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「タルムードにおけるイエスへの言及(なんてものはない)」[魔女の鎚 第四撃]
http://www.asyura2.com/0403/bd34/msg/166.html
投稿者 乃依 日時 2004 年 3 月 09 日 06:20:25:YTmYN2QYOSlOI
 

(回答先: 「陰謀論とは何か?」 (・陰謀論の母・共通する特徴・本当の陰謀と妄想の陰謀)[魔女の鎚 第三撃] 投稿者 乃依 日時 2004 年 3 月 09 日 06:17:19)

http://members.at.infoseek.co.jp/WATCHMAN_ENDTIMES/talmud_jesus.html

 


 










魔女の鎚 第四撃


終末時代の監視者からの警告


 


「タルムードにおけるイエスへの言及」


ジル・ステューデント


http://www.angelfire.com/mt/talmud/jesusnarr.html


 


はじめに


タルムードにイエスへの言及があると主張する人々は、四か所にイエスの誕生と死が記されている、と論じる。ここでは、その四か所を詳細に分析し、果してそれがイエスの生涯への言及なのか否かを見極めたい。それに加えて、さらに二か所も考察して、われわれの主張を明確にしたい。言われている本文において、イエスへの言及ありとするのは、非常に困難であることが、直ちに気付くと思う。また、多くの歴史学者とタルムード研究者がすでにこの問題について論じており、どの本文にも、イエスまたはイエスの原型となった先駆者への言及は見られない、との結論に達している。この先駆者については、後世に神学的意図をもって歴史が書きかえられたため、不明な点が多い。


 


該当箇所


まず、タルムードには、同名の人物が多数出てくることを、心に留める必要がある。タルムードの諸賢人の伝記『トルドート・タンナイーム・ヴェアモライーム』を著したラビ・アーロン・ヒマンによれば、14人のヒレル、61人のエルアザル、71人のフナの名前を挙げている。ヨセフスが作成したリストでは、イエスという名前の約20人の同名の別人が挙げられている。そのうち少なくとも10人は、かの有名なイエスと同時代に生きていた(参照:ジョン・P・メイヤー『辺境のユダヤ人』206ページ、註6)。パンテラ、という名前も1世紀から2世紀にかけてのよくある名前であった(参照:L・パターソン『パンテラという名前の起源』JTS19(1917-1918)、79-80ページ。メイヤー前掲書107ページ、註48で引用)。名前について考えた場合、今日と同様、タルムードには多数の同名異人がごくあたりまえに出て来る。ビルという名前の人物は、合衆国大統領にもいるし、マイクロソフトの会長にもいるし、町の名士の中にもいる。ビル、とは、ある特定のビルであって、他のビルとはもちろん別人である。それゆえ、姓のない名前だけで人を判別するのは、不可能に近い。姓は、タルムードでは父親の名前が使用される。これにより、他の人物と識別することがいくらか可能になるが、それでも完全ではない。二人の同名異人が同じ名前の父親を持つ、ということが、しばしば起こり得る。このために、歴史が複雑になるが、しかし、それを無視してしまったら、歴史を歪曲することになる。


「ベン」という言葉は、ヘブル語で「息子」という意味である。それゆえ、「シモン・ベン・ガマリエル」は、ガマリエルの息子シモン、という意味になる。


 


 


第1の箇所 「ベン・スタダについて」






タルムード、シャバット104b及びサンヒドリン67a



こう教えられている。ラビ・エリエゼルは賢人にこう言った。「ベン・スタダは自ら肌を傷つけて、エジプトから魔術を持ち込んだのではないか?」 賢人たちは答えた。「彼は馬鹿者であり、馬鹿者から証拠を得るのは不可能だ。」


ベン・スタダはベン・パンディラである


ラビ・チスダは言った。「夫はスタダであり、その愛人はパンディラだった。」

(いや、)夫はパッポス・ベン・イェフダであり、母親はスタダだった。

(いや、)母親は、美容師をしていた(スタダという)ミリアムだ。プンペディタ学院ではこう言われている。「彼女は夫から逃げ出した(スタ・ダ)のだ。」







要約


ここで述べられているのは、黒魔術師と思われるベン・スタダという名前の男である。母親は、スタダとも呼ばれるミリアムである。父親はパッポス・ベン・イェフダという名前であった。ミリアム(スタダ)はパンディラと不倫の関係となり、その結果、ベン・スタダが生まれた。


