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「東西対立」の基底と表層そして中央集権国家=明治国家の“必然性”
http://www.asyura2.com/0401/idletalk8/msg/103.html
投稿者 あっしら 日時 2002 年 2 月 18 日 22:55:23:Mo7ApAlflbQ6s
 


雑談版7でうまく投稿ができなかったので新規に投稿します。

『Re: 「東西対立」の基軸は、西の中央集権志向・東の地域主義という国家統合の違いにあると考えています。』( http://www.asyura2.com/0401/idletalk7/msg/1020.html )へのレスです。

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Westerflussさん、こんにちわ。


まず、「百済、新羅、高句麗も隋や唐によってでしたかその後は滅ぼされたてしまったと?記憶してました」については、朝鮮半島の三国時代(新羅・高句麗・百済)が唐−新羅連合により統一された(統一新羅の誕生)という経緯です。


>対立構造なのですが何故西は律令制中央集権国家を目指し、何故東は地域連合連邦制
>のようなものを求めるのかです。
>あっしらさんのご説明を読む限り白村江の敗戦で百済王再興の最期の夢も消えたとき
>からその後明治維新までずっと双方のポジションは変わらないというようにお考えだ
>と理解しました。

東西の対立構造は基底としては変わっていないと思っていますが、東西がよしとする統治思想ないしめざす制度は、戦争を含む東西の相互交流を通じて変わったと思っています。
(閉じた共同体でも変化は起こりますが、質的な大きな変化は異種共同体との接触(交流)によって生じるものだと考えています)

日本の東西対立も、西は律令制的国家統合を地域政治統合(藩)−地域連合盟主(幕府)−統合権威機構(朝廷)という実を捨て名を取ったかたちになり、東は実を取り名を捨てたかたちになりました。
東も、中央集権的な国家統合をめざす西に対抗するため、緩やかな交流から連合へ、さらには強力な連合へと変容したはずです。(揶揄的に言えば、中央集権国家に組み込まれることに抵抗するために、中央集権的な方向に動いていったことになります)

このようになったのは、究極的には武力の優劣ですが、長年かけて築き自然の1年サイクルで収穫を得るという農業共同体の特性が無用なというか激越な争いを忌避させたからであろうと思っています。
東西のお互いが、許容できる範囲で手を打ち、とことん相手を殲滅するという構えを見せなかったことが江戸時代の繁栄につながったと考えています。


>大和朝廷なのか九州連合なのかは分かりませんが、支配層は律令制にして国家を整え
>強い王朝にしなければいつかは潰されるということが良く分かっていたと思うのです。
>しかし、百済、新羅、高句麗も同じような運命をたどり百済や九州の支配層と同じよ
>うに中国を良く知ってますから律令制による王朝の強さを知っていたと考えれば日本
>の東を拠点として支配層に馬や騎馬による戦法と同じように律令制による王朝を説い
>ても不思議ではないと思うのです。中国ではいくつも王朝が出てますが日本には天皇
>は一つという感じもして不思議ではあります。フランスとドイツもなんだか同じよう
>な対立構造があるのでしょうか。


西は、ご指摘のように、東も組み込んだ(戦力を含めて)律令制国家をめざし、その意義を東国の支配層にも説いています。
その口説きと武力による威嚇を中央集権で組み込まれるのを嫌った東国は受け入れなかったというのが歴史的経緯です。
(百済も満州を故地とする騎馬系扶余民族が支配層でしたから、律令制国家をめざした西も騎馬戦術を駆使した軍事力を保持していました)

日本はほぼ全域が農業共同体であり地理的にも周囲を海に囲まれており、遊牧騎馬共同体と陸続きの隣接関係にある中国や朝鮮半島とは政治的統合条件は異なっていたと考えています。(日本も、漁労や狩猟を生業にする共同体はありましたが、大陸の遊牧騎馬共同体のような農村共同体を脅かすそんざいではありませんでした)

このようなことから、「強い王朝にしなければいつかは潰される」という思いは、百済の末裔など大陸ないし朝鮮半島出身の支配層構成員にはあったでしょうが、日本全域の支配層の共通認識ではなかったと考えています。
白村江の戦いで敗北してしばらくは、唐−新羅連合が九州を脅かしていたことは確かですから、「強い王朝にしなければいつかは潰される」という思いは強かったはずですし、それが西国が領域を拡大しながらの律令制国家確立に駆りたてた現実要因だったとも言えると思っています。

それ以前やその後の中国や朝鮮半島は、仏教や儒教そして政治制度や文物を手に入れる(知る)相手というのが大勢の考えだったはずです。

日本は、生存維持のための活動形態と地理的条件から、中国や朝鮮で志向された律令制中央集権国家をことさら必要をしなかったと考えています。
ことさら必要としなかったから、「地域政治統合(藩)−地域連合盟主(幕府)−統合権威機構(朝廷)」という統治構造に収斂したと思っています。

そして、その統治構造を揺るがし、かつて西国がめざした律令制国家(中央集権国家)を想起させたのが海を障害としない欧米列強の“侵略”です。
「陰謀論」を脇におけば、強力な中央集権国家が必要と大勢に思われるようになったから、明治国家が誕生したとも言えます。
(明治維新で敗北した公武合体派も、強力な中央集権国家が必要と考えたことにおいては同じです)


※ フランスやドイツといったヨーロッパは、土着の人たちに中央アジア出自の騎馬系ゲルマンが襲いかかったり、セム系諸族が経済的宗教的に浸透するという複雑な歴史経緯があるので、日本の歴史とはそれほど容易には重ね合わせができないと思っています。


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