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貨幣の信用力(通用性)の担保は「ひと」である
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投稿者 まっくす 日時 2004 年 3 月 29 日 05:54:39:1gyEqZlfbcB1s
 

(回答先: 「“貨幣”の力を信じる心性」と「“生きた存在”の力を信じる心性」 投稿者 あっしら 日時 2004 年 3 月 28 日 15:37:21)


あっしらさん、こんばんは。他のみなさんに呼びかけまでしていただきありがとうございます。また、「“貨幣”の力を信じる心性と“生きた存在”の力を信じる心性」を基調とするまとめも簡潔にして的確なもので、ありがたく思っています。

私としても、他の阿修羅のご意見番のみなさんが討議に参加していただけるなら、これに過ぎる喜びはありません。みなさん、どうぞお上がりください。

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日曜日、いい陽気でした。春風に誘われ、私も近所で七分咲きの桜を楽しんできました。あたりに漂っている穏やかな風情、人々の表情は自然と和やかでした。私たちの先祖は「決然と咲き、潔くぱっと散る」この花をなぜ、これほどまでにエコ贔屓してきたのでしょうか?

いきなり桜と世界情勢を結びつけるのも無粋な話ですが、所与の現実を無視して花見気分に浸っている幸福には、お返しをしないといけません。私は個人的に、この三月を非常に不穏な月と予測していたため、実は今日まで外出する気にもなれないでいたのです。私のアンテナに届く範囲で、二つのイヤな予感がありました。

ひとつは日本へのいやがらせ、もうひとつはイスラエルでの大きな「事件」の可能性です。表向き行き詰っているイラク情勢、それを一気に流動化させる次の手をうってくるタイミングだと思っていました。三月二十日は九年前、日本であのサリンテロの日、そして昨年イラクでの開戦日に当たります。この「記念日」をはさんで前後1週間があぶないという感じです。

政治を見るには実は株式の動向が役立ったりします。株式相場は「期待」で動きますが、このところアメリカの株式市場が特に明確な理由もなく下げ続けていました。雇用の改善がはかばかしくなく、先行きの景気に懸念が出たと表向きは説明されていますが、大きな資金を動かす人がその程度の情報で資金を引き上げるはずがありません。彼らは何か気がかりな情報をつかんでいたはずです。

3.11のマドリッドのテロ。株式市場はさほど反応を示しませんでした。テロは最小コストで最大効果を狙います。経済大国でない国の首都への攻撃は「人心」への恐喝にはなっても、「経済打撃」にはなりません。したがって「経済打撃」は他で試みられる可能性が高く、だからこそ私の中では日本か、イスラエルなのでした。

日本といっても、六本木ヒルズやアメリカ大使館ではなく、サマワに出かけている自衛隊です。それにしても、イスラエルの経済インパクト?「ユダヤ資本の大本山」だけに大いに象徴的意味を持ちます。たとえば、イスラエルのユダヤ系大企業(IT、金融、石油化学系)がテロに直撃され、数千人規模の使者が出ていたら、株式市場は大きく下落したはずです。

実は3月中旬、イスラエルにあるユダヤ系企業の化学工場に対して「第二の911」が試みられた可能性があります。アシン暗殺はその事件とセットで計画され、「第二の911」へのリアクションとして画策されていた可能性も否定できません。

エルサレムは「平和」という意味をもつマホロバです。カリフォルニアのような温暖な気候と水利に恵まれたこの土地は、「マイナス族」の人々にとって、「プラス族」が当たり前に享受している恵みの土地、文字通りのオアシスなのです。

この場所を巡って千年以上にもわたる攻防が繰り広げられてきた歴史のなかに、人類の悲哀が集約的に現れています。この地に関わってきた人々は、当たり前のように「同一地点に二者が共存できない」という物理学的公理を肌身で知り、「資源の希少性」という儲けの原理を骨の髄から味わったはずです。この土地を得るには、競い合い、戦略を練り、敵より力をたくわえること、奪い取った後は法律を整備して、所有権を確立すること、そのような行いが正当化されざるを得なかったと思われます。第二、第三のエルサレムがもしそばにあったら、「マイナス族」の抽象能力があれほどまでに研ぎ澄まさる「必要」はなかったでしょう。

「出て行った」ユダヤ人は基本的にカントリーとしての国(土地)を信じないで生きてきた人々です。彼らは移動(非定住)を基本的な生存様式とするなかで、空間的な差異から利潤を得る習慣を確立していきました(たとえば、中国やインドの産品をヨーロッパで売る)。後世、こんどは時間的差異を利潤に変えること、すなわち利子付きの金貸しを思いつきます。

しかし、ユダヤ人たちは土地を持たないゆえに、あっしらさんの用語で言えば、つねに「宿主」を必要とします。おおざっぱに言ってヨーロッパ諸国のことですが、近代の資本制がここまで飛躍的に伸展した契機は、このヨーロッパからも「出て行った」人たちがいて、アメリカという新国家を作ったところにあると思います。