 


証拠


このベン・スタダ、別名ベン・パンディラは、イエスである、とする歴史学者がいる。母親ミリアムは、マリアと同じものである。加えて、ミリアムは美容師(メガドラ・ナシャイア)だと言われている(この訳語については、ラビ・メイル・ハレヴィ『ヤード・ラマ』サンヒドリン当該箇所を参照)。「ミリアム・メガドラ・ナシャイア」は、新約聖書の有名な女性、マグダラのマリアに発音が類似している。


 


問題点


1.マグダラのマリアは、イエスの母親ではない。イエスの母マリアは美容師ではない。


2.イエスの義理の父はヨセフである。ベン・スタダの義理の父は、パッポス・ベン・イェフダである。


3.パッポス・ベン・イェフダは、他のタルムード関連文書にも出て来る。 メヒルタ・べシャラフ(ヴァイェヒ第6章)で、彼はラビ・アキバとトーラーについて議論している。タルムード、ベラホート61bでは、パッポス・ベン・イェフダは逮捕され、ローマ人の手によって、ラビ・アキバと共に処刑されている。ラビ・アキバは1世紀後半から2世紀前半の人。西暦134年に没した。もしパッポス・ベン・イェフダが、ラビ・アキバと同時代人だとするなら、イエスの死の前に誕生していなければならないから、イエスの父親となることは不可能である。


 


 


第2の箇所 「イェシュについて」






タルムード、サンヒドリン107b及びソーター47a



ラビ・イェホシュア・ベン・ペラキアについてはどうか?


王であったヨハネス(ヒルカヌス)がラビたちを殺したとき、ラビ・イェホシュア・ベン・ペラキア(とイェシュ)は、エジプトのアレキサンドリアへ逃れた。安全になったので、シモン・ベン・シェタハが手紙を書き送った。「聖都(エルサレム)から、エジプトのアレクサンドリアにいる貴兄へ。わが夫はみなさまがたの中に残っており、わたしは見捨てられ、座り尽くしております。」


(ラビ・イェホシュア・ベン・ペラキア)が旅立ち、とある宿に着いたとき、人々は彼に敬意を表した。彼は言った。「なんと素晴らしい宿でしょう(アフサニア、宿の主人という意味もある)。」

(イェシュは)言った。「先生、彼女は目が悪いのですよ。」

(ラビ・イェホシュア・ベン・ペラキアは)答えた。「ひどいやつだ。つけあがるな。」

(ラビ・イェホシュア・ベン・ペラキアは)四百人にトランペットを吹かせて、彼を破門した。

(イェシュは)(ラビ・イェホシュア・ベン・ペラキアの)前に何度も来て言った。「ゆるしてください。」しかし(ラビ・イェホシュア・ベン・ペラキアは)まったく無視した。


ある日(ラビ・イェホシュア・ベン・ペラキアは)シェマーの祈りをささげていた(その間は誰も妨げてはならないことになっている)。(イェシュが)やって来た。彼は(イェシュ)をゆるそうとし、手で合図して知らせた。(イェシュは)思った。「(ラビ・イェホシュア・ベン・ペラキアは)わたしを追い出すつもりだ。」そこで彼は出て行って、レンガを取って来ると、殴り倒した。

(イェシュは)(ラビ・イェホシュア・ベン・ペラキアに)言った。「罪を犯す者、また、他人に罪を犯させる者には、悔い改めの機会をやってはらなない、とあなたが教えたんです。」

師は答えた。「イェシュ(ノツリ人)は魔術を行い、嘘をつき、イスラエルを迷わせ、逸脱させた。」







背景及び要約


この事件がいつ頃起きたかについては、歴史学者によって見解が相違していることに注意する必要がある。議論を省き、ここではゲルション・タンネンバウムの説に従って、最も遅い年代を取ることにする(『ユダヤ年表百科事典』87ページ)。


