは中華だから。世界最高の文明人であるから、野蛮人よりも正しい」ということでしょう。

運営者 とっても傲慢じゃないですか。

田代  でもそれは彼らからすれば、古代からの文明が今に生き長らえている国は、中国のほかにどこにあるのかということです。「ピラミッドは素晴らしい。インダスも、メソポタミアもそうだ。しかし今はそれらの文明をつくった国はもうない。あるのは廃墟だけ。しかし中国は違う。北京を見よ。上海を見よ」ということです。

運営者 それは確かにそうです。別に何の文句もありません。


中国の歴史、それは「創造的破壊」


田代  でもこれは壮大な幻想なんです。というのは、古代の文明をつくった人たちと今の中国人とはあまり強い関係があるとは思えないからです。

 なぜかといえば、唐の時代まで中国の人たちは床に座っていました。今の日本や韓国と一緒です。ところが唐の時代になって、今の椅子ベッド文明に移行しました。それは唐の王朝をつくった人たちがトルコ系だからなんです。西方異民族の習俗が入ってきたんですね。

運営者 はー。唐の時代は国際的な交流があったと認識していますが、そもそも成り立ちがそういう国であったということなんですね。

田代  胡瓜には「胡」という字が入っていますね。キュウリはサマルカンドから入ってきたんです。ピーマンもそうです。14世紀にサマルカンドにチムールという天才的な軍人が出現して、ジンギスカンの末裔を名乗って大暴れしてチムール朝を建国します。その時に入ってきたのがピーマンです。キュウリやピーマンは、もともと中国にはなかったものなんですが、今では中国の料理に欠かせない食材です。

 それからかなりの野菜はインドから来ています。日本でわれわれが食べている野菜の半分以上は、インドから中国経由で日本に入ってきたものだと考えてよいでしょう。その典型は、さといもです。よくさといもを食べて、「うーん、縄文の味がする」などと言っていますが、それは壮大なロマンティックな勘違いです(笑)。

運営者 なるほどー。

田代  ですから中国ははるか昔から、外国のいろいろなものを取り入れるということを普通にやっているんです。そう考えると、改革開放政策によって中国が一変したというのも当たり前のことです。

 その前の毛沢東は徹底したしたスターリン・システムを導入したわけですから。

運営者 外国からの新しい文化を取り入れるということは、普通だったわけですね。

 ただそのスターリニズムの過程で、大躍進があり文化大革命があり、その都度数千万人の人が死んでいるわけですが、そういう社会変動に対しては中国人は強いということでしょうか。

田代  中国の歴史を一言でいえば、それは「創造的破壊」ですよ。

 例えば中国の人を、京都に招待し、きちんと説明してあげると、とても感動されます。なぜなら、中国に京都のような古い建物は、残っていないからです。中国にある建物は、古くてもせいぜい明代のものでしょう。京都や奈良のように1000年以上残っている建物は一つもないですよ。万里の長城だって、残っているのは明の時代に作られたもので、秦の始皇帝が作ったものはもっと北の方にあってほぼ風化してしまっています。それを遺跡として発掘しているくらいですから。

 というのも、中国では、政権が代わるたびに、旧政権が作った王宮をすべて破壊し尽くし、まったく新しい都をつくってしまうからです。

 日本は、もったいないから旧政権が作ったものも大切に使っています。秀吉の聚楽第だって、解体されて西本願寺に移築されているわけです。しかし、中国人はそんなケチなことはしません。易姓革命の度に、都のすべてが紅蓮の炎に包まれてしまいます。

運営者 そうですね。

文革の2年後に改革開放に走る大転換もアリ


田代  ですから、中国を中国たらしめているシステムは残っても、そのシステムに盛り込むコンテンツ(内容物)は次々と変わります。それに中国人は何の躊躇もありません。

 だから10年間、国家機構まで廃絶させた文化大革命が終わってわずか2年後に、国家の根本方針を180度変えて、改革開放路線に突っ走ることができるんです。

 そういう大転換も、中国では極めて簡単です。しかし日本では滅茶苦茶難しいですよ。

運営者 だって、憲法すら変えられないんですから。

田代  そう。今の中国の憲法なんて、5年おきの共産党大会のたびに変えてるんです。

運営者 法隆寺が1400年残るのであれば、日本国憲法も、1400年残るということですね。

田代  だから中国は唐の時代に床に座る生活から、椅子ベッド生活に移行し、清の時代には弁髪をたらしているわけです。

 チャイナドレスは満州族の貴族の女性の服で、なぜスリットが入っているかというと乗馬するためなんですね。

運営者 もともとは乗馬服なんですね。

田代  それが中国の一般女性の服に広がったわけです。日本で例えて言うと、チマチョゴリを日本女性が和服の代わりに着ているようなものですよ。それについても彼らは何のこだわりもありません。

運営者 ということは、「中国四千年」とかいって古い国だと威張っているけれど、別に古い国であるというわけではないんですね。

田代  基本システムは古くても、コンテンツ(内容物)は古くありません。いつでもニューです。

 それから中国と日本の大きな違いを知るには、いま中国で必ず再放送されているドラマが何かを知るとよいですよ。日本のドラマなんですけどね。

運営者 なんですかそれは?

田代  2つあります。ひとつは「サインはV」です。

運営者 へー。

田代  もうひとつは山口百恵さんの「赤いシリーズ」です。どちらも中国語吹き替え版が、今でも再放送され続けています。

運営者 だってずいぶん大昔のドラマですよ。

田代  でも、中国では、みんな感動して視てます。

運営者 いったいどこにそんなに魅力があるんですかね?


なぜ山口百恵は中国人にとっての美の基準なのか


田代  「サインはV」はよくわからないんですが、赤いシリーズはよくわかります。

 特にあのドラマは、中国人を理解するにはとても大事です。コン・リーって、「さらば、わが愛/覇王別姫」とか「紅いコーリャン」に出ている、中国を代表する国際女優がいますよね。カンヌ映画祭の審査員までやってます。

運営者 すごいなそれは。カンヌ映画祭の見識を疑いますが。

田代  あの大女優がテレビで話していたのですが、「なぜあなたは女優になったのか」と聞かれて、「小さいときから、どの村人からも「お前は山口百恵にそっくりだ」と言われたので、自分は美しいのだとわかり女優になりました」と答えていました。つまり中国人にとって、「山口百恵=女性美の基準」なんです。
 今、日本人はどうですか。山口百恵さんのこと覚えてますか?

運営者 若い人は全く知らないでしょうね。

田代  私も「赤いシリーズ」は見たような見ていないような、という感じなのですが。

運営者 だって、全部同じなんだもん。

田代  そうですね。中国での吹き替え版には、精密なスーパー・インポーズで中国語のセリフが入ります。どう訳しているのかがおもしろくって、ずっと見ていて、どんなドラマか分かりました。

 おっしゃるとおり、全部ストーリーは同じです。とても可憐な美少女がいました。だけど不幸な事故で不治の病にかかります。毎週次第に病状が進行し、最終回で亡くなります。ああ悲しい。

 ところで、岡本さん、最終回の臨終の場面、覚えてますか?

運営者 いやー、とても。というか、恐らく見たことはないと思います。

田代  わたしは中国語吹き替え版で見たばかりなので印象が鮮明です。最終回に、臨終の床で山口百恵さん扮する主人公の美少女は、宇津井健さん扮するお父さんの手に手を伸ばして、「お父さんありがとう、自分の仕事も投げ打って、こんなに献身的に看病してくれて」と言います。

 そして、次に、三浦友和さん扮する恋人になんて言うか。そこで彼女は恋人の手を取らないんです。じっと恋人を見て、「いい人を見つけてね」と言い残して、彼女は自分の運命を受け容れて死んでいくんです。

運営者 とっても日本的じゃないですか。

田代  それを見て中国人の男たちは、みんな泣いてしまいます。

運営者 不思議ですなあ。そんなに感動するのか。日本的な情緒が分かってるじゃないですか。

田代  中国の男たちにすれば、「これが感動せずにおられようか」と思うものがあるんですよ。

 中国の男たちが異口同音に言うのですが、中国人の女性が山口百恵さん扮する主人公の立場なら、「なぜこんなに若く美しい私が病み果て死んでいくのに、周りの俗人どもは、のうのうとのさばって生きていくのか」と思って、天を呪い、地を呪い、親を呪い、最後に恋人の手に爪を立て、ぎりぎりと皮膚を引き裂きながら、「私が死んだ後、どんな女でも1秒以上見つめたら、あなたはその目から腐りはてていくんだよ」と言いながら死んでいくに違いない。絶対にそうだと。

 それに比べて、山口百恵はあんなに美しく可憐なのに、恋人に「いい人を見つけてね」と言って死んでいく。これは泣かせるなあと言って、泣いているわけです。

運営者 なんとも言葉もない話ですが・・・。

中国の家庭内において女性は圧倒的に強い


田代  それに比べて、山口百恵はあんなに美しいのに、「いい人を見つけて」と言って死んでいく。これは泣かせるなあと言って泣いているわけです。

運営者 なんとも言葉もない話ですが。ただ、中国の女性がそうであろうということは、今日これまで田代さんのお話をうかがってきたから、おそらくそうであろうなあと納得できるのですが、もしいきなりそのお話を伺ったら、いくら中国人でもそんな根性悪な女はそんなにいないだろうと思うのが、普通の日本人の感覚ですよ。

田代  中国の男たちは、ものすごい恐妻家なんです。中国の家庭で、女性は本当に圧倒的に強いです。

運営者 基本的には、共働きであるということはあるんですよね。

田代  それとは関係なく、無条件に強いです。専業主婦でも強いですよ。だから、中国の男性は家の中では大変な緊張状態を強いられています。中国の新聞を読んでいると、「いくらなんでもこれはやり過ぎだろう」という事件が載っていたりしますね。

運営者 たとえば、どんなんです?

田代  夫婦で家で酒を飲んでいて、夫の方が酒に弱く、先にベッドに行って寝ちゃったんですよ。それで妻が「足も洗わずにベッドに入って寝た」と怒って、起こそうとしたのですが夫はいびきをかいて寝ている。それで妻は毛布に火をつけたのですが、毛布が化繊だったのであっと言う間に火が回り、夫は焼け死んでしまいました。それどころか近所にも延焼して大騒ぎになりました。

 それで中国共産党の偉い人が、「これはいくらなんでもやりすぎ。せいぜいバケツの水をかけるとか、ほうきでひっぱたくくらいにすべき」とかコメントします。

運営者 そんなことが共産党で議論されたのですか。

田代  党は、軍隊から国家そして経済から夫婦生活まで、何でも指導します。だから党員が7000万人以上もいて、企業の管理職や専門職は大半が党員なのです。

 ともあれ、中国の会社では、「昨晩、奥さんを怒らせてしまい、ベッドのそばで長い時間ひざまずかされたので、どうも膝(ひざ)の具合いが良くないです」と言って、膝をさすっている男はよくいますよ。

運営者 アメリカ女性もひどいとは聞きますが、それ以上ですね。

田代  あんなもんじゃないですよ。中国では、恋人であっても、何年間連れ添った古女房であっても、手を握るのもキスをするのも、すべて女性の許可をもらってからのことです。それを、酔っぱらって帰ってきて女性の承諾もとらずに抱きつこうものなら、中華鍋で頭を殴られる可能性は大です。

 そのくらい中国の男たちは家庭では緊張しているので、会社にやってくると実にくつろいだ晴れ晴れとした表情で、「ああ、ようやく、一息ついた」とお茶を飲み、しばらくしてから「あっ、仕事しなくちゃ」といって仕事にかかるんです(笑)。


中国女性は「お前が一番よい女だ」では納得しない


運営者 うーん、どう理解すればよいのかわからないお話なのですが、そういう文化なんだろうなあということが一つと、何でそんなに女性が強いんですか?という疑問が浮かんできますよね。

田代  その点は謎なのですが、偶然の産物なのかなと思うんです。中国で、いろんな偶然の過程を経て、女性が徹底的に強いという文化が形成されてきたんだろうと思います。

 だから中国の北京大学や精華大学といった一流大学の男子学生の夢は、欧米の金融機関の中国支店に勤めて高給をもらい、豪華マンションに住んで、超一流の腕前の料理人を雇い、ディナーのテーブルの向かい側に座っている女性は、日本人の山口百恵さんにそっくりの女性・・・というのが理想なんだそうです。

運営者 かなり歪んでると思いますよ(笑)。

田代  一番重要なのは、その理想の一番最後の項目ですよ。

 日本の男性は浮気が奥さんや婚約者にばれた時に、「やっぱり、お前が一番いい女だ」と言うのが一番ですね。これで何とかなるかもしれません。

 しかし、同じシテュエイションで、中国の女性に「お前が一番いい女だ」なんて言おうものなら、火に油を注ぐ結果になってしまいます。

 「一番だ」というのは、他と比較した上で一番なわけですよね。

運営者 そうです。

田代  中国の女性は、他の女性と比較されること自体が、そもそも許せないんです。

運営者 絶対的な存在でなければならないということですね。

田代  だから中国の歌謡曲によく出てくるワンパターンのフレーズは、

 [イ尓]是我的一切

 つまり、「あなたは私の一切」。これです。これしかありません。こう言わないと、中華鍋でぶん殴られてしまうリスクが高まります(笑)。

 だから中華思想というのは、「中国は世界のどの民族よりも素晴らしい」ということではないのです。「無条件に中国は素晴らしい」というのが、中華思想の根本なのです。

運営者 なるほど、とってもよく理解できました。
 ただ、ぼくは中国の女性と付き合う自信もないし、中国自体と付き合う自信もだんだんなくなってきましたが・・・。


「中国」は中国共産党の子会社にすぎない

運営者 その次に、中国人のことはちょっとよくわかりすぎたので(笑)、この辺で置いておいて、その次に中国の政体について教えてほしいです。中国はひとつの国家として考えるべきなのか、政府の中心にある軍などのプレーヤーについても同等に見ておかなければならないのか。どう考えておけばよいのでしょうか。

田代  中国には、日本でいう意味での政府はありません。

 「政府」という言葉はあります。でも、それは、日本語の役所とか役場という意味です。例えば中国人がたくさん住んでいる東京都の豊島区豊島区役所に行くと、入り口に中国語で「豊島区政府」と掲示してあります。

