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ITは人を幸せにするか 最終章 失われた「自由な空間」[デジタル特捜隊]
http://www.asyura2.com/0401/it05/msg/461.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 5 月 04 日 00:40:47:dfhdU2/i2Qkk2
 

取材・文:森健

大量の顧客情報の流出・漏洩事件が続いている。どれだけセキュリティの壁が厚くなり、高くなろうとも、当該の個人情報データを活用しようとする限り、アクセスは不可能ではない。問題は、IT化の進展により個人情報をより深く網羅的に集めることができるようになったことだ。今後ますますネットワーク社会の網で個人はがんじがらめにされていく。自律的とも言える利便性、効率性の追求がもたらした副作用は「自由な社会」を死に至らしめかねない。

夏季や冬季のピーク時には1日5万人、年間およそ2800万人が行き交う成田空港(新東京国際空港)。
 人やモノが国境を越えて行き来する国際空港には多くの官庁が関係している。国土交通省(航空)、法務省(出入国管理)、財務省(税関)、厚生労働省(検疫)、農林水産省(検疫、密輸)……。扱う項目は異なれど、各省庁の目的はおよそ一致している。違法な人やモノ、病原菌や偽造品など国民に不利益を生じさせるものを国内に入れないことだ。
 2002年春、そんな流れのひとつとして成田空港と関西空港の2空港に導入されたのが、「顔認証システム」だ。導入したのは財務省関税局監視課警務係。空港で税関を統括する部署だった。設置目的は、2002年6月に行われた日韓共催FIFAサッカー・ワールドカップ(W杯)に伴う「フーリガン(暴徒的なサッカーファン)」の入国拒否のためだ。

「改めて尋ねますが、これはどういう趣旨の取材なんですか?」
 財務省関税局監視課警務係の担当者は不審な声で、3度目の電話を入れてきた。取材依頼書を送り、それまでに2度電話で説明したにもかかわらずだ。財務省に尋ねていた質問はきわめて真っ当な内容だ。
 顔認証システムの設置は、いつ誰の提案によりどのような経緯から発案されたのか、といった点に始まり、指紋ではなく顔である所以(ゆえん)、設置箇所や台数、照合する顔の画像情報の入手、W杯中の割り出し成果、今後の運用方法……。本来、対面時に聞くべき質問項目を事前に要求され、約30ほどの質問を送付した。
 だが、結果的に対面での取材は拒否され、書面のみで回答を寄せてきた。
 設置の趣旨については、W杯でのフーリガン対策だけでなく「広くテロ対策及び密輸取り締まりのため」と担当者も認めたが、その他の内容は「監視取締上支障が生ずることからお答えできないことをご理解願います」とほとんどが曖昧な内容だった。
 そもそもこの顔認証システムの導入が協議されはじめたきっかけは、W杯でのフーリガンよりも米同時多発テロの影響のほうが強い。導入以前の動きを振り返ると、2001年11月に衆議院がフーリガンの入国拒否を認める入管法改正の決議をしているが、その2週間ほど前には財務省関税局は全国の空港税関支所長会議を関西空港で開き、顔認証システムの導入を検討していたのである。時期としては、米同時多発テロからひと月あまりという10月下旬。法制面を変えるよう国会をうまく進行させつつ、実務ベースでは具体的な方策をいち早く講じていたことになる。
W杯時フーリガン入国阻止に関しては、次のような流れで進められた。
 フーリガンの顔画像及び個人情報は、各国の治安機関から警察庁警備局、法務省入国管理局を経由するかたちでW杯開催前に財務省関税局が入手。当該フーリガンの顔画像をシステムに登録しておき、税関検査近辺に設置した監視カメラで入国してくるフーリガンを捉え、判別するという形だ。
 法務省入国管理局によると、W杯開催期間中の外国人入国者は約48万人。このうち入国を拒否した者は65人だが、改正入管法に基づき「フーリガン」と完全に認定した人物は19人にのぼる。おそらくこの19人が顔認証システムで捕捉された人物とも推察できるが、実際に何名が顔認証システムで判別されたかについては財務省は回答を濁した。
「財務省としては、社会悪物品等を水際で阻止する観点からさまざまな取り組みを行っているが、限られた人員の中で有効に摘発するため、各種の取締機器を導入し取り締まりに努めてきたところです」
 いずれにしても、セキュリティ目的とはいえ、顔という固有の情報の無断収集に対し財務省の説明は十分とは言えないだろう。
 もっとも懸念されるのは今後のシステムの運用だ。オムロンが開発した顔認証システムでは、通過する人物を次々と捕捉できる。収集しようと思えばいくらでもカメラを通過する人物から画像を収集することができるのだ。一度取り込まれた顔の画像はデータベースに格納され、その後半永久的に照合対象のデータとして活用することが可能だ。
 そうしたこちらの指摘に対し、監視課警務係の担当者は「(現在は)通過するすべての旅客に対して記録を残すというようなことはまったくありません」と否定しつつも、将来については「現在の運用状況も見極めつつ、今後、検討したい」として明言を避けた。
 セキュリティ強化の風潮のなかでバイオメトリクスは次第に一般的なものになりつつある。だが、認証精度が高まればセキュリティが高まり、安全は保障されるのだろうか。

