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イベリア半島「百鬼昼行図」 その4:米西同盟の仕掛け人?オプス・デイ (1)バチカンを牛耳り中南米を操る悪魔的カルト集団
http://www.asyura2.com/0401/war46/msg/126.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2004 年 1 月 05 日 03:56:30:SO0fHq1bYvRzo
 

イベリア半島「百鬼昼行図」


このシリーズを通して、スペインのアスナール政権によるイラク戦争加担の裏面を探ってきたわけですが、ぼちぼち「奥の院」が姿を見せてきたようです。

フランコ体制を支えたのみならず現在のアスナール政権の中核を占め、バチカンを乗っ取ってカトリック世界を裏から操り、中南米ではチリやペルー、アルゼンチン、ニカラグア、エルサルバドルなどの極右独裁政権を支え、米国社会でFBIやCIAにも食らいこんでいる、と言われるカトリック原理主義のカルト集団「オプス・デイ」です。

本来ならこの集団の話から始めるべきだったかもしれませんが、あまりにも巨大な組織で、これに関する資料も各国語で膨大に存在する割には、秘密結社的な色彩が強く肝心なところがなかなか見えてこないため、本格的に調査し始めると大変な時間がかかるでしょう。そこでこのシリーズの中では、

(1)バチカンを牛耳り中南米を操る悪魔的カルト集団
【オプス・デイの成立、バチカン内の勢力、中南米各国の内政や政変への関与】

(2)米国中枢部に食い込む「バチカン=オプス・デイ」
【レーガン政権、ブッシュ(父)政権とバチカン=オプス・デイ、CIAやFBI内の人脈、中南米政変における共謀の実態】

(3)アスナール政権=オプス・デイ政権
【組織内部の様子、財政基盤、情報産業への進出、スペインおよびヨーロッパ各国内での勢力、彼らの世界戦略】

と、3回に分けて、とりあえず目立ったところだけをご報告します。

東アジアにもやはり不気味に政治に絡むソーカやトーイツのようなカルト集団があるようですが、実力的にも規模的にも社会に根付いている強さにおいても、それらとは比較にならないほど巨大な集団です。そしてこのオプス・デイについて調べ分析することは、今後の世界を見ていく上で重要な鍵一つになるかもしれません。プロテスタント系原理主義、シオニズムユダヤ、イスラム原理主義に加えて、カトリック系原理主義が複雑に絡み合ったり角突き合ったりする、少々面倒な未来になるような気がします。

私もせっかくスペインに住んでいるのですから、このカルト結社について今後も引き続き調査していき、定期的にお知らせしたいと思っています。

なおこの組織に関しては日本語や英語で書かれた文章も多く、そのいくつかは今回以後の投稿文の中でそのURLを示しておきます。
(投稿文の最後に、このシリーズの過去ログを乗せておきます。)


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イベリア半島「百鬼昼行図」 その4:米西同盟の仕掛け人?オプス・デイ
(1)バチカンを牛耳り中南米を操る悪魔的カルト集団


オプス・デイは、ラテン語で「神の御わざ」という意味のカトリック系カルト組織で、スペイン語で言うとオブラ・デ・ディオスとなるため、スペインやラテンアメリカでは「オブラ」と呼ばれることもある。

この名前は、もし例の1996年12月17日に起こったペルーの日本大使館占拠事件に注目していた人なら覚えているかもしれない。ペルーの反政府組織のMRTAが、天皇誕生日を祝賀するためにリマの日本大使館に集まった日本人たちを人質にとって大使館を占拠した事件だが、その際にMRTAとの交渉役を引き受けたカトリック神父シプリアニはこのオプス・デイの有力なメンバーの一人である。

この事件は翌年の4月22日に、地下のトンネルから大使館に突入した特殊部隊によって占拠中のMRTAメンバーが全員射殺される、という劇的な結末を迎えるのだが、当時ヨーロッパではその突入の場面だけではなく命乞いをする少年まで撃ち殺すシーンがテレビで放映され、各国世論はフジモリを強く非難した。

この政権を支えていたものは大資本や大地主、超保守的カトリック教会(むろんオプス・デイが主導)だったのだが、彼の顧問「怪物」モンテシーノスに引きずられ選挙法を改正してまで体制維持を図ろうとしたフジモリに対して、ペルー国民の我慢は限界を超した。さまざまな不正と腐敗が暴露され、フジモリはモンテシーノスと同様に国外逃亡を余儀なくされたのだ。恐らく『日本国籍』のパスポートを偽造して。