運営者 そうですか、なるほどー。上海政府とか、そういう感じですね。

田代  上海人民政府は、「上海市にある中国共産党が作った役場」という意味なんです。

運営者 国家がないと困りませんか。

田代  困らないでしょうね。中国には、近代政治学で言うところの国家の概念はないんですから。

運営者 中国には国家がないと考えなければならないですか。

田代  中国には国家がないと考えたほうが、中国はわかりやすいです。

 中国を会社にたとえると、こうなります。

 まず、中国共産党という持ち株会社があります。その100%子会社が2つあって、ひとつは中華人民共和国。もうひとつは人民解放軍です。

 ただし人民解放軍のほうが先にできたので、中華人民共和国よりも格上の子会社です。

運営者 そういう認識が、中国の理解としては便利なんですね。

田代  はい。中国共産党というのは、従業員数7300万人を誇る大会社なんです。その下に最初に作った子会社が人民解放軍です。その後に中華人民共和国を作りました。どちらの中にも共産党員だけのグループが形成されています。これを党組織、党委員会といいます。

 この党組織、党委員会が実際のマネジメントをおこないます。党組織、党委員会の責任者のことを「書記」といいます。中国で「書記」は実権をもつ責任者という意味です。というのも、昔の中国では字が書けるだけで実権をもつ責任者になれたんです。清の時代には字が書ければ、人を殺しても罪に問われなかった。そのくらい漢字の体系を使いこなす人材を育成するのは難しいのです。

 7000万人を超える中国共産党員のうち、5000万人くらいは会社に入っています。それ以外の人たちは人民解放軍と国家機関に所属しています。会社の中では、まず董事長つまり会長がいて、総経理つまり社長がいます。しかし、それとは別のポストとして、その会社の党組織あるいは党委員会の書記がいるわけです。書記と董事長ないし総経理とが同一人物のこともあるし違うこともありますが、違う場合には書記が文句なく本当に実権をもつ責任者なんです。

運営者 はい。


共産党支配は、外部には隠されている

田代  中国で「負責人」つまり責任者とは書記のことです。外交部や財政部といった省庁においても、その中に党委員会、党組織の書記がいます。部長つまり大臣と書記とのどちらが偉いかといえば、無条件に絶対に書記の方が偉いんです。中国の国家機関、軍隊、病院などありとあらゆる社会団体の中に党組織、党員会があって、その書記が本当の責任者なんです。

 そして中国の中にたくさんいる書記の頂点に立っているのが総書記です。

運営者 それはおぼろげながら知ってはいるんですけれど、その仕組みって機能するもんなんでしょうか。なんか屋上屋もいいところで、リーダーが多いだけで、ほんとに合理的な、つまり競争力がある仕組みなのかなという感じがするんですけれど。

田代  この仕組みがちゃんと機能しているかどうかが分かるのは、やる気になれば何でもできるということです。

 たとえば北京オリンピックの開会式。あれほど一見ルーズに見える中国人たちが、秒刻みの式典を何時間にもわたって破綻することなく実行できたんですから。

運営者 どうせどこかでとちるだろうとタカをくくっていたら、とちらなかったですね。

 しかし、最近あまり顕在化していないですけれど国営企業の問題とか、中国の組織はいろいろと問題を抱えていると思いますが、いま田代さんがおっしゃったマネジメントシステムで何とかやっていけるもんなんでしょうか。

田代  中国でマネジメントというのは、この仕方しかないんですよ。

 うんと親しくなった中国人に、「中国の人にとって中国共産党って何?」と尋ねると、「常に正しく、決して誤ることのないもの」と答えてくれます。彼らにとって、中国共産党こそが、新中国をつくり、新中国を運営し、新中国の将来を設計し、未来に向かって人民を指導するという存在なんです。

運営者 それはまさに神ということであって、結構なんですけれど、現実と乖離しているのではないのかと僕なんかには思えるんですけれどね。

田代  いえ、今の認識は、中国の人たちは、なかなか外国人には見せたがりません。

 中国の公司つまり会社の経営者は、適当に挨拶するだけの外国人には、肩書きが「○△公司董事長」とか「○△公司総経理」と書いてある名刺を渡しますが、本当にビジネスをしようと思う外国人には、「○○公司党委書記」という本当のポストが書かれてある名詞をくれます。「党委」とは党委員会で、本当の経営陣のことです。

運営者 なんか仮面をかぶっているような気がしますけど。彼らの意識の中では、共産党はかなり大きいわけですか。

田代  大きいなんてものではありません。すべてですよ。天よりも地よりも親よりも大切なんです。


「出世すること」と党員になることは同義


運営者 そうした意識がある限りは、北京政府は大丈夫かもしれませんね。

田代  北京人民政府は北京にある地元役場です。それはいつ改廃されるかわかりません。しかし、誰もが「胡錦濤同士を総書記とする中国共産党中央委員会を信じている」と宣言します。

 ただし、中国共産党は選挙で選ばれたわけではありませんから、つねに公約した以上の実績を示さなければなりません。その結果が20年以上続く高度成長です。

運営者 一党独裁ですからね。

田代  あれはあえて近代政治の用語を使えば、一党独裁ではなくて、一党支配です。

 独裁というのは、まだ競合する相手があることを示しています。でも中国の場合は、先ほど来お話しているように、競合関係を許しません。ですから中国共産党にも、競合的な政党は存在しないんです。中国共産党は、中国をマネイジする唯一の政党なんです。

 たとえば、中国の家庭ドラマで、頑張っているお父さんが、会社の廊下を歩いていると、幹部から「君ちょっと」と呼ばれ、「そろそろ人民のために奉仕しないか」と言われます。

運営者 「共産党に入らないか」ということですね。

田代  党員というのは、なりたくてなれるわけではないんです。仕事を頑張り成果を出しているうちに、入党のお誘いがくるんです。日本でいえば、「君そろそろ部長になるのはどうかい」という感じで。

運営者 役員への道が開かれるということですね。

田代  つまり、出世するということと党員になるというのは同義語なんです。

運営者 僕は、その辺のことは山崎豊子の「大地の子」を読んで知ったのですが、あの舞台は1970-80年代の話ですよ。だからその当時はそうだったのだろうけれど、さすがに21世紀の今は変わったのではないのかと勝手に想像していたのですが、そんなことはないんですか。

田代  変わってませんね。入党を奨められたが断ったことを自慢する知識人がいるくらいですから。

運営者 それは驚きです。中国は恐ろしいほどの変化を遂げているのに、その部分だけは変わっていないんですね。

田代  ますます拡張しています。その証拠に、党員数は7000万を超えたわけですから。これは中国人の13人に1人が共産党員であるということです。大人の7-8人に1人ですから、管理職の人口にあたるわけです。

 もっと言うと、中国で党員というのは、もちろん偉い人のボンボンは入っていますが、それはごくわずかで、管理職か高級技術者のことを指す訳です。それが共産党員です。党員になるということはそういうポストにつくということです。

 雑誌の世界でいえば、編集長は党員です。


共産党は「 人間が作ったモノ」だから信じられる


運営者 党員以外の人が編集長になるということはないわけですね

田代  中国では法律で、メディア会社の社長は共産党員であることが義務づけられています。したがって、彼らは法律以前に、共産党の規律に従わなければなりません。

運営者 それはわかりやすい。

田代  ですから、共産党の意向に沿わない記事が中国で出てきたらびっくりなんです。それは手違いかミスか、あるいは、戦略的なリークですよね。

運営者 たまにそういうのが出て話題になりますが、それはあくまでも手違いか戦略的リークなんですね。

 ということは、改革開放政策を押し進めて、とっても赤い資本主義になっているように思うけれど、根っこのところはしっかり共産党が押さえているということなんですね。

田代  例えばドバイでどんなに超高層ビルが建っても、イスラムの世界であることには変わりはないわけです。

運営者 それと同じわけですね

田代  アラブではアラーの神が地上に降り立ち、中国では中国共産党が降臨したのだと考えればいいわけです。ただし、アラーは人間を超越した絶対神ですが、中国共産党はあくまでも人間が作ったものなのです。 中国人にとって世の中のすべては人間が作ったものなんです。だから、中国人は人間の手が入っていないものには何の関心もありませんから。

 日本人はサンゴ礁を見て「わー。、すごいなあ」と喜ぶじゃないですか。

運営者 ええ。

田代  中国人はサンゴ礁を見て、「あれはだれが作ったものですか」と聞くので「海中の虫です」と答えると、中国人は「ああそう」と言って寝てしまいますよね。壮麗な夜明けや夕焼けを見ても、まったく面白くありません。

 だから中国では、「これは素晴らしい景色だ」と詠んだ杜甫や李白の詩が岩に巨大な文字で彫り込んあったります。ああして初めて、自然の光景が価値あるものになるんですね。

運営者 「赤壁賦」を読んだ蘇軾の字で「赤壁」と岩に大きく彫り込んでますもんね。場所が全然違うんですけれど。

田代  そうでなければ意味がないんです。「赤壁」と高名な詩人が書いているからこそ意味があるんです。

 中国の詩人は日本よりも欧米よりも高い社会的地位を得ています。李白や杜甫は新しい価値の創造者なのです。杜甫や李白が詩に詠んだ景色からこそ素晴らしいのであって、虫が作ったサンゴ礁は全く無価値なんです。

運営者 僕はああいうふうに岩に彫るのは美観を損ねると思っているんですけれど、中国人はそうは考えないわけですね。

田代  ああしてこそ初めて美になるんです。


漢字…個人の好みが入ってはならない世界


田代  故宮博物館の素晴らしい水墨画も、皇帝が画讃を書き、大きな御璽を押してますよね。ああされたからこそ、超一級の芸術品になっているんです。

運営者 ぼくはまたそこがどうしても理解できないんです。

 ある程度案配を考えて讃を書いたり、落款を押したりしているのは分かるんですけれど、うるさくなっているだけじゃないかと思うんですよね。だけど中国では、乾隆帝の讃があると価値が上がるんだそうですね。

田代  中国では芸術家もすべて、国家一級音楽士、国家二級音楽士・・・と格付けがついています。そして国家一級だから、金を払ってでも聞きに行くんです。

運営者 分かりやすい権威主義だな。

田代  ですから中国ではなかなか市民社会は成立しないんです。

運営者 僕なんかは、中国が本当に市民社会になったら怖いなと思ってるんですけどね。

田代  そういう条件は非常に揃いにくいということが分かりやすいのは、アメリカ人にアルファベットを書かせると、メチャクチャわかりにくい字を書くじゃないですか。それは習字という習慣がないからです。中国人はどんな人でも、極端に言えば乞食でも立派な漢字を書きますよ。

 つまり漢字をきちんと書くことに象徴されるように、中国では個人の好みが入ってはならないんです。

 たとえば犬という漢字を書く時に、尻尾を大きくしたした方がよいということではだめなんです。中国はそのように、上からがっちり枠を決めなければみんなが困ってしまう社会なんです。

 秦の始皇帝の焚書坑儒は、日本では完全に誤解されています。「焚書」は、漢字のフォント統一をしたということなんです。それ以前には同じ漢字でもいろいろなフォントがあったのを、「これが正しい統一フォントである」と始皇帝は決定して、異字体を使った文書を全部焼いたというのです。「坑儒」は、それに反対する学者を、地下牢に入れて妨害活動を封じたということです。

 それをあとから儒者たちが、自分たちの価値を上げるために、始皇帝は虐殺を行ったというホラを吹いたということですよ。

運営者 まあ、中国人がホラを吹くのは当たり前だし。ましてや儒学者というのは一番ひねくれた連中ですからね。

田代  それもね、中国人の場合は、さっきから言っているように暗示しているだけなんです。「暗示をどう受け取るのかはあなた次第」ということですから。

運営者 それが白髪三千丈になるわけですね。まあそういう文化だということです。善い悪いは別として。


メンツを気にするから「割り勘」にしない


田代  その中国は、今や世界の誰もがビジネスにしても政治にしても外せない国になってきています。

運営者 そうなってきていますね。

田代  もっと言うならば、日本の方が外されてきていると思ったほうがよいでしょう。

運営者 そうですね。

田代  例えば2008年にハーバード大学の大学院に入学した日本人はたった7人だそうですよ。

運営者 えっ、そんなに少ないんですか。

田代  その一人に聞いてみたら、中国人の入学者は100人以上いるかもしれないというんですね。つまりアメリカの知恵袋である超一流大学から、「もう日本人はいらない」と判断されてしまったということですよ。

 たった7人の日本人留学生の一人も、お父さんがハーバードで学位を取っているのです。そういうコネがなければ、アメリカの超一流大学は、「日本人よりも中国人を優先的に入学させる」と判断しているのです。アメリカの大学だって、20年後、30年後の自分たちの繁栄を考えていますからね。

運営者 もちろん、アメリカの大学は、まず自分たちの経営を考えていますから。

田代  そうすると、人口が減って今でさえ存在感のない日本よりは、中国の方が有望という考え方は当然理解できますよ。

  それから、中国人は自分の「人間力」をすごく気にしていますよ。

運営者 それは意外です。自己中心的な人間は、そういうことは気にしないもんなんですが。

田代  中国人は自己中心的であると同時に面子(メンツ)を大切にするからです。

 たとえば、中国人は決して割り勘はしません。たとえそれが何十人の大宴会であろうが、一人が払うんです。

運営者 それはどういうことですか、一体。払うのはだれなんですか、どういう立場の人なんですか?