ヨハネス・ヒルカヌスは、辣腕の王であり、軍人であった。紀元前93年の戦勝祝賀の酒宴において、パリサイ派のラビたちが彼の怒りを買い、サドカイ派の指導者に後押しされて、すべてのパリサイ派のラビを殺害しようと企てた(ヒマン、第二巻、691-692及び766ページ)。ラビの幾人かは、ヨハネス・ヒルカヌスの手が届かないアレクサンドリアに亡命し、その中に、ラビ・イェホシュア・ベン・ペラキアとその弟子イェシュがいた。しかし、シモン・ベン・シェタハは、ヨハネス・ヒルカヌスの息子に嫁いでいた姉に匿われて、エルサレムに潜伏していた。パレスチナには多種多様な宗派が存在し、エッセネ派やクムラン僧院その他、類似した集団が無数にあったが、この時期には、パリサイ派の指導者をことごとく失った。


紀元前91年頃、ヨハネス・ヒルカヌスと息子のアンティゴノス及びアリストブロスが死去し、第三子アレクサンドロス・ヤンネウスが即位した。アレクサンドロス・ヤンネウスは熱心なサドカイ派であったが、彼の妻はパリサイ派である義理の弟、シモン・ベン・シェタハを、サドカイ派が支配的であったサンヒドリンに任命するよう、強く勧めた。


多年をかけて徐々に、シモン・ベン・シェタハはサドカイ派に対する優位を獲得し、パリサイ派の自分の弟子たちをサンヒドリンに任命するようになった。(ヒマン、第二巻、766-767ページ。第三巻、1213-1214ページ)。


紀元前80年頃、パリサイ派のラビにとって、ついに事態が平静となったので、ひそかに帰国が開始され、シモン・ベン・シェタハは自分の師、ラビ・イェホシュア・ベン・ペラキアに帰国を促す手紙を、暗号文で送った(ヒマン、第二巻、647-648ページ。第三巻、1213-1214ページ)。


それから五、六十年後に、ギリシャ-シリア系支配者に対してパリサイ派が反乱を起こし、パリサイ派が大勝利を収めて、独裁政権を樹立し、ハスモン朝が創始されると、パリサイ派のラビたちが続々と帰国して来た。パレスチナでは、ユダヤ教がギリシャの異教と融合した異端的分派が蔓延していたので、ラビたちは伝統に背いたり、伝統に照らして立証出来ないあらゆる影響を、完全に撃退することに努めた。ラビたちは、混乱した母国の宗教状況を見せつけられ、前まではパリサイ派が突出した影響力を誇っていたことを、思い出さずにはいられなかった。


帰国の途上で、イェシュは師の言葉を誤解し、自分が既婚女性に興味を抱いて見ていることをほのめかすような言葉を言ってしまった。乱婚はギリシャの異教的分派を特徴付けるしるしであったので、ラビ・イェホシュア・ベン・ペラキアは、自分の弟子がギリシャの異教の指導者であるかもしれないと疑い、破門した(この本文の数行前のところで、タルムードは、この破門の決定が軽率に下されたことを、批判している)。イェシュは何度も師との和解を試みたが、ラビ・イェホシュア・ベン・ペラキアは最終的には、ゆるすつもりになった。しかし、イェシュがやって来たとき、ちょうど朝の祈祷の一番重要部分であるシェマーの祈りを唱えている最中だったので、 中断して応対することが出来なかった。 手振りでイェシュに合図をしたものの、出て行けとの意味だと誤解された。イェシュはついにあきらめて、師が抱いた疑惑が本当であったことを露見させた。イェシュは異教を受け入れていて、ユダヤ教の分派を設立し、多くのユダヤ人を迷いの道に引き込んでいたのだった。


 


問題点


1.イェシュはイエスより100年前の人物である。


2.四つに大別できる写本系統のうち、ただひとつだけが「ハノツリ」(おそらくは、ナザレ人)という呼称を伴なっている。その他の写本は、この呼称を欠いているので、おそらくは後代の付加であり、中世の注釈家によると思われる(メナヘム・ハメイリ『ベイト・ハベキラ』ソーター当該箇所を参照)。


3.ノツリが必ずしもナザレ人を意味するわけではない。これは実際には聖書の用語である(エレミヤ書4:16)。何百年も後には、疑うべくもなく、クリスチャンを指すのに「ノツリーム」あるいは「ネツァリーム」という言葉が使用された。強力な集団を指すためにも、この言葉が使われていた可能性がある。「ベン・ネツァル」という名前は、タルムードでは、有名な強盗団の首領であったパルミラのオデナタスを指すのに使われている(『マーカス・ジャストロー事典』930ページ)。


4.イェシュという名前はありふれたものであった。イエスという名前が普通の名前であったことは、明らかである(参照:コロサイ4:11)。


5.名前を別にすれば、この物語はわれわれが知るイエスに合致する点がなにもない。


 