バイオメトリクスという観点でいえば、監視カメラ的な利用以外でも空港では利用がはじまっている。ひとつは顔認証、もうひとつは目の虹彩での認証で、前者は全日空が2003年12月から、後者は日本航空が2003年1月から実験を進めた。いずれも国土交通省が主導する「e−エアポート」計画による「e−チェックイン」の実験だ。
 「e−チェックイン」は発券や搭乗手続きなど時間がかかる空港内の手続きを、バイオメトリクスの認証技術を用いて1回で済ませ、簡便化するというものだ。
 「e−チェックイン」は「e−エアポート」に含まれてはいるが、もともとはIATA(国際航空運送協会)が以前から進めていた「SPT(Simplifying Passenger Travel=旅客の旅行の簡便化)」というプログラムがもとになっている。
 新東京国際空港公団情報業務部の宮本秀晴氏が説明する。
「SPTは、数年前から官民が加盟するIATAのワーキンググループで協議されていたもので、もともとはテロとは関係がなかった。ところが、テロ後はセキュリティのため、何度も空港内でパスポートの提示を求める体制になり、SPTのSをセキュリティのSとして意味づける方向にもなった。でも、技術としてバイオメトリクスを使用するということには変更はなかった」
 SPTの対象とされたのは頻繁に海外渡航する人(frequent flyers)たちだ。SPTを希望する渡航者は事前にバイオメトリクスの登録手続きをしておくことで、以後空港では(登録したエアラインに限り)きわめてスムーズな搭乗が可能になる。手荷物検査や出国手続きまでは簡素化されないが、それ以外の手順が大幅に省略される。
 このプログラムは利用者の自発的な希望によるため、同意も得ずに一方的に顔画像を収集する財務省関税局の顔認証システムとは大きくスタンスが異なる。
 日本航空オペレーション業務部の秋葉努氏も、「e−チェックイン」を利用したバイオメトリクスデータについて犯罪捜査を含む二次的な提供は一切ないと断言する。
「同意をいただいてお客様の生体情報を管理するのに、その情報を漏らせるはずがない。そもそもわれわれは私企業ですから個人情報を提供するわけにはいきません」
 いわば「eチェックイン」に関する生体認証は、セキュリティのためではなく、航空会社と空港会社におけるサービスの一環といったほうが適当だろう。
 だが、再度出入国管理に目を向けると、バイオメトリクスのデータは不可欠なものになりつつあることがわかる。変化のきっかけは再三繰り返しているが、やはりアメリカそして同時多発テロに関係している。
 2002年5月14日、アメリカで「国境警備強化・ビザ入国改正法」が成立した。この改正法は「テロ対策包括法」に基づくもので、2004年10月26日から諸外国に対し、機械読み取り式ではないパスポートやビザが必要な対象国からの入国には渡航者のバイオメトリクスデータをパスポートに格納するよう要求するというものだ。
 このアメリカの措置に対し、EU加盟国も日本も、時期や必要性に対して意見を申し入れたのち、結果的に次世代パスポートのICチップに顔認証によるバイオメトリクスデータを入れる方針を固めている。
 このパスポートでのバイオメトリクスデータの標準規格については、アメリカの国立標準技術局(NIST)が規定しているCBEFF(Common Biometric Exchange File Format)という形式が標準化に近いとされている。
 付記しておけば、バイオメトリクスに関する標準化の問題は、現在産業界においては重要な駆け引きが国際間で起きている。もしアメリカが技術の水準を問わぬまま自国の規格であるCBEFFを主導した場合、米系企業が国際標準の舵を握ってしまうためだ。その場合、今後高度なバイオメトリクス技術をもたない国にとっては、すべて標準化主導国から技術や機器を購入せねばならなくなる。その意味で、パスポートにおけるバイオメトリクスデータの標準化問題は小さくない政治・経済問題にもなっている。
 だが、そうした経済の問題はここでは措く。
 真に重要なのはその先にあるデータ利用の問題だ。アメリカが出入国管理の本人認証にバイオメトリクスデータを利用し、本人認証の手続きを他国にも要求しはじめたという政策決定は、単にテロ対策のみを意味してはいない。そこから導かれるのは、今後バイオメトリクスのデータを機軸として、あらゆる個人情報のデータを統合するよう他国にも迫る可能性があるということだ。
 現に、そうした試みや提言はアメリカ本国で再三提起されている。

