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(回答先: インドネシアで進行する不吉な事態は世界中に拡がる可能性がある/対抗手段など 投稿者 HAARP 日時 2004 年 3 月 09 日 13:03:44)
またまた横から出てきて申し訳ありません。
とても参考になりました。 とともにひざを打って喜んだのが下記のとろこでした。
先回の投稿記事を拝見していなかったのですが、今回ご紹介でありがとうございます・
HAARPさんの投稿記事にありました、
【レイモンド・ロイヤル・ライフの軌跡(現在の微生物学は根底から間違っているかもしれない)】
http://www.asyura.com/0304/health4/msg/234.html
投稿者 HAARP 日時 2003 年 4 月 25 日 05:08:09:oQGUNb5q8hjD.
をちょっとななめ読みしましたが、私もおどろきです。
実は私はまったくの医学素人です。では、そんな奴素人が医学を無遠慮なく
否定しているかというと、それはどうみても「不自然」だという感覚でみる
からです。
本当は幼稚園とまで行かなくとも小学生でも判るのが「自然観」です。
それをさも理屈を難しく付けた方が良いという大人たちが、本来の自然観
をこねくり回してしまって、それに「権威」という額縁まで付けて押しつけ
ているのが、今の「現代医学」だと思っています。
もちろん、医学は科学の進歩とともに歩んできたのだから、それは現時点での
最高の理論だと言う方もいるでしょうが、私は科学と言ってもそれは唯物医学
一辺倒であり、生命の分野は超物質世界ですから、一からもう壁が造ってある
のです。それを医学のバカの壁とでも呼ぶのが今風なのか?は判りませんが。
そこで上記の論文中の
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ライフの業績は、バクテリアというものはそれぞれの形態が決まったものではなく、過疎的な形態を取るものだということを疑うべくもなく表明している。このことは、彼の研究生活のなかで直面したものでも最悪のたぐいの怒りをその権威筋から買ってしまった。これは病原菌理論という最も強固に打ち立てられた生物学上のドグマ、これが生物学自体の病因でもあるものを侵害してしまったのだ。
誰もがあれやこれやの病気はある特定の病原菌によって引き起こされるということを「知って」いる。このことはコッホの仮説とワクチン摂取の成功とによって完全に証明されている。
誰もアントワーヌ・ビシャンプのミクロジーマ理論、つまりは様々な疾病状態は、彼が全ての生きている組織や死んだ生体組織のなかに発見した微小な生命単位から成る特定のバクテリア形態の発生を促すという理論を思い出すことはない。彼が力説したこの事実はバクテリアが可塑的な形態を持つということに行き着くわけが、1800年代後期の科学界の政治を仕切る人々に満足を与えるものではなかった。ビシャンプの理論においては、バクテリアは「症候」であって疾病の「原因」ではなかった。今日では、このバクテリアの可塑性とバクテリアの内在的発生原因の概念は、ビシャンプの時代から繰り返し論証されてきたにもかかわらず生物学者にとっては理解不能のものとなっている。おそらく度重なる新旧の疾病に対する制御の失敗は、古典的な病原菌理論のドグマが良く言っても不完全なものだということを医学に認識させる圧力となるのだろう。
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この文に真実が書いてあるのではないかと思いました。
しかし、玄人はそれを鼻から否定してしまう。
それこそ、科学者が科学の進歩を抑えている張本人だという言葉そのものでしょう。
吾らが病原性微生物と呼んでいるウイルスや病原菌の本当の正体が見えてくるようです。
「ソマチックス」とか表現しているものと同じなのでしょうか。
同じものを人によって少々のとらえ方の違いはあっても、言っている事は同じだと
思います。
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「ビシャンプの理論においては、バクテリアは「症候」であって疾病の「原因」ではなかった。」
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これこそ
今の医学が根底から違う道を行っていることが判ります。
つまり、吾らが病気を起こす原動力、発症の原因となるとしているウイルスやばい菌
が「原因」そのものではなかったという事を示しています。
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今日ではこのバクテリアの形態可塑性という事実は少数の微生物学者たちに認知されてはいるが、彼らもこの事実にどう対処していいのかわからないようだ。
この事実には理論が当てはまらなく、一方では進化や同化?という生物学的に自明の現象と共にあるわけだ。この形態可塑性の過程は理解を越えるような複雑さをもって現れる。
これは「物」というよりは「過程」そのものと言える。
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よく引用させて頂く
ナイチンゲールの言葉でいうと、それは固有名詞でなく、形容詞だ とでも言うの
でしょうが、ウイルスや病菌となる微生物がなぜ突然変異を容易に繰り返し、薬剤に
対抗するすスーパーバグなどになるのかの疑問もこれで判るはずです。
「物」としてウイルスや病菌を追いかけ回しても、それは常に変化変異を自由自在に
繰り返すことができるのです。
それはあたかも「鏡」の原理そのものです。
宿主の状態に合わせてそれはいくらでも発生、変異するのですから、宿主の状態を
写す鏡の役割です。
別にこの事を難しく考える事はないのです。
自然観が素直なら、小学生でも簡単に判ることなのです。
汚物にはウジが湧く
そして、それを分解掃除してくれる。
となりにも汚れたものがあればそこにも移って繁殖して掃除してくれる。
実に簡単明瞭。
ただウイルスや細菌が小さいだけのこと。
それをオツムが発達したのか、オムツのまま発達したのか判らない大人がその自然観
を変にねじ曲げてしまったようです。
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「この現象を理解する上で障害となっていたこととしては微生物学者たちが稀にしか生きた標本を見たことがないという事実がある。
染色された標本と染色技術に気を取られていたことと、電子顕微鏡の導入によって、彼らは死んだ標本しか観察してこなかった。ライフの生きた標本による顕微鏡学は彼の評価を若干混乱させたようである」
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学問をする者は素人と違って元の「教え」を大切にします。
その「教え」からはずれてしまう論はなるべく否定します。
そうすると「否定する心」が実は波動の法則から、新たな発見を遠ざけてしまうのです。
人の意識が物質の世界にも影響を与えるというのは近代の科学では認知されはじめた
と言います。
彼ら多くのガクシャが意図して真実を否定するのはなく、無意識領域でそれが見えない
様な世界を選択していることに大きな原因がありそうです。
それは「教え」から離れてしまう不安からでしょうか?
現代医学が信仰だというのは、「教え」と「医学」という学問が似ているからでしょう。
彼ら専門家は進んでこれらの生きた標本を見ようとしているのでしょうか?
相変わらず、死んだ標本ばかりのぞき込んで狭い世界を楽しんで居るのでしょうか?
ちょうど大先輩のパスツールが不自然な実験結果を自然界に当てはめてしまったように。