 


第3の箇所 「裁判について」






タルムード、サンヒドリン67a



こう教えられている。「死刑に相当するすべての事件については(偶像崇拝者を例外として)、証人を隠すことは行わない。では(偶像崇拝者の場合は)どう扱うのか? 判事室の奥部屋にランプをつるし、被告を照らす。証人たちは外部屋に着席する。これにより証人たちは、被告を見て声を聞くことが出来るが、被告には証人たちが見えず、声も聞こえない。ひとりが被告に言う。『あなたがわたしにこっそり何と言ったか、もう一度言ってください。』被告が答える。『天にいますわれらの神を忘れて、どうして偶像など拝むことができましょうか?』 このように被告が改悛したならば、よい。しかし、被告が、『偶像崇拝は、やらねばならない義務です』と答えたなら、それを聞いた証人たちは、被告を法廷に引きずり出し、石を投げつける。このようにして、ルドにおいて、ベン・スタダは過越祭の前日に処刑され、木にかけられた。」







要約


この個所は、最悪の宗教上の罪である偶像崇拝者(参照:申命記13:7-12)を逮捕した場合、どう扱うかを論じている。次にタルムードは続けて、同じ取扱い方法が有名なベン・スタダにも適用されたことを述べている。


 


証拠


再びベン・スタダである。すでにベン・スタダが魔術師であることは上述したが、ここでは、偶像崇拝者とされている。イエスとの関連性は、先に述べた箇所においてベン・スタダがイエスと結びつけられていたことによる。それに加えてここでは、過越祭の前日に処刑された、と述べられている。ヨハネによる福音書(9:14)は、イエスが過越祭の前日に処刑されたと記している。


 


問題点


1.ここでも、ベン・スタダとイエスについて上述したのと同じ問題がある。ベン・スタダはイエスより100年前の人物である。


2.ベン・スタダはユダヤ人の手によって石打ちの刑に処された。イエスはローマ総督府によって、十字架刑に処された。


3.共観福音書によれば、イエスは過越祭の当日に処刑された(マタイ26:18-20。マルコ14:16-18。ルカ22:13-15)のであって、過越祭の前日ではなかった。


4.イエスはルドにおいて十字架刑に処されたのではなかった。


 


 


第4の箇所 「処刑について」






タルムード、サンヒドリン43a



こう教えられている。「過越祭の前日、イェシュは木にかけられたが、それに先立つ40日間にわたり、布告者が方々に派遣され、告示文を読み上げた。『(イェシュは)魔術を行い、イスラエルを迷いの道に誘い出そうとしたため、石打ちの刑に処される。彼の疑いを晴らす事実を知る者は、誰でも出頭して、無実を証明せよ。』 しかし、だれひとり、彼の無実を証明する者はいなかった。こうして、彼は、過越祭の前日に木にかけられた。」


ウッラは言った。「だれか彼のために無実を証明しようと思った者はいなかったのか? 彼は偶像崇拝者であり、神は『あわれみ、同情をかけてはならない、かばいだてしてはならない』(申命記13:9)と言っておられる。」


イェシュは違っていた。政府と親しかったからである。







要約


ここにはイェシュの処刑の話が示されている。ベン・スタダと同様、イェシュも過越祭の前日に処刑された。処刑に先立ち、裁判所は彼の無実を立証出来る証人を探した。これは、処刑に先立ち行われる通常の手続きである。しかしウッラは、この手続きについて疑問を呈している。偶像崇拝者は、聖書の命令によれば、あわれみをかけてはならず、通常の手続きを適用すべきではない。タルムードはこれに対して、イェシュは違っていた、と答えている。政府とのつながりを持っていたがゆえに、政府を困惑させないため、裁判所は処刑を回避する方法をなんとか探し出そうとした。


 


証拠


再びイェシュである。すべての証拠は、上述したのと同様、イェシュとイエスの関わりについてである。それに加え、ベン・スタダの場合と同様、処刑が過越祭の前日に行われた、ということがある。


 