2002年8月、米国防総省の国防高等研究計画庁は「全情報認知(TIA=Total Information Awareness)」システムの検討をはじめた。テロ後に「パトリオット法」をはじめ、さまざまなテロ対策を講じたアメリカにおいてもTIAは破格の計画だった(後にTIAは、Terrorists Information Awarenessに名称が変更されている)。
 TIAは、その名が示すとおり、ありとあらゆる個人の情報を網羅・収集するプログラムだった。氏名、住所、性別、生年月日といった基本情報にはじまり、運転免許証、社会保障番号、納税者番号といった公的機関の情報、さらには学歴、個人の銀行口座内容、クレジットカード履歴、航空便履歴、医療機関履歴……。そして、それら複数の情報を担保する中核の本人認証機能に、指紋・顔・歩き方・虹彩といったバイオメトリクス情報。
 要するに、個人の存在の有無を証明するデータではなく、その人物が“どのような人間であるか”を把握するためのデータベースとICカードのシステムだ。
 国防高等研究計画庁の情報認知局が提案したこのTIAシステムの最終的な目的は、テロの未然防止だ。
「テロにつながりそうな情報の累積から、その兆候を事前に発見し、テロリストを逮捕する」
 そのために既存のデータベース化された情報を統合化し、かつ有機的に関連情報を結びつけて分析する。そこで「不審な人物」と推察される振る舞いを雑多な情報から特定し、内偵などの諜報活動が行われる。単刀直入に言えば、その人物が何もしていなくても、「疑わしき」をもって逮捕にまで及ぶことができる、そんなシステムだった。
 米誌の記事で、あるセキュリティ・コンサルタントはこう語っている。
「国防高等研究計画庁のプロジェクトは、スピルバーグ監督の映画『マイノリティ・リポート』に登場する犯罪予防局の前提にそっくりだ」
 当然ながら、提案が発覚後、アメリカでは各地で反発の声が巻き起こった。それは思想信条的な立場で左からも右からも上がり、連邦議会でもたびたび問題として取り上げられることになった。
 結果から言えば、このTIA計画は、2003年9月に国防高等研究計画庁の情報認知局自体の閉鎖をもってほぼ潰されることになった。同局の予算を認めず、閉鎖を決定したのは連邦議会上下院の合同委員会だ。TIAシステムで提起されていた計画の中でも、将来のテロ攻撃をシミュレートするプログラムや外国の文書や放送内容を自動翻訳するソフトの開発などは残されたが、すべての個人情報を収集するという中心の計画は外されたことになる。
「当初(TIAシステム起案者の)ジョン・ポインデクスター氏が考案した通りのプログラムが実現していたら、米国史上最大の監視プログラムになっただろう。これでTIAプログラムの光がようやく消えた」
 TIAの反対運動を続けていたオレゴン州の民主党のロン・ワイデン上院議員はTIAシステムの閉鎖に際してそう述べている。
 だが、これによって個人情報の収集、データベース化は終わったわけではない。米運輸省運輸保安局のほうでもTIAに似た旅客チェックシステムを検討しており、そちらのほうはいまだ実験が続けられている。