田代  それは、これまでの経緯から決まるわけですけれど、基本的にはその場で決まります。大事なことは、自分が払うと決まったら、絶対に文句を言わない。「割り勘にしたい」なんて言ったら、中国人は「ああ、この人は自分との会食はこれで最後にしたいんだな」と受け取ります。それで関係は終わりです。

 割り勘をしないということは、おごられた側がおごった側に借りをつくることになります。それは「次はあなたが払ってくださいね」、「次は私が払いましょう」ということで、関係の継続を意味します。

運営者 その気持ちは日本人も判る感覚です。


中国人は効率性をあまり考えない


運営者 だから田代さんの今までのお話を伺っていると、日本人が理解できることと理解できないお話が混ざっていて、しかも理解できる話でも、日本人と同じ感覚である部分と、恐らく日本人と違う感覚で成り立っているんだろうなという部分があると思います。その区別がつかないなという気がしますよね。

 さっきの「割り勘にしない」というのは、日本の体育会系的な社会では、「先輩が後輩の分を払う」ということで決まっているわけですが、今の話を聞くと、目上の者が目下の者の分を払うということでもないようですね。

田代  そうですね。たとえば、日本では結婚披露宴は一回だけですよね。

運営者 そうですよ。

田代  ところが中国では、原則として、披露宴は2回あります。金持ちの家どうしの結婚なら、大抵そうです。

 まず新婦のお父さん主催の披露宴が行われます。日本の披露宴との違いは、司会者もいなければスピーチもありません。ただ食べるだけです。日本のように会費を取るなどというケチなことは言いません。全額、新婦のお父さんが持ちます。レストランの外には巨大なメニューが張り出してあって、一品ごとにいくらなのかが明記され、総額がいくらかも書かれてあります。「どうだ貧乏人ども、指をくわえて見てろ」という感じです。

 翌週の日曜日、ほぼ同じ顔ぶれを集めて、新郎のお父さん主催の披露宴が開かれます。もちろん、全額が、新郎のお父さん持ちです。

 そういうわけで中国の結婚式の披露宴は2回開かれます。日本のように披露宴の費用を両家で折半するなどということは絶対にありません。新婦のお父さんが披露宴をやった後に、新郎のお父さんが前回を上回る規模の披露宴を行い、それぞれ費用を全額持つわけです。

運営者 それは、文化人類学的な話ですが、カナダのアルゴンキン・インディアンの部族間で行われる、ポトラッチと言われる破滅的な互酬的贈与に近い話だと思うんです。

 一方の部族が全財産を他方の部族にあげてしまうんですね。そうすると次に、それをされた部族は、お返しとばかりにそれを上回る規模の贈与を行うんです。そういう時期をずらした原始的な交換として類型化されるような話です。貶めて言っているわけではなくて、パターンとしてそういう感じがします。

田代  中国人は日本語の「もったいない」という言葉の意味が分かりません。「もったいない」と言うのは、「私はケチです」とか「私は貧乏です」と言ってるように聞こえるようですね。

運営者 でも「もったいない」の精神を理解していただけないと、「やっぱり中国人は地球環境破壊の急先鋒じゃないのか」という感じもするんですけれど。

田代  それはまあ、あるかもしれません。というのも、中国人は日本人のように効率性ということをあまり考えないからです。だって効率性というのは抽象概念じゃないですか。


株式投資すべき銘柄は党が指導してくれる


田代  それはまあ、あるかもしれません。というのも、中国人は日本人のように効率性ということをあまり考えないからです。だって効率性というのは抽象概念じゃないですか。

 例えば株式投資でも、PERとかPBRは全く気にしないようです。むしろ中国共産党の金融部門の人たちは、PERとかPBRを人民に教えようとするんだけど、人民は聞く耳がないみたいです。

運営者 そしたら、中国人は何を基準にして株式投資してるんでしょうか?

田代  安ければ買う、高くなったら売るということです。

 例えば中国では、日本で言うところの整理ポスト株に入れられて値下がりした赤字企業の株式に買いが殺到するんです。その結果として、赤字企業の銘柄が生き返ってしまいます。共産党の金融担当の幹部の人が、「何のために株式市場があるのか。それは企業を淘汰するためである。ところが中国では悪い企業ほど株に買いが集まる」と嘆いています。

 だから、中国の上場企業の経営者の中には、証券取引所の責任者に「うちの会社を整理ポストに入れてくれ。そしたらカネが集まるから」と頼んだりするそうです。日本だと、ありえませんよね。

運営者 うわー、すごいなあ。

田代  整理ポストに入ったら中国では「しめしめ」ということなんです。だからアメリカの大学に留学して経済学博士号をとっているような共産党の若手幹部は2007年の段階で、「中国はこれではいけない。株価は高すぎる。赤字企業は値幅制限いっぱいまで値段を下げさせてやる」といって、共産党主導で赤字企業の淘汰を進めたんです。

 一方で人民には、「もっと立派なブルーチップ(優良株)を買いなさい」と進めるわけです。「ブルーチップの定義は何か」と尋ねたら、「それは党が指導する」ということです。

運営者 なるほど、恐れ入りました。いいじゃないですか、赤い資本主義なんだから。

田代  だから、善い悪いではなくて、中国は党の指導でみんなが行動しているのですね。

運営者 そこが特異な点ですね。

田代  重要なのは、日本だと権力には自ずと権威が伴います。ところが中国では、そんなことが一切ありません。どんなに権力を持っても、中国人は権威を認めません。なぜかというと、みんな家に帰れば、奥さんにはいつくばっているわけですから

運営者 その点には、ちょっと同情しますね。

田代  ですから会社で書記が威張って訓辞しても、誰も聞いてないわけです。

運営者 心の中ではそうなんですか。


「今日も中国共産党はおおいに権威を高めました」


田代  だって家に帰ったら、妻に媚びまくっているわけでしょう。

 中国の朝は、夫が朝ご飯を作ってから妻を起こすんですよ。中国の会社は午後5時になったら男は誰もいません。だって4時45分になったらみんながスタンバイして、5時の終業のサイレンが鳴った時点で会社や工場を出てスーパーに走っています。そして食材を買って6時までに家に帰り、夕飯を作っていると妻が帰ってきます。帰ってきた妻は、「ご飯、何時?」と聞きます。

 みんな、そうやって暮らしているわけですから、いくら書記が威張って演説していても、4時半になったら「あのう、そろそろ書記も夕食の準備をしなくて大丈夫ですか」と、みんなが心配しはじめる・・・。

運営者 マンガじゃないんですから(笑)。

田代  そういうことがあるので、権力と権威がくっつかないんです。そこで中国では、権力が権威を保つために、派手なパフォーマンスが必要なんです。オリンピックとか、宇宙開発とか。

運営者 ホントなんですか、それ?

田代  中国のニュースでは、胡錦涛総書記や温家宝首相が、炭鉱の落盤現場や洪水の現場に行って、総書記や総理が自ら救助活動の陣頭指揮をとる光景が、せっせと報じられます。

 アナウンサーは、総書記や総理が「こういう事故は二度とあってはならない」という指示を全国に伝えたと述べ、最後に厳かに、「今日も中国共産党はおおいに権威を高めました」と述べてニュースを終えます。そういうふうにして、中国では毎日「水戸黄門」をやってるんです。

 だから、みんな日本の政治家と違って、中国の書記は本当に忙しい。

運営者 温家宝も地震の時には現地に行ってうろうろしてましたからね。

田代  前総理の朱鎔基はもっと派手でしたよ。堤防が決壊し洪水が起きている現地に飛んで、視察するわけです。そうすると堤防が手抜き工事で鉄筋が入っていないということがわかります。そうするとドシャブリの雨の中で、朱鎔基総理が、「こんなオカラのような堤防を作ったやつを俺は許さない」と怒りをぶちまけ、兵隊に棺桶をもってこさせます。そして、現場の責任者に対して、「こんないい加減な堤防を作ったやつをしょっ引いて、この棺桶に入れろ。できないなら、お前が棺桶に入れ。それも嫌だったら、おれを殺して棺桶に入れろ。さあどれを選ぶ」と言います。

 現場の責任者が「命がけで党と人民のために働きます」と言うと、朱鎔基は「好」(ハオ、「よし」)と言い、自らバケツを握りしめ、逆巻く濁流の中に入っていこうとするんです。そうすると、閣僚や兵士たちが「私たちがやります」と言って、朱鎔基を押しとどめ、解放軍兵士による壮大なバケツ・リレーが始まるわけです。

 こうした光景を含むニュースを全国放送するわけですが、その最後にくるアナウンスは、「今日も中国共産党はおおいに権威を高めました」なのです。

運営者 そういうの、大慶の油田の記録映画で見た事ありますね。
 しかしまったく不思議なのは、人類で最も現実主義的な中国の皆さんが、そのニュースを見ていたとして、本当に「党の権威が高まったな」と感じるとは思えないのですが。

田代  それくらいで党の権威は上がらないですよ。だから宇宙ロケットを打ち上げなければならないんです。


権力・地位・メンツが大切


田代  簡単には党の権威は上がらないですよ。だから宇宙ロケットを打ち上げなければならないんです。

運営者 彼らにとっては、党の権威を高めるということは国家存続のためにどうしても必要なことなんですね。

田代  いや、共産党にとって国家というのは、自分たちの目的を達成するためのヴィークル(手段)の一つにすぎないないんです。国家は軍と並ぶ党の子会社なんですから、あくまで共産党が中国の主体なんです。

 だから中国の子供たちが学校で歌わされるのは、「共産党がなければ新しい中国はない」という歌なんです。

運営者 とっても楽しそうな歌ですね(笑)。

田代  これを幼稚園児たちが手をつないで、歩きながら歌っているんです。とてもかわいらしいですよ。

運営者 子供の時から歌わせれば、それなりの洗脳効果がありますよね。

田代  全然ないんですよ。

運営者 えっ、そうなんですか。

田代  洗脳できるのは、抽象的な概念、ふやふやしたあいまいなものが好きな人だけですよ。だから日本人はすぐに洗脳されるんです。

運営者 ということは、現実主義の塊のような中国人は洗脳できないということか。カネで釣るしかないのかな。

田代  ただ、中国の人たちは現実主義者なんだけれど、お金が欲しいというというわけではなくて、むしろ地位がほしいんです。

 地位を守るためには、さっき言ったようにたとえ100人の宴会であっても全額自分が払うようなことをするんです。そのためのお金が欲しいわけです。メンツを守るためですね。

運営者 メンツというのは、地位と同じようなものなのでしょうか。

田代  いえ、ちょっと違いますね。

運営者 では、中国人にとってなぜ地位が重要なのでしょうか。

田代  中国人は、日本人とは違って、「無位無冠だけれどあの人は立派な人だ」と言って人を認めるようなことは絶対にしないからです。

 具体的にその人がどれだけの権力を持っているかが問題なんです。中国では「権力、権限、権利」はすべて同じ言葉です。「権力」で表現される同義語なんです。

 ですから旦那が家に帰ってきたら、奥さんが勝手に新しいソファーを買っていたとしても、「なぜこんなもの買ったんだ?」と言おうものなら、奥さんに「家の中のことは私の権力よ」と言われてしまい、ベッドの側に一晩中ひざまずかされたり、テラスに押し出されてしまうんです。

 中国では、権力が大きければ大きいほど、立派な人だとみなされるんです。


部長なら、部内のパソコンを家に持って帰ってもよい


田代  それでその権力が大きければ大きいほど、立派な人だとみなされるんです。

運営者 うーん、繋がらない。私にはそういう発想は無理です・・・。

田代  孔子の夢も、帝国宰相になることでした。

運営者 そうですね、孔子はただのひねくれものですからそうだと思うのですが、だけど昔は「竹林の七賢」とかいたわけじゃないですか。

田代  あれが評価されているのは日本だけで、中国ではまったく評価されていません。

運営者 あれーっ、そうなんですか。まいったなあ。

田代  歴史のおつまみですよ。

運営者 日本では大人気なんですけどね。「清廉」といったイメージで。

田代  中国人が言うところの「能力」というのは、自分が勤めている国家機関や軍隊や会社の器物を、どれだけ私物化できるのか、その度合いのことなんです。

 だから中国で妻に「あなた会社で能力あるわよね?」と聞かれた夫が「うん」と答えたら、妻から「じゃあパソコンを一台持って帰ってきて。子供に使わせるから」ということになるわけです。

運営者 業務上横領じゃないですか。

田代  中国じゃそうじゃないんですよ。中国では、部長が、部内のパソコンを持って帰ることは、全く合法なんです。

運営者 全く合法なんですか?

田代  他の部のパソコンを持って帰ったら違法ですよ。窃盗ですから。

運営者 それはそうでしょうけれど・・・。

田代  ということは、社長になればその会社のすべてを私物化してよろしいということになります。

運営者 なるほど。

田代  総書記になれば、中国のすべてを私物化することができるわけです。

運営者 ということになりますね。江沢民と胡錦涛のムチャクチャな暗闘が伝えられていましたが、バックにそういうことがあるのかなと考えれば、まあわからんでもないなという感じもします。


政治がすべての価値の源泉


運営者 所有権の概念が、われわれと根本的に違う感じがしますね。ほんとにジャイアニズムで、強者であれば「ボクのものはボクのもの、君のものもボクのもの」というのが、偉くなれば、権力を握れば通用するという感じがあるわけですね。

田代  その代わり、権力者はチャリティー活動などには熱心に参加します。

運営者 中国で一般的なチャリティーというのはどういうものがあるんですか。

田代  たとえば、乞食に施しをしてやるとか。
 共産党の偉い人たちは、いつもポケットに相当の札束を入れていて、乞食を見たら、路上の缶カンの中に結構まとまったお金をかならず入れていきます。

運営者 あの、共産中国には乞食なんか存在しないのが建て前なんじゃないですか。

田代  オリンピックのおかげで北京からほとんど追い出されてしまいましたが、乞食は存在しますよ。見ていると、ほとんどの人民は無関心ですが、共産党の幹部の人たちは、きちんと施しをしていますよ。

 四川の大地震の時も、寄附金の金額が人民日報に掲載されたじゃないですか。だれがいくら寄付したか。

運営者 そういえば、国別の寄付金額も積み上げて報道されていたというニュースを見ましたが。

田代  ジャッキー・チェンなんかすごかったですよ。大枚をはたいて、ますます人気が上りましたね。

 これは日本とは全く違う感じですね。

運営者 私にはわからない感じなんですが、寄付した金額が大きければ大きいほど、その人は偉いということになるんでしょうか。

田代  そうですね。中国ではそのように、すべからくお金が必要ということです。だからお金が欲しいんだけど、それはお金そのものが欲しいわけではなくて、お金を使うことによってメンツを保つことができるからです。

運営者 そういう動機があってお金を稼ぐことに励むのであれば、まあそれは悪いことではないのでしょう。

田代  日本と中国が徹底的に違う点は、中国では政治がすべての価値の源泉なんです。

運営者 政治というのは、何だと考えればいいでしょうか。

田代  権力を操ることですよ。


国有化の時代のアメリカの金融政策は中国がリードする


田代  権力を操ることですよ。

 例えば「中国四大美女」っているじゃないですか。

運営者 西施、王昭君、楊貴妃、貂嬋ですか。

田代  貂嬋は『三国志演義』に登場するからフィクションなんですけれど、みんな政治がらみじゃないですか。祖国を守るために敵国の王を色仕掛けで籠絡させようと献上された西施のように、政治に絡んでこそ中国では美女の価値があるんです。日本のような純粋美女という発想がありません。

運営者 なるほど、「傾城」なんて言い方にも表れてますね。

田代  さっき申し上げたように、美術品でも皇帝が画讃を寄せたからこそ芸術品になるんです。「純粋の美」というのも、中国にはないんですね。

運営者 故宮博物館に行って、北宋汝窯のコレクションを見ましたが、あれらを乾隆帝が持っていたということは関係なしに、そこに美を見出すことができると思うけどなあ・・・。

田代  政治によってこそ中国では価値があるんですよ。唯一例外は、李白や杜甫といった800年前の大詩人たちです。

運営者 彼らは別格なんですか? だって、連中は出世しなかった筆頭じゃないですか?