問題点


1.ベン・スタダのところで上述したように、共観福音書は、イエスが過越祭の前日ではなく、過越祭の当日に処刑されたと記録している。


2.上述したように、イェシュはイエスより100年前の人物である。


3.イェシュはローマ総督府ではなく、ユダヤ人の裁判所によって処刑された。イェシュ当時のアレクサンドロス・ヤンネウスの治世にあっては、ユダヤ人の裁判所は処刑を執行する権力を持っていたが、王がサドカイ派であり、裁判所はパリサイ派で占められていたために、その執行には慎重を要した。これにより、裁判所としては、王の友人を処刑して、王を不必要に困惑させるのは避けたかった、ということが、明かになる。イエスの時代のローマ占領下にあっては、ユダヤ人の裁判所が犯罪者を処刑する権力を持っていたと示す事実はなにも存在しない。


4.イエスが政府と親しかったことを示す事実は、新約聖書には記載されていない。


 


 


第5の箇所 「弟子たちについての箇所」






タルムード、サンヒドリン43a



こう教えられている。「イェシュには5人の弟子がいた。マタイ、ネカイ、ネツェル、ブニ、トダである。


マタイが(判事たちの前に)連れて来られた。彼は言った。『マタイは死刑になるのでしょうか? こう書かれています(詩編42:2)、「いつ(=マタイは)神の御前に出るべきでしょうか。」』


こう答えた。『そうだ、マタイは死刑になる。こう書かれている通りである(詩編41:5)、「いつ(=マタイは)死に、その名は消し去られるべきでしょうか。」』


ネカイが連れて来られた。彼は言った。『ネカイは死刑になるのでしょうか? こう書かれています(出エジプト記23:7)、「無実の者(=ネカイ)と正しい者を殺してはならない。」』こう答えた。『そうだ。ネカイは死刑になる。こう書かれている通りである(詩編10:8)、「隠れた場所で無実の者(=ナキ)を殺した。」』


ネツェルが連れて来られた。彼は言った。『ネツェルは死刑になるのでしょうか? こう書かれています(イザヤ書11:1)、「その株から一本の枝(=ネツェル)が生え出る。」』

こう答えた。『そうだ。ネツェルは死刑になる。こう書かれている通りである(イザヤ書14:19)、「忌まわしい枝(=ネツェル)として、あなたは墓から撒き散らされる。」』


ブニが連れて来られた。彼は言った。『ブニは死刑になるのでしょうか? こう書かれています(出エジプト記4:22)、「わが子(=ベニ)、わたしの初子、イスラエルよ。」』

こう答えた。『そうだ。ブニは死刑になる。こう書かれている通りである(出エジプト記4:23)、「見よ、わたしはあなたの息子(=ビンハ)、あなたの初子を殺す。」』


トダが連れて来られた。彼は言った。『トダは死刑になるのでしょうか? こう書かれています(詩編100:1)、「感謝(=トダ)の詩編。」』

こう答えた。『そうだ。トダは死刑になる。こう書かれている通りである(詩編50:23)、「だれでも感謝(=トダ)の生贄をささげ、われをたたえよ。」』







要約


イェシュの5人の弟子たちは、法廷に引き出され、涜神罪と偶像崇拝の罪で裁かれ、聖書の律法に基づき、処刑された。この箇所では、めいめいの弟子が知恵を尽くして聖句を引用し、処刑を免れようとし、判事たちも聖句を引用して応じている。


 


証拠


上述したイェシュという名前が出て来る。これに加え、この箇所に出て来るヘブル語の名前「マタイ」は、イエスの弟子のマタイと同じである。


 


問題点


1.上述したように、イェシュをイエスと関連づけるには、問題がある。


2.5人の弟子のうちのひとりだけがマタイだとわかる。だが、ほかの4人は誰なのか?


3.マタイという名前は、アラム語のマティヤフという名前の愛称だと思われる。マティヤフは、当時ユダヤ人の間で一般的な名前であった。おそらく、ありふれた名前であり、ハスモン朝の開祖の中でマティヤフは高い敬意を払われていたことから、一般庶民にも広まったのであろう。いくつかの写本では、ラビ・イェホシュア・ベン・ペラキアの有名な同僚に、アルベルのマタイという人物がいる(参照:ラビ・シモン・ベン・ツェマフ・ドゥラン、ザイニ版『マゲン・アヴォート』エルサレム、2000年、31ページ)。


 


 


第6の箇所 「学生について」






トセフタ・フリン2:23



かつて、ラビ・エルアザル・ベン・ダマーが蛇に噛まれたとき、セカニヤ村のヤーコヴがやって来て、イェシュ・ベン・パンディラの名によって癒そうとしたが、ラビ・イシマエルはそれを許さなかった。