この米運輸省運輸保安局によるシステム「乗客事前識別コンピュータシステム2(CAPPS2=the Computer Assisted Passenger Prescreening System 2)」は、TIAと同様の個人情報照会を可能にする計画である。
 具体的には、乗客が航空券を予約する際、銀行取引記録や信用記録、駐車違反などを含む犯罪履歴など個人の生活に関わる情報を米運輸省運輸保安局が照会できるというシステム。すでに2003年3月からデルタ航空で試験運用が始まっている。
 航空券を予約するたびに重要な個人情報をすべて照会するこのシステムでは、米連邦捜査局(FBI)や米国税局(IRS)、米社会保障庁(SSA)に加え、自動車登録、銀行記録なども照会できるとされる。CAPPS2に登録した企業は、本来顧客と秘密保持契約を結んでいるにもかかわらず、顧客データを政府機関に提供する。クレジットカード会社はいつ誰が何をいくら買っているかという利用履歴を提供し、旅行業界はいつどこへ行くかという航空便履歴をはじめ、宿泊先のデータまで共用データベースから参照可能になる。
 アメリカでも広く反発の声があり、実験導入前から各地で市民団体が怒りの声をあげているが、完全に阻止できていないのは、テロ後まもなく成立した包括法「パトリオット法」に、テロ組織への資金援助阻止やマネーロンダリング阻止という大義名分ができているためだ。CAPPS2では、黄色もしくは赤色の表示が出た場合、最長で50年間も記録が保存されるという。
「CAPPS2の問題は、事前に調査された項目が実際にテロ活動に与しているかどうかわからないだけでなく、そこで吸い上げられた記録が他の調査機関にも閲覧される可能性があることだ」
 ある市民団体の男性は米紙の取材に対しそう語っている。
 だが、TIAほど広範でもなく、目的が航空旅客だけに絞っているという点で、この方策を支持する米市民も少なくない。ブッシュ政権は、このCAPPS2の2005年の予算申請を前年より1500万ドル増やし、6000万ドル(約66億円)に増額している。
 CAPPS2では予約の段階で、当人がどんな人物であるかを調査されるため、バイオメトリクスは利用されていない。
 バイオメトリクスを軸にあらゆるデータを統合するという点では、実はTIAシステムの提言よりも早い時期に米民主党系のシンクタンクからも発表されている。
「新しいIDカードを連邦政府が出す必要はない。各州の運輸局によって発行されている(運転免許証の)現行システムを“現代化”させることで十分効果を発揮できるだろう」
 2002年2月、米民主党系のシンクタンク、進歩的政策研究所(Progressive Policy Institute)は、「各州における認証システムの現代化」として上記のような提言を発表した。結論にあるのは、複合的なデータを含んだIDカードの発行。狙いは他と同様テロ防止への取り組みだが、発想としては、ハイジャックした4人のテロリストが詐取したIDカードをもっていたことへの阻止に端を発しており、国家的な監視よりも「市民のため」というニュアンスが強い。
 「スマートIDカード」と称されるこの提言では、システムを運輸局のデータベースに準拠し、偽造されにくいホログラムの添付のほか、各種情報の統合的な搭載が目されている。搭載される各種情報は前述のTIAとほとんど変わらない。社会保障番号、納税者番号、クレジットカード番号、銀行口座番号などのほか、「小売店でのディスカウントポイントにも利用できる」とも述べている。そして、この提言でも本人認証のベースとなるのは指紋などのバイオメトリクスだ。
「空港などセキュリティチェックが行われる状況で、カード保持者は指紋を簡易スキャナーにおくだけでスマートIDカードとデータを照合でき、身元を確認できる。デジタルな生体情報は本人固有であり、また暗号化も可能である。これなら偽造IDをつくる、もしくは他人のIDカードで別人になりすますのは不可能だろう」(同提言書)
 ただ、先のTIAとスタンスが異なって見えるのは、個人情報を保護する厳しい管理権の設置と包含された情報の悪用回避を謳っている点だ。
「スマートIDカードの利用に対して、プライバシー(個人情報)議論があろうが、プライバシーの利用は適法に行われなければならない」
 だが、こうした但し書きには注意が必要だ。なぜなら前述のTIAシステムの趣旨にさえ、「プライバシーと市民的自由の保護が大原則」と明記されていたのである。表面上の文言が実態に即していないことは、連邦議会でさえ理解していた。だからこそ、部局は閉鎖され、プロジェクトは廃止されることになったのである。
 日本バイオメトリクス認証協議会会長で早稲田大学理工学部の小松尚久教授は、TIAが論議されはじめた時期に、あらゆる情報が統合されることの懸念もあると語っている。
「バイオメトリクスのデータは、インターオペラビリティ(相互運用性)の担い手となることは確実で、本人認証の手段に使われる流れはますます広がるでしょう。ただ、アメリカでの統合的な動き、つまり税金から社会保障制度からすべてのデータがつながるという流れにはある程度疑問がある。可能性としては、統合されたデータは犯罪捜査にだって使われるかもしれないわけで……、ある種怖いという印象を否定できません」