田代  そう。ところが中国では、詩人だけが皇帝とは別に新しい美を創造することができる存在なんです。

運営者 そういう美の創造があるということはわかっているわけですね。うーん。でもまあ、そういう文化なんだな。

金融危機で、世界は中国にとって都合よく一変する


田代  アメリカは今や、金融機関を事実上どんどん国有化してるじゃないですか。

運営者 ええ。

田代  あれをやっていたら、中国のアドバンテージはどんどん上がりますよ。
 だって、何もかも国家がマネージするということであれば、中国は「それは中国に任せてください。中国は何百年もそうやってきましたから」ということですからね。アメリカはおそるおそるやってるわけですから、中国にしてみれば赤子の手をひねるようなものですよ。

運営者 アメリカがケインズ政策を手放してからずいぶん経ちますからね。

田代  ところが、アメリカ政府がAIGの株式を80%持つんですから、中国工商銀行と一緒じゃないですか。株式会社になった国有企業の運営方法は、中国が一番よく知ってるわけですよ。だから、「今までアメリカは、モルガン・スタンレーやゴールドマン・サックスが金融業を牛耳ってきた。でもこれからは中国共産党が指導してあげましょう」と思っているわけです。冗談でも不遜でもなく、本当にそう思ってます。

運営者 それをまともに受け容れるアメリカ当局の人間は誰もいないと思いますけれど。

田代  でも、パフォーマンスの点でアメリカは負けているんです。その事実を日本人は見るべきだと思いますね。

 EUは、「中国と産油国にはIMFに追加出資しなさい」と言ってるんだけど、日本には言って来ていません。「日本は金は持っているけれど、何もできない」と見限られているんですよ。

 何をやろうとしても、野党がうるさくて何もできないということが分かっているし、08年10月8日のアメリカとEUの協調利上げに日銀はまったく参加しようとしませんでしたから。その時は「日本は利下げの余地はありません」と言ったのに、10月末になって金利を0.2%下げても、世界の誰も相手にしてくれません。

 10月8日に利下げしておけば、「やはり日本はアメリカのベストフレンドだ」と称賛されていたんですけどね。

運営者 でもね、日銀はできなかったでしょうね。0.5%まで公定歩合を上げるだけでも必死だったんですから。「それをまたなんで利下げしなければならないんだ」と思っていたでしょう。結局08年末までに0.1%までじりじり下げたんですから、かなり見苦しいですよ。

田代  でも、いまアメリカは国家存亡の時ですからね。金策のためにカバンを持って走り回ってる中小企業の社長みたいな状態なんですから。

運営者 「銀行が閉まるまでに金が欲しいんだ」ということですから。

田代  今のアメリカは「同情するなら金をくれ」なんです。

運営者 田代さんの中国人に関するお話は、私にとって驚くべきものでした。距離的にも近いし、文化的にも大きな影響を受けている国なので、だいたい同じような人間なんだろうとか、黙っていても理解し合えるだろうと思っていたのですが、どうやらまったく違う人々のようなので、理解し合うまでにはかなりの時間がかかりそうな気がしますね。

 それで、中国人や中国という国がどういうものかということは、なんとなくおぼろげながらわかりました。その中国がいまや、経済的にも世界に進出してきたわけですが、それが日本にとってどのような影響を与えるのか、世界にとってどうなのかというお話に踏み込んで伺いたいと思います。

田代  いまの金融危機の結果、世界は一変すると思いますよ。それも、かなり中国にとって都合よく一変するでしょう。

運営者 自由主義経済諸国がボーッとしていたら、そういうことになるでしょうな。

田代  中国人は決定的な自信を持っています。中国人にとって、すべての民族は少数民族なんです。

運営者 その認識は、別にまちがってはいないでしょうね。

田代  物理的に正しいですからね。


中国にとっての北京オリンピックの意味


田代  だからふつうの国なら、口で言うだけのことを、本当に実行してしまうんです。

 たとえば今までのオリンピックで、外国での聖火リレーに自分の国から護衛隊を送った国があったでしょうか?

運営者 なかったと思いますよ。聖火防衛隊には驚かされました。

田代  しかもその国にいる中国人を大量動員して、自国の国旗だけを持たせて組織的な応援をさせた国があったでしょうか。

運営者 なかったと思いますよ。しかもそれをやって恬として恥じない。中国はそういう国なんだということが、あれで世界中に認識されました。

田代  かといって、どの国も北京オリンピックをボイコットしませんでした。中国から得られる膨大な利益を手放したくないからですよ。

運営者 それは一つの解釈であって、違う角度から見れば各国が自由貿易の価値を認めているからボイコットしないんだという言い方もできると思いますよ。

田代  自由貿易であれば、政治的な思惑は必要ないわけです。

運営者 オリンピックに対して、普通の国は政治的な思惑は持たないわけですが、中国はそうではなかったというだけです。中国にとっては北京オリンピックは完全に政治的な祭典であったわけですね。

田代  そうです。日本人が完全に思い違いをしているのは、中国には、北京オリンピックを経済発展のジャンピング・ボードにしようという発想は全くないんです。あれは100%、共産党の権威を高めるための政治イベントです。

 開会式での子供の歌の口パクや、少数民族の衣装を着て出てきた子供全員が漢民族の子役俳優だったとか。あれは、中国で開かれる国慶節などの重要イベントでは、いつもやってることなんです。子役として普段使っている子供たちだから、ああいう大イベントでもあがらずに務められるわけです。だから口パクや子役を使うのは当たり前でしょ、ということです。

 「何を非難されているのかわからないけれど、そんなにみんなが気にするのであれば、ホスピタリティーとして今度から公にするのはやめましょう。徹底して秘密にしてあげます」くらいの感じです。

運営者 その言い分はよくわかりました。だけど西側諸国からすれば、やはりやらせとしか見えないです。そこには何か感覚のズレがありますね。

田代  そうですね。しかしそこに感覚のズレがあったとして、彼らは自分たちの方が姿勢を正そうとは考えません。

運営者 それはもちろん。だって西側だってそう考えているわけですから、お互いさまですよ。

田代  しかし中国側がどう考えているかというと、「中国は正しい、なぜならば世界の中心だから」と思ってるんです。

共産党は株価を完全にコントロールできる


運営者 そうしますと、とりあえず政治的なことを置いておいて、そうした国が世界的な市場経済の中で発展していくことができるのかどうかですよ。

田代  たとえば、08年9月からの各国の為替レートを見てみましょう。世界的に、円以外の通貨はドルに対して為替レートを下げ、一部の通貨は対ドル為替レートが暴落しています。しかしこれだけの経済変動の中で、人民幣の対ドル為替レートは、ほとんど微動だにしていないんです。実質ドルペッグしているんです。この状態が維持できるというのは、すごいことですよ。市場での銀行の外国為替の取引による為替変動を、すべて国家の側でキャンセルさせているということなのですから。

運営者 そうですね。

田代  それから上海の株価は06年から07年にかけて暴騰しましたが、そのピークはいったいいつだったかというと、07年の中国共産党大会の開会2日目なんです。

 それからずっと下がってきたのですが、08年の9月19日の金曜日と休み明けの23日の月曜日の2日続けて、中国の大型銘柄はすべて、ぴったり10.0%値上がりしたんです。

 それはどうやったかと言えば、保険会社や年金基金に株を買わせたわけです。

運営者 それは、誰かに見せつけるためにやってるんですね。

田代  「世界経済がこれほど大変な状況になっていても、共産党は人民のためならいつでも株価は上げてあげますよ」というアピールなんです。

運営者 共産党の権威を高めたわけですね。

田代  こんなこと、他のどこの国でできますか?

運営者 アメリカは、そういうことをしないという主義ですから。

田代  では中国人は聞くでしょうね、「個人投資家にとってどちらが幸福な国でしょうか?」と。

運営者 だったら、上海市場も香港市場も、不動産市場も含めて、損してる人いっぱいいるわけだから、「政府が相場を上げてくれ」と言うんじゃないでしょうか。

田代  それについては彼らは、科学発展とか、和階社会(調和のとれた社会)とか理屈があるんです。

 中国は所得税がありません。名義上はあるんですが、実際は徴収していないんです。だから中国の税金の主力は「増値税」という付加価値税です。

運営者 そうなんですか。

田代  これって、貧乏人にとってはすごくきついでしょ。だからどうするかというと、金持ちの持っている資産を、そうやって強制的に吸い上げるわけです。

運営者 はー、そういうことか!

満州事変記念日、この日は党は何かやってくれる


運営者 ということは、中国の市場で株が値上がり値下がりしているように見えるけれど、実はそれは税金をとっているだけなんだということですか?

田代  その一方で、90平方メートル未満の住宅を買うときの住宅ローンの金利は、強制的に大幅に引き下げられています。だから庶民が本当に自分が住む家の住宅ローンは格安にしています。しかし金持ちが投機で買うような、鍵さえ開けたことがないような家については、価格をどんどん下げているわけです。

運営者 市場主義経済の観点から見て、外国企業に対してムチャクチャを言ってるだけではなくて、国内でもムチャクチャやってるということですね。

 つまり、中国で金融商品や不動産価格が騰落しているということは、完全に国家がコントロールしていると見ていいわけですか。

田代  例えば08年9月18日になぜそれをやったのか。

 9月18日は、満州事変が始まった日なんです。だから人民は皆、「共産党はこの日は何かやってくれるだろう」と期待しているんです。そして08年9月18日に共産党は、証券取引税の引き下げ、証券からの利益に関する税金の大幅減税、個人所得税の免税、この3点セットを宣言しました。

 それに加えて、国有の巨大保険会社や年金基金に株を買わせて、大型銘柄に関してはすべて10.0%値上がりさせたわけです。このとき共産党を信じて株を買った人は、2日間で10%の値上がり益を手にしたことになります。

 そういうことができるわけです。為替レートだっておんなじです。ポールソン財務長官が北京に来るたびに、あるいは温家宝がワシントンに行くたびに、人民幣の対ドル為替レートがちょっとハネ上がるんです。

運営者 ちゃんと土産を持たせてやることができるわけですね。

田代  そうです。面白いでしょう。

運営者 面白いというよりは、なんか無理があるように思います。

田代  しかし中国人からすれば、そのような政治的配慮がないものは信用できないんです。

 日本人はその逆で、市場が政治的配慮から外れて自律的に動いていれば信頼したくなります。中国人はそんなものは信頼しません。

 だって中国には、クレジットカードがないんですよ。一応「信用カード」というのがあるんですけど、あれはデビッドカードです。中国人はクレジットカードの仕組みを「信じられない」と言います。

運営者 政府がクレジットカードを発行しても信用しませんかね。

田代  信用しないと思います。北京に中国の皇帝が作った公園があって、そこに手漕ぎのボートがあるのですが、それに乗ろうと思ったら補償金が500元かかるんだそうです。バスが1元、タクシー初乗りが10元なのに、公園の手漕ぎボートの補償金が500元ですよ。まったく人を信用していないんです。

 そういう社会ですから、高額なものほど現金払いです。マンションの頭金や自動車の頭金は現金が原則。口座振り込みではなく、業者の窓口に本当に札束を並べて払うんです。そうでなければ、相手から断られてしまいます。だから、「ロールスロイスを買う」なんて言ったら、100元札が上限ですから、大変なことになるんです。
 ことほど左様に、彼らは抽象的なことは信じません。アメックス発行のトラベラーズチェックですら全く信用しません。「これ何?」てなもんです。

運営者 とってもよくわかります。


所得倍増政策への世界からの期待


運営者 それで、こういうことなんじゃないでしょうかね。アメリカは移民を受け入れて人口は3億人を突破しました。それで「自由主義で頑張ろう」という腹づもりです。一方中国は、共産党支配の下、13億人といわれる人口パワーが経済力を支えて、いま田代さんがおっしゃったようなマジックを可能にしています。

 今後の世界は、たぶんこの両者による力のせめぎあいになるんでしょうね。

田代  『フォーリン・アフェアーズ』の08年6月号に、 フレッド・バーグステンが「米中によるG2形成を」という論文を書いています。あの雑誌に出たということは、すでにアメリカの政策オプションに入っているということでしょう。

運営者 民主党政権だし、民主党寄りのバーグステンだし。

田代  英文のタイトルはPartnership of Equality、「対等のパートナーシップ」です。

運営者 そんなもん、中国の辞書にはありませんよ。

田代  日本語訳がうまいですよね。08年10月末のThe Economistでは、「アメリカの連邦準備と中国が利下げしました」と報道されていて、日本の利下げなんかニュースにもなりません。世界がそういうふうになっちゃったんです。それは大きいですよね。世界経済にとって一番怖いのは、中国が米国債を買わなくなるか、売り出すことです。

運営者 もちろんそうです。今までは同盟国である日本がTBを買っていたから安心だったわけで。しかし本当に中国と共存することが、アメリカを盟主とする自由主義経済の国家群にとって利益になるのかどうか。現在の危機を乗り越えるための苦し紛れの判断ではなくて、その先数十年を想定した深慮がなされているのかということに関しては、検証が必要だと思いますよ。

田代  今のアメリカに、その余裕はないですよ。

運営者 「なんでもいいから、助けてください」になっちゃってますからね。

田代  日本は頼りにならないし。アラブの連中はよくわからないし。比較するとまだ中国のほうがよさそうだなと。

 しかも中国には、今回の金融危機に対して奥の手があります。中国共産党が、「中国の内陸部の農民の所得を、2020年までに2007年の水準の倍にする」と宣言したんです。地球人口の8分の1の人間の所得を12年間で倍にすると宣言したんですよ。これに対して、日本以外の国は色めき立っています。フィナンシャル・タイムズなんか、「中国が世界を救うのではないか」と。

運営者 話のつながりからいうと、党が公言した以上はやるということですよね。

田代  実現させなければ、党が権威を失い崩壊してしまいますからね。

運営者 もし中国の農民層の所得が倍になれば、これは経済的には非常に大きな意味があると思います

士は己を知る者のために死す


運営者 ちなみに共産党は、改革開放路線以後、経済見通しについて大きなまちがいや失敗をしたことはあるんでしょうか?