証拠


唯一ここにおいてのみ、イェシュとベン・パンディラが関連づけられている。


 


 


 






学説について


あいまいな歴史


歴史家の中には、上記をイエスへの言及だと見る者もいる。しかし、少し考えれば、詳細な記述をまとめあわせるのは困難だとわかるし、なにより、時代的に大きなずれがある。それでも歴史家は、「ラビたちの手になる年代学は科学ではないし、ラビたちは年代の確実性を重んじなかった」と論じる(R・T・ハーフォード『キリスト教とタルムード及びミドラシュ』347ページ)。タルムードのラビたちは、イエスについてのあいまいな記憶を持っていただけであり、それを元に、イエスを悪く言うため粉飾したのである。それゆえ、多くの物語に存在する矛盾は問題ではなく、ラビたちも気にしていなかった。かくて、イエスはイェシュであり、ベン・スタダであり、ベン・パンディラだということになる。 マグダラのマリヤがイエスの母だとされているのは、福音書の物語を漠然と知っていたからである。イエスの処刑については、一部の詳細についてしか思い出せなかった。事実、これらの主張をする歴史家たちは、タルムードの中に別の名前を使ってのイエスへの言及があることを発見している。ハーフォードのリストには、イエスに言及しているとされる20箇所が示されているが、それでも彼は、「タルムードにはいかにイエスへの言及が少ないか、驚かされる」と結論づけている(前掲書)。


これが、現時点での標準的な歴史家の見方である。それでも、タルムードのラビたちへの偏った見方や、イエスの名前がない箇所への出鱈目なこじつけは、後退しつつあり、学究的な研究者たちによって、よりバランスの取れた見方がなされて来ている。


ゴールドシュタインは、博士論文においてイエスとユダヤ教の伝統を考察し、高く評価されている。特に、イエスをタルムードの様々な箇所、特にバラムなど特定の人物に結びつけようとする解釈に、真っ向から反論している。こうした解釈は、先入観を持って本文を探さなければ、出てこない、というのが彼の見解である(参照:ゴールドシュタイン、57-81ページ)。ヨセフ・クラウスナーは、ベン・スタダの箇所がイエスを指しているとは見ていない(参照:ヨセフ・クラウスナー『ナザレのイエス』20-23ページ)。ヨハン・マイアーは、これに加えて、ベン・パンディラもイエスとは何ら関係がないとしている(ヨハン・マイアー『タルムード伝承におけるナザレのイエス』237ページ。ジョン・P・メイヤー『辺境のユダヤ人』第一巻、106ページ、註5において引用)。さらにマイアーは、サンヒドリン43aのイェシュの処刑と弟子たちについても、イエスとの関係を否定している(マイアー、前掲書229ページ。メイヤー前掲書107ページ、註51において引用)。カトリックの司祭であるジョン・P・メイヤーは、現代の研究者として、イエスの生涯の事跡を学究的に分析し、高い評価を得ている。その著書はアンカー聖書注解ライブラリーにも加えられており、その中でこう述べている。「マイアーの斬新な分析を全部受け入れることが出来ないにしても、ある基本的な一点においては、彼と同じ意見をわたしは持つ。すなわち、初期のラビ文献においては、ナザレのイエスについての明確な言及は見られず、暗示すらされていない。」(メイヤー、第一巻、98ページ)。


マイヤーはまた、上述のハーフォードが提示した指摘に対して、解答を下している。マイヤーはこう述べている。「ヨセフスを例外として、初代教会時代のユダヤ教文書は、歴史上のイエスを見出す資料を何ひとつ提供していない。それは、なぜなのか? 初期ユダヤ教のラビたちは、生き残りと自己の確立のために激しい苦闘をしていたのであり、自分たちのこと以外は、一切念頭になかったからである。」(メイヤー、前掲書)


現代の歴史家たちは、タルムードが編纂された期間内において、時期が異なる複数の本文を取り出している。原文において言及されているイェシュ、ベン・スタダ、ベン・パンディラという異なった人物は、いずれもイエスではない。年代に関していえば、タルムード編纂期内で時期を異にするラビたちが、文章や詳細な叙述を書き加えている。それでも、ヨハン・マイアーは、どの箇所もイエスには関係がない、としている。ヨセフ・クラウスナーやジョン・P・メイヤーのような一部の学者は、後期に付加された部分においては、イエスに言及しているものもあるが、タルムード原文にはない、としている。それゆえ、仮に存在したとしても、タルムードがイエスについて実際に何を述べているかを確定するのは、非常に困難なのである。