アメリカの現状を見るかぎり、バイオメトリクスの利用目的がずいぶん変化していることに気づく。
 現在日本で伝えられるバイオメトリクスの利用は、入退室管理など不正な第三者を排除するためという伝えられ方が多い。だが、アメリカで顕在化している問題から浮かび上がるのは、バイオメトリクスは大多数の集団の中からその人物を特定するための技術であり、認証そのものよりも、その先に続いている周辺のデータベースを引き出すための特定化技術というニュアンスのほうが強い。要は、認証するという行為自体は変わりがないが、その先で利益の享受者の立場が異なるのだ。
 日本で言われているバイオメトリクス技術の利益の享受者は認証利用者(及びその人物が所属する集団)だが、アメリカで問題化している各種認証システムの利益の享受者は国、もしくは管理者側なのだ。
 もちろんアメリカでも表面上、無為に管理体制を敷くべく行っているわけではない。そこには第一にテロ対策と国防という大義があり、国民生活の安全の維持、国としてのセキュリティ維持のために、いずれのシステムも提案されている。そこに働く論理は、個人のそれと比べて国のセキュリティのほうがはるかに重要だからこそ、というものだ。もうひとつ踏み込めば、心にやましいところのない人間であればこうしたシステムの導入でなんの問題があろう、という強弁も成り立つ。
 だが、それはほんとうに正当な論理だろうか。
 バイオメトリクスでの認証精度の高さは、ほかの認証デバイスの精度を圧倒する。なりすましを防ぎ、およそ99%以上の確率で他人を排除し当人を同定する。アメリカでの各種システムは、その精度の高さを逆手にとった利用とも言えるだろう。
 科学や技術の発展の過程では必ずこうした問題が顔を出す。すなわち、技術自体に是非はなく、それを利用する側の意図によって利益にも害にもなるというものだ。
 だが、セキュリティのような問題ではその判断基準が難しい。見方と立場を体制側に寄せていけば、どんな行為も正当化できるからだ。
 そして、こうしたアメリカの事情は対岸の火事では決してない。先に記した成田空港や関西空港のように、日本では(まさに日本的な沈黙のもとに)静かに事が進行される可能性が高い。
 日本でも運転免許証やパスポートは電子化が決まっており、2005年にはどちらもICチップが格納される予定で、遠くない将来には住基カードも民間利用に転じると言われている。これらの各種ICカードとデータベースの関係で、どれだけの情報が詰め込まれ、どのように利用されるかはまだわかっていない。
 はっきりしていることがあるとすれば、利用者にとっての利便性やセキュリティの向上よりも、国にとって便利な管理体制が強化されるということぐらいだろう。
 では、日本に住基ネットがあり、アメリカに各種監視システムがあるように、世界はすべて体制側にデータを押さえられた状況になっていくのだろうか。高精度にセキュリティを強化した先には、安全で不安のない社会が待ち受けているのだろうか……。
 どうもそうではないようだ。