田代  いっぱいありますよ。それについて中国人の特徴をもうひとつつけ加えるとすると、「とりあえず」ということがあるんです。

 とりあえず大躍進をやってみました。とりあえず文化大革命をやってみました。今度は、とりあえず改革開放やってみました。とりあえず証券市場も作ってみました・・・。

運営者 大躍進は失敗したけど、改革開放は今のところはうまくいっていると。国家による証券市場のコントロールも成功していると・・・。

田代  中国の人たちに政策について「どうですか」と聞いてみると、「とりあえずやってみました」と答えるんです。

 日本人はハッとしますよね。だけど彼らは結果が出ていないことは信じないから、「今はこれをとりあえずやっています」としか言いようがないんです。「だけど明日はどうなるか分かりませんよ」ということです。

運営者 だから契約が成り立たないんでしょうね。

田代  友好的な人間関係が継続されなければ、契約も守られないでしょう。しかし友好的な人間関係が保たれてさえいれば、契約のありなしは関係なしに、その人間関係を極めて重視するんです。

運営者 でもその友好的な人間関係というのは、利益がともなっていて初めて継続するものではないんですか?

田代  利益だけではないんです。司馬遷の「史記 刺客列伝」に「予譲の義」というのがあります。予譲という刺客は敵である王の暗殺に失敗するのですが、最後にその敵から「なぜお前はそこまでして私の命を狙うのか」と訊かれて、「私が仕えた王は私のことを国士と呼んでくれた。それに報いるために、あなたの命を狙うのだ」と答えるので、狙われている王のほうが「何たる素晴らしい男だ」と言って感動しちゃうんです。

運営者 「士は己を知る者のために死す」の話ですね。

田代  「キミは有能だから」とおだてて使うのは、ビジネスの話ですよ。でも予譲の場合は「私のことを国士と呼んでくれた人間のために私は死ぬ」というわけです。そこなんです。中国人は、自分を認めてくれる人は、自分の金銭的な利益にならなくても、とことん大切にします。

 自分をただ利用しようとしているだけの人間は、どんなに利益になっても、ダメなんです。

運営者 「利用」という言葉についてですが、日本のビジネスマンが中国に行って、「どうぞわれわれを利用してください」と言ったら、中国人にとってはそれは「相手のことを骨までしゃぶる」という意味なんだと聞いたことがあります。


中国人にだまされるのには、理由がある


田代  それはそうです。「あなたは私の一切、唯一無二の人です。比較の対象はない。私の中国でのビジネスパートナーは、あなたしかいないんです」と言ってくれる人間なら、中国人は信頼を守ります。

 「他の相手もいるんだけれど、とりあえずおたくと仲良くやりましょう」「いろいろ比較検討した結果、御社にお願いしたいんですけど」というのでは全然ダメなんです。そういう会社は、中国人から徹底的に利用され、だまされて、最後はポイされるでしょう。そういうケースは珍しくありません。

運営者 それを知ると知らないとでは、えらくつき合い方が変わってきますね。

田代  日本人だって、自分がダメだと判断した人間に対してはひどく冷たいじゃないですか。基準が違うだけなんです。

 中国では、酒を飲むのはいいけれど、酔っ払うのはダメだし、乾杯と言ったのに飲み干さない人間は「そんな簡単なことさえ、自分が口に出したことを実行できないのか」と、えらく軽蔑されます。

 だって中国の乾杯用のグラスはすごく小さいじゃないですか。それは絶対に飲み干すことができるように小さくなっているんです。「乾杯」といって、杯に口だけつけてすぐに置くなんていうのは、一番ダメです。「こいつは信用できない」と思われてしまいます。そうすると彼らは、そこで一切関係を切るか、徹底的に利用し尽くすか、どちらかですよ。

運営者 それは単に、当たった相手が悪かったわけでもなく、慣習上の問題でもなく、これまで田代さんがお話しされたような深い文化的な理由があっての話なんでしょうね。

田代  結構簡単なことなんですけどね。

運営者 あのう、ふつうの日本人にはわかんないですよ。

田代  日本人が「自分たちの基準で中国人とビジネスをやりたい」と思ったら、相手の中国人に徹底的に説明しなければなりません。何時間いや何日を費やしてでも、相手の中国人が本当に納得するまで徹底的に、「日本ではこうするんだ」「日本ではこうしててはいけないんだ」ということを、相手が「もういいです。よくわかりました」と言っても、一切合財をどこまでも具体的に説明し尽くさなければ、日本人が日本の基準で中国人と付き合うのは不可能です。それを可能にするには、中国のことを熟知しているコンサルタントと、そのコンサルタントと密接にコラボレイトできる能力を持つバイリンガルの通訳とが、絶対に必要です。

http://www.ikaganamonoka.com/intr/tashiro1/


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12. 中川隆[-12736] koaQ7Jey 2018年6月02日 07:57:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14713]
秦の始皇帝の焚書坑儒は、日本では完全に誤解されています

田代  アメリカ人にアルファベットを書かせると、メチャクチャわかりにくい字を書くじゃないですか。それは習字という習慣がないからです。中国人はどんな人でも、極端に言えば乞食でも立派な漢字を書きますよ。

 つまり漢字をきちんと書くことに象徴されるように、中国では個人の好みが入ってはならないんです。

 たとえば犬という漢字を書く時に、尻尾を大きくしたした方がよいということではだめなんです。中国はそのように、上からがっちり枠を決めなければみんなが困ってしまう社会なんです。

 秦の始皇帝の焚書坑儒は、日本では完全に誤解されています。

「焚書」は、漢字のフォント統一をしたということなんです。それ以前には同じ漢字でもいろいろなフォントがあったのを、「これが正しい統一フォントである」と始皇帝は決定して、異字体を使った文書を全部焼いたというのです。「坑儒」は、それに反対する学者を、地下牢に入れて妨害活動を封じたということです。

 それをあとから儒者たちが、自分たちの価値を上げるために、始皇帝は虐殺を行ったというホラを吹いたということですよ。

運営者 まあ、中国人がホラを吹くのは当たり前だし。ましてや儒学者というのは一番ひねくれた連中ですからね。

田代  それもね、中国人の場合は、さっきから言っているように暗示しているだけなんです。「暗示をどう受け取るのかはあなた次第」ということですから。

運営者 それが白髪三千丈になるわけですね。まあそういう文化だということです。善い悪いは別として。
http://www.ikaganamonoka.com/intr/tashiro1/23.html

二千年に及ぶ冤罪 今その真相が解き明かされる
秦の始皇帝に対する数々の誤解 2000年ぶりの再検証 2016/09/15
http://www.epochtimes.jp/2016/09/26066-p.html


  秦の始皇帝(紀元前259年〜210年)は、約550年にも及ぶ春秋・戦国時代に終止符を打ち、初の統一王朝「秦」を作り上げた人物として歴史の教科書にも必ず登場する人物だ。統一後は、都の咸陽(かんよう、現在の西安)を整備し、自らの陵墓となる始皇帝陵を作らせた。さらに、大運河を建設し万里の長城の建設にも着手するなど、数々の大土木工事を行ったことでも知られている。

 しかし彼の死後二千年以上たった今でも、多くの人々は始皇帝を歴史の悪役として考えているのが忍びない。そこで、始皇帝が「暴君」と誤って呼ばれるに至った数々の事柄を逐一検証していきたい。

 始皇帝の「圧政」

 これまで始皇帝は在位中に数々の圧政を行ったとも言われてきたが、それは始皇帝が死去して119年後、つまり漢の武帝の時代に司馬遷が記した『史記』の記述から後世の人々が推測したものに過ぎない。「隠宮徒刑されし者七十余万人、乃ち分れて阿房宮を作り、或ひは驪山を作る(隠宮(宮刑)に処せられた70万人余りを二組に分けて、それぞれ阿房宮(始皇帝の宮殿)と驪山(ろざん、陝西省の山名で始皇帝陵が建設された場所)を作らせた)」と記されていることが根拠となっている。そのため、これまで始皇帝は、受刑者や奴隷70万人を動員し、巨額の費用を投じて、始皇帝陵と阿房宮を建築したと思われていた。

 だが、この一文は本来「朝廷の官吏を派遣し、軍人や囚人、他国の捕虜を70万人徴集して驪山の整備や阿房宮の建設に従事させられた」ということを意味している。つまり平民や百姓を徴収したわけではないのだ。そして「隠宮」とは受刑者ではなく宮中の宦官(去勢した男性官吏)を指している。

 では、秦王朝の百姓が負担する兵役や賦役はどれほどのものだったのだろうか?後漢時代に班固が編纂した『漢書』によれば、秦王朝では成人男性は一生のうち1年間の兵役に就き、予備兵役又は開墾事業に1年間、その後は毎年夜間の見張りに1カ月従事していたと記されている。例えば20歳男性の場合、50歳になるまでに兵役や賦役に従事すべき期間はおよそ4年半にすぎなかったという。この数位は現代の一部の国家と比べても大差ないものとなっている。二千年以上もの昔であったことも計算に入れると、とても「圧政」とは言えないのではないだろうか。

 始皇帝はその在位していた11年の間に、戦争や賦役、土地の開墾事業などに合計200万人から250万人を動員したと言われているが、戦国時代に投入された人的資源と比較するとそれほど多くない。では、春秋戦国時代の例を見てみたい。秦の昭襄王(しょうじょうおう)は8年間の戦争中にのべ数十万の軍隊を動員し、参戦した他国の軍隊も合わせると500万人以上にのぼると言われている。戦争のために中国全土で500万人駆り出されることと、土木作業等のために全国から200万人が集められることとでは、民衆にとっては明らかに後者の負担が少ないだろう。このことから、当時の庶民が担っていた兵役や賦役などの負担は、始皇帝の中国統一後に大幅に軽減されたと分かるだろう。さらに『秦律』(秦代の法律)の規定によると、賦役に従事する庶民には手当が支給されていたほか、食事や衣類なども与えられていた。また、同じ時期に一つの家族から徴集できる賦役人の数は1人と定められていた。

 諸外国の事情と比べれば当時の中国の庶民の負担がいかに軽いかが分かるだろう。古代ローマや古代ギリシャでは武具は自弁とされ、市民にとっては大きな負担だった。そして武具を用意できない市民は政治参加の面で差別を受けた。ヨーロッパでは中世になってもこの流れは変わらなかった。従軍する農民兵は衣食を保証されず、苦役そのものだったという。日本では七世紀以降、天皇を中心とする大和朝廷が豪族の力を削ぎ、公地公民を目標に権力を増大させた。そして当時先進国だった唐王朝の律令制度を導入し、蝦夷地を除く日本のほぼ全域を支配下におさめた。中央集権国家となった日本は防人や衛士の制度を導入したが、やはり武具と衣食は自弁だったため民衆にとっては大きな負担だった。つまり当時の「グローバルスタンダード」と比較しても、秦王朝の支配下の民衆の負担は想像以上に軽かったと言える。

 余談ではあるが、秦王朝の刑罰の厳しさを理由にマイナスの感情を抱く人もいるかもしれない。当時行われていた刑罰に残酷と思われるものが多いが、そうした刑罰は秦の始皇帝が始めたものではなく、春秋戦国時代に割拠していた各国で行われていたものだった。これに対し秦王朝は刑法や大民法によって国家を管理し、社会の安定を図った。『史記』にも、始皇帝が残酷な刑罰を執行したという記述はない。

 「暴」の意味

 「暴」という字を見ると大抵の人は「暴力」「暴君」「凶暴」といったネガティブな言葉や意味を連想しがちである。しかし字典を引くと「暴」は「強烈かつ迅速」「猛々しく急いで」という意味をも持つことがわかる。つまり、「暴」という字には価値判断を伴わない、客観的な修飾作用をもつ用法もある。現代中国語の「暴風」「暴雨」「暴走」における「暴」の意味はこちらにあたる。

 文献等でしばしば「暴」という字で形容される始皇帝はどうであったか。始皇帝は戦国七雄の秦以外の国々(楚、斉、燕、趙、魏、韓の六国を指す)を併呑して統一王朝を打ち立てた後、わずか10年間で国の礎を築くという一大事業を成し遂げた。その間に手がけた都の整備や大土木工事といった公共事業は、さぞ「強烈かつ迅速に」あるいは「猛々しく急いで」行われたことだろう。ひょっとすると、始皇帝は自分の生きている間にできるだけたくさんの事業を成し遂げ、後世の人々に財産を残そうとして「暴」の手段を取ったのかもしれない。

 始皇帝の「暴」の文化は中華文明に男性的な力強さを加え、外部や内部からの衝撃に十分対応しきれるだけの資本を与えた。後世に花開く温和で女性的な儒教文化はその根底にこうした力強い文化を宿すことで強靭な生命力を持ち合わせ、そして儒教文化を基礎に据える中国文明はその後2000年間にわたり衰えることなく華々しい展開を世に示した。

 したがって文献等で「暴」という記述を見かけたときには、ステレオタイプに判断するのではなく、そこに価値判断が入っているかどうか、客観的に使われているかどうかに注意しなければならないだろう。

 民衆を愛し 部下を慈しむ始皇帝

 始皇帝に対する先入観からは想像できないかもしれないが、始皇帝が中国を統一する約20年間に敵を処刑したという記録は極めて少ない。燕国の太子丹が刺客・荊軻を使って始皇帝の暗殺を企てて失敗し、秦の軍隊が報復として燕国の薊城を攻撃した時でも庶民の大虐殺は行われず、燕王や高官の処刑も行わなかった。史料によると、始皇帝は和睦を望む燕王から送られてきた太子丹の首を受け取ったに過ぎないと記されている。また秦が他国との攻防に明け暮れていたときにも、似たような暗殺未遂が起きていた。だが『史記』のみならず他の歴史書を見ても、秦軍が占領した都市や町の住民を虐殺したり敵の将軍や大臣、一般庶民を惨殺したりする記録はなく、むしろ彼らに対し優遇政策を取っていたと見られている。