フジモリ政権とその崩壊の姿については、次にご紹介する田中宇氏の2つの記事に詳しいので、そちらに譲ることにしよう。

http://tanakanews.com/b0813peru.htm
http://tanakanews.com/b0820peru.htm

日本大使館占拠事件に関しては、次の2つの文章(日本語)もご参照いただきたい。

http://clinamen.ff.tku.ac.jp/MRTA/Velazco/Velazco_5.html
http://clinamen.ff.tku.ac.jp/Peru/Opus_Dei.html

さて、フジモリは日本にトンズラし、モンテシーノスはとっ捕まり、シプリアニはどうなったか。カナダに本拠地があると思われるアナーキスト系団体のサイトA-infoより「ペルーの枢機卿J. L. シプリアニ、人殺しのオプス・デイ」(2001年3月11日)と題された記事を見てみよう。主要な部分のみを訳出して引用する。

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http://www.ainfos.ca/01/mar/ainfos00237.html

【訳出・引用開始】
新しいペルーの枢機卿、フアン・ルイス・シプリアニはこの日曜日に、非難のデモ隊のグループの中で、リマでの彼の初めてのミサを催した。デモ隊は叫んだ。「元大統領フジモリとその顧問モンテシーノスの独裁体制の共犯者! 去年の行方不明の反体制派を殺したやつらの共犯者! 日本大使館でMRTA(ペルーの反政府組織:訳者)の10人の若者と4人の指導者を殺したやつらの共犯者! 謀略機関のスパイ!」
彼がローマから戻って最初の式典の中で、親愛なるオプス・デイのメンバーと出会い、同時にまた、自分たちがカトリックであることを示した上でこの枢機卿を拒否するシュプレヒコール「ファシストのシプリアニ!」「人殺しのシプリアニ!」を繰り返す人々のグループもそこにいた。
【中略】

評論家たちはシプリアニがペルーのカトリック教会の保守派(オプス・デイ)の代表であることを認めている。その一方で、チンボテの北シウダッド・プエルトの司教ルイス・バンバレンに代表される反対派はペルー司教区代表会議で常にシプリアニを批判するのだが、しかし、反対派の枢機卿や司教たちはすべて奇妙な方法で死んでいる。(カトリック教会では昔からそうなのだが。)
【後略:引用終わり】 

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何と、シプリアニは、フジモリ失脚のすぐ後、ローマによって大司教から枢機卿に出世させてもらったのである。これがローマ教会の「意志」なのだ。他の中南米諸国も同様だが、反対派の僧侶たち(主に「解放の神学」を唱えるイエズス会派とそのシンパ)が次々と謎の死を遂げた後、オプス・デイの息のかかった僧がバチカンによってその穴を埋めるように任命されていく。


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オプス・デイの創始者ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲー(以下エスクリバーと略す)は1902年にスペインのアラゴンで生まれた。2002年は彼の生誕100年で、この年の10月にバチカンは彼を福者(聖者に次ぐ聖人の位)に祭り上げた。ここに日本語の資料があるので見てでいただきたい。これはこの集団の宣伝サイトで、すでに日本にも相当に進出している。フジモリをかくまう曽野綾子氏も関係者の一人であることが疑われる。

http://www7.ocn.ne.jp/~opusdei/op-frame.htm

エスクリバーがオプス・デイを組織したのは1928年のことで、スペインはプリモ・デ・リベラの軍事独裁のさなかであった。その後、フランコ政権が誕生すると、この集団は独裁政権の中で学校教育に携わり、スペイン中の学校を超保守的カトリック教育の場に変えてしまう。そして彼らが主導するいくつかの高校や大学で徹底的なエリート教育を行い、優秀な政治・経済のテクノクラートを排出し、アメリカの経済援助の元で「スペインの奇跡」と呼ばれる経済復興を演出していくことになる。同時に1960年代から、積極的にバチカンと中南米にも進出していく。エスクリバーは奇妙なことにフランコと同年の1975年に死んだ。(手を携えて地獄に落ちたかどうかは誰も確かめていないが。)