「起こるべくして起きたことだと思います」
 折しもテレビに映っていたニュースを横目で見ながら、大手ISPの企画部担当者はヤフーBBの顧客情報漏洩事件についてそう語った。
 競合会社として見てきた者としては、敵ながらヤフーに感服する面も少なくなかった。インフラ部分では高価な機材を使わず、コストを落とす一方、ネットワークの構築は「新規参入者とは思えない技術力」を発揮した。
「それができたのは、ソフトバンクの中核社員ではなく、外部から優秀なエンジニアと下請け会社をかき集めたから。けれども、急速すぎる営業拡大で肝心の管理部門をコントロールできていなかった。それがずさんな顧客管理につながったのではないかと思います」
 451万7039人という史上最大の顧客情報漏洩問題が発覚したのは、2004年2月24日。ヤフーBBの顧客情報をDVDで入手した男らが同社を相手に数十億円を要求し、恐喝未遂容疑で警視庁に逮捕された。
 空前の規模で顧客情報が漏れたことの衝撃は大きく、連日事件の詳細が報道された。その結果判明したのは、同社のずさんなシステム管理だった。顧客情報のサーバーにアクセスできる権限をもった人間は数千人に及び、さらに前年9月までは閲覧のほか、別ファイルに保存も可能という有り様だった。漏洩していたのは、氏名・住所・電話番号・申込日・電子メールアドレスの5種類。クレジットカード情報などは幸いにも出ていなかった。
 同社代表の孫正義氏は海外から帰国するや記者会見を開き、
「セキュリティ対策については、苦しい中やってきた仲間であり、(セキュリティが守られると)性善説的に信じている面があった」
 と弁解した。
 先に起こった京大研究員によるハッキング事件では、ハッキングから2ヵ月を過ぎてから、彼が不正に入手した個人情報がネットに流れ、それから1週間後に逮捕に至った。その流れから考えれば、彼の逮捕には個人情報が流出したことが少なからず影響があったと見ていいだろう。
 では、もしヤフーBBの452万人のデータが流出した場合、どうなるのか。
 もし個人情報が流出した場合、その対価としての損害賠償金がいくらになるかは20章ですでに述べた通りだ。判例に沿うなら弁護士費用を除いて1万円という額が出ており、ヤフーBBのケースにあてはめると452億円。ヤフーBBが倒産に追い込まれても不思議ではない巨額だ。
 もし現実にネット上に流出し、452万人の身元が明かされることになった場合、そうした損害賠償額では収まらない事態が起きる可能性がある。452万人と言えば、世帯数なら日本の全世帯数の約10分の1に相当する。それだけの身元が白日のもとに晒されたときには、治安に及ぼす影響は計り知れない。とりわけ女性名義での契約や、高齢者の契約などは犯罪のターゲットにされる危険性が相当増すことは確実だろう。
 だが、事件発覚から2週間を経た現在、いまだ流出した形跡はない。その背景を考えればふたつの理由が浮かんでくる。ひとつは容疑者グループが持ち出していないという可能性、そしてもうひとつはこれまでの警察の活動による抑止効果が働いているという面だ。
 この半年だけでも、抑止効果となる摘発は続いている。2003年11月には京都府警が匿名性の高いP2Pファイル交換ソフト「Winny」を使っているユーザー2名を逮捕、そして不正アクセス禁止法違反でさる1月末に警視庁が京大研究員を逮捕。もちろん掲示板などに違法性の高い書き込み、掲示、アップロードをした場合には、過去にいくつも刑事事件として摘発された事例がある。こうした事例から言えるのは、ネットもおよそ現実の社会と同じくらい法の拘束力が働きつつあるということだろう。
 1994年から数年のインターネットの普及黎明期、その匿名性と国境を瞬時に越えて情報が得られることから、ネットワークは「自由な空間」といった物言いが広く人口に膾炙(かいしゃ)した。だが、それから10年後の2004年、もはやネットワークは「自由な空間」からはほど遠くなり、時と場合によっては現実社会よりもよほど息苦しいものになっている。
 それはなにも警察や立法による拘束力のためだけではない。むしろ、至るところに情報をもち、制御する仕組みができてしまったことのほうが大きい。