 始皇帝は他の六国の王侯貴族を丁重に扱ったのみならず、秦王朝に対して功績がある大臣を厚遇した。始皇帝はその在位中の37年間に朝臣を処刑したことは一度もない。秦の名将・王翦(おうせん)が死罪を犯しても始皇帝はそれを赦免したことはこのことの裏付けである。

 さらに、『史記・酷吏列伝』に記述されている内容からも秦王朝の統治を肯定的にとらえることができる。酷吏(こくり)とは法律を盾に、人に罪を被せて処罰、処刑する役人に対する蔑称だ。驚くことに、この『酷吏列伝』には漢代の役人が数多く列挙されているが、秦王朝の廷臣は一人として名を連ねていないのだ。もし秦の時代に本当に「暴政」が行われていたのだとしたら、それらに直接手を染めた人物の名は、もれなくここに列記されているのではないだろうか。

 焚書坑儒の真相

 始皇帝と言えば焚書坑儒を連想する人も多いだろう。焚書坑儒は始皇帝の残虐さの象徴ともいえる事件であり、それまでの中国の歴史や文化を破壊したとも言われている。だが、始皇帝が焚書坑儒を行った真の目的は、玉石混淆な思想・文化が入り乱れた状態を一掃し、詐術を用いて人心を惑わす者を排除することであり、正統な文化を後世に残すためであった。この意味で始皇帝の行った「焚書坑儒」は後世に語り継がれるべき大きな功績である。

 まず、「焚書」と「坑儒」は混同されることが多いが、実は全く別のものである。坑儒と焚書とを関連づけて最初に論じたのは、東晋時代の梅賾が漢代の歴史学者孔安国の作として書いた偽の『古文尚書』だった。つまり、秦代でも漢代でも、坑儒と焚書が関係のある出来事として認識されていなかったことを示している。始皇帝が焚書を行ったのは紀元前213年であり、坑儒を行ったのはその翌年の紀元前212年だったことを鑑みても、関連はあまり大きくはないのだ。

 焚書の本当の意図とは何であったのか

 焚書のきっかけとなった事件について『史記』にはこのような記述がある。始皇帝の誕生日に咸陽の宮殿で祝宴が催され、70名の博士が酒を献上して祝辞を述べた。博士とは秦の官名だが、博士制度は春秋戦国時代を踏襲したもので、彼らの地位は非常に高く、国政への参加も許されていた。祝宴の席で、教育を司っていた博士、周青臣が最初に始皇帝の業績をほめたたえた。だが、博士の淳于越は周青臣が始皇帝に媚びているとみなし、商(殷)と周を例に取って、古代を手本として現在の制度を封建制度に戻すことを進言した。

 つまり淳于越は、始皇帝の誕生日の宴席上で、古来の制度を尊んで現在の制度を軽んずるという姿勢を明確に打ち出し、当の始皇帝が採用していた郡県制を否定したのである。そのような盛大な儀式で公然と異を唱える淳于越は肝が据わっていると言わざるを得ない。この出来事は、秦の時代には言論の自由が保障されており、博士たちは各自の見解を自由に述べることが許されている事実を浮き彫りにしている。更に驚くべきなのは始皇帝の反応である。『史記』には「始皇下其議」との記述がある。これは始皇帝が皆に淳于越の提案を論議させたという意味だ。もし始皇帝が本当に「暴君」だったなら、この様な場面で異議を唱える淳于越を許すことができたのだろうか?

 数日後、丞相の李斯は淳于越が古の慣習を懐かしみ現制度に反抗的であることを理由に『焚書令』を提起した。その中では、夏、商(殷)周の古代3王朝で採られていた古い制度を採用することに反対するとして、「以前は諸侯が互いに争い天下が乱れていたから、富国強兵の策を求めて遊説の士を呼び集めていた。

天下が平定され太平な世の中となった今、法令を定めるのは始皇帝おひとりだけである。民はそれぞれの生業に力を尽くし、知識人たちは法令を学習すべきだ」としたためられていた。そして、始皇帝に個人が学校を設立することを禁じるよう進言し、史官(史実の記録を司る官職)には秦以外の国の典籍を焼き捨てさせるよう指示した。これが焚書の起こりである。その後、博士官庁が管轄する書物を除き、『詩経』や『書経』を始めとする諸子百家の書物はすべて地方官が集め、焼き捨てるよう命じた。取り締まりの範囲外とされた書物とは、農学・医学・占術・秦の歴史に関するものだった。

 李斯の提案に対する始皇帝の回答は『詔曰はく:可なり』ではなく『制曰はく:可なり』だった。この一字の違いに大きな意味がある。通常、『制曰はく』とは朝廷の百官に発表するときに使われる言葉で、広く庶民に対して使われるものではない。対して『詔曰はく』 とは、国内全土に向けて宣布することを指す。ここで後者『制曰はく:可なり』の表現が使われていることから、李斯の忠誠心に報いつつも、焚書の範囲と程度を最小限にとどめたいという始皇帝の配慮が透けて見える。

 漢王朝が成立してからは書籍の欠乏は起こらず(秦国文書を除く)、官吏が典籍の修復や救済をする必要はなかった。さらに湖北省で出土した秦の竹簡によると、当時の秦王朝では大規模な焚書は起こらなかった。『ケンブリッジ中国秦漢史』にも、秦の焚書による実際の損失は想像をはるかに下回っていたと記されており、書物が散逸したのは戦乱によるものが多いと考えられている。

 これは、李斯の方でも始皇帝の言外の意をくみ取り、国内全土に焚書を行うことを支持したわけではないことを示している。仮にそうであったとしても、焚書は咸陽の都のみで小規模に行われただけで、博士官署には大量の書籍が燃やされずに残されていたことに留意しなければならない。張本人の淳于越もなんら処罰を受けることなく、この事件は収束した。

 そしてこの事件から、始皇帝が儒家に対し寛容であったことも理解できよう。また始皇帝の頭脳が非常に明晰で、物事の局面を全体的に俯瞰していたとともに、文化の継承に責任を負い、そのために的確な対応を取っていたことも推察できる。このような始皇帝には、人を惹き付ける優れた資質と魅力が備わっていたと思われる。この姿のどこに暴君の影があるというのだろうか。

 坑儒の真相 詐欺師の一掃

 「坑儒」に至っては、人を騙し、詐欺を行い国の政策を混乱させる一部の道士らを一掃する政策にすぎなかった。『史記』には、盧生と侯生という2人の方士(不老不死の術や卜筮、呪術などを行う人)に関する記述が残されている。彼らは普段から始皇帝の信頼を得ていたが、裏では始皇帝について、独断でことを成し、縁故者しか登用せず、博士らを軽んじ、権力に固執しているなどと罵詈雑言を吐き、そのあげく、始皇帝のために不老の仙薬など作りたくない(実際には作ることができなかったのだが)として、こっそり逃亡した。

 始皇帝はこのことを知ると非常に立腹し、咸陽に御史を派遣してそのほかの方士を取り調べさせた。すると丹薬(不老不死の薬)の研究に携わっていた方士らがこぞって密告し合ったため、禁制者が460人を超えるほどに増えてしまった。『史記』には、この時始皇帝は彼ら全員を「坑殺(生き埋めの刑)」するよう命じ、「天下をしてこれを知らせしめ、以て後を懲ず」と書物に記されている。

つまり始皇帝は、君臣の礼儀をわきまえず、君主をだまそうとした方士たちの悪行を天下に知れ渡るようにして、後世の戒めにしたのだ。しかし「坑殺」の従来の解釈については誤りがある。戦国時代から秦代においては「坑殺」とは死後に穴に埋めることを指しており、これは、罪人を墓に埋葬することが許されなかったためである。決して現代で言う「生き埋め」のことではない。

 『史記』の記述に従えば、「坑術士」と書かれてあるので、殺されたのは方士であって、儒者ではなかったとわかる。その上、始皇帝が儒者の淳于越に対して取った寛容な態度から察するに、この時に処刑されたのは始皇帝を騙した方士だったと考えられる。彼らの処刑には、皇帝に不老不死の薬を作ることができると嘘偽りを公言していたという確固たる理由があるからだ。

また本当に460人もの方士が「坑殺」されたかどうかに至っては、同様に疑問が残る。なぜなら「天下をしてこれを知らせしめ、以て後を懲ず」の記述と矛盾するからである。始皇帝が自分の暴虐を天下に知らしめたいと思うのだろうか?恐らく、誤った数字だけが独り歩きした可能性が非常に高い。あるいは後世にねつ造された可能性も捨てきれない。いずれにしても、さらなる真相はこれからの研究を待たなければならない。
http://www.epochtimes.jp/2016/09/26066-p.html


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13. 中川隆[-12741] koaQ7Jey 2018年6月02日 08:12:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14719]

中国語は秦の始皇帝の時代で進歩を止めてしまったので、感情表現も抽象的思考も全くできない原始言語のままなんですね。

漢文は難し過ぎるので中国人は文章を読み書きする能力が小学生レベルでストップしています。

中国人が損得勘定と実務的な事だけしか考えない、空気が読めない、他の人の気持ちが全然わからない、恋愛感情が理解できないのは使っている言語による制約なのですね。


これを聞けば中国がよく分かります


【宮脇淳子】中国は何故かくもずうずうしいのか?[桜H24/5/21]
http://www.youtube.com/watch?v=MZoWnKT6jTA


「真実の中国史」音声講義

宮脇淳子先生 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=resc8aY9Qes
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%80%90%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91%E3%80%8E%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%82%92%E9%96%8B%E3%81%93%E3%81%86%EF%BC%81%E3%80%8F+


2017/12/14 に公開
あまりに素晴らしい講義なので、音声だけを再編集させて頂きアップしました。

多くの方に知って頂き、中国がどいう歴史を歩んで来たのか?を知る事で、私達の取るべき態度の支えになると思います。


【宮脇淳子】中国美女の正体 [桜H24-4-19] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=vwBGh84gvs0

2012/04/19 に公開
東洋史家の宮脇淳子氏をお迎えし、元産経新聞記者のジャーナリスト・福島香織氏と御一緒に著された新著書『中国美女の正体』を御紹介いただきながら、外見からは想像もつかないほどに、精神性も価値観も日本人とは大きく異なる中国人の、中でも"美女達"の繰り出す謀略から、自身と国を守るための術はあるのか、日本人が知っておくべき彼らの本音と思考について、温かい叱咤激励とともに お話しいただきます。


____


中国は歴史捏造の常習犯

宮脇淳子 『満蒙とは何だったのか 2015.9.5 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=r4W-dqMkgp8




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14. 2018年8月05日 03:11:01 : Tgc3dfQJlY : 9GsRhNOCWsQ[2]
【日本語の優位性】その1

日本が世界でも一・ニを争う技術大国になれたのは、
表意文字と表音文字を併用した日本語に寄るトコロが大きいだろう。
外来語を素早く表音文字のカタカナで取り込み、
意味を把握したら表意文字の漢字で造語を創る。
初めて見るような単語でも漢字であれば、
単語の意味をイメージし易い。

技術書はちょっとハードルが高いが
http://www.nedo.go.jp/hyoukabu/articles/201213jatco/index.html
↑このくらいの技術系ニュースは誰でも簡単に読み理解する事が出来る。

また、漢字の特徴の一つとして高い造語能力がある。
表意文字の漢字同士を組み合わせる事によって
未知の知識、西洋からの概念群(科学・哲学・技術・思想・社会・軍事・経済等すべての分野)
に対応する造語を造り出す事ができた。
もし、これらの造語創出が無かったら、
世界の多くの国が抱えている問題に日本も直面したことだろう。
それは、世界の多くの国では母国語で大学以上の高等教育を行っていない。
なぜなら、母国語では、高等教育における科学技術や
専門学等で使われる多量な学術用語が不足している為、
大学レベル以上の科学や技術、専門学等に使われる教科書は
英語やフランス語、ドイツ語等の外国の教科書に頼らざるを得ない。
(韓国の理系教科の高等教育は英語です)

海外から入ってくる言葉を片っ端から母国語にして、
そして、全て母国語で思考する。
コレは、新概念を理解し、創造性の拡張にとって有利です。

【日本語の優位性】その2

日本語による全脳活動(ハイブリッド脳)

「右脳の優れている点」
図形などを読み取る能力。
音楽などを聞き取る能力。
全体を見る力。直観力。

「左脳の優れている点」
言語の読み取り能力。
言語の聞き取り能力。
分析力。思考力。

世界中の人々は、表音文字の読み取りの時、左脳の方がよく働きます。
日本人も表音文字の平仮名&片仮名の読み取りの時は、左脳の方がよく働きます。
しかし、表意文字の漢字の読み取りについては、
一字一字の漢字を読み取る時、右脳の方がよく働いているのです。
漢字は意味を持った図形だからでしょう。
そして、表音文字の平仮名&片仮名と表意文字の漢字の混ざった文章の読み取りになると
左脳と右脳が共に働く状態になります。
漢字&片仮名&平仮名の文章を読む行為は、
右脳と左脳を共働させるという効果があるのです(右脳/左脳を共働させるハイブリッド脳)。
右脳と左脳を共働状態に置く事によって、
脳の持つ能力が最大限に発揮出来るのです。
この全脳活動は、文章を読む時、
新概念のより早い理解や創造性の拡張に役立っているのです。


15. 2018年8月05日 03:17:53 : Tgc3dfQJlY : 9GsRhNOCWsQ[3]
【日本語の優位性】その3

1982年5月、イギリスの科学専門誌「ネイチャー」に心理学者リチャード・リン博士の論文が発表され、
それは世界中に大きなセンセーションを巻き起しました。
その論文とはリン博士を中心とする世界の先進トップ5ヶ国「日・英・米・仏・西独」の学者達が協力して、
それまでにない大規模な知能テストを行い、それぞれの国の子供達の知能検査を比較したのですが、
その結果は、
「日本を除く欧米4ヶ国の子供達の平均IQが100以下だったのに対し、
日本の子供達の平均IQだけが111もあった」という学者達にとって予想外な結果でした。
平均IQ差に11点以上もの開きがあるというのは大変な事です。
また、リン博士は「知能指数が130を超える人は、
欧米では2%未満なのに対し、日本では10%にも達する。
日本の約8割(77%)の人のIQは、米国人の平均IQより高い」などと指摘しました。
世界中(特に欧米)がこれを問題視したのは当然でした。
中には「テストの実施に何か手落ちがあった為ではないか」という懐疑的な意見もありましたが、
多くの学者はこの事実を素直に認め、
日本の子供達の知能が何故これ程までに高いのか?
その原因究明に真剣に取組みました。
その結果、欧米の学者達の大方の意見は、
「漢字の学習がその原因になっているのではないか」というものでした。
日本人には欧米人には無い「漢字脳」という特別な脳領域があるのです。
この「漢字脳」の有無が、日本人と欧米人の平均IQの優劣差となって如実に現れるのです。