こうしたタルムードの文献批評の試みは、伝統的ユダヤ教にとっては排斥の対象となるが、それでも、極めて異端的というほどではない。それゆえ、ここではわれわれは、本文が示す内容について、古典的なラビの注釈に沿いつつ、伝統的な解釈の見解によって、見ることにしたい。


 


二人のイェシュについて


標準的なラビの見解によれば、問題とされる箇所においては、少なくとも二人の別人のことが述べられている、とする(参照:『トセフタ・ハロシュ』ソーター47aのイェシュについて、シャバット104bのベン・スタダについて。『トセフタ(非検閲版)』シャバット104bのベン・スタダについて。ラビ・アブラハム・ザクト『セフェル・ハユカシン』5:6.ナタン・ダヴィド・ラヴィノヴィツ『ビヌ・シェノト・ドル・ヴァドル』422-425ページ)。第一の人物は、紀元前1世紀の前半、アレクサンドロス・ヤンネウスの治世下に生きていた。第二の人物は、紀元後2世紀の前半、ローマの迫害によりラビ・アキバが悲劇の死を遂げた時代に生きていた。


第一の人物は、イェシュ・ベン・パンディラである。最初彼は、多くの追随者を得ていた。その異端的教説と偶像崇拝は、彼の死後数百年間残存したが、ユダヤ教の他の分派と同様、神殿破壊後に徐々に姿を消して行った。


第二の人物は、ベン・スタダである。彼は名家の出身で、公然の偶像崇拝者であり、逮捕され、処刑された。


この二人の関連性については、父親の名前が共通している、ということ。過越祭の前日に処刑されたこと。エジプトに滞在したことがあること、である。父親の名前の共通については、単なる偶然であろう。上述したように、パンテラ(ヘブル語及びアラム語ではパンディラ)は、当時の一般的な名前であった。


ベン・スタダが過越祭の前日にルドにおいて処刑されたのは、義理の父が名家の出であったことが関係すると思われる。当日、大部分の人は過越祭の犠牲の準備のためにエルサレムに集結しており、ルドでの処刑に立ち会える人はほとんどなかったと考えられるからである。これとは反対の理由で、イェシュ・ベン・パンディラは、過越祭の前日にエルサレムにおいて処刑された。彼は異端的分派の指導者であったので、裁判所はエルサレムの群集に対して公開の処刑を行うことで、分派の根絶を図ろうとしたと思われる。


二人共エジプトに滞在していたことについては、今日のアメリカ系ユダヤ人のだれか二人が、生涯のうち何度かニューヨークに訪れるのと同じようなものである。紀元前307年から紀元後113年まで、アレクサンドリアは世界で最も高名かつ最大のユダヤ人居留地であった。何万人ものユダヤ人が大きく活発なユダヤ人社会を形成していた。ラビ・イェホシュア・ベン・ぺラキアとイェシュがアレクサンドリアに逃れたのは、そのためであろう。アレクサンドリアのユダヤ人社会はまた、ヘレニズムと密接な関係にあった。その有名な産物であるフィロの著作は、極めてギリシャ的であり、ユダヤ教からは異端的とみなされるヘレニズムを推し進めるものであった。(サムエル・ベルキンによる『ミドレシ・フィロン』序文を参照)。それゆえ、若きベン・パンディラがアレクサンドリアを訪れ、ユダヤ教とギリシャ文化を混合した宗教を受容し、それが伝統的ユダヤ人から偶像崇拝だとみなされたとしても、不思議ではない。


次の表で、二人の人物の詳細を示そう。







































イェシュ・ベン・パンディラ


ベン・スタダ


第1の箇所


紀元前80年頃に在世。


第1の箇所


紀元後100年頃生存。


ベン・パンディラと呼ばれたときもあるが、おもにベン・スタダと呼ばれる。おそらく、イェシュ・ベン・パンディラと区別するためであろう。


エジプトより魔術を持ち帰った。


母親は、ミリアムという名の美容師で、スタダという名でもあった。


イェホシュア・ベン・ペラキアの弟子。


父親は、パンディラ。


迫害から逃れ、エジプトに亡命。帰国時には偶像崇拝者となっていた。


義理の父は、パッポス・ベン・イェフダ。


第4の箇所


過越祭の前日に処刑された。


第3の箇所


偶像崇拝をしたために、過越祭の前日にルドで処刑れた。


政府の高官と親しい関係にあった。


第5の箇所


5人の弟子たちも共に処刑された。


 