エスクリバーが死んで3年後の1978年、バチカンでは大騒動が持ち上がっていた。教皇パウロ6世が死亡した後、世界はあっけに取られた。教皇座についたヨハネ・パウロ1世はわずか1ヶ月あまりで、暗殺説も根強い謎の死を遂げ、ポーランド出身のカルロ・ヴォイティーワがヨハネ・パウロ2世として就任したからだ。

ここで、スペインの反宗教主義団体のサイト「La Gran Inversión」から「オプス・デイ:バチカンの野望に満ちたセクト」という記述の一部を訳出して引用したい。これは1997年に書かれたものであり、ペルーの日本大使館占拠事件についても触れている。

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http://www.geocities.com/SoHo/Cafe/3627/opusdei.htm

【訳出・引用開始、前略】
オプス・デイのメンバーは、彼らの組織は単に彼らの魂を満たすことのみに関わっている、と主張する。他方、ある批評家たちは彼らを「聖なるマフィア」と比喩している。英国の新聞ガーディアンの調査報道に携わるロバート・ハッチソンはカトリック教会の心臓部にあるこの秘密組織に関して報告する。

信仰と政治は常に危険な状態で一つの手の中で結びつく。キリスト教原理主義者たちは、裏まで見てアメリカ合衆国の政治の中に反科学的な動きを導入してきた。好戦的なイスラム集団の再登場は、暗黒の時代(中世のこと、「十字軍」を連想させるものと思われる:訳者)とフェニキア人(本文fenecidos:ユダヤ人のことか?:訳者)について軽々しく信じ込む観念を復活させてしまった。しかし、あまり知られていない別の動きがある。それは5つの大陸の中で権力の扉を沈黙のうちに半開きにしている。オプス・デイは、ローマカトリックの中心部にいる危険な組織であり、魂の世界と世俗の世界の間で一つの同盟を作ろうと企てている。その同盟とはルネサンスの間に最後に試みられ破滅的な結果に帰していたものなのだが。

彼らが強い存在感をもっている国々では、オプス・デイは秘密裏にそして粘り強くバチカン政府の政治を吸収するために働いている。しかしその混沌化する世界の中で「新ルネサンス」を導入するためにとるやり方は、現在までに矛盾に満ちた結果を作り出している。

権威あるイデオロギーに導かれ閉鎖的で訓練を施された集団を作る目的で、オプス・デイの戦略はバチカンの中で大きな成功を勝ち取った。ヨハネ・パウロ2世の命令の元、この組織はローマ聖庁の中での支配的な力になってきている。その勢力は2500人の高位聖職者とカトリック教会が支配する信心深い一般信徒である。オプス・デイのやり口はローマで無数のうわさを呼び起こす。そこでは、このオブラ・デ・ディオス(オプス・デイの別称:訳者)と混同されるような側に立つことは軽々しく受け取られるようなことではない。

しかしながらオプス・デイはバチカンの権力構造にたどり着いたばかりである。1928年にアラゴン(スペイン北部の地方:訳者)の破産した商人の息子ホセ・マリア・エスクリバーによって創設され、彼は宗教者としての道で権力と名声を手に入れた。オプス・デイの影響力の増大と幸運は短いものでも華々しいものでもなかったが、やがてその宗教運動はフランコのスペインの政策にしっかりつながれていった。現在、アヌアリオ・ポンティフィコ(バチカンの定期刊行物)によると、オプス・デイは世界中で8万人を数えそれに取り囲まれた2千人の僧侶がいる。
【中略】

僧侶たちの多くがこの宗派をその創始者のために活動させる。今回の場合オプス・デイは1975年に死んだエスクリバーを2000年になる前に聖人にするように提案してきた。しかし一部の有力なカトリック信徒は、その列聖は教会への信頼を弱めるものだと主張して反対した。スペインのフアン・マルティン・ベラスコに率いられた神学者たちは警告した。「我々は、国家権力に仕え彼らの組織がのし上がるためにその力を利用する者達を、キリスト教徒の生活の規範とすることはできない。彼らは「聖なるマフィア」ともいうべき暗い面を引きずり、彼らの考え方と一致しない場合には教皇の権威を受け入れることもしない。」と。