(漢字文化圏は平均IQ105以上で世界で最も平均知能指数が高い地帯である)
http://i.imgur.com/fjEP8.jpg


【日本語の優位性】その4

第二次大戦後、GHQの占領政策の一つに、
漢字、平仮名、片仮名を廃止して、
日本語を全てローマ字表記にしようとする政策がありました。
この政策は途中で中止になりましたが、
もし、漢字、平仮名、片仮名を取り上げられていたら
今日の様な世界の先頭を走る高度な技術発展は
まず望め無かったただろうし、
資源の無い日本は世界有数の最貧国になっていたかもしれません。

新概念のより早い理解や創造性の拡張には、
母国語で思考する事が大切です。
もし、日本の大学の物理科学技術等の教科書が
英語や若しくはローマ字表記の日本語で書かれていたら、
この分野で日本からノーベル賞受賞者が出る事は、まず無かっただろう。
(他国と比べても西洋文明のアドバンテージがほぼ皆無の極東の日本が
何故、多数のノーベル賞受賞者を続出できるのか?世界からも不思議がられている。
英語の語学力一つ取って見てもTOEICなど国際ランキングでは日本は万年最下位クラスの筆頭国。
逆に韓国の英語力はアジアトップクラス、それでも韓国からノーベル賞受賞者は出ないのよね〜)

見て意味が解る表意文字。
読まないと意味が解らない表音文字。
表意文字は読解力に有利です。
(例えばこのレスが漢字無しの平仮名片仮名だけで書かれていたら十倍以上の読解差が出る事だろう)
外国の科学・工学・技術等の語彙を全て表意文字の漢字に魔変換する事で、
表音文字オンリーの国々に対しアドバンテージを持つ。
日本が世界最先端の技術大国の地位を保つ必要条件だ。
特に、日本が今現在出遅れているIT産業と金融産業。
この分野の表音文字を表意文字に魔変換させる造語創出が待望されます。


16. 2018年8月05日 03:23:48 : Tgc3dfQJlY : 9GsRhNOCWsQ[4]
【日本語の優位性】その5

グローバル化=英語化≠産業発展?

フィリピンなどは、長年、公用語に英語を使用しているが、
英語が絶滅的な日本と比べるまでもなく、
他の東南アジア諸国と比べても産業が発展してるとは言い難い。

例え日本人が学習によって英語を習得出来たとしても、
代々、歴史、伝統、風土、習俗、文化、宗教、日常的に英語を培って来た本家の英米には、
英語を使っての産業では永遠に適わないだろう。

外国語で思考する事で、
日本の科学技術産業の競争力低下は避けられません。日本のフィリピン化です。
グローバル化=英語化≠産業発展???
一石二鳥で、英米にとっては望ましい事だろうけど。

近頃の日本は、外国語を魔変換せず、
そのままのローマ字表記やカタカナ表記で止めてしまう事が多くなって来ています。
日本が外国語を表意文字の漢字に魔変換せず、
カタカナまでで止めてしまうのは、
他の表音文字オンリーの国々と同列となり、
技術立国の日本の弱体化に繋がるのではないかと危惧しています。
少なくとも科学技術産業分野での漢字表記の重要性を顧慮すべきです。
五万語ある漢字による組合せで魔変換出来ない世界の文字言語は無いだろう。
コレにより科学技術伝承の一方通行が出来る可能性があります。
(他国が漢字表記の専門造語を変換出来なくなる可能性)
この文字言語障壁で、日本の科学・技術の世界流出拡散が抑制されます。

【日本語の優位性】その6

日本語は読み手にとって優しい言語である。
同じ内容分量の速読では日本語が圧倒的に勝る。
(文字の瞬間認識において、漢字は世界最高という研究結果も出ている)
しかも外来語はカタカナを使えばそれと直ぐ解る。
非常に優れた文字言語である事を当の日本人が理解していないのは残念。

造語力の高い漢字と外来語を即日本語にしてしまう片仮名。
世界の文学書・技術書を読みたければ日本語を覚えろと言われたりします。
なぜなら日本語ほど他国の文学書・技術書が翻訳されてる言語はないからです。

日本が技術超大国の地位を維持するには、
小中学校で英語やダンスの授業よりも、
好きな本を読ませる「読書」「速読」の授業や
暗算で3桁までの四則演算が出来るよう「算盤」に力を入れるべきだな。
算盤式暗算は右脳開発にも効果があるからな。


「科学は力なり」
今日の日本社会では漢字をドンドン削減し替わりに日本人に英語を与え
欧米にとって好都合な競争環境を作ろうという機運が盛り上がってます。
日本人の英語が幾ら達者になっても、仮にフィリピン人よりも英語が達者になったとしても
欧米にとっては脅威に成りません。
それよりも日本人が漢字学習によって文字言語障壁を強固にしながら
ハイブリッド脳をより発達させ自分達だけiQをドンドン高め、
欧米が到底太刀打ち出来ない程の科学技術力差を付けて来る方が脅威なのです。

GHQの軍事占領政策以降、日本の在日マスメディアは米国のプロパガンダ機関です。情報は支配されています。
米国にとって脅威に成り得る「漢字学習はiQを高められる」という情報は伏せられ、
替わりに「日本人のiQが高いのは魚をよく食べるから」とか「過酷な受験戦争があるから」などの情報が流されます。
日本人の知能指数をドンドン堕とされ
お馬鹿な家畜にされないよう気を付けて下さい。(了)


17. 2018年9月15日 19:23:10 : 1XAvMjfXjo : @QMSuOff1MI[1] 報告
永遠のパーとかの極右の作家は、漢字を中国に返納しようとか血迷っているらしが正気ですか?
18. 中川隆[-13365] koaQ7Jey 2018年11月02日 06:34:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19759] 報告

外国語学習について - 内田樹の研究室 2018-10-31

2018年6月12日に「文系教科研究会」というところで、私立の中学高校の英語の先生たちをお相手に英語教育についてお話した。その一部をここに掲載する。

ここで論じたのは英語だけれど、言語教育一般について適用できる議論だと思う。
ここ数日、「論理国語」と「文学国語」というカテゴライズをするという話がTLを飛び交っているけれど、それがほんとうだとしたら、それはたぶん言語というものについて一度も真剣に思量したことのない人間の脳裏に去来したアイディアだろうと思う。それはまさに「植民地における現地人への宗主国言語教育」とまったく同型的なものだからだ。

国語教育においても「植民地現地人」に求められる言語能力は同じである。

それは宗主国アメリカに仕え、アメリカに朝貢することで「代官」「買弁」としての地位を保全している日本の支配層たちが、同国人の知性の発達を阻害し、日本人を愚民化することで、属国日本をアメリカが支配しやすいようにするために作り出した仕掛けである。

以下がそのときの講演。途中からなので、話が見えにくいのはご容赦。


外国語学習について語るときに、「目標言語」と「目標文化」という言葉があります。

「目標言語」というのは、今の場合なら、例えば英語です。なぜ英語を学ぶのか。それは「目標文化」にアクセスするためです。英語の場合であれば、ふつうは英語圏の文化が「目標文化」と呼ばれます。

僕らの世代において英語の目標文化ははっきりしていました。それは端的にアメリカ文化でした。アメリカ文化にアクセスすること、それが英語学習の最も強い動機でした。僕たちの世代は、子どものときからアメリカ文化の洪水の中で育っているわけですから、当然です。FENでロックンロールを聴き、ハリウッド映画を観て、アメリカのテレビドラマを観て育ったわけですから、僕らの世代においては「英語を学ぶ」というのは端的にアメリカのことをもっと知りたいということに尽くされました。

僕も中学や高校で「英語好き」の人にたくさん会いましたけれど、多くはロックの歌詞や映画の台詞を聴き取りたい、アメリカの小説を原語で読みたい、そういう動機で英語を勉強していました。

僕もそうでした。英語の成績は中学生からずっとよかったのですが、僕の場合、一番役に立ったのはビートルズの歌詞の暗記でした。ビートルズのヒット曲の歌詞に含まれる単語とイディオムを片っ端から覚えたのですから、英語の点はいいはずです。

つまり、英語そのものというよりも、「英語の向こう側」にあるもの、英米の文化に対する素朴な憧れがあって、それに触れるために英語を勉強した。英米のポップ・カルチャーという「目標文化」があって、それにアクセスするための回路として英語という「目標言語」を学んだわけです。

その後、1960年代から僕はフランス語の勉強を始めるわけですけれども、この時もフランス語そのものに興味があったわけではありません。フランス語でコミュニケーションしたいフランス人が身近にいたわけではないし、フランス語ができると就職に有利というようなこともなかった。そういう功利的な動機がないところで学び始めたのです。フランス文化にアクセスしたかったから。

僕が高校生から大学生の頃は、人文科学・社会科学分野での新しい学術的知見はほとんどすべてがフランスから発信された時代でした。40年代、50年代のサルトル、カミュ、メルロー=ポンティから始まって、レヴィ=ストロース、バルト、フーコー、アルチュセール、ラカン、デリダ、レヴィナス・・・と文系の新しい学術的知見はほとんどフランス語で発信されたのです。

フランス語ができないとこの知的領域にアクセスできない。当時の日本でも、『パイデイア』とか『現代思想』とか『エピステーメー』とかいう雑誌が毎月のようにフランスの最新学術についての特集を組むのですけれど、「すごいものが出て来た」と言うだけで、そこで言及されている思想家や学者たちの肝心の主著がまだ翻訳されていない。フランス語ができる学者たちだけがそれにアクセスできて、その新しい知についての「概説書」や「入門書」や「論文」を独占的に書いている。とにかくフランスではすごいことになっていて、それにキャッチアップできないともう知の世界標準に追いついてゆけないという話になっていた。でも、その「すごいこと」の中身がさっぱりわからない。フランス語が読めないと話にならない。ですから、60年代―70年代の「ウッドビー・インテリゲンチャ」の少年たちは雪崩打つようにフランス語を学んだわけです。それが目標文化だったのです。 

のちに大学の教師になってから、フランス語の語学研修の付き添いで夏休みにフランスに行くことになった時、ある年、僕も学生にまじって、研修に参加したことがありました。振り分け試験で上級クラスに入れられたのですけれど、そのクラスで、ある日テレビの「お笑い番組」のビデオを見せて、これを聴き取れという課題が出ました。僕はその課題を拒否しました。悪いけど、僕はそういうことには全然興味がない。僕は学術的なものを読むためにフランス語を勉強してきたのであって、テレビのお笑い番組の早口のギャグを聴き取るために労力を使う気はないと申し上げた。その時の先生は真っ赤になって怒って、「庶民の使う言葉を理解する気がないというのなら、あなたは永遠にフランス語ができるようにならないだろう」という呪いのような言葉を投げかけたのでした。結局、その呪いの通りになってしまったのですけれど、僕にとっての「目標文化」は1940年から80年代にかけてのフランスの知的黄金時代のゴージャスな饗宴の末席に連なることであって、現代のフランスのテレビ・カルチャーになんか、何の興味もなかった。ただ、フランス語がぺらぺら話せるようになりたかったのなら、それも必要でしょうけれど、僕はフランスの哲学者の本を読みたくてフランス語を勉強し始めたわけですから、その目標を変えるわけにゆかない。フランス語という「目標言語」は同じでも、それを習得することを通じてどのような「目標文化」にたどりつこうとしているのかは人によって違う。そのことをその時に思い知りました。

ロシア語もそうです。今、大学でロシア語を第二外国語で履修する学生はほとんどいません。でも、若い方はもうご存じないと思いますけれど、1970年に僕が大学入学したとき、理系の学生の第二外国語で一番履修者が多かったのはロシア語だったのです。

「スプートニク・ショック」として知られるように、60年代まではソ連が科学技術のいくつかの分野でアメリカより先を進んでいたからです。科学の最先端の情報にアクセスするためには英語よりもロシア語が必要だった。でも、ソ連が没落して、科学技術におけるアドバンテージが失われると、ロシア語を履修する理系の学生はぱたりといなくなりました。もちろんドストエフスキーを読みたい、チェーホフを読みたいというような動機でロシア語を履修する学生の数はいつの時代もいます。目標文化が「ロシア文学」である履修者の数はいつの時代もそれほど変化しない。けれども、目標文化が「ソ連の科学の先進性」である履修者は、その目標文化が求心力を失うと、たちまち潮が引くようにいなくなる。

僕の学生時代はフランス語履修者がたくさんおりました。でも、その後、フランス語履修者は急減しました。ある時点で中国語に抜かれて、今はもう見る影もありません。

理由の一つは、日本のフランス語教員たちが学生たちの知的好奇心を掻き立てることができなかったせいなのですけれど、それ以上に本国のフランスの文化的な発信力が低下したことがあります。フランス文化そのものに日本の若者たちを「目標」として惹きつける魅力がなくなってしまった。

フランス語やロシア語の例から知れる通り、われわれが外国語を学ぶのは目標文化に近づくためなのです。目標文化にアクセスするための手段として目標言語を学ぶ。

しかし、まことに不思議なことに、今の英語教育には目標文化が存在しません。英語という目標言語だけはあるけれども、その言語を経由して、いったいどこに向かおうとしているのか。向かう先はアメリカでもイギリスでもない。カナダでもオーストラリアでもない。どこでもないのです。

何年か前に、推薦入試の入試本部で学長と並んで出願書類をチェックしていたことがありました。学長は英文科の方だったのですけれど、出願書類の束を読み終えた後に嘆息をついて、「内田さん、今日の受験者150人の中に『英文科志望理由』に『英米文学を学びたいから』と書いた人が何人いると思う?」と訊いてきました。「何人でした?」と僕が問い返すと「2人だけ」というお答えでした「後は、『英語を生かした職業に就きたいから』」だそうでした。