ユダヤ人もアメリカにわたった欧州人も、「出て行った」という点で共通しています。「出て行った」人たちは基本的に過去(旧世界)を基盤に生きることができません。彼らが中心になって作り上げてきた「自由、解放、平等、競争合理化」などの価値観が、強迫観念のように「喪失=欠乏」感につき動かされているように感じるのは、私だけではないはずです。

私としては、「喪失=欠乏」はもう技術的に解決できたのだから(結局は政治マターになってしまって、うまく分配が進まないのですが)、そろそろそっちの面では十分ではないか、という気持ちがあります。「もうあきちゃった」んですね。「分断と対立」に慣らされていると、右を向いても左を向いても「人間」「個人」の洪水で息苦しいです。「個人」ってそんな大した価値なんでしょうか?私が「決然と咲き、潔くぱっと散る」桜の下をそぞろ歩く人々の柔和な表情から得たものは、決して「個人」ではなかったと思います。桜を記号化して考えるのは近代人の病気です。あの穏やかな風情は、そんなもんじゃなく、人々がその場に全体として「溶け込んでいる」ことから来る安心感なんだと思います。

飛躍しているかもしれませんが、ここに「分断と対立」を解消する契機を感じるのです。「分断と対立」を溶かすようなお金があったらいいな、と思います。桜のように「決然と咲き、潔くぱっと散る」お金。そうしたら消費税など取らなくてすみます。なまじ永遠に目減りしないとか、節約すれば、もっと殖やせば楽になるとか思っているから、我々はあくせく働かなければなりません。結局、お金と時間が引き換えになっていて、ここでも「分断と対立」が起きているんです。キーは利子の存在にあるでしょう。


かくいう私も、近代人です。しかも私は都市生活者で、庶民階層の中でも「抽象性」の高い生活を営んでいます。そのため意識せず「近代的」言明に染まっていたりします。たとえば、せっかくあっしらさんに賛成してもらったにもかかわらず、前回の「庶民の視点からいえば、"彼ら"の魔手が及びにくい安心な通貨が新たな選択肢として加わる」という言い方など最たるもので、ペケです。

「"彼ら"の魔手」などという表現自体が、新しい通貨制度が"彼ら"と対立するものではないという私の明示的テーマに反した言い方なのです。これを言うなら、「"彼ら"の思惑など意識しない庶民が、そうした思惑とは関係なく安心して使える通貨」くらいが適当でした。

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あっしらさん:「そう言っていながらなんですが、通貨は究極的には手段でしかないと考えているので、何よりも重要なのは、日本の産業力を“そのとき”まで「供給力過剰(貿易収支黒字)」で維持することだと思っています。」


基本的に同意します。 「通貨は究極的には手段でしかない」としても、おっしらさんも十分わかっておられるように、一足飛びに理想郷へ移住することはできません(この辺の手続きを踏まない、せっかちな人々が宗教へ流れ出していきます)。

まず宗教へ至る前の段階へ辛抱強く移行すべきです。そのためのひとつの有力な手段が貨幣制度の見直しです。さっきも言いましたが「決然と咲き、潔くぱっと散る」通貨を社会に埋め込めば、経済の流れは今よりずっと人それぞれの嗜好やニーズを反映するものになると思います。経済の基本がフローとストックの均衡(お金の回転率の調整)にある以上、プラスへの単一志向性を担う通貨のみが存在する世界は、いびつといわざるを得ません。


あっしらさん:「しかし、金保有量はわずかで産業力も劣化したという時点で日本が新通貨制度に投げ込まれたらどうなるでしょう。貿易収支赤字分を“彼ら”が支配する国際銀行から借りるしかありません。借りたお金は利息付きで返済しなければなりません。それは、日本が“彼ら”の裁量に委ねられるようになっていくことを意味します。 」


日本に保有量の規制があり、マンハッタンの地下金庫に世界各国の保有する大量の金地金が「人質」にとられている事実を勘案すると、世界通貨が金地金を担保に置くことになる可能性は高いですね。

にもかかわらず、ここには、あっしらさんをしても、と思わせるような「マイナス族のプラス志向」に影響された杞憂が表明されている感じです。

私は基本的に、通貨の通用(信用)力の担保は「ひと」だと考えています。政治、外交、産業、国民性・・・すべてをトータルした意味での「ひと」です。したがって基本的に「プラス族」である日本人は、マイナスバランスで始めても大丈夫くらいにたかをくくっていいと思っています。

新たな通貨制度が日本人にいまより「時間的な余裕」を与えるような世界であれば、もっと楽しい商品を作ってくれるような気がするし、もっと人々の納得の行くお金の使い方が考案されていくだろう思います。その意味で、短期的混乱はあっても、中長期的には全然心配していません。

”彼ら”の「インフレ志向」がたやすくなくならないとしても、もし独自性を「認可」されるなら、新しい貨幣を使う日本人のほうで、社会の分断や対立をやわす使い方を工夫し、結果的に、”彼ら”のこわばりさえ「溶かしていく」という希望を持っています。バランス感覚にたけた日本人ならそれができる、というのが私の問いかけの根底にある直覚です。


次回は「共同体性」をテーマに投稿するつもりです。

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