この強硬な反対もヨハネ・パウロ2世を動かすことは無かった。彼の意見はエスクリバーの列聖に近寄ったし、彼のオプス・デイに対して持っている認識はよく知られている。1978年の、パウロ6世の死後の最初のコンクラーベ(そこではわずか33日後に亡くなるヨハネ・パウロ1世が選ばれたが)の数日前に、この未来の教皇はビラ・テレベの本部に訪れてエスクリバーの墓に祈りをささげた。その創始者の後継者、アルバロ・デ・ポルティーリョ司教が1994年に死んだ後に、ヨハネ・パウロ2世はその一般司教の葬儀の間じゅう棺の前にひざまづいた。この、教皇は枢機卿の遺骸の前にのみひざまずく、という儀典書への違反は、彼を教皇位に付かせるために努力を惜しまなかったこの組織への忠誠の印として、大勢の人の注目を浴びた。

パウロ6世の最高顧問ジョバンニ・ベネリの反対があったにもかかわらず、ヨハネ・パウロ2世は1982年11月にオプス・デイを唯一の私的な高官(prelatura personal)の地位に引き上げた。ベネリはその前の月に突然の心臓発作で死亡していたのだ。それ以来、法王庁の周辺は次第にオプス・デイの支配下に置かれてきている。
【中略】

一般信者を見てみると、ラテンアメリカ全土でオプス・デイは実にうまくやっている。そこでは軍事的なあるいは財政的なあらゆる環境の中に入り込んでいる。例えばペルーである。オプス・デイはアルベルト・フジモリ大統領に対する援助を表明する企業、銀行、政治家の連合を作り出した。昨年(1996年:訳者)の12月にTupac Amaru(MRTA:訳者)が日本大使館を襲撃して126日間たてこもった際、フジモリは、山深いアヤクチョ司教区の大司教フアン・ルイス・シプリアニを、イエズス会士でリマ大司教のアウグスト・バルガス・サモラ枢機卿を差し置いて、仲介役として指名した。シプリアニはペルーにいる7名のオプス・デイの司教の一人であり、現在、定年で退職したバルガス大司教の有力な後継者とされている。リマの大司教の地位は伝統的に枢機卿の赤い帽子を手に入れるための登竜門なのだ。
【中略】

もしも、予想されているように、シプリアニ大司教が次のコンシストリオ(教皇と枢機卿たちの会議)で赤いふち無し帽をかぶれば、それはオプス・デイ出身の初の枢機卿になることを意味するだろう(前出の通りこれは2001年に実現された:訳者)。ラテンアメリカの保守主義者として、若く(53歳)スポーツマン(オリンピックの陸上選手だった)であることは、次のコンクラーベでのすばらしい法王候補となる。ヨハネ・パウロ2世の年齢とその健康状態を考えると、次のコンクラーベはそれほど先にはならないだろう。
【後略、引用終わり】

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この記事の記述は1978年のヨハネ・パウロ1世の謎の死がオプス・デイと関わりのあることを暗示しているように思える。さまざまなカトリック系の反オプス・デイ組織による文章を読むと、やはり「教皇は彼らにだまされて無理やりに動かされている」というような論調を目にすることが多いが、しかしこの記事だけではなく他の方面からの多くの情報によっても、ヨハネ・パウロ2世自身が強硬な保守派で、オプス・デイを積極的に受け入れそれに支えられてその重要なシンパとして振舞っているのは明らかだ。すでにバチカンは実質上オプス・デイに牛耳られている。それにしても、何とあのペルーのシプリアニが次のローマ法王の有力な候補だ、というのだ。もし彼が次の教皇になったら、カトリック界だけではなく世界のあらゆる重要場面でこのセクトの影響力が行使されることになるだろう。


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上記の資料ではペルーの例が説明されていたが、そのはるか以前、1960年代前半からオプス・デイは中南米に進出して、保守派の政治勢力や経済界と急速に結びついていく。そして必然的にアメリカCIAの謀略にからみ、多くの国での政変の裏側に必ず彼らの姿を見ることができる。

次にご紹介するのは、スペインの反オプス・デイ団体のサイト「Gracias a Dios, nos fuimos」よりMichael Walsh 著「オプス・デイの世界」からの引用である。

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http://www.opuslibros.com/libros/Mundo_secreto/capitulo_7.htm