「各階の踊り場では、エレベーターに向かい合う壁から大きな顔のポスターがにらみつけていた。見る者の動きに従って視線もうごくような感じを与える例の絵柄だ。『ビッグブラザーがあなたを見守っている』 絵の真下には、そんな説明がついていた」
 1949年、英作家ジョージ・オーウェルは小説『1984年』を記し、強力な国家監視機関「ビッグブラザー」が至るところに張り巡らされている未来像を描いた。ディストピアとして著名なこの小説は監視国家への警鐘として、いまなお、いや、こうした時代になってからしばしば引き合いに出されるようになった。
 日本では、とりわけ住基ネットの成立に至るまでの論議の中で、国のビッグブラザー化を防止せよ、といった文言で多く散見されている。
 もちろんそれは自然な発想であり、抵抗だろう。先に記したようなアメリカのCAPPS2やTIAなどの各種データベースシステムは、強制的に個人の情報を収奪し、検閲する仕組みであり、オーウェルの作品中のエピソードを想起させる。
 だが、現実の情報の広がりを冷静に俯瞰すれば、そうした国家権力以外の力が大きくネットワークを動かしていることに気づかされる。
 いまや法人団体で個人情報のデータベースをもっていないところはないと断言しても構わないだろう。各種小売業をはじめ、サービス業、製造業などの民間企業はもちろん、学校や各種団体、はては個人事業主までがデータベース化された個人情報を保持している。ヤフーBBのように数百万人単位の巨大なデータベースもあれば、個人が携帯電話の電話帳に知人友人を登録しているものもある種のデータベースだ。
 そして、そうしたデータベースを有効に活用するためのネットワークも現在ではあらゆる形態で発達している。
 携帯電話での通話やネット、ホットスポットでの無線LANでネットやIP電話といった既存インフラからさらに機能は進化している。
運送業者では携帯電話やPDAとGPS端末を結びつけ、時間の推移や場所の移動、燃料の消費率までをすべて記録するシステムを搭載しつつある。最新のインテリジェントビルでは無線技術(RFID)の非接触ICカードをもった社員がいま社内のどこの部屋にいるかを把握し、端末を使う際はすべてのファイルへのアクセス履歴を記録する。小売店の現場では、店員と来店客をともにカメラで撮影する一方、来店者の消費行動もICカードなどの購入履歴とともにマーケティングデータとして解析する。空港や町中のカメラは単なる撮影記録を超えて、誰がどこにいついるかを割り出し、警察庁の道路監視システム「Nシステム」のように人物を特定していく。そして、常態として搭載されるようになった携帯電話のカメラで、断りもなく所構わず撮影が行われ、瞬時にネットで転送される――。
 生産者や管理者の立場では効率性と利便性を重視して張り巡らせたネットワークとデータベースの網は、一消費者の立場に立ち返ってみると、国家ほどの力はないものの、あらゆるネットワークが半強制的な拘束力をもって周囲に広がっていることに気づく。そして、そんな広範なネットワークを生み出し、育てていったのは、ほかでもない私たち現代を生きる人たちだ。
 氏名・住所・電話番号・生年月日といった基本的な個人情報をもっている機関は、公的機関や住基ネットだけにかぎらない。むしろ現代で都市生活を送っている人であれば、同じ情報を100以上の機関が有していると見ても不思議ではなく、また住所や生年月日などよりもはるかに秘匿性の高いプライベートな情報を知られていることも少なくないはずだ。
 その意味で、現代はひとり国家だけが監視を強めているとは言いがたく、インターネットと同様、分散的な監視社会として機能しているというのが実態に近い。もちろん突出して強い力をもっているのは、依然として国家であることには変わりがない。法によって支えられた強制的な執行力を行使できるのは、国家以外にはありえないからだ。だが、国家という圧倒的な強制力を抜きにしても、いくつもの自律的なネットワークが存在する。それがIT化したいまの世の中だ。現代は一億総監視社会という言い方もできるだろう。
 そして、誰もが均等にネットワークとデータベースの利便性を受け取れるがゆえに、誰もがこのおかしな状況に疑問を抱けなくなっている。
 いや、そんな疑問を感じているほうが愚かなというべきだろうか。
 いずれにしても、状況を否定するわけにはいかないのであれば、できるかぎりこのネットワークとデータベースが覆い尽くした社会のなかでうまく生きるすべを身に付けなくてはならない。
 こうした世界を生み出しているのは、現代の私たちにほかならないからだ。