第6の箇所


彼の影響はその後、ラビ・イシマエルの頃(133年没)まで、数世紀に渡って残存した。







初期のイエス


さらに議論を進める歴史学者もいる。知っての通り19世紀初頭に、ある歴史学者たちがイエスの歴史的実在を完全に否定し、そのことが、長期に渡る議論となった。この学説によれば、イエスは実在せず、初代教会の教父たちが、自分たちの宗教のために創作したのだという。福音書は様々な神話の寄せ集めであり、そのために、イエスに神秘的性格が付与された、とする。この学説をめぐっては多くの書物が書かれているが、中にはさらに議論を進める歴史学者もいる。それによると、新約聖書のイエスは、タルムードのイェシュ・ベン・パンディラの物語を下敷きにしている、というのである。この伝説的人物は、ユダヤ教指導者からは異端とみなされたが、彼が設立したユダヤ教の分派が、初代教会のクリスチャンに影響を与えた、という。初代教会のクリスチャンは、イェシュ・ベン・パンディラの物語を取り入れ、年代を調整し、自分たちの折衷主義的な信仰に合うように手を加えた、というのである(参照:アブラハム・イブン・ダウィード『セフェル・ハッカブラー』53。前掲示書『セフェル・ハユカシン』。アブラハム・コルマン『ゼラミーム・ヴェキトート・ベヤハドゥト』354-364ページ)。


大胆な学者の中には、イエスやイエスの原型だとされるイェシュ・ベン・パンディラを、クムラン教団の「義の教師」と同一視する意見もある(参照:アルヴァール・エレゲルド『キリストより百年前のイエス』。G・R・S・ミード『紀元前100年頃のイエス?』。G・A・ウェルズ『イエス神話』)。


これらの学説は、非常に不確かなものであり、もちろん、主流の学説ではないものの、研究者たちは、考古学的発見物から中世期の記録に至るまで、大量の証拠を集めており、類似した結論を導き出そうとしている。


 


 


結論


タルムードにイエスへの言及があるとする見方は、成り立たないことは、今や明らかであろう。タルムードの中のイエスとマリアに対する「冒涜的記述」のほとんどは、何らイエスとは関係がないのである。しかし、タルムードの著者たちが、イエスの神性を信じておらず、メシアと認めていないことは、いかなるラビも否定できない事実である。キリスト教に入信しようとするならば、明らかに、ユダヤ教文書は無用の書物である。そうであっても、タルムードは、イエスを不倫の子などとは呼んでいないし、マリアを多数の男と関係を持った売春婦だなどとも呼んでいない。そうとされる箇所は、実際には、イエスとは何ら関係がないのである。


 


註:タルムード本文は、1860年にケーニヒスベルグで印刷され、1989年にテルアビブで再版された『ヒスロノート・ハシャス』による。『トセフタ』の本文は、ヴィルナの標準本から取ったが、サウル・リーバーマンの『トセフタ・リショニーム』に基づき若干手を加えた。


 


 






以上の論文は、タルムードに「イェシュ」という名で出てくる人物が、いずれも新約聖書のイエスとは関係がないことを明かにしている。それゆえ、タルムードが、イエスを私生児、マリアを売春婦と呼んでいる、という論難は、まったくの事実無根であることが、明らかになる。



これ以外にも、タルムードがイエスを冒涜しているとの攻撃が数多くなされているが、それら指摘された箇所においては、実際にはただ「バラム」やその他の人物の名前と物語が記されているだけであり、「イェシュ」の名前はそこにはまったく登場しない。

これは、タルムードの「バラム」は常に「イエス」を示す暗号なのだ、とする、勝手な言いがかり的、かつ、非論理的な解釈法に依っているためである。このような論難がなされる場合には、通常、バラムをイエスとすることについては、一切説明がなされず、読者には、バラムを全部イエスに書き換えてしまった抜書きの一覧表が提示されるだけなのである。


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