【訳出・引用開始】
1985年12月、ミュンヘンの法廷はオプス・デイに対して、そのメンバーの幾人かがチリで暗殺隊として働いたと断定する本の発行を禁止することを認めた。ラテンアメリカでオプスが軍事政権を助けたという告発は、この組織に対する批判をたびたび引き起こし、オプス・デイはやっきになってそれを否定する。

その告発は消えることはない。学会、言論界そしてカトリックの聖職者がさまざまな方法で彼らを告発する。例えばマサチューセッツ工科大学で政治学を教えるブライアン・スミス教授は、「チリにおける教会と政治」と題する本で、1964年から1970年までの大統領エドゥアルド・フレイの穏健な自由主義政策の間に最悪の勢力の一つになっていった、とみなしている。そして、1973年にフレイの後継者であるサルバドル・アジェンデの社会主義政権を打倒した残虐で抑圧的なピノチェット将軍の軍事政権の最初の閣僚の中に彼らのメンバー(複数)がいたことを確証する。(ブライアン・スミス「チリにおける教会と政治」ニュージャージー、プリンストン:プリンストン大学出版、1982年、139−338ページ)

ラテンアメリカの情報誌「連合ニュース」はもっと詳しく説明した。1975年の12月に一人のカトリック僧がその雑誌を運営したときに、チリのオプス・デイが1962年にはすでにアメリカ合衆国の保守的な資金源からのカネを受け取っていたことが証明された。すなわち、彼らはフレイ政権の穏健な農地改革に反対して地主たちを組織し、CIAのカネで国家農業協会を作り上げるのを助けたのだ。その協会はアジェンデを政権につけた組合運動に敵対した。(「連合ニュース」はリマで発行されている。ここで引用されているコメントのナンバーは1975年12月4日のものである。)ボゴタに居を構える作家Penny Lernouxは次のように断言する。オプス・デイと「愛国と自由」(極右テロリストグループ)はアジェンデ時代のチリで共同して働いたし、1966年から1970年のアルゼンチンの独裁者フアン・カルロス・オンガニア将軍は、オプス・デイによって後援される宗教的な瞑想生活を行った後に、権力を手に入れた。(Penny Lernoux、「人民の叫び」ダブルデイ、ニューヨーク、1980年、305ページ)
【後略、引用終わり】

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チリに関しては次の英語による文章も参照していただきたい。これはアメリカの左翼系反体制組織のサイト「Z−net」に寄せられた、ノートルダム大学の新聞「コモンセンス」の発行者アン・ペティファーによるものである。ここには、1998年10月に、ロンドンに病気治療のために訪れていたチリの元独裁者ピノチェットに対して、スペインのガルソン判事による告訴(アジェンデ政権を倒した際に数名のスペイン人を殺害した疑惑)があり、イギリス警察はいったん病院中で彼を逮捕するのだが、スペインに身柄を引き渡すかどうか、で2000年3月まで18ヶ月間も散々もめ続けて、結局イギリスからチリに返された件に関して書かれているのだが、この中にもあの政変の際のオプス・デイの関与が説明されている。ただ、ここではスペースの関係で訳出しないので、各自でお読みいただきたい。

http://www.zmag.org/ZMag/articles/pettiferapril2000.htm

オプス・デイ人脈が強いスペインの法曹界でなぜガルソンにピノチェットの告発ができたのか、は不明だが、いずれにせよブレア・イギリス政府は、英国上院、大多数の労働党員、彼が入院する病院を取り巻くヨーロッパ各地や中南米からやって来た「ビノチェットのスペインの裁判所への引渡し」を要求する数万人の市民、欧州と中南米各国の世論の反対を押し切って、彼をチリに帰した。もちろんチリの政府=軍部とサッチャー元首相などの強い要請とともにアメリカからの強烈な圧力があったわけだが、オプス・デイ人脈、つまりバチカン筋からの働きかけもあったかもしれない。彼らの悪事が歴史の表ざたになることは何としても避けなければならないからだ。またこの事件を通して、トニー・ブレアがすでにこの時期にはアメリカの「忠犬」であったことも明らかになるだろう。一度「言いなり」になったらトコトンこき使われるのが当たり前だ。なおこの件についてはアスナールはなぜか言葉を濁して沈黙している。