携帯電話やパソコンなどを例に出すまでもなく、大衆から支持された技術は市場の原理が働き、発展の方向に向かう。言い換えれば、技術は大勢の欲望が望む方向にしか進まない。そんな現代の原動力になっている欲望は、利便性と効率性だ。
 だが、そうした利便性と効率性の発展は犠牲を伴い、対価を求める。インターネットのブロードバンド化はウィルスの急速な拡大を招き、流通業務の効率化は消費者のプライバシーを危うくさせる。電話やネットワーク技術の先頭に立っていたNTTはいつしか自らの体力を低下させる皮肉な構造に陥り、あちこちのウェブサービスでは最新技術の導入を焦るあまり、セキュリティをおろそかにし、情報漏洩の事故を起こす。そして、誰もがネットワークとデータベースの利便性の恩恵を受ける一方で、もはやそこから逃れられないという逆説に囚われる。そこで個人が払っている対価が、プライバシーや個人情報、そしてある種の自由だろう。
 あらゆる生物と同様、人間もまた環境に自らを適応させる生き物である。IT化の影響はすでに家族や友人関係、企業などあらゆる共同体に及んでおり、そこで立ち現れる人間関係やコミュニケーションのあり方が従来のそれとはずいぶん異なっていることは、多くの人が指摘している通りだ。この先ITによって個人や人間関係がどのように変わっていくかはわからない。だが、好むと好まざるとにかかわらず、ますますネットワークとデータベースが覆っていくことだけははっきりしている。コンピュータやインターネットがコードやプログラムでできることを制御しているように、そうした制御はいつしか現実の社会をも同様に制御していく。そんなSF映画のような社会を私たちは生きていくことになる。何ものからも干渉されない自由な空間は現実の世界でも少なくなっていきそうだ。
 コンピュータが家庭に爆発的に普及しはじめてまもなく10年、0.3mm角という砂糖の粒ほどに小さいICチップまでが周囲に広がろうとしている。いまなおITの発展はとどまるところを知らない。
 ITは人を幸せにするのだろうか。
 それとも……。
 その答えは、いまを生きる私たちが日々探していかねばならないようだ。

(了)

http://kodansha.cplaza.ne.jp/digital/it/2004_03_10/index.html
http://kodansha.cplaza.ne.jp/digital/it/2003_06_11/index.html



デジタル・ヘル―サイバー化「監視社会」の闇 古川 利明【著】あとがき
文中「恐喝で逮捕された竹岡誠治容疑者は現役の創価学会の幹部で過去には盗聴事件も起こしていた」関連リンク。御投稿者 クエスチョンさん

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