僕の知る限りでも、英語を学んで、カタールの航空会社に入った、香港のスーパーマーケットに就職した、シンガポールの銀行に入ったという話はよく聞きます。別にカタール文化や香港文化やシンガポール文化をぜひ知りたい、その本質に触れたいと思ってそういう仕事を選んだわけではないでしょう。彼らにとって、英語はたしかに目標言語なのですけれど、めざす目標文化はどこかの特定の文化圏のものではなく、グローバルな「社会的な格付け」なのです。高い年収と地位が得られるなら、どの外国でも暮らすし、どの外国でも働く、だから英語を勉強するという人の場合、これまでの外国語教育における目標文化に当たるものが存在しない。
これについては平田オリザさんが辛辣なことを言っています。彼に言わせると、日本の今の英語教育の目標は「ユニクロのシンガポール支店長を育てる教育」だそうです。「ユニクロのシンガポール支店長」はもちろん有用な仕事であり、しかるべき能力を要するし、それにふさわしい待遇を要求できるポストですけれど、それは一人いれば足りる。何百万単位で「シンガポール支店長」を「人形焼き」を叩き出すように作り出す必要はない。でも、現在の日本の英語教育がめざしているのはそういう定型です。

僕は大学の現場を離れて7年になりますので、今の大学生の学力を知るには情報が足りないのですけれども、それでも、文科省が「英語ができる日本人」ということを言い出してから、大学に入学してくる学生たちの英語力がどんどん低下してきたことは知っています。それも当然だと思います。英語を勉強することの目標が、同学齢集団内部での格付けのためなんですから。低く査定されて資源分配において不利になることに対する恐怖をインセンティヴにして英語学習に子どもたちを向けようとしている。そんなことが成功するはずがない。恐怖や不安を動機にして、知性が活性化するなんてことはありえないからです。

僕は中学校に入って初めて英語に触れました。それまではまったく英語を習ったことがなかった。1960年頃の小学生だと、学習塾に通っているのがクラスに二三人、あとは算盤塾くらいで、小学生から英語の勉強している子どもなんか全然いません。ですから、FENでロックンロールは聴いていましたけれど、DJのしゃべりも、曲の歌詞も、ぜんぶ「サウンド」に過ぎず、意味としては分節されていなかった。それが中学生になるといよいよ分かるようになる。入学式の前に教科書が配られます。英語の教科書を手にした時は、これからいよいよ英語を習うのだと思って本当にわくわくしました。これまで自分にとってまったく理解不能だった言語がこれから理解可能になってゆくんですから。自分が生まれてから一度も発したことのない音韻を発声し、日本語に存在しない単語を学んで、それが使えるようになる。その期待に胸が膨らんだ。

今はどうでしょう。中学校一年生が四月に、最初の英語の授業を受ける時に、胸がわくわくどきどきして、期待で胸をはじけそうになる・・・というようなことはまずないんじゃないでしょうか。ほかの教科とも同じでしょうけれど、英語を通じて獲得するものが「文化」ではないことは中学生にもわかるからです。

わかっているのは、英語の出来不出来で、自分たちは格付けされて、英語ができないと受験にも、就職にも不利である、就職しても出世できないということだけです。そういう世俗的で功利的な理由で英語学習を動機づけようとしている。でも、そんなもので子どもたちの学習意欲が高まるはずがない。

格付けを上げるために英語を勉強しろというのは、たしかにリアルではあります。リアルだけれども、全然わくわくしない。外国語の習得というのは、本来はおのれの母語的な枠組みを抜け出して、未知のもの、新しいものを習得ゆくプロセスのはずです。だからこそ、知性の高いパフォーマンスを要求する。自分の知的な枠組みを超え出てゆくわけですから、本当なら「清水の舞台から飛び降りる」ような覚悟が要る。そのためには、外国語を学ぶことへ期待とか向上心とか、明るくて、風通しのよい、胸がわくわくするような感じが絶対に必要なんですよ。恐怖や不安で、人間はおのれの知的な限界を超えて踏み出すことなんかできません。
でも、文科省の『「英語ができる日本人」の育成のための行動計画の策定について』にはこう書いてある。

「今日においては、経済、社会の様々な面でグローバル化が急速に進展し、人の流れ、物の流れのみならず、情報、資本などの国境を超えた移動が活発となり、国際的な相互依存関係が深まっています。それとともに、国際的な経済競争は激化し、メガコンペティションと呼ばれる状態が到来する中、これに対する果敢な挑戦が求められています。」

冒頭がこれです。まず「経済」の話から始まる。「経済競争」「メガコンペティション」というラットレース的な状況が設定されて、そこでの「果敢な挑戦」が求められている。英語教育についての基本政策が「金の話」と「競争の話」から始まる。始まるどころか全篇それしか書かれていない。

「このような状況の中、英語は、母語の異なる人々をつなぐ国際的共通語として最も中心的な役割を果たしており、子どもたちが21世紀を生き抜くためには、国際的共通語としての英語のコミュニケーション能力を身に付けることが不可欠です」という書いた後にこう続きます。

「現状では、日本人の多くが、英語力が十分でないために、外国人との交流において制限を受けたり、適切な評価が得られないといった事態も起きています。」
「金」と「競争」の話の次は「格付け」の話です。ここには異文化に対する好奇心も、自分たちの価値観とは異なる価値観を具えた文化に対する敬意も、何もありません。人間たちは金を求めて競争しており、その競争では英語ができることが死活的に重要で、英語学力が不足していると「制限を受けたり」「適切な評価が得られない」という脅しがなされているだけです。そんなのは日本人なら誰でもすでに知っていることです。でも、「英語ができる日本人」に求められているのは「日本人なら誰でもすでに知っていること」なのです。

外国語を学ぶことの本義は、一言で言えば、「日本人なら誰でもすでに知っていること」の外部について学ぶことです。母語的な価値観の「外部」が存在するということを知ることです。自分たちの母語では記述できない、母語にはその語彙さえ存在しない思念や感情や論理が存在すると知ることです。

でも、この文科省の作文には、外国語を学ぶのは「日本人なら誰でもすでに知っていること」の檻から逃れ出るためだという発想がみじんもない。自分たちの狭隘な、ローカルな価値観の「外側」について学ぶことは「国際的な相互依存関係」のうちで適切なふるまいをするために必須であるという見識さえ見られない。僕は外国語学習の動機づけとして、かつてこれほど貧しく、知性を欠いた文章を読んだことがありません。

たしかに、子どもたちを追い込んで、不安にさせて、処罰への恐怖を動機にして何か子どもたちが「やりたくないこと」を無理強いすることは可能でしょう。軍隊における新兵の訓練というのはそういうものでしたから。処罰されることへの恐怖をばねにすれば、自分の心身の限界を超えて、爆発的な力を発動させることは可能です。スパルタ的な部活の指導者は今でもそういうやり方を好んでいます。でも、それは「やりたくないこと」を無理強いさせるために開発された政治技術です。
ということは、この文科省の作文は子どもたちは英語を学習したがっていないという前提を採用しているということです。その上で、「いやなこと」を強制するために、「経済競争」だの「メガコンペティション」だの「適切な評価」だのという言葉で脅しをかけている。

ここには学校教育とは、一人一人の子どもたちがもっている個性的で豊かな資質が開花するのを支援するプロセスであるという発想が決定的に欠落しています。子どもたちの知性的・感性的な成熟を支援するのが学校教育でしょう。自然に個性や才能が開花してゆくことを支援する作業に、どうして恐怖や不安や脅迫が必要なんです。勉強しないと「ひどい目に遭うぞ」というようなことを教師は決して口にしてはならないと僕は思います。学ぶことは子どもたちにとって「喜び」でなければならない。学校というのは、自分の知的な限界を踏み出してゆくことは「気分のいいこと」だということを発見するための場でなければならない。

この文章を読んでわかるのは、今の日本の英語教育において、目標言語は英語だけれど、目標文化は日本だということです。今よりもっと日本的になり、日本的価値観にがんじがらめになるために英語を勉強しなさい、と。ここにはそう書いてある。目標文化が日本文化であるような学習を「外国語学習」と呼ぶことに僕は同意するわけにはゆきません。

僕自身はこれまでさまざまな外国語を学んできました。最初に漢文と英語を学び、それからフランス語、ヘブライ語、韓国語といろいろな外国語に手を出しました。新しい外国語を学ぶ前の高揚感が好きだからです。日本語にはない音韻を発音すること、日本語にはない単語を知ること、日本語とは違う統辞法や論理があることを知ること、それが外国語を学ぶ「甲斐」だと僕は思っています。習った外国語を使って、「メガコンペティションに果敢に挑戦」する気なんか、さらさらありません。

外国語を学ぶ目的は、われわれとは違うしかたで世界を分節し、われわれとは違う景色を見ている人たちに想像的に共感することです。われわれとはコスモロジーが違う、価値観、美意識が違う、死生観が違う、何もかも違うような人たちがいて、その人たちから見た世界の風景がそこにある。外国語を学ぶというのは、その世界に接近してゆくことです。 

フランス語でしか表現できない哲学的概念とか、ヘブライ語でしか表現できない宗教的概念とか、英語でしか表現できない感情とか、そういうものがあるんです。それを学ぶことを通じて、それと日本語との隔絶やずれをどうやって調整しようか努力することを通じて、人間は「母語の檻」から抜け出すことができる。

外国語を学ぶことの最大の目標はそれでしょう。母語的な現実、母語的な物の見方から離脱すること。母語的分節とは違う仕方で世界を見ること、母語とは違う言語で自分自身を語ること。それを経験することが外国語を学ぶことの「甲斐」だと思うのです。

でも、今の日本の英語教育は「母語の檻」からの離脱など眼中にない。それが「目標言語は英語だが、目標文化は日本だ」ということの意味です。外国語なんか別に学ぶ必要はないのだが、英語ができないとビジネスができないから、バカにされるから、だから英語をやるんだ、と。言っている本人はそれなりにリアリズムを語っているつもりでいるんでしょう。でも、現実にその結果として、日本の子どもたちの英語力は劇的に低下してきている。そりゃそうです。「ユニクロのシンガポール支店長」が「上がり」であるような英語教育を受けていたら、そもそもそんな仕事に何の興味もない子どもたちは英語をやる理由がない。

(中略)

今は英語教育にとりわけ中等教育では教育資源が偏ってきています。他の教科はいいから、とにかく英語をやれという圧力が強まっています。別にそれは英語の教員たちが望んだことではないのだけれど、教育資源が英語に偏っている。特に、オーラル・コミュニケーション能力の開発に偏っている。何でこんなに急激にオーラルに偏ってきたかというと、やはりこれは日本がアメリカの属国だということを抜きには説明がつかない。

「グローバル・コミュニケーション」と言っても、オーラルだけが重視されて、読む力、特に複雑なテクストを読む能力はないがしろにされている。これは植民地の言語教育の基本です。

植民地では、子どもたちに読む力、書く力などは要求されません。オーラルだけできればいい。読み書きはいい。文法も要らない。古典を読む必要もない。要するに、植民地宗主国民の命令を聴いて、それを理解できればそれで十分である、と。それ以上の言語運用能力は不要である。理由は簡単です。オーラル・コミュニケーションの場においては、ネイティヴ・スピーカーがつねに圧倒的なアドバンテージを有するからです。100%ネイティヴが勝つ。「勝つ」というのは変な言い方ですけれども、オーラル・コミュニケーションの場では、ネイティヴにはノン・ネイティヴの話を遮断し、その発言をリジェクトする権利が与えられています。ノン・ネイティヴがどれほど真剣に、情理を尽くして話していても、ネイティヴはその話の腰を折って「その単語はそんなふうには発音しない」「われわれはそういう言い方をしない」と言って、話し相手の知的劣位性を思い知らせることができる。

逆に、植民地的言語教育では、原住民の子どもたちにはテクストを読む力はできるだけ付けさせないようにする。うっかり読む力が身に着くと、植民地の賢い子どもたちは、宗主国の植民地官僚が読まないような古典を読み、彼らが理解できないような知識や教養を身に付ける「リスク」があるからです。植民地の子どもが無教養な宗主国の大人に向かってすらすらとシェークスピアを引用したりして、宗主国民の知的優越性を脅かすということは何があっても避けなければならない。だから、読む力はつねに話す力よりも劣位に置かれる。「難しい英語の本なんか読めても仕方がない。それより日常会話だ」というようなことを平然と言い放つ人がいますけれど、これは骨の髄まで「植民地人根性」がしみこんだ人間の言い草です。

「本を読む」というのはその国の文化的な本質を理解する上では最も効率的で確実な方法です。でも、植民地支配者たちは自分たちの文化的な本質を植民地原住民に理解されたくなんかない。だから、原住民には、法律文書や契約書を読む以上の読解力は求めない。

今の日本の英語教育がオーラルに偏って、英語の古典、哲学や文学や歴史の書物を読む力を全く求めなくなった理由の一つは「アメリカという宗主国」の知的アドバンテージを恒久化するためです。だから、アメリカ人は日本人が英語がぺらぺら話せるようになることは強く求めていますけれど、日本の子どもたちがアメリカの歴史を学んだり、アメリカの政治構造を理解したり、アメリカの文学に精通したりすること、それによってアメリカ人が何を考えているのか、何を欲望し、何を恐れているのかを知ることはまったく望んでいません。

(以下略)

「原住民には法律文書や契約書を読む以上の読解力は求めない」ということを英語教育について書いたら、国語教育でも同じことをしようとしているということを知らされた。

まことに情けない国に成り下がったものである。
http://blog.tatsuru.com/2018/10/31_1510.html


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

19. 2022年5月21日 05:11:56 : qxNlsUXK8U : Z1NyeW5ETTdLMlU=[808] 報告
transimpex_ochd(スコットランド・ケール語で8です)で投稿しています。

政治屋から教育まで朝鮮人の成りすましだから、日本人にまともな教育をしない

させない、潰そうとする、彼等の思い通りになる人間だけ上にあげる。

その結果が今の日本。

皇室制度廃止 手下の創価など解体と信者の帰国。

半島との国交断交。

日本人の為の日本再生。

単純思考・浅知恵の彼等では教育は無理。



[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数のため全部処理

20. 2022年5月31日 19:30:26 : qxNlsUXK8U : Z1NyeW5ETTdLMlU=[933] 報告
transimpex_ochd(スコットランド・ケール語で8です)で投稿しています。

まあ 居ついて何十年経っても駄目な者・物は駄目という事。

成りすましなど不可能。

心・精神の問題なので、あんたとこの民族では特に。

諦めて自国で頑張れ。

[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数のため全部処理


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