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次にアルゼンチンに移ってみよう。先ほどの資料「オプス・デイの世界」の中にも1966年のアルゼンチン政変に絡むオプス・デイの姿が描かれていたが、以下に訳出・引用する資料は、チリの急進的社会主義者団体のサイト Chile Vive の2002年10月2日の記事「オプス・デイ:フランキズム・スペインの後継者」と題されたもので、もう少し後の、現在のアルゼンチンの経済破綻状態に直接関わる部分である。

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http://www.chilevive.cl/data/Npub/News/Stories/2002/10/02/10335978754.shtml

【訳出・引用開始、前略】
アルゼンチン大統領カルロス・メネムは彼の10年間の政権(1989−1999)の間に合法的な相談者としてオプス・デイに出会った。彼らの政治スタッフとローマでの必要不可欠のコネクションは、メネム主義のネオリベラルな経済政策(経済グローバリゼーションのことか:訳者)に対して非常に批判的だったアルゼンチンの教会周辺での教育活動の役に立った。オプス・デイ主義者のスタッフは国家最高司法院と外交の分野にまで達していた。内務相グスタボ・ベリスの手の者たちは、(以下は中央官庁名だが、日本語での正確な訳が不明であるものは原文のままで書いておく。陳謝。:訳者)Población y Relaciones con la Comunidad、Coordinación、内閣官房、通信システム、そしてla Secretaría de la Función Públicaの内部を占領した。オプス・デイ主義者のオペレーターたちの中にはGuillermo Haissinger, Diego Blasco Funes, Fernando Sotz, Jorge Passardi, Guillermo Salvatierra, Juan Franchino, André Zuyrianiがいた。他の系統では、Rodolfo Barra, Aldo Carreras y Antonio Boggianoらがメネム主義者のオプス・デイへの協力者に都合のよいように働いている。この最後の者は現最高裁長官であり、メネム時代の間に「自動的な多数者」と呼ばれた政策に有利な部門の一員であった。
【後略、引用終わり】

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この続きの部分にはアルゼンチンのオプス・デイ系統の企業関係者や銀行家などの名前が並べられているのだが、要するに、この国の労働者や一般大衆から巻き上げた富を懐に入れて国家を破産状態に追い込み、有数の食料輸出国でありながら餓死や栄養失調で苦しむ多くの国民をほったらかしにし、その上でIMFからゼニをせびり取るような連中である。そこからこのカルト集団にどれくらいの資金が流れ込むのかは、全く闇の中だ。


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ベネズエラのチャベス政権転覆事件の事実経過に関しては、03年12月31日の阿修羅「戦争版」で「そんなはずでは」さんの方から詳しくご投稿いただいているので、まずそちらの方をごらんいただきたい。(ご本人に確認を取らずに載せさせていただきました。すいません。)

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ブッシュ政権が仕組んだ「チャベス政権クーデター」:これで最後です
投稿者 そんなはずでは 日時 2003 年 12 月 31 日 14:48:04
http://www.asyura2.com/0311/war45/msg/719.html

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また、もう一つだけ、注目していただきたい日本語の記事がある。これはル・モンド・ディプロマティーク編集総局長、イナシオ・ラモネ氏の書いた「ベネズエラ再クーデタの危険」(北浦春香氏、訳)という題名の非常に鋭い論評である。アメリカの謀略に対してはもちろんだが、世界の、特にヨーロッパの社会主義政党の沈黙、マスコミによる「反チャベスキャンペーン」について厳しく批判を加え、このままでは同様の謀略が繰り返される恐れがあることについて述べている。
http://www.diplo.jp/articles02/0206.html


この記事に書いてあるとおり、明らかにアメリカの謀略であるこの政変で、スペインのアスナール政権はおろか、元首相の社会主義者フェリペ・ゴンザレスまでがチャベスに敵対し政変によって一時的に生じた暫定政府のカルモナを強く支持するのだが、これには理由がある。ここで、スペイン語の資料を二つ続けてご紹介しよう。

最初は、表現の自由のためのサイトRed vortaire.netより2002年5月18日の記事「CIAの秘密組織網の謀略とチャベス政権転覆」。
次に、スペイン共産党の流れを汲むスペイン統一左翼のサイトからJosé Manuel Fernándezの2002年5月23日の記事である。

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http://www.redvoltaire.net/article6.html

【訳出・引用開始、前略】
ペドロ・カルモナの暫定政府大統領の選挙は、元大統領のラファエル・カルデラ(オプス・デイ)の家族、およびラテンアメリカの大物グスタボ・シスネロス(雑誌フォルベスのランキングによると50億ドルの資産を持つ世界で56位の大富豪)との協議によって実現された。この最後の男(シスロネス:訳者)はフェリペ・ゴンサレス(社会主義者でスペイン前首相)とジョージ・ブッシュ父(元CIA長官でかつてのアメリカ大統領)の個人的な友人であり、彼らを魚釣りに招待している。
【後略、訳出終わり】

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http://www.izquierda-unida.es/Actualidad/docu/2002/informegolpevenezuela.htm

【訳出・引用開始、前略】
オプス・デイ・コネクション

ペドロ・カルモナはオプス・デイと共謀する人間である。多くの襲撃事件に関わる者や「地方政府」のさまざまなメンバーはオプス・デイの正会員たちである。最も有名な者は
アスナールの友人でありカルモナの外務大臣ホセ・ロドリゲス・イトゥルベである。その外務省はカラカスのオプス・デイの本部と同じ場所にある。その襲撃は、簒奪者(カルモナのこと:訳者)の宣誓式に司教ヴェラスケスとともに出席した司教区会議議長バルタサル・ポラスの祝福とともに、“in situ”(意味不明、教会用語か:訳者)を告げた。 
【後略、訳出・引用終わり】

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どうだろうか。主犯であるアメリカ、共犯のアスナール政権はもとより、ヨーロッパの社会主義政党までが完全に資本家どもに篭絡(ろうらく)されてしまっている姿がよく分かる。ここではスペインのゴンサレスが槍玉に上がっているが、他の国々の社会党、労働党などもどのみち似たような、あるいはもっとひどい状態かも知れない。そしてここでもあの不気味なセクトが陰に陽に活躍していることが明白である。

なお、この2番目のスペイン統一左翼の作成した記事は、アスナール政権がいかにこのクーデター劇に絡んでいるか、を非常に詳しく述べている。例えばカルモナは政変直前の2002年4月初頭にマドリッドを訪れて、スペイン政府要人や与党国民党の幹部と入念に打ち合わせをしているのだ。この記事は非常な長文なのでここで全文を訳出はできないが、機会があればいずれ翻訳したいと思っている。また興味のある方は機械翻訳で英文にして読んでいただきたい。ただこの記事にはここまでは書いていないが、カルモナと同様にアスナール自身もオプス・デイの有力なシンパであるし、彼のスタッフの重要ポストにはやはりオプス・デイの正式会員または親密な関係者が多い。ベネズエラの政変は、単にベネズエラ国内の問題でもアメリカがらみというだけでもなく、もっと広い国際謀略なのだ。その裏ではあの悪魔的カルト集団がしっかりと「糸」をつないでいる。


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中南米に何か政変が起これば、そこに必ずCIAと共にオプス・デイの姿がある。彼らが1960年代初頭からすでに手を組んで陰謀をめぐらすようになったことは以上の諸資料から明らかだ。オプス・デイは、最初は恐らく利害の一致からCIAが利用する手先となって動いたと思われるが、いつしかアメリカ国内に侵入し、現在は逆にCIAやFBIなどの重要な役職まで占めるようになっている。彼らは一体今後、何を企んでいるのか? またその重要なきっかけを作ったのが1980年代のニカラグア、エルサルバドルなどの中米諸国における政変・内乱なのだ。そこで、次回は

その5:米西同盟の仕掛け人?オプス・デイ
(2)米国中枢部に食い込む「バチカン=オプス・デイ」

と題して投稿する予定である。


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イベリア半島「百鬼昼行図」過去ログ

その1:イラク人の血に群がる蝿ども(1)RepsolとCepsa
http://www.asyura2.com/0311/war44/msg/1021.html
 
その2:イラク人の血に群がる蝿ども (2)その他の企業
(何と!あのレアル・マドリッドの会長の名前も!)
http://www.asyura2.com/0311/war45/msg/112.html

その3:「米西同盟の経緯=フランコの呪縛」
http://www.asyura2.com/0311/war45/msg/